映画『陰陽師』『陰陽師Ⅱ』(2)

『陰陽師』で安倍晴明を演じるのが、野村萬斎さんで、この人の起用がこの映画の成功の鍵であろう。権力争いには興味なく、自分が必要とされぬ世界を望んでいるのかもしれないが、そのあたりもノーコメントと言った感じでいながら、自分の能力には自信がある様子。なんとも、捉えがたき人物であるが、動き出すと古典芸能で鍛えられた身体表現を駆使して、シャープな動きをしてくれる。ぶつぶつ唱える言葉も特別に思え、その通りに力があるのである。

悪玉陰陽師の真田広之さんの道尊との闘いの場面も、晴明は武器を持たず狩衣の袖を大きくひるがえしたりして、鳥の羽のようであり、柔らかい布の起こす動きは優雅でいて剣よりも風を呼ぶ感じである。おそらくワイヤーなども使い飛んだり跳ねたりしているのであろうが、重心の決まった動きは、互いに武器を持つよりも迫力がある。

道尊は、人の権力欲や怨み、憎しみ等の心に火をつけその情念を大きくさせ災いをもたらすのである。そしてそのことにより、人を操り、自分の意の儘にしようとするのであるが、そこに立ちはだかるのが安倍晴明である。道尊はついに、桓武天皇の御代、無実なのに天下転覆の首謀者とされた、早良親王の霊をよみがえらせ、その恨みの心を利用しようとする。

早良親王の恋人だった青音は、桓武天皇から頼まれ、不老長寿の身となり早良親王がよみがえるようなことがあったらそれを、止める役目で生き続けている。この青音が小泉今日子さんで、出て来た時から不思議な存在で、この人は何であろうかと思わせ、途中でその役割が解かり、この展開も面白い。そして、生きつづけることの辛さを伝えつつ、恋人である早良親王の萩原聖人さんの心をなだめ、ともに死の世界に入って行くのである。

常に晴明のそばに蝶の化身の蜜虫の今井絵里子さんがいる。この蜜虫の登場も晴明の友人の源博雅が驚くような登場である。博雅の伊藤英明さんは、悠然としている晴明にとってかけがいのない友であり笛の名手であり、女性に惚れっぽい。しかし、晴明にとってかけがえのない存在であることも明かされる。月のそばで輝く二つの星は一つであってはならないのである。

『陰陽師Ⅱ』は、滅ぼされた出雲の人の復讐である。家族劇を神話と結び付けているが、神話をとってしまうと、父の野望に逆らう姉弟愛でもある。

滅びされた出雲の長・幻角(中井貴一)は息子・須佐(市原準人)を鬼に変身させ都を脅かす。幻角の娘であり、須佐の姉である日美子(深田恭子)は戦の時藤原安麻呂(伊武雅刀)に助けられその娘となって大きくなった。しかしこの娘は夜夢遊病者のように歩き周り安麻呂は晴明に相談する。そのことから、晴明の謎解きが始まる。

玄角は最終的には、須佐に姉のヒミコを食いちぎらせ、アマテラスとして岩戸に隠れさせてしまうのである。須佐はスサノオノミコトを意味するわけで、玄角はこの鬼と化かした須佐を使って朝廷に復讐を考えたのである。そうはさせまいと晴明は巫女となって岩戸の前で舞うのである。これまた、萬斎さんならではの出番である。アマテラスは姿を見せ、弟の須佐を諭す。須佐は、琵琶を愛する優しい若者であるが、父の力には抗えなかったのである。須佐は姉に従い二人天上へと去ってしまう。

家族に見捨てられた玄角は、一人力尽きてしまう。

『陰陽師』では博雅が死に、青音によって生き返り、『陰陽師Ⅱ』では晴明が死に、玄角によって生き返り、晴明と博雅は、やはりそばに寄り添う二つの星なのである。

付け加えると、歌舞伎の『陰陽師』の染五郎さんの晴明が、自分の出生をどこかで憂い、博雅の勘九郎さんの天真爛漫さを羨む心情は捨てがたいものがあった。

映像のスペクタクルな部分と、生で伝わる舞台のそれぞれの表現の形式の違いともいえる。その辺が表現形式の違いの腕の振るいどころであり、観る側の楽しみともいえる。

監督・滝田洋二郎/原作・夢枕獏/脚本・福田靖、夢枕獏、江良至(『陰陽師』)滝田洋二郎、夢枕獏、江良至(『陰陽師Ⅱ』)

映画『陰陽師』『陰陽師Ⅱ』(1)

映画『陰陽師』に至る。どうもまだ霞んでいて観るのを伸ばしていたが、伸ばしただけあってどうして平安京の貴族社会の時代の中で陰陽師が重用されたのか納得でき始めた。

映画『恋や恋なすな恋』の中で、京の天地に異変が続く。東では富士山が爆発したとの情報が流れ、京の空にも白い虹が出たり、金環日食のような現象が起きたりする。現代でも地底のことは予想できない部分が多いのであるから、平安時代はもっと不安がいっぱいの時代である。その時代の天文学の権威が加茂保憲で、その弟子に安倍保名と芦屋道満がいて、この二人のうちだれが師の後を継ぐかという話しが出来上がるわけである。

そういう時代を経て、安倍保名から子の安倍晴明の時代となる。そして安倍晴明を主人公とした物語ができる。その一つの形が夢枕獏さんの小説『陰陽師』で、それを原作として、歌舞伎になったり映画となり、現代とは異なった世界へ誘ってくれるわけである。そのブームからかなりずれての参加である。芦屋道満は晴明のライバルともされ、この辺は定かではない。架空の人物ともいわれ、悪しきライバルとしての位置にいる。

