ホラー映画『ディメンシャ13 』『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1)

ホラー映画の部類は観ないのですが、これはパッケージの解説に惹きつけられて超格安で購入したDVDです。この際なので観ることにしました。

映画『ディメンシャ13 』(1963年)は日本劇場未公開作品でフランシス・フォード・コッポラ監督(脚本)の一作目の作品です。< コッポラの原点。ホラーの傑作。これが本物のホラーだ!! >

夜に男女がボートに乗ります。男は自分が死ねば財産が受け取れなくなると女に言います。ところが男には持病があって心臓麻痺で亡くなってしまいます。女は夫の死体を湖に遺棄します。妻は夫は出張であるとして一人で夫の実家である城に行きます。遺産相続がテーマなのかなと思ったら、どうもその城には外部の人には知られたくない謎があるようです。一家の末娘の死が関係しているようです。

そして謎めいた殺人が斧によって実行されるのです。映画を観るものには湖に落ちて亡くなったという娘の姿を湖の底に存在するように見せたり、城という状況が登場人物の動線に謎めきを深め、登場人物が皆何かを隠し疑わしいのです。ロケ映像が効いています。そこに斧!

解説にはコッポラ監督が < この映画のプロデューサーのロジャー・コーマンにこき使われながら映画製作の裏の裏まで学びとった > とあります。次に観た映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960年・日本劇場未公開)がロジャー・コーマン監督作品でした。グットタイミングでした。

< コーマン監督、究極のホラー・コメディ・カルト!映画マニア必見!! > とあります。

花屋に勤めるシーモアは失敗ばかりしていて店主から首を言い渡されますが、自分は珍しい花を育てていると言います。店はもうかっていないので店主はその新種をもってこさせます。この新種はもう一人の女性店員の名前をとってオードリー・ジュニアと名付けられます。

この新種の種は、日本人からもらったとされています。このオードリー・ジュニアは次の日には大きくなっています。たまたまシーモアの指の血を味って、声を出し食べ物を催促します。次の日、シーモアの指すべてにはバンソウコウがはられています。

このオードリー・ジュニアが評判となりお店には客がきます。その前からおかしな客が来ていて、花を食べる男などもいます。シーモアは首がつながりますが、オードリー・ジュニアに食べ物を与えなくてはなりません。何とかしなくてはとさまようシーモアの前で事故死した死人と遭遇します。オードリー・ジュニアは人肉が好物でした。そこからどんどんホラー化が増殖していくのです。

変な登場人物が多く、その中に、歯科医院にくるマゾの患者が無名のジャック・ニコルソンなのです。

ロジャー・コーマン監督はB級映画の帝王といわれ、低予算で多くの映画を撮りました。そのためコッポラ監督もこき使われていたのでしょう。この映画も二日で撮られたといわれています。ただ次の世代の監督や俳優などを多く育てています。

コッポラ監督の第一作目の『ディメンシャ13 』を撮るときもコーマン監督はお金を貸してくれています。

ジャック・ニコルソンもコーマン仲間の、ピーター・フォンダ、デニス・ホッパーらと映画『イージー・ライダー』にかかわることとなります。

映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』はさらにブロードウェイでミュージカルとして上演され5年間ロングランとなります。日本でも1984年に宮本亜門さんの振り付けで上演されたようです。(シーモア・真田広之、オードリー・桜田淳子、歯医者・陣内孝則)

ミュージカル版の映画化もなされたようなのでそちらは後日鑑賞したいです。

この二本の映画でアメリカ映画の様々な相関図が見えてきて楽しく有益でした。好んでホラー映画を観る気にはなりませんが。

新型コロナ陽性で自宅療養と称してきちんと診察、観察してもらえないほうがホラー現象です。

追記: 驚きました。『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』を検索しましたら、8月23日から9月11日まで上演されていたのです。ミュージカル演目として長く続いているんですね。

https://www.tohostage.com/little-shop-of-horrors/

追記2: ジャック・ニコルソンの『チャイナタウン』と『黄昏のチャイナタウン』を鑑賞。これは続けて観た方がよいでしょう。最後に衝撃的な死を迎えたエヴリィン・モーレイ(フェイ・ダナウェイ) への私立探偵・ジェイク(ジャック・ニコルソン)の想いが続いていたのです。そして二人のジェイク。気になっていた作品なのでここで一件落着です。

映画『ふろたき大将』『はだかっ子』

戦後自分たちの撮りたい映画をと始まった山本薩夫監督や今井正監督を中心とした独立プロの映画を観つづけていて目にとっまていた作品がいくつかありました。その中から今回、映画『ふろたき大将 花咲く少年の島より』と『はだかっ子』を観ました。

独立プロ映画に関しては書くのが観るペースに追いつかず、1950年から1954年までの映画でとん挫してしまいました。 ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (3)

映画『ふろたき大将』(1955年・関川秀雄監督)は東映の児童映画の第一号で、関川秀雄監督は1953年に映画『ひろしま』を撮られています。映画『ひろしま』に関しては ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (2) で少しふれています。

関川秀雄監督は児童映画でも広島での原爆孤児たちのことを描いています。原爆から5年がたち広島で浮浪児となって仲良くなった二人の少年がパンを盗み捕まえられ大人たちに責められます。

2019年に放送されたテレビのBS1スペシャルドキュメンタリー『さしのべられた救いの手~原爆孤児たちの戦後~』では孤児となり広島駅の近くで野宿していた方が語られていました。大人たちが捨てた新聞紙を奪い合いそれを柔らかい食べ物として口に入れ水を飲んだと。口に入れるものがないときは石をなめて水を飲んだと。一年以内に次々と子供たちは死んでいったそうです。

映画のほうは、瀬戸内海にある原爆孤児たちの似島(にのしま)学園の園長にシュンちゃんとトクさんは助けられ島へ渡ります。トクさんは学校や勉強が嫌いで行きたくありませんでした。トクさんは学園ではやはりみんなの行動についていけずノロトクと言われて仲間から離れて行動します。ひとり浮浪児の時に身に着けたたき火をします。遠く広島を眺めては、広島にもどればはぐれたお母さんに会えるかもしれないと思うのでした。

たき火の上手なトクさんを園長先生はふろたき大将に任命します。風呂を沸かすだけではなく、分担されている寮の入浴する順番を決めたり、使ったマキの代金も計算しなければなりません。徳さんはシュンちゃんから字を習い、計算も習います。邪魔されたり、嫌がらせを受けたりしますが、応援してくれる友達もいて次第に皆に認められ誰もが信頼するふろたき大将となります。新聞にも載ります。その新聞記事を読んである工場から中学を卒業したらかまたきの仕事を頼みたいとの就職依頼があり、お母さんも生きていて会うことができました。トクさんは学園から新しい社会へと出発するのでした。

見始めてトクさんが石橋蓮司さんに似ているなと思いました。この表情は石橋さんに間違いないと確信しました。芸歴が長いんだと意外でした。見なおすと出演者名に石橋蓮(若草)とありました。石橋蓮司さんのデビュー作だったのです。2016年にはこの続きとしてのNHKドラマ『ふろたき大将 故郷に帰る』が放送されたようです。

