歌舞伎座 十月歌舞伎 『阿古屋』

体調不良で街歩きには最適な季節なのに、用事が済めば、じーっと閉じこもっていた。『歌舞伎 下座音楽集成』という150種類に近い下座音楽が収録されているCDがありそれを聴いたりした。下座音楽というのは、舞台下手の黒御簾(くろみす)の中で場面に合った音楽を演奏していてくれて、そこから流れてくる音楽のことである。

例えば、<巽合方(たつみあいかた)>といえば、『髪結新三』の閻魔堂橋の場で演奏され、観客の耳に入ってくるということになる。こういうふうに、歌舞伎の場合この場面にはこの下座音楽が流れるとか決まっているのである。そのことが頭に入っている観客は相当の歌舞伎通である。

こちらは、役者さんが出てくればそちらの感覚が優先するから、どんな下座音楽であるかなど飛んでいる。そこで、流し聴きしようと考えたのである。ところが、次から次流れていくだけである。歌舞伎の役者さんたちは、この音楽はこの場面とそれに合わせて体も自然に動くのであろう。

聴いたことのある音楽もあるが、次々と流れるのを聴いていると退屈過ぎて飽きてしまう。そしてひらめいた。そうだ、ポータブルDVDプレーヤーで音だけ聴けばいいのである。これを購入すれば、映像を見る時間が増えすぎると控えていたのである。今、座ってDVDを観る元気はない。『阿古屋』のあの素晴らしかった三曲をDVDで聴けるだけでいい。

これが思いのほか成功であった。聴くことに集中できるのである。無理して小さな映像を見る必要もない。聴きつつ、生の舞台を思い出していた。やはり、生の舞台の空気や音は違うなと思いつつ。

『阿古屋』。浄瑠璃『壇浦兜軍記』全五段の三段目の<琴責め>の場だけが残ったのである。浄瑠璃の場合は、琴、三味線、胡弓を別々の奏者が弾くが、歌舞伎では、遊君阿古屋役者が三曲を唄いながら演奏するわけである。今の歌舞伎界では、玉三郎さんしかいない。

平家が壇の浦で破れ、源氏の世界となっており、逃げている平家の景清の行方をかつて馴染みのあった遊君(遊女)阿古屋に景清の行方を詮議する場面である。詮議をするのは、秩父庄司重忠(菊之助)と岩永左衛門(亀三郎)であるが、岩永左衛門は阿古屋を拷問にかけると主張するが、重忠は琴、三味線、胡弓の三曲を弾かせて景清の行方を阿古屋が知っているかどうかを調べるという。拷問強硬派の左衛門は人形振りである。ここが、この芝居の摩訶不思議なところであるが、三曲を弾かせて阿古屋の心の中を覗くというのであるから、これもまた奇想天外である。そのお陰で、観客は阿古屋役者さんの芸のしどころを堪能できるわけで至福の時間である。

阿古屋の玉三郎さんは出から大きく、さらに、火責め、水責めなどには耐えられるが、重忠の情けには心も砕けるから、殺してくださいと身を投げ出すところは覚悟のほどが知れる。その阿古屋に三曲弾かせ、阿古屋は景清の行方を知らない。なぜなら、どの楽器を弾いても、その音締めに狂いがなく、知っていれば心乱れて音も狂うであろうとの重忠の判断である。

阿古屋は、重忠の本心を知らないから、弾きつつ景清との逢瀬が思い出され、ふーっと遠くを見る視線になったり、心が余所にむく素振りなどが微かに匂う時もあるが、しっかりと三曲の腕をみせるのである。玉三郎さんの三曲のコンサートとも言える場面である。聴き惚れていた。途中で入る拍手も邪魔なくらいである。

唄いつつ弾きつつ想いつつの芸の見せ所。重忠から景清との成り染を尋ねられて答える台詞。その台詞がまた上手くできていてる。平家全盛の頃、景清が尾張から清水に毎日参拝にきて五条坂を通りそこで逢うのである。

互いに顔を見しり合い、いつ近付きになるともなく、羽織の袖のほころびちょっと、時雨(しぐれ)のからかさお易い御用。雪の朝(あした)の煙草の火、寒いにせめてお茶一服、それが高じて酒(ささ)一つ、こつちに思へばあちらからも功徳(くどく)は深い観音経。普門品(ふもんぼん)25日の夜さ必ずと戯(たわむ)れの、詞を結ぶ名古屋帯。終わりなければ始めもない。味な恋路と楽しみしに、寿永の秋の風立ちて、須磨や明石の浦船に、漕ぎ放れ往く縁の切れ目、思い出すも痞(つかえ)の毒。

 

語り終わり恥じらいを見せる阿古屋。身体を張って殺せと言った阿古屋とは思えぬ阿古屋の一面である。

これだけの阿古屋の玉三郎さんに対し、菊之助さんと亀三郎さん、玉三郎さんに位負けしているかなという感もあるが、重忠の品格のそなわり、美声を押し込めての人形振りの可笑しさの左衛門と、お二人とも初役としての形は見せられた。

聴いてたDVDは、歌舞伎座2002年(平成14年)で、阿古屋(玉三郎)重忠(梅玉)左衛門(勘三郎)である。