劇団民藝 『大正の肖像画』

新宿区落合三記念館散策  この散策で、画家・中村彝(なかむらつね)さんを近く感じることができ、劇団民藝公演『大正の肖像画』も忘れずに観ることができた。

肺結核が死の病の頃で、多くの美術家が若くして亡くなっている。中村彝さんはそうした人々の中でも、20年間病と共存しつつ、かつ肉体の中に潜む病と精神の分離との葛藤と闘いつつ画布に向かった人である。その生き方を劇作家の吉永仁郎さんは、大正という時代背景を、中村彝さんを取り巻く人々を通して構成されている。

新宿中村屋サロンの空気の中で絵を描き、中村屋の長女・相馬俊子との愛と別れ、そこに「カーサン」と呼んでいた中村屋サロンの中心的な存在の相馬黒光との複雑な関係を絡めている。

吉永仁郎さんの、相馬黒光さんと中村彝さんとの恋愛感情の設定には、荻原守衛(おぎわらもりえ)さんと黒光さんの関係を反映させ、そのことで芝居にアクセントをつけ、下落合で彝さんの身の回りの世話をしていた、岡崎キイさんという老婦人との対比にもつながる面白さを加えた。

相馬黒光さんは、中村屋の創業者・相馬愛蔵の妻で、本名を<良>というのであり、どうして<黒光>というのか不思議であったが、パンフレットの説明に「女学校時代から、芯が強く向上心のある女性だった。「黒光」はあふれる才気(光)を目立ち過ぎるため少し黒く隠しなさい、と女学校の校長が命名した筆名。」とあり疑問が解決した。

彝さんの絵16枚をスクリーンに映し出し、どういう想いでその絵を描いていたのかの流れも加わり、彝さんの絵を堪能できるようにもなっている。下落合のアトリエに喪服を着た老婦人の絵の題名が「老母の像」とあり、その女性が世話をしてくれていた人で、<老母>としたところが印象的であったが、そのあたりも、吉永さんは最後に締めとしてもってこられた。

<中村彝作品 劇中映写画像>として、その作品がどこの美術館にあるのかを書かれたプリントも配布してくれ、中村彝作品がきちんと紹介されているのが嬉しい。

登場人物/ 中村彝(みやざき夏穂)、相馬俊子(印南唯)、中原悌二郎(小杉勇二)、エロシェンコ(千葉茂則)、相馬良(白石珠江)、大杉栄(境賢一)、神近市子(河野しずか)、宮田巡査(松田史朗)、古川巡査(梶野稔)、山村巡査(岡山甫)、岡崎キイ(塩屋洋子)、相馬愛蔵(伊藤孝雄)

中村彝さんは、水戸藩士の家系で兄二人と同じように陸軍幼年学校に進むが、結核のため退学する。次兄は在学中に事故で亡くなり、長兄は日露戦争で亡くなっているから、病気にならなければ、違う形で亡くなっていたかもしれない。そして絵と出合い、美術家の仲間が出来、生命感にあふれた相馬俊子と出逢うのである。

中村屋サロン美術館に相馬黒光さんが晩年になってからの聞き書き『碌山のことなど』の小冊子があった。芯のしっかりしたかたで、自分の言いたいことは冷静な感性で語っている。碌山とは、荻原守衛さんが、夏目漱石の『二百十日』の主人公の碌さんの自由さに共感して自分に使ったのである。碌山が外国から戻ったとき「先ずかけつけてきたのは、中村彝さん、中原悌二郎、広瀬常吉の三人で、生命の芸術とは何だろうといふわけでした。」とある。作品の中にそのものの本質、命を表出するにはどうしたら良いかを求めていたことが想像される。中村彝さんにとっては、その描く対象も人も俊子さんであったわけである。

それが破れ、実業家・今村繁三さんの援助で下落合にアトリエを持つのである。そしてついに、37歳でその生命は閉ざされてしまう。

新劇の役者さんの細かい手順の演技をみるのも刺激になる。その日常の動きに人物の投影がなされて生命を宿すからである。そこにフィクションがあっても、そういう事があれば、この人物はこう考え、こう動いたであろうと共感できるからである。

11月、友人達が長野善光寺に行っていないから信州方面に行きたいとの希望があり、それでは穂高の「碌山美術館」まで足を延ばそうと思っている。

『大正の肖像画』公演 新宿・紀伊國屋サザンシアター 10月20日~11月1日

 

国立劇場 『研修発表会』『伊勢音頭恋寝刃』(2)

『研修発表会』の『伊勢音頭恋寝刃』は<古市油屋店先の場><古市油屋奥庭の場>である。若い役者さんだけではなく、いつもは脇を固めておられるベテランの役者さんも大役に挑まれる。

福岡貢(中村亀鶴)、仲居お万(中村鴈之助)、油屋お紺(中村梅丸)、料理人喜助(松本錦弥)、今田万次郎(中村春之助)、油屋お岸(中村春希)、油屋お鹿(中村東志也)、仲居千野(中村蝶紫)

