四世宗家新内仲三郎披露・七代目家元新内多賀太夫襲名披露演奏会

国立劇場大劇場での<四世宗家新内仲三郎披露・七代目家元新内多賀太夫襲名披露演奏会>大盛況でした。予定があり、前半だけ鑑賞させてもらいましたが、盛りだくさんで後半には菊之助さんと染五郎さんの踊りと津川雅彦さんの浄瑠璃もあったのですが、残念でした。

多賀太夫さんの浄瑠璃『道中膝栗毛 ー赤坂並木の段』には、こんな新内もあったのかと新内に対するイメージを拡大させられました。<赤坂並木>とありますが、赤坂宿まえの<御油の松並木>のことでしょう。弥次さんが狐のお面をかぶり、喜多さんを驚かすという流れで、三味線もその雰囲気の調子で、浄瑠璃の節回しとのミックスさがなんとも楽しいです。

『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)』は、歌舞伎でよく知っていますから聴いていてもよくわかります。『明烏夢泡雪(あけがらすゆめのあわゆき)』『蘭蝶』などは新内の代表作ですが、歌舞伎でよかったという記憶がなく気が乗りませんでした。ところが、『明烏』を『明烏異聞録』として朗読の語りを入れて三味線だけではない楽器を加えて新内とのコラボでやってくれまして、新内だけの『明烏』とは一味ちがうそれでいて新内の印象も深いものとなりました。

その前に『口上』がありまして、松本幸四郎さんが中央で紹介されご披露されたのです。歌舞伎役者幸四郎さんの声が国立劇場大劇場にぴしっと響き、よい口上となりました。高麗屋と新内仲三郎さんとのご縁は初代白鴎さんからのつながりがあり長いとの事。新内仲三郎さんの長男である剛士(たけし)さんが、祖父の名跡である七代目新内多賀太夫を襲名されたわけです。新内は直接生活の場に流れ親しまれた古典芸能でもありますが、時代の流れで今は劇場内での楽しみ方にかわってきています。そうした流れの中で、新・多賀太夫さんは期待されているかたです。

『口上』のあと休憩がありまして、面白いチラシをみつけました。『日本音楽の流れⅠ』「日本の伝統音楽の楽器に注目し、その音楽の歴史について紹介する新シリーズ〔日本音楽の流れ〕。第一回の今回は<筝>を特集し、多彩な筝曲をお届けします。」面白そうです。さっそくチケット売り場でゲットしました。

次の演奏『明烏異聞録』にお琴が二面加わっていました。お琴の音色を頭の中で浮かべると出てくる感じがありますが、それとは違う低い音のお琴が一面ありまして、その効果にも注目しました。チケットを買ってのすぐのお琴との対面で興味ひかれます。

その他、笛、尺八、パーカッションが加わり、語りは、風間杜夫さんと名取裕子さんです。そこに新内多賀太夫さんの弾き語りが加わるのです。そのバランスが絶妙でした。新内の弾き語りもきちんと浮き立ち、若旦那・時次郎と遊女・浦里の心中への物語性もしっかり構成され、そこに侵入するそれぞれの楽器の音色も無駄な添え物のまやかしの音ではないのです。

時次郎と浦里が船で逃げて逃げ切れるわけでもなくその上で心中するというのも終わり方としてよかったです。歌舞伎などですと、道行が長くないと見せ所が減りますので、船上での心中は駄目でしょう。良く計算された舞台でした。

この後、新内協会関係者の挨拶があり、理事長の鶴賀若狭掾さんの「古い物をどう伝え、新しいものをどう取り入れていくかが大事である」というようなことを言われていましたが、古典芸能の場合のあらゆるものの課題です。

鑑賞する側としては、迎合して鑑賞者の鑑賞する力を落としてほしくないでし、新しいからといって、その話題性で終わってしまっては、話題性だけを追う観客を育てることになります。

新内を味わうためには、国立劇場大劇場は大きすぎると思いますが、こうした大きな会もやりようによっては面白いという証明になりましたから、七代目新内多賀太夫さんのような若い力の活躍がこれから一層期待されることとなるでしょう。

神保町シアターで<映画監督成瀬己喜男初期傑作選>が始まっています。芸人ものも入っています。『鶴八鶴次郎』『歌行燈』『女人哀愁』は観ていますから他作品がお目当てです。そういえば、風間杜夫さんは、波乃久里子さんと、三越劇場で『鶴八鶴次郎』を演じられていますね。

ついでにとは失礼ですが、染五郎さんと猿之助さんの弥次・喜多コンビ、シネマ映画『東海道中膝栗毛<やじきた>』の宣伝紹介でラップをやっております。こちらも古いものと新しいものとをどう進めて行かれるのか、それぞれの分野での闘いは続いています。

先ずは、<新内>の世間様へのさらなる浸透が大きな任務とおもわれます。期待大です。

 

国立劇場『執心鐘入と琉球舞踏』と映画『電光空手打ち』

和歌山県日高の「道成寺」へ行った時に、琉球舞踏にも「道成寺物」があるというのを知り観たいと思っていましたがやっと観ることができました。

『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』で、美しい若者が一夜の宿を頼みますと、今親が留守だから泊めるわけにはいかないとことわられるのですが、若者が若松と名のりますと泊めてくれて夜中に語り明かそうと娘が若者のもとにきます。この娘は、若松を恋しく想っていた娘だったのです。しかし、若松は娘の行動に驚き、お寺に逃げ込み鐘の中に隠してもらいます。娘は追い駆けて来てその執心が凄いので、座主は若松を鐘から逃がし、娘を鐘の中に閉じ込めます。

