本所深川で誕生の滝沢馬琴と小津安二郎監督

本所深川に、映画監督の小津安二郎さん関係の展示場所があるということは知っていたが、なかなか訪れる機会を逸していた。両国あたりをふらふらしているのでこの際にと訪れた。江東区の古石場(ふるいしば)文化センターの一階に「小津安二郎コーナー」として公開している。

東西線の木場駅でおりて、古石場文化センター → 門前仲町駅 → 滝沢馬琴誕生の地 (方向転換) → 小津安二郎誕生の地 → 門前仲町駅 と概略をきめる。予定外の出会いもあるであろう。

とにかく川と橋が多い。そして川辺には散歩道が整備されていたり公園になっていたりする。古石場文化センターに行く10分ほどの間に渡ったのが、舟木橋、汐見橋、東富橋、琴平橋と四つ渡った。

 

 

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汐見橋

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東富橋

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女優の原節子さんが9月5日に亡くなられた。小津監督が亡くなられてから映画界から引退の形となり、その後私生活も公開されることなく、<女優原節子>を美しいままで封印することとなった。「築山秀夫 小津コレクション展 女優原節子と監督小津安二郎」が2月14日まで展示されている。

築山さんは全国小津安二郎ネットワーク副会長をされ、小津監督のご遺族や関係者から提供されたものを展示されているらしい。その都度展示も変わるのであろう。

小津監督が使用していたという撮影用のカメラもあり、それが小さくて、三脚も低く、小津監督ならではの撮影位置なのであろうか。

原節子さんや小津監督の関係雑誌記事や写真、映画のポスターが見やすいように開かれて展示している。その中で、一番印象的だったのが、雑誌に載っていた原節子さんのくわえたばこ姿である。

『秋日和』の顔合わせのパーティーが原作者の里見弴さん宅で開かれ、里見さんが何かをうたわれその喉を披露されたらしく、それに原節子さんが率先して手拍子をされ、吸っていたたばこがくわえたばことなったところを撮られたようである。佐分利信さんもくわえたばこで手拍子されていて、そのときの楽しい空気がよくわかる。こういう場をもつ原さんのくわえたばこが何とも恰好良いのである。

原さんは、何か手伝おうとされたのであろうか。白い割烹着を着て、里見さんが後ろの紐を結んであげている。原さんは恐縮し、そのお二人を小津監督が優しいまなざしで見つめておられる。

小津監督は、亡くなられる前、見舞いに来られた吉田喜重監督と岡田茉利子さんご夫妻に「映画はドラマでアクシデントではない」と言われたそうであるが、アクシデントでおきた原節子さんの先の写真などは映画としては認めない写真ということになるのであろう。

懐かしいというより、いやはやまだまだ映画から刺激を与えられる女優原節子さんと小津監督であると思わせられた。

古石場文化センターでは月に一度映画会を開催しているようで、そのときに配る職員のかたの手作りの<江東シネマ倶楽部だより>には、築山秀夫さんもシネマ雑記を載せられていて、映画好きには興味深い映画だよりとなっている。もちろん頂いてきた。

1月9日から11日まで江東シネマフェステバルが開かれていて、岡本みね子さんと星由里子さんのゲストトークも予定されており、力の入れ方がつたわる。

二階には、映画関係の本とパンフレットやチラシがファイルされていて、あいうえお順に並んでいて100円で売っていた。映画好きの人であろう。椅子に座って一心に目当てのものはないかと探されていた。

 

小津監督の住んだ場所。1(0~2歳・小津監督生誕の地)2(2~9歳・明治小学校に通う)3(20歳・松坂から転居するが関東大震災で焼失)4(21~33歳)

 

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ここで思いのほか楽しい時間を過ごさせてもらい、門前仲町に向かうが右手に小津橋がある。これは、この辺りで富を築いていた小津家にちなんでいるらしく、小津監督はその分家の生まれである。

 

小津橋

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門前仲町から、清州通りの滝沢馬琴さんの誕生地を目指す。途中に小津監督のご両親のお墓がある陽岳寺があり隣に法乗院・えんま堂があった。『髪結新三』の新三が弥田五郎源七に待ち伏せされるのが<深川閻魔堂橋の場>である。関係あるのであろうか。

 

法乗院・えんま堂

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仙台堀川の海辺橋を渡ると深川老人福祉センターがありその前に滝沢馬琴誕生の地の案内板がある。

 

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<1746年に生まれ、旗本松平信成の用心を勤める下級武士の五男として、この地にあった松平家の邸内で生まれ、1848年、82歳で亡くなる。1775年、9歳で父と死別し、その後は松平家の孫の遊び相手として一家を支え14歳のとき松平家を出る。門前仲町に住み文筆で身をたてようと、1790年山東京伝に入門。翌年処女作を発表。> 馬琴さんも苦労されている。

清澄庭園側に渡り、門前仲町に向かう。再び海辺橋を渡るとすぐに、<採茶庵跡>があり仮の縁台に腰かけている芭蕉さんの像がある。仙台堀川に沿って<芭蕉俳句の散歩道>があり芭蕉さんの俳句が並んでいる。<採茶庵>は弟子の杉山杉風の別邸でここから『奥の細道』に出発したと言われている。

 

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確かめていないがここから隅田川沿いには<平賀源内・電気実験の地>もあるらしい。

驚いたのは、公衆トイレの壁に大きく『髪結新三』の閻魔橋の絵があり、 <描かれている橋は「えんま堂」の前に掛っていた黒亀橋、もとの富岡橋である> と説明文があった。やはり関係があったのである。

 

 

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ところが小津監督の誕生の地の案内板が見つからなかった。以前歩いたときに偶然見つけたので簡単に見つかると思っていたら見事に裏切られた。確か芭蕉記念館から採茶庵跡を捜して門前仲町駅に向かった時見つけたと思ったのであるが、地図をみてもこの辺と思うあたりなのだが。