歌舞伎などでも、亡くなっている人を蘇らせて、それを操ったり乗り移ったりして悪事を働くという話しが出てくる。今回、大きく一つ解かったのは、京都には封じているものが沢山あるということである。亡くなったからそれでお終いですまないのである。その祟りを恐れて封じ込めているのである。関東は武士の作った地域であるから、神として崇めて終わりとしたり、どこか武士的発想であるが、京都の場合は、祟りをおそれて、封じ込めているが、いつそれがよみがえるか分からないという繋がりがある。それが、平安京の成り立ちから続いた貴族社会の名残とも言えるようである。

そこを、押さえると興味の無かった<よみがえり>も、平安時代の人々の畏怖の気持ちが伝わってくるのである。

それを考える材料となったのが、『京都魔界地図帖』(別冊宝島)である。今までなら目にも止らぬ内容である。本屋の歴史関係のところでスーと手が伸び気に入った。映画『陰陽師』『陰陽師Ⅱ』が、俄然面白くなる。

平安京は桓武天皇が遷都される。その前は、長岡京に遷都されるが、遷都の中心的役割をした藤原種継が暗殺される。その首謀者として桓武天皇の弟の早良親王(さわらしんのう)とされ、早良親王は自ら命を絶つのである。そのことがあって、長岡京の遷都を止め、平安京遷都となったのである。

今までの権力争いや、早良親王のあとの異変も大きく影響していたのであろうが、平安京は南は朱雀、北は玄武、東は清龍、西は白虎に守られた都なのである。北東は魔が入りやすい方角の鬼門で、それを封じるために比叡山延暦寺が位置している。

比叡山を創建したのは最澄で、桓武天皇は奈良仏教の勢力が次第に強くなり、そのことも考慮し、唐から新しい仏教を学んできた最澄や空海を認めたのである。

映画『陰陽道』では、それだけ魔界から守られた京にも、早良親王の霊を蘇らせる者が現れ、安倍晴明の出番となるのである。怨霊や物の怪などがでてくればそれを封じる結界が作られるが、安倍晴明の場合は五芒星(ごぼうせい)が結界となる。これも天文学や占星術などが絡まり合って一つの知識とされたのであろうが、これ以上はお手上げで、安倍晴明といえば、五芒星が結界となり、守ってくれたり、悪霊を封じ込めてくれるものと思って、はらはらどきどきしながらやったーと思うことにする。

映画に到達しなかった。結界を張られているのかもしれない。

 

舞台『おもろい女』

天才漫才師ミス・ワカナ>半生の舞台化で、藤山直美さんが演じられた。かつてテレビで、森光子さんが、ミス・ワカナを、藤山寛美さんが、相方の玉松一郎をされ、さらに森光子さんが舞台で演じられたそうであるが、観なかったのが不幸中の幸いとも言える。

ミス・ワカナさんについては、どこかで知りたいなあと漠然と思っていたのである。今回、藤山直美さんで出会えたのである。真っ白であるから、直美さんのミス・ワカナをギンギラギンの眼で観させてもらった。おもろかった。

ミス・ワカナがまくし立て、相方の一郎はボーッとしていてそのアンバランスに受けたという話しは知っている。漫才芸人や落語家を主人公にするドラマがあるが、その芸を披露するのは難しく、まあ仕方ないであろうと妥協するが、直美さんのミス・ワカナのしゃべくりは、おもろかった。ミス・ワカナに似ていようといまいとどうでもよいのである。そのしゃべくり自体が楽しませてくれたのである。

大正14年から昭和21年の敗戦直後、西宮球場での演芸会に出演し亡くなるまでのミス・ワカナさんの半生である。西宮球場が漫才などの演芸をみるために人で一杯に成ったと言うのにも驚かされた。それだけ戦争で人々は笑いに飢えていたのである。ワカナさんは激動の時代のなかで、時には薬に頼り、漫才という芸能を抱えて自爆したともいえる。

前進あるのみのワカナさんであるが、時には愛らしく時には凄味、荒み、自暴自棄の中からよみがえり、これから思う存分自由に漫才の時代だという時にこの世を去ってしまう。その起伏を演じる直美さんの身体表現と顔の表情が凄かった。こういう時のこのかたのそばには居たくないと思わせる鬼気迫る場面もあった。

一郎がそばにはいられないというのが納得できた。一郎役の渡辺いっけいさんはワカナとの夫婦のときもリードされっぱなしで、それで上手くいっていたのが一郎は置き去りにされる形となり、その難しいもどかしさをいっけいさんは、なるほどなあと思わせるかたちで表した。ワカナと離婚し、次の仕事の日時を告げ去る時の何事もないかのような、少しありそうな匂わし方も上手い。

九州の女興行師の山本陽子さんの鉄火な貫禄もいい。九州といえば、炭坑である。その男たちの賑わいの中での興行師である。と思わせてくれる締め具合である。

浪花の興行会社の女社長の気の回し方の正司花江さんは、それと対照的に争わず実を取るこまめさを表す。

そして、興味深かったのが、秋田實さんである。こんなにワカナさんのしゃべくり漫才に入れ込んでいたとは知らなかった。田山涼成さんが、常に穏やかにワカナさんの後押しをする。

詩人で作家、文芸評論家でもある富岡多恵子さんが、『漫才作者秋田実』を書いている。読みたいと思いつつ、上方漫才など判らないしと思っていたのであるが、ミス・ワカナさん、直美さんのワカナさんのお蔭で読めそうな気がしてきた。そのため、田山さんの秋田實もじっくり観させてもらった。