祈り伏せ、鐘を釣り上げてみると誰もいません。鐘から・・・娘は蛇体の鬼女となって顔をだすのですが出方が予想していなかった展開で、こういう構成もあるのかとやはり観てみないとわからないものです。

琉球舞踏は足の動かしかたに特徴があります。摺り足であったり、少しつま先を上げたり、リズムよく足踏みしたりします。長い衣裳の時はわかりませんが、着物のすそが短くなるとよくその動きがわかります。

衣裳も、沖縄の紅型の美しい色であったり、芭蕉布の素朴な涼しげな布地であったりし、女性は長い上着の時は、中から白い細いひだの裳のようなものが見えたりします。上に来ている長着の持ち方も着物の前をきちんと合わせ、左右の手で乱れないように優雅に持つことを知りました。

静かに静かにゆったりと踊り心情を表現するものもあり、非常に力強いものもあります。

高倉健さんのデビュー作品が『電光空手打ち』という作品で、沖縄を舞台にしていまして、空手の修業をする青年の話しです。主人公・忍勇作(高倉健)は、自分が所属する空手の流派と相対する流派の名越(山形勲)から、空手は攻撃する武術ではないといわれ、その考えに心うたれ弟子になることを希望します。しかし、元所属していた流派からつけ狙われます。そんな時、陶芸家の娘・湖城志那子(浦里はるみ)から、空手を取り入れた琉球舞踏をみせられます。

この舞踏が素晴らしかったのです。これは、映画のために創作されたもので、実際の琉球舞踏にもあるのであろうかと疑問に思っていました。

『二才踊 前の浜(めえむはま)』は、浜の若い衆が踊るといった感じで、きりっと形のきまるところがあり、もしかしてこれは空手からきているのかなと映画をおもいだしました。やはり空手を取り入れてあったのです。

空手は、沖縄が発祥の地だったのです。沖縄の古武術でした。映画でも、沖縄の空手を東京の運動体育展覧会で披露するため、代表として名越が選ばれ東京にて披露します。そして志那子の踊りも披露されます。ここは次の映画『流星空手打ち』となります。映画製作にあたり、当てずっぽうではなく、琉球舞踏に関しても調べて、話しの中に組み込んでいたのです。

琉球舞踏でも小物が使われ、女性が肩にかけていた赤い手巾(ティサジ)を恋する男性に与え、男性は腰に巻いた紫の腰布を女性に渡し、それを女性が腰に締めて踊り、男女の恋の語らいの踊りとなります。

同じ男女の踊りでも、滑稽味のあるものもありますが、サラッと可笑し味を表し、くどい表現ではなく、沖縄の風土とも関係するのでしょうか。

頭に巻く布の巻き方も独特のもので、長い布を前から巻いてなどと観察してしまいました。紫がアクセントとなっています。そして、あの女性の美しい赤い笠。

琉球舞踏も奥が深そうです。今回二日に渡って開催されたのですが、一日だけ観させてもらいました。どちらの日にも『執心鐘入』が踊られ、これは琉球舞踏でも大作なのでしょう。

国立劇場では、旅で出会って観て見たいと思っていたものが東京で見ることが出来て嬉しいです。沖縄に行った時は、ホテルで観させてもらいましたがほんの一部でなのがわかりました。お隣のかたも琉球舞踏ははじめてで、能のような感じもあり驚いたと言われていました。機会があれば、また観させてもらいます。

道成寺・紀三井寺~阪和線~関西本線~伊賀上野(4)

沖縄の『執心鐘入』を観ることができたので、<福島県白河市歌念仏安珍踊根田保存会>のほうはいつであろうかと調べたところ、今年は、3月27日ということです。安珍堂に10時ころまでにいれば「安珍念仏踊り」が観られるということです。

 

 

国立劇場『復曲素浄瑠璃試演会』

国立劇場あぜくら会の会員を対象にした「あぜくらかいの集い」での催しものがありました。

途絶えていた曲の復活で、滝沢馬琴さんの『南総里見八犬伝』をもとにした『花魁莟八総(はなのあにつぼみのやつふさ』のうち「行女塚(たびめつか)の段」「伴作住家(ばんさくすみか)の段」の復曲をめざし、今回はその試演会ということですが、すでに、大阪・国立文楽劇場で試演ずみです。さらに「芳流閣の段」は、3月22日、大阪・国立文楽劇場で試演会があるようです。

この催しは、大阪でも友の会の会員対象で、今回の東京のあぜくら会は抽選で、当選して聴くことができました。『南総里見八犬伝』は歌舞伎では、国立劇場でも上演され、澤瀉屋一門のスーパー歌舞伎でもあるのですが、文楽では途絶えていたわけです。

床本は残っていて、深川の名コンビ、竹本千歳太夫さんと野澤錦糸さんが中心になって復曲に尽力されたのです。 素浄瑠璃の会 『浄瑠璃解体新書』

はじめ児玉竜一さんの解説があり、床本の資料は渡されていたのですが資料は読まないで、実際に聴いて内容の変化を楽しんでくださいと言われました。犬がでてくるが猫の役割にも注目とのことです。猫のところでの語りが、ある作品と似ているのでどの作品か当ててくださいともいわれ、浄瑠璃の後の座談会で回答を披露されました。回答は来月の歌舞伎『伊賀越道中双六』の岡崎でのお谷のなげきのところだそうですが、全くとらえられず、残念ながら、猫に小判でした。

