『鉄砲喜久一代記』から映画『桃中軒雲右衛門』『殺陣師段平』『人生とんぼ返り』(4)

  • 喜久次郎と交流のあった、桃中軒雲右衛門を主人公にした映画『桃中軒雲右衛門』と澤田正二郎の新国劇で殺陣師をしていた市川段平を主人公にした映画『殺陣師段平』である。

 

  • 桃中軒雲右衛門』(1936年)は、成瀬己喜男監督の芸道物といえる。原作が真山青果で、澤田正二郎が上演したのと同じ原作のようだ。静岡の沼津に桃中軒というお弁当屋さんがあるらしいが、それとは関係がない。『鉄砲喜久一代記』によると雲右衛門は、放牛舎桃林という芸人の名がすきで、牛を桃林の野に放つ風景が結城の故郷の風景を思い出させ、桃中軒牛右衛門にしようとしたが、周囲がおかしいというので雲にしたのだそうである。映画は、東京の本郷座での公演に向かう汽車の中からはじまる。時々、かつて東京から下る雲右衛門と女房・お妻との映像とをだぶらせる。

 

  • この映画は、雲右衛門とお妻との他人にはわからない心の葛藤を描いている。はじめは桃中軒雲右衛門がいかに凄い浪曲師であったかを見せてくれるような気がしてみていると何か予想と違うのである。雲右衛門が途中下車して行方がわからなくなる。人気が出たと言っても、東京へもどるのが怖いのであろうかと憶測をする人もいる。雲右衛門がおじいさんと呼ぶ人と苦労した昔を懐かしがったりし、自分の芸に対する自信はあるが人気が出ての人との関係がわずらわしくもなっている。このおじいさんは、『鉄砲喜久一代記』で雲右衛門の若い頃について語っている春日井文之助がモデルのようである。雲右衛門はこの人のもとで修業したことがある。文之助は引退してから松月と名乗り、お浜(映画ではお妻)の死んだ後の三味線を手伝っている。

 

  • 兄弟子の女房だったお妻の三味線の腕は確かなものであった。しかしお妻は近頃、自分の腕が落ちているのに何も言わない雲右衛門にいらだちを感じている。雲右衛門もそれは感じているが、前のように共に芸に向かう気持ちが起らない。さらに雲右衛門は芸者の千鳥を身請けする。お妻は自分は女として可愛がられたことがない。自分は、雲右衛門の芸のために食われた女であると言い放つ。お妻は肺を病み入院するが、雲右衛門は途中まで見舞いにいくが引き返してしまう。そして、人を通して芸に貫いた女として死んでくれと伝言する。嫉妬に狂っていたお浜もその言葉に納得して安らかな気持ちで亡くなるのである。言ってみれば、そこには外からではわからない芸で通じ合った絆があったのであろうが雲右衛門の身勝手ともとれる。

 

  • 人気とお金によって、自分と芸との関係にどう向き合えばよいのか手こずっている雲右衛門の姿もみえる。今の自分に値する修業をしたことを松月と懐かしむあたりには、おれはあそこで土台は築いたのだから大丈夫だと思う自分を見出して確認しているようにもおもえる。千鳥といると明るい気持ちになれるのに、お妻とだと、どうしても芸が介在し、さらにかつて東京を後にした二人の関係が簡単ではない感情をおこしてしまうようだ。お妻が亡くなった病室で、聞いてくれとお妻だけに素直になって一節語る雲右衛門であった。

 

  • 月形龍之介さんの明るい表情と暗い表情の差に雲右衛門の一口では言えない心のうちが見える。お妻の細川ちか子さんが、単純ではない感情を独特の雰囲気で演じる。三味線の手も実際に弾かれたのかどうか分からないが、音に合っていてかなり練習されたのであろう。頂点をきわめていく最後の山場といった映画で、単純ではなく一ひねり加えてある。原作で、真山青果さんと成瀬己喜男監督の捉え方をさぐりたくなる。
  • 脚本・成瀬己喜男/出演・千葉早智子(千鳥)、藤原釜足(松月)、伊藤薫(息子泉太郎)、三島雅夫