ミス・ワカナの生きた時代の渦の中で、何かしらワカナさんと接点を持ちつつ生きた人々がそれぞれの立場で生き方を求めるのが印象的である。そしてよく笑わせ、ときには、しんみりとさせてくれる。

漫才のために何でも吸収しようとするワカナさん。笑いのために、面白いものは天才的感覚で取り入れたワカナさん。次のステップがあるのにそのステップを踏むことなく消えてしまった。

直美さんは、同じように喜劇のために様々の舞台をこなされてきた。時には、これ直美さんがやる必要があるのかなと思うような舞台もあった。今回は、一つ一つ積み重ねられてのこれぞ藤山直美さんだと思わせてくれる舞台である。きちんと、次のステップを踏まれたのである。

作/小野田勇、潤色・演出/田村孝裕、出演/藤山直美、渡辺いっけい、山本陽子、田山涼成、正司花江、黒川芽似、篠田光亮、山口馬木也、井之上隆志、小宮孝泰、石山雄大、臼間香世、武岡淳一、河村洋一郎、菊池均也、戸田都康

日比谷・シアタークリエ  ~30日(火)

新派 『十三夜』『残菊物語』

三越劇場での新派名作劇場『十三夜』『残菊物語』である。

十三夜』は樋口一葉原作である。せき(波乃久里子)は、身分違いの高級官僚に請われて嫁いだのに、その夫は子供が出来ると出て行けよがしに辛く当る。親にも話さず6年間我慢したが、どうにも耐えられなくなり実家にもどり事情を打ち明け離縁をとってくれと両親に頼む。せきは考えたすえの事であるが、親の当惑することも知っていて、静かにひれ伏して事情の説明をする。母親(伊藤みどり)は同じ女として婿の仕打ち我慢がならない。気持ちよいくらいまくし立てる。しかし父親は、婿によって助かっている家の事情と孫を一人にするのかと諭し、せきは納得して帰る。

外からは何処かに駅があるのか汽車の発車の音がする。納得はしたが、せきの辛さを思うと、この両親同様の気持ちとなり、、せきが汽車に飛び込むのではと思いめぐらしてしまう。

せきは人力車に乗っている。ところが、この車夫が気まぐれでここで降りてくれと告げる。上野公園の中でここで降ろされては困るとせきは告げる。その車夫に見覚えがあった。幼馴染の録之助であった。名前を呼ばれた録之助(松村雄基)は驚く。彼は語り始める。それは、せきが嫁いでから荒れてすさんだ生活を過ごし、家を没落させ車夫になっていたのである。

誰も知らないが、二人はお互いに想い合っていたようである。せきはそれを知り、今の仰々しい姿で逢う自分を恥じている。言いようによっては、嫌味になるところを、素直に録之助が受け取る感じで言い二人を同等にした。そして、もう録之助の車には乗れないから、一緒に公園下まで歩こうといい、録之助も素直に無人の車を引いて歩きだすのである。良い幕切れとなった。二人の出会いは、二人に一瞬十三夜の明るさを取り戻させた。

原作は、二人の関係の差をだし現実味を加えている。脚本は久保田万太郎さんで、新派らしい幕切れとしたのであろう。波乃久里子さんと松村雄基さんは大人の儚い清々しさを出してくれた。父の立松昭二さんと、母の伊藤みどりさんは、男親と女親の違いを上手く出していた。(演出/成瀬芳一、尾上墨雪)

残菊物語』は、人気歌舞伎役者・菊之助とその弟の乳母・お徳が恋仲となり、親に勘当され、大阪に落ちるが役者として不遇な時を過ごす。少し認められた時、周りの勧めもあり、お徳は菊之助を親元に帰す。親の後ろ盾のお蔭もあって菊之助は成功し、お徳は死ぬ間際、女房として認められるのである。

菊之助(市川春猿)は、人気が自分にとって実体のない掴みどころのないもので、周りの女性達は騒ぐが、自分の人気に付きまとう実のないものと思って居て、弟の乳母・お徳(水谷八重子)にその純粋な実を感じ、想いを打ち明ける。ここの部分が、菊之助を取り巻く女達の争いなどでお徳との比較をするが、お徳の良さを見せるまでには至らず、お徳同様観ているほうも唐突であった。

お徳が怖れていたように、二人の仲は認められず、菊之助は勘当される。勘当の場面はよく纏まっていて、菊之助が養子で、実子が生まれたが、義父の菊五郎(柳田豊)は菊之助を跡目として考えているゆえの意見であるとしている。おそく出来た実子の乳母がお徳なのである。六代目菊五郎の名前など欲しくない。お徳と一緒になりたいと菊之助は主張し勘当される。菊之助を諌める兄(松村雄基)と義理の母(波乃久里子)の位置関係もいい。

菊之助とお徳は大阪に来ているがお徳は病気である。後ろ盾もなく良い役もつかないが、面倒見の良い周りの人達に助けられひっそり生きている。やっと、『伊賀越』の仇役・数馬で褒められたと喜ぶ。お徳は、菊之助の先輩たちが菊五郎の勘当をとく算段をしてくれている手紙を読み、自分は病気を治すため一人転地療養するからと言って、菊之助を菊五郎のもとに帰す。このあたりは、八重子さんがお徳としてリードし、役者しか知らない心もとない雰囲気の春猿さんの菊之助の後押しをする。

