六月歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』『文屋』

  • 妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん) 三笠山御殿』。宇野信夫さんが「この頃の芝居の題はくだらない。当今は文覚上人の芝居だと、只『文覚』とだけだ。昔は、『橋供養凡事文覚(はしくようぼんじのもんがく)』なんて、凝っておりました。『与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)』を、お富と与三郎なんていっちまっちゃァ味も素ッ気もありません。」といわれている。たしかにそうであるが、たとえば歌舞伎を初めて観た人と話をするとき、「あの最初のお芝居・・・」「ドテラに大きな格子模様の裃衣裳の鱶七とお三輪が出てくる芝居ね。」「そうそう。」となって感想が聞けるのである。正確な外題を飛び越えないと内容の話しにならないのである。

 

  • 三笠山御殿は、蘇我入鹿の御殿である。蘇我入鹿は悪人である。入鹿の楽善さんと、家臣の玄蕃(彦三郎)、弥藤次(坂東亀蔵)の三角形が大きく、入鹿一族の大きさをかたどっている。そこへ一人乗り込んでくるのが松緑さんの漁師鱶七である。藤原鎌足の書状を持っての使いである。お詫びの印にと徳利の酒を差し出し、自分で飲んでしまったり、鎌足を鎌ドンなどと呼び、豪快に可笑し味もだす難役で、このバランスにもう一歩前進が欲しいところである。荒事の大きさと可笑しみという組み合わせは実に大変な役どころだと近頃特に感じる。

 

  • この後、御殿には三人の人物が苧環(おだまき)の糸に引かれて入って来る。先ず入鹿の妹・橘姫(新悟)と求女(松也)である。求女は実は鎌足の息子・淡海なのである。求女は入鹿を倒すため、夫婦になりたいなら宝剣を盗むように要求する。名前が求女で懸けているのかと勘ぐったり。恋した姫の大胆さや裏切りは歌舞伎の飛んだところで姫は承知する。松也さんの求女は目指す意志がはっきりしていた。さらに御殿に三人目お三輪の時蔵さんが、入ってくる。酒屋の娘で御殿など初めて。豆腐買おむらが忙しそうに現れ、お三輪を短時間で軽快に洒脱にあしらうのが芝翫さん。こんな時に豆腐買いとは、お客に一息入れて下さい、これから大変なことが起るのですからのサービスか。今度は官女が現れ、案内を頼むお三輪。

 

  • お三輪、求女、橘姫はどこで会ったの、どういう関係だったの、苧環のつながりはいつとなる。この前の「杉酒屋」を観るとよくわかるのであるが、なかなか上演されないので、三角関係なのかと思うしかないく、これからは、お三輪と鱶七の見せ場となる。お三輪は、事情を知っている官女にいじめられる。お三輪は、求女には会いたいし、祝言と聞き心は乱れに乱れるし、救いの手はいじめる官女なのであるが、一生懸命耐えに耐える。さらに恥をかかされ、嘲笑しつつ官女は去っていく。恋しさも、嫉妬と義憤に変わっていく。時蔵さんのお三輪は、どこまでも悲哀の様相が漂い、次の悲劇を大きくする。

 

  • 怒りに取り乱したお三輪は鱶七に刺されてしまう。お三輪は何なのと言いたいでしょう。私をここまで突き落とすのはなぜなの。全て入鹿を倒すためである。入鹿の母は、占いにより、白い女鹿の生き血を飲み入鹿を無事出産した。入鹿の名前はそれに由来している。そして入鹿の弱点は、爪黒の鹿の血潮と疑着(ぎちゃく)の相のある女の生き血を混ぜて笛に注ぎ、その音にて正体を無くさせることである。その大きな役にかなったのである。求女実は淡海の役にたったということである。そして、あっぱれ北の方と言われる。あなたは、淡海さまの奥方だと、鱶七実は鎌足の家臣・金輪五郎がいうのである。ああ、うれしや、でもでも、一目お顔が拝みたい。現代に合わせて観ればそんなー!犠牲になりすぎである。

 

  • そんなー!と思わせないで観させなければならないのが歌舞伎の芸である。それが無ければ長い時を越えて伝わってこなかったであろう。ただ、通し狂言でないから、その場だけで役柄を印象づけ、この役は素晴らしかったと言わせるにはハンディを背負っているが、乗り越えなければならない現代の歌舞伎である。数年前、「杉酒屋」を観て、そうであったかと知るところが多かった。観る方も塗り絵ではなく、形を描きつつ、そこに役者さんによる絵付けをすることができるようになると嬉しいものである。時蔵さんのお三輪の絵付けに満足する。そして、奈良も三輪神社に行くと「妹背山」だなあと思い浮かべたりするようになるのである。

 

  • 文屋』は、五月歌舞伎座の『喜撰』の続きのようで楽しみにしていた。六歌仙の文屋康秀が小野小町にどうせまるのか。ふたたび、菊之助さんの登場である。お公家さんであるが、静々ではなく、ひょこひょこと駆け出してくる。清元に、「その人柄も康秀が裳裾にじゃれる猫の恋」とあるように、猫がじゃれつくようにでるのがよいのであろう。菊之助さんの登場気に入りました。『文屋』って、こんなに楽しい踊りだったかなと、ひたすら愉しませてもらう。

 

  • 妹背山婦女庭訓』で出て来た官女がここでも出てくるのであるが、そのやり取りが文屋はひょうひょうとして構わずに、深草少将になってみたりする。どうもその柄ではなく、ひょうきんな文屋は文屋なのである。官女との恋づくしの可笑しな問答があり、さらに文屋はゆったりと踊り、駆け出して去ってしまう。小町は御簾の中にいるという設定で、出てこない。文屋はしっかり振られ役である。菊之助さんの文屋は公家の雰囲気もあり、嫌味にならない崩し方であった。立役の踊りに面白さが出てきている。