パソコンを閉じて旅に出よう

寺山修司さんの、『書を捨てよ、町へ出よう』を捩らせてもらった。加藤健一事務所 『請願 ~核なき世界~』を観に、下北沢の本多劇場に行った帰り、劇場の下にある名前の判らぬ、楽しいお店に寄る。様々な雑貨や本、CDなどが置いてあるお店で、眺めているだけで楽しい場所である。迷路のような雑貨の間に本が、分野別にあり、その分野が無造作でありそうで、結構こだわりで置いてありそうで手が伸びる。そして、『 回想 寺山修司  百年たったら帰っておいで 』(九條今日子著)、『 寺山修司とポスター貼りと。  僕のありえない人生 』(笹目浩之著)をゲットする。

<天井桟敷>の設立の様子や、当時の若者を魅了した演劇という異界が裏から見れるという著書である。お二人とも、私的なことをも含め深く係られていたのであるが、お二人の生き方が、自分の仕事の役割という事を客観的に捉える眼を持たれていて、寺山さんをまやかしの情念の方向に持っていかないところが爽やかである。

今回の四日間の東北の旅は、バスツアーを二日入れており、<青森三沢市寺山修司記念館>には寄れないのである。もう少し寺山さんの作品を読んでからのほうが良いかもしれない。寺山修司没後30年「寺山修司◎映像詩展」のとき、九條今日子さんの話を聞いている。元女優であり、寺山さんの元夫人ということであったが、思いのほか虚勢の無い方であった。この好印象が、『回想 寺山修司』の本に手が伸びた要因の一つでもある。それは当たっていた。きちんと回顧録になっており、この手の一度読めば結構の妙な甘さがないのである。最後に九條さんに寺山さんのことを託された、<修ちゃんのお母さん>は修ちゃんのために最善のことをされたわけで、それに九條さんは嵌められたのか、知っていて嵌ったのかその辺は想像の域である。

この「寺山修司◎映像展」では、笹目浩之さんが経営するポスター・ハリスカンパニー主宰でポスターハリスギャラリー(渋谷・文化村通りドン・キホーテの裏)でポスター展をやっていたのであるが、、そのあたりを探したが場所が判らなかった。時間も無かったのであきらめた。残念な事をした。

今回の旅に「青森県立美術館」を入れていた。白い建物も見たかったのである。何を展示しているのかも調べていなかった。常設展として、<寺山修司×宇野亜喜良 ひとりぽっちのあなたに>があり、寺山修司さんに逢えたのである。しかし、動かない展示物としての寺山ワールドは東京の街中で逢う寺山ワールドと違い、至っておとなしくうつった。青森に飲み込まれてしまったようである。それを考えるとあの、『田園に死す』の映像のインパクトが必然だったのか。『回想 寺山修司』の映画『田園に死す』の箇所で、民族考証として加わった田中忠三郎さんの名前があったのも嬉しい。田中さんを知ったのは、映画 『夢』 である。

寺山さんの作品は映像で、美輪明宏さんの『毛皮のマリー』を見ている。蝶を追いかける少年が誰だったのか覚えていない。少年は蝶を追いかけるのが目的か、捕まえてピンで留めるのが目的か、自分がピンで留められるのが望みか、逃げて自由に飛び回るのが望みか結論がない。飛んでは傷つき毛皮に包まれ、飛んでは傷つき毛皮に包まれ、そんな事を夢観ているのかもしれない。

どこかで蝶に出会うと、君はどんな少年に追いかけられてるのかと問いただしたくなる。

確か、映画『ビートルがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!』で、リンゴ・スターが本ばかり読んでいて、マネジャーらしき人に「本を捨てて町に出よう」らしき事を言われるところがあったと思う。この映画も、ドキュメンタリータッチで、歌謡映画的予想をして観に行って戸惑った記憶がある。

戸惑いは、前進か裏切りか、安住でないことは確かである。

 

日本映画黄金時代の<にんじんくらぶ>~三大女優~

伊東四朗一座と熱海五郎一座の合同公演 『喜劇 日本映画頂上作戦 銀幕の掟をぶっ飛ばせ~』 を映像で観ている。ゲストが小林幸子さんで、かつての映画界の五社協定を想起させる芝居である。

今回は芝居にも出てくる<五社協定>に対抗して設立した、<にんじんくらぶ>についてである。この<にんじんくらぶ>は、映画好きの先輩から聞き、そんなことがあったのかと驚いたものである。その後詳しいことが判らなかったが、池袋の映画館「新文芸坐」にその資料があり購入した。

「新文芸坐」で2010年(平成22年)に<にんじんくらぶ>を設立した三人の女優の特集を上映したようで、その時 『「にんじんくらぶ」 三大女優の軌跡』(藤井秀男編)の本を作ったのである。

三大女優  岸恵子 ・ 有馬稲子 ・ 久我美子

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日本映画の黄金期、俳優さんはそれぞれの映画会社の専属制で、他社への出演を制限していたのが<五社協定>である。岸恵子さんによると、木下恵介監督の『女の園』で共演した久我美子さんと意気投合し、五社協定への反乱を思いつき、有馬稲子さんを誘い、1954年に独立プロダクション<にんじんくらぶ>を設立したとある。