 

  • 映画『殺陣師段平』(1950年)。原作・長谷川幸延/脚本・黒澤明/監督・マキノ雅弘。長谷川幸延さんは、著作は読んでいないが大阪の芸人などの様子を書かれていて、映画では、成瀬己喜男監督での芸道物の『芝居道』があり、マキノ雅弘監督では、『殺陣師段平』のリメイク版『人生とんぼ返り』と『色ごと師春団治』がある。映画『殺陣師段平』の脚本に関しては、かつて観たときは、それほど感じなかったが、『鉄砲喜久一代記』を読んで観ると、劇団・新国劇の歴史的流れ、澤田正二郎の演劇に対する考え方、そこに、殺陣だけが生きがいの段平を入れるという構成の丁寧さがわかった。

 

  • 大正10年大阪。頭取の段平には殺陣師としての新しい仕事がなかなかこない。『国定忠治』の新たなる台本ができ、段平はこれは、澤田が自分に新しい殺陣を考えろと言ってくれていると思い込む。段平の殺陣は出来上がっていたが、澤田が考えていたのは歌舞伎のような殺陣ではなく、写実の真剣の殺陣で、段平の出る幕ではなく稽古はすぐ終わってしまった。段平は澤田に食い下がる。リアリズムとは何か写実とは何か。そんなおり段平は喧嘩をして、写実の殺陣を感じとるのである。

 

  • 新国劇は大阪で剣劇として人気を博し、東京で再び公演できることとなる。段平も行くはずであったが、来なくていいとの連絡である。東京での公演が上手く行かず、座員の運賃などの経費がでなくなっていた。突然来いとの連絡が入る。やっと東京で当たり始めたのである。喜ぶ段平。結婚して七年の女房・お春は髪結いの仕事をしつつ段平が連れて来た素性のわからぬ娘・おきくともども世話をしていた。だまされ続けて七年と憎まれ口をいうお春も、段平から殺陣をとったら何も残らないことを百も承知なので嬉し涙をそっとふく。

 

  • 新国劇の人気は上がるが、段平はむくれている。澤田にどうして立ち回りをやらないのかとせまる。『父帰る』『桃中軒雲右衛門』『白野弁十郎』などが演目に並んでいる。澤田は、剣劇だけが新国劇ではないという考えがあった。立ち回りのための芝居はしないという。段平はお春の危篤の知らせにも帰ろうとせず、ついに他の芝居の誘いに乗り、新国劇を去ってしまう。お春が亡くなって5年後、段平は中風にかかって身体が不自由になっている。そんな時、昔の仲間が訪ねて来て、南座へ新国劇の『国定忠治』を観に連れてってもらう。そして、30円で中風になった忠治の最後の殺陣を買ってくれるように頼んでもらう。

 

  • 澤田も、自分の考えで段平の想いを切り捨てたことに後悔があり、30円で買うという。段平の最後の殺陣への挑戦が始まる。しかし身体はすでに思うようには動いてくれない。段平は新国劇のお金、80円を持ったまま飛び出し、お春の葬式代などで使い、おきくのくれるお金をためて50円になっており、それに30円を加え返してくれという。澤田たちは段平の殺陣を待っていた。娘のおきくが駆けつけ自分が教えるという。澤田はお客に少し時間をくれるように頼む。おきくが教えた殺陣は、リアリズムそのもで、蒲団から起き上がることもできない、刀を鞘から出すこともできない忠治であった。捕手は、恐ろしがって御用と取り巻くが、時がたち忠治の起きあがれない状態を知った役人は静かに観念するよう声をかけて幕となる。

 

  • 段平は、澤田先生、お客さんが納得するかどうかは知りませんが、リアリズムの中風の忠治であればこういう殺陣となりますよと自分の体で真実を教えたのである。おきくは自分の父が誰だかわからない。澤田は「おきくさん、あんたは段平が父親であってくれたら嬉しいんだろう。段平はお前さんの父親だよ。お前さんだから父親段平の殺陣を教えられたんだよ。」というあたりに、リアリズムに徹底さを求めた澤田正二郎のそれだけではないという思いもかぶさってみえる。

