南木曽・妻籠~馬籠・中津川(1)

『夜明け前』を読んでいると、やはり現地へいかなくてはと思い立ちました。JR南木曽駅で降りてバスで妻籠へ。南木曽から妻籠まで歩いて一時間ということなので歩くことも考えたのですが、東海道歩きでどうしても時間に追われるのを経験しているためそれをやめにし、今回は宿場をゆっくり見学することにしました。正解だったとおもいます。南木曽は<みなみきそ>ではなく<なぎそ>と読むのですが、<なぎそ>にすぐ反応できず、一呼吸おいて気がつきあわてて降りました。

南木曽はもう一つ発見があり、記憶に強い場所となりましたが、それはのちほど。

妻籠と馬籠間は歩きました。ここは歩いて置かなければ『夜明け前』の世界により密着できないですし、まだ四分の一しか読んでいないのですから、このあとのための楽しみとも関係してきます。『夜明け前』は面白いです。島崎藤村さんは、この作品があっての文豪とおもいます。

明治維新前の木曽路の山の中で限られた情報と規制の多い生活の中でこれから起こるであろう渦をまだ捉えられず、続いてきたしきたりを受け継いでいこうとする主人公・半蔵がゆっくりと自分の生き方をさぐりはじめています。

妻籠、馬籠、中津川は半蔵にとっての心の支えともなる地域であり人でもあります。

本陣の仕事、それを助ける宿のそれぞれの立場の人。宿には旦那衆という集まりもあって、そこでは、俳句であるとか、古美術に対する趣味であるとか、それを理解する仲間があったようです。本陣とか脇本陣となれば、お殿様が泊ったり休憩したりするので、床の間の掛け軸や置物などのためにも名のあるものを収集したりもしていたのでしょう。

ただ本陣は副業が許されず、脇本陣は許されていたようで酒造業を兼ねたりして、維新の時には脇本陣のほうが長く生き残れたところもあるようです。

先に馬籠で、藤村さんの家族のことで気にかかっていたことのあらましがわかったのでそのことから書き記します。

年譜に1923年(大正12年)8月藤村さんが52歳のとき、「長男楠雄を郷里で帰農させ、妻子の遺骨を埋葬するため帰郷した」とあり、楠雄さんが18歳のときです。一人で親戚にでもあずけたのであろうかと気になっていたのです。

馬籠宿に「清水屋資料館」があり、馬籠宿役人を努められた家で、建物は残っていて二階が資料館となっています。そこに立ち寄って二階を見せてもらったのですが、その時、「上には藤村さんの手紙などもあるのですが、お金の事が出て来て金貸しだったのですかとよくきかれます。そうではなく、藤村さんの息子さんの楠雄さんを預かっていたのです。」とご婦人が教えてくれました。「えっ、楠雄さんはここに預けられていたのですか。」私があまりびっくりして素っ頓狂な声をだしたからでしょうか、色々なお話しを聞かせてくださいました。楠雄さんは東京で明治学院に通っていたのに中退して馬籠にて帰農するのです。

そこまでにいたる、藤村さんと楠雄さんとの話し合いがどんなものであったのかはわかりません。清水屋さんの原家は、島崎家とは旦那衆としての付き合いもあり親しい関係で、すでに島崎家は馬篭をはなれだれも残っていませんでした。いわば他人に楠雄さんを一人農業にたずさわるため預けたわけで、相当信頼関係がなければできないと思います。

ご婦人は楠雄さんを預かった原一平さんの息子さんのお嫁さんで、一平さんは舅にあたるわけです。ご婦人からみても一平さんは穏やかで周りからも信頼されたかただったそうです。楠雄さんは、通りに面した部屋で寝泊りして農業に従事し、藤村さんがたずねてくると藤村さんはその部屋の二階の部屋に泊まられたそうです。

資料の手紙には、細かくお金のことがでてきます。楠雄さんはその後家を持ち、田畑ももちます。そのため藤村さんはお金をだされたようで、そのやりとりの様子が手紙からうかがうことができるのです。そこまで原さんにまかせるということは、藤村さんが原一平さんを信頼して楠雄さんを預けられたのだということですし、原さんもその信頼にこたえて楠雄さんを受け入れられたわけです。

1926年(大正15、昭和元年)には、楠雄さんの新築の家に藤村さんも訪れています。楠雄さんが馬籠の人となり、藤村さんが『夜明け前』を書くことによって、馬籠から去った本陣の島崎家はその過去の足跡を残すかたちとなったわけです。

原一平さんのことは、藤村さんの作品『嵐』に「森さん」としてでてくるようです。ご婦人のおかげで、楠雄さんが親戚のいない馬籠で帰農するという新しい出発が危惧していた暗さとは違っていたらしいことがわかりお話しを聞けてよかったです。ご婦人のお嫁にこられた時の様子も聴かせてもらえて楽しいひと時でした。

南木曽の発見ですが、馬籠から妻籠に入るところに、「関西電力妻籠発電所」のたてものがあり、関西電力といえば、電力王の福沢桃介さんですので、桃介さんとこの旅であうかも、貞奴さんも出て来たりしてと思っていたら出現しました。

木曽の豊富な水を見逃すような桃介さんではありません。しっかり水力発電をやっておりました。その仕事の関係で南木曽に別荘をたてており今そこが記念館として公開されています。もちろん貞奴さんも訪れています。そして木曽川に発電所建設資材運搬用の橋をかけ「桃介橋」となずけられ今は生活道路として使われている橋があるのです。

日本最大級の木製吊り橋で、南木曽駅から5分のところにあり、急いで少しだけ渡ってきました。残念ながら福沢桃介記念館による時間はありませんでした。橋の竣工式の写真には、貞奴さんも写っていました。

長谷川時雨さんの「近代美人伝」の「マダヌ貞奴」を読みました。時雨さんとしては、さらなる芸の修練をした役者貞奴さんを観たかったようです。それほで、役者貞奴は時雨さんの眼にかなった役者さんだったようです。時雨さんから観ると和物よりも洋物のほうが魅力的だったようですが、残念ながら写真と想像ではわかりません。おそらく和の型のないところから匂いたつ妖しさなのでしょう。

『夜明け前』は読み終わるのに時間がかかりそうです。