ヒッチコック映画『暗殺の家』『知り過ぎていた男』(4)

  • ドリス・デイが「ケ・セラ・セラ」を歌うサスペンス映画『知り過ぎていた男』(1956年)は、映画『暗殺の家』(1934年)をヒッチコック監督が自らリメイクした映画である。『暗殺の家』はイギリスでのトーキー時代の映画で、『知り過ぎていた男』はアメリカへ渡ってからの作品で、絶頂期の作品郡に入るといえる。
  • イギリスでのサイレント時代の作品もあって、『下宿人』(1926年)だけはみれた。『下宿人』で驚いたのは、下宿人が歩き回っているところをガラス張りにして下から撮っていることである。サイレント時代に、もうすでにこの手法を使っていたのかとヒッチコック監督の探求心に恐れ入る。同時セリフが無いだけに、登場人物の心理描写を映像で工夫して見せるという試みをしているのである。下の住人が上の下宿人の動向を気にしている気持ちを現わしている。表現方法に欠けている部分があれば、違う方法は無いかと追及するところが素晴らしいと思わされた。
  • 暗殺の家』と『知り過ぎていた男』は大幅に変えている。ある国の政府高官の暗殺計画があり、そのほんの一部の情報をある家族が知ってしまう。その情報を漏らさないように家族の子供が誘拐されるのである。子供の安全を考え、警察の手を借りることができず、夫婦は自分たちで子供の行方を探すことになる。探しているうちに暗殺計画があるということに行き着くのである。いつどこで暗殺が行われるかを知った夫婦の妻は暗殺を未遂に終わらせ、夫も無事子供を救出するのである。この軸は同じであるが、場所が全く違い、子供もも女の子を男の子と変え、人間関係の設定も全く変えている。22年目のリメイクであるから時代の流れの新しさも加味したのであろう。
  • 知り過ぎていた男』のほうを先に観ていた。どういう歌の入れ方をしているのかが気になっていた。今は医者の妻であるジョー夫人(ドリス・デイ)はかつてはミュージカル歌手であったが結婚して引退のかたちである。フランス領のモロッコに家族三人で旅の途中である。夫婦は旅で知り合った男と夕食に出かけることになっている。そのためジョー夫人は寝る前にと息子に唄ってあげるのが「ケ・セラ・セラ」である。この歌はよく歌ってあげてるようで息子もママと一緒に楽しんでいる。そして、この歌は息子が誘拐され、居場所が分かった時に活躍するのである。
  • 一緒に行くはずだった男は用事が出来たと夕食に欠席する。ところがこの男と次に会った時には、男の背中にはナイフが刺さっており、夫のベン(ジェームス・スチュアート)は謎の言葉を託されるのである。夕食の時隣席したイギリス人の夫婦が親切に警察に行っている間息子を預かってくれるという。ところが、この夫婦が息子を連れ去るのである。この夫婦を追ってベンとジョーはロンドンへ行く。
  • そして、アルバート・ホールでのオーケストラの演奏会で某国の首相の命が狙われるのを知るのである。オーケストラを指揮しているのが、映画の音楽担当のバーナード・ハーマンで演奏されているのが『スートム・クラウド』という曲らしく、この音楽も重要な働きをしている。最後のほうに大きなシンバルの音が一回入るのである。「バーン!」と、その音に合わせてピストルで首相を暗殺するのである。