 

  • 段平の月形龍之介さんは、殺陣が命でそれしかない男そのものを貫き、澤田正二郎の市川右太衛門さんは、真実の演劇を求め取り込もうとするインテリさを貫禄をもって演じている。山田五十鈴さんは、こんな女房ならだれでも望むであろうと思う女房・お春である。娘のおきくの月丘千秋さんは、苦労は多かったであろうが、この夫婦のそばにいて幸せであった。段平の最後のことば。「明日、お盆やが。お春に南座に連れて行ってもらい、澤田が勝つか、段平が勝つか見届けて地獄にいくんや。」

 

  • 鉄砲喜久一代』によると、澤田正二郎の雲右衛門は、本物と見まがうほどの名演技であったと語り伝えられたとある。段平を置き去りにしてしまうくらい新しさを取り入れての演劇道があったのであろう。それにしても澤正は36歳という若すぎる死であった。こうした大衆を相手とした芸というものは、伝統芸のようには残らないが、形を変えてどこかにつながって拡散されていっていると思う。もしかすると、黒澤明監督だって、この脚本を書くことで、その後の時代劇映画の立ち回りになんらかの影響を受けたかもしれないではないか。

 

  • 澤正の『桃中軒雲右衛門』を無性に観たいと思わせられ、さらに映画との比較もあり真山青果さんの『桃中軒雲右衛門』を読んだ。亡きお妻に一節語るところはなく、雲右衛門が死の床についているとこまで描かれている。泉太郎が退学となって、自分が二代目となると告げると二代目はいらないと告げる。「真の芸は一代で滅ぶべきものだ。一代で滅び、後に継ぐ者のないところに、その芸人の誇りがあるのだ。おれは何人(なんびと)の芸も継いではいない。したがって後に残す二代目はないはずだ。」映画よりも、真山青果さんの脚本は、雲右衛門に自分と芸の関係を語らせている。驚いたことに、青山青果さんは、澤田正二郎をモデルとして、これを雲右衛門の中にほうりこんだということである。それぞれの芸のうえで結ばれる二人だったのである。

 

  • 『殺陣師段平』をマキノ雅弘監督が自ら脚本もかねリメイクしたのが『人生とんぼ返り』(1955年)である。段平が森繁久彌さんで、澤正は河津清三郎さんである。リメイクの間に『次郎長三国志』9作品を撮っており、森の石松で才能開花した森繁さんの起用となったのではなかろうか。河津清三郎さんは『次郎長三国志』では大政である。山田さんのお春はマキノ監督の理想の女房であろうから当然そのままである。澤正のそばにいる倉橋仙太郎が水島道太郎さんで『次郎長三国志』の8部では小政で森の石松に自分の女の名前を教えるのに藤の花をさっとひとふりで斬って石松に見せ「お藤ってえんだ。」というところは名場面として語りつがれている。

 

  • 筋は変わらないが『人生とんぼ返り』のほうが、よく整理されていて段平と澤正の芝居に対する関係や新国劇の歴史がわかりやすくなっている。俳優のアップも多くなり、南座など劇場の撮り方や京都の風景も取り込んで少し華やかさもある。お春が死んで一人段平が居酒屋で、俺は河原の枯れすすきの「船頭小唄」を歌う場面があるが、『次郎長三国志』の森繁さんの歌う場面から意識的に段平に唄わせるとしたらと、導入を考えたように思える。おきくは左幸子さんで、独特のリアルさが加わる。最後は、澤正が南座の舞台から死んだ段平の名前を呼ぶと、段平が現れとんぼを切る。そしてお春と共に消えていく。舞台から新国劇の団員が頭を下げて終わりとなる。『殺陣師段平』を基本に『次郎長三国志』を通過しての『人生とんぼ返り』と思わせ、新たに役者を生かして臨まれた作品となっている。