小津監督が通った小学校の位置もわかったので、終了とした。

今回寄れなかったが、昭和初期のたてもの<深川東京モダン館>が観光案内所になっているので、今度は寄ってからまた歩くことにする。

 

追記: 小津安二郎監督の誕生の地の案内板が気になり後日再訪。写真に収める。

 

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映画『駆込み女と駆出し男』

原作は井上ひさしさんの『東慶寺花だより』である。チラシをみて、題名『駆込み女と駆出し男』、駆け出し男は大泉洋さんなのであろう。大泉洋さんのイメージから、喜劇色を強くしたのであろうかと勝手にイメージして映画の公開時も見ていなかった。

見たところ、良い意味で想像をぶち破ってくれた。テンポの緩慢がいい。そこに入る音曲も。次の展開が想像を通過してストンと落ちる。言葉の駆け引きも井上ひさしさんの世界を裏切らない。<駆込み女と駆出し男と駆引き言葉>といった感じである。

さらにきちんと時代が流れている。その中にあって、曲亭馬琴さんが上手く一本線を引いている。曲亭馬琴さんと登場人物とのからみ、これがまた上手い。

江戸という町が、水野忠邦の天保の改革で贅沢はいけないということで庶民の楽しみが奪われていく。戯作者の為永春水さんなども罰される。そうした中で馬琴さんの『南総里見八犬伝』の完成が庶民に待たれるという空気が流れている。

そうした窮屈な空気から逃げ出した中村信次郎が、鎌倉の東慶寺の御用宿・柏屋の身内であったという設定である。井上ひさしさんのその見識からくるこの設定にはただまいる。

江戸時代に女性からの離婚は許されず、唯一鎌倉の東慶寺に逃げ込めばそれが可能であった。

そこに駆け込んだ女とそこから駆け出す男との話とし、その駆け出し男が戯作者を目指す。それでいながら、信次郎は医者見習いというか、医術も多少心得ている。そのために男性禁止の東慶寺にも入ることができ、東慶寺の中にも関われるということになる。どっちつかずの男が、そのどっちつかずで人間の真の姿を照らしてしまう。そのどっちつかずもついに年貢のおさめどきとなるのであるが。

それぞれの登場人物の俳優さんがいい。きちんとその人物像を構築してくれて自然に演じてくれて、すんなりと受け入れられる。それでいてしっかり印象付ける。

馬琴が山崎努さん。信次郎の大泉さんが馬琴と会うのがお風呂屋さんである。そこに登場する江戸っ子の嵐芳三郎さんの江戸弁。こういうところにきちんとした役者さんを配置するこだわりがいい。

女ながらもおじいちゃんに仕込まれた鉄練りを仕事とするじょごの戸田恵梨香さんと堀切屋の妾のお銀の満島ひかりさんの立場の違う腹の座りかた。

じょごを仕込んだおじいちゃんの風の金兵衛の中村嘉葎雄さんと馬琴の交流。

観るほうと同じようにお銀にだまされる堀切三郎衛門の堤真一さん。お銀さんの殺し文句が凄いですからね。真実の殺し文句でしたが。

柏屋の人々も三代目柏屋源兵衛の樹木希林さんを筆頭に仕事に真摯でいながら、どこか空気がもれている。大変な仕事なのに、何かあるとお膳がでて、どっちつかずの信次郎も生き死にの境にいる人々をも受け入れる。

信次郎に相い対すると、仏に仕える人が人の生きる道に合わせ、どこかくずれるのがこれまたおかしい。その得難い力を持っている役どころとして、大泉洋さんはど真ん中である。

渓斎英泉も、英泉らしく登場した。

監督・脚本が原田眞人監督。音楽が富貴晴美さんで『百日紅』『はじまりのみち』もこのかたである。

出演・木場勝巳、キムラ緑子、麿赤兒、高畑淳子、武田真冶、北村有起哉、中村育二、橋本じゅん、内山理名、陽月葦、神野美鈴、宮本裕子、松本若菜、円地晶子、玄里、山崎一、井之上隆志、山路和弘

小説、芝居の『東慶寺花だより』とは一味違う映画作品となった。

東慶寺からまた鎌倉が歩きたくなった。

東慶寺の水月観音菩薩

 

『肉筆浮世絵 美の競艶』展からの映画『百日紅』

肉筆浮世絵展をどこかでやっていたはずと調べたら、上野の森美術館であった。版画と違い肉筆であるから一点しかないわけである。

アメリカ・シカゴのロジャー・ウエストさんの個人所蔵なのだそうである。

映画『百日紅』(原作・杉浦日向子/監督・原恵一)の中で北斎さんのところに出入りしている善次郎は、お栄さんに<だめ善>と言われているが、後の渓斎英泉さんである。今回の肉筆浮世絵展で、英泉さんの絵が見たかった。今までも見ているのであるが、これが英泉だという取り込みかたはしていなかった。お栄さんの<だめ善>から俄然興味が湧く。

映画では、酔っ払い頼りなく机に向かいふうーっとため息をつき、絵を描く姿はない。お栄さんに<部類の女好き>と言われ、そうモテる風情でもない。ただお栄さんは軽くは言ってはいるが、その後の絵師としての才能は認めているらしく、最後に鉄蔵が90歳で亡くなり、その一年前に善次郎が死んだことを付け足して告げるのである。これは、善次郎がお栄さんの中で絵師であったとして死んだことを告げているのである。ここら辺りのお栄さんの言葉少ない語りも結構含みが感じられ、たまらないところである。

絵を見終わってチラシをみたら、12人の美人画の載っているうち英泉さんの絵が3作品載っているのである。驚きました。図録を買わなかったので、大切なチラシとなった。

 

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表に「灯火文を読む女」「秋草二美人図』裏に「夏の洗い髪美人図」である。

 

灯火文を読む女

 

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秋草二美人図

 

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夏の洗い髪美人図

 

