国立劇場『毛越寺の延年』・『歌舞伎鑑賞教室 連獅子』

  • 132回民俗芸能公演である。重要無形民俗文化財の『毛越寺の延年』の公演であり、拝観できるとは思っていなかったので国立劇場の民俗芸能公演にはさらなる感謝である。初めて毛越寺(もうつうじ)にいったとき(年数を数えるのが嫌になるほどかつて)延年の舞があると知り、その後歌舞伎の『勧進帳』での弁慶の「延年の舞」でさらなる憧れの舞いであった。ただ『勧進帳』の弁慶がお酒をたっぷり飲んだ後でのような躍動的な舞いではなく、芸能のゆったりした繰り返しの舞いが優雅に行われる。そして、『毛越寺の延年』は僧侶による舞いなのである。

 

  • 配布された解説書によると、古代後期~中世に寺院において「延年」と呼ばれる行事が盛んにおこなわれていたらしい。そこから、能や歌舞伎に取り入れられたようである。歌舞伎の場合は、能から正式に教えを受けることが出来なかったのであるから、それを庶民のために観せるために、工夫を考えてあらゆるものから取り入れたと想像できる。弁慶は僧侶でもあるし、延年の舞いの経験がないとはいえない。稚児舞いもあり、小さい頃から練習しているのである。今は、小学校一年になると初舞台だそうである。それゆえ、弁慶が延年を舞ったとしてもおかしくはない。

 

  • 毛越寺に神楽舞台があってそこで舞われると思っていたら、「常行堂」の中で催されるのである。1月20日の午後4時から「常行三昧供(じょうぎょうざんまいく)」といわれる法要からはじまり、午後9時から延年の舞の奉納がはじまるということでかなり遅い時間である。お客様のなかに毛越寺で拝観したというかたがいた。神楽舞台でのため舞台が高く足先などは見えなかったそうで今日はよく見えてよかったと言われていた。特別開催の日もあるようだ。今回は、「常行堂」の内部を舞台に再現しての開催である。

 

  • 一部で「常行三昧供」があり、延年の「呼立(よびたて)」「田楽(でんがく)」「祝詞(のっと)」「路舞(ろまい)」、二部は延年の「若女(じゃくじょ)・禰宜(ねぎ)」「老女(ろうじょ)」「花折(はなおり)」「留鳥(とどめどり)」となる。

 

  • 常行三昧供』は、毛越寺を開いた慈覚大師円仁が中国五台山から伝えたものと言われている。五台山は清涼山のことで、『連獅子』にも出てくる山である。この法要の声明が美しい旋律で、声の響きがまたいいのです。どこで息継ぎをしているのかと思うほどつながっていきます。最後の延年の能『留鳥』の謡なども、この声明で鍛えられた声と調子が引き継がれていて動きの少ない舞に寄り添う感じである。

 

  • 常行堂」の御本尊は宝冠阿弥陀如来で、奥伝に守護神の摩多羅神で、「常行堂摩多羅神」の提灯が下がっている。上の方には、渡り綱に正方形の白い切り紙が下げられていて、この切り紙の型が今は12種しかないのだが、かつては20種以上あったようです。大根、蕪、鳥居、紋などが切り描かれていて、これは結界を表している。阿弥陀如来は来られていないが、左右には、丸いピンクの花が付いた木が飾られていて、桜なのだそうで、ポップなほんわかとした球の桜の花である。

 

  • 延年の舞からは、僧侶が解説もしてくれるので大変参考になる。『呼立』は、『田楽』を先導するもので二人の僧が足による秘事をおこない短い口上を述べる。延年の舞い手には先導の僧がつき、終わると僧がむかえに来てまた先導して去っていく。そのあたりが他の伝統芸能と違う。『祝詞』などは、秘事で、口の中でつぶやいていてまったく聞き取れない。最後に御幣でお祓いをしてくださり、解説の僧侶が、これで皆さん、残りの半年は無病息災ですと言われた。ありがたし。

 

  • 路舞』は、慈覚大師が五台山を巡礼された折、二人の童子が現れ舞った故事を伝えたものだそうです。童子ふたりが足を踏み返すのをうさぎの跳ねるのに似ているとしてうさぎばねともいうそうである。『田楽』でも小鼓をうったり、『祝詞』では裾をもったりと、児童の役割も大きい。『花折』は稚児が桜の枝を持ち神前にささげて舞うのである。

 

  • 若女・禰宜』は、若い神子が鈴と中啓を持ち舞い、鈴の音を楽しむことと、後から出てくる禰宜(神職)との向きを変える時の足の動きの違いに注目とのことである。この足の違いは『老女』ではっきりする。年老いているので、よっこらしょという感じで、水干の袖がおおきく開いて向きを変えるのが見どころである。老女であっても、神の前では、白髪の乱れをただすことを忘れない。舞うときは、腰を90度にまげて動きもゆっくりであるから大変で、歩くとき、年のため足が危なかしいのを、片足でぴょんと跳ぶ動作であらわす。だからといってふらふらはしない。これをみて、『勧進帳』の弁慶が扇をなげて拾いにいくときとんとんとんと跳ぶが、あれはお酒に酔い足下がおぼつかない状態で、この老女と似た動作だなと感じた。『老女』は毛越寺の貫主・藤里明久さんの舞いで、会得に10年はかかるそうで、直角の腰の負担が大きいそうである。