関川秀雄監督が人選されたのでしょうか。石橋蓮さん、役柄にピッタリでした。この作品は45分と短いです。

関川秀雄監督は児童映画では『トランペット少年』(1955年)があります。東北の田舎に赴任した教師が子供たちに音楽の素晴らしさを教えようとします。反発してその仲間に入らなかった少年をトランペット担当にします。トランペットを父親に捨てられたりと紆余曲折がありますが、少年は好きなトランペットを高らかに吹くのでした。

映画『はだかっ子』(1961年・田坂具隆監督)は長編で146分ありましたが、長さを感じさせない展開でした。原作・近藤健さん、脚本が成沢昌茂さんです。成沢さん、今年の2月に亡くなられていました。(合掌)。 6月に溝口健二監督の映画を観、関連本を読み、新藤兼人監督の『ある映画監督の生涯』も観直し、その中で成沢昌茂さんが溝口健二監督についても語っておられた映像が頭の中に残っています。監督もされ多くの脚本を書かれ、この『はだかっ子』も力作です。

小学校6年の元太(伊藤敏孝)は、父がインドネシアで戦死して、母(小暮実千代)と二人くらしです。母はチンドン屋の三味線弾きなのですが仕事がないときは道路工事の仕事に行きます。住まいは大工だった父の弟弟子の尾沢(三國連太郎)の長屋の屋根裏に住まわせてもらっています。尾沢は義理人情に厚く兄弟子の家族だからと元太をかわいがってくれます。

元太は正義感が強く元気で、学校も担任の高木先生(有馬稲子)が子供たちの気持ちを受け止めてくれるので楽しく通っています。

大人には大人の事情があるようですが、元太は自分の正しいと思うように進んでいきます。学校での親と子供の討論会では元太はきちんと意見を言います。生徒たちもそれぞれ臆することなく意見をいいますが、その中に子役時代の風間杜夫さんがいました。話し方に特徴があります。この討論会によりまたまた母の大人の事情を知ってしまうのです。

母は無理が重なって床に伏してしまい、元太の運動会の活躍を観れないままに亡くなってしまいます。元太がいなくなり尾沢は高木先生のところに行きます。先生はおもいあたるところがありました。先生は尾沢と一緒にそこへ行きます。そこはユネスコ村でした。

そこに写生に行ったとき元太はインドネシアの家を見つけ父を思い出しその家を描いていました。母にもそこへ連れてってやると言っていました。大工になりいつかこんな家を建てそこに父親の写真を置くのだとも言っていたのです。

やはり元太はそこで泣きつかれて眠っていました。

元太は尾沢が育ててくれることになり、大工を目指すことになりました。今日も元気に元太は学校に向かうのでした。

このユネスコ村というのは色々な国の建物を紹介しているテーマパークです。1951年に国際連合教育科学文化機構( UNESCO)に60番目に加盟したことを記念して埼玉県の所沢市に開園され1990年に閉園しています。

映画の中でUNESCOとは何ですかという授業場面があります。生徒が高木先生の質問に次々と答えてユネスコ憲章の理念を学んでいくのですが、こちらも学ばされました。

「戦争は人の心の中でうまれるものであるから人の心の中に平和の砦を築かなければならない」

本と演技と撮影がしっかりしています。元太を中心とした子供たちの行動が明快で、学校行事が元太の心の動きの伏線としてつながり元太の心の動きがわかります。自転車も有効に働いていました。新しい命の誕生と死という命題も描かれています。そして子供たちを導く大人たちも子供たちによって教えられ負けじと生きていく爽快感が映画の長さを感じさせない作品となっているのです。

元太が学校に通う道路は車の行き来が多く、遊園地なども昭和30年代の戦後の復興への動きをとらえています。

田坂具隆監督の映画『『五番町夕霧楼』を6月に観ていて女性の描き方の上手い監督だなと思いました。非常にジャンルが広い監督だと知りました。監督自身は広島で被爆されていました。

追記: 田坂具隆監督の『女中っ子』(1955年)は名作です。秋田から出てきた女中の初の左幸子さん、お見事。自分が生きてきた生き方を信じていて、都会の東京を物珍しいとはおもいますが惑わされないのです。さらに初を慕う次男・勝美が今大事な成長段階であることをしっかり受けとめるのです。聡明な初です。この初を引き出した田坂具隆監督もお見事。

 

2021年8月15日(2)

映画『この子を残して』(1983年・木下恵介監督)は、被爆して亡くなられた永井隆さんの著書などから山田太一さんと木下恵介監督が脚色されたものです。永井隆さんが長崎医大で放射線の研究者で多くの肺結核の患者のレントゲン写真を撮り、それにより白血病になっていたのは知りませんでした。永井隆さんは放射線の利用価値とその恐ろしさを体験していたわけです。

奥さんに二人の子供たちを託していたのに奥さんは8月9日に原爆のため先に亡くなってしまうのです。永井さんは自分が死んだ後のことを考えて息子さんには特に自立を心がけて育てられ、映画では義母との意見の相違も生じていたりしました。

著書『この子を残して』と映画では多少違ったところも見受けられ、木下恵介監督は自分なりの反戦映画とされています。永井隆さんの著書は戦争孤児、原爆孤児に対する考え方に自分の子であったならという見方を人々に思い起こさせたと思います。ただ著書『この子を残して』での永井隆さんの原子力に対する考え方には少し疑問を感じた部分もありました。もし永井隆さんが福島の原子力発電所事故を知ったならどう考えられたであろうかとも思いました。

最後までカトリック信者として現実に真摯に向きあわれ、我が子のゆくすえや孤児にとって大切な事は何かを自問自答しつづけられていました。

映画『爆心 長崎の空』(2013年・日向寺太郎監督)。 我が子が具合が悪くなりあっという間に亡くなってしまった母親と、母からの携帯の電話に出なかった娘が帰ったら母が亡くなっていたという喪失感から自分を責める二人が出会います。子を失くした母親は被爆三世でそのことと関係があるのではないかと新たに宿した命をこの世に誕生させることに迷うのです。

出会った二人には、他の人には見えない者が見えていて、自分と同じに感じている人がいることがわかり、救いの一つとなり、周囲の人の考えも受け入れることができるようになるのでした。

映画『夕凪の街 桜の国』(2007年・佐々部清監督)。原作が『この世界の片隅に』のこうの史代さんで、淡々としていながら言いたいことはしっかり台詞で語っています。原爆は「落ちたのではなく落とされたのよ。」被爆した家族と生き残った家族の物語がこれで終わったわけではないと続きます。

自分の祖母と母が被爆していたことを知らされていなかった娘が黙って家を出る父の後をつけます。父は夜行バスで広島に向かいました。娘は友人と偶然再会し一緒にバスに乗り込みます。父は娘の知らない人々と会い、お墓参りをします。その追跡の旅で自分の記憶と照り合わせ、娘は自分の家族や血縁の人々に何が起こっていたかを知るのでした。

ドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』(2007年・スティーヴン・オカザキ監督)。60年前に被爆した子供たち14人がその時の事とその後を語ってくれます。残された映像記録の中に火傷を治療されている映像があり、治療の時にはあまりの痛さに「殺して!」の声が響いたそうですが、そうであろうと本当に思います。

原爆投下に係った4人の元米軍関係者の告白もあり、原爆の威力は誰も知らなかったことなのです。

スティーヴン・オカザキ監督の自身へのインタビューによりますと、この映画を撮るまでに25年の歳月が必要でした。被爆との出会いは、1980年代初めのサンフランシスコでの平和運動の中で友人達が中沢啓治さんの『はだしのゲン』の英訳に取り組んでいて、その作品に感銘を受けたのが最初だったそうです。中沢啓治さんも被爆者の一人として映像の中で当時の惨状を語られています。