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夏の洗い髪美人図」は、顔と手足が大きく腰が曲がっていて美しい立ち姿とはいえない。バランスが悪いのである。そのバランスの悪さを落ち着かすように足元には花を生けた水盤がある。

図書館で美術書の英泉さんの浮世絵を見て来た。英泉さんはお栄さんの言うように<女好き>で、女性のいる色々な場所へ行っている。そして美人画も吉原、岡場所、水茶屋、下働き、町娘など様々な女性をとりあげ、美しさだけでなく、その姿態、媚態、気だるさ、はやる気持ちなど、それぞれの住む世界で生まれる姿を映しだしている。そして美しいと思わせても足をみると甲高で、平面的美しさを拒否しているかのようである。

灯火文を読む女」は提灯の灯りで文を読む遊女であるが、遊女の身体のひねりと衣装の豪華さが、恋文の域をこえた激しさが伝わってくるようで、何が書かれているの、良い事悪い事と尋ねたくなる雰囲気である。

滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』の挿絵を北斎さんは描いていて、英泉さんも描いている。どんな挿絵なのかは見ていないが見たいものである。滝沢馬琴さんも本所深川の生まれであるが、本所にいたのは短いようである。

北斎さんのチラシにも載っている「美人愛猫図」は、女性は美しいがその美人の胸元に抱かれ、着物の襟もとから身体をだしている猫の顔が美人にそぐわないほど可愛くないのが、お栄さんの <へんちきなじじいがありまして> を思い出してしまった。

 

美人愛猫図

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さらに上野の森美術館のギャラリーでは『江戸から東京へ~浮世絵展』も開催されていた。上野近辺の江戸から東京にへの変遷が浮世絵で展開される。

上野の森美術館の前方に清水観音堂がある。ここは、歌川広重さんの名所江戸百景の「上野清水堂不忍池」の浮世絵になっている。そこに描かれている、くるりと曲った<月の松>が復活している。

 

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英泉さんは広重さんと中山道の名所絵も共作しております。さらに英泉さん「美人東海道」というのもやっておりまして、美人の後ろに東海道宿が描かれているわけです。お栄さんのいう<だめ善>は、色々やってくれていますが、お栄さんからすれば「ふん」かもしれません。そして、死ぬのが早すぎるよと言いたかったのかもしれません。

映画『百日紅』は、浮世絵への興味を一段と増してくれた。永青文庫の『春画展』見ておくべきであった。

『肉筆浮世絵展』は1月17日までである。

映画『百日紅』『麒麟の翼』から七福神(2)

日本橋側の墨田川テラスの土手の壁には、ドアのようなものがあったり、レンガが壁の跡のように残っていたりする。小学生の壁画や明治座開場之図などもある。前方には新大橋が見える。

 

明治座開場之図

 

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上に木々が見えるので、この辺りが浜町公園であろうかと上にあがるとドンピシャリであった。浜町公園には中央区平和都市宣言の碑があった。

 

中央区平和都市宣言の碑

 

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水天宮が改修中で仮宮が明治座の前にある。映画『麒麟の翼』では七福神の最後が水天宮であったが、最初に参拝することになった。映画『麒麟の翼』と七福神の関係は、殺された青柳さんが、<椙森(すぎのもり)神社>に千羽鶴をお賽銭箱に置いて写真を撮っていたことがわかり、そこから青柳さんは七福神めぐりをしていたのではという疑問点が浮かび上がる。

 

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私は、 水天宮(弁財天)→笠間稲荷神社(寿老神)→末廣神社(毘沙門天)→椙森神社(恵比寿神)→寶田恵比寿神社小網神社(福禄寿)→茶ノ木神社(布袋尊)→松島神社(大国主) とまわった。

映画『麒麟の翼』では、加賀刑事が 寶田恵比寿神社小網神社茶ノ木神社とまわり、松宮刑事が 松島神社末廣神社笠間稲荷神社 とまわり、二人で改修前の水天宮に向かうのである。

七福神であるから日本橋の七福神巡拝地図も七つの神社で、寶田恵比寿神社が入っていなかった。恵比寿様が重なるからであろうか。詳しいことはわからないが、八つでもいいように思うが。日本橋七福神の特徴はすべて神社で構成されていることだそうである。

 

小網神社茶ノ木神社の途中に兜橋をみつける。

 

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鎧橋案内碑には谷崎潤一郎さんが幼年時代に観た鎧橋周辺の記述がある (鎧橋の欄干に顔を押しつけて、水の流れをみつめていると、この橋が動いているように見る・・・・・  私は、渋沢邸のお伽のような建物を、いつも不思議な気持ちで飽かず見入ったものである・・・・・  対岸の小網町には、土蔵の白壁が幾棟となく並んでいる。このあたりは、石版刷りの西洋風景画のように日本離れした空気をただよわせている。) 

 

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無事七福神めぐりも済ませ日本橋へ向かう。

またまた江戸橋を渡り、地下道をくぐって日本橋に向かう。新しい銀行か証券会社の建物に古い建物だった時の出入り口が一箇所だけ残されていたのがアート的で面白い。

 

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日本橋船着き場の船をみると乗船者でいっぱいである。隅田川で途中でみたときは乗船者も少なかったが午後になると人の出も多くなってきたようである。

日本橋の交番では外人の旅行者に「たいめいけんは・・・」と警察官が説明をしていた。外国の旅行者はよく調べて旅をしているように思う。映画『麒麟の翼』でも警察官は最初は外人に何か説明をしていた。

日本橋の<麒麟>も旅行者の写真のモデルとして大忙しであるが、愛想はふりまかず泰然としている。それとも頭上の高速道路が気に入らず不機嫌なのであろうか。

 

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そこから、東京駅の八重洲中央口のシャングリラホテル東京の前にいく。ホテルに用事があるのではなく、そこの前から日本橋エリアに行く無料バスがでているということなので乘ってみたかったのである。10時から20時まで10分間隔で運行している。(メトロリンク日本橋~無料巡回バス~))

