ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (2)

1953年(昭和28年)  『女ひとり大地をゆく』(亀井文夫監督)  『煙突の見える場所』(五所平之助監督)  『縮図』(新藤兼人監督) 『雲流るる果てに』(家城巳代治監督) 『蟹工船』(山村聰監督) 『にごりえ』(今井正監督) 『ひろしま』(関川秀雄監督)

女ひとり大地をゆく』  「これは北海道の炭鉱労働者が一人33円づつだしあって作った映画である」とクレジットあり。若い娘さんが売られていく貧しい時代の1923年から20年間炭鉱で働いた女性の半生である。その主人公が山田五十鈴さん。次男役の内藤武敏さんの話しによると、北海道の夕張炭鉱で撮影中、実際に労働争議が起りストになり坑内に入れずその後釧路の炭鉱で撮影したそうである。

煙突の見える場所』  原作は椎名麟三さんの「無邪気な人々」で脚本は小国英雄さん。映画は4本の煙突が場所によって本数が変わって見えるというキーポイントがある。原作の題名から小説の方も読みたくなる。家を借りている夫婦(上原謙、田中絹代)が借り賃の助けに二階二間を貸す(芥川比呂志、高峰秀子)のである。この家に赤ん坊が置き去りにされる。赤ん坊を巡って大人たちはそれぞれの行動をする。高峰秀子さんならではのフェイントぶりがこの作品でもうかがえる。

縮図』  そうそうたる役者さんたちが出演している。家族のために芸者になる銀子(乙羽信子)の半生を描いていて、人身売買に対する抗議の意味もある。明るく割り切って生きているように見える銀子はお金で縛られた芸者がつくづくいやになる。病で助からないと家に帰るが妹が亡くなり自分は助かる。また家族のために銀子は芸者に出る。乙羽信子さんの踊る「かっぽれ」に愛嬌があり、常に心の闇を奮い立たせている銀子がみえる。自然描写もみごとで雪国がいい。さらに照明のよさが白黒映像の味わいを堪能させてくれる。置屋の女将の山田五十鈴さんの演技力の振り幅にはまいってしまう。

雲流るる果てに』  出撃を前にした特攻隊員の心情と仲間意識を現している。迷いがないとおもっていた大瀧中尉(鶴田浩二)が号泣するのをみて怪我が回復していない深見中尉(木村功)も共に出撃する。空中の飛行機の映像は記録映像である。この記録映像に今までにはないほど涙がでた。飛行機に乗っている一人一人の生きた人間像が浮かぶからである。上官たちが出撃機の体当たり成功率で評価し、まだまだだ次はもっとというその痛みの無い様子には怒り爆発である。

蟹工船』  小林多喜二さんの原作の映画化である。山村聰さんが脚本・監督というのが驚きである。映画にも出演していて、わけありで船に乗るが海に投身自殺してしまう。蟹工船とは、劣悪な労働条件の中で蟹をとり缶詰めにする船である。家族のために恋人のためにお金のために乗り込む男達。これを仕切る会社のバックには海軍があり、現場の監督はその威力を借りてやりたい放題である。昭和初年の話しで我が国の北洋の蟹漁業はその名を世界に謳われていた。

にごりえ』  今井正監督の作品のなかで一番好きな作品である。樋口一葉さんの小説『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』を一作品ごと映画化しているのである。文学座が初めて総力をあげて取り組んだ映画で役者さんたちもそろい、演技的に安心してみていられ映画でえがかれた一葉さんの世界にすーっと運んでくれる。

井手俊郎さんと共に脚本を担当された水木洋子さんが書かれている。「私は敬愛する一葉の珠玉のような短編を心から栄誉を感じて、すらすらとよどみなく、あっという間に書くことが出来た。勿論日記を通読、当時の一葉の環境に自分が暮らしているような気持で楽しかった。」

ひろしま』  助監督に熊井啓監督の名前もある。音楽が伊福部昭さんで次の年の1964年にはあの『ゴジラ』の音楽である。独立プロ系の映画にも多く参加していて、重厚さと力強さが感じられるが『縮図』では星を眺めるシーンでは優しい旋律をつかう。

映画では延べ8万8千5百人の方々がエキストラで参加されている。

出演された月丘夢路さんがインタビューで話されている。松竹の専属の俳優だったが何かしたいと思っていた。自分の生まれ育った広島の映画なので出たかった。松竹に何回もお願いして出られるようになった。悲惨な状況を残したい。出てくるのが自分の行っていた女学校だし、当時のヒロシマの情景がよく再現され出られたということだけでうれしかった。街並みとか本当によくスタッフの人たちは再現してくれた。」

さらにこんなエピソードも。「日本航空が初めてアメリカへ飛んだ時招待されたが、調べたらこの人は『ひろしま』に出ているから来てくれるなといわれた。」月丘さんはその前の昭和26年にアメリカに興行でいき昭和27年一年間アメリカに滞在して色々勉強されていたのである。そしてアメリカの役者さんや歌い手さんが富を得たら社会に還元する意識を見て自分も何かしたいとおもったのである。アメリカの国から学んだのではなくアメリカの人から学ばれたのである。

その国とその国の人とは別に考えたほうがよいときもある。国は人を呑み込みたがる習性がある。

ひろしま』では最後に広島を行進する人々の後を歩くかのように原爆で亡くなった人々が起き上がり歩きはじめる。関川秀雄監督の映画『日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声』(1950年・東横映画)でも亡くなった兵隊さんたちの亡霊が起き上がるのである。何かを語りたい思いが胸にこたえる。

1954年に久我美子さん、有馬稲子さん、岸恵子さんが<にんじんくらぶ>を設立する。その前年の1953年の映画作品の素晴らしさを書いている。映画界は熱い時期であった。そして独立プロも大きく作用したと想像できる。

https://www.suocean.com/wordpress/2014/06/21

ひめゆりの塔』(1953年・今井正監督)は独立プロではなく東映である。水木洋子さん(脚本)は書いている。まだ沖縄に渡ることが出来ず、当時の傷病兵を訪ねて、ひとりひとりの行動を縦横の図式表につくり誰は何処で何をしたかを区分して群像の処理にあたった。「そして性格づけもタイプも生々と目に浮かぶようになって、やっと執筆にかかった。」 教師たちは必死で女学生を守ろうとしている。軍医も横暴ではない。音楽は古関裕而さんで、戦争とは思えない、若い命の美しさに添うように流れる。

追記: 『ひめゆりの塔』に関してはこちらでも書いていたので参考まで。

→  https://www.suocean.com/wordpress/2014/02/28/