浅草映画『青春怪談』

映画『青春怪談』(1955年・市川崑監督)は、昭和30年にこんな感覚の映画がコメディータッチで撮られていたのかとそのモダンさに驚かされる。原作は獅子文六さんで『ちんちん電車』を書かれているので浅草の何処がでてくるのか楽しみである。脚本は和田夏十さん。芦川いづみさんの日活入社第一回作品ということである。

芦川いづみさん(新子・シンデレラを短くしたシンディが愛称)は、バレエ学校の先輩である北原三枝さんを慕う後輩役である。北原三枝さん(千春)の男の子ような話し方や性格のさっぱり感が魅力的で、魅かれるシンディの芦川いづみさんが少女のような可憐さで千春に接する。北原三枝さんの日本人離れしたスタイルが、役にピッタリである。二人はレスビアンともとれるが、その辺は勝手にそちらで自由にどうぞ、あなた達の見方に私たちは左右されないはという雰囲気が漂っているのがなかなかである。

千春にはボーイフレンドで美男子の慎一(三橋達也)がいる。慎一は女性にモテるが近づく女性はビジネスのパートナーとして考えていて、千春の男っぽさが気にいっている。千春は父親・鉄也(山村聰)だけで、慎一は母親・蝶子(轟夕起子)だけである。千春と慎一は父と母を結婚させることにするが、その前に千春と慎一が結婚することが得策となり、二人はあっさりと結婚式を決めてしまうのである。

そして、それぞれ父と母を伴い浅草で合流し、二人だけをタクシーに乗せてデートさせる。この時の浅草の待ち合わせ場所が吾妻橋のところである。千春と哲也は吾妻橋側の地下鉄浅草駅(寺院形式)から慎一と蝶子の待つ吾妻橋たもとへ。東武鉄橋がみえる。吾妻橋交差点がしっかり映り、そして対岸のビール工場、タクシーを止めて都電の走る雷門通り東武浅草駅神谷バー地下鉄ビル仁丹塔等が映る。さらに花川戸交番。『昭和浅草映画地図』(中村実男著)を参考に観ているのであるが、旧浅草駅ビルはわからない。他の映画でもこちらが確定できない物は載せていない。

都電がしっかり映っていて獅子文六さんも満足でしょう。こちらも満足です。

鉄也と蝶子が去った後に、慎一に色香で接する芸者・筆駒(嵯峨美智子)が現れる。慎一は女性の色香には全然興味がなく、千春も気にしないで用事があるからと帰ってしまう。そんな千春を見て芸者は千春が男っぽくて私も好きだわという。女でも惚れてしまうという千春のさばさば感を言い当てている。この時代に慎一と千春を登場させたのが新しい世代、『青春怪談』である。

昭和30年の浅草の映像も魅力的であるが、鉄也と蝶子が向かった先が向島百花園なのである。映画の中で向島百花園を観るのは初めてと思う。それもたっぷりなのである。鉄也は蝶子の気持ちを知っていながらなかなか結婚を承諾しないのである。しかし乙女のような蝶子の勝ちとなる。

ビジネスのパートナーであるバーのマダム・トミ子(山根寿子)は慎一をあきらめることなく嫉妬が爆発する。その事で、千春とシンディの関係が面白おかしく新聞に載ってしまう。千春は一生の仕事としているバレエの主役の座を失ってしまい、シンディが喀血。シンディは自分の思いこみはこれで全て身体から出てしまったからと千春に告げる。そのことから千春は自分のこれかたの生き方を決め、慎一に伝える。慎一は納得する。理想的なカップルである。

おネエ的アクセントもある慎一の合理主義は、ビジネスから日常生活にまで及んでいる。利益に対してもきちんと計算するが、相手の経営が悪ければ賃貸料も下げるのである。強欲ではないところがいい。

慎一と金銭的に接する宇野重吉さんやバーの内装を語る滝沢修さんの台詞の操り方が面白い。壁に耳ありのばあやの北林谷栄さん、バレエ教師の三戸部スエさん、鉄也の兄に千田是也さんなど脇役怪談である。撮影は『愛のお荷物』の峰重義さん。

驚いたことに新東宝でも同じ年に獅子文六さん原作の同じ映画を撮っていた。新東宝のも観てみたいものである。慎一(宇津井健)、母・蝶子(高峰三枝子)、千春(安西郷子)、父・鉄也(上原謙)、新子(江畑絢子)、トミ子(越路吹雪)、筆駒(築紫あけみ)

追記: アマゾンの偽メールが横行しているようですのでご注意を!

