奈良十一面観音巡り(3)

法輪寺』 ここの三重塔は昭和19年(1944年)に落雷で焼失してしまい再興にさいしては、作家の幸田文さんも尽力された塔で、昭和50年(1975年)に完成したのです。幸田文さんは69歳のとき、一年ほど斑鳩に転居されてもいました。<斑鳩・いかるが>響きがいいです。

『法隆寺』『法輪寺』『法起寺』の塔は、斑鳩三塔といわれてきたのですが、30年近く二塔でした。今は不在であったのが忘れられたように再び斑鳩三塔としてとけこんでいます。

風のある日には、塔に下げられた風鐸(ふうたく)の音ををきくことができるそうで、風もなく穏やかな日でよかったと思っていましたが、それをしると風のないのが残念と勝手なものです。

十一面観音菩薩立像は、講堂に他の仏像とともにおられて、切れ長な目ははっきり開かれていて、上唇の二つの山がしっかりとわかる厚さでエキゾチックなお顔をされています。観音さまに意志などはないでしょうが、意志疎通ができそうな感じです。飛鳥時代の虚空蔵菩薩と薬師如来は、細身の飛鳥とふくよかな平安の仏像が並ばれると国の違う異国人みたいなところがあります。

大安寺』 東大寺、西大寺と並んで南大寺といわれたこともあったお寺で、南都七大寺の一つとあります。

南都七大寺 『東大寺』『大安寺』『西大寺』『興福寺』『法隆寺』『薬師寺』『元興寺』

今回『大安寺』『西大寺』を訪れて、この南都七大寺グループも制覇です。『大安寺』の特別拝観がなければ先伸ばしにしていたわけで、記憶に残るお寺さんとなります。

本堂にある十一面観音菩薩立像は、受付の人にずーっとおそば近くまで行って拝観するようにといわれ、御簾が開いているそば近くにいって座って下から見上げるようにして拝観するかたちです。お顔は穏やかですべすべとされていますが、首から下は時代の風をうけられたような木肌がみられます。そしてそれがまた体を張って守りますから安心なさいと言われているような優しさがあります。癌封じの仏様としても、信仰されていて、1月23日の癌封じのご祈祷のあと青竹の御猪口に笹酒がふるまわれるそうです。讃仰殿(さんぎょうでん・宝物殿)に七体の奈良時代の仏像が安置されていて、ボタンを押すと案内が流れ静かにゆっくりと拝観できます。

このお寺さんで、竹と銀杏と紅葉の小さな空間の秋を楽しむことが出来ました。

門を出ると、150メートル先に遺跡ありとの案内板があったので進んでいきますと、そこには七重塔が東と西にあったとされるところに盛り土してあり、『大安寺』がいかに広かったかが想像できました。

西大寺』 こちらは近鉄が通り、まわりは住宅街ですから、『大安寺』のように掘り返して位置を確認することができませんが、奈良の都の平城京には大きな敷地をもった大寺院があり、そこで学僧が勉学に励み、今でいう大学のような学問所が沢山あったのだということがわかりました。

今の感覚ですとお寺、宗教、信仰、仏像といった感覚ですが、遣唐使などが色々な仏典と同時に医術、薬学、建築学などの知識をも運んで来ていたわけで、さらにそれを教え研究していたと思われます。

「四王堂」「本堂」「愛染堂」「聚宝館」に寺宝がありますが、「聚宝館」は期間限定で期間外で観れませんでした。十一面観音菩薩立像は「四天堂」の中にあり、長谷寺式で大きな立ち姿です。もともとは京都の法勝寺にあったのですが破損してしまい、西大寺の名僧叡尊(えいそん)によって修復され「四天堂」におさめられました。西大寺は最初に作られたのが四天王というのが特徴で、今は十一面観音さまが「四天堂」のご本尊です。

近くに幼稚園があり、ちょうど園児の帰る時間で、外から観音さまに手をあわせて帰る園児がいるかとおもえば、棒切れを振り回し注意される園児もいたりして、かすかにお目を開かれた観音さまは平等にじーっと見守られているのです。

「本堂」のご本尊は釈迦如来立像で、京都の清凉寺の釈迦如来像を仏師善慶を中心にして模刻したものです。そして、いとうせいこうさんが一瞬にして恋してしまった文殊菩薩さまがあり、その侍者の善財童子は灰谷健次郎さんの『兎の目』にでてきます。

「愛染堂」には秘仏愛染明王座像があり、特別公開時ではないのでお前立てで我慢です。(公開日 1/15~2/4、10/25~11/15)仏師善円作で、名僧叡尊の座像は善春によって作られ、この像は今年国宝になったようです。善派の仏師は西大寺専属のような感じもあります。

秘仏愛染明王座像は歌舞伎とも関係がありました。

宝暦4年に愛染明王座像が江戸の回向院に出開帳されたとき、二代目團十郎さんがこの愛染明王の顔から隈取を考え『矢の根』の五郎を中村座で演じ大当たりしました。中村座では大当たりしたのでお礼に、鳥居清信に矢の根の五郎を描かせた絵馬を奉納し、その絵馬がお寺の現存しています。公開はされていません。そうしたご縁からでしょう、2013年10月31日と11月1日に海老蔵さんが奉納特別舞踊で『保名』と『お祭り』を踊られている雑誌の記事がありました。

愛染明王像は34センチと小さいですが、憤怒は激しいです。今回坐している蓮台の下にペルシアの壺のようなものがあり、お寺の方が、アラジンの魔法のランプのようなものですといわれた。いいですね。魔法のランプの上におられる愛染明王さま。

お顔が一番よく写されているのが、JR東海の<うましうるわし奈良>のポスターの愛染明王だそうで、ポスターも張ってありました。キャッチコピーがこれまた可笑しい。 「怒ったような顔して 愛だなんて」

歌舞伎座に隈取の絵葉書を売っていてその中に「矢の根」もあります。どう工夫したかの参考になります。「矢の根」と「暫」の隈取も似ていました。

そしてなんと、京都駅の八条口で、フードをかぶりサングラスにマスクの御仁とすれ違いました。何者と一瞬思いました。人はすぐには止れないモードです。そしてはたと気がつきまして振り返ったところ、そのかたフードをとられて車の中へ。海老蔵さんでした。時間とは不思議なものです。人それぞれの時間のなかで、人と人はすれ違っているのですね。

あおによし 奈良の都は咲く花の におうがごとく 今 さかりなり