岸さんは、その設立の前年の名作も紹介している。『にごりえ』(今井正監督)、『東京物語』(小津安二郎監督)、『ひめゆりの塔』(今井正監督)、『雨月物語』(溝口健二監督)、『雁』(豊田四郎監督)、『縮図』(新藤兼人監督)、『地獄門』(衣笠貞之助監督)、『雲ながるる果てに』(家城巳代治監督)、『日本の悲劇』(木下恵介監督)。そして大興行記録を打ち立てた、岸さんと佐田啓二さんの『君の名は 第一部』(大庭秀雄監督)も、この年である。

岸恵子さんと久我美子さんが共演してお互いの考えに共鳴したきっかけの映画作品『女の園』は女子大での学生の学校に対する闘争を描いており、その撮影で共感しあったというのも面白い。この映画に出てくる他の女優陣も凄い。高峰美枝子、高峰秀子、浪花千栄子、毛利菊枝、東山千栄子、望月優子、原泉等である。学校と生徒の思惑の狭間に立ち犠牲になる学生も出て、木下監督の人間関係の複雑さと微妙さを描いている。

<にんじんくらぶ>の第一回制作作品は、有馬稲子主演、久我美子助演の『胸より胸に』(家城巳代治監督)である。『人間の条件』(小林正樹監督)、『もず』(澁谷實監督)、『お吟さま』(田中絹代監督)などがある。あの 映画 『乾いた花』 (篠田正浩監督)も<にんじんくらぶ>の制作である。1965年、『怪談』(小林正樹監督)で、製作費が嵩み興行後返済できず倒産となり、<にんじんくらぶ>も解散となる。

『人間の条件』も大ヒットしながら、松竹の買い取りより、製作費が越え、興行成績がよくても多額の赤字が残ったらしい。『人間の条件』にも『怪談』にも仲代達矢さんが出演されている。その仲代さんの<第二回 仲代達矢映画祭 6月7日~20日>が新文芸坐で開催されて、『永遠の人』・『怪談』の上映あと、仲代さんのトークショーがあった。残念ながら行けなかったが、仲代さんは、この『怪談』が<にんじんくらぶ>解散の一要因であることをご存じであろうか。キネ旬2位、カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞しているが、名作と興行収入とは比例しないようである。

<五社協定>も、それに反発した若き三大女優が引き起こした行動により、その後の独立プロの立ち上げとプロセスを模索する壁としての役割を果たしたことになる。<にんじんくらぶ>については、詳細を知りたかったので、これで少しすっきりした気分である。

岸さん、有馬さん、久我さんの三人が共演している映画を年譜から探したら一作品だけあった。1959年の『風花(かざはな)』(木下恵介監督)である。

旧家の息子と貧しい娘(岸)は、許されぬ恋愛のはて、橋から飛び降り心中をする。息子は死に、娘は生きのびる。そして子供を宿しており、行くところのない娘は、旧家の納屋で子供を産み、使用人としての扱いの中で子供を育てる。旧家のお嬢様(久我)が、何かと親子に心を注ぎ、息子(川津祐介)はお嬢様に恋心を抱く。この家を支えている祖母(東山千栄子)は、家のため八歳年下の夫を養子に向かえ周囲から陰口を叩かれ、それを見返すため孫(久我)の嫁入り先にこだわる。ついに祖母の気に入った嫁ぎ先が決まる。お嬢様も友人(有馬)のように東京に出ていき、自分の生活を打ち立てるようなことが出来る人間ではないことを悟っており、その結婚を受け入れる。

蔑まされて息子を育てた母は、お嬢様が結婚したらこの家を出て、息子と新しい生活をすると息子と約束していた。その日、息子はお嬢様への思いを立ちきり、母は今まで通ることの無かったあの橋を渡る。橋の上を花びらのように飛び舞う雪。

「風花は、晴れたお天気の良い日に、どこからか風に乘って舞ってくるこんな雪のことなんだよ。」

ただこの映画は<にんじんくらぶ>制作ではない。松竹である。岸さんの役の女性がどうしてもっと早くこの家を出ないのかと思ったのだが、今気が付いた。彼女は、自分の行動で、お嬢様の縁談に支障をきたしたくなかったのである。彼女は、姪と思っていたのである。他の家族の扱いがどうであれ、叔母としての心の中での彼女の立場を貫いたのである。

監督・脚本・木下恵介/撮影・楠田浩之/音楽・木下忠司/出演・岸恵子、有馬稲子、久我美子、川津祐介、笠智衆、東山千栄子、和泉雅子(久我さんの子供時代)

 

新橋演舞場 『天然女房のスパイ大作戦』

『天然女房のスパイ大作戦』の題名に <熱海五郎一座><東京喜劇><新橋演舞場進出記念公演>などと名うたれている。

<熱海五郎一座>とみると、伝説的な<雲の上団五郎一座>を思い浮かべる。映画にもなっているが、その生の舞台は映画では表せないほどの面白さだったようである。熱海五郎一座が目指すのは軽演劇で、その<軽演劇>の規定基準はよくわからない。判らないからその基準で観劇はしない。その場限りのお楽しみ観劇である。<東京喜劇>とあるからには、<青森喜劇>とか<那覇喜劇>とかあるのかどうか。<新橋演舞場進出記念公演>とあるからには、新橋演舞場は<熱海五郎一座>にとって、進出すべき劇場なのであろう。この舞台に立った演劇のジャンルと、芸人さんたちの多さに関係しているようである。その中に自分たちも入りたい。そのことは、三宅裕司さんがカーテンコールの後の挨拶で触れられていた。