追記2: フードバンクボックスを設置してくれているスーパーがある。少し気持ちを伝えられるかなと利用させてもらっている。

追記3: これから検察庁はどう動いてくれるのでしょうか。なんだやはり現政権と癒着していたのかでは、新型コロナと闘う意欲が全て怨みと怒りに倍増です。← 有志の弁護士ら662人、安倍首相を刑事告発 「桜を見る会」を。その他、晴れない私利私欲の疑惑。

浅草映画『やくざ先生』

浅草関連映画DVDで探しても無かったのであきらめていたら、その後DVD化されていることを知る。先に紹介した『三羽烏三代記』(1959年・昭和34年)の後の映画、1960年・昭和35年の『やくざ先生』、1961年・昭和36年の『堂堂たる人生』もDVD化されていたのである。

やくざ先生』(松尾昭典監督)は石原裕次郎さん主演で、かつて戦災孤児で自分の世話になった更生施設「愛隣学園」に少年補導員としてやってくる。どうやら学園を出てからはやくざとなっていたようで、今はきちんと社会復帰したようであるが、頭にくると手が出てしまう。

最初は自分も実体験者だからと少年たちの気持ちを分かるつもりであった。しかし、少年たちは、自分の体験談を笠に着る先生としてかえって反発するのである。その度に辞表をだすが、圓長から辞表を印刷しておいたほうがいいのではと言われて反省して職務にもどる。

園長・宇野重吉さん、養護教員・北原三枝さん、職員・北林谷栄さん、台東警察署の刑事・芦田伸介さん等が出演。そして、「愛隣学園」の建物は人家から離れたところに建って居るのであるが、美術は木村威夫さんである。

観始めた時、これは新田先生(石原裕次郎)が生徒を浅草に連れていくのだなとすぐに判った。当りである。反抗するリーダー的少年、スリの少年、富士山に登るのが夢で園を脱走する少年、女優を自分の姉と思い込む少年、ハーフの少年、など様々である。そして、新田は外出許可を取り3人の少年を連れて浅草へ行くのである。

東武電車が鉄橋を渡り、巨大な松屋地下鉄ビルの塔がみえる。さえぎる建物がなく隅田川をはさんでよくわかる。当時ならではの風景である。4人が浅草を眺めおろすのは新世界の屋上からである。松屋でなく新世界というのは新世界のほうがもっと庶民的だったのであろう。やくざ先生らしい選び方かもしれない。新世界の屋上が出てくるのはこの映画だけではないだろうか。(プラネタリウムもある。)そこから望遠鏡で覗く浅草寺花やしきなどの映像が映る。ここで学園で持たされた麦飯の弁当を食べようとするが、少年たちにもっと美味しいものが食べたいといわれ、新田は自分の時計を質に入れる。

予算は一人200円で800円まで。店先に展示してあるメニューから200円のウナギを食べる。勘定になると1200円と言われる。200円のは売り切れたので食べたのは300円なのだと言われる。観ている方も、えっ~!である。(マスク注文したら多数の不良品が届き検品費用も税金から、えっ~!である。)

新田はそのことにも腹が立ったが、一緒にいたハーフの少年を侮辱されたことで完全に切れてしまった。その金銭的後始末を台東警察署刑事に頼み、少年たちを厩橋前からバスで先に学園に帰す。厩橋前バス停も珍しい。引率者がいなくて少年たちはきちんと愛隣学園に帰るであろうか。新田の心配は尽きない。

新田と少年たちとの悪戦苦闘はその後も続き何んとか通じ合えることができたかなと思った時には、愛隣学園にとっての新たな試練が訪れる。そしていつの時代も心の通じない相手の厚生省に嘆願に行った園長は、車に轢かれてしまう。

