長野~松本~穂高~福島~山形(4)

四日目である。<慈恩寺>である。山形からJR佐沢線に乗り羽前高松駅で降り、徒歩20分。昨年ツアーで来た時自力で来れると知り、もう一度と思っていたところ思いのほか早く実現した。 慈恩寺~羽黒山三神合祭殿~国宝羽黒山五重塔~鶴岡 さて地図を見つつ歩き始めたが、最初から道を間違えた。なにかおかしいなと思いつつ大きい道はあそこかなと思うが、中々近づかない。人の姿もないので友人は余所のお宅を訪ねてくれたがお留守のようである。車に乗る人を見つけた。すいませんがと尋ねたところ、方向がかなり違うらしく、説明しても無理と思われ車で送って下さった。慈悲に預かってしまった。

帰りはこの道を下るようにとしっかり教えられる。朝のお仕事の途中申し訳ないことであった。若い女性二人なら幸先よき一日であったろうに。天気も曇りであった。

お陰様で無事大きな山門の前に立てた。友人には申し訳ないが昨年は今世紀初の秘仏御開帳で十数体の秘仏にお会いできたのである。真近で拝観することができたので、時間が短く数は少なくともゆっくり拝観したかった。今回はお寺の方が丁寧に解説してくれた。それで知ったのが、大阪天王寺の楽人林家が慈覚大師に随徒して舞楽を山寺に、そして慈恩寺へと伝えられた。1200年の伝承を持つ慈恩寺舞楽は5月5日の一切経会(いっさいきょうえ)に林家と慈恩寺一山衆によって八つの舞楽を奉奏される。写真もあり衣装も美しい。山門の二層が楽屋となり、本堂に向かって舞台が組まれる。見たいものである。

ここの十二神将は頭に小さな干支が乗っていて、ぐっと睨んでいるのに上の干支が可愛らしくそのアンバランスがユーモアに満ちている。幾体かは、これから海外に出かけられる予定とのこと。平和を広めて欲しいものである。京から仏像は最上川を渡って運ばれたのか尋ねると、最上川は流れも速いし命がけだろうからそうとは言い切れないとのことであった。「五月雨を集めてはやし最上川」と詠んだぐらいだからそうかもしれないとも思う。

実は列車を一本乗り過ごしたのである。タクシーで寒河江駅まで行く方がいて友人がどうすると言うのを、慌ただし過ぎるからもう少し居ようよと引き留めたのである。しかし次の列車は2時間半先となる。

境内を散策し上の公園までと思ったが足元も天気も芳しくないので、休憩所でからしこんにゃくなぞを食べながら、さて、タクシーを呼んで寒河江駅で昼食とすることにしようかと何気なく取った慈恩寺の地図にお蕎麦屋さんがある。そこにいた方にこのお蕎麦屋さんは近くですかと聞くと近いとのこと。そして、親切にも電話で休みでないかどうかを確かめてくれた。

ここでお蕎麦も挽回である。土地の季節の野菜の煮物なども付いてゆっくりできた。これで羽前高松駅まで歩ける。歩くとそこまでの風景が残るので歩いておきたかったのである。そして、羽前高松駅に無事到着できたのである。

この時間のロスで、東京までの帰りの新幹線を遅くして山形駅から近い二か所だけ周る。明治に建てられた旧県庁の<文翔館>と霞城(かじょう)公園の中にある明治に県立病院として建てられた<旧済生館本館>である。<文翔館>には歴代の県令の名と出身地があり、なるほど、初代県令は薩摩藩出身である。明治政府の縮図が日本のいたるところに残っているようだ。ここで、映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』の撮影があったらしく写真があった。重厚な部屋の雰囲気が上を見上げると全く違う様相を呈している。天井の漆喰の白い花の飾りが手作業なのであろうが繊細で美しかった。

バスで<文翔館>へ、そこから歩いて<旧済生館本館>へ周ったが途中に山形城主最上義光歴史館があったがパスである。二ノ丸東大手門から入り山形市郷土館にもなっている<旧済生館本館>へ。三層の中庭を囲む円形の擬洋風建築である。中庭が石を配した純日本庭園である。疲れていたので資料のほうの見学はパスである。

受付の方に一番近い駅に向かう道を尋ねる。お城の場合は入るところと出るところで目的地までの移動に差が出てしまう。南門からと言われる。山形駅は山形城の外堀の中にあり、山形城内の広さがわかる。人に聞くのが一番と、再び駅方向を尋ねたら、あの高い建物を目指してと言われる。なるほど、解からなければそこでまた誰かに尋ねてということであるらしい。そうなのである。教え方が機能的である。道を教えるのは難しいのである。その高い建物と駅が繋がっているようなのであるが、どこからが近いのか判らない。また尋ねる。教える人はいつもビルの中を通って駅へ行っているらしいが、説明が難しいと思ったのか駅名の見えるところを教えてくれる。駅名が見えた。駅名が見えればそれを目指せばよいが階段を使うのが一番の早道であった。

それにしても、山形駅の西口と東口では雰囲気が全然違った。開発の違いであろう。

とにもかくにも無事終了であった。これからが番外篇である。