あら筋は、妻が、夫が浮気しているのではないかの疑いから、夫の行動を調べている間に、夫が知らない間に男性下着メイカーに転職していて、その新製品の開発に苦労しており、その夫を助けるべく産業スパイとなって活躍、いや、混乱を巻き起こすというものである。その、天然女房が、沢口靖子さん。夫が三宅裕司さん。私立探偵が東貴博さん(深沢邦之さんとの交互出演)。夫の上司の小倉久寛さん。夫のライバルの渡辺正行さん。社長のラサール石井さん。スパイ学校の責任者、春風亭昇太さん。歌う産業スパイ(と思います)の朝海ひかるさんである。

朝海さんの役が曖昧なのは、歌唱力と動きに魅了されてしまうからである。歌詞がハチャメチャでる。なのに高らかに歌い上げてしまうと、何か価値ある歌を聴いた気分にさせられてしまうのである。歌っているご本人、歌詞を無視しているか、自分のなかで、歌詞を変えて歌われているに違いない。歌詞と歌唱力のギャップが可笑しい。

芝居の筋の中で、色々な組み合わせの、ボケと突っ込みを楽しむことになる。このバトル、熱海五郎一座ご贔屓の観客はその辺りをすでに飲みこんでいるらしい。私も他のゲストでのメンバーの舞台映像は2つばかり観ているので予想はついた。今回、私的に面白かったのは、沢口さんと昇太さんのコンビの場面である。どこかずれる(役的にも、波長的にも)二人の行動が可笑しい。コンビでありながら、それぞれがマイぺースに行動し、自分のとんちんかんさも相手のとんちんかんさにも気が付かないのである。常識の突っ込みの入らない場を作ったのはパターン化の羅列を救った。

一つ不満だったのは、沢口さんと三宅さんの場で天然女房が発揮されなかったことである。この夫婦の場で、この奥さんは本当に天然という雰囲気が欲しかった。夫を愛するがゆえの一直線の行動の可笑しさが薄かった。筋通りの天然に終わってしまった。

面白すぎた科白は、社長が、新製品開発に成功したほうに社長の椅子を譲ると渡部さんと小倉さんに言い渡したとき、小倉さんが、「机は譲ってもらえないんですか。」と云ったときである。こちらは、社長の座と思って居るのに、突然、椅子と机の関係が生じたわけで、この科白を聴いたときの自分の頭の中の回転に、それを起こした科白に大笑いしてしまった。ラサール石井さんが呆れながら、「机も譲るよ。」

昇太さんの小話。これは、毎回変えるのかどうか。落語家の意地の見せ所と思うが。受ける受けないは、その日の観客のバロメイター。

始まる幕前で早々、シンバッシーで万雷の拍手。東さん複雑。何もせずに受ける渡部さん。

これだけネタばれしても笑えるところはまだ沢山あるので、お探しあれ。新橋演舞場の花道や舞台装置が使えるのも、劇団の新たな挑戦だったのであろう。

作・吉高寿男/構成・演出・三宅裕司

 

加藤健一事務所 『請願 ~核なき世界~』

加藤健一さんと三田和代さんの二人芝居である。

舞台での三田和代さんは初めてである。こういう感じの役者さんであろうなあと想像してた以上に繊細な役作りをされていた。『請願 ~核なき世界~』。題名から重そうなテーマと思うが、しっかり論争しあっているのに笑いがあるのである。それは、三田さん役の妻・エリザベスがどこにでもいそうな女性でありながら、相手との関係を大切にしながら自分の意見も主張する女性で、切り込みつつもユーモアもあり、夫・エドムンドの返答にグサリと突くところは、見ている者を楽しませてくれる。考えていながら行動するときは、夫をも窮地に追い込むのであるが、きちんと説明するエネルギーには驚くと同時にエリザベスという人物の芯でもあり魅力でもある。口当たりのよい言葉で説明しようとはしない。逃げないのである。自分の考えを模索して自分の頭で考え間違いも起こすが、血の躍動感を感じさせる人である。そう思える、エリザベスを三田さんは造られた。

リビングで老夫婦がお茶をしながらそれぞれ新聞を読んでいる。エドムンドは新聞を読みつつその内容にイライラしている。そんな夫を軽く注意したり、いなしたり、妻のエリザベスはこうやって夫に寄り添って生きてきたのかなと思わせる。ところが、エドムンドは新聞の<全面核兵器反対>の請願広告の署名欄に、「レディー・エリザベス・ミルトン」、妻の名前を発見するのである。エリザベスは遂に話し合う時がきたと、夫と向き合うのである。エドムンドは、元陸軍大将であり、核兵器があるからこそ、その脅威によって平和が保たれているとの信念で英国に忠誠を誓った身である。その妻が何たることか。エリザベスは核兵器を今まで使わなかったが、もしヒットラーのような狂人がまた出現したら、使わないと言えるのか。無ければ使えないのであるから無くしたほうがよいとの考えである。

この核の問題から、お互いの過去のことなどが夫婦の会話として、観客に披露される。その会話が楽しいのである。エドムンドは軍事的作戦で交戦する。エリザベスは歴史的流れから交戦する。エリザベスは子宮がんを患っており、時々、腹部の傷みにお腹に手を当てる。そうすると、エドムンドは心配でエリザベスに駆け寄る。エリザベスは、自分の病気に対しオロオロしないでほしいという。そのことによって自分が優位になったりするのは潔しとしないように受け取れた。いつもと同じ状態で、意見を主張したいのである。この二人を取り巻く人間関係も判ってくる。最初にエドムンドは、戦闘の軍事作戦がいかに難しく神経を使うかを主張したとき、エリザベスは、それよりも人と人のコミュニケーションのほうが、ずうっと難しく神経を使うと主張する。ある意味では戦争か外交かと言っているようである。エリザベスはあなたのやっていることはゲームだとまで言い切る。そして、今度自分は、スピーチに立つと告げる。