場所は大塚村で、今の東京の大塚でのはなしで、犬塚信乃と浜路はロミオとジュリエットのような関係で、浜路は、信乃の父親・伴作の異母姉の亀笹と夫・大塚蟇六の養女で、両家は反目しています。さらに里見の重宝村雨丸もでてきますし、信乃は刀をみると震えあがってしまうという病ですが、その病もなおります。どうして治ったかというのも聴きどころです。

亀笹の可愛がっていた猫が、伴作が飼っている与四郎犬にかみ殺されてしまいます。これは何か起こりそうです。

「行女塚の段」は豊竹靖太夫さんと野澤錦糸さん、「伴作住家の段」は、豊竹亘太夫さんと豊澤龍爾さん、竹本千歳太夫さんと豊澤富助さんです。

流れに変化があり、伴作は、自分の腹を切るのです。そこからが長く、座談会でも(竹本千歳太夫、野澤錦糸、豊澤富助/司会・児玉竜一)、切腹するとそこから20分位ですが、ここでは40分はあり、これを語る太夫さんも力量がいるわけです。千歳太夫さん、座談会では力を使い果たしたという感じでした。

試演会ではなく、有料の会として聴く人の数を増やして欲しいですし、さらに人形がつく本公演として上演されることを期待したいです。なじみやすい『南総里見八犬伝』が、浄瑠璃でこんなにも因果関係が重層している作品となっているのかと新鮮でした。

座談会では、頭(かしら)はどうなるかというような話しもでてきまして、復曲は若い演者さん達の基礎能力が試される機会になり、さらに修練の場ともなるという話しもありました。録音で聴いて練習するのではなく、床本に全て書かれているのだから、本を読む基礎がなければだめだという事でした。

お話しを聞いていますと課題はたくさんありそうですが、すでに本があって、試演で評判がよいのですから、上演にむけてさらなる活動を進めていただきたいものです。その前に「芳流閣の段」、大阪の後、東京でもあることでしょう。

<芳流閣>の屋根の上では、犬塚信乃と犬飼現八がお互いのつながりを知らず一戦まじえます。<芳流閣>は滸我御所(古河御所)にあるとする架空の建物ですが、茨城県古河市の古河総合公園には、古河館跡があり、同じ場所に鎌倉円覚寺の末寺の徳源院跡があり、そこに古河公方足利義氏の墓所もあります。

この古河総合公園の「古河桃まつり」は緑や池を背景に白、ピンク、薄紅いの桃の花が見事でして、梅や桜とは違う可憐な明るさのある彩を楽しませてくれます。

 

民俗芸能『早池峰神楽』『壬生狂言』『淡路人形芝居』(3)

淡路人形芝居』は、人形浄瑠璃成立よりもずーっと前からあったのです。上方で人形浄瑠璃が盛んになるとそれを取り入れて座を作り巡業にでたのです。一番盛んなときは、40座以上あったそうで、今は淡路人形座だけとなりました。南あわじ市福良港に専用劇場があて定期公演をしているので、そこに行けば手軽に観劇できそうです。

女流義太夫の竹本駒之助さんのお話を聞く機会があり、駒之助さんが淡路島のご出身でその原点に興味があったのですが、この空気の中で頭角をあらわされていたのだとその才覚の一端に触れたような気がしました。 邦楽名曲鑑賞会『道行四景』

文楽では上演されない演目もあり、今回の『賤ヶ嶽七本槍(しずがたけしちほんやり)』もそのひとつでした。本能寺の変で小田春永(信長)が亡くなり、武智光秀も滅び、そのあとの跡目相続で争う柴田勝家と真柴久吉(秀吉)との賤ヶ嶽の戦いの中で、翻弄される足利政左衛門(利家)とその二人の娘がからむ複雑な人間関係の話しであります。

娘の深雪は出家して清光尼になり庵室にこもっています。そこへ、遠眼鏡を持参して父が現れ、久吉にも勝家にも加担しないで遠眼鏡で戦を見物するというのです。さらに、清光尼に還俗するようにうながすのです。遠眼鏡といい、還俗といい、何が始まるのであろうかと観ている方も謎が解けるのが楽しみです。

女中たちが遠眼鏡をのぞき、いい男がいるから清光尼に覗いてごらんなさいとすすめます。清光尼はこばみながら覗いてびっくりです。叶わぬ恋とあきらめて出家した相手、恋人の柴田勝家の息子・勝久が戦っている姿がみえたのです。父には還俗など何んという事をといっていた清光尼が恋人を眼にした途端に破戒するとして袈裟から姫の姿へともどってしまいます。浄瑠璃も歌舞伎もお姫様は大胆です。

観客席の後方からほら貝の音がして、戦う勝久と兵士たちの人形が登場し、深雪姫が見ている戦いの状況を通路にて再現してくれるのです。人形浄瑠璃では、初めての光景です。

父・政左衛門は、勝久は討死するからこの世では添えられぬ仲あの世で添い遂げよと告げ、父の本心を語ります。深雪の姉・蘭の方は、実は父の恩人の娘で久吉が後見の三法師の母君なのです。蘭の方はさらに滝川家に養女に入り、その養父が小田家に反逆した者なので、三法師の母として相応しくないから殺すように久吉から政左衛門は言われているのです。そのため義理ある蘭の方の身代わりになってくれと打ち明けます。

勝久が討ち取られたと知った深雪は、生きている意味もないと、父の手にて浄土へと旅立ちます。

政左衛門は、本当に久吉が三法師を奉るか疑って三法師を隠していました。そこへ、蘭の方の首実験のためにせ三法師を従えて久吉が現れます。疑う政左衛門の前で、連れていたのは実子・捨千代で、三法師への忠心のため久吉は自らの手で捨千代の命を奪ってしまいます。これが<清光尼庵室の段>です。