  • この演奏場面は映画のオープニング・クレジットの時に映されて見る者を引きつける。そして暗殺場面でということで効果てきめんである。ジョーはこれを知って大きな声を出す。そのため未遂となるのである。命を救ってくれたお礼に後日大使館へと招待されていたので、息子が大使館に連れ込まれたことを知った夫妻は、その夜伺いたいと大使館に乗り込むのである。暗殺を指揮した人間が大使館の中にいたのである。
  • ジョーは歌手であったことから歌を所望される。夫はその間に息子を探すので妻に唄うようすすめる。ジョーは息子に聴こえるようにと大きな声で「ケ・セラ・セラ」をうたうのである。大使館の人は、普通はオペラを聴いているのであろうか。ジョーの歌に顔を見合わせ当惑ぎみであるが、そのうち楽しそうに耳を傾ける。ベンはそっと抜け出し息子の居場所を探す。息子は母の歌に口笛で答え、父が救出に飛び込むのであった。きっちりとサスペンス映画の流れのなかに「ケ・セラ・セラ」の歌は挿入されていたのである。
  • 暗殺の家』は、スイスのサンモリツが最初の舞台で、スキー競技などをしている。女の子がその会場で犬を放しちょとトラブルになる。そこで後に誘拐される暗殺団の首領と出会う形となる。母は射撃の名手でそこでの優勝者が、暗殺の射撃手となる。そして殺されるのが母とダンスを踊っていた知人で、ホテルの部屋のブラシをと告げて亡くなる。夫はその男の部屋の髭剃り用のブラシからメモをみつけ、暗殺団に口止めされ娘を誘拐されるのである。
  • 暗殺団のアジトは怪しい宗教の教会で、暗殺に失敗した暗殺団と警察との銃撃戦となる。夫は教会に娘を助けに行くが捉えられて怪我をしてしまう。娘は一味から逃れて屋根にのがれるが例の射撃手が追ってくる。母は自分の腕にかけ射撃手を射殺して娘を助けるのである。暗殺場面は、こちらもオーケストラの音楽が活躍し、合唱団員の顔をアップし合唱団の歌詞で緊張感を増していく。シンバルは『知りすぎていた男』より小さめであった。
  • 教会は『知りすぎていた男』でも出て来て、謎の言葉から探しあてるのはジョーであった。しかし、ここは一時的なアジトで、大使館がジョーの歌声の出番であった。このようにリメイクしたのかと興味深かった。あのオーケストラの一方でポップな「ケ・セラ・セラ」を挿入するとは凄い発案と実践力である。ドリス・デイはこの歌を始め子供の歌として気に入らなかったようであるが、自分のテレビ番組の曲としても使ったそうである。この後ドリス・デイの映画『二人でお茶を』をみたが、こちらはユーモアたっぷりの楽しいミュージカル映画であった。ドリス・デイのタップも軽快で、ジーン・ネルソンが階段を使ってのタップが見事である。
  • 追記: ヒッチコック映画50本鑑賞終了。 未鑑賞作品→「快楽の園」「山鷲」「下り坂」「シャンパーニュ」