ついに愛隣学園の少年、職員は、それぞれの道へと旅立つこととなる。国家試験の資格のない新田は雇ってもらえなかった。来年19歳で社会に出なければならない少年たちは不安を口にする。正義感の強い新田はきちんと少年たちに応える。お前たちを受け入れられるように俺もがんばると。俺の所に来い。期待を裏切らない裕次郎さんのやくざ先生である。

この撮影中に石原裕次郎さんと北原三枝さんは婚約発表をしたということで、お二人には記念すべき作品でもあったわけである。映画での二人の関係は、いずれはということであろう。

原作は西村滋さんの『やくざ先生』で、西村滋さん(1925年~2016年)は、6歳の時母を、9歳の時父を亡くし孤児となり、放浪生活を送り少年養護施設の補導員も経験されている。著作4冊が映画化されていた。『やくざ先生』(原作『やくざ先生』)、『不良少年』(原作『笑わない青春の記』)、『悲しみはいつも母に』(原作『ある母の死より」)、『エクレール お菓子放浪記』(原作『お菓子放浪記』)

追記: 日本の三権分立は、新型コロナで国民が闘っている時に、当時の安倍政権が破壊しましたと歴史に残すつもりなのであろうか。

浅草映画『三羽烏三代記』

久方ぶりの浅草映画である。人間関係やストーリーを理解しつつ、浅草を見つけていくのは楽しい鑑賞である。『三羽烏三代記』(1959年・昭和34年・番匠義彰監督)も『昭和浅草映画地図』(中村実男著)によると16か所も浅草風景が映像に出てくるということなので力がはいる。

三羽烏三代とは、初代が、上原謙さん、佐野周二さん、佐分利信さん。二代目が、佐田啓二さん、高橋貞二さん、大木実さん(鶴田浩二さんが抜けて大木実さんに代わる)。三代目が、小坂一也さん、三上真一さん、山本豊三さんということである。

初代にからむ女優が、水戸光子、三宅邦子さん、高峰三枝子さん。二代目には、岡田茉莉子さん、小山明子さん、高千穂ひづるさん。三代目には、九条英子さん、牧紀子さん、桑野みゆきさん。その他、津川雅彦さん、十朱幸代さん、宮口清二さん、渡辺文雄さん、永井達雄さん、浦辺粂子さんらオールスターの出演である。それもそのはず、松竹3千本記念作品とある。

出てくる主な家としては、浅草の老舗のせんべい屋さん(佐野周二、三宅邦子、小山明子、下宿人・高橋貞二)、お茶漬け屋(高峰三枝子、牧紀子)、高見家(大木実、高千穂ひづる、下宿人・小坂一也)で、お茶漬け屋と高見家には特に人が集まる。そしておせんべい屋には店員として雇われた桑野みゆきさんが実は教祖様の孫ということで、探偵の高橋貞二さん、新聞記者の佐田啓二さんがからみ、三代目たちは、同年代の遊び仲間としてにぎやかに楽しみ、町内会の飲み食いに会費を使う役員を懲らしめる。

夫婦関係、恋人関係、友人関係が交差して最後はそれぞれ落ち着くところにといった展開である。作品として軽い娯楽映画というところであるが、これだけの登場人物を人間関係を簡潔に上手く動かしている。

映画の出だしの高橋貞二さんが国際劇場で偵察しているのは、清川虹子さんと若い男性。舞台ではSKDのラインダンスが。舞台に見とれているわけにはいかない。清川虹子さんが連れの若い男性と劇場を後にする。国際通りから観音堂の前に移動。清川虹子さんは夫にやきもちを焼かせるために息子を若い恋人にしてのデート戦略であった。そこへ夫のトニー谷さんが出現。探偵の高橋貞二さんはな~んだとなる。

昭和34年であるから観音堂前もようすが違う。人は少なく大きな灯籠があって、ベンチがある。恋人の小山明子さんが登場しておせんべい談義。座るのが石橋を背にしたベンチ。宝蔵門(仁王門)もまだない。再建されたのは1964年(昭和39年)である。そのため征清軍凱旋記念塔がある。

今回、石橋について調べたら、現存する都内最古の石橋だそうで、元和4年(1618年)浅草に東照宮(現存しない)が造営された際、参詣のための神橋として造られたものだった。寄進者は徳川家康の娘の振姫(ふりひめ)の婿・紀伊国若山藩主浅野長晟(あさのながあきら)とある。