その後、スティーヴン・オカザキ監督は「米国原爆被爆者協会」の会合を見学できるか問い合わせたところ、見知らぬ人がいると会員は落ち着かないので、あなたの映画を上映してはと言われ、子供用の短編映画を上映します。その時一人の女性会員から、自分たちの体験を世界に伝えるためにあなたは被爆者の映画を作るべきですとの発言があり、全員が賛成し、そこからやらなければならないと思われたそうです。

スティーヴン・オカザキ監督の短編映画を観た方たちは、この監督なら自分たちの想いを伝えてくれる映像を作ってくれると信頼したのでしょう。

それから10年経ち、スティーヴン・オカザキ監督の作品がアカデミー賞の短編映画賞を受け注目をされ、次は何を摂りたいかと聞かれ「原爆に関するドキュメンタリー」と答えます。

原爆投下から50周年にあたる1995年公開に向けて準備されますが、アメリカのスミソ二ア航空宇宙博物館での広島・長崎の被爆遺品や資料の展示が企画の段階で反発され、それが影響してスティーヴン・オカザキ監督の映画の制作側が手をひいてしまいます。

スティーヴン・オカザキ監督は自主製作で短編『マッシュルーム・クラブ』を撮ります。たとえ見る人がいなくても被爆者たちへのお返しになると思っての事でした。

アメリカの大手ケーブルテレビHBOから広島と長崎を撮らないかという話がきて監督の想い通りに撮って良いということで原爆投下60周年に向けて始動します。映画は完成し本作品は全米ではテレビで放送され、日本では劇場公開となりました。

政治的思惑の無い、体験した人がその事を伝え記憶に残してほしいとの想いが伝わるドキュメンタリーです。映画の始めに日本の若者たちに1945年8月6日と9日は何の日か知っていますかと聞きますが知っている人はいませんでした。

そういう私も2017年にこの映画が劇場で公開された時には観ていないのですから、若い人にとやかくいうことはできません。よくスティーヴン・オカザキ監督はこのドキュメンタリーを撮って残してくれたと思います。

アメリカでは真珠湾攻撃をして戦争を始めたのは日本人なのだから当たり前と思っている人が多いと想像できるなかで、この映像を観て違う目線で考えてくれる人もあるでしょう。忘れ去られてはいけないという信念の力であろうかと思います。

人は楽しい事の方が良いに決まっています。しかしきちんとした記録があればいつかそれを眼にし、立ち止まって振り返る時間を持つことが出来ます。

永井隆さんは『この子を残して』の最期に書かれています。

「この兄妹が大きくなってから、私の考えをどう批判するだろうか? 五十年もたてば、今の私よりずっと年上になるのだから、二人寄ってこの書をひらき、お父さんの考えも若かったのう、などと義歯を鳴らして語り合うかもしれないな。」

自分を批判するほどまでしっかりと生きてほしいということでしょう。映画ではしっかり生きて自分の道を歩まれる二人の兄妹が映されます。

テレビの特集や映画などを観ているとそれが重なってやっとそういうことであったのかと思うことがあります。時代も変わりますし、制作意図の思惑があったりしますので、目にすること聞くことがあれば、それを受け入れ自分の中で新たに知ったり考えるのが必要かと思います。たとえそれが1年に1回でも3年に1回でも。忘れてはいけないことでしょう。どんなときも弱い人たちがさらに苦しい立場に向かわなければならないということは悲しいことに変わらないのでしょうか。

戦争、災害、事故、病気、そして今回のような感染症なども。

仏教関係の映画からお坊さんの映画談義の本へ

仏教シネマ お坊さんが読み説く映画の中の生老病死』。釈徹宗さんと秋田光彦さん、お二人の映画談義です。お二人は住職をされていてさらに色々な活動もされているらしく、さらに映画好きというお坊さんなのです。

この映画は般若心経のこういう言葉の意味とつながりますとか話されるのかとおもっていましたら、そんな説教はありませんでした。読んでいるうちに、えっ!この映画も観ていたのですかと、勝手に親しみを覚えてそうそうあの映画のそういうところが面白かったですよねなどとうなずいたり、これ観なくてはとDVDを借りたりしました。

ただお二人にしますと映画は映画館で観るものでDVDなどは邪道なのです。映画を観たことにはならないのです。すいませんがこの邪道がたまらない魅力なのです。ずーっと気にかかる疑問などを映画館で観れるまで待っていられる忍耐性がなくなっています。近頃は配信なども利用しています。映画関係の本を読んでいて観たいと思い、観れるはずもないという映画を配信で巡り合えたりするのです。溝口健二監督の無声映画『瀧の白糸』もそのひとつです。この誘惑には抵抗し難い魅力があります。

邪道をやらなければ、映画関係の本など読まないでしょう。というわけで邪道者が参入させてもらいます。この本に出てくる映画は110本近くあり、そのうち観たのは50本ほどでした。ゆえに参入どころかチラッとまぜっかえして終わりということになります。

秋田光彦さんは映画製作にもたずさわれていて、秋田さんが原案の『カーテンコール』は観ました。佐々部清監督の映画を観ての『カーテンコール』への流れで、その時は原案がどんな方かなど知りませんでした。

映画館で映画と映画の間を繋ぐ幕間芸人(まくあいげいにん)の家族の話しです。かつて下関市の映画館で幕間芸人をしていた人を取材してほしいという依頼からタウン誌の女性記者が取材するのです。その彼女の過去や、映画産業の衰退、知られざる在日コリアン家族の別れと絆が彼女の取材で明らかになっていくのです。女性記者の粘りづよい取材が過去と現在と未来をつなぐことになるのです。

仏教シネマ お坊さんが読み説く映画の中の生老病死』の映画談義の中に出てくる映画に進みます。<お坊さんが読み説く映画の中の生老病死>とありますように、<生老病死>と一つ一つテーマごとに映画作品が登場します。到底全てに触れるわけにはいきませんので「第4章・死ぬ」で出てきた映画について少し。

死体がテーマの映画について言及があります。『スタンド・バイ・ミー』がそうです。少年たちは死体を探しにいきます。テーマ曲がたまりません。ヒッチコックの『ハリーの災難』は、死体によって生きている人間が翻弄されます。遺体は出てこないのですが誰が殺したのかという『8人の女たち』もオシャレで面白い映画でした。

日本映画では、『おくりびと』があります。アメリカでは、遺体に対し「日本人は、こんなに敬意を払うのか」と驚嘆されたのだそうです。私などは遺体を扱う人の仕事の大変さのほうをみていましたが、そういう見方もできるのだと気づかされました。

フラットライナーズ』は、医学生の一人ネルソンが人為的に死を経験して蘇生するという実験をするため4人の仲間(レイチェル、ダヴィッド、ジョー、ランディ)を集めます。臨死体験の実験なのです。かつて映画好きの知人から、若い頃のスターたちが出ているとの紹介で観たのです。5人の仲間の俳優は、キーファー・サザーランド、ジュリア・ロバーツ、ケヴィン・ベーコン、ウィリアム・ボールドウィン、オリヴァー・プラットです。