外堀通りから永代通りに曲がり停車したところの左に竹久夢二ゆかりの港屋跡地の碑が見えた。バスは左右どちらに座るかによって見えるものが違う。バスで日本橋を渡るのは初めてである。新日本橋駅の近くから中央通りをUターンしてきて、再び日本橋を渡ったところで降りたが、バスは京橋までいって東京駅の八重洲口にもどるのである。

今年はバスを使って移動して見たいとも思っていて、その先駆けとしての実験体験という形となった。地下鉄は時間が確実であるが、途中の景色が楽しめないのが残念でもあるのだ。

さてさて今年は、どんな街や路地と出逢えるであろうか。

 

映画『百日紅』『麒麟の翼』から七福神(1)

2013年の1月に日本橋の七福神めぐりをと思ってから3年が経ってしまった。( 推理小説映画の中の橋 

映画(アニメ)『百日紅~Miss HOKUSAI~』は、葛飾北斎の娘のお栄を主人公にしている。

お栄さんは北斎さんの三女で、葛飾応為という絵師である。映画は、文化11年 1814年夏とある。お栄さん23歳の時である。

葛飾北斎さんは本所の生まれで1760年に生まれ1849年に亡くなったとされている。この映画の頃は北斎さん54歳あたりということになる。

ということは、勝小吉さんが、1802年生まれで1850年になくなっているから、本所のどこかであるいは両国橋あたりですれ違っていたかもしれない。ただ、北斎さんは10本の手足の指では足りないほど引っ越しをしていたので本所にずっといたのかどうかはわからないので想像上のことである。この時代の本所は、変わり者の逸材が多く交差していたようである。勝海舟さんは、1823年から1846年まで住んで居る。

百日紅(さるすべり)』は両国橋を渡ってのお栄さんの登場である。原作は杉浦日向子さんである。杉浦さんの早すぎる死はなんとも残念である。しかし、お栄さんを描いていたとは、さすが杉浦日向子さんである。脚本は丸尾みなさん。監督は、木下恵介監督を描いた映画『はじまりのみち』の原恵一監督である。

お栄さんの人物の絵といい、しゃべり方といい(声は杏さん)お栄像を満喫させてもらった。周囲の人々の描き方も良い。目の不自由な妹のお猶(なお)との交流も絵師としてのほとばしる感性をそっけなく押さえているところが何んとも心憎い。

はじめに< へんちきなじじいがありまして >と父の北斎を紹介するのも、父を鉄蔵と呼び捨てにするのも、絵師葛飾北斎を一番わかっているのはお栄さんなので、かえってすがすがしい。

その彼女に誘われる様に、そうだ両国橋を渡って浜町まで歩き、日本橋の七福神めぐりをしようと思い立ったのである。

赤穂義士が渡らなかった両国橋を渡ることにする。

それから、葛飾北斎さんの生まれた通りは北斎通りと呼ばれ、今年あたりに<すみだ北斎美術館>として開館されるようで愉しみである。

両国橋を渡る前に隅田川ぞいの隅田川テラスを歩くことにして、隅田川テラス入口と表示のあるところから登ってテラスに下りる。蔵前橋方面の川上に進む。

 

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汐によって川の水面が違い、夜歩いたときよりも水面が高いように思える。伊勢湾台風の時には、潮位が+5.02メートルとある。凄いことになっていたのである。

 

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川を遮る手すりには相撲の技が二人の力士により形づくられている。そして、土手側の壁面には北斎さんの絵が描かれている。北斎さんは隅田川両岸の人々の暮らしを多数描いている。

 

 

駒形の夕日栄・多田薬師の行雁

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そのほか、赤穂義士が両国橋まえで勢揃いしている絵もある。

両国橋方面に向きを変え両国橋の下から柳橋を見ると、日中は柳橋も灯りがなくおとなしい緑いろの姿である。

 

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お天気もよく暖かなお正月で、隅田川テラス散策も快適である。

テラスから上がり両国橋の前に立つ。反対側には、赤穂義士の大高源吾の句碑と日露戦争の慰霊碑が見える。

 

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両国橋からスカイツリーが見えたのであろうが、お栄さんの映像が頭にあって渡ることに集中し川をながめたりしていた。対岸に渡って柳橋。

 

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そして両国広小路の石碑があった。明暦の大火で橋が無かったために10万余の人が亡くなっている。対岸に行ければ助かったであろうことから武蔵国と下総国の二国をつなぐ橋として両国橋はかけられる。上野、浅草と並ぶ江戸三大広小路で、盛り場であったが今はその面影はない。

 

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信号を渡り、<薬研掘不動尊>による。そこから隅田川方面に出たがテラスに下りるところがないので、両国橋のたもとまでもどりテラスに下りる。途中の路地から見えたスカイツリーがすっきりとしていた。

 

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反対のテラスから振り返って見える構図が、『百日紅』の最期の絵の構図であった。

 

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北斎さんが90歳でなくなり、それから8年後お栄さんは姿を消すのである。どこで死んだかも不明である。

 

映画『母と暮せば』

映画『母と暮せば』を今年中に観ておきたかったので、朝イチで観る。多くの若者と同じ映画館の階でエレベターを降りる。彼らは『スター・ウォーズ』であろう。

やはり今年中に見ておいて良かった。どうして12月の公開にしたのか疑問であったが、それには意味があったのである。

長崎に原爆を投下する、アメリカの飛行機の中から映画は始まる。天候が悪く、第一候補の小倉から長崎に変更される。レーダー関知ではなく目視確認で投下せよとのことで視界は雲で覆われている。目視できなければ中止との命令である。