菊之助が成功し、船乗り込みで、晴れの姿を部屋の窓から眺める病身のお徳の八重子さんは後姿の形でその想いを表現した。船の提灯の灯りがお徳の顔を照らして横切っていく。その顔に当たる光が、菊之助の成功の光としてお徳にだけ当てられた特別の光である。このあたりは、照明の細やかさも加わり新派らしい美しさである。

なにくれとなくお徳の世話をする元俊(田口守)が、芝居小屋に駆け付けお徳の死が近いことを告げ菊五郎の許しも出て菊之助はお徳の所に駆け付ける。菊五郎も後から姿をみせ、お徳と菊之助は晴れて夫婦として認められるのである。ここで初めて菊之助の春猿さんは、心の底から自分の感情をお徳に激しくぶつけるのである。

芝居に歌舞伎を出すわけにはいかず、め組の火消の衣装でそれらしさを出した。そのあたりの事情もあり、芸道ものというより、恋物語に重心をおいている。

大阪での生活も周りが大阪弁でその雰囲気を出し、実際には見えぬが船乗り込みを使うことで、菊之助の晴れ姿を見せるという展開は上手いと思う。(原作/村松梢風・脚色/巖谷槇一・演出/成瀬芳一)

五月の歌舞伎座でお隣に座られたかたが、かなり年配の男性のかたではあるが、金沢から観劇にこられていたお客様であった。明治座、国立劇場(前進座)、中村座、歌舞伎座と観られてその日帰られるとのこと。北陸新幹線ができ楽になったと言われていた。学生時代から毎月出かけてこられているのである。観劇の時は進んで話しをしないのであるが、二言三言で話しが通じ、中村座は観ていないが、後は70%同じ意見であった。20%はその方の上方歌舞伎の面白さで、あと10%はかなり辛口のご意見だった。そしてその時、新派のある時は新派も観ますということだったので、暫く新派ご無沙汰だったので今回の観劇となった。以前は、京都、大阪にも行かれたそうである。今月は新派もご覧になったことであろう。

旧東海道・元箱根港~箱根峠~山中城址~三島宿

元箱根バス停から今度は箱根峠に上りそこから下って三島宿へ向かう。

実際には山中城址でバスに乗り帰路につき再び山中城址バス停から歩いて三島宿に到達したのであるが続けて書くことにする。

湯本から三島は様々な分割で数回訪れている。

芦ノ湖を写すことができた。最大難関と思っていた箱根湯本から芦ノ湖まで歩けたので気持ちが軽くなっている。先はながいのであるが。

芦ノ湖  

箱根神社の赤い鳥居が見えている。残念ながら富士山は見えなかった。

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葭原久保(よしわらくぼ)一里塚跡  日本橋から24番目

箱根旧街道杉並木

箱根旧東海道はそれまでの湯坂道を廃して、湯本、畑宿、箱根を廻る街道に改められた。この杉並木は徳川幕府が旅人に木陰を与えようと道の両側に植えたもので東海道では唯一のものです。現在は国指定史跡として保護されています。

箱根関所跡

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駒形神社

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箱根宿

芦川の石仏群

旧箱根宿の西側にあたる芦川の町並みを過ぎると箱根峠まで約四百メートルにわたって旧坂が続く。「向坂」」「赤石坂」「釜石坂」「風越坂

「芦川の石仏群」と呼ばれる多くの石仏はもと芦川集落内の駒形神社境内にあったものを移したといわれている。箱根でもっとも古い庚申塚や江戸時代後期に建てられた巡礼供養塔などがある。

向坂

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赤石坂

国道一号を挟んで両側に石畳と杉並木が残っている。

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釜石坂

この坂道に残る杉並木は芦ノ湖畔のドンキン地区、吾妻嶽地区、箱根関所付近の新谷町地区と並んで箱根旧街道に現存する江戸時代の杉並木です。四つの地区を合わせて約四百二十本の老杉が残っている。

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風越坂(かざこしざか)

江戸時代に敷かれた石畳は坂道だけで集落の中や平坦なところには敷かれなかった。

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挾石坂(はさみいしさか)

箱根峠にかかる坂で当時は荒涼としていた。三島宿までは四里(十六キロ)ちかくあり、こわめし坂、自転坂など難所が続く。

箱根峠のバス停  

国道一号線で急に旧街道から現代に戻される。

箱根の親不知御気地蔵)の案内板

大阪の呉服問屋の一人息子が道楽のすえ家を逃げ出した。老い先短い親は息子を探しに出る。この峠にさしかかったとき老人は持病の脚気でたおれてしまう。通りかかた若いかご屋が介抱するふりをして短刀で突き刺し財布を奪う。財布に見覚えが。殺した老人は実の親であった。息子は自害するが死にきれず苦しみつつ山中をさまよいついた宿であい果てたということです。

箱根峠の信号

この道でいいのかなと車に気を付けつつあるく。再び箱根旧街道の門がありほっとする。

現代の石碑が登場。

源実朝 <箱根路を我が越え来れば 伊豆の海や沖の小島に波の守る見ゆ> 橋田寿賀子 <おしん辛抱> など。

箱根旧街道 茨ケ平(ばらがだいら) の案内板

箱根旧街道の道はローム層の土で大変滑りやすかった。このあたりはい茨が生い茂っているので付近の草原を茨ケ平という。

井上靖箱根八里記念碑   北斗闌干

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是より江戸二十五里・京都百里の石柱   

道の両側から細い竹がアーチを作る。もしかしてこれが箱根竹か。これを束にして道に敷き詰めていたのであろうか。

接待茶屋の案内板

箱根山の接待は江戸時代中期、箱根山金剛院別当が箱根山を往来する人の苦難を救うため、人に粥、馬に飼葉、焚き火を無料で提供した。この接待所も一時途絶えたが、江戸の豪商・加勢屋与兵衛が再興。明治維新に中断。