春之助さんの万次郎を見たとき、〔つっころばし〕というのは難しい役どころだと思った。これは時間のかかる役どころである。貢は〔ぴんとこな〕といわれる型で、柔らかいのであるが、武士の一面をものぞかせるといった役で、亀鶴さんは強さの中に柔らかさがあるといった配分であった。梅丸さんのお紺は、幼さが見受けられ若すぎると思ったが、貢に愛想づかしをするあたりから、乗ってきて不自然ではなくなっていた。鴈之助さんのお万と亀鶴さんの貢とのかけひきも体形的に立派なので上手く見せてくれる。

梅丸さんが、折り紙を貢にぽんと投げるところなどは、幼さが却ってよくやってくれたと思わせる。名刀・青江下坂を抜いてからの亀鶴さんは、妖刀に操られているといった感じを強く出し、刀に引っ張られる感じで、それはそれで面白かった。一回の舞台であるからか、全てを出し切りたいとの思いが強いであろうが、動きは丁寧に次第に芝居に乘って来る感じで邪念なく演じられていたようで、気持ちのよい舞台となった。それぞれが、自分もモチベーションに力を尽くし、それが芝居の形を上手く作り上げ見応えある舞台となった。

『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』は序幕から初めてであるから興味津々である。油屋のお岸(梅丸)等を連れての今田万次郎(高麗蔵)の花道からの出、放蕩好きの頼りない万次郎を高麗蔵さんがよく表している。この後も、そんな頼りなさでいいのと思わせる程のつっころばしである。将軍家に献上する名刀・青江下坂は質に入れ売り払われ、折紙(おりがみ・刀の鑑定書)は持っているから、刀を捜すようにと奴・林平(亀鶴)にいうが、その折紙も侍に化けた阿波の商人に騙し取られてしまう。

伊勢の御師で、万次郎の叔父・左膳(友右衛門)の配下である貢(梅玉)は、左膳に刀を捜すよう頼まれる。貢の実家は今田家に仕えていたことがあり、貢は今は御師の福岡孫太夫の養子となっていた。左膳の逗留する宿で、貢と万次郎は会い阿波国のお国騒動の絡んでくるのがわかる。

奴・林平は、万次郎のそばにいた大蔵(錦弥)と丈四郎(梅蔵)が裏切者であることを知り、敵がわの密書を手に入れるべき大蔵と丈四郎との追い駆け合いとなり可笑しさを誘う場面となる。亀鶴さんは、研修発表会も終わったためか弾けていた。

貢も加わり、夜明け前の二見ケ浦でのだんまりは綺麗に決まっていた。夫婦岩から朝日が差し手に入れた密書を貢が読むというこれまたユーモアに富んだ場面となる。

貢養子先での場<太々講>である。養父の孫太夫は留守で、弟の彦太夫(錦吾)の甥・正直正太夫(鴈治郎)が、孫太夫の娘を口説いたり、今田家の敵側から刀を手に入れば侍にするとの密書が届いていたため、貢の伯母・おみね(東蔵)がまだお金を払ってはいないが、青江下坂を持参していたのを、手に入れようとする。その為、太々講の奉納金を盗んだりと大忙しである。そこには、油屋のお紺(壱太郎)も貢を訪ねてきていてややこしいことになっているが、伯母はお紺に貢のことを頼み、名刀・青江下坂のいわれを話す。この刀を手に入れた貢の父はその刀で人を斬ってしまい、子孫まで相性が悪い刀だから、心して扱うようにと伝え聴かす。

この刀のいわれと、お金も無いのに刀が貢の手に入るのが、ここでの面白さで、狂言回しが正直ではない正直正太夫の役どころで、あたふたと軽妙に鴈治郎さんは演じられる。

これで、貢と刀との関係、お紺との関係、万次郎との関係が明らかになり、後は、刀を早く万次郎に渡し、折紙を捜すことである。ここから、油屋の場へと移るのである。先は見えてきているのに、油屋の仲居万野がそこに立ちはだかってしまう。父がここ刀で人を斬ったのも、朋輩に罵らからであり、貢も同じ道を歩むこととなる。今度は、お紺の心を知らずに、衆人の中でお紺にまで愛想づかしをされたという義憤が加わり大勢の人を斬り殺す結果となってしまう。

お鹿の松江さんは、身体は女形としてはスムーズではないが、声が女形としても自然の声で台詞はよくわかった。お鹿の出をじっと待って愛想づかしの壱太郎さんの一途さがある。お岸の梅丸さんは、今度は健気に、貢さんの怒りを静めようとする。

貢は武士の出といっても早くに養子に出ているわけで、自然な身体の柔らかさの中に主に仕える志がうかがえる。魁春さんの万野とのやりとりも上手く相対している。伯母に刀のことを言われながらも、違う刀を手にしていると思っているわけで心ならずも妖刀に引きずられていく。

通しで観ることによって、油屋の場面の因果関係がより明確になった。お紺の愛想づかしも、<太々講>で伯母に認められ、ここで貢さんのために何かしなくてはとの想いがあったから、後でことの次第を話せばよいと考えたのであろう。しかし、刀への作用が違う方に傾いてしまうのである。貢と万野のやり取りにしても、可笑し味を誘い、この演目はそうした可笑し味を多く取り入れつつ終局にもってくるように計算されて構成されているのである。