国立劇場 『壺坂霊験記』

歌舞伎鑑賞教室なので、学生さんが主客である。「歌舞伎のみかた」の解説があり、小さいが優れもののパンフも配布される。今回字幕表示もあったが、字幕表示を見ていると役者さんの演技を見落とすので、最初目にしたが忘れてしまった。

物凄い元気の良い学生さん達で、どうなるのかと思って居たら、場内が真っ暗になるとピタッとおしゃべりが消えた。幕が開くと何もない広い舞台である。花道のすっぽんから亀寿さんが上がってくる。効果的な出であった。歯切れよく説明され学生さん達も興味深々である。女形さんのお姫さまのお化粧から着付けまでの仕上げを見せ、映像つきなので細かいところまでよく判った。一緒に参加して女形の基本を教えてもらった男子学生さんも、笑いをとりつつ、楽しんでいた。

『壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』は奈良にある壷阪寺の観音様が、眼の不自由な夫と献身さゆえの信仰深い妻との夫婦愛に、命を救い、眼も見えるようにしてくれるという霊験のお話である。

パンフ等の説明によると、『観音霊場記』というのがあり、西国三十三ヶ所の霊場を一つを一段として、三十三段で構成されているらしい。そのうちの一つが第六番札所の南法華寺で、壺阪山にあるので、「壷阪寺(つぼさかでら)」と呼ばれている。清少納言の『枕草子』にも出てくるお寺である。

浄瑠璃では、桓武天皇が奈良の都におられたとき眼病を患い、壺阪の尊像に道喜上人がご祈祷し平癒されたという言い伝えがあると語られ、眼病にきくお寺として名が通ていることがわかる。そういう事も踏まえ、『壺阪霊験記』が浄瑠璃となり、現在の歌舞伎となって残ったのである。

眼の不自由な沢市を亀三郎さん、お里を孝太郎さんでの舞台である。役者さんは二人だけで、最後は奇跡が起こるハッピーエンドである。舞台も「歌舞伎のみかた」の時には何もなかったのが、沢市の家、壺阪観音堂の前、谷底と三つの場面があり、何もない舞台に作られる舞台装置にも学生さん達は目がいったことであろう。

孝太郎さんと亀三郎さんは初役だそうであるが、声質が似ていて、気持ちが響きあう。孝太郎さんは、最後まであきらめず沢市を快活さも出しつつ励まし、沢市に夜な夜な夫のためにお詣りに行くのを、男があるのではと疑われ、時にはきりっと情けなさをあらわした。

二人で明るく壺阪にお詣りに来るが、沢市は三日間断食をして祈願するから用事を済ませにお里は家に帰るようにと、お里を家に帰す。そこからの沢市の絶望的な心の内と死までの過程を亀三郎さんは変化をつけ表現する。

もどって沢市のいないのが信じられないお里。貧乏にも耐えてきたのは誰のためなのか。お里の後追いにも嘘が無い。それを見ていた観世音が現れ、命をのばしてくれ、沢市の目を治す奇跡を起こしてくれる。その後の二人の倖せさは、花道の引っ込みで充分表現された。

若い人たちのせいか、幕が引かれての拍手の響きいい。拍手の叩きかたにも年の差があるのであろうか。耳の錯覚か。