ところが一瞬雲が切れ長崎市街が眼下に見える。

青年は長崎大学の医学生である。教室でインクの瓶のキャップを取り、大事にしている万年筆にインクをつける。光とともにインク瓶は軟体物のように、変形していく。

それから3年、青年は、あちらの世界から母の前に姿を現す。

映画『父と暮らせば』は、広島の原爆で生き残った娘のところへ死んだ父親が現れる。生き残ったことに罪悪感を持っている娘を、その状況から救い出し父親は姿を消す。

『母と暮らせば』は、やっとのおもいで生きている母親が、死んだ息子の魂を鎮めてやる役割となる。母にとって、息子があちらの世界でもし生きていると同じ感情があるとすれば、自分の死に対してどう思っているかということが気がかりなことである。クリスチャンの母は息子の死を運命とは思っていない。それは、人が考え計画した理不尽な死と考えている。

おしゃべり好きで明るい息子は、母との会話で自分にとってつらい悲しいことがあると消えてしまう。そのことを知っていながら、母はつらくて悲しいことがらにも触れる。

あの子のことである。必ずまた会いにきてくれると信じている。母は死んだ息子を導いてやるのである。そのことを成し遂げなくては、息子の魂は鎮まらないと考えているようにみえる。

母は息子と共に、最後の人ととしての仕事を成し遂げるのである。

息子の浩二役の二宮和也さんの少し幼い感じが、亡くなって三年経って、その間生き残った人々の試練に耐えている時間差の違いが上手く表れていた。

吉永小百合さんの母親は、その幼さの三年間を埋めてあげるように、浩二と会話していく。最初は、ただ会えることに喜びを見出して思い出話などをしていると思っていたが、途中から死した人でありながら、この母親は失われた三年間の息子の成長に手を貸しているのだと思えた。時には優しく、時には凛として、時には笑顔で。そうすることが、息子の魂を鎮めてあげることなのである。

そう思えた時からは、もう涙、涙であった。

生と死の間での濃密な母と息子の時間である。こういう関係もありなのである。山田洋次監督の優しさである。さらに山田監督は、その濃密な時間を共有してしまった人に、さらなるつらい過酷な時間をこれ以上与えてなるものかと一つの結論を与えた。山田監督流のいたわりであろう。

浩二の恋人役の黒木華さんの己の内面の成長ぶりがホッとさせつつ心に沁みる。そこに加わる婚約者の浅野忠信さんの誠実さがしっかり前を向いている。

本当にいい人なのかどうか、ちょっと疑ってしまう闇物資ブローカーの上海のおじさんの加藤健一さんの存在も無理が無い。

ところどころで、台詞に想像力が加わる。生徒が傘がなく学校に行けないと泣くので先生が生徒の家によって傘に入れてあげる。この先生が浩二の恋人の町子なのであるが、<栄養失調で抵抗力がない子が多く、雨で風邪などひいては大変なので学校は休んでいいというのですが>というところがある。これは、戦後の当時の子供たちの切実な状況を現していると思えた。

浩二は映画監督になりたいと思った時もあって、映画を観て来たと母につげる「どんな映画。」「イギリスの『ヘンリー五世』。」「お母さんが近頃観た映画は何。」「『アメリカ交響楽』。」「ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」いいよね。どうしてアメリカはあんな良いものを作りながら、あんなことも出来ちゃうんだろう。」

私だってアメリカの映画や音楽などを楽しんでいる。でもどうしてなのであろうか。戦争となると、無抵抗の市民の命をも簡単に奪ってしまうのである。だから全面的には信用はできないのである。

目をしょぼつかせて外に出ると、買い物客で賑わっている。三人ほどの友人や知人に遭遇する。

映画を観て来たことを告げると、余裕だねと言われたり、観たいと思って居るんだけど年末に入ったからね、さすがやりたいことは朝のうちに済ませたのねなどと言われる。

夜中にもう一つやることがある。『アメリカ交響楽』を観る事。

 

宇都宮と大谷地底探検

餃子の街宇都宮であるが、自転車の街宇都宮でもあった。『サクリファイス』を読まなければタウン情報誌を見ても気に留めなかったであろう。プロサイクリングロードレースチーム「宇都宮ブリッツエン」は特定の企業に依存せず、地元企業や個人支援者に支えられているチームで、日本初の地域密着型とのこと。

古賀志エリア・森林公園は、ツール・ド・フランスなどの世界トップクラスの選手が一堂に会する「ジャパンカップサイクルロードレース」のコースの一つになっている。

宇都宮は<二荒山(ふたらさん)神社>の門前町として栄えたまちで、この神社は源頼朝や徳川家康などが戦勝祈願したと言われている。JR宇都宮駅から歩いて15分位であろうか、この近くに評判の餃子屋さんがあるが、お客さんが並んでいるためここで食したことはない。

大谷石の採石された大谷地区へは、バスなら最初に行っておいたほうがその後の計画にゆとりをもてる。大谷石は二千万年前に火山の海底爆発でできた凝灰岩(ぎょうかいがん)の一種で、大谷石が有名になったのは、旧帝国ホテルに使われ、関東大震災で耐震と火災に強かったことである。

<大谷公園>、<平和観音>、<大谷寺>と石の自然と人工の芸術郡である。<大谷寺>は弘法大師開基といわれ、古代の横穴に建てられた観音堂の中には平安時代に造られたといわれる「大谷観音」(千手観音立像)があり、その他十体の磨崖仏が並んでいてこれまた大きくて見事である。そこから、<大谷景観公園>へ向かいそれこそ景観を楽しみながら<大谷資料館>へと進む。<大谷資料館>は石を採石した後の地下が石の神殿のような空間となっていて灯りに照らされた内部は神秘的である。

市街地にも大谷石の建物は幾つかあるが大きな建物としては昭和初期のカトリック教会の<松ヶ峰教会>がある。こちらは東武宇都宮駅方面で、JRと私鉄東武は離れているので見るとなるとかなり歩くことになる。タクシーを使うか飛ばすかである。

