歌舞伎座3月『傾城反魂香』

傾城反魂香』は、今回は序幕がある。序幕「近江国高嶋館の場」「館外竹藪の場」二幕「土佐将監閑居の場」となっていて、上演される時はほとんど「土佐将監閑居の場」のみである。「近江国高嶋館の場」「館外竹藪の場」は<三代猿之助四十八撰の内>とある。三代目猿之助(二代目猿翁)さんが復活されたわけで、大劇場での上演は21年ぶりで歌舞伎座では初上演である。高校生のお客さんにとってはラッキーである。

「土佐将監閑居の場」だけでは解らないところが多くある。先ず幕開きに農民が虎を探しているのである。日本にいない虎がなぜここに居るのか。現代人が観る場合その時代日本に虎がいたかどうかなど考えないので、修理之助の台詞で気が付くのである。そしてこの虎が絵から飛び出したものであることを知り、虎は修理之助の筆で消されてしまうのである。初めて観るとさすが歌舞伎はシュールであると思うが、その後ご注進などもあり、物語がもっと大きい背景があるのだと気が付かされるのである。

しかし、今回は初心者でも観ているだけで流れがわかる。何回も「土佐将監閑居の場」を観ている者もなるほどと、想像部分が舞台として観れるのである。

近江の国の六角家に召し抱えられた絵師・狩野四郎次郎元信(幸四郎)は、六角家の姫君・銀杏の前(米吉)に想われている。この芝居は絵の流派の中の狩野派の宣伝かなと思われるがそれだけではないことが後でわかる。元信は新参者で当然古参・長谷部雲谷(松之助)から疎まれる。そして銀杏の前に頼まれた掛け軸の絵に六角家を乗っ取る印があるとして縛り上げられてしまう。元信は必死の覚悟で自分の身を食いちぎりその血で襖に虎の絵を画く。

この虎が絵から飛び出し悪人の道犬(猿弥)を噛み殺し、元信を助けるのである。おそらく元信は故事に絵から実物として飛び出すことを知っていたのであろう。それだけ念力を込めて描いたのである。犬より虎のほうが強い。歌舞伎には絵から鯉が飛び出したり、桜の花びらを集めてそこに涙で鼠を描いたりという話しもある。

絵から飛び出した虎が超活躍で、これが愛嬌もありどう猛さもある。中に入られている役者さんに拍手である。観ているほうは楽しいが役者さんは大変である。その大変さを忘れさせてくれる息の合った前足と後ろ足である。歌舞伎には色々な動物が出てくるがその中でもヒーローの部類に入る。

銀杏の前とそれに仕える宮内卿の局(笑三郎)は逃れる。そこへ元信の弟子の雅楽之助(うたのすけ・鴈治郎)が助けに来るが道犬の息子(廣太郎)や雲谷によって銀杏の前はさらわれてしまう。この雅楽之助が「土佐将監閑居の場」でご注進として土佐派の長の土佐将監光信に銀杏の前救出を願い出るのである。「土佐将監閑居の場」からは土佐派の話しになるのである。土佐派は今は絵の世界から外されている。ここで登場する光信の弟子・又平は後に土佐光起となり土佐派を再興したといわれる。狩野派だけではなく土佐派も出て来て、絵師の世界が舞台に繰り広げられることとなる。

狩野派のところではお家騒動で、優雅な絵師の幸四郎さんと愛らしく大胆な米吉さんコンビのやりとりではユーモアあふれる仕掛けも織り込まれている。これが「土佐将監閑居の場」では、絵に命を懸ける夫婦の物語へと移っていく。

土佐将監閑居の場」の筋は何回も上演されているのではぶくが、高校生のお客さんがどこに食いついてくれるか興味があった。言葉は悪いが食いついてくれるかどうか。序幕が変化に飛んでいるからどうなるのか。彼らが食いついたのは又平(白鴎)が自死の前に手水鉢に自画像を描くところである。反対側からの絵がこちら側にも観えるのである。ガラス張りではありません。絵がこちら側まで抜けたのです。絵の顔が出てくるあたりで気が付かれた学生さんが口走ったのでしょう。指さす学生さんやフライヤーをみる方もいて次第に興味がじわじわと広まっていくのがわかりました。

この前に、もう又平は絵師としては認めてもらえないと絶望の中で、夫の代わりによくしゃべっていた女房おとく(猿之助)もこうなれば夫と一緒に死ぬからちょっと待ってくれという。観客は又平の夫婦愛を知っているので涙させられる。そして絵が写る。元信が虎を出したり、修理之助(高麗蔵)が虎を消して光澄(みつずみ)の名を貰っているので何かがあるであろう。

師の光信(彌十郎)は浮世又平と苗字もなかったものに土佐光起の名と印可の筆を与える。そして銀杏の前を救出にゆけと命じる。夫婦にとって二重、三重の喜びである。おとくは、節があれば吃音の又平はスムーズにしゃべれるといい又平は北の方(門之助)が用意した裃を着用し、嬉しさを胸いっぱいに舞うのである。

この日観劇した高校生の中からいつか『傾城反魂香』の「土佐将監閑居の場」だけを観ることがあったなら、俺は知ってるぞ、このご注進の背景も虎の活躍もとほくそ笑んでくれる人が出てくれるであろう。この場で顔を出す虎はかなりしょぼくれている。農民たちに追い回されて毛並みも散々で、あの虎も苦労したのだなあと同情してしまうかも。

こちらも改めて、絵師の流派を越えた物語にした近松門左衛門の捉え方を目の当たりにした。心中物もその磁場は狭いようで想像力を広げれば相当広いのである。「土佐将監閑居の場」も『傾城反魂香』の広い中での夫婦愛を描いていて、白鷗さんは、その狭さから飛び出す虎のような人間性を現わされ、猿之助さんは、そのきっかけを逃さない女房としての腕の見せ所を押さえられた。昼の部は初心者でもわかりやすく、歌舞伎のエッセンスも充分味わえる。