京マチ子映画祭・映画『婚期』

  • 死語になりつつあるのかもしれない結婚適齢期の「婚期」。今は結婚する時が婚期よということになる。映画『婚期』は水木洋子さんのシナリオなのでずうっと観たかったのであるが、DVDは高いので出会えるまでと待っていました。コメディに仕上がっていて、映画館であまり笑い声を上げてもと控えつつ笑いました。水木洋子さんのがっちり社会派作品とこうした喜劇作の差がお見事。結婚適齢期に囚われている小姑が二人、離婚して一人暮らしの姉のところで兄嫁をこき下ろしている。言いたい放題である。

 

  • ではその兄嫁とはどんな人なのかと実家にカメラは移る。兄嫁の静は、家事に一生懸命である。ばあやが「奥さま、腰巻が出てます。」と注意する。「腰巻ではなく下着なの。」と奥さまはいう。スカートから下着が出ているのである。それが兄嫁の京マチ子さん。ばあやが北林谷栄さん。小姑の長女が高峰三枝子さん。次女・波子が若尾文子さん。三女・鳩子が野添ひとみさん。さて夫はというと、船越英二さんである。この夫、家に帰って来ても女たちの戦の中から逃避し、仏間でお経を読んだりするが、これまた曲者なのである。

 

  • 兄嫁と波子と鳩子姉妹の攻防戦が小気味よいくらいのテンポのよさで、その台詞の面白さに感心してしまう。そこへ、ばあやが加わるのである。波子は書道を教えこづかい程度の収入である。鳩子は劇団に入っているが一言台詞がやっとである。「おふろが冷めますからどなたか入って下さい。」「書道をみてしまわなければ。」「台詞の練習をしなければ。」いつものことと困ったもんだと引っ込むばあや。あくびの兄嫁。

 

  • こんなものではない。姉妹は、兄嫁宛に差出人不明で、兄の浮気と子供まであるという手紙を出すのである。兄嫁の様子を観察する姉妹。「バレたらどうしよう。」「ケ・セラ・セラよ。」出ました!ヒッチコック映画『知り過ぎていた男』の中でドリス・デイが歌う曲名である。日本でも「ケ・セラ・セラ なるよにになるわ」と歌われました。ついに姉妹は長女のところへ行くと家を出ようとする。そこへ兄嫁がお見合いの話しがあることを告げる。途端に態度が変わる波子。その変わり身がこれまた結婚願望の強い波子の現金なところである。

 

  • これほど「婚期」(結婚適齢期)という言葉をおもちゃにされていじくられている話もめずらしいかもしれない。『細雪』も雪子の婚期が問題であったが、この姉妹は「婚期」に条件をさげたりして果敢に挑戦している。兄嫁も「婚期」の後期に我が実家にお嫁に来ているのでそれも気に食わないのである。ばあやは長女の夫がふさわしくない人で、その結婚生活を見て波子と鳩子は結婚に幻滅したのがよくなかったという。しかし自活するだけの意気地もないので嫁いびりとなるのである。兄嫁が天然なのか、これまた反応が鈍いのである。それがまた姉妹には気に食わないのである。その感じがよくでている。

 

  • とにかくたたみかける台詞の面白さや応酬のテンポや間が快活で気持ちよいくらいである。そこへぼそぼそっと自分の考えをいうばあや。だれも真面目に受け取らないのがこれまた可笑しさを誘う。しかし行動もきちんとする。脚本のセリフを読んでも面白いのかもしれないが役者さんたちの腕でセリフもさらに生きたと思う。そんな中で、家長としての夫は地位を保つのであるが、外ではこれまた勝手なふるまいで、それでいてやはり女の知恵に四苦八苦である。最終的には誰の勝利となるのか。本妻は強しである。

 

  • 監督・吉村公三郎/脚本・水木洋子/撮影・宮川一夫/美術・野間茂雄/他の出演者・藤間紫、弓恵子、片山明彦、六本木真、中条静夫

 

  • 角川シネマコレクションとして京マチ子さんの映画のDVD化がなされ、嬉しいことにかなり手に入れやすい値段になった。水木洋子さんの映画シナリオで京マチ子さんが出演されているのは『あにいもうと』『婚期』『甘い汗』『妖婆』である。『妖婆』はまだ観ていないのでDVDを購入にした。

 

  • 水木洋子さん映画シナリオ作品は『女の一生』(原作・徳永直)『また逢う日まで』『せきれいの曲』『安宅家の人々』『おかあさん』『丘は花ざかり』『ひめゆりの塔』『夫婦』『愛情について』『あにいもうと』『にごりえ』『山の音』『浮雲』『女の一生』(原作・山本有三)『ここに泉あり』『驟雨(しゅうう)』『夜間中学』『あらくれ』『純愛物語』『怒りの孤島』『裸の大将』『キクとイサム』『おとうと』『婚期』『あれが港の灯だ』『もず』『にっぽんのお婆ぁちゃん』『甘い汗』『怪談』『氷点』『妖婆』の31本でさらにリメイク版が3本である。観れる予定がたっていないのが太字の7本である。

 