ここで上手く補足出来ないのが残念であるが、こうした大きな話が、二人の今までの個人的関係と交差するのである。それゆえ、核兵器反対、賛成の議論のメッセージ芝居と思っては困る。この二人の会話を聴かなければ、二人の夫婦の歩んできた何処にでもあるような凹凸の機微は捉えてもらえない。そしてこの会話を成立させた作者の腕前と役者さんの腕前も納得してもらえないであろう。

エリザベスは自分の力で今解決するとは思っていない。次の世代、いやその次の世代に選択できる余地を残しておきたいのだ。そして、彼女は限られた時間しか残されていないが、このままいつもの通りに過ごしましょうと夫に告げる。意見は違っても、残された日常はこのまま、今まで通り。

二人にとって、考え方が違うからといって、それが何なの。二人で過ごした日常のほうがそんなことで壊れやしない。人間の日々の当たり前の時間、それがどんなに喜ばしいことか。何てことは言っていませんが、書いているうちにそんなふうに思えました。会話の巧みさは日本人は下手です。翻訳劇の面白さの一つは会話劇の面白さでもある。

自分の生き方に疑いのない エドムンドはこの、妻との会話、コミニケーションによって、その頑なさと妻との時間の短さに動揺する。エリザベスはそうなるであろうと、夫の性格をも冷静に捉えていた。だからこそ、これからも変わらぬ今まで通りの生活を望んだのである。

全て把握していたと思った自分の知らない妻を知る驚きと怒りを、加藤さんは頑固一徹から様々な感情に揺すぶられるエドモンドを見せてくれた。それは可笑しくもあり、プライドを保とうとする男の苛立ちでもあった。それでいながら、妻を失いたくない自分でコントロールできない感情も放出させ、エドモンドの今まで人に見せなかったであろう細やかさも伝えた。

チラシに 「三田和代さんと一緒なら、この夫婦の深い愛情のドラマを絶対に成功させる自信がある。 加藤健一 」とあったが、<絶対> という言葉、この場合は許せる。

これは、ラジオドラマにしても好い作品だと思う。

作・ブライアン・クラーク/訳・吉原豊司/演出・髙瀨久男

 

 

歌舞伎座六月 『素襖落』 『名月八幡祭』 

『素襖落(すおうおとし)』は、狂言の『素襖落』を歌舞伎の松羽目もの舞踊にしたもので、肩の力を抜いて楽しめる。ただ、初演の時の外題は『素襖落那須物語』で、太郎冠者が『那須与市物語』を踊る。

さる大名(左團次)が、伊勢参宮を思い立ち、同道を約束していた伯父のもとに太郎冠者(幸四郎)を使いに出す。伯父は留守で娘の姫御領(高麗蔵)が出立の祝いに酒を振る舞ってくれ、素襖まで与えられる。太郎冠者は、素襖を主人にとられては困ると隠し持ち帰る。お酒が過ぎて、主人の質問にも答えられず、上機嫌で小舞を舞い、小袖を落としてしまう。大名は素襖を拾い、太刀持鈍太郎(彌十郎)も加わり三人で踊りつつ素襖を奪い合い退場となる。

伯父宅での姫御領、次郎冠者(亀寿)、三郎吾(錦吾)の踊りがあり、賑やかなお酒となる。酔った太郎冠者は、壇ノ浦の合戦での那須与一が平家側の船上の扇を射落とした踊りと仕方話が繰り広げる。高麗蔵さんの姫御領が科白といい姿といいすっきりとしており、亀寿さん錦吾さんの踊りもきりりとしていて、幸四郎さんが「那須与市物語」入る雰囲気作りが出来上がっており、幸四郎さんの酔いながらの物語は洒脱であった。伯父宅を辞してからの酩酊ぶりも楽しく、ダレることなく、左團次さん、彌十郎さんとの素襖を挟んでの愉快な取り合いとなり息の合った舞台に仕上がった。

『名月八幡祭(めいげつはちまんまつり)』 実際にあった深川の芸者殺しが芝居となり、そのうちの河竹黙阿弥作『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』を池田大伍が書き換えた作品である。

母一人子一人で真面目が取り柄の越後縮を行商している縮屋新助(吉右衛門)が、自由奔放な深川芸者美代吉(芝雀)に惚れこむ。その場しのぎの美代吉は、新助の一世一代の決断の深さを理解できず、新助はその裏切りが許せず、深川八幡祭礼の夜に美代吉を殺す結果となる。美代吉の性格を知っている魚惣(歌六)は、新助にああいう女はやめておいたほうがいいと忠告し、まさか真剣に惚れているとも思っていなかった。祭りを前に宿賃も勿体ないから一日も早く田舎に帰るという新助を、深川八幡の祭りを見てから帰ったらいいと引き留めてしまう。そのことが、新助を美代吉の住む生活に係らせてしまうのである。

美代吉は、旗本の藤岡慶次郎(又五郎)を旦那にしている。それでいながら遊び人の船頭三次(錦之助)を情夫にしている。この三次が美代吉に博打のお金をせびり、美代吉はそのために借金がある。深川芸者として名を売る美代吉はお祭りのために百両の金が必要である。三次にまた金をせびられ、新助のいる場で三次に愛想尽かしをし、その場の気分で新助に借金を申し込む。新助は、田舎の家、田畑全てを売り百両こしらえる。ところが、藤岡が手切れ金として百両届けてよこす。お金ができれば、新助のお金に要はない。新助はいいようにあしらわれる。一途さゆえに新助は狂乱し、美代吉を殺してしまう。