ネルソンは無事蘇生します。ところがそれから彼は少年に襲われるようになります。それは子供の頃いじめて亡くなった少年だったのです。そのことをネルソンは仲間に言わなかったので、ジョー、ダヴィッド、レイチェルと実験はつづきます。ダヴィッドは自分が過去の罪をよみがえらせて持ち帰ったことに気づき、その相手に謝り許しを得ます。

ネルソンは自分が死んで死後の世界でその子に謝るしかないと一人で死を選びます。それを察した仲間はネルソンを蘇生させようとします。ダヴィッドは、神の領域を犯した自分たちを許して下さいと祈ります。ネルソンは少年の許しを得て蘇生します。あきらめかけていた仲間たちは安堵します。この映画を観なおし死後の世界は神の領域というのが印象的なセリフでした。

お二人のこの映画に対する考え方が、臨死体験といっても深層心理のフタが開くだけで別に死をのぞいたわけでもなんでもないという描き方とされています。さらに、まじめに罪と向き合って告白することによって赦されるという典型的なキリスト教文化の図式とされます。

最初に観た時は、サイコ映画のようにただドキドキして観ていて、今回はダヴィッドが救いの道を見つけたのかと流れが捉えられたので、お二人の観方にも素直に納得できました。

一番興味深く納得できるというかそうすれば落ち着くと思わされたのが、釈徹宗さんが今思いつきましたと言われたことです。小津安二郎の超ローアングルは、死者のまなざしじゃないですかという考えです。『東京物語』を例にとられているのですが、私が気になっていたのは誰もいなくなった家の廊下などからの長い静止の映像です。なんでこんなに長く映しているのかと思うのです。

飛躍しすぎますが、いつかは誰もいなくなるという死者のまなざしだとすればあのくらいの長さがあっても当然と思えます。上手く言えませんが淋しさとかも静かに超えて無心になっていく時間のようにも思えてきました。何かを語りたいという死者のまなざしが静かに引いて行く何とも言えない時間空間の感覚。

もう少し時間を置いてから小津安二郎監督の映画は観なおしてみます。全然的外れでしたということにもなりかねませんが。

というわけで、お二人の映画談義からいただいた自分勝手な搾取のほんの一部分だけの紹介でした。

邪道でも半分しか観ていませんからね。これだけの、いえもっと観られているのでしょうが、映画館で観られていたというのはどういう時間の使い方をされておられたのでしょうか。摩訶不思議です。『人生、ここにあり!』のやればできるの精神でしょうか。

追記: 登場人物があの世からこの世へ姿を現すのが多いのが今月の新橋演舞場の『おあきと春団治~お姉ちゃんにまかしとき~』です。伝説的になっている春団治をバックアップしていたのが姉のおあきであったという視点です。そのお姉ちゃんが春団治の娘にお父ちゃんのお見舞いに行ってあげてと頼みます。藤山直美さん、これといった演技をしているようには見えないのです。それでいながらじ~んと胸にきます。なんやろ、これ死人技(しびとわざ)? 芸の極み?

仏教関係の映画(3)

お寺を持つこともなく民衆の中に入っていった聖でよく知られているのが作仏聖の円空(1632~1695年)です。12万体の微笑み仏像を作ったといわれています。

ドキュメンタリー『円空 今に生きる』。「例えどのような朽ちた素材からでも、全ての人々を救うための神仏像を、私は彫るつもりである。」

円空が仏の道に入るきっかけとなったのは、母が洪水で亡くなったことによるようです。悩み苦しむ人のために、病に苦しむ人のために、干ばつに苦しむ人のために、限りある命を助けるために、ひたすら仏像を彫り続けたのです。何の効き目もなくあざけられたり、苦しさのはけ口として罵倒されたりもしたのです。時には自分の守り仏として喜んで受け取ってくれる人もいました。

それらすべてを受け入れて円空はその一瞬一瞬を仏像に祈りを込めて彫り続けたのです。

中国から茶を日本に伝えたのが栄西(1141~1215年)です。この方も興味があり、映画はないかと探しましたが無いようです。考え方が柔軟というのでしょうか周囲とあまり対立することなく禅の道を歩まれたようです。

ここからは少し番外編で進みます。市川雷蔵さんの映画を観ていた中から『安珍と清姫』と『妖僧』。

安珍と清姫』といえば道成寺です。もちろん安珍の隠れた鐘に蛇となって巻き付き火炎を発します。ただラストは悲しくも美しい恋の物語となっています。安珍は雷蔵さん、清姫は若尾文子さん。

清姫は馬に乗り、弓を使うのです。狐を射った矢が旅の僧の腕に刺さってしまいます。奥州の白河から道成寺に21日間こもり祈るための旅の途中でした。清姫の真砂の屋敷で療養します。自分を避ける安珍を清姫は僧も男であると惑わし、そこから安珍は煩悩にさいなまれます。安珍はついに戒律を破り清姫を抱いてしまいますが、やはり心が決まりません。

安珍は清姫の幸せを願い再び道成寺へ。そこで僧侶たちに鐘の中に隠されます。追いかけてきた清姫は川に飛び込み蛇となり鐘巻となります。安珍は命が助かりますが迷いなく清姫への愛を貫くことを決心します。そして亡くなった清姫の遺体を抱きかかえ一生清姫の菩提を祈ることにするのでした。

妖僧』」は、奈良時代の超悪僧の声高き道鏡と天皇の恋の話です。全て恋の話となるところが映画スターと大衆の映画の娯楽性に対する要望でしょうか。

10年に及ぶ修業に耐えた僧が妖力を得、女帝の病を治します。僧は道鏡と名のり、正しい政治を行うことを女帝にすすめ、女帝もそれを実行しようとします。しかし、私利私欲にまみれ腐政を行う権力者たちがそれをはばみます。女帝は道鏡に恋をし、道鏡も戒律との板挟みになりますが、恋の力に負けていき、それと同時に妖力も失い新たな女帝の病を治すことが出来なくなります。

女帝は道鏡との短い恋に満足して亡くなられ、道鏡も死を持って女帝との未来を信じ暗殺の刃を受けて亡くなります。道鏡には権力欲は無く愛に生きた人として描かれています。

映画『山椒大夫』は、如意輪観音に導かれているといってもいいでしょう。平正氏は農民の側について奥州から筑紫に左遷となってしまいます。

正氏は息子の厨子王に「人は慈悲の心を失っては人ではない。おのれをせめても人にはなさけをかけよ。人は等しくこの世に生まれてきたものだ。幸せにへだてががあって良いはずがない。」と教え、家に伝わる如意輪観音像を手渡します。

厨子王、妹の安寿、母の玉木、召使の姥竹の4人は父の居る筑紫に向かいます。ところが越後で人買いにだまされ、母と姥竹は安寿と厨子王とは別の舟に乗せられ姥竹は舟から転落して亡くなってしまいます。母は佐渡へ連れていかれ、安寿と厨子王は丹後の山椒大夫の屋敷で奴隷として使われます。

厨子王は、長い奴隷生活のため如意輪観音も信ぜられず、父の言葉も失っていました。安寿は屋敷の外に出る機会のあった時に兄を逃がし、自分は入水してしまいます。厨子王は何んとか逃げることができ、如意輪観音像を持っていたことから身分がわかり、都の宮廷で出世し、丹後の国主となります。