明治十二年八石性理教会によって再会。その後鈴木家が引き継ぎ、利樹喜三郎・とめ、力之助、万太郎・ときら三代で昭和四十五年まで90年間救済し続けた。

そんな奉仕の精神で接待していた人がいたとは。実際に歩いてみないとわからないものである。有料でも助かったであろうに。

接待茶屋は函南町となる。箱根関所へは三十三町。約一里。

かぶと石  兜の形に似ているから。さらに秀吉が小田原攻めのとき兜を置いた石といわれている。もとは兜石坂にあったものを国道一号線の工事の際ここに移した。

兜を置いたかどうかは別として秀吉や名の知れた人そうでない人がたくさん通ったとおもうと箱根路も感慨深い。

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雲助徳利の墓   盃と徳利が彫られている。酒を愛した雲助の頭をしのんで仲間がたてたらしい。雲助というと旅人を困らす印象であるが頭がしっかりしていたのは旅人にとってもありがたいことである。

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駒形諏訪神社山中城址

山中城は北条氏が小田原城を防御するための城であったが秀吉に半日で攻め落とされる。土塁などが残されている。

同行したリーダーは私に合わせてくれてこの日はここまでの行程としバスに乗る。

違う同道者と次の出発は山中城址からである。先ず城址見学。障子堀などが綺麗に整備されていた。城址の好きな人はたまらないのでは。あまりにも整備され過ぎかな。城がないと興味が薄くなる者も面白かった。

旧東海道は工事中のため歩けない箇所がありました。

司馬遼太郎の箱根八里記念碑  幾億の跫音が坂に積もり 吐く息が谷を埋める わが箱根にこそ

富士見平の芭蕉の句碑  

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き

富士山見えず。

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笹原一里塚石碑   

箱根八里西坂・三島宿まで6キロ

小田原宿から箱根宿までが東坂。箱根峠から三島までが西坂

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こわめし坂を過ぎて題目坂

こわめし坂はあまりにも急な坂で背負った米が歩く人の汗と熱でこわ飯になったと言い伝えの坂。坂はアスファルトでとっとっとと進んでしまい時々足を横むきにして進んだ。

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自転坂を過ぎて箱根路の碑

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錦田の一里塚   

日本橋から二十八里。旧態を保っていて国指定史跡。 

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愛宕坂

1769年修理した記録がある。愛宕坂は長さ140メートル幅36メートルを修理したとあり当時の道幅がわかる。

旧東海道のすぐ右手に三嶋大社の鳥居が。簡単に三嶋大社を参拝。

広重の三島は三嶋大社を左手に朝霧の中の旅のようす。箱根峠に向かう人。朝きりの中に消えていく沼津に向かう人。風景だけではなく旅人のなったつもりで朝霧を肌で感じさせる。

問屋場跡

この施設は幕府の役人をはじめ街道を通行する公用の貨客を運ぶための人馬の調達を主目的としていた。問屋場のは問屋場年寄り、御次飛脚、賄人、帳付、馬指人足、送迎役などがあり問屋場北側には人足部屋が置かれ雲助と呼ばれた駕籠かき人夫の部屋があった。

箱根、小田原よりも交通量が多い三島は一か所の問屋場ですべてまかなっていた。相当数の役人や人足がいたと思われるが人馬の動員など人手不足であったと史料にあそうだ。

世古本陣跡

樋口本陣跡

伊豆箱根鉄道の三島広小路駅で終了。ここからJRの三島駅に行く。

【 寄り道 】

三島は散策して楽しい場所である。三嶋大社はもちろん他に古い建物もあり見学も好し水の流れに沿って歩くのも好しである。

今回は三島スカイウォークも出来たということでそちらと柿田川湧水群など訪ねた。

三島スカイウォーク

高くてながい橋である。

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スカイガーデン

お花がたくさん上から下がっていてお花の空間が眼を楽しませてくれる。

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柿田川湧水群

富士山の雪や雨が地下水となって湧き出てくる場所である。

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第一展望台から湧き水が出てくるのがわかる。

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第二展望台からは美しい水の色にお眼にかかれる。かつて紡績工場が井戸として使っていた。

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柿田川の上流が三島宿から沼津宿に至る一里塚と対面の石のある八幡神社のほぼほぼ近くである。。

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国立劇場 『壺坂霊験記』

歌舞伎鑑賞教室なので、学生さんが主客である。「歌舞伎のみかた」の解説があり、小さいが優れもののパンフも配布される。今回字幕表示もあったが、字幕表示を見ていると役者さんの演技を見落とすので、最初目にしたが忘れてしまった。

物凄い元気の良い学生さん達で、どうなるのかと思って居たら、場内が真っ暗になるとピタッとおしゃべりが消えた。幕が開くと何もない広い舞台である。花道のすっぽんから亀寿さんが上がってくる。効果的な出であった。歯切れよく説明され学生さん達も興味深々である。女形さんのお姫さまのお化粧から着付けまでの仕上げを見せ、映像つきなので細かいところまでよく判った。一緒に参加して女形の基本を教えてもらった男子学生さんも、笑いをとりつつ、楽しんでいた。

壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』は奈良にある壷阪寺の観音様が、眼の不自由な夫と献身さゆえの信仰深い妻との夫婦愛に、命を救い、眼も見えるようにしてくれるという霊験のお話である。