そのあと<真柴久吉帰国行列の段>で三法師を守り安土城へ向かう久吉の行列が続き<七勇士勢揃の段>では、賤ヶ嶽の先陣での久吉に仕える加藤清正ら槍の七勇士の戦支度の姿が紹介されたり戦いぶりが披露されて久吉は勝ちどきをあげるのでした。

戦いの場では、遠くの崖の上での戦いとして小さな人形を使い崖から落ちたと思ったら、前面で本来の大きさの人形が戦うといった趣向もあります。

文楽にくらべると、淡路人形はかしらが大きく、早替わりなどの趣向があるのが特色で、『仮名手本忠臣蔵』の二つ玉や『妹背山女庭訓』の入鹿御殿の段の早替りなどもあるようです。

とにかく長い歴史の中で培われたり守ってきた民族芸能ですから、まだまだ解説がありますが、個人的興味のあるさわりだけ参考にさせていただきました。こうした民族芸能がこれからも人々に広く知られ楽しまれ、永く受けつがれていくことを願うばかりです。

現地に行くことが出来たならば、芸能は観られなくても、想像のアンテナが反応してくれることでしょう。

 

民俗芸能『早池峰神楽』『壬生狂言』『淡路人形芝居』(2)

壬生狂言』は正しくは、壬生寺で行われる「壬生大念仏狂言」をさし、親しみを込めて「壬生さんのカンデンデン」とよばれていて七百年続いているそうで、この「カンデンデン」はお囃子を聴くとなるほどと思います。

お囃子は金鼓と太鼓と笛の三つで、始まりは単純な繰り返しで、狂言も無言のパントマイムの様相を呈しています。金鼓というのは、銅鑼のような感じで、木槌のようなもので打つのですが、それが<カン>となり太鼓が<デンデン>で、それに笛がはいるのです。金鼓のひとは、演者や観客に背を向けられていて、演者の様子は何んとなく感じているのでしょうが、単純なだけに集中力を持続するのが大変であろうなどと思いました。

起源は円覚上人が仏の教えを伝えるために始められた無言劇だったものに、能や物語を取り入れ庶民が楽しみやすい内容へと広がったようです。演者は全て面をつけます。

今回は、「道成寺」「愛宕詣(あたごまいり)」「紅葉狩」でした。「道成寺」は能と同じように白拍子が鐘の中に入り、中から蛇体が現れるというかたちをとり、上半身が鱗文様の衣装になっています。最初に僧が二人でてきてその二人が鐘を持ち上げようとして落としたり責任のなすりあいをして頭をかく様子などで可笑しさを加えてくれます。上手側の僧の仮面は伊藤若冲らが寄進したものだそうです。

「愛宕詣」は愛宕山の茶屋に母と娘があらわれ休んでいます。そこへ、供を連れたお金持ちがあらわれ、愛嬌者の供と茶女の駆け引きがあり、その内お金持ちは笠をかぶった娘がきになります。なんとかねんごろになりたいと思い供に言い渡します。着物の刀も差しだしてやっと承諾を得たのに、笠をとった娘は想像していたような美しい娘ではなかったという話しで、土器(かわらけ)投げのかわりに、おせんべいを観客に投げるという趣向つきです。

「紅葉狩」は、戸隠山での平惟茂(たいらのこれもち)の鬼退治ですが、この鬼は惟茂の刀を奪います。惟茂の夢枕に地蔵尊があらわれ、太刀を授けてくれ、地蔵尊の加護によって見事鬼を退治します。壬生寺の本尊が地蔵尊でもあります。惟茂がたすきをかけるとき<早たすき>といわれ、これも見ものの一つで、鬼が下がっている青紅葉をむしりとり苦しむあたりもこの狂言の独特な「紅葉狩」の面白さがあります。

壬生寺の大念仏堂(狂言堂)は能舞台のように橋懸りがあります。そして本舞台のほうには低い囲いがあり、演者がそこへ腰かけたり、足を乗せて凄さをみせたりという能舞台とは違う動きをもみせてくれます。壬生寺に行った時は新撰組がらみで『壬生狂言』の注目度ゼロでした。狂言のやっていない時でも狂言堂はみれるのでしょうか。見れるなら見たいです。今週には2月の節分会での狂言があり賑わう事でしょう。『壬生狂言』の定期公開は年間三回あるようです。

 

 

民俗芸能『早池峰神楽』『壬生狂言』『淡路人形芝居』(1)

国立小劇場での【第129回民俗芸能公演】が2日にわたってあり、見たいと思っていたものばかりで意気揚々とでかけたのですが、時間をかけて市井のひとびとが守り続けてきた芸能の重さと力に負けてしまい、どっと疲れてしまいました。しかし、観ておいて良かったと思います。月並みな言い方ですが、風雪を乗り越えて今にいたっているのです。庶民が楽しんでいたものだからと簡単に考えていましたら、どうしてどうして、こちらの気で返すことができなかったらしく、次の日ダウンでした。年末からの疲労の限界だったのでしょうが、この芸能で負けたのは満足です。

2日間にわたっているとはいえ、岩手県の『早池峰神楽』、京都の『壬生狂言』、淡路島の『淡路人形芝居』を観れたのですから贅沢このうえないです。国立劇場さんは、50周年記念企画の意気込みをこれからもお願いしたいです。

これらの伝統民族芸能に関して、書き始めは花道からの押し戻しのような体力の必要性を感じています。民俗学に関しては奥がずずずいーと深いので、パンフレットを参考にさせていただきつつ、こちらも確認しつつ思い出しながら書いてみます。