それぞれの生き方の違いが明確に表現された。純朴な働き者が、自分には手の届かないと想っていた女性と一緒になれる喜びを吉右衛門さんは徐々に変化させ、一気に狂乱へと突き進んでいく。芝雀さんは、その場限り楽しければ好いという深く考えない姉御肌の芸者美代吉を作り上げる。そんな美代吉を姉御と持ち上げ、美代吉と同類の三次・錦之助さん。武士として綺麗な遊び方をする旗本の又五郎さん。それが、新助を落とし込む結果となる。もう一人、新助の人間性を見誤った面倒見のよい歌六さん。それぞれの生き方がどこかで、新助の本来の生き方を違う方向に変えてしまう作用をしてしまうのである。本水を使っての殺しの場面の後、新助は祭りの若い衆に担がれて花道をさる。月が、何事もなかったように美しいのが物悲しい。

 

歌舞伎座六月 『蘭平物狂』

『蘭平物狂(らんぺいものぐるい)』 この演目は、現松緑さんが、四代目を襲名したときの襲名興行演目でもあった。この演目は立廻りが半端でない動きで、見せ場のひとつでもあるのだが、襲名の時は不満であった。立ち回りが不満だったのではなく、息子繁蔵にたいする蘭平の慈愛が紋切型でこちらに響いてこないのである。今回はそれを一番期待し、今の松緑さんはどう表現するか楽しみであった。待ってた甲斐があった。特に繁蔵を探し繁蔵の名前を呼び回る時の一声、一声の抑揚が違い、どこにいるんだという焦りと不安が出ていた。そこを納得できたので満足であった。大河改め三代目左近さんがこれまた小さな身体を大きく見せての大奮闘である。

『蘭平物狂』は浄瑠璃の『倭仮名在原系図(やなとがなありわらけいず)』の四段目で、現在はこの段しか上演されない。在原とくれば業平で、在原業平といえば、『伊勢物語』のモデル、歌人で六歌仙の一人などが有名である。『倭仮名在原系図』は、業平の兄・行平(ゆきひら)の須磨に流されていた時の松風との恋物語に、皇位継承争いなどを取り込んだ話である。その話の四段目だけであるから、人間関係を理解し、立ち回りを楽しむとなると、頭の回線に油が必要である。さらに、この蘭平、刀物を見ると乱心するのである。凄い事を考えつくものである。このことを知っている行平は、蘭平が気に食わないと刀を抜いて蘭平を乱心させる。操ってしまうのだから恐ろしい。ところが、蘭平のこの奇病は計略のための偽りであった。蘭平は実は行平に滅ぼされた伴真澄(ばんのさねずみ)の子・義雄である。ところが、ところが行平はさらに上手で、蘭平=義雄と見破っていたのである。

行平(菊五郎)の奥方水無瀬御前(菊之助)は、夫が松風のことを忘れられず籠りがちなのを気にかけ、松風に似た与茂作(團蔵)の女房りく(時蔵)を松風としてめあわせる。喜ぶ行平のもとに罪人が逃げたという知らせがあり、その捕縛に蘭平(松緑)は刀物を見ると乱心するので息子の繁蔵(左近)を行かせる。蘭平は息子の事が気がかりで行平の言いつけも上の空である。怒った行平は刀を抜く。ここで、蘭平の乱心ぶりが披露される。ここは、行平が松風に与えた烏帽子と狩衣を使っての蘭平の踊りで、乱心を上手く使った見せ場である。

与茂作夫婦は、蘭平の素性を明らかにさせるための行平の回し者で、蘭平はそうとは知らず行平の罠にはまってしまい追われる立場となる。ここからが、立廻りの見せ場となり、追われながらも蘭平は、息子繁蔵はどこにいるのかと気をもみ心配にくれるのである。繁蔵は手柄をたて、与茂作実は行平の家臣・大江音人(おおえのおととど)の家来として、父を捕らえにくる。息子に対する慈愛から蘭平は繁蔵に捕らえられるのである。

このお芝居を見た時は、刀を見た時の乱心の面白さ、りくの松風になりすます可笑しさ、繁蔵は蘭平の息子という関係、大立廻りのダイナミックさあたりを楽しんだ。その後、行平の策略、蘭平の子を想う親心などが見方として加わり今回の『蘭平物狂』になったのである。

役者さんも若さまかせの躍動感のある動きから、内面の心情表現が加わり、二転、三転のどんでん返しがある話の筋と、それらが上手く舞台という時空の世界で展開され、観客と融合する沸騰点にまで高まり、消えていくのである。そういう経過を辿る芝居の典型が『蘭平物狂』にはあると思う。そして、左近さんの初舞台にふさわしい演目であった。いずれは、松緑さんの芸を捕らえなくてはならないのである。

 