パンフ等の説明によると、『観音霊場記』というのがあり、西国三十三ヶ所の霊場を一つを一段として、三十三段で構成されているらしい。そのうちの一つが第六番札所の南法華寺で、壺阪山にあるので、「壷阪寺(つぼさかでら)」と呼ばれている。清少納言の『枕草子』にも出てくるお寺である。

浄瑠璃では、桓武天皇が奈良の都におられたとき眼病を患い、壺阪の尊像に道喜上人がご祈祷し平癒されたという言い伝えがあると語られ、眼病にきくお寺として名が通ていることがわかる。そういう事も踏まえ、『壺阪霊験記』が浄瑠璃となり、現在の歌舞伎となって残ったのである。

眼の不自由な沢市を亀三郎さん、お里を孝太郎さんでの舞台である。役者さんは二人だけで、最後は奇跡が起こるハッピーエンドである。舞台も「歌舞伎のみかた」の時には何もなかったのが、沢市の家、壺阪観音堂の前、谷底と三つの場面があり、何もない舞台に作られる舞台装置にも学生さん達は目がいったことであろう。

孝太郎さんと亀三郎さんは初役だそうであるが、声質が似ていて、気持ちが響きあう。孝太郎さんは、最後まであきらめず沢市を快活さも出しつつ励まし、沢市に夜な夜な夫のためにお詣りに行くのを、男があるのではと疑われ、時にはきりっと情けなさをあらわした。

二人で明るく壺阪にお詣りに来るが、沢市は三日間断食をして祈願するから用事を済ませにお里は家に帰るようにと、お里を家に帰す。そこからの沢市の絶望的な心の内と死までの過程を亀三郎さんは変化をつけ表現する。

もどって沢市のいないのが信じられないお里。貧乏にも耐えてきたのは誰のためなのか。お里の後追いにも嘘が無い。それを見ていた観世音が現れ、命をのばしてくれ、沢市の目を治す奇跡を起こしてくれる。その後の二人の倖せさは、花道の引っ込みで充分表現された。

若い人たちのせいか、幕が引かれての拍手の響きがよい。拍手の叩きかたにも年の差があるのであろうか。耳の錯覚か。

新橋演舞場 『プリティウーマンの勝手にボディガード』

熱海五郎一座 新橋演舞場 進出 第二弾><爆笑ミステリー>となっている。

ハリウッドスターのニコラス・ケイジ(パンフ買ってないのでどんな字か不明)をガードする、警備会社の面々とその社長の元奥さん。キャバレーの関係者。刑事二名。殺人未遂事件を中心に新橋演舞場のムーランルージュはグルグルまわる。

警備会社社長の元妻で、伝説の元SPで、ニコラス・ケイジに命を助けてもらった元16才の乙女である大地真央さんの参加である。成りきっていて、メンバーの突っ込みにも動じない。フリフリのドレスでアイドルとして歌ってしまう。他のメンバーが崩れても、微動だにしないさすが元宝塚トップスターである。

爆笑ミステリーであるから、観客も演者も、ミステリーに期待はしていない。解決しそうもないコンビの刑事。筋はあるが、その筋よりも、間に展開されるコント(と言っていいのでは)などの見せ場が楽しい。

三宅裕司さん(警備会社社長)と小倉久寛さん(キャバレーレビューの演出家)の<流される>の間は、ギター伴奏と歌を含めて絶妙である。渡辺正行さん(刑事)の上落語を受けての春風亭昇太さん(ニコラス・ケイジ)の下落語。三宅裕司さんのパソコンの指タッチに合わせた大地真央さんのタップ。渡辺正行さんの演技説明をする役目の東貴博さん(刑事)。たとえば「たそがれているんです」。ラサール石井さんの中途宙乗り。小倉久寛さんのダンスと側転もありました。

犯人は意外なところに。しかし、捜す気を起こさせないのが、爆笑ミステリーと知りました。

豪華幕の内弁当。いやいや、豪華コメディアン弁当で、どこから食べてもそれぞれの味わいがあるというところである。

恒例になっているので、二回目のカーテンコールも楽しみなデザートである。楽屋裏や、それぞれの観察眼などの話が口当たり微妙。録画カメラが入っていたが、かなり噛んでいて、大丈夫だったのであろうか。よく噛む人をネタにしていたのも適材適所である。

大地真央さんの音楽性は別格として、三宅裕司さんと小倉久寛さんには、思いがけずその点を楽しませてもらった。

レンタルで『たまの映画』というのが目についた。名前は耳にしていたバンドグループだが実態は知らない。三宅裕司さんのテレビ番組「いかすバンド天国」でブレイクしたらい。三宅さんの名前につられて借りた。このグループは解散していて、その後の各自の今の音楽活動を追っている。それぞれが自分のよしとする音楽を突き進んでいて、自分の歌を歌っている。こだわりは相当あるのであろうが、そのあたりを軽くかわしているところが、絡めとられることの煩わしさを知っての進み方なのであろう。三宅裕司さんの名前から、おそまきながら<たま>というグループのほんの僅かな部分に触れられたのは幸いである。好感が持てた。映画に三宅さんは出てこないので悪しからず。

音楽好きの三宅さんはビッグバンドを組んでいるようでチラシもあった。

さてさて熱海五郎一座は、熟し加減の素材を生かしつつ、これからも、笑いの世界を料理していくのであろう。器が立派で中身が少ない懐石料理にだけはしてほしくない。

白狐の「こるは」

保名』から『葛の葉』について書いたが、『白狐』が素晴らしい姿を現してくれた。

岡倉天心さんが、信太(しのだ)の森の葛の葉伝説をオペラの台本『白狐(びゃっこ)』として作られていた。そして、その作品の作曲の一部が見つかったのである。悲しいことに、そのかた村野弘二さんは、東京音楽学校から学徒出陣され、終戦を知らずに1945年8月21日に自決されていた。