浅草に東照宮があったのだ。三峰社はありました。埼玉の秩父まで参詣に行くのはたいへんだったからでしょう。さて、浅野家となるとやはり気になります。浅野長晟はその後、安芸広島藩主になり浅野家宗家。赤穂浅野家は別家で、赤穂事件のとき浅野内匠頭(長矩)の弟・浅野大学(長広)はこの広島浅野宗家に預けられたのである。浅草寺の石橋が浅野家につながるとは面白い発見でした。

『勘九郎ぶらり旅~因果はめぐる歌舞伎の不思議~』の本に、大河ドラマ『元禄繚乱』で赤穂城を去る場面は実際に赤穂で撮ったと言う。こちらも行った場所なのでさっそくDVDをレンタルしてその周辺と討ち入りあたりを観た。当時内蔵助崩し過ぎと観たいと思わなかったのであるが、勘九郎(勘三郎)さんの大石内蔵助なかなか良かった。なるほどであった。

さて宝蔵門の本堂側に大わらじが奉納されているが、大わらじは魔除けなのだそうである。どうしてかなとおもったら、ここにはこんな大きなわらじを履くおおきなものがいるというアピールなのだそうで、高知県では大きなわらじの半分まで作ったものをかかげるところもあるようだ。半分というのが面白い。何かいわれがあるのか。日本では履物をぬいで家の中に入るが、衛生面では上首尾のような気がする。

映画のほうにもどると、当時の隅田公園が『青春サイクリング』の歌にあう風景だった。三代目が三人で小坂一也さんの歌を歌いながらサイクリングしているのである。サイクリング、サイクリング、ヤッホー、ヤッホー。

「首都高の建設で破壊される以前の隅田公園を撮った最上の映像」「川沿いの遊歩道、歩道、車道、芝生帯など、隅田公園の様子がよくわかる映像である。ただし、三列ある芝生帯の桜はまだ若木。植え替えられて間もない。」(『昭和浅草映画地図』)隅田川沿いに松屋や東武鉄橋などのお馴染みの風景画みえる。映像で見ていても気分が清々しくなる風景である。

1959年(昭和34年)代に活躍する松竹の俳優さんと浅草の風景を確かめられる映画でもあった。

追記: 『仮設の映画館』でドキュメンタリー映画『精神0』を観たいのであるが行きつけないのである。インターネットで行きつくというのも身体を動かすよりも困難な場合がある。新しい仮設の生活も大変である。

追記2: 検察庁法改正に抗議します。 ← 与党改正案に対し

追記3: 想田和弘監督のドキュメンタリー映画『選挙』を観ました。この映画から河井議員夫婦が選挙戦にどれだけお金をつぎ込んだか想像ができました。法定以上の金額を払ってでもウグイス嬢を確保したいかなど。観察映画手法面白い。

追記4: 「黒川氏の定年延長議事録」で検索しましたら「無し」と。関心のある方検索してみてください。こちらは、届くはずの10万円をあてにして浅草関連映画の購入したDVDの到着を楽しみに待って巣ごもりしているのですが、待ちくたびれて検索してしまった。頭痛がしてきます。

テレビ・『緊急対談・パンデミックが変える世界』

友人が、NHK・ETV特集『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』を視聴していろいろ考えさせられたと知らせてくれた。

再放送を探していたらPCで『緊急対談・パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~』を視聴できた。三人の方が発言されていてその一人がユヴァル・ノア・ハラリで、この方の考えをもっと聞きたいという視聴者の要望があり『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』となったようである。

『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』の再放送がわかり録画して視聴した。友人の言う通り考えさせられた。そして、新型コロナを一時的にせよ克服した国があるならその情報を収集し検証する必要があると思う。科学者や知識人の考え方が必要な時期なのではないだろうか。

さらに再放送があるようなので下記参照。

Eテレ 第1回5月2日(土)午後2時~『緊急対談・パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~』 第2回5月2日(土)午後3時~『パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~』

NHK BS1 第1回5月4日(月)午前10時~『緊急対談・パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~』 第2回5月5日(火)午前10時~『パンデミックが変える世界~海外の知性が語る展望~』 第3回5月6日(水)午前10時~『緊急対談・パンデミックが変える世界~ユヴァル・ノア・ハラリとの60分~』