歌舞伎座六月 『実盛物語』 『大石最後の一日』

『実盛物語』 浅草公会堂 新春浅草歌舞伎 (第一部)での『義賢最期』に続く話である。木曽義賢の妻・葵御前(梅枝)は義賢の子を身ごもっており臨月である。その葵御前を匿っているのが百姓の九郎助夫婦(家橘・右之助)である。そこへ清盛の男の子が生まれたら殺すようにとの命を受けて、斎藤実盛(菊五郎)と瀬尾十郎(左團次)が検分にくる。九郎夫婦は窮して、孫の太郎吉が琵琶湖で拾ってきた白幡を握りしめていた片腕を、葵御前が産んだと差し出す。実盛は瀬尾を帰るように仕向け、白幡を離さずやむなくその女の片腕を切り落としたことを語る。その女の名は小万。小万は太郎吉の母であった。その片腕の手から白旗を離す時、太郎吉が指を一本、一本伸ばしてやると動くというのも、『三十三間堂棟由来』と同じように子に対しての反応である。その小万(菊之助)の死骸が運ばれてきて、片腕をつけて呼ぶと生き返り皆に別れをいうのである。

葵御前は無事男の子を出産する。瀬尾は戻ってきて、太郎吉に討たれるように自ら仕向ける。実は、小万は瀬尾の娘だったのである。自分を討つ事によって、孫の太郎吉に源氏の家来となれるよう手柄を立てさせたのである。太郎吉は自分は武士になったつもりで、母の敵の実盛を討とうとするが、実盛は、大人になったら討たれてやると約束して去るのである。

「平家物語」を下地としているので、巻の七にある「実盛」では、手塚太郎光盛に討たれるが、この太郎吉が芝居のなかで手塚太郎光盛の名をもらい、実盛の最後の先のほうのことまでを想定してこの芝居は作られている事になる。思慮深い実盛を菊五郎さんは、重くせず晴れやかな別れとして演じられた。その中で、菊之助さんの小万は源氏側としての執念をしめし、息子の太郎吉にその意思を伝える道筋をつくるのである。出は少ないが、『義賢最期』から繋がる小万の心を通す必要性がここにある。

『大石最後の一日』 仇討を終えた内蔵助(幸四郎)の最後の願いは、赤穂浪士が英雄としてではなく<初一念>で奢ることなく最後を向かえる事である。内蔵助は細川家に共にお預けとなっている浪士磯貝十郎左衛門(錦之助)のことが気になっていた。内蔵助の勘は的中し、磯貝と婚約したという娘が男装して小姓となり内蔵助と面談する。娘おみの(孝太郎)は、磯貝のおみのに対する心は本心なのか、それとも大事の前の世間を欺く偽りだったのかを聴きたいという。内蔵助は磯貝が琴の爪を懐に隠し持っていたのを知っていた。内蔵助はおみのに会う事によって、磯貝に迷いの生じることを懸念する。しかし、おみのの覚悟のほどもわかり、磯貝にも世に心残りなく<初一念>で死を向かえさせたく、おみのと磯貝を会わせ本心を伝えさせるのである。ここに至る内蔵助の人をよく見抜く細心さと、大きさを幸四郎さんは腹で演じられた。磯貝の本心を知ったおみよは自害するが、その覚悟のほどを孝太郎さんはしっかり内蔵助と対峙し盛り上げる。磯貝は錦之助さんのはまり役で、迷いとそんな自分にうろたえる戸惑いを乗り越え切腹の場所にすすむ。そして最後の一日の締めくくりとして大石は<初一念>を胸に安堵して花道を去るのである。

一つだけ残念なところがあった。上使の荒木十左衛門(我當)が、切腹を告げる。そして、そっと、吉良家は断絶となったことを告げる。その言葉に幸四郎さんは、声高らかに喜びを表現された。ここは、歌い上げて欲しくなかった。喜びはわかる。内蔵助は押さえ、他の浪士たちの喜びで充分伝わり、内蔵助の心の内はいかほどであろうかと想像するほうが、全体の出来上がりからするとよかったように想う。今回は幸四郎さんは全て受けの深さで通して欲しかった。好みの問題である。

細川家の子息細川内記役の隼人さんがしっかりした科白で 平成25年12月国立劇場 歌舞伎公演 (1) の主税からさらに一歩成長されていた。内蔵助とおみの橋渡し役である彌十郎さんも好演であった。

歌舞伎座六月 『お祭り』 『春霞歌舞伎草紙』 

『お祭り』 やはりこれから書くことにする。仁左衛門さんの『お祭り』での歌舞伎座復帰は2回目である。兎にも角にも復帰され何よりである。始終ホロ酔いの心持よさそうな笑顔で踊られた。からみの若い衆は千之助さんである。大きくなられた。以前テレビで、仁左衛門さんが何か舞台のことで注意されたらしく悔し涙を見せた。でも仁左衛門さんの言っていることは間違ってはいない、正しいと言われていたのを思い出す。事実であるから一層悔しかったのであろう。これから、身体もどんどん成長し、長くなる手足のやり場に困るかもしれない。同じにやっても形がとれなくなることもあるであろう。仁左衛門さんの粋な鳶頭が、絡む若い衆をを軽くいなし、楽しんでいる様子がほのぼのとしていて、お酒の酔い具合に色気があった。千之助さんは仁左衛門さんにからみつつ、どうしてあんなに軽く踊れるのだろうと思われているかもしれない。三津五郎さんに続いて本当にお帰りなさいである。

