『合邦辻閻魔堂』

  • 松竹座へ歌舞伎鑑賞で行った時、以前閉まっていた『合邦辻閻魔堂』に再度訪問を果した。無事お参りできた。これで一つ気にかかっていたことを終わらせることができた。そして、無償に『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』の浄瑠璃が聞きたくなった。タイミングよろしくお江戸日本橋亭で女流義太夫演奏会があり聞くことができた。『摂州合邦辻 合邦庵室の段』を浄瑠璃・竹本越若さん、三味線・鶴澤駒治さんである。

 

  • お辻(玉手御前)が嫁入り先の継子に恋をして、お辻の父・合邦が継子の俊徳丸と許嫁・浅香姫をかくまっているのを知り、合邦庵室に訪ねてくるのである。事情を知っている合邦は家にいれるのを拒みますが母のほうが懇願し入れてやるのである。何んとかお辻の考えを改めさせようとする親とあきらめない娘のやりとりとなる。恋に狂うというがあるがお辻はその典型で、恋に狂う女の妖しさもかもしだされるのである。そこが、女流ならではの妖しさとなって聞かせてくれた。これもまた実はがあるのだが、それは無しとして聴くのが常道である。

 

  • まじかで聞かせてもらって、三味線の手にも感心してしまった。どうしてこういう好い手がはいるのであろうか。浄瑠璃はそのふしの流れと、三味線の手のシステムがよく分からないのであるが、魅了される。ほんとに不思議である。それに合わせて動く人形。それをさらに人間の身体で表そうとして取り入れた歌舞伎の先人たちにも思いが馳せる。

 

  • そのほか『絵本太功記 尼ヶ崎の段』(浄瑠璃・竹本越里/三味線・鶴澤津賀榮)、『伽羅先代萩 政岡忠義の段』(浄瑠璃・竹本駒佳/三味線・鶴澤賀寿)、『妹背山婦女庭訓 金殿の段』(浄瑠璃・竹本綾之助/鶴澤津賀花)であった。

 

  • 義太夫の後は、『三井記念美術館』へ。「仏像の姿(かたち) ~微笑む・飾る・踊る~」仏師がアーティストになる瞬間。「顔」「装飾」「動きとポーズ」に切り口をいれての展示である。こんなお顔が。こんなに前かが身なの。力士さんみたい。風をおこして動いてる。不動明王さまの髪がそれぞれ違うがかつらみたい。さすが力の入った見得。全身飾ってますね。その変化が楽しかった。

 

  • 東京藝術大学文化保存学(彫刻)とのコラボとして仏像の復刻作品や修復作品なども展示され、寄木作りでは部分、部分がどのようにつながるかも分かりやすく少し離して分解してくれていて、なるほどパーツごとに彫られて一つになるのかと大変参考になった。

 

  • 正式には東京芸大大学院美術研究科文化財保存学保存修復彫刻研究室(籔内佐斗司教授)のスタッフが制作した薬師如来が、福島県の磐梯町にある史跡慧日寺跡の金堂に納められ、その映像があった。慧日寺(えにちじ)は徳一という人が開いた寺で司馬遼太郎さんが『白河・会津のみち』の「徳一」「大いなる会津人」で書かれている。旧仏教(奈良仏教)を代表して、新仏教(平安仏教)の最澄と論戦し、最澄を苦しめつづけたと。その新しい金堂に平成に作られた薬師如来像が納められたのである。慧日寺の名は忘れていたが、徳一という名前は憶えていて『磐梯とくいつ芸術祭』のチラシにもしかしてあの徳一さんかなと思ったのである。

 

  • 2018年の『磐梯とくいつ芸術祭』はチラシによると慧日寺資料館で「薬師如来像ができるまで」を紹介しているらしいが、検索してもでてこないので、もし興味があるなら慧日寺資料館に電話で問い合わせるほうがよい。金堂の薬師如来像の拝観も同様に問い合わせられたい。慧日寺跡はいってみたい場所である。何もないとおもっていたので。