友人から大谷石の採石した地下をゴムボートで探索する旅があり、なかなか予約出来ないが、キャンセルがあったから行かないかと誘われて即決である。

JR宇都宮駅からバスで<道の駅 ろまんちっく村>へ移動、そこで案内人と他の参加者と合流してマイクロバスに乗り換えて出発である。この企画は地質調査をした個人の私有地へお邪魔するのである。最盛期には200位の採石所があったらしいが、今は数ヶ所である。

途中大谷石の建物があるが、明治時代に建てられていて、一度も水洗いなどしていないのに綺麗である。汚れが目立たない。質の良い大谷石は、汚れにくいらしい。

休日なので作業はしていないが現在も採石している採石場を見学した。そこで、案内の方が、「ここはアニメの『天空の城ラピュタ』の一場面を思い出しますよ。」と言われる。上からみると凄い深さまで採掘されていて、足場から覗く形となり、採掘の機械などもあり、シータが天から降って来て、パズーが受け止める場面設定と似ているのである。「なるほど!」である。

採石していた石工さん達の休憩所も大谷石の小屋であるが、質の落ちる小さな穴があいている石を使っている。最初のころは手掘りでそれから機械化されているわけで、手掘りは手掘りならではの綺麗な線が残っている。縦に掘って行き、良い石の層が見つかると横に掘っていくのである。30年前に採石を止めその後地質調査で入ってみたら水が溜まっていたのである。そこで、地下クルージングを企画したらしい。

用意してくれた長靴、ヘルメット、救命具を身につける。小さな電気にぼんやり照らし出される水面に浮かぶゴムボートに乗る。電気の点いているところもあるが、ライトを照らしての深淵な雰囲気の中を8人づつのゴムボート二隻が静かに進む。天井の低い所は触ると湿気を含んでいてざらざらしている。違う場所に降りたち、さらなる採石跡へ向かう。低い所、階段が出来ている高く掘られたところなど、良い石を求めて掘り進めたのであろう天井の高低差があり急に広い空間に出たりする。

地下クルージングは30分位であるが、<大谷資料館>とは違い、石工さん達の労働の姿が想像出来、さらに、溜まった地下水から生きている自然の力を感じる。

何年か何十年かするとまた違っているのであろうか。この地下の冷気を使って夏イチゴを作ることに成功したようである。再活用の道を模索している大谷地区である。案内してくれた若い方も、新しい楽しみ方のアウトドアを捜している様子が生き生きとしていて楽しかった。

アニメ映画『天空の城ラピュタ』を見直した。こちらは青く光る飛行石である。海賊の女首領ドーラがたくましい。ドーラの息子が、シータがいずれママの様になるの?と心配しているのが可笑しかった。

 

長野~松本~穂高~福島~山形(番外篇)

映画『男はつらいよ』の寅さんが山形の慈恩寺に行っている。16作・葛飾立志篇である。葛飾柴又の「とらや」に修学旅行生の桜田淳子さんが寅さんを訪ねて来る。寒河江(さがえ)町から来て、寅さんが自分のお父さんではないかと確めに来たのである。それは思い過ごしであったが、桜田さんの母親が昨年亡くなったことを知り、寅さんはお墓参りに行くのである。そのお寺がどうやら慈恩寺らしい。そこの住職が大滝秀治さんである。

御前様・笠智衆さんの姪御の樫山文枝さんが大学の考古学の助手をしていて、「とらや」に下宿することになる。やっと、茶の間からの階段を上がる部屋が見れた。寅さんはいつも台所の土間からの階段を上がった部屋であるが、そこを樫山さんが使うことになり、寅さんは二階のいつもとは違う部屋に寝泊りするのである。茶の間からの階段の部屋が気になっていたのでこれで一つ解決。

巡査が米倉斉加年さんと劇団民藝の方が3人出られている。樫山さんの師の大学教授が小林桂樹さんである。ラストは小林桂樹さんは樫山さんにプロポーズして断られ、寅さんは小林さんがだれにふられたかは知らないで二人で一緒に旅をしている。

「七つ長野の善光寺 八つ谷中の奥寺で 竹の林に萱の屋根 手鍋下げてもわしゃいとやせぬ 信州信濃の新そばよりも あたしゃあなたのそばがよい」

市川市文学ミュージアムで『山田洋次☓井上ひさし展』を開催している。( 2015年11月21日 ~ 2016年2月14日まで)

お二人の縁と、笑いと平和に対する想いなどが中心である。その他12月12日に公開される山田監督の映画『母と暮らせば』の小道具や衣装など、さらに『男はつらいよ』の「とらや」の茶の間のセットもある。井上ひさしさんのカード式メモは読みやすく几帳面に記入されていて驚いた。誰が見ても資料になる。そして、『男はつらいよ・葛飾立志篇』のタイトル前の寅さんが馬の引く荷台に乘っている大きな写真があり、出た!

文翔館では映画『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』の撮影があったが、この映画の撮影現場として、栃木県宇都宮にある<大谷資料館>でも知らされた。こちらでは、背景が白なので剣を交える場面を撮りそれを合成して映像化したのであろうと思うが。

映画『セーラー服と機関銃』で、薬師丸ひろこさんが捕らえられ十字架に張りつけになる場面がある。その白い巨大な柱郡はセットではないし、どこで撮ったのであろうかと気になっていたが、<大谷資料館>に行って納得であった。ここかと思ったら、ここで撮影されたとの掲示があった。

そんなこんなで『るろうに剣心』『るろうに剣心 京都大火編』『るろうに剣心 伝説の最期編』をレンタルした。『るろうに剣心』は剣心が刀を逆刃刀にして人を斬ることをやめるのであるが、その理由が弱くこちらには伝わらなかった。闘いのスピード感に比して、かおるとのやりとりなどの間の長さのギャップに閉口してしまった。続きを見るかどうか躊躇したがとにかく見ようと『るろうに剣心 京都大火編』を見ると、様々なキャラの人物が出て来て、会話部分の間もよくなり、剣心の佐藤健さんのアニメ的台詞も身につき良くなって面白くなった。ただ『るろうに剣心 伝説の最期編』では、剣心の剣の師が福山雅治さんで福山さん長髪似合わないし、ちょっと違うなと思ってしまった。