早池峰神楽』は<大償(おおつぐない)>と<(たけ)>の二つがあり、今は決められた日に公開されますが、かつては、Y字の右から左、左から右へと一年交代で集落をまわり、娯楽のない農繁期の人々にとっては、待ちわびていた楽しみでもあったのです。今回その両方が観れたのですから、かつての二年分を一気に観させてもらったのです。

調べましたら、花巻市大迫交流活性化センターで、第二日曜日を「神楽の日」として神楽公演をしているようです。

能、狂言の前に猿楽があり、「都で流行していた猿楽が、各地を行脚(あんぎゃ)する山伏たちによって東北地方に運ばれ、それが残されたのではないか」(本田安次氏説)ということなのですが、山伏というのは、今でいえば映像の電波のような役割をもしていたことになります。

義経を逃がす時山伏と強力となってというのも、道なき道を歩いていたとしても怪しまれません。ただ関所は難関です。そして『勧進帳』のようなドラマが生まれます。『黒塚』も、はるかかなたの熊野のからの阿闍梨と山伏ですから、老女・岩手がもしかして救われるのではと期待をふくらませるのもわかります。

神楽のほうは、<大償神楽>が、鳥舞、天降、鐘巻、<岳神楽>は、天女、五穀、諷誦、権現舞が披露されました。最後の権現舞は常に最後に舞われるもので、獅子の頭が舞台に捧げられていて、『鏡獅子』と同じようにそこから踊り手は下舞のあと獅子頭(ししがしら)を受け取るのです。この獅子頭は、旧南部藩領内では「権現様」と呼ばれていているそうです。獅子舞と同じように、権現様の幕にひとが入り舞います。

この舞以外には頭に鶏を付けた鳥かぶとをかぶっています。鳥かぶとの下には左右にシコロ板というのが下がっていて、動きによってそれが動いて羽が動いているように見えるのです。「鳥舞」は舞うのは男性ですが、着物は女性物です。

鶏は、私たちにとってなくてはならない存在です。鶏の命をもらって、自分たちの命をささえているともいえます。かつては農家の庭を走りまわっていたり田舎の家には鶏小屋があったりして卵の恩恵にあずかっていました。鳥かぶとの横には、赤と緑の葉っぱのような上に白い丸が描かれていて卵を意味しているのでしょう。

色々な神様との関係があるのですが、個人的にはそれよりも、人と鶏が一体になって踊るところに、この神楽の<命>に対する土着性のようなものを感じました。

「鐘巻」は道成寺ものですが、安珍、清姫ではなく、鐘巻寺が女人禁制のためその寺の鐘の緒を切って蛇になるというのです。凄い女子力です。蛇は、白い布を棒に結んで控えている人がいて、その白い布を持って肩にかけて離すといった感じで、巻くまでにはいたりませんがヒューヒューという蛇の鳴き声が聞けます。

「天女」は、女性用の着物の上半身を脱ぎ後ろにたらし、綺麗いなブルー系の上半身の着物で、白い二枚扇で舞います。「諷誦(ふうしょう)」は、荒々しい神が悪神悪鬼を退治するというもので、二本の刀を使い、演者さんは肩で息をしていました。

「早池峰神楽」と早池峰に住む人々を映像にしたのが、羽田澄子監督の『早池峰の賦』です。悔しいことに昨年観逃してしまったのです。1982年の作品ですので、35年前の地元の人々と神楽の関係が残されているとおもいます。出会えるのを楽しみに待つことにします。

 

国立劇場 『日本の太鼓』

国立劇場での企画公演『日本の太鼓』が9月24日25日の二日間おこなわれた。残念ながら24日しか観覧できませんでしたが、日本の民俗芸能の深さと新しさを堪能させてもらいました。

太鼓を劇場で聴いたのは、山下洋輔さんと林英哲さんのセッション、玉三郎さんと鼓動共演の『アマテラス』、長唄の伝の会での太鼓とのセッションは記憶に残っています。林英哲さんは他でも聴いたような気もしていますがはっきりしません。あとは友人が太鼓を習い始めその発表会に本人の出番は絶対に来ないでとのことなので、その指導の方たちの出番の時間に聴きににいったことがあります。

その友人の練習の話しで腕を伸ばすように言われるけれど、しっかり伸ばすと打つのが遅れてしまうというのを思い出しなるほどと思って見ていました。皆さん綺麗な態勢で打たれていますが、それだけの修練をしてのことなのでしょう。そして以前よりも、そのリズム感と強弱を快く受け入れている自分がいました。

鶴の寿』『八丈太鼓』『尾張新次郎太鼓』『石見神楽 大蛇』『千年の寡黙2016』『七星

鶴の寿』は国立劇場開場50周年を祝してこの公演のために邦楽のお囃子方の藤舎呂英さんが作られたもので、曲は鶴の飛来、朝焼けの景色、五穀豊穣と泰平の世という三章からなり、舞台は太鼓を中心に据え、鼓でそれを末広がりに位置するという構成で見た目にも新鮮でした。

パンフは読まないで曲の内容は気に留めず、ただ、音に聴き入っていました。途中で唄が入りましたが詞が聴き取れなかったので、声も一つの音として聴いていました。音が空気を押し開いていくような感じでした。(藤舎呂英連中)

八丈太鼓』は、聴いていると八丈島へ行きたくなります。パンフの説明によると関ヶ原で敗れた宇喜多秀家公が流された島でもあります。「八丈太鼓は、武器(刀)を失った流人が、その鬱憤を二本の桴(ばち)に託して打ち鳴らしたもの」でもあるとのこと。お祭りの太鼓として聴いていましたが、一つの太鼓を両面で二人で打ち軽さよりも重層感に充ちていましたので、説明を読んでなるほどとおもいました。(八丈太鼓の会)