 

  • 最後の延年の能『留鳥』は、『鶯宿梅(おうしゅくばい)』という故事を題材にとっているということである。難波の里に住む老夫婦が秘蔵している梅には、鶯が巣をつくっていて、その鶯を老夫婦はわが子のようにかわいがっていた。梅の見事さを聴き、帝がその梅を所望した。鶯の霊がでて住家の梅が余所へいってしまうのは悲しいと泣く。老人は都へ行き歌を一首官人に託した。「召しあれば梅は惜しまず 鶯の宿はと問はば 如何が答へん」帝は感じ入って梅を召し上げることはしなかった。官人はただものではないと老人の名前を尋ねた。太宰府に流された菅原道真の霊であった。

 

  • 逆説的な尋ね方が素晴らしいです。梅は惜しみません。ただそこに住む鶯はどうしたらいいんでしょうね。命ある者が、命をささえる宿がなくてはなんとしましょう。時として芸能とはお説教よりも心に沁みるものである。法要があり経文が読まれ、その僧が芸能にたずさわられ、一つのお堂で行われ、一つの宇宙空間を現出されているようであった。神仏に関係する芸能から自分たちの芸能に取り入れ、それを違う形で人々に伝え喜びを与える芸能一般の流布は、これまた凄いエネルギーである。

 

  • 歌舞伎鑑賞教室』には、「歌舞伎のみかた」の解説がついていて、今回は巳之助さんである。『ワンピース』のゾロ、ボン・クレー、スクアードの強烈なキャラからどう解説役として見せてくれるのか。がらっと変わってシンプルな歌舞伎役者・坂東巳之助の対応であった。高校生への実体験も、すり足、動きに合わせてくれるツケ、見得のきりかた、扇の開き方と動かしかたによる表現の違いなど、次の上演演目『連獅子』に合わせていました。『毛越寺の延年』もすり足でした。歌舞伎の「松羽目もの」にも通じることです。学生さんの動かし方も人柄の捉え方も軽快に進行される。

 

  • 連獅子』の説明では、清涼山にかかる石橋(しゃっきょう)のポップな絵から、清涼山に訪れた僧が、文殊菩薩の使いである獅子の舞いを見たという能の『石橋』をもとにしていることもおさえる。『毛越寺の延年』(路舞)では二人の童子でした。歌舞伎では親子の獅子が出て来て、どこが見どころであるかを伝え、演者である、又五郎さんと歌昇さんが実際の親子であることも紹介。最後に、これをきっかけに歌舞伎に興味をもってくれるようにと、新作歌舞伎『NARUTO ナルト』に出演する宣伝もしっかりしていて笑ってしまう。

 

  • 鑑賞教室のときは解説書を配ってくれるので、『連獅子』の前もって歌詞を読むことができる。歌詞は舞台横の左右の掲示板にも流れる。先ずは手獅子を携えた二人の狂言師が出て来て、獅子の親がわが子を谷に蹴落とし、駆け上がって来た子だけを育てるという故事を伝える。獅子だけではなく人間がでてくることによって、蹴落とした後の親の子を想う気持ちも伝えるということが加味されている。そして、駆け上がって来る子とそれを見つけたときの親のさらなる絆である。だからといって芝居ではないので大げさにわかり過ぎてもいけない。又五郎さんと歌昇さんは、歌詞の意味合いをとらえ、きちんと基本を踏まえた体の表現をされていて、改めて勉強しつつ鑑賞させてもらった。

 

  • 間の狂言が入る。『宗論』という違う宗派の僧が自分のほうが良い教えであると論争し、自分の宗派の念仏を唱えているうちに相手の念仏を唱えていたという可笑し味のある舞踏化されたものである。浄土の僧・遍念に隼人さん、法華の僧・蓮念に福之助さんである。隼人さんは、これまた『ワンピース』で、サンジ、イナズマ、マルコと格好いいキャラであったが、真面目な雰囲気の僧である。これは、念仏が入れ替わっての可笑しさから、年季をかけた役者さんはかなりの笑いをさそうが、隼人さんと、福之助さんは笑いに持って行こうと変に力まず、自分の宗派をおもうあまり気が付かないで失敗をしでかしたという生真面目な自然さで、それもまた地に足のついた演じかたであった。隼人さんは、『NARUTO』で巳之助さんと切磋琢磨するであろうし、福之助さんも橋之助さんと『棒しばり』で違う可笑しさに挑戦である。

 

  • 獅子の精の登場である。獅子は扮装も派手であるから、後半でワーッと盛り上がるが、前半でしっかり表現されていてこその獅子である。気合を内に秘める感じでひとつひとつ大切に演じられていた。歌昇さんは、国立劇場での芝居でこのところヒットを飛ばされて成長されていたので、きっと、やるぞという気持ちであったろうが、又五郎さんが落ち着け基本だぞと言われているようで、力強さのなかに微笑ましさも感じられる『連獅子』でした。