関西春の旅『生駒』『大阪』『京都』『湖西・湖北』(1)

南座『坂東玉三郎特別公演』観劇にセットした関西春の旅であるが、京都は『大報恩寺』を先ず計画に入れた。国立博物館で拝観したあの六観音菩薩像と十大弟子との『大報恩寺』での再会の実行である。そして湖西線で琵琶湖の西をたどること。計画の途中で、生駒山というのが奈良と大阪の県境にあり、近鉄奈良線生駒駅からケーブルでいけるという情報をキャッチ。調べて見ると途中に宝山寺があり、なかなか良さそうである。

 

京都から生駒山や宝山寺への交通など調べていたら、映画『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』で寅さんが生駒の宝山寺へ行っていると言う。マドンナは松坂慶子さんでさっそくDVDを観る。瀬戸内海のある小島でふみさん(松坂慶子)と出会う寅さん。そして大阪で再会。通天閣の新世界が出て来て、大阪の役者さんや芸人さんが登場(芦屋雁之助、初音礼子、正司照枝、正司花江、大村崑、笑福亭松鶴)し、寅さんとの間が可笑しくて泣かせる映画であった。ふみさんは大阪で芸者をしていたのである。松坂さんが美しい。

 

寅さんは大阪が嫌いであった。大阪では江戸っ子の寅さんの話術が通用しなくて商売にならないのである。売っているのが愛の水中花。ところがふみさんがいるとなれば嫌いな場所も好きになってしまう。ふみさんとデートしたのが生駒の宝山寺なのである。ケーブルカーも映りました。今は可愛いい犬や猫の顔のケーブルカーが活躍しています。寅さんが泊っている新世界ホテルのロビーに、ロビーといえるのかどうか疑問符であるが、そこに朝日劇場の大衆演劇のポスターが貼ってあった。というわけで生駒山から大阪の新世界へのコースを加え大衆演劇を観ることにする。

 

近頃自分の旅の途中でのミスもでてきた。今回は、現金を補充するのを忘れていた。「すぐ忘れる」ことを「仕事の出来る人はすぐやる」に変えて思い出した時に実行を心がけているが、お金の補充と思った時、あとであちらに入れようと思ったのが間違いのもとである。東京駅の新幹線の改札で思い出した。とにかく交通系ICカードにチャージしょうとチャージ場所を駅員さんに尋ねたら、あそこにありますと教えてくれるが、現金のみのチャージだという。クレジットのチャージはないかしらとたずねると、この後ろにありますと教えてくれたが、その後の一言が疑問。ここは東海改札ですから。

 

意味不明。あなた何を言いたいの。東京から熱海で交通系ICカードで通れなかった事と同じかな。JR東日本とJR東海のややこしい境界線がここにもあるのかしら。まあとにかくチャージできてこれでコンビニの買い物は大丈夫であるが、一度もやったことのないキャッシングを試みる。現金が出て来た時にはホッとした。今の災害多発の時代で現金のない旅なんて不安すぎる。先ずは解決。

 

近鉄の生駒駅からケーブルカーの鳥居前駅までは順調に進んだ。このケーブルカーが鳥居前駅から宝山寺駅まで行って、乗り換えて生駒山上駅まで行くのである。宝山寺駅までは猫と犬のケーブルカーがすれ違うのであるが、猫がニャ~ンと泣くのである。子供たちは喜んでいる。日本最古のケーブルカーなのだそうで、かなり登るが宝山寺駅まで住宅が続いていてケーブルカーでのこんな風景は初めてである。

 

乗り換えて生駒山上駅への途中雨が雹に変わってしまった。驚きである。生駒山上には遊園地があり、こちらは山からの景色を眺めたいと思ったのだが無理である。下りて宝山寺へ行こうかと思ったが、相当の階段数のようである。一時的とは思うがどうも天候の急変で気が乗らない。こういう時はやめにする。次に取っておくことにし大阪方面へ。石切駅というのがあった。『石切梶原』を思い出す。帰ってから映画を観なおしたら、寅さんとふみさんが再会していたのが、石切神社の石切参道商店街であった。了解である。

 

ホテルで休憩してから新世界へ。ここで串カツを食べたことがない。お客が並んでいるのと胃が重すぎと拒否するのである。鯛塩ラーメンを食べる。三つ葉の香りが効いて癒し系のラーメンである。

 

二回目の朝日劇場である。ここでもお芝居に雪が登場。大量の雪でお芝居の臨場感を出しているが、よくこれだけの雪を劇場が許可すると思う。近頃そんな裏事情も気になったりする。片づけが大変である。大劇場とは違う大衆演劇の限られた中での工夫も観ていて面白い。伴奏に津軽三味線あり、太鼓あり。舞踏ショーの掛け声がみんな一緒にもあってこれは劇団によるのであろうか。関東のほうがそれぞれの感がある。関西のほうが役者さん同士のいじりのテンポが軽くて上手い。楽しめた。

 

映画で芦屋雁之助さんが、大阪と東京の感じ方の違いやなあとぼやく場面を思い出す。ちゃう。ちゃう。寅さんだけの特殊な感じ方である。これでお勘定をとふみさんに渡したお財布の中は・・・。お金が無くてもおたおたしてはいけないのである。