尾張新次郎太鼓』は、友人の指導者が愛知出身で小さい頃から太鼓をやっていたらしく名古屋は盛んらしいと聴き、どうして名古屋なのか、太鼓といえば島とか漁港とかだろうにと思っていたので引きつけられました。そろえた膝から上半身を立て中腰で太鼓を打つのを初めて見ました。右に長胴太鼓、真正面下に締太鼓(しめだいこ)を置き、左右のバチで連打するのです。そしてバチをくるくると手の指で回しながら打つということも加わわり曲太鼓といわれています。落としてしまうこともありますが、すぐ用意しているバチを持ちあっという間に何事もなかったように進みます。これも見事でした。

説明によると、愛知県の西部、尾張の地で育まれた熱田神宮の神楽から発生しており、秋祭りを復活させることに生涯を捧げた西川新次郎の名前に由来していて、それを保存されているのです。

もともとは個人打ちだったのが、昭和55年の国立劇場『日本の太鼓』出演以来数人による揃い打ちが主流となったということで、揃い打ちのほうが見応え、聴きごたえがありました。このように劇場から新しい形態が発生していくのも継承にとっては刺激となり良いことです。

曲太鼓は江戸時代の名古屋城下町を取り囲むように、その北部から西部の農村地域に分布する太鼓芸ということで、愛知と太鼓の盛んな関係がわかりました。(尾張新次郎太鼓保存会)

熱田神宮は旧東海道歩きのとき、予定を完歩してから友人の御朱印もあるので寄ったのですが、駅から想像よりも遠い位置に入口があり、二箇所で御朱印が貰えてその場所が離れており、慌ててお詣りをして走り廻り時間内に無事御朱印を貰えた思い出があります。走りの熱田神宮でした。

石見神楽 大蛇』(いわみかぐら おろち)は、チラシに作り物の大蛇が写っていたのでこれまた楽しみでした。石見神楽は島根県西部石見地方に伝わるもので、明治になって神職演舞禁止令がでて土地の人々が受け継ぐことになったのですが変化しすぎたので国学者たちによって神楽台本が改訂され今に至っているそうで、神話を基本にしたものが中心で今回は「ヤマタノオロチ」を主題としていました。

人が中で操作する八大蛇が出て来て神楽に合わせて激しく動きまわります。ジャバラの部分をつかんで操作するのでしょうかトグロを巻いたり、八大蛇が絡み合って造形したりと見どころ満載でした。

村人が四つの桶にお酒を入れておきますとそれを上手く飲み廻し酔った所で須佐之男命が滅ぼしてしまうのですが、村人や須佐之男命が大蛇に締められてしまったりする場面もあり物語性の強いものです。大蛇の首が抜けるようになっていて、須佐之男命は八つの首を斬り並べます。胴体だけの大蛇は幕の中に消えていきます。早いテンポの神楽と見応えのある「大蛇」でした。(谷住郷神楽社中)

同じような主題で歌舞伎舞踊『日本振袖始』があります。玉三郎さんの踊りはシネマ歌舞伎にもなっています。

新藤兼人監督の『一枚のハガキ』にもこの大蛇が出てくるので、再度DVDを見直しましたら、新藤監督は故郷の広島の神楽で見ていたので映画に挿入したようで、広島にも石見から伝わった芸能が継承されていたのです。

最後がプロの林英哲さんの独演『千年の寡黙』と英哲さんと英哲風雲の会の九人による『七星』の太鼓でした。『千年の寡黙』は靜と動、弱と強、高低の音、テンポの相違などの流れを身体に受けつつ聴きいりました。『七星』のほうは、九人の太鼓の響きをズドンと受けてその豪快さが心地よい振動となって伝わってきます。心を空っぽにしていましたので、その時だけ受ける音を楽しませてもらいました。

忘れていたように置いてけぼりされていたCD『英哲』を聞き直しましたが、尺八、能管、篠笛、手振鉦も加わり、時間の経った音も新鮮に味わえました。古さ新しさって何なんでしょう。

25日の演目は『鶴の寿』『佐原囃子(さわらばやし)』『気仙町けんか七夕太鼓』『沖縄エイサー』『千年の寡黙2016』『七星』でしたが、聴けなくて残念。

劇場での伝統芸能は閉じこめられ閉ざされたようにイメージしますが、身体的には楽に沢山の場所を集約されて比較もでき、それぞれの地域を想像の世界に誘い良いものです。

 

『谷崎潤一郎  文豪の聴いた音曲』

国立小劇場での邦楽公演である。

谷崎潤一郎没後50年。<文豪の聴いた音曲>

国立劇場でこのチラシを見たときは、こうい企画ができるのだと嬉しくなった。さて企画が良くても、構成と実際の公演は見て聴いてみなくては判らない。実際の公演は、谷崎さんが味わったよりも贅沢な音曲だったかもしれないと思わせるものであった。

谷崎さんの小説の中で、文字で表された音が実際の音になる。ただ音だけではなく、その文章を損なわずその文章を高める音でなければ意味がない。この条件を完全にクリアしていた。

一部が東京での音曲、清元節『北州(ほくしゅう)』、長唄『秋の色種(いろくさ)』。二部が地唄『茶音頭』、地唄舞『雪』、地唄『残月』。

谷崎さんは日本橋区蠣殻町生まれである。人形町と言ったほうがわかりやすい。明治座から甘酒横丁を通り、人形町通りを渡って「玉ひで」の前を通り「小春軒」の隣のビルの空間に<谷崎潤一郎生家跡>の碑が壁にある。幼いころから明治座で歌舞伎を観ていたわけである。