1942年4月に東京音楽学校予科に入学され、1943年の11月に校内演奏会で『白狐』を披露、12月には陸軍通信隊に入営。その一年後にはフィリピンのマニラへ。ルソン島の山岳地帯では飢えと伝染病の為に多くの死者がでる。村野さんは見習士官であったが、マラリアにかかり歩くこともままならず部下を指揮することも出来ない状態で、覚悟の自決であったようだ。

村野さんの同期に作曲家の團伊玖磨さんがおられ、村野さんの作曲を「傑作」として楽譜を捜したが見つからなかった。その一部が発見されたのである。

白狐』の狐は<こるは>という名前で、この、<こるは>がピアノ伴奏で独唱する第二幕の楽譜の一部と「こるは独唱」のレコードも見つかったのである。

<お月さま きよらかなお月さま あなたの きよらかさを お貸し下さい>

詳しい事を知りたい方は、図書館ででも、「毎日新聞」の6月19日、20日、21日の朝刊のお読みください。

戦争によって夢多き時代に夢破れた人々の想いはどこかで息づいていて、姿を現してくれたり、捜し出してくれるのを待っているのである。余りにも多くの人々がいるので、村野弘二さんはその方々の代表として<こるは>を送り届けてくれたのであろう。

友人が、「読売新聞の19日の夕刊に谷崎潤一郎の佐藤春夫あての書簡が見つかったと出ているわよ。」と知らせてくれた。図書館でよんだが成程である。横浜の神奈川近代文学館での『谷崎潤一郎展』でも、谷崎さんと佐藤さんのその後の関係は円滑であったと思えたので驚きはしなかったが、谷崎さんの佐藤さんに対する信頼度を示す書簡で、谷崎さんの無防備さがわかる。 『谷崎潤一郎展』

もう一つ、同じ新聞に思わぬ発見をさせてくれる記事にあう。東京国立近代美術館工芸館の建物が旧近衛師団司令部であったことである。その日にこの工芸館を訪れていたのである。何回か訪れていて、いつも、古い建物だがいつ頃の物なのだろうとは思って居たが調べもしなかった。新聞の記事が無ければ、あの『日本のいちばん長い日』の舞台となった場所とは思ってもいなかった。 岡本喜八監督映画雑感

こちらは、21日までという「近代工芸と茶の湯」を観て、その作品の一つ一つの美しさに人間技なのであろうかと感嘆したのである。時代劇小説だったと思うが、銀と銅と金の合わせ方に<四分一>というのがあるというのが出てきてその<四分一>だけ記憶にあって、その水指があった。「これがそうなのか。」と想像していた色合いで嬉しくなってしまった。調べたら<四分一>でも色々あるらしいが、最初に出会えた色合いに満足である。

その場所が、時間の経過によって、全然違う想いの人間の感情を受け止めているのである。平和という時間が如何に大切な時間であることか。

ここに並べられるような技を具えていた人で亡くなられた方もいたであろう。こんなものは戦争の役には立たないとされ仕事を止められた方もいたであろう。見るのさえ出来ない時代である。

<お月さま きよらかなお月さま あなたの きよらかさを お貸し下さい>

<こるは>のこの願いの言葉と同じ想いでお月さまを眺める人は沢山いることでしょう。

気分回生には玉三郎舞踊集

気分転換でなくても当たると思うのが、玉三郎さんの舞踊集DVDである。明治座5月の『男の花道』で、猿之助さんが、歌右衛門がお風呂帰り花道を、長谷川一夫さんが、長唄の『黒髪』の独吟に乘って出るという情報を得た。猿之助さんの出がそうだったかどうかは、観た後の情報なので捉えていない。その程度の音感ということである。

ただ、金谷の宿でだったと思うが御簾から良い音曲が流れていたのは記憶にある。なんだろう後で調べようと思って詞を気をつけていたが、見事に忘れている。それはいいとして、『黒髪』が気になる。手もとには玉三郎さんの舞踊集の地唄の『黒髪』がある。やっと手が伸ばせる時間がめぐった。今回は詞の字幕、解説つきで観る。人の意見に左右されやすいので、解説つきでみるのは初めてである。こちらの想いの邪魔にはならなかった。次が大好きな地唄の『鐘ケ岬』である。もうはまってしまった。

舞踏集2と6を一気に観た。詞の重なり、枕詞、などなどもうたまらない。なんでこう遊び心を挿入しつつ人の想いを伝えられるのか。そしてそこに玉三郎さんの踊りがある。『鷺娘』など<妄執の雲 晴れやらぬ 朧夜の恋に迷いしがわが心・・・>とはじまり、最後は地獄の呵責の責めに合い死んでいくわけだが、その間に傘づくしなどがあり、傘を車に見立てた箇所では、『日本橋』のお孝を思い出す。『鷺娘』は舞台でも何回も観ているのに改めてその新鮮さに驚愕してしまった。

荻江節の『稲舟』は、最上川を渡る稲穂をつん小舟のことなのだそうで、最上川特有の風物だったそうだが、玉三郎さんは、遊女の恋という設定である。日本各地の風物も詞に入っている。

藤娘』では、近江八景が歌いこまれている。行ったところが半分、行っていないところが半分。この機に、今年は制覇しようなどと余計なことも考える。

保名』は、どうも中だるみしてしまう。<男物狂い>で気がふれて亡くなった恋人を捜したり、幻覚をみて恋人の打掛を恋人にみたてたりする。この作品は保名の美しさだけでは物足りないのである。具体的な物語は語られないのである。