この友人からは、4月13日NHK総合で放送された『逆転人生』も紹介された。友人を通じて連絡があったらしい。視聴したことのない番組であった。

田中宏明さんが幼い次男の異常に気がつく。そしてやっと命を救ってもらえた高橋義男医師に出会うのである。その医師の診察室には所狭しと沢山の写真が貼られていた。高橋義男医師は自分が携わったこどもたちのその後の成長を、見続けていたのです。田中宏明さんは何んとか高橋義男医師のことを世の中に知らせたいと思い、自分がかつて漫画家志望であったことからマンガで表現することにする。そして漫画『義男の空』を自費出版。

全然知らなかったので、世の中にはこんなお医者さんがいるのかと心強さをもらった。他の友人たちとも交信し合い共有しました。知らせてくれた友人にありがとう。そして、日々、命の灯りを消さないように医療にたずさわれている方々に感謝。

上野の動物園通りから清水坂に向かう左手に森鷗外さんが住んだ鷗外荘がある。「水月ホテル鴎外荘」として公開されていたが、ここも新型コロナウィルスの影響で閉じられることになった。ここは温泉でもあり、友人たちと泊って歓談したことがあった。友人に電話するとテレビ報道ですでに知っていた。泊った次の日『横山大観記念館』に寄り、そこから『旧岩崎邸庭園』へ行ったことが話題になった。そんな旅もいつ再開可能であろうか。

鴎外さんは海軍中将男爵赤松則良の長女・登志子さんと結婚する。赤松中将は19歳で勝海舟らと咸臨丸(かんりんまる)でアメリカへも行った人である。ここは赤松家の持ち家であった。当時は寂しい場所で動物園のすぐそばでもあり、猛獣のほえ声にお手伝いさんが怖がったと言うはなしもある。この頃鴎外さんは東京美術学校(現東京芸大)の講師で、幸田露伴さんなどがよく訪れていたらしい。登志子さんとは離婚することになり、その後、本郷千駄木に移る。千駄木の家には後に夏目漱石さんが住む。

いつかまた、鴎外荘が公開され訪れる日のくることを願いたい。だがその前に閉じてしまうところがないように強く願う。

さてそんな話の中で、友人の知人が、すみれを持ってきてくれたと言う。そろそろすみれも終わりかけているので抜いてしまったのだが、根子のついているままガラスの容器にいれておくとまだ楽しめると花好きの友人に渡してくれたらしい。こういうのって嬉しいねと声が明るく響く。窓辺に飾って眺めている友人の姿が伝わる。こちらもそのすみれを眺めている。

追記: 友人が慢性骨髄性白血病と診断された。短い時間、身体の右側に異常があった。口が歯医者で麻酔をされた感覚で右手がしびれた感覚。すぐおさまったが次の日、脳神経内科を受診。検査ではっきりしたことがわからなかったが血液検査で数値が異常。血液の専門に回され、慢性骨髄白血病と診断された。薬のことなど色々説明を受けたらしい。急性になる前に見つけられてよかった。早期発見早期治療が医療の原則なのではないのか。新型コロナも早期発見早期待機(隔離)ではないのか。補償欲しがりません勝つまでは、いつの時代の政策なのか。

無料配信・国立劇場『通し狂言 義経千本桜』

こちらは、『通し狂言 義経千本桜』の忠信・知盛・権太の三役に菊之助さんが挑まれるということでAプロ、Bプロ、Cプロに分れての一か月公演の予定であった。場所は小劇場ということで全てを観るのは無理だなと思っていた企画である。

時間短縮ではあるが無料舞台映像配信で観劇できたのは幸いであった。そうした中で魅了してくれたのはBプロのいがみの権太である。台詞といい動きといい、特に椎の木の場の悪でありながら粋さがあり恰好好いのである。最後の死に際をみて、『仮名手本忠臣蔵」の四段目の菊之助さんの塩冶判官が観たくなった。

