国立劇場 『研修発表会』『伊勢音頭恋寝刃』(1)

「伝統歌舞伎保存会」という組織があり、初めて『研修発表会』(第16回)を観た。その月に公演されている演目を若手の歌舞伎役者さんたちが演じるのである。

10月の国立劇場『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』をまだ観ていないので、若手の役者さんのを先に観ることとなった。『研修発表会』の前に、<お楽しみ 座談会>があり、中村梅玉さん、中村東蔵さん、中村松江さん、中村壱太郎さん、中村鴈治郎さん、中村魁春さんが出席され葛西聖司さんの司会で文字通りお楽しみなお話しであった。

今回の『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』は、国立劇場では初めての上演で、二幕目の<太々講(だいだいこう)>は歌舞伎座上演から53年ぶりということである。鴈治郎さんによると、二代目鴈治郎さんの時には、<太々講>のみの上演が何回かあり、この場面だけでも観客に喜ばれていたようで、ただ、どのような音楽が入っていたのかなどの記録がないので、新たに作られていったとのことで、4代目を襲名された年に二代目の得意とした正直正太夫の役で演目を復活されての出演は興味深いところである。

<太々講>で、妖刀とも言える名刀・青江下坂のいわれも分かり、その場面が可笑しみのある一幕なわけで観た事のない者にとっては楽しみである。さらに、序幕も初めてである。東蔵さんが、この作品では一番多くの役を演じられている。松江さんが、お鹿をされるのには驚きである。立ち役のお鹿ではなく、女形のお鹿として田之助さんに習われたそうで、笑いをとるお鹿ではなく、貢を一心に思うあまりの可笑しさにしたいと語られた。

お紺の大役を受けて、壱太郎さんは、大詰の油屋のところだけの出と思っていたら<太々講>にもお紺が出てくると初めて知ったそうで、松江さんが国立劇場開場の年の生まれなら、その時壱太郎さんはまだこの世に登場していないのであるから、当然である。

魁春さんは、万野は自分の性格と似ているからそのままでやってますといわれたが、貢の梅玉さんから、もう少し強くでていいよとの注文もあったようである。梅玉さんは、襲名の時が貢の初役でそのときの配役の豪華も話された。葛西さんが、歌右衛門さんに強く出れたのは魁春さんだけだそうですがの問いに、魁春さんが父の意見が長くなったので、「もうわかりました」と言っただけですの答えに、梅玉さんは「とても言えません」。どなたも言えなかったでしょう。

今回の研修会でも刀のことがはっきり出てくることを前提に梅玉さんは指導され、江戸と上方とあるが、江戸のほうでやらせてもらいましたと。鴈治郎さんは、料理人喜助も演じられている。喜助が鞘を取り換えられた本物の青江下坂を貢に渡し、万野に刀が違うから貢を追いかけて刀を取り換えてくるように言われ、花道で「ばかめ」というところを「あほうよ」とだけ言わせてもらっていると。

1796年5月に起こった事件を題材に、7月には大阪で上演されている。凄い早さである。憧れの伊勢参りの場所が舞台であるから、江戸でも大阪の芝居の話が話題になったことであろう。人形浄瑠璃になったのは1838年だそうで意外と時間がかかっている。

<お楽しみ座談会>は、『研修発表会』、本公演を見るうえで大変参考になり、楽しかった。

 

 

歌舞伎座 10月『音羽嶽だんまり』『一條大蔵譚』

『音羽嶽(おとわがだけ)だんまり』。平将門に関連するだんまりである。音羽嶽の八幡神社に刀と旗が供えられる。その刀が平将門の遺品の名刀・雄龍丸(おりゅうまる)であり旗には、繋馬(つなぎうま)の印がある。その二品を、狂言師に化けた盗賊・音羽夜叉五郎(松也)が盗んでしまう。そこから、この二品を巡り、平将門の遺児・将軍太郎良門(権十郎)、妹・七綾姫(梅枝)、源頼信(萬太郎)保昌娘小式部(児太郎)、夜叉五郎、弟分・鬼童丸(尾上右近)、6人の奪い合いとなり、その見せ場が暗闇でのだんまりとなっている。

CD『歌舞伎下座音楽集成』によると、「音楽を主奏とした暗中の奪い合い、探り合いの立ち廻りの、パントマイムの一種。舞踏とは全く異なった動作美に加えて、衣装の引抜、ブッ返りの技巧を用い、同時に見得、型の静止美がある。」とある。

だんまりの見せ場の見せ所は薄かった。若手の役者さんで動きが良かったのは萬太郎さんである。体全体がバランスよく気持ちよく動いてくれた。松也さんは、上半身でのくねりが気になる。歌舞伎役者さんの場合、動きのバランス、動きの大きさを見せるめに、背が高くても低くても苦労する。先輩達から習い盗むしかない。

『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』。 阿呆の一條大蔵卿は、平清盛に破れ亡くなった源義朝の妻・常盤御前を妻としている。平清盛が常盤御前を寵愛したが、息子の重盛に意見され、歌舞音曲に現を抜かす大蔵卿の元へ押しつけたわけである。

源氏方のものは、清盛に寵愛され、さらに輿入れした常盤御前の行動が信じがたい。もし本心なら、打擲せずにはおけないと、吉岡鬼次郎夫婦が策をねる。そして、吉岡鬼次郎の妻・お京が狂言師として大蔵卿の屋敷に入るのである。この鬼次郎夫婦の菊之助さんと孝太郎さんが、源氏としての常盤御前に迫る気持ちがぴりっとしていて良い。

お京は白川御所の外<桧垣の茶屋>で大蔵卿の出るのを待つのである。なんとも上手い趣向である。誰が見てもよい場所で大蔵卿は狂言師を雇い入れるのである。舞台設定であるのに、大蔵卿の用意周到さのようにも思わせられる。そして大蔵卿の阿呆ぶりが衆人にも一目瞭然である。仁左衛門さんの大蔵卿は、公家の柔らかさと阿呆の気を抜いたところが一体となって、公家の阿呆とはこういうものであろうと思わせられる。屋敷へ帰る花道で鬼次郎の姿に気がつくが、表情も目線の強さも表さない。どんな視線になるかオペラグラスで見つめていたが変わらなかったので、そうくるのかと思った。

大蔵卿を取り巻く雰囲気がわかり、鬼次郎はお京の手引きで常盤御前の部屋に忍び寄る。今回この二人には緊迫感がある。常盤御前の時蔵さんも本心を隠し自分を打擲する二人の忠誠心にやっと威厳をもって本心を言って聞かせる。

そして、大蔵卿は平家の世を忌み嫌いつつ作り阿呆として、世渡りしていたのである。鬼次郎夫婦の出現によって初めて本心を現したということは、この夫婦に源氏に対する信頼をおいたということである。またこの夫婦も、大蔵卿の本心から源氏を思っていてくれる人がいるという大きな力を貰うわけである。

大蔵卿は本心を見せた後、また阿呆に返るのであるが、今回は本来の一條大蔵卿の公家の品格と位を見せての幕となった。武士の気概とは一味違う、公家としての仁左衛門さんの妙味を含んだ一條大蔵卿であった。