さっそく厨子王は奴隷の解放を命じ、山椒大夫を追放しますが、命を懸けて助けてくれた安寿とは会うことは出来ませんでした。山椒大夫が管理していた荘園は右大臣の所有で国主が勝手にできる場所ではありません。それを厨子王は知っててやったのです。その時の厨子王には父の言葉がよみがえっていました。

厨子王は佐渡で眼の見えなくなり鳥追いをしている母を探し当てます。母に如意輪観音像をさわらせ自分が厨子王であることを告げます。そして父の言葉に従い出世を捨てましたと言い、母は喜びの涙にくれます。

映画『敦煌(とんこう)』は、出世を望んだ男が生きる最後の目的として、価値はわからないが戦から仏教経典を守るというラストでした。

仏教を深く学ばれている方は映画からもっと違う見方をされるのかもしれません。

そんな本にめぐりあったのです。

仏教関係の映画(2)

さて仏教の祖のお釈迦様の映画にいきます。映画『釈迦』は2時間半と長かったです。シッダ太子の本郷功次郎さんが全てを捨て菩提樹の根元に座しで瞑想に入り悟りをひらいてブッダ(釈迦)となってからは姿を現さず影であったりロングで撮ったりします。

シッダ太子の従兄で邪悪の権化であるダイバ・ダッタが勝新太郎さんで、神通力を会得してお釈迦様の邪魔をします。ダッタはマダカ国の若君をかどわかし国王を幽閉させます。その国王が寿海さんで息子が自分の間違いに気がついた時には亡くなっていました。

ダッタは自分がマダカ国の王となり、お釈迦様を信ずる仏徒たちを弾圧します。怒ったお釈迦様は地震を起こし地を割き、ダッタを地下に落としますが改心したダッタを救い上げます。

お釈迦様は信徒に看取られながら入滅され天へ昇って行かれます。

大スペクタルの映画で出演者も豪華ですが長すぎて途中飽きてしまいました。罰当たりな事です。

アニメ『手塚治虫のブッダ ー赤い砂漠よ!美しく』と『BUDDHA2 手塚治虫のブッダ ー終わりなき旅』。手塚治虫さん原作のアニメ2作品は惹きつける力が強く集中して観ました。物語の運び方がさすがです。 

王子であるシッダールタと奴隷の子であるチャプタとの生き方を同時進行で進めて行きます。シッダールタの悩みは内面的なもので表にあらわしづらく物語性が弱まってしまうことにもなるので設定が上手いです。全く違う身分の二人によって世の中の仕組みを描いてもいるのです。そして属する国の違いによって国と国の争いも降りかかってきます。さらに、超能力をもった子供・タッタも登場し変化球を投げてくれます。

チャプタは奴隷の子であることを隠して上の階級に這い上がろうとしますが、母を見殺しには出来なくて死を選ぶこととなります。シッダールタは何不自由のない身分なのに心が静まらず全てを捨て出家の道を選びます。

シッダールタはきびしい修業の道を歩みます。途中で一緒に旅をすることになった少年・アッサジは人の未来を予言でき、自分の未来をも予言します。そしてその通りになりアッサジはお腹を空かせたオオカミの子に自分の身を差し出し食べられてしまうのです。

タッタは大人になり子供の頃の超能力はありません。盗賊となっていました。かつてシッダールタと心を通わせた娘とも再会します。様々な人の生き方を通して学びつつやがってシッダールタは悟りをひらきブッダとなるのです。

アニメ映画は三部作としていますのでいつか三部を観ることができるでしょう。

特典映像のなかでチベット仏教の14世ダライ・ラナが語られています。

「ブッダは苦行もしましたが最終的には智慧の局面を考えることを重視するようになったのです。先ほど申したように仏教では知性を最大限に使うように説きます。< 弟子たちよ、僧たちよ、学者たちよ、私の教えは単なる信仰や信仰心からではなく、入念に吟味した上で受け容れなさい。>と述べています。これは非常に科学的なアプローチだと思います。常に疑いの心を持ち、よく吟味せよというのです。吟味した結果が納得できたものなら受け入れても構わない。」

映画『クンドゥン』は、14世ダライ・ラマが、田舎でダライ・ラマの転生者として見つけられ、中国の統治からインドへ逃亡するまでが描かれています。

チベットはダライ・ラマを指導者と仰ぎ一千年の間、非暴力主義を貫いてきたのです。彼こそはブッダの慈悲の化身とされてきたのです。13世が逝去し高僧が旅人にやつして4年後に探しあてます。転生系譜というのが長い間続いているのです。知りませんでした。歴史的経過は詳しくは知りませんが、大国の介入というのは横暴さが目立ちます。それも暴力が横行します。

マーティン・スコセッシ監督は、宗教に強い関心をもたれているようで、遠藤周作原作の『沈黙』も映画にしていますね。

映画『リトル・ブッダ』は、転生の話で、高僧・ドルジェ僧の転生者を探しています。シアトルに住むアメリカ人の少年・ジェシーがその候補となります。ジェシーはプレゼントされたブッダの本を開きます。本を読むと映像はシッダールタの話へと変わります。シッダールタはキアヌ・リーブスです。

この高僧の転生候補がほかに二人現れるます。ネパールで路上芸人の少年のラジュと少女のギータです。三人は会います。そして、三人はそろってシッダールタの物語を間近でながめシッダールタが悟りを開きブッダとなる過程を目にするのです。さて三人のうち誰が転生者となるのでしょうか。

一人の人が三人にそれぞれ別々に生まれ変わる場合もあるとしています。肉体、言葉、精神がそれぞれに別れて共存すると。

ブータンでドルジェ僧の弟子であったノルブ僧は転生者を選び終わり役目を無事終え、座して瞑想の中で静かに息を引き取ります。

ブータンまで息子と共に旅をしたジェシーの父は親友の事故死にショックを受けていましたがこの旅で何かを感じたようです。

このベルナルド・ベルトルッチ監督の映画は、監督の<オリエント三部作>『ラストエンペラー』『シェルタリング・スカイ』『リトル・ブッダ』の一つとして観るという見方もあるようです。

映画『クンドゥン』と『リトル・ブッダ』で砂でできた美しい曼荼羅が風で壊れたり、手で壊されるのは何かを暗示しているのでしょう。

お釈迦様の悟りまでの道のりやその瞬間などそれぞれの想いで描かれていました。

仏教関係の映画(1)

「仏教関係の映画」とくくりましたがかなり大雑把です。6月歌舞伎座の『日蓮』の上演を知ってから見始めました。

映画『日蓮』は、中村錦之助(後の萬屋錦之助)が日蓮で、『日蓮と蒙古大襲来』は、長谷川一夫さんが日蓮で、お二人のスター性を堪能する楽しみもあります。物語の経過は同じで、比叡山から故郷の安房に帰り清澄寺での初講和で異端とされ命さえも狙われるということになります。自分の説く仏教だけが本当の仏の教えなのだとその一途さはほかの宗派にあって共通しています。

日蓮は伊豆に流されその後佐渡にも流され、元寇の襲来では祈りを捧げ撃退させます。日蓮宗の開祖。

映画『日蓮』のほうに、日蓮の弟子・日朗に中村光輝(現・又五郎)さんが、北條時頼として染五郎(現・ 白鸚)さんが出演しています。

日蓮と同じころ、親鸞(1173~1263年)、道元(1200~1253年)、日蓮(1222~1282年)が重なっているのです。とにかく人々を助けたいという一念を思い起こさせる世の中だったのでしょう。そして勉強しなおしたらそれぞれが違う解釈の仏法が誕生したということでしょうか。それと上流階級のものであった信仰が全ての人のものだという解釈が生まれた事にもよるのでしょう。