勘三郎さんが勘九郎時代に出された本『勘九郎ぶらり旅 ~因果はめぐる歌舞伎の不思議~』がありまして、昨年の暮れそろそろ処分しようかなと読みはじめたら面白くて処分するどころではなくなった本である。本は時間が経ってみると新たな発見が生じる。開かないで処分するのがよい。その発見とは、「はじめ」にで梅幸さんの判官について書かれてあった。

「僕は、子供の頃から梅幸おじさんの判官が大好きで、自分が舞台に立っていない時でも、いつも目を皿のようにして、その優雅な所作を見ていたし、素晴らしい口跡(こうせき)に聞きほれていた。」

その判官役を勘九郎さん自身が歌舞伎座で演じた時泣いたと言う(平成10年3月)。三段目で本蔵に抱きとめられ刀を投げつけてチョンと幕になったあと。「終わったら、涙が自然に出てきた。尊敬していた、あの梅幸のおじさんが演じた役を、この僕がまったく同じ舞台で、しかも同じ板の上で演らせてもらった喜びと、演れた感激で、目頭がジーンとしちゃってさ、知らず知らずのうちに涙が出た。」

菊五郎さんの判官は印象に強いが、梅幸さんの判官は実際に観たかどうか記憶にない。昨年、『にっぽんの芸能』で七世尾上梅幸さんを紹介していて『判官切腹の場』も紹介してくれて録画が残っていた。『魚屋宗五郎』の二世松緑さんと梅幸さんの夫婦役も素晴らしかった。九世三津五郎さんやなかなか映像では観られない七世門之助さん、二世助高屋小伝次さんも出られていた。魚屋宗五郎の酔っぱらいに合わせる梅幸さんはもちろんのこと皆さんの動きが自然で見事である。

判官切腹の場』は十三世仁左衛門さんが由良之助で、判官が由良之助を待つ気持ちが目の動きなどで丁寧に表されている。秀太郎さんの力弥がこれまた絶品。判官が由良之助に仇討を伝えそれを受ける由良之助との緊迫感とマグマの一瞬はぴかっと光が走る。これらが頭に浮かび、菊之助さんの判官が観たいと思ったのである。菊之助さんは新しい事にも挑戦されているのでまた違う判官になるのではと期待がたかまるのである。

その一つに新作『風の谷のナウシカ』がある。『風の谷のナウシカ』は、前半はアニメ映画を見返して観劇したので、なるほどこう歌舞伎化されたのかというのがよくわかった。後半はかなり難解で登場人物をとらえるのに苦労した。観劇した後で、漫画のほうを購入したが、そのまま開かずにいた。この巣ごもり時間に読むことができた。モノクロなので想像力全開で舞台のナウシカの青い色の衣裳などを思い出しながら、そうかそういう事かと何んとか全体像を掴むことができた。

アニメ映画が強いので、前半一つだけ不満があった。風を感じられないことであった。その工夫がもう少しほしかった。ナウシカは、王蟲(オーム)や巨神兵と心を通わせ、彼らが自分の役目をわかっているかのようにその役目追行してくれて浄化の犠牲となってくれることに涙する。その事をわかってあげれる人としての役目がナウシカだったのである。芸術、芸能、文化とは様々な感情を呼び起こし、考えさせ、力づけ、共に涙するそんな役目がある。

追記: さまざまに頑張っているのに新型コロナウィルスに感染して非難されたり、死にいたったり、自死するようなことになったら仇討を託したくなる。相手は幕府。それで駄目ならお岩さんになって出てくるしかない。『四谷怪談』の初演を『仮名手本忠臣蔵』とつないで舞台にかけた江戸歌舞伎は凄い。ゾクゾクする。

映画『マスカレード・ホテル』・小説『マスカレード・ナイト』

映画『マスカレード・ホテル』(2019年)は、ホテル・コルテシア東京で連続殺人事件の次の殺人が起ると予想した警察が潜入捜査に入る。刑事とホテルマンのプロとしての意識の違い、ホテルに来るお客の装いと素顔の違い、殺人という複雑さが交差して物語が展開される。原作は東野圭吾さん。鈴木雅之監督は『本能寺ホテル』も監督されていた。