かつての日本橋や大阪の写真、歌舞伎『吉野山』や文楽『心中天網島』の映像などを使い、進行は梅若紀彰さんの朗読である。梅若紀彰さんの声と間が、自分で谷崎作品を黙読するよりも数段も高尚になって響く。

そこから音曲の実演である。清元の『北州』は詞は追っているが、その声に聞き惚れてしまう。高音がさらに高い音になる。語る太夫さんが扇子を持つので、この太夫さんとこの太夫さんが共に語ったらどんなハーモニーになるわけと耳が立つ。そして三味線。どうしてこういう節が出来上がったのであろう。言葉遊びのようなところもありただ不可思議な高音の世界。(小説『異端者の悲しみ』より)

長唄『秋の色種』は、三味線の虫の合方が谷崎さんは気に入っていた。詞も唄い方も秋の自然界に分け入れそうな身近さがある。その中で現実の虫の音よりも人が求めてしまう美しい技巧の虫の音が聞こえてくるのである。たっぷりと。(随筆『雪』より)

関西に行って小説『春琴抄』より地唄『茶音頭』である。ここが趣向を凝らし、演奏者のかたが、春琴と佐助になって、春琴が厳しく佐助に『茶音頭』を教える場面を再現された。梅若紀彰さんがそっと覗いたりして、みなさんご存知の場面ですよと誘いをかけられているようである。本を開くと立体画が出てくるような楽しさが加わった。そしてそれが終わり正式の『茶音頭』となる。お琴の音色が入ると三味線が打楽器のような感じに聞こえる。茶の湯に関連する詞が出てくる。

お琴と三味線の時はどうしてもお琴の音の多さに惹かれてしまう。三味線はどういう働きをしているのかよくわからないのである。『春琴抄』では口三味線で春琴は佐助に教えるわけで、お琴と合わせるにはそれではダメだということなのであろうか。とにかく難しい曲なのであろう。聞く方は棚からぼたもちである。

小説『細雪』で妙子が舞う地唄舞の『雪』である。これは、山村光さんが舞われた。二本の蝋燭の炎に照らされ和傘から透ける姿は上村松園さんの絵の世界であった。『雪』は好きな舞いなのでひたすらその無駄のない地唄舞の動きに目を凝らしている内に終わってしまった。

最後は、小説『瘋癲老人日記』の中で、自分の告別式には誰か一人富山清琴のような人に『残月』を弾いて貰うと書かれている地唄『残月』である。指名された息子さんの富山清琴さんである。

「磯辺の松に葉隠れて 沖の方へと入る月の 光や夢の世を早う 覚めて真如の明らけき 月の都に住むやらん  今は伝だに朧夜の 月日ばかりはめぐり来て」

谷崎文学の中に、音曲だけでもこれだけの厚さのものが凝縮されているということである。あなたに解ったのと言われれば、すいません、私は小説家ではなく読者ですので、自分の能力に応じて愉しませてもらうだけですと答えるしかない。

企画、構成、上演までの力関係が増殖して深いところまで誘われた感がある。構成演出は、倉迫康史さん。

今更ながら、耽美な世界に潜り込める小説家という分野があったからこそ、谷崎さんは、文豪としてどうどうと生きられたことを讃えたい。

『北州』(浄瑠璃・清元梅寿太夫、清美太夫、成美太夫/三味線・清元栄吉、美三郎、美十郎) 『秋の色種』(唄・杵屋勝四郎、巳之助、今藤政貫/三味線・稀音家祐介、杵屋弥宏次、彌四郎) 『茶音頭』(唄・三絃・菊重精峰/筝・菊萌文子) 『雪』(歌・三絃・菊原光治/胡弓・菊萌文子)

邦楽名曲鑑賞会『道行四景』

国立劇場で、<邦楽公演>というのがあり、拝聴させてもらった。邦楽とは、日本の伝統古典音楽ということで、敷居が高い。観て聴いての方は、どちらかが観客を助けてくれるという感じであるが、詞と音楽(楽器)だけとなると、退いてしまう。一中節、宮薗節、義太夫節、清元節の競演である。

ではなぜ行くことになったのか。夏に歌舞伎学会で「演劇史の証言 竹本駒之助師に聞く」という企画があった。そこで初めて女流義太夫竹本駒之助(人間国宝)さんの存在を認識したのである。申し訳ないが、女性の浄瑠璃は聴きたいとは思わなかった。そのためチラシなど目にしても、手に取ることはなかった。今思うに、何と勿体ないことをしていたのであろう。

学会では始めに駒之助さんの語りの映像があり、ご本人のお話(聞き手・濱口久仁子)があった。映像での声の艶と、女性でも浄瑠璃は大丈夫であるということを知らされた。そして、ご本人が、魅力的なのである。気取りがなく、修行のこともさらりとテンポよく語られ、後輩に対しても、小気味よくもう少し頑張ってもらわなくてはとからっと激をとばされる。人間国宝のかたにこんな言い方はと思われるかもしれないが、茶目っ気もおありになる。これは生でお聴きしなくてはと思っていたら、10月の国立劇場での<邦楽名曲鑑賞会>まで空いてしまったのである。

駒之助さんは、「道行初音旅」で、『義経千本桜』の静御前と狐忠信との道行である。狐忠信の戦さの様子を語る部分もあるが、女性であっても全然違和感がなく、独特の絵巻ものを繰り広げるような面白さがあった。三味線も勢いがあり、どこかに潜んでいた固定観念も払拭である。

