歌舞伎座 秀山祭九月歌舞伎『らくだ』

『らくだ』が歌舞伎初演のとき初代吉右衛門さんがくず屋の久六を演じていたとは驚きです。上方落語『らくだの葬礼』を下敷きにして、岡鬼太郎さんが『眠駱駝物語』として書かれ昭和3年(1928年)の初演です。

昨今では勘三郎さんと三津五郎さんの『らくだ』が人気を博しましたが、細かいところは記憶から薄れ、シネマ歌舞伎もDVDも見ていないのでそちらは別口として、渥美清さんの『らくだ』を基にしているTBS日曜劇場の『放蕩かっぽれ節』を先頃見ていましてその記憶が少々残っています。

山田洋次×渥美清 ということで、作が山田洋次さんと高橋正圀さんとなっていて演出は他のかたです。くず屋久六の役が廓遊びの放蕩息子の渥美さんで、くず屋でなくても話は出来上がるものだと、ちゃらちゃら惚れられているという花魁のおのろけ話なぞも聞かされました。テレビの中で聞かされているのは手斧目半次の若山富三郎さんです。当然脅して、お酒と煮しめを実家の大店へ用意させるのですが、父親が五代目小さんさんで、この上方落語を江戸の噺として高座へのせたのが三代目小さんさんだそうで、きちんと落語家の関係と役者とを重ね合わせていたのだと気がつかせてもらいました。

歌舞伎座の『らくだ』のほうは、手斧目半次が松緑さんで、らくだの馬吉が死んでいるのを発見します。自分でフグをさばいてフグの毒にあたってしまったのです。らくだは長屋の皆から嫌われていて誰も弔いをしないので半次が弔ってやることにしますが、そこに折りよく現れたのがくず屋の久六の染五郎さんです。

虫も殺さぬような久六は、半次の言いつけで大家のところへ弔いのためのお酒と煮しめを出させにやられます。口上として出さないなら死人のかんかんのう(当時はやったおどり)を披露するといいます。大家の歌六さんはやるならやってみろと掛け合いません。そこで半次はらくだを久六に背負わせて大家宅へのりこみます。

ここからが、死人のらくだの亀寿さんの出番で、久六の見せ場でもあります。半次が大家さんに掛け合っているときの、らくだと久六の可笑しな悪戦苦闘が大笑いです。これだけ染五郎さんに邪魔されるのですから、松緑さんはもっと凄んだワルの半次でいいと思いました。そのあともありますからね。

ついに半次は大家さんの座敷に乗り込み、近所から聞こえる浄瑠璃に合わせてらくだの人形使いとなり、大家さんのおかみさんの東蔵さん(おそくなりましたが人間国宝おめでとうございます)も死人に辟易です。ついにお酒と煮しめを手にいれました。

さて、満足の半次ですが、久六にも酒をすすめます。ですから、もっと強面にやっつけておけばよかったのです。酒で半次と久六の立場は逆転するのです。小さくなっていく半次。久六は早桶にらくだを入れ担いで寺へ運ぶ手伝いをするというのです。そんなことをしてもらっては申し訳ないという半次。半次はなんとか久六を帰したいのですが、なんでおれに担がせないのだとますますからんできます。

そこへ半次の妹のおやす(米吉)が再び実家が大変なことになっていると報告にきますが、こちらはこちらで、久六とらくだがとんでもない状態なのでした。米吉さんは自分の実家のことしか頭にないということで、正面をむいてしゃべっていいと思います。そのほうが客に台詞がわかりますから。そしてどひゃと驚く。

早桶のかわりの四斗だるを担いで焼き場へ行く道中も加わるのが上方落語の『らくだの葬列』なのですが、ここははし折られています。渥美さんと若山さんは、らくだ(犬塚弘)の死人の踊りはなく、早桶にらくだを納め運びます。酔っていい気分でフラフラと先棒を担ぐ渥美さんに必死に後棒を担ぐ若山さんでした。

この映像が頭に残っていたので、染五郎さんが酔って早桶を担ぐといったとき、とんでもないと辞退する松緑さんにごもっともと賛成して笑ってしまいましたが、もしかするとここを笑いで受けとめるまでいかない方が多かったかもしれません。二人で担ぐ格好を見せて笑いをとる方法もあるなとも思った次第です。

語りだけの落語から身体も加えて勝負できるのが、歌舞伎の強みだよ~なんて。