ミステリーであるから殺人事件を追う形になるが、ホテルという設定によって生じる二つの視点が面白い。刑事が人の素顔を追うのに対し、ホテルマンはお客様の装う仮面の方を大切にする。ホテルという場所でお客は違う自分を装ったり、それを楽しむために訪れる人も多いのである。ホテルマンはその気持ちを尊重して見なくてもよい素顔が見えても気がつかない事として接するのである。

刑事は、自分が殺人犯である素顔を隠しているのであるからその装いをはがして素顔を一早く見抜くのが仕事である。刑事とホテルマンのその違いが、ホテル業務を介して展開されるのが面白さを増してくれる。

ホテルはお客様数が多いので、その中から怪しいと思われる人物をピックアップし、白か黒かのグレーゾーン段階で追跡していく。それを主に担当するのが、フロントクラークの山岸尚美とフロントスッタフとして潜入する刑事の新田浩介であるが役目は正反対である。新田浩介は帰国子女で英語ができるために選ばれたのである。

フロントはチェクインの時、名前や誰と宿泊するのかなどチェックでき、これまでの殺人事件関係の人物や防犯映像に映った人物がいないか観察できる。さらにチェックインの様子から不審さを察知できるのである。そのため新田刑事の眼光は鋭くなるが、そうしたホテルマンとしては相応しくない態度を山岸尚美から注意される。ふたりはお互いに、それぞれの仕事の大変さを思い知らされることとなる。

殺人事件に関しては明かさないことにするが、もう一人、外関係を足で捜査し新田に知らせる刑事がいる。この能勢刑事の役割は新田にとっても事件解決のためにも非常に重要である。能勢刑事はあるところで殺人と関係しているのではという人物のポスターを発見する。その場面はもう少し時間が欲しかった。映画『砂の器』で刑事が映画館で一枚の写真に注目する場面がある。その映画館の支配人が渥美清さんでかなりインパクトがつよかったのでちょっと比較してしまった。映画を撮るほうはそのことも計算済みだったのかもしれないが。

多くの俳優さんが出演していてあえてそれを探らずに観たのであるが、エンドロールで明石家さんまさんの名前があった。出番は見過ごしていました。これから観られるなら注意されたほうが楽しみがふえるかも。

映画の後でミステリー小説『マスカレード・ナイト』を読む。ホテル・コルテシア東京のカウントダウンパーティーに殺人犯が現れるという密告があったのである。そうなれば映画『THE 有頂天ホテル』に殺人事件が加わり、ホテル・コルテシア東京のカウントダウンは仮装パーティーなのでもっと大変なことになるわけである。そもそも「マスカレード」とは「仮面舞踏会」「仮装大会」などを意味するのだそうである。ホテルのお客様はある面、皆さま仮面をしているということで、『マスカレード・ナイト』となれば、少なくとも二重の仮面をしているという複雑さが加わる。

マスカレード・ホテル』のその後なので、山岸尚美はフロントクラークからコンシェルジュになっている。「コンシェルジュ」は映画『グランド・ブタペスト・ホテル』ではじめて知ったので、来ました!と嬉しかった。今回は、この「コンシェルジュ」にお客様が相談されたり依頼されることが盛りだくさんなのである。それをどう解決するのかも楽しみの一つである。映画『マスカレード・ホテル』の山岸尚美役の長澤まさみさんの様子が浮かぶ。

小説『マスカレード・ナイト』からの新田刑事は色白のように思え、帰国子女のイメージが強い。映画『マスカレード・ホテル』の新田刑事役は木村拓哉さんで、日焼けしていて、刑事・デカであるという雰囲気をリアルに出そうとしているようである。刑事とホテルマンに変装しての違いを映像で伝える変化をかなり意識されているのであろう。あっ、刑事も装うのである。キーワードがなかなか手が込んでいる。

もう一人意識されてるように映るのが老女役の俳優さんで、この老女も新田刑事は不審に思うのであるが、こちらも舞台女優さんが演技をしているような違和感を感じて気になった。そんなわけで、色々不審に思ったり素顔が見えて違っていたりと犯人捜しは続くのである。

小説『マスカレード・ナイト』では、コンシェルジュの山岸尚美がお客様に相談され様々なことを紹介する。カウントダウン・パーティのあと年始のプランをホテルは計画していてその中に、「日本橋七福神巡りツアー」というのがあって紹介していた。映画『『麒麟の翼』を思い出してしまった。