  • 池袋の新文芸坐で『没後50年 名匠・成瀬己喜男 戦後名作選』が3月12日(火)~22日(金)まで上映される。その中に『夫婦』と『驟雨』がはいっている。あらすじを読むと『驟雨』は観たような気もする。どちらにしても時間がとれないので残念である。調べたところ『驟雨』は2017年に神保町シアターで観ていた。ささやかな多少倦怠期もみられる夫婦の日常で大きな事件も起こらない。1956年の作品で、何も起こらないという日常が時代の流れの中から見るとかえって貴重で大切な時間である。

 

京マチ子映画祭・ 浅草映画・『浅草紅団』

  • アルフレッド・ヒッチコック監督作品の映画に没頭していたところ「京マチ子映画祭」を開催しているのを知る。(角川シネマ有楽町)京マチ子さんは、『羅生門』(1950年)、『源氏物語』(1951年)、『雨月物語』(1953年)、『地獄門』(1953年)、『鍵』(1959年)など、海外で脚光を浴びた作品に出演され、その演技力は周知の通りである。

 

  • しかし、その他の映画での京マチ子さんも魅力的で、この方の出ている映画は飽きないのである。リアルさとは違う独特の人物像を作って披露してくれるのである。驚いたのは『愛染かつら』で、田中絹代さんのイメージを変えて京マチ子版にしてしまっていたことである。映画の中での舞台映えがするのである。一応探しあてられるだけのDVDはレンタルして観たのであるが、今回は一挙に32本の映画上映である。

 

  • 映画『浅草紅団』は川端康成さん原作であるが、『浅草紅団』ではなく『浅草物語』のほうの映画化らしい。脚本が成澤昌茂さん、美術が木村威夫さんで、監督は久松静児さん。京マチ子さんは、女剣劇の紅座の座長・紅竜子役で地方をまわりをしてやっと浅草で興行できることになった。それも浅草の顔役・中根の力で、さらにその中根に子供の頃浅草寺そばで拾われここまでにしてもらった恩義がある。この顔役が悪い奴という定番である。

 

  • 中根が狙っているのは、おでん屋の娘でレビューに出ているマキの乙羽信子さんである。お金を貸して返せないなら俺の女になれという。マキは島吉という好きな人がいる。島吉の根上淳さんは、中根からマキを守ろうとして子分を刺し浅草から身を隠したが、島吉が戻って来たという声が飛び交う。マキは中根がねらっている島吉を浅草に来させたくないが島吉は浅草に顔を出すのである。島吉は上野で田舎から出てきた女に浅草に行きたいのだがと行き方を尋ねられる。地下鉄で一本だと島吉は教えるが、女は不安だから連れて行って欲しいと頼むのである。それは中根の差し金の竜子の誘いであった。竜子は気風のよい島吉を守る形となる。そして、竜子とマキの関係が島吉を通じて明らかになるのである。

 

  • 筋としては目新しいものではないが、マキの乙羽信子さんの笑顔の「百万ドルのえくぼ」が画面いっぱいにあふれ、明るく歌う。そして、京マチ子さんの剣劇が格好いいのである。マキと島吉を舞台の背景の道具の後ろに隠し、その前での立ち回りはたっぷりと見せてくれる。乙羽信子さんのえくぼと京マチ子さんの剣劇をを見れただけでも満足である。マキちゃん!竜子!と声を掛けたくなる雰囲気である。映画のなかでの観客はもちろん声をかける。京マチ子さん、リズム感があって動きがよい。それでいてピタッときまるのである。そして目力もたっぷりである。舞台映えの生きる映画でもある。それも浅草での女剣劇である。近い目線。当時の女剣劇の人気度がわかる。

 

  • 浅草寺から六区あたりもたっぷりで、時代設定としては瓢箪池の埋め立て工事が始まった頃としている。瓢箪池が埋められたのが1952年で映画『浅草紅団』の公開が1952年であるから同時代の浅草の映像である。久しぶりの映画館での浅草であった。浅草の映写とセットが上手く合って楽しませてもらった。