剣心の子供時代の事と新婚の侍を斬ってしまう重大な剣心の心の芯の決め所が弱かった。それに対し、藤原竜也さんの志々雄は生き残ってしまったら怨みしかないであろうということは明白。田中泯さんが引き締め、伊勢谷友介さんとの関係を盛り上げ御庭番のその後に色添え、幅が広がった。漫画、アニメの見ない者にとって、青木崇高さんの左之助の単純さが気分を変えてくれる。

漫画には漫画の、アニメにはアニメの、実写には実写の、芝居には芝居の心意気があるのであろう。というよりそれが必要である。

 

旧東海道の『丸子宿』『宇津ノ谷峠』での話題

JR静岡駅北口から200メートル先に旧東海道がある。そこから丸子宿を目指し、さらに宇津ノ谷峠を越し岡部宿となる。

府中宿は『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎一九さんの生まれたところらしく、生家伝承地碑があるが、旧東海道からはそれているので確かめてはいない。駿府城跡地の駿府公園手前に札の辻跡がある。四つ辻にあった高札場である。

 

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七間町  家康が駿府96ケ町の町割りをした時のひとつ。道幅が七間。

 

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一里塚跡

 

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由井正雪墓碑

 

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丸子宿に入る前に大きな安倍川がある。安倍川を渡る前には安倍川餅である。柔らかくて美味であった。安倍川餅といえば、黄な粉であるが、黄な粉、あんこ、わさび醤油と三種類に舌づつみである。

 

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 安倍川義夫の碑   ある人夫が旅人の財布を拾った。旅人はお礼をしようとしたが受け取らない。奉行所が代わりに褒美を渡した。

 

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安倍川架橋の碑

 

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一里塚跡

 

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丸子宿の丸子川を渡る手前に<十返舎一九膝栗毛の碑>がある。その手前に<本陣跡><お七里役所跡>がある。西国の大名は江戸と自分の領国の間の通信網として七里飛脚を使っていた。五人一組の飛脚を<お七里所>に配置していた。この丸子の<お七里役所跡>は、紀州徳川家の<お七里役所跡>である。

普通便は8日で、特急便は4日で到着したそうで、毎月三回、江戸からは5の日、和歌山からは10の日に出発した。この日には飛脚が着くという日がわかっていたわけである。それ以外の日につけば、緊急であろうから受けたほうは緊張したことであろう。

 

本陣跡

 

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お七里役所跡

 

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そして丸子宿といえば、とろろ汁である。弥二さん喜多さんはこのとろろ汁が食べられなかったこともあってか<十返舎一九膝栗毛の碑>は、とろろ汁のお店の前にある。この日はそのとろろ汁のお店が休みで、弥二さん喜多さんと同じ運命かと思いきや、他のお店が開いていて無事食べることが出来た。満足。

池波正太郎さんは、岡本かの子さんの小説『東海道五十三次』の中で丸子宿でとろろ飯をたべている場面からどうしても食べたくなり丸子宿を訪れている。とろろ汁もであるが、岡本かの子さんの短編『東海道五十三次』も読めてこれまた満足である。

 

岡本かの子の碑

 

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京方見付跡

 

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丸子宿宇津ノ谷峠は、河竹黙阿弥の歌舞伎『蔦紅葉宇都谷峠』の舞台にもなっていて、是非ここは通りたいと思っていたのである。

 

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お羽織屋   秀吉から陣羽織を与えられた。

 

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歌舞伎の『蔦紅葉宇都谷峠』の紹介記事展示

 

 

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宇津ノ谷峠は、明治のトンネル、大正のトンネル、昭和のトンネル、平成のトンネルと時代ごとのトンネルがある。明治、大正は散策コースにもなっていて、さらに蔦の細道と幾つかの散策道があるが、こちらは、ひたすら旧東海道である。宇津ノ谷峠への登りがきつく大丈夫かなと思ったが登りが適当なところで終わってくれ、下りが長かったので助かった。

旧東海道を歩いていると距離の単位が<里>になっていて、言葉に何里とかでてくると、その遠さなどがすぐ体感できたりする。一里はなくても、高さがあると時間がかかるということも考慮に入れる。峠は薄暗く、やはり、川と峠は旅人の脅威である。そして、雨も。次の日雨となり、途中で早めに行程をあきらめて、駿府城見学に変えた。その夜、風が猛威を振るい箱根では木が倒れ、箱根鉄道は運休となったようである。

行くとき今回は富士山が全身を現してくれたのであるが、土色で何かぼやけてみえる。風のための土煙の影響であったようだ。

さて、今回、ツッコミを提供してくれたのは、テレビの『陰陽師』と映画『図書館戦争』である。『陰陽師』は、晴明と博雅の関係にブーイング。夢枕獏さんの『陰陽師』ではないとの結論。といっても、こちらは歌舞伎の染五郎さんと勘九郎さんのコンビを最高とおもっているので、原作と比較できない。脚色されるのは仕方のないことではあるが、原作を一冊読んだ。原作よりも、歌舞伎の晴明と博雅の微妙な関係のほうが味がある。やはり原作は読むべきである。『今昔物語』にも出てくる話しが書かれてあった。そして蝉丸さんが出て来た。あの世とこの世の境とされる<逢坂山>に庵を結んだと言われる琵琶の名手である。蝉丸さんが出てきてくれたことだけをとっても原作を読んでよかった。生きた人と人が作り出す芝居や映像は、原作とは違ってしまうのが宿命であろう。

かつては、原作派で、原作の良いものは、映像とか芝居は観る気がしなかったが、近頃は映像などで短時間でその概要を捕らえることが多くなった。原作を読む時間がないということ、集中力が低下して、本を読むのに時間がかかるのである。

