南木曽・妻籠~馬籠・中津川(3)

落合の石畳が思っていたより長かったので調べたところ840メートルでした。十国峠を歩きやすくするために石を敷きならべたもので当時のままの部分が三か所70.8メートルあります。なだらかな石畳の坂で芸術品のような趣です。

途中に今は閉められている山のうさぎ茶屋というのがあって、その前にかなりはげてしまった<中乗り新三>の旅烏姿の看板がありました。聞いた事のある名前ですが、どんな人なのかわからないので検索しましたら、芝居や映画にでてくる主人公で、映画では三波春夫さんが演じてました。江戸から木曽に材木を買い付けにきて、まあ渡世のいろいろなことがあるということらしいのです。

木曽の木は尾張藩にとっては宝の山で、村人は非常に厳しい規制のなかにあり、勝手に木を切らない様に、のこぎりを使わせなかったのです。斧だと音が響くのでこっそり切ろうとしてもすぐ判ってしまうからです。木一本首ひとつといわれているほど厳罰が待ち構えていました。

切った木を木曽川を使っての運搬方法も木曽川本流では大川狩(おおかわがり)といって、組み立てられた木を流す通路を一本一本流していくのです。模型があり木の流しそうめんのようでした。

明治となり山林が自分たちの手に戻ってくると信じていたのにそうはならず、『夜明け前』の半蔵は奔走するのですが、明治22年には皇室の財産に編入されてしまうのです。とまあ資料館的にはそうなりますが、『夜明け前』ではこれから読んでのことです。

馬籠では昼食をしたお店のかたが、一人なら熊よけの鈴をもっていったほうがよいということなので、観光案内所で借りました。これはお金を払って借り、次の宿場の観光案内所で返すとお金をもどしてくれます。

妻籠に向かいますが馬籠宿の家並みを抜けたところに展望台があり、恵那山が見え、半蔵とお民夫婦の恵那山を眺める会話と妻籠と馬籠の風景の違いがでてくる『夜明け前』の一文が紹介されています。馬籠峠の頂上といっても山の中で見晴しの良いのはここだけといえます。

山の中ですので道は判りやすく案内表示がしっかりしていますので、天気と体力だけそろえば大丈夫ですが、馬籠峠まではちょっときつい登りもありました。所々に熊よけの鐘があって、このときとばかり元気づけに鳴らして歩きました。途中に十返舎一九の狂歌碑もあります。「 渋皮のむけし女は見えねども栗のこはめしここの名物 」 渋皮そのままの女も名物の栗のこわめしは食べました。

馬籠峠を越えると下りですので気分も樂でしたが、途中の休憩場所でお茶をすすめられましたが先が急がれておことわりしました。外国人のかたのほうが歩いてられる数は多いです。休憩所の人が、15分ぐらい歩くと女滝、男滝があるので涼しいから寄って見ていきなさいと教えてくれました。妻籠までは1時間といわれましたが、私は1時間半かかりました。15分たっても滝の案内がなく見逃したかなとおもった頃にありました。滝の水の力におおわれた涼しい時間でした。しかし歩みは予想どおりおそくなっていました。

はるか下のほうに家が見える箇所もあり、馬籠に入る途中の棚田の風景とは違い、その深さに木曽の山中をあらためて感じる風景にも出会います。前日、妻籠の宿場は観光しておいたので宿に入る見知った家並みを通るようにして無事鈴も返しましたが、久しく歩いていなかったので思いのほか疲れました。

妻籠も馬籠も宿場にすぐ入れない様に道を直角にまげている枡形(ますがた)が道が狭く坂なので面白いかたちで残っていました。大名なども泊るのでその身の安全や大名たちの格差もあるので、行列が鉢合わせしないための工夫でもあったようです。中津川宿などは平なためもあって枡形が直角に曲がっているのが一目でわかります。

東海道は、開発のためどんどん枡形も壊されてしまっています。疲れはしましたが、自然も中仙道を味わったという気分にさせられ満足、満足です。