『谷崎潤一郎  文豪の聴いた音曲』

国立小劇場での邦楽公演である。

谷崎潤一郎没後50年。<文豪の聴いた音曲>

国立劇場でこのチラシを見たときは、こうい企画ができるのだと嬉しくなった。さて企画が良くても、構成と実際の公演は見て聴いてみなくては判らない。実際の公演は、谷崎さんが味わったよりも贅沢な音曲だったかもしれないと思わせるものであった。

谷崎さんの小説の中で、文字で表された音が実際の音になる。ただ音だけではなく、その文章を損なわずその文章を高める音でなければ意味がない。この条件を完全にクリアしていた。

一部が東京での音曲、清元節『北州(ほくしゅう)』、長唄『秋の色種(いろくさ)』。二部が地唄『茶音頭』、地唄舞『雪』、地唄『残月』。

谷崎さんは日本橋区蠣殻町生まれである。人形町と言ったほうがわかりやすい。明治座から甘酒横丁を通り、人形町通りを渡って「玉ひで」の前を通り「小春軒」の隣のビルの空間に<谷崎潤一郎生家跡>の碑が壁にある。幼いころから明治座で歌舞伎を観ていたわけである。

かつての日本橋や大阪の写真、歌舞伎『吉野山』や文楽『心中天網島』の映像などを使い、進行は梅若紀彰さんの朗読である。梅若紀彰さんの声と間が、自分で谷崎作品を黙読するよりも数段も高尚になって響く。

そこから音曲の実演である。清元の『北州』は詞は追っているが、その声に聞き惚れてしまう。高音がさらに高い音になる。語る太夫さんが扇子を持つので、この太夫さんとこの太夫さんが共に語ったらどんなハーモニーになるわけと耳が立つ。そして三味線。どうしてこういう節が出来上がったのであろう。言葉遊びのようなところもありただ不可思議な高音の世界。(小説『異端者の悲しみ』より)

長唄『秋の色種』は、三味線の虫の合方が谷崎さんは気に入っていた。詞も唄い方も秋の自然界に分け入れそうな身近さがある。その中で現実の虫の音よりも人が求めてしまう美しい技巧の虫の音が聞こえてくるのである。たっぷりと。(随筆『雪』より)

関西に行って小説『春琴抄』より地唄『茶音頭』である。ここが趣向を凝らし、演奏者のかたが、春琴と佐助になって、春琴が厳しく佐助に『茶音頭』を教える場面を再現された。梅若紀彰さんがそっと覗いたりして、みなさんご存知の場面ですよと誘いをかけられているようである。本を開くと立体画が出てくるような楽しさが加わった。そしてそれが終わり正式の『茶音頭』となる。お琴の音色が入ると三味線が打楽器のような感じに聞こえる。茶の湯に関連する詞が出てくる。

お琴と三味線の時はどうしてもお琴の音の多さに惹かれてしまう。三味線はどういう働きをしているのかよくわからないのである。『春琴抄』では口三味線で春琴は佐助に教えるわけで、お琴と合わせるにはそれではダメだということなのであろうか。とにかく難しい曲なのであろう。聞く方は棚からぼたもちである。

小説『細雪』で妙子が舞う地唄舞の『雪』である。これは、山村光さんが舞われた。二本の蝋燭の炎に照らされ和傘から透ける姿は上村松園さんの絵の世界であった。『雪』は好きな舞いなのでひたすらその無駄のない地唄舞の動きに目を凝らしている内に終わってしまった。

最後は、小説『瘋癲老人日記』の中で、自分の告別式には誰か一人富山清琴のような人に『残月』を弾いて貰うと書かれている地唄『残月』である。指名された息子さんの富山清琴さんである。

「磯辺の松に葉隠れて 沖の方へと入る月の 光や夢の世を早う 覚めて真如の明らけき 月の都に住むやらん  今は伝だに朧夜の 月日ばかりはめぐり来て」

谷崎文学の中に、音曲だけでもこれだけの厚さのものが凝縮されているということである。あなたに解ったのと言われれば、すいません、私は小説家ではなく読者ですので、自分の能力に応じて愉しませてもらうだけですと答えるしかない。

企画、構成、上演までの力関係が増殖して深いところまで誘われた感がある。構成演出は、倉迫康史さん。

今更ながら、耽美な世界に潜り込める小説家という分野があったからこそ、谷崎さんは、文豪としてどうどうと生きられたことを讃えたい。

『北州』(浄瑠璃・清元梅寿太夫、清美太夫、成美太夫/三味線・清元栄吉、美三郎、美十郎) 『秋の色種』(唄・杵屋勝四郎、巳之助、今藤政貫/三味線・稀音家祐介、杵屋弥宏次、彌四郎) 『茶音頭』(唄・三絃・菊重精峰/筝・菊萌文子) 『雪』(歌・三絃・菊原光治/胡弓・菊萌文子)