親鸞は映画『親鸞 白い道』を観ました。かなり以前に友人がよくわからなかった言っていましたので覚悟してみました。確かにわからなかったです。仕方がないので映画の紹介サイトであらすじを読みやっとそういうことなのかと場面場面があてはまりました。

親鸞は新人の森山潤久さんで教えの道の厳しさが地味で苦難の旅であることが伝わりますが映画も地味です。三国連太郎さんは、親鸞をしっかり研究されていたのでしょう。映画としても妥協しないという姿勢が感じられました。

法然(1133~1212年)から親鸞へとつながっているのは知っていましたが浄土宗から浄土真宗へと変わったわけでその違いについてはわかりません。宗教の教義については全てがわからないと言ったほうが正しいですが。

さて『歎異抄』というのは教科書にも出てきましたのでそういう宗教的本があるというのは知っています。アニメで『歎異抄をひらく』がありました。親鸞のもとで学んだ弟子の唯円が、親鸞の死後、親鸞の教えが間違って教えられていることに危惧を感じて親鸞はこういう風に教えられていたのですよというのを書き表したのが『歎異抄』だったのです。

アニメでもありわかりやすく唯円が親鸞と出会い親鸞の元で修業し、『歎異抄』を書くまでが描かれていました。倉田百三さんの『出家とその弟子』は、親鸞と唯円を中心に描かれている戯曲という事も知り、この戯曲読みたくなりました。

その後に登場するのが蓮如(1415~1499年)ですが、これもアニメ『なぜ生きる ー蓮如上人と吉崎炎上―』がありました。妻と子供を失った男が蓮如の説法から弟子となり了顕と名乗ります。いろいろな迫害があり、越前の吉崎にたどりつき、吉崎御坊が建てます。しかしそこも火を付けられ、蓮如は親鸞直筆の『教行信証』を置き忘れたのに気がつきます。弟子の了顕が取りに火の中に飛び込み見つけますが逃げ出せません。腹を切り裂きその血で教本を守ったのでした。

アニメになると教えも簡略で解りやすくなっていて受け入れやすいです。

道元の映画は、映画『禅 ZEN』です。道元は宋に渡り如浄禅師からひたすら座禅すことを教えられます。ついに心身ともに脱落して自由となる境地まで達し、日本に帰ってきます。これまた理解されるまでには年月がかかり、越前の永平寺でやっと心おきなく自分の進むべき道を貫き曹洞宗の開祖となります。道元は中村勘太郎(現勘九郎)さんで役どころにあっていました。

さてこの人々のもっと先に最澄(767~822年)や空海(774~835年)がいるわけです。映画『空海』は空海が中心ですが、最澄も出てきます。同じ時期に二人とも唐に渡っています。

最澄は特別扱いで一年で日本に帰国し密教も持ち帰りますが、空海は留学生で20年いなくてはならないのに滞在期間が2年で帰国します。長安の青龍寺で恵果和尚から密教を全て学び、多くの経典を持ち帰ります。最澄は空海から密教の教えをうけます。最澄は国師でもあり多忙でありさらなる教えは弟子にまかせ比叡山延暦寺に入り天台宗の祖となります。

空海は讃岐においてそれまで洪水による堤防決壊のためにため池を造成します。そして真言宗の祖として高野山にて没します。空海の場合は永遠の瞑想に入っているということで入定(にゅうじょう)となっています。

空海が北大路欣也さんで最澄が加藤剛さん。朝廷の争いなども整理されて描かれています。

映画「空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎」もありました。原作は夢枕獏さんの『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』で、唐にいる空海が怪奇な世界に導かれます。それは一匹の猫が楊貴妃の死の真実を伝えたいということから起こり、空海はみごとその真実を探しあてます。ではこれから仏の教えの道に集中しようと青龍寺に向かいます。今まで閉ざして開かれなかった門が向こうから開いて受け入れてくれるのです。

そこで待っていた恵果和尚とは、、、、。

美しき王妃の謎解きができなければ空海の密教への道はなかったわけです。まったく異次元の楽しみ方ができる映画です。

追記: 『出家とその弟子』を読みました。唯円は親鸞に導かれて恋を成就しますが、親鸞の息子の善鸞はついに仏を信じると言えませんでした。唯円と善鸞の対比がこの戯曲の主題におもえます。そして親鸞の苦悩もそこにありました。善鸞の誠実さもわかります。

ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』から映画『近松物語』(2)

映画『近松物語』は、歌舞伎の下座音楽を主体でもちいています。音楽担当は早坂文雄さんです。早坂さんは黒澤明監督映画の音楽も多く担当し溝口健二監督とは『雪夫人絵図』『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』『楊貴妃』『新・平家物語』を担当しています。

タイトルで邦楽の伝統楽器での音楽が流れます。物語が始まるとしばらく音楽がありません。不義のために刑場へ行く男女二人の馬上の行列が映されて初めて音楽が流れます。それは不吉な感情を呼び起こさせます。映画的もその計算で挿入されています。この登場人物たちに、これだけ栄えている家にも起こるかもしれないという。

そして、おさんと茂兵衛が会話する場面からまた音楽が入ります。音楽と言っても盛り立てるような旋律とは違います。秋山邦晴さんは、「「近松物語」の一音の論理」で、下座音楽で「現代劇でみられるような人間の心のうごきをの表現として使っている。」としています。

観ているほうは、登場人物たちは気がついていないであろうが事態が悪い方へ悪い方へと引っ張られていくのを感じます。音楽もその方向へ静かに運んで行きます。観ているほうの気分と音が共鳴していくように感じます。

邦楽楽器としては、横笛、締め太鼓、大太鼓、三味線、附け打ちなどが使われています。これらの楽器の「一音」に秋山さんは注目しています。

「太棹三味線の一撥(いちばち)、横笛の一吹き、大太鼓の一打による一音は、その一音だけの存在そのものが複雑であり、それ自体ですでに完結しているともいえる。いくつかの音の関係で旋律や和声という組織によって意味をうちだす西洋音楽とは対比的に、一音の存在それ自体によって意味をもつのである。」

歌舞伎ではこの一音で、風、雨、雪、波などの自然現象を表す効果音がすでに出来上がっていました。それは生で聞く音です。秋山さんは映画音楽の録音という特色から早坂さんが、マイクロフォンを通してその増幅を普段聞いたことのない人にも下座音楽や日本の伝統楽器をの力をつきつけたというのです。

私が興味ひかれたのは、茂兵衛とおさんが茂兵衛の実家に隠れているところを捕まってしまい、茂兵衛とおさんは引き離されてしまう場面です。そのとき附け打ちの音が激しくなります。その後この付け打ちが要所要所で用いられ、観ている者の不安感を増幅させます。

行き先きはハリツケという映像がすでにインプットされていますからそうはさせたくないという願望がわいてくるわけですが、無情にも附け打ちがもう行き先きは決まっているといっているように思わせるのです。

秋山さんは、音楽による心理描写といわれましたが、私には、もっと全体を包む大きな力として感じました。

恋愛は認められないという観念です。さらに身分違いの恋愛は認められず、男性は浮気はいいが女性はならぬということです。おさんも茂兵衛も決まりの枠に収まっていたのです。大経師の主人にとっては、不義密通が家没落となるためとんでもないことなわけです。ただし事が大きくなる原因は主人が作っているのです。おさんの説明をきちんと認めればよかったのです。

