日本近代文学館 夏の文学教室

2015年の「日本近代文学館 夏の文学教室」が、7月20日から7月25日まで有楽町のよみうりホールで開かれる。今回のテーマは<「歴史」を描く、「歴史」を語る>である。

その1日目が、谷崎潤一郎没後50年として

「谷崎潤一郎の戯曲」(水原紫苑)、「谷崎潤一郎と探偵小説」(藤田宜永)、「おとぼけの狡智」(島田雅彦)である。

その中でも、「谷崎潤一郎と探偵小説」に惹かれる。『谷崎潤一郎犯罪小説集』の文庫を本屋で見つけ購入し未読であった。<探偵小説>と<犯罪小説>の区分けの基準が分らないが、どこかで繋がるような気がする。

『谷崎潤一郎犯罪小説集』に入っている作品は『柳湯(やなぎゆ)の事件』『途上』『私』『白昼鬼語(はくちゅうきご)』の4作品である。谷崎さんの場合、文字でありながら皮膚感覚にべったり張り付くよう巧妙な文章表現である。ただ会話部分での粘着力ではないのが助かる。会話的手法でベッタリ密着感を感じさせるものは嫌いである。

上方歌舞伎なども、結構この密着感があるが、あれはやはり、上方弁だから通用するのであろう。セリフの繰り返し、甘え、ぼやき、つぶやきなど、形がないだけに好き嫌いがはっきりするかもしれない。私の場合は好き嫌いよりも、捉えがたい軟体性にある。凄く面白いときと、よく分らないというときがあり、上方歌舞伎は難しいと思ってしまっている。

谷崎作品にもどすと、自分が触れているような感覚を呼び起こされ、それが不快でも、推理小説的読み方をしているので、やはり結末が知りたいと思って読み進むと、その不快感が解消されるような結果となり、いかに作家によって、あるいは語り手によって似非体験をさせられていたかがわかるのである。

『文豪の探偵小説』には、次の文豪たちの探偵小説が載っている。

『途上』(谷崎潤一郎)、『オカアサン』(佐藤春夫)、『外科室』(泉鏡花)、『復讐』(三島由紀夫)『報恩記』(芥川龍之介)、『死体紹介人』(川端康成)、『犯人』(太宰治)、『范の犯罪』(志賀直哉)、『高瀬舟』(森鴎外)

これを探偵小説の分類に入れてしまうのかと思う作品もあるが、これだけの文豪たちの短編を一気に楽しめるという点でも面白い編纂である。

谷崎さんの『途上』は<犯罪小説>と<探偵小説>の両方に属しているが、確かにどちらともいえる作品である。江戸川乱歩さんは谷崎さんの作品は読んでいたようで、この『途上』は特に高く評価していたようである。

湯川という人物が私立探偵に声をかけられる。私立探偵はあなたの調査を依頼されたが、直接本人に聞くのが一番と思いましてと質問をしていくのである。会話が中心であるが、この二人は金杉橋から新橋方面に向かい日本橋の手前の中央郵便局前から兜橋、鎧橋を渡り水天宮へと至り、この私立探偵が最初に見せた名刺の「私立探偵安藤一郎 事務所 日本橋区蠣殻(かきがら)町三丁目四番地」の私立探偵事務所まで歩くのである。

二人の会話を目で追いつつ、こちらも歩いて移動している気分なってしまう。場所を明記されるとそこを歩きたくなるこちらの嗜好からであろうか、淡々と続く会話と共に一緒に歩いている。次第に湯川が歩きつつ周りの景色など眼中に無くなり、私立探偵の歩くのに合わせてついて行くかたちとなり、私立探偵事務所に引き込まれて行く動線を読者に実感させてしまうのである。

谷崎さんは、「日本橋区蠣殻町二丁目十四」の生まれである。現在は中央区人形町で、生家跡はビルとなり碑があるようだが、まだ行っていないのである。明治座に行った時に行こうと思いつつその時になると忘れてしまう。まさしく、<途上>状態である。

今年の文学教室は初日から魅力的な設定にしてくれた。あれも聴きたし、これも聴きたしである。