『春霞歌舞伎草紙(はるがすみかぶきぞうし)』 出雲の阿国(時蔵)の一行が京に着き、華やかに踊る。出雲の阿国の恋人である名古屋山三(菊之助)が現れ楽しかった日々を懐かしみ、山三は阿国に新しい歌舞伎踊りが見たいという。この作は長谷川時雨さんで、山三は現身ではなく霊である。阿国と共に新しい趣向の歌舞を創りあげた楽しさを求め、さらに霊になってまでもそれを探す山三。時雨さんは山三の出現をこのように設定したのである。時蔵さんの阿国は貫禄充分で、若衆に亀寿さん、歌昇さん、萬太郎さん、種之助さん、隼人さん、女歌舞伎に、右近(尾上)さん、米吉さん、廣松さん等を引き連れている。若手の役者さんの踊りにも次第にそれぞれの個性が出てきはじめている。山三が出現したくなる艶やかな舞台である。

長谷川時雨さんは大変魅力的な女性である。夫で流行作家の三上 於菟吉(みかみ おときち)の援助をうけ、「女人芸術」を発行する。その際には、平塚らいてう、岡田八千代、柳原白蓮、神近市子、平林たい子、山川菊枝等多数が協力する。この雑誌から育った人も多く、林芙美子、円地文子、太田洋子、佐多稲子、尾崎翠などがいる。さらに与謝野晶子、岡本かの子、長谷川かな女、山本安英等が執筆している。女性でこれほど、様々な方向性の女性達に執筆の発表の場所を提供した人は他にいない。明治末から、大正初期には、歌舞伎の脚本を書き、六代目菊五郎等と舞踏の発表会を催している。少し探ってみると、スケールの大きな女性である。

昨年の11月には、三津五郎さんと菊之助さんが『野崎村』と『江島生島』をやる予定であったが、三津五郎さんが休演となり、菊之助さんが座長で頑張られた。この時の『江島生島』も長谷川時雨の作であった。江島(尾上右近)と生島(菊之助)の逢瀬と別れ、島に流された生島は気が触れて江島を想い彷徨うのである。菊之助さんがリードされたが、右近さんにとっては大役で江島の位の大きさに届かなかった。

機会があれば、他の長谷川時雨さんの作品も上演して欲しいものである。

遠州の三つの庄屋巡り

雑談から旅 で静岡の庄屋の事をかいたが、思いがけず、違う旅行会社で企画があり行くことができた。行きたいと思っていて1年で行けたのであるから早い巡り合わせである。

こちらは三つの庄屋を訪ねる日帰りバスツアーである。ご無沙汰している友人を一年振りで誘う。やっと声が掛かったかと思ったに違いない。前日から明日は雨で、それも激しい雨とテレビでは伝えている。これは天気は諦め、一日友人とのおしゃべりの日としようと、お互い考えることは同じであった。さらに、「彼女雨女だったかしら。」と考えたのも同じであった。ところが、実際には、見学中は強い雨にもあたらず、青空さえ見えたのである。暑すぎず却って好都合であった。

静岡県牧之原市の<大鐘家>  掛川市の<加茂荘>  磐田市の<花咲乃庄(大箸邸)> である。

<大鐘屋(おおがねや)>は、柴田勝家の家臣、越前(福井県)丸岡城家老・大鐘藤八郎貞綱がこちらに移住、大庄屋となり築いた建物である。直接関係ないが、福井の丸岡城は小ぶりだが存在感がある。城好きの三津五郎さんは、「質実剛健で、まるで古武士のような佇まい」と表現されていて、勘三郎さんとの初めての二人旅で訪れている。<大鐘屋>に話を戻すと、300年以上の歴史があり、長屋門と母屋は国の重要文化財に指定されている。長屋門の藁葺屋根の吹き替えに一千万かかるそうで、母屋はその6、7倍かかるとか。長屋門の藁屋根の組形も特徴があるらしい。関東では、庄屋ではなく名主と呼ばれる。<大鐘屋>は農業ではなく、前の駿河湾での漁業である。天井の高い母屋で、室内の天井は刀剣類を振り回せない様に低くなっている。裏にアジサイ遊歩道があるが、まだ時期的に3分くらいであるが、種類が多いので、こんなのもあるのだと色と種類を楽しむ。カシワの葉に似た葉っぱのカシワアジサイは白で、房になって垂れ下がり初めて見た。聞き間違いでなければ、日本古来のアジサイをシーボルトが西洋に持ち帰り品種改良したのが、あのおおきな西洋アジサイだそうである。上からは駿河湾が見えた。御当主が「漁業は日銭が入ります。農業は一年かけなければなりません。」の言葉を思い出す。蔵には書画のお宝があった。

<加茂荘>は、豪農で、江戸後期の建物である。昼食を先にしますと案内された。突然花々がわーっと目に飛び込んできたのには驚いた。花菖蒲で有名なのだが、菖蒲ではなくインパチェンスの花が上から垂れ下がっおり、アジサイなどの鉢植えがある。温室になっていて、鏡も上手く使い花に囲まれての昼食であった。食事は素朴な庄屋弁当である。そのあと、花菖蒲園と<加茂荘>の見学である。庄屋屋敷の前が菖蒲園で、満開であった。屋敷のほうは、庭を真ん中に建物があり、その曲がるところが、三、四段の階段になっていて廊下で繋ぐというよりも、大小の部屋で繋ぐかんじである。別棟に、石彫刻と志戸呂焼きの展示をしていて、志戸呂焼きを初めて知る。小堀遠州の「七つ窯」のひとつなのだそうである。

