新橋演舞場 『プリティウーマンの勝手にボディガード』

<熱海五郎一座 新橋演舞場 進出 第二弾><爆笑ミステリー>となっている。

ハリウッドスターのニコラス・ケイジ(パンフ買ってないのでどんな字か不明)をガードする、警備会社の面々とその社長の元奥さん。キャバレーの関係者。刑事二名。殺人未遂事件を中心に新橋演舞場のムーランルージュはグルグルまわる。

警備会社社長の元妻で、伝説の元SPで、ニコラス・ケイジに命を助けてもらった元16才の乙女である大地真央さんの参加である。成りきっていて、メンバーの突っ込みにも動じない。フリフリのドレスでアイドルとして歌ってしまう。他のメンバーが崩れても、微動だにしないさすが元宝塚トップスターである。

爆笑ミステリーであるから、観客も演者も、ミステリーに期待はしていない。解決しそうもないコンビの刑事。筋はあるが、その筋よりも、間に展開されるコント(と言っていいのでは)などの見せ場が楽しい。

三宅裕司さん(警備会社社長)と小倉久寛さん(キャバレーレビューの演出家)の<流される>の間は、ギター伴奏と歌を含めて絶妙である。渡辺正行さん(刑事)の上落語を受けての春風亭昇太さん(ニコラス・ケイジ)の下落語。三宅裕司さんのパソコンの指タッチに合わせた大地真央さんのタップ。渡辺正行さんの演技説明をする役目の東貴博さん(刑事)。たとえば「たそがれているんです」。ラサール石井さんの中途宙乗り。小倉久寛さんのダンスと側転もありました。

犯人は意外なところに。しかし、捜す気を起こさせないのが、爆笑ミステリーと知りました。

豪華幕の内弁当。いやいや、豪華コメディアン弁当で、どこから食べてもそれぞれの味わいがあるというところである。

恒例になっているので、二回目のカーテンコールも楽しみなデザートである。楽屋裏や、それぞれの観察眼などの話が口当たり微妙。録画カメラが入っていたが、かなり噛んでいて、大丈夫だったのであろうか。よく噛む人をネタにしていたのも適材適所である。

大地真央さんの音楽性は別格として、三宅裕司さんと小倉久寛さんには、思いがけずその点を楽しませてもらった。

レンタルで『たまの映画』というのが目についた。名前は耳にしていたバンドグループだが実態は知らない。三宅裕司さんのテレビ番組「いかすバンド天国」でブレイクしたらしい。三宅さんの名前につられて借りた。このグループは解散していて、その後の各自の今の音楽活動を追っている。それぞれが自分のよしとする音楽を突き進んでいて、自分の歌を歌っている。こだわりは相当あるのであろうが、そのあたりを軽くかわしているところが、絡めとられることの煩わしさを知っての進み方なのであろう。三宅裕司さんの名前から、おそまきながら<たま>というグループのほんの僅かな部分に触れられたのは幸いである。好感が持てた。映画に三宅さんは出てこないので悪しからず。

音楽好きの三宅さんはビッグバンドを組んでいるようでチラシもあった。

さてさて熱海五郎一座は、熟し加減の素材を生かしつつ、これからも、笑いの世界を料理していくのであろう。器が立派で中身が少ない懐石料理にだけはしてほしくない。

 

白狐の「こるは」

『保名』から『葛の葉』について書いたが、『白狐』が素晴らしい姿を現してくれた。

岡倉天心さんが、信太(しのだ)の森の葛の葉伝説をオペラの台本『白狐(びゃっこ)』として作られていた。そして、その作品の作曲の一部が見つかったのである。悲しいことに、そのかた村野弘二さんは、東京音楽学校から学徒出陣され、終戦を知らずに1945年8月21日に自決されていた。

1942年4月に東京音楽学校予科に入学され、1943年の11月に校内演奏会で『白狐』を披露、12月には陸軍通信隊に入営。その一年後にはフィリピンのマニラへ。ルソン島の山岳地帯では飢えと伝染病の為に多くの死者がでる。村野さんは見習士官であったが、マラリアにかかり歩くこともままならず部下を指揮することも出来ない状態で、覚悟の自決であったようだ。

村野さんの同期に作曲家の團伊玖磨さんがおられ、村野さんの作曲を「傑作」として楽譜を捜したが見つからなかった。その一部が発見されたのである。

『白狐』の狐は<こるは>という名前で、この、<こるは>がピアノ伴奏で独唱する第二幕の楽譜の一部と「こるは独唱」のレコードも見つかったのである。

<お月さま きよらかなお月さま あなたの きよらかさを お貸し下さい>

詳しい事を知りたい方は、図書館ででも、「毎日新聞」の6月19日、20日、21日の朝刊のお読みください。

戦争によって夢多き時代に夢破れた人々の想いはどこかで息づいていて、姿を現してくれたり、捜し出してくれるのを待っているのである。余りにも多くの人々がいるので、村野弘二さんはその方々の代表として<こるは>を送り届けてくれたのであろう。

友人が、「読売新聞の19日の夕刊に谷崎潤一郎の佐藤春夫あての書簡が見つかったと出ているわよ。」と知らせてくれた。図書館でよんだが成程である。横浜の神奈川近代文学館での『谷崎潤一郎展』でも、谷崎さんと佐藤さんのその後の関係は円滑であったと思えたので驚きはしなかったが、谷崎さんの佐藤さんに対する信頼度を示す書簡で、谷崎さんの無防備さがわかる。 『谷崎潤一郎展』

もう一つ、同じ新聞に思わぬ発見をさせてくれる記事にあう。東京国立近代美術館工芸館の建物が旧近衛師団司令部であったことである。その日にこの工芸館を訪れていたのである。何回か訪れていて、いつも、古い建物だがいつ頃の物なのだろうとは思って居たが調べもしなかった。新聞の記事が無ければ、あの『日本のいちばん長い日』の舞台となった場所とは思ってもいなかった。 岡本喜八監督映画雑感

こちらは、21日までという「近代工芸と茶の湯」を観て、その作品の一つ一つの美しさに人間技なのであろうかと感嘆したのである。時代劇小説だったと思うが、銀と銅と金の合わせ方に<四分一>というのがあるというのが出てきてその<四分一>だけ記憶にあって、その水指があった。「これがそうなのか。」と想像していた色合いで嬉しくなってしまった。調べたら<四分一>でも色々あるらしいが、最初に出会えた色合いに満足である。

その場所が、時間の経過によって、全然違う想いの人間の感情を受け止めているのである。平和という時間が如何に大切な時間であることか。

ここに並べられるような技を具えていた人で亡くなられた方もいたであろう。こんなものは戦争の役には立たないとされ仕事を止められた方もいたであろう。見るのさえ出来ない時代である。

<お月さま きよらかなお月さま あなたの きよらかさを お貸し下さい>

<こるは>のこの願いの言葉と同じ想いでお月さまを眺める人は沢山いるであろう。