おさんは実家のために結婚をし、実家のためにお金をなんとかしようとして茂兵衛に相談します。おさんの衣装はモノクロの映像で美しい光沢を出します。美しく着飾っていてもそれは形式美で満たされてはいないのです。

茂兵衛はおさんを想う心から何とかしようとして主人に見放される。それを助けようとする茂兵衛を想う女中のお玉。お玉は主人に口説かれていたのです。

強欲な人は別として登場人物は良い方向へともがくのですがそれが悪い方向へと転がってしまう力。それに音楽が添っているように思えるのです。

茂兵衛は貧しい家の出です。雇い主のもとで認められ出世するのが夢でしたが、おさんに恋心を抱き、それがかなえられる。それでも、何とかおさんだけは生かそうと考えますが、おさんのほうが自分のいままでの犠牲に成り立っていた生き方に我慢ならなくなり、さらに愛を得るのです。おさんの気持ちの強さに茂兵衛は引っ張られていきます。

ところが強い愛をあざ笑うように観ている者をも不安にさせていく音楽。特に後半の附け打ちの音には効果がありました。

言ってみれば、秋山さんとは違う音楽の感じ方をしていたように思います。

そしてやはり溝口監督はスター長谷川一夫を弱めることはできなかったと再認識です。長谷川一夫さんが大写しになるとやはりスターのオーラを発してしまうのです。立ち振る舞いが美しいですからカメラが引いていても美し映像となります。それがアップになるとやはりスターなのです。

最初に観た印象は簡単には払しょくされないようです。

色々な見方が発見できるのは楽しいことですし、新たなる視点をもらえます。そして、それを陰で工夫している映画にたずさわる人々の想いも素敵です。

ようこそ映画音響の世界へ』の音響スタッフが、こんな楽しいことはないしお金ももらえてとのコメントがいいですね。

近松物語』に劇化・川口松太郎さんの名前があります。川口松太郎さんの戯曲『おさん茂兵衛』が下敷きともなっているのです。川口さんと溝口さんは浅草の石浜小学校で同級生だったのです。お二人とも小学校しか出ていません。お二人の対談で川口さんはそのころの様子を、「『たけくらべ』だね。まるっきり・・・。」といわれています。さすがぱっと情景が浮かぶコトバです。

追記: アンハッピーな映画が続いた後は録画しているBS時代劇『大富豪同心2』を観ます。相変わらずほわーんの卯之吉のそっくりさんの幸千代登場。性格が違うので卯之吉の性格の良さがくっきり。いいぞ!中町隼人! 間違いました  中村隼人!

ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』から映画『近松物語』(1)

ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』(2020年・ミッジ・コスティン監督)は、音響が映像に隠れていた位置を前面に押し出してくれて、映画の歴史をも教えてくれるドキュメンタリー映画でした。出てくる映画を観なおさなくてはと思わせてくれ、何といってもわかりやすいのです。無声映画からトーキーとなり音響の効果と工夫が、マニアックに収集していた人の起用により発展をとげるのです。

一時、ハリウッドは映画を量産し、効果音もスタジオが所有しているものを使いまわしで、拳銃の音も爆発音も同じ音という状態でした。会社は映像ありきで、音は何の力もないとしていたのです。

ところが、そのうち映画はテレビに変わり衰退します。そこから新たな世代の監督たちの音への重要性と工夫がはじまるのです。映像よりも音のほうが観客の感情を引き付けるとしたのです。

スターウォーズ』はシンセサイザーの電子音とおもっていました。ところが、一年間生の音を探し録音し新たな音を作り出していたのです。人間の声と動物の声を重ねたりと観ていて楽しくなってしまいます。

ヒッチコック映画の恐怖を呼び起こす効果音や音楽についてはほかの映像で観ていましたので理解はしていましたが、この世に存在しない登場者やロボットなどの言葉をどうするかなど、こう作られたのかとその手腕に感嘆します。

監督が音響デザイナーとして活躍された方なので、やはり説得力があります。

さてそこから近松映画へというのはどういうことかといいますと、興味深い文章からなのです。

溝口健二集成』(キネマ旬報等からの記事を集めたもの)中に 「「近松物語」の一音の論理」(秋山邦晴)の一文がありました。

日本に映画音楽に邦楽器が早くから使われていて、その前の無声映画時代にも、弁士とともに伴奏音楽として洋楽器とともに参加していたというのです。これは映画『カツベン!』(2019年・周防正行監督)を観れば洋画も時代劇も和洋楽器の合奏で弁士の語りを違和感なく耳にすることができます。

カツベン!』のラストにクレジットがでます。

「 かつて映画はサイレントの時代があった しかし日本には 真のサイレントの時代はなかった なぜなら「活動弁士」と呼ばれる人々がいたから 映画監督 稲垣浩 」

洋画のサイレントの字幕が外国語ですから、それを伝えるために活弁が始まったのかもしれません。そうなると上手、下手が生じ、映像の説明も朗々と伝える芸に代わっていったのでしょう。それが洋画」だけではなく邦画でも続いたのであろうとの個人的予想です。

ハリウッドでは、楽団が音楽を演奏し、台詞はスクリーンの裏でしゃべったようです。そのため効果音の演奏者も映画と共に旅をしたようです。

1877年にト―マス・エジソンが蓄音機を発明します。目的は映画で映像と音の同時再生だったようですが失敗してしまいます。エジソンの志は高かったのです。

1926年、ワーナー社が『ドン・ファン』で音声トラックとして機械で映写機に接続し、映像と音楽が合体するのです。

ハリウッドの話しではなく溝口健二監督の『近松物語』の一音の話しでした。

音の前に、佐藤忠男さんが『溝口健二の世界』で、『近松物語』を「西欧的なラブ・ロマンス」としていますのでその事を少し。

私は 市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(2) で、<『近松物語』は長谷川一夫さんに色気と貫禄があり過ぎて長谷川一夫さんは溝口作品向きではないとおもいました。>と書きました。

佐藤忠男さんは、溝口監督がヒロインたちに彼女たちにふさわしい美しい男性と素晴らしいラブシーンを展開する映画はあまりつくっていないとし、日本的な恋愛映画として『滝の白糸』『残菊物語』『お遊さま』をあげています。これは納得です。

そして「西欧的なラブ・ロマンスを彼が創造したのは、あるいは最晩年の1954年作品である「近松物語」だけであるかもしれない。」としているのです。

私が違和感をもったのは、それまでの溝口作品とは違って愛のためにと駆り立てられひたすら引き離されても会うために行動する激しさだったのです。それともうひとつは、おさんと茂兵衛が琵琶湖で死のうとする場面が美しいのです。ここで終わってほしいという願望でもありました。なぜなら、不義のため刑場に送られる馬上の二人をおさんは実際にみていて、あさましい、主人に殺された方がいいのにとまで言っているのです。

ところが溝口監督は、近松の道徳的解釈から、西鶴の好色さも加えて西洋的ラブ・ロマンスにしたと佐藤忠男さんはいうのです。近松の『大経師昔暦』と西鶴の『好色五人女』巻三をひもといて解説しているのです。ここは二つの作品を丁寧に比較しなかったので参考になりました。

