新橋演舞場 九月新派特別公演(1)

市川月乃助改め二代目喜多村緑郎襲名披露

初代喜多村緑郎さんは1871年生まれで1961年に亡くなられていて名前は聴けども映像で少しみているだけで実態はわかりません。二代目を襲名された月乃助さんも緑郎さんに関しては雲をつかむような状態のことでしょう。この名跡を継ぐことによって、新派からは逃れられない立場に立たれたわけですが、国立劇場開場50周年の年に、国立劇場の歌舞伎研修生出身の月乃助さんが新派の大名跡襲名となり喜ばしいことです。

口上の挨拶でも、「この先茨の道とおもいますが」と覚悟のほどをみせられていましたが、旧派に対する新派というよりも現在の<劇団新派>の存続の一端を肩に背負われたわけでそれはかなりの重さと思います。

今回の演目の一つ『婦系図(おんなけいず)』を観て、初代水谷八重子さんが背負われていた女優の劇団新派が、これからは男優の風が強くなるような予感がしました。そしてそれはそれで新しい劇団新派として、違う要素の芝居も見せてくれるのではないかという期待感も膨らみます。

『婦系図』は、<湯島境内>が多く上演され、二代目八重子さんや波乃久里子さんが花柳章太郎さんや初代八重子さんの芸を踏襲され、どうしてもお蔦に目がいきます。今回、通しで公演することによって早瀬主税の復讐劇が加わり<湯島境内>だけではわからない話の筋がわかり二代目喜多村緑郎さんも好演でした。

チラシによりますと ー初代喜多村緑郎本に依るー とあります。かつて通しでみたときの記憶では、主税が静岡でドイツ語の塾を開いていてその場面もあったような気がしますが、今回は静岡では<静岡貞造小屋>で、河野英臣(こうのひでお)と対決する場にすぐ入りました。河野英臣というのは、名家とつながることで一族を大きくしようと野心にもえた人物で、主税がお世話になっている酒井先生の娘さん妙子を息子の嫁にしようとして素行調査をしています。

主税はそのことが気に入らず、またその関係から主税がスリを助けたことが役所にしれ職を失ってしまい郷里の静岡に引っ込むことになります。そのことなどから、静岡の場は主税の河野家への復讐の場となるのです。泉鏡花さんの作品自体はこの復讐劇が主なのですが、舞台化された際、主税と元芸者のお蔦が酒井先生に隠れて所帯をもっていてそれが先生に知れて別れるようにいわれ、その別れの場面を湯島境内の場面として書き加え、この場面のみが多く上演されることとなったわけです。

湯島境内の緑郎さんの主税よい寸法でした。何回も演じられている波乃久里子さんのお蔦に対する情もでていて、スリの万吉の松也さんにスリをやめるように言うところに説得力がありました。吉右衛門さん、仁左衛門さんら何人かの歌舞伎役者さんの主税を観ていますが、歌舞伎役者さんの寸法が大きすぎ、主税がかつて「隼(はやぶさ)の力(りき)」とよばれたスリであったということを万吉に伝えるとき、台詞としては伝わっても実感として浮かんでこなかったのですが、緑郎さんの場合浮かび、酒井先生に助けられた話しで万吉が、改心すると決めるのに無理なく得心できました。

いったんスリの世界に入ればそこから抜け出すことは当時の環境からしても容易なことではないのです。それに加え学問まで身につけさせてもらえた。その恩は自分をとるかお蔦をとるかと言われれば先生をとるしかないのです。そこがストンと気持ちに入っていますから、主税とお蔦の古風な別れもじわじわと深く伝わってきます。

さらに今回、客演している尾上松也さんの妹さんの春本由香さんの劇団新派入団の紹介が口上でありました。由香さんの祖父の春本泰男さんが新派におられ、お母さんも新派にいたことがあったのだそうです。酒井の娘・妙子を演じられ、この役は女学生なので、演じられた役者さんたちは、年齢もあり皆さん芸でみせるのですが、由香さんの場合、恐らく言われたまま素直に演じられているのでしょう。それが自然のかたちとなり芸を見せるという堅苦しさのない清楚な妙子となり、芸者小芳の八重子さんとのお蔦さえ知らなかった親子の関係がわかるもう一つの隠された部分が明かされる場面を良い形に納めました。

酒井先生の柳田豊さんも独特の台詞まわしで酒井先生の威厳をしめし、田口守さん、伊藤みどりさんの身についた庶民性、石原舞子さんの小芳に次ぐ妹芸者ぶり、河野家側の高橋よしこさん、市川猿弥さん、市川春猿さん、喜多村一郎さんらがそれぞれの役どころをおさえられていて、新しい新派の新しい『婦系図』となりました。