映画『図書館戦争』は、原作を読んだ友人から、<図書館の自由に関する宣言>があるのを知っているかときかれ、知らないというと、こういうのがあるのだと教えてくてた。作家の有川浩さんも、<図書館の自由に関する宣言>を知ってそのことから作品の発想が生まれたようである。さっそく、レンタルする。不適当な本として取り締まる側とそれに抵抗し本と読み手の自由を守る人間とが戦争にまで発展してしまうのである。アニメ映画にもなっているらしい。原作は5巻くらいありさらに別冊が2巻あるらしく読むなら貸すといわれたが断る。今、その本を入れるゆとりがない。

映画ではやはり短すぎるが、こういう展開なのかということはわかる。

<図書館の自由に関する宣言>があるということを知っただけでもよかった。今、民間に図書運営を任せ問題点があることが住民から指摘されたりしている。資料として古くなったりしたものや、定説が新しい事が発掘され変更になったものなど、専門家の図書司書の方がきちんと調べてそろえたり、保存していくのが図書館の役目でもあるようである。そういえばこちらが調べたいことを察して、その関係ならこういう本もありますよと言ってくれた図書館の人もいたが、今はそんなこともない。ただし、個人情報として立ち入ることを避ける必要があるのかもしれない。

ただ、捜してる本の場所を見つけるのが、かつての係りの人はもっと早かったと思わされることは多い。

今夜、テレビで『図書館戦争』放送されるらしい。男女の背の高さが、かなり重要なポイントでもある。

TBSテレビ 21時~

映画監督 ☆川島雄三☆ 『還って来た男』『東京マダムと大阪夫人』(2)

『東京マダムと大阪夫人』は、芦川いづみさんの映画デビュー作品で、川島監督が撮影の高村倉太郎さんと組んだ最初の作品でもある。月丘夢路さんの妹役を松竹少女歌劇に探しにゆき、芦川さんに決まる。高村さんによると「ずいぶん少女歌劇に通いましたよ。それで何日か通ってあの子がいいんじゃないかと目星を立てて彼女を口説いて俳優さんに転向させたんです。」とのこと。

川島監督の映画『純潔革命』で初めて主役をもらった三橋達也さんは、川島監督を「これはただ者ではないな」と思ったのが『東京マダムと大阪夫人』で、ストーリーは覚えてないが川島さんの才能に舌を巻いた記憶があるという。この映画の感じが大船調喜劇だそうで、<大船調喜劇>と言われていた映画があったのを知る。ストーリーは覚えてないと言われているが、確かに退屈な部分がある。そこをリズムと台詞と映像で引っ張て行く。

東京の郊外の社宅でのてんやわんやの話しであるが、場所はあひるヶ丘と名付けられ、奥様達とあひるが交互に映されてその喧しいこと。ところが、社宅はモダンで、隣り合わせの社宅に江戸っ子の奥さんと大阪生まれの奥さんが住んで居る。それが東京マダム(月丘夢路)と大阪夫人(水原真知子)で、マダムはお洒落な洋服に白いフリルのサロンエプロンで、夫人は和服である。二軒長屋形式で庭の境目に洗濯用の水道がある。共有で使うのである。大阪夫人が洗濯機を買ったから大変である。東京夫人もさっそく夫に要求する。

会社では、東京マダムの夫(三橋達也)と大阪夫人の夫(大坂志郎)の机が隣り合わせである。課長宅には電話があり、皆さんその電話を使わせてもらうので、家庭も会社も筒抜け状態である。あひるヶ丘夫人連合の先頭は課長夫人(丹下キヨ子)である。東京マダムのところへマダムの妹・康子(芦川いづみ)が、古い下駄屋の暖簾のために店の職人さんと結婚を決められ嫌で家出してくる。大阪夫人のところへも飛行機乗りのずぼらな弟・八郎(高橋貞二)が来ていて、お互いに好い雰囲気である。

さて、専務社宅もあり、専務夫人は大阪出身で大阪夫人は専務宅へ挨拶に。専務の娘・百々子(北原三枝)は、八郎が気に入り積極的恋愛主義で進む。消極的恋愛主義の康子は諦めて家にもどるが、百々子は八郎が好きなのは康子と知ると、積極的恋愛応援団長として康子と八郎との仲を取り持ってしまう。

課長(多々良純)は栄転で引っ越すこととなり、あひるヶ丘は新しい課長夫人が早くも先頭に立って、あひるの合唱が始まっている。

川島監督は北原三枝さんと芦川いづみさんの持ち味を決定づけた監督でもあるように思える。日活にいってからの北原さんと芦川さんの『風船』の役にしてもそうである。北原さんは常に前進し、芦川さんは一歩引いて芯を見せるといった風である。

川島監督は、高橋貞二さんの操縦するセスナを宙返りさせてくれと要求し、セスナは実際には宙返りできないので、高村さんはキャメラを回転させる手法をとる。川島監督は高村さんに、「おれとおまえの間では“できない”ということは言わない。」と約束させた。そのコンビも川島監督が東宝に移り終わってしまう。

高村さんのところへ川島監督が亡くなる数日前に突然電話があった。『渡り鳥』シリーズをやっている頃で、「お前は最近堕落している」「おまえはああいう作品をやってはダメだ」と言われれる。高村さんは言い返す。「ダメだって言ったって、おれは会社の人間だから会社にいわれればやらざるを得ない。そんなことより、おまえはおれを見捨てて行っちゃったじゃないか。」川島監督の返答。「いや、そうじゃない。次はおまえとやるんだからスケジュールを空けてまってろ。」

高村さんは、ずーっと会っていなかったのに「おまえはダメだ」と警告してくれたのはやっぱりうれしいなと思い、その後も川島監督のお墓参りのときは、「おれはまだ待ってるんだよ」と話しかけると語られた。