『道行四景』ということで、一中節「柳の前道行(やなぎのまえみちゆき)」、宮薗節「鳥辺山(とりべやま)」、義太夫節「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)」、清元節「道行思案余(みちゆきしあんのほか)」の四分野の浄瑠璃の競演である。詳しくはわからないのであるが、浄瑠璃も枝分かれしているようなのである。このあたりも、邦楽のややこしさであるが、『ワンピース』ではないが、自分流の楽しみ方をさせてもらった。

はじめに、橋本治さんの「未知への憧れ」と題したお話しがあり、これも楽しみの一つに入っていた。橋本さんは、ジャンルが広く、なんでもござれのかたである。任侠映画の道行きから、水杯の旅のことなど楽しく話してくれ、思わず知らないお隣の人と顔を見合わせて笑ってしまった。

こちらも、小分けに東海道を歩いているので、不安が伴ったことがよくわかる。何があるかわからないのである。新幹線でぴゅーと行ったり来たりするわけではないのであるから、行ったところで、動きが取れない状態もありえるので水杯ともなるであろう。東海道は江戸時代に整備された道で、それまでは、伊豆半島で行き止まり、そこから船で房総半島に渡り、そこから関東に入ってくるのである。

そうなのである。頭の中の街道が、東海道になっているが、時代によってはそれも消さなくてはならないのである。憧れに伴う不安の入り組んだかなり感情起伏のある道行である。

「柳の前道行」には、田子の浦、富士川、鳴海潟、熱田の宮、亀山、関などの詞がでてきて移動がわかる。「鳥辺山」は「鳥辺山心中」があり心中道行とわかる。「道行思案余」は、お半、長右衛門の親子差の年の離れた心中道行である。どうこう説明はできないが、それぞれの旅の世界に入っていたことだけは確かである。

一中節は宇治紫文(人間国宝)さん、宮薗節は宮薗千碌(人間国宝)さん、清元節は清本清寿太夫(人間国宝)さんと最高級の方々の浄瑠璃を拝聴させてもらいながらもそれがどう凄いか言えないのであるから困ったものである。それだけまだまだ、汲み取る宝水が豊富にあるということである。

こちらの旧東海道の道行は、大井川歩道橋を歩き大井川を越し島田から金谷に入れた。時間的にゆとりができ、帰りには島田の蓬莱橋を往復し、大井川を三回歩いて渡ることとなった。現実の旅の未知への憧れと不安は満足感と疲労感でぼんやりしている。

 

素浄瑠璃の会 『浄瑠璃解体新書』

竹本千歳太夫さんと野澤錦糸さんの<素浄瑠璃の会>。大変刺激になり復習もしました。11演目の聞かせどころ、クドキの違いなど実戦をともなっての解体なので新たな好奇心がムクムクと目を覚ます。

友人に電話で「千歳太夫さんと錦糸さんの・・・」と言っただけで「行きたい!」との即答である。

『野崎村の段』での、お店のお嬢様のお染と、村娘のお光の違い。<勘平腹切りの段>のメリヤス。<帯屋の段>のサワリ。<鮨屋の段>のゆるり。「三つ違ひの兄さんと・・・」「せまじきものは宮仕へ」「十六年も一昔。」の有名な部分。<尼ケ崎の段><堀川猿回しの段><政岡忠儀の段>の境遇の違う女性の語りの違い。千歳太夫さんは苦手の子供が語る<順礼歌の段>など、いつもは三味線の者はしゃべらないのですがと錦糸さんが、解説してくれ、千歳太夫さんからも話しを引き出してくださる。千歳太夫さんは、本を何冊も出し、即その場面の気持ちに早変わりである。

皆さん感心したり、納得したり、笑ったり、反応が良い。最後は、『艶姿女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』<酒屋の段>の「今頃は半七様、どこにどうしてござらうぞ。」を覚えて行って下さいと、皆で声を出す。難しい。希望者が5人ほど次々前に出て肩衣を着けてもらって語られた。伸ばすところは、千歳太夫さんが助けられ、錦糸さんの三味線にのり、個性を発揮された。錦糸さんお薦めのお風呂で、帰ってから語られたかたもいるやもしれない。

録画として『絵本太功記』、『仮名手本忠臣蔵』があり、早速、解説された部分を観る。『絵本太功記』<尼ケ崎の段>は、豊竹咲太夫さんに、豊澤富助さん。『仮名手本忠臣蔵』<勘平腹切の段>は竹本住太夫さんに鶴澤燕三さんであった。そして『艶姿女舞衣』<酒屋の段>の素浄瑠璃があった。住太夫さんと錦糸さんである。三味線の弾かない時間が思っていたよりも長くあり、次に音を出す時は太夫さんの調子と場面とを考えて神経をつかうであろうと思える。あまり大きく押すと太夫さんの声を駄目にしてしまうとのこと。太夫さんがのっているからと合わせて勢い込むと度を越してしまい、引き過ぎると勢いがなさすぎたりするのであろう。

「素浄瑠璃」も良いものである。自分で場面や話しを想像する。ただどうしてここはこんなに伸ばすのであろうかと思う。その辺が、こちらの現代の呼吸と違うところで、そこがいいのだというところまでには至っていない。至ることはないであろうが、人形がそれに合わせて動くと、一体化して必要な長さとなるのである。

また、千歳太夫と錦糸さんコンビの企画を江東区森下文化センターで考えてくれそうな予感がする。地下鉄からたどり着くまで三人のかたに道を聞いてしまったので、その経験を是非次回生かしたい。