歌舞伎座12月『あんまと泥棒』『二人藤娘』『傾城雪吉原』

  • あんまと泥棒』が笑わせてくれた。夜の部がAプロとBプロとあって、あんまの中車さんと泥棒の松緑さんもAプロとBプロで役を交替して欲しいと書いたが、二回観ても面白かった。明治座で、中車さんと猿之助さんで観て意外にも面白さに欠けていたが、2015年(平成27年)から3年半たっている。中車さんは、あんまの秀の市が三回目なのでその人物像も相当考えて練り上げられたようである。

 

  • あんまの秀の市は、目が不自由なだけに人の声からその人の考えていることが察知できるらしく、幕開けから相手の気をそらさずにしゃべり続けである。そして時には安い揉み賃でよくもまあこき使うものだなどとぐちっている。途中で会った夜番の人に貸したお金の催促などもしておりどうやら金貸しをしているらしい。家に着くと貧しい長屋暮らしで家財道具はほとんどない。今朝貰ったおこわを食べようとするところに泥棒の権太郎が声をかける。俺は刃物を持っているのだと凄むが刃物持っていない。貯めた金を出せとおどす。

 

  • 秀の市は、とぼけて時間稼ぎをし、ふたりで焼酎を飲み始める。ところで泥棒さん日銭にするとどのくらいの稼ぎになるのかと秀の市は権太郎にたずねる。そして、そんな稼ぎで危ない橋を渡るなら真っ当に働いた方がよいと意見し始める。権太郎は泥棒のような悪行には向いていないらしく、自分の身の上ばなしをする。しかし、泥棒に入った以上手ぶらでは帰られないと押入れを探しはじめる。

 

  • 押し入れの中から位牌が出てくる。秀の市は女房の位牌で供養もしてやれないと嘆く。ウソである。権太郎は、自分が島送りの間に女房が死んでいるので自分と秀の市を重ね始める。外は次第に明るくなり長屋の住人の朝のお勤めの読経がはじまる。権太郎は夜が明けたので帰ることにする。秀の市は、誰かに逢ったら秀の市のところで夜を明かしたと言いなさいという。それじゃと権太郎は表戸から出て行く。ところが読経の声に乗せられ自分の持っている財布に手がいく。行きつ戻りつ、ついに女房の供養にと秀の市にお金を投げてやる。読経のリズムに乗っての松緑さんの動きが抜群であった。その迷いと人の好さが見事にでていた。

 

  • 秀の市は、権太郎がいなくなると、泥棒のお人よしを笑う。そして床下から小判をだしその音に酔いしれるのであった。秀の市は悪いことをしているわけではない。貸した金の利子を取り立ててこつこつと貯めているのである。ただ人をたぶらかせることには長けているのである。あんま秀の市の手の内を中車さんは、うまくころがして権太郎より一枚上手であるところを見せてくれた。だがもしこれを機に権太郎が真っ当な生き方をするとしたら、秀の市の説教もまんざら意味がないわけではない。もしかするとだまされた権太郎には幸いなこととなるかもしれない。

 

  • 二人藤娘』は、梅枝さんと児太郎さんで、その衣裳の違いからくる舞台のあでやかさはどっぷりと楽しませてくれる。しっかり者の姉を思わせる梅枝さん。甘えん坊さがちらほらの妹の児太郎さん。それぞれの人物像が踊りの中に垣間見えていた。あなたそんなに飲んで大丈夫なの。少し飲み過ぎたかな。お姉さんよろしくね。困った人ね。こちらも困ったことに唄のほうが飛んでしまうほど華やかなお二人の踊りであった。藤の精が、日本版妖精のように歌舞伎座の舞台に現れたようであった。

 

  • 傾城雪吉原(けいせいゆきのよしわら)』は玉三郎さんによる新作歌舞伎舞踏でる。こちらの踊りは雪の吉原を情景に傾城のやるせないしっとりとした作品である。初めのうちは詞も曲調も踊りもなるほどとのれたのであるが、途中から地唄舞の『雪』の世界のような求心力がもう少し欲しいなあとおもってしまった。何か物足りないまま終わってしまったような。風景と心情が重なっている踊りは、新作であるがゆえに何回か観て、観る方もその世界観になじまないとダメなのかもしれない。