死を覚悟したのでもう言葉にしてもいいだろうと茂兵衛は前からおさんをお慕い申し上げていましたと心の内を伝えるのです。ここで何もかもが変わります。おさんは死にたくないというのです。愛にめざめてしまったのです。

そして、佐藤忠男さんはここから「伝統的な二枚目を型どおりに演じている長谷川一夫が、後半、積極的に恋に生きる決意をしてから、恋人のために決然として運命と闘う西欧的ロマンスのヒーローになるのである。」とし、さらに溝口監督が「その晩年の円熟の絶頂期ともいえるこの作品において、はじめて、二枚目にヒーローとしての力強さを加えることができたのだった。」と活動弁士並みの力の入れようです。

そう捉えるのですか。

今度は、秋山邦晴さんの「「近松物語」の一音の論理」を参考にして再度見直してみることにします。

市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(3)

市川雷蔵さんの『炎上』の主人公・溝口役はスター性を全て消し去っています。こんなに消し去れるものかと驚かされます。どこかにスターとしての顔を出さないと不安になるようにおもうのですが、それを消しても恐れない何かがあります。

市川雷蔵さんが映画に出てから4年目で48本目の映画でした。

原作から考えるとよく映画化に踏み切ったと思います。最後の「生きる」を変えています。なるほどとおもいました。原作と離れて映画は映画として観た方がいいでしょう。

炎上』(1958年・市川崑監督)

溝口が国宝の驟閣寺(しゅうかくじ)を焼いた犯人として捕まり、取り調べ室からの始まりとなります。溝口は小刀で二か所自分を刺し薬で意識朦朧の中を捕まったのです。何も話しません。

溝口の父が亡くなり、その遺言を持って驟閣寺に来た日のことから回想されます。要所、要所でさらにさかのぼって回想されたりしますが、その展開が見事です。そのことがこの作品の流れと、溝口の上手く語れない心情の流れをも助けていて効果的に作用しています。

何といっても雷蔵さんの一つ一つの表情がいいです。驟閣寺に再会した時の表情。自分が吃音であることを寺の人々の前で副師に大きな声で言われ、その後で老師が優しい笑顔で励ましてくれた時の安堵感のわずかな微笑み。

副師は、自分の息子を徒弟にしてもらえない鬱屈した気持ちが溝口に向かったのです。

母が寺に来ます。溝口は母が嫌いでした。母が不貞を犯していた回想となり、父が黙って岬の岸壁に立ち海を見ながら語ります。今度、驟閣を見せに連れていこう。驟閣ほど美しいものはない。驟閣のことを考えただけで世の中の汚い事を忘れてしまう。

溝口は母から寺が人手に渡ったことを聴かされます。父の病からの借金のためです。もう溝口の帰る寺はないのだから一所懸命修業して驟閣の住職になってくれるのが母の夢だといいます。

ところが老師は次第に溝口の話しをゆっくり聞いてくれることがなく溝口を避けるようになります。そんなとき、新京極で女性と一緒の老師で出会うのです。二度も。

溝口は大学で足の不自由な戸苅に近づきます。戸苅は人の表と裏の顔を知っていてズバズバと物を言います。その言葉に反応する溝口の表情も繊細に反応します。戸苅は汚い世間に踏み込んで同じように汚れてながめ、暴くようなところがあります。戸苅は老師が一番嫌がることをするように溝口をけしかけます。

溝口は女性の写真を朝刊に挟み老師に届けます。その結果、溝口は老師にどんどん見放されていきます。溝口は小刀と睡眠薬を買い、故郷の父と立った岬から海を眺め、小刀と薬を握りしめます。

溝口はかつての父の寺をそっと眺めます。知らない住職が出て行き次に父の葬式の列がでてきます。この回想の運びが素晴らしい。溝口もその葬列に加わり、海辺で火葬となります。じっと炎をみつめる溝口。ここで驟閣を美しいまま永遠のものにすると決めたのかもしれません。

勝手に寺を出た溝口は寺に戻されます。

溝内は戸苅と議論します。戸苅は実家が禅宗のお寺でお金を持った住職がいかに俗物で偽善者であるかを語ります。戦争が終わり、老師は世間的手腕があり驟閣を発展させました。溝口はしかし驟閣は違うと言います。驟閣はもともと美しいままそこにあったのだ。金儲けの道具にはしない。驟閣は変わらない。驟閣を自分が変わらせないと言い切ります。

そこに後ろ向きで座っていた女性が、かつて徒弟仲間の鶴川と南禅寺の勾欄から天授庵でみた美しい女性であった。生きているものは変わる。

老師がくれた授業料で溝口は五番町に行き遊郭に上がります。まり子という女が相手しますが、話しただけで何もせず帰ってきます。

驟閣には父の修業時代の仲間の和尚が来ていました。どうやらこの和尚の方が老師よりまともな仏教徒のようですが、溝口の決心を変える力はありませんでした。

溝口は、京都駅から東京に刑事に付き添われ護送されます。駅構内では人々があれが驟閣を焼いた犯人で、母親は鉄道自殺したとささやきます。車中で溝口はトイレに行きたいと言いデッキから刑事を振り払って飛び降り自殺します。

溝口の生きる一番良い道は驟閣のそばで修業し驟閣の住職になる事だったのかもしれません。しかし、その驟閣がお金を生み出し老師さえも変えてしまった。驟閣を美しいまま残すにはどうしたらよいか。溝口の考えた焼くという結論がこういうことだったのでしょう。

美しいとお題目を唱えていたらとんでもなくお金まみれであったというのは今もかわらないことでもっと醜悪になっています(オリンピックなども)。それが日本でも戦争で生き残った人々が作り上げたきた世界でもあるというのも明白です。

出演・溝口(市川雷蔵)、老師(中村鴈治郎)、戸苅(仲代達矢)、溝口に父(浜村純)、溝口の母(北林谷栄)、天寿庵の女(新珠三千代)、副師(信欣三)、鶴川(舟木洋一)、五番町のまり子(中村玉緒)

登場人物がそれぞれ問題を抱えていて、その役どころを皆さん細かい点まで考えられて演じられていて、当時の状況をデフォルメしてくれます。原作で「生きる」としたのは三島由紀夫さんの当時の心象を表しているのでしょう。

市川雷蔵さんは、この後市川崑監督では『ぼんち』(1960年)、『破戒』(1962年)で主演し、『雪之丞変化』(1963年)で助演しており、三島由紀夫原作では『』(1964年・三隅研次監督)に主演しています。『』では雷蔵さんは魅力的な真摯な生き方をみせてくれます。

市川雷蔵さん、37歳という短い生涯においてその幅広いジャンルの映画に出演されていたのには驚かされます。

追記: ここ数週間で観た映画の原作や脚本に川口松太郎さんの名前が多いのにこれまた驚きました。『雨月物語』『近松物語』『編笠権八』『日蓮』『大江山酒天童子』。『大江山酒天童子』は、『茨木(いばらぎ)』『土蜘(つちぐも)』『勧進帳』の変化球の挿入もあり超娯楽時代劇の醍醐味で衣裳が豪華でした。『日蓮』もというのにはその活躍ぶりがうかがいしれます。

追記2: 心配し過ぎと笑われるほうが気が楽です。

インド型変異株でクラスター 東京の中学、生徒と家族14人感染の報道: J-CAST トレンド【全文表示】