最後が<花咲乃庄(大箸邸)>である。大箸家は造り酒屋を営み、庄屋となった家柄である。建造物7件が国の有形文化財である。天保の石庭にあるドウダンツツジ2株は磐田市天然記念物である。天保の石庭の石は京都の鞍馬山から運んだもので、鞍馬山の石は敷石にしても、下駄ですり減ることはないのだそうだ。箱根の畑宿から箱根宿に行く道は、整備もしたのであろうが石は平になりすべりやすく、箱根宿から三島方面への道の石はデコボコしており、これは、歩く人の数によるのではないかと想像したのを思い出す。こじんまりとした庄屋屋敷であるが、庭の菖蒲を見ながら手打ちそばやうなぎを食せる。先祖は天竜治水工事にも尽力されたようである。二つの蔵には、勝海舟、水戸斉昭、西郷隆盛、小林一茶らの掛け軸や書があるが、説明文が判りづらく、収集したのか、なぜここにあるのかわからないのは残念である。

友人と、個人が頑張られて後世に残そうというのは大変なことであるとの同じ感慨であった。資料一つにしても保管と維持が大変である。展示品もここにこの品物があるのは、そういうことなのか、と引き付ける工夫も必要である。御当主のかたが説明して下さったが、次の代へつなぐのはなかなか難しいと言われていた。私たちのような旅行者もいるのであるからつながって欲しい。

バスの通る道の両側は茶畑である。新幹線や列車では見られない風景である。友人と、時代劇なら、絣を着た娘さんが並んで茶摘みをして、歌がつくよねと笑う。「八十八夜っていつなの。」「いつなんだろう。」

次の朝、テレビで偶然にも掛川辺りの里山の無農薬の茶畑を写していて、「八十八夜」は、立春から八十八夜数えるとか。なるほど、「夏も近ずく八十八夜、 野に も山にも 若葉が茂る」。

 

松竹大歌舞 中央コース 猿之助・中車襲名披露 (公文協)

演目は『太閤三番叟』『襲名口上』『一本刀土俵入』である。気構えなくても楽しめる演目である。

『太閤三番叟』 『三番叟』も幾つか種類があるが、『太閤三番叟』は<太閤>であるから、秀吉が舞う三番叟である。大阪城が出来上がったお祝いに、太閤(市川右近)自身が三番叟を舞うのである。正室の北政所(笑也)が翁を、側室の淀君(笑三郎)が千歳を舞う。笑三郎さんのほうが笑也さんより貫禄があり、北政所と淀君のタイプとしては反対の気もするが、それはこちらに置いておく。千歳は露払いをし、翁は国の繁栄と安泰を祈る。笑三郎さんは優雅に力強く、笑也さんは品格を持って舞われた。翁が去り、千歳が鈴を持って待ち構えていると、三番叟の右近さんの出である。軽快な出である。顔の作りが良い。金の剣先烏帽子に真っ赤な上衣に白の袴。黒い瞳がはっきりしていて、文楽の人形のようである。多少操りの要素もあるのであろうか。表情は崩さない。それがまたよい。身体はリズミカルに切れよく動く。柴田勝家の残党との立ち回りが舞いながら行われる。邪魔にならない立ち回りである。久方振りに右近さんの踊りを堪能した。

『四代目市川猿之助・九代目市川中車襲名披露口上』 幹部として片岡秀太郎さんと坂東竹三郎さんが参加された。猿之助さんは、中者さんとがっぷり四つに組みたいので『一本刀土俵入』を演目に選んだと言われた。原作者の長谷川伸さんとは縁があり、猿之助さんの祖父である三代目段四郎さんと高杉早苗さんの仲人でもあった。秀太郎さんは澤瀉屋の初演の『一本刀土俵入』では、子守りで出ており、竹三郎さんも出演していたそうである。中車さんは、猿之助さんと組める演目で喜ばれていた。(右近、笑也、猿弥、月乃助、弘太郎、寿猿、笑三郎、門之助)

『一本刀土俵入』 この組み合わせで観て一番感じたことは、花道の短いホールということもあってか、前半は駒形茂兵衛がお蔦に感謝し、最後はお蔦が茂兵衛に感謝して、二人の立場が対等であり五分と五分の関係になったということである。お蔦はいつ帰るとも知れない夫を待ち、酌婦として荒れた生活をしているときに関取を目指す茂兵衛に会い、お金と櫛、かんざしまで与えてやる。茂兵衛に、かなうかどうかわからないが光を見たのである。

茂兵衛は関取どころか博徒となっていた。ただ、お蔦の夫はいかさま博打をして追われる身となっている。茂兵衛が博徒だからこそ救えた底辺の家族である。茂兵衛もその家族に光をみることができたのである。茂兵衛のお蔦に何回もお辞儀をする姿とお蔦が茂兵衛に何回もお辞儀をする姿に、同じ底辺に生きる人のつながりが見えた。それは、ある意味、中車さんがまだ舞台役者の途中でもあるこが原因でこうした面白いかたちになったのだと思う。

前半はお蔦の猿之助さんが引っ張ていく。芝翫さんに習った形で演じると口上でいわれていたが、美しいお蔦でさわやかである。中車さんがリアルになる自分を消そうと意識しているのが垣間見えるので、そのほうが良い。そして後半での茂兵衛は、股旅者の恰好よさもあるのであるが、中車さんはまだそこまで出せない のである。そのことが、今まで見た『一本刀土俵入』では感じられない印象を受けたのである。それはそれでいいのだと思う。これが中車さんの声であるという声もまだできていない。科白まわしもである。映画やテレビの香川照之と別のところに自分を置いているのが判る。これが見えなくなった時歌舞伎役者中車の味がでてくるのであろう。歌舞伎役者猿之助さんと歌舞伎役者中車さんとの取組は始まったばかりである。