そこで、大川橋蔵さんの映画『恋や恋なすな恋』を見直す。1962年の作品で監督は内田吐夢監督である。1959年に萬屋錦之助さんの『浪花の恋の物語』を内田吐夢監督が撮っていて、橋蔵さんの役の流れに違う流れも入れてみようとされたと思う。脚本・依田義賢、音楽・木下忠司、美術がのちに『トラック野郎シリーズ』の監督・鈴木則文、撮影・のちに任侠映画の吉田貞次。1962年には橋蔵さんは大島渚監督の『天草四郎時貞』にも出られていて、時代劇スターの変わり目の時期であることがはっきりしてくる。『天草四郎時貞』は、橋蔵さんに合わなかった。権力者と宗教、信者のキリスト教の解釈も絡んでくるので大島監督流の問題提起の映画である。

恋や恋なすな恋』は、保名(大川橋蔵)が天文博士・加茂保憲の一番弟子なのであるが、跡目相続の争いに負け、師匠の娘で恋仲の榊(嵯峨美智子)にも死なれ気がふれてしまう。その場面を踊り『保名』として作ったわけである。映画のなかでも保名は踊るのである。そのあと、狐葛の葉(嵯峨美智子)との場面となるが、保名に恩ある狐が、榊の妹・葛の葉(嵯峨美智子)になりすますのである。映画ではその場面は舞台上での物語として設定している。いわゆる安倍清明の誕生と狐葛の葉との別れである。幕がぱっと落とされたような場面展開や、一面菜の花での保名の狂乱振りなど映画と舞台との共存のようである。

最期は、病が治ったと思った保名は踊っていた保名で、恋人の小袖をかぶって伏してしまう。そして、狐の葛の葉の鬼火であろうか、石の周りを飛び回っている場面で終わりである。あの石は、保名なのであろうか。理解に苦しむ終わり方である。保名と榊との関係から舞踏『保名』が生まれ、保名と葛の葉の関係までは、歌舞伎や文楽では『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』がある。通しで観たくなる。

トントンとノックして返事の無い部屋に入り、様々な想いをもらって後にするプロの部屋は新たな気分を発酵させてくれる。素人に媚びたプロの仕事は爪痕しか残さないが、素人に媚びないプロの仕事は足跡を残す。時には、痕跡さえも消え、ふたたびノックさせるのである。

歌舞伎座6月 『天保遊侠録』『夕顔棚』

天保遊侠録』。十一代将軍家斉の時代とあり、この芝居の主人公、小吉の息子の鱗太郎が言うように、新しい時代のくる兆しのあった時代である。それは、小吉が、無役から役につこうと、向島の料亭で上役に接待し、上役が傍若無人という武士の腐敗した姿を映し出している。

小吉は後の勝海舟(鱗太郎)の父である。小吉は勝家に養子に入った人物で、養子でありながら成人してからも放蕩生活を続け、座敷牢に入れられた、その時期にできたのが鱗太郎である。それらの事はセリフで語られる。

武士の腐敗と小吉の生き方などを全てセリフで理解し、小吉の生き方から、到底我慢できる世界ではないということがわかる。観ていて思ったのだが、小吉が爆発して全てをぶち壊すのは、甥の庄之助が一同にばかにされてである。小吉は、庄之助の姿に役についた時の自分の姿を見たのである。鱗太郎はその父の姿を見て呑み込み、父に代わって若君のお相手としてお城に入ることを決めるのである。

今回、残念だが鱗太郎のセリフにさらわれて人情噺になってしまった。小吉の橋之助さんには、もう少し大きな小吉を見せてもらいたかった。小吉に対しては、姉である阿茶の局である魁春さんが、きちっと一同に言い渡してくれる。小吉が父として息子に見せたくない部分を息子はしっかりわかっている。小吉は自分の行動を理路整然とは語れず、啖呵を切るだけである。それがこの人の生き方であり魅力である。この時代の風の中で遊侠でしか自分を表せられない小吉である。そこのあたりの人間像をもう少し骨太に押し出して欲しかった。

かつて駆け落ちした八重次の芝雀さんとの最後の場面に、小吉の照れ隠しの本音が上手くおさまり、良い幕切れであった。勘三郎さん、三津五郎さん亡きあと、橋之助さんに対する期待が大きいゆえの感想になってしまった。

團蔵さんが、聞きやすいセリフで、ややこしいしきたりなどを説明してくれたので、小吉の押さえが効かなくなっていく流れ上手くかぶさった。庄之助の国生さんは、セリフの多い役だけに、時々言葉がはっきりしないのが残念であった。

夕顔棚』は、菊五郎さんと左團次さんは地そのものではないかと思われるような息の抜き方が楽しかった。お風呂からあがったお爺さんとお婆さんが、お酒を酌み交わしつつ、盆踊りのお囃子にのって昔を思い出しながら踊るのである。

清元と三味線を聞いていると、この老夫婦の若い頃の色気が彷彿としてくるから不思議である。このあたりに邦楽の艶の力を感じる。里の若者たちが二人を誘いに来て軽快に踊る。舞台がぱっと明るくなり良い感じである。里の女の梅枝さんと、里の男の巳之助さんのコンビがほのぼのとした健康的な色気を振りまく。

たわいない老夫婦の倖せが心地よい舞台となるとは、菊五郎さんと左團次さんのたわいなくはない舞台裏のありそうな芸道であろうか。