劇団民藝『熊楠の家』

和歌山となれば、、南方熊楠(みなかたくまぐす)さんをはずせないでしょう。どうして南方熊楠の名前を知ったのかは記憶にありませんが、風変わりで、自分の好きなことを貫き、凄いことをした人がいたのだと驚愕し、その方が芝居でとりあげられるのを知り観劇したのですが、初演の22年(1995年)ぶりの再演ということですから22年前の初演に観た事になります。

小幡欣二さんが劇団民藝に書きおろされた9作品の最初の戯曲で、この面白い作品が22年も再演されなかったのかと不思議な気がします。今年は南方熊楠生誕150年ということです。

『熊楠の家』で初めて劇団民藝の演劇をみたことになります。舞台での南方熊楠さんも魅力的な空気をまき散らしてくれました。

南方熊楠さんは外国語が出来て、民俗学から生物学と文科系と理科系の両方の研究者で、東洋、西洋とはず文献を調べ、アメリカ、キューバ、イギリスを遊歴し、父の遺産を使い果たし帰国し、熊野の那智周辺で植物採取をはじめ、粘菌の研究に没頭していきます。海外での論文発表で、海外の専門家に知られていたかたでもあります。

南方熊楠さんを日本で有名にしたのは、昭和天皇が南紀行幸の際、南方熊楠さんに講義を依頼されたことで名前が知れ渡りました。『熊楠の家』でも、田辺で結婚してからの熊楠さんと家族、そしてそれを取り巻く人々の様子、昭和天皇に御進講までの半生を描いています。その御進講の際の粘菌の標本箱にキャラメルの空き箱を使ったという話は、熊楠さんの豪放さをあらわす話しとして残されています。それだけ貧乏でもあったわけですが。

初演の時の芝居の詳細は忘れていますが、熊楠は米倉斉加年さんで、南方家のお手伝いさんの老婆お品が北林谷栄さんで、お二人とも声と台詞術に特徴がありますから薄くなってはいますがチラチラと浮かびます。チラシが残っていまして演出は観世栄夫さんでした。

今回(2017年6月15日~は26日 紀伊國屋サザンシアター)は、演出が丹野郁弓さんで、熊楠が千葉茂則さん、お品が別府康子さんで、熊楠さんの写真からしますと千葉茂則さんのほうが熊楠に似ており豪快さが出ておられ、別府康子さんも個性的なお品となっており力強い土着性が出てました。

初演と再演に出られているのが、熊楠の娘・文枝のダブルキャストの中地美佐子さんが再演で熊楠の妻・松枝で、床屋の久米吉の横島亘さんが再演で熊楠の友人の眼科医・喜多幅武三郎でした。齋藤尊史さんが、男イだったのが熊楠の弟子・小畔四郎だったのには時の流れを感じました。

周りの人々を巻き込んでひたすら自分の道の研究に没頭する南方熊楠さん。周りには、石屋、洋服屋、生け花の師匠、床屋などが熊楠と交流していて、熊楠の専門の研究の話しがわかりやすい話へとかわる話術に魅せられていく様も熊楠の計り知れない魅力の一つです。

自然を守るために神社合祀令に反対しこますが、自分の粘菌の研究のためだけの反対だろうと反撃されたり、自分も父のようになろうと励む長男・熊弥は脳を患ってしまい、親としての苦悩も重なります。そんななか、熊弥と同じ若さの昭和天皇が植物の研究をされていて自分のような在野の粘菌の研究に興味を示され話しを聞きたいというのです。昭和天皇が自分の研究を知っておられたということだけでも心躍ることだったでしょう。

そのことを知った県政の人々が地域の利益のためにと右往左往し、熊楠の想いとの違いも感じとれました。

観ているこちら側も熊楠さんの研究はよくわかりませんが、とにかく豊な才能がある人がこれだと思ったときにとる行動の一途さ、そこから巻き起こる驚きと可笑しさを舞台という狭い場所で、磁場のように発揮された演劇作品になりました。

新劇にとっても時間の経った再演は、役者さんも違い、初演を越えられるか心配と思いますが、観ているほうも年を重ね、多少の経験から細かいところまで目がゆきましたが、それに答えてくれる舞台となり、作品として教えられ気がつかせてもらったところも沢山ありました。

それだけ、役者さんたちも頑張られ、新しい役者さんが育ってきているということなのでしょう。

作・小幡欣二/演出・丹野郁弓/出演・千葉茂則、中地美佐子、大中輝洋、八木橋里紗、別府康子、横島亘、安田正利、山本哲也、境賢一、齋藤尊史、平松敬綱、平野尚、齊藤恵太、梶野稔、天津民生、本廣真吾、大野裕生、望月香奈、吉田正朗、相良英作、大黒谷まい、保坂剛大

 

熊楠の息子の熊弥さんが一時藤白神社ちかくに家を借り看護人付きで暮らしていたという記述がありました。<藤白神社>それは、内田康夫さんの未完の小説『孤道』に出て来た神社です。内田康夫さんは病気療養のため休筆宣言をされ、未完の『孤道』を刊行され、完結作品を公募されました。納得できる完結作品を是非読みたいものです。