その他、日本橋室町のシネコンでの映画や日本橋三越本店の本館七階のイベントなども紹介している。ホテル・コルテシア東京にはモデルがあってロイヤルパークホテルなのだそうである。

そうそう、小説『マスカレード・ナイト』で新田刑事とフロントで組むのは、フロントオフィイス・アシスタント・マネージャーの氏原である。氏原はがちがちのホテルマンで、刑事がいるなんて知られたらどうなるのかと憤慨し、フロント業務などもちろん任せられないとして新田は手を出すことができないのである。そんな中新田たちは犯人を捕まえることができるのであろうか。

小説のほうは読む気がなかったのであるが、こうなれば小説『マスカレード・イブ』も読むことにした。これからであるが。新田浩介と山岸尚美が出会う前のそれぞれのことがわかるらしい。

よろしければ映画『本能寺ホテル』はこちらで。→ 織田信長関連映画(1)

追記:公演中止となった歌舞伎関係の映像無料配信のお知らせ

(1)3月国立小劇場での『義経千本桜』の舞台映像。(詳しくは 国立劇場 で検索)(2)明治座『三月花形歌舞伎』の出演者による座談会映像。南座3月スーパー歌舞伎Ⅱ『新版オグリ』の舞台映像。歌舞伎座『三月大歌舞伎』の昼夜演目の舞台映像。(詳しくは 歌舞伎美人 で検索)

明治座の出演者座談会見ました。明治座での次の機会には見逃さないぞと思わせてくれる内容です。その時はロイヤルパークホテルでフレッシュオレンジジュースも飲まなくては。

手児奈霊堂~真間山弘法寺~里見公園~小岩・八幡神社~野菊の墓~矢切の渡し~葛飾柴又(3)

伊藤佐千夫さんの小説『野菊の墓』は映画や舞台にもなっている純愛悲恋物語である。今回読み返してみた。政夫という主人公が、十数年前のことを思い出しているという形になっていて、それは小学を卒業した十五才の時のことである。思い出している政夫は35歳以上ということになる。

「僕の家というのは、松戸から二里ばかり下って、矢切の渡しを東に渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と云ってる所。矢切の斎藤と云えば、この界隈での旧家で、里見の崩れがニ、三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤というのだと祖父から聞いている。」とあり、里見家ゆかりの家ということになる。

母は、戦国時代の遺物的古家を自慢に想っている人で、病弱のため、市川の親戚の子で、政夫とは従妹にあたる民子を手伝いのために呼ぶのである。政夫と民子は赤ん坊のころから、政夫の母が分け隔てなく姉弟のようにして可愛がられたのであった。

政夫は小学校を卒業し千葉の中学校にいくことになっていった。そんなおり二人は生活を共にすることになり、幼い頃からとても気が合っていて、二人で一緒にいて話しをするのが幸せであった。そして、恋心へと変化していくのである。民子は政夫より歳が二つ上で、二人が仲よくしていると周囲の者たちは結婚のことを想像し、二つ上の娘などを嫁にするのかと噂し合う。兄嫁も快く思わず、母もついに政夫の学業のためにも民子と離す決心をする。そして民子は他家に嫁ぎ、流産の産後が思わしくなく亡くなってしまうのである。

電車のないころであるから、江戸川の矢切の渡しがよく使われている。松戸へ母の薬を貰いにいくのも舟で、政夫の家は下矢切で松戸の中心の上矢切にも舟が行っていたようである。さらに矢切の渡し場から市川の渡し場(市川と小岩)までも舟がいっており、小岩か市川から汽車に乗ったのであろう。

政夫と民子が最後の別れとなったのも矢切の渡しであった。雨の中民子は、お手伝いのお増とともに政夫を見送るのである。政夫は千葉の中学校へ行くため、舟で市川にでて汽車に乗ることにした。

民子が市川の実家にもどり、政夫は千葉の中学校へ行く時、市川まで歩いて民子の家の近くを通るが民子が困るだろうと会わずに通り過ぎている。そして、民子のお墓参りの時、「未だほの闇いのに家を出る。夢のように二里の路を走って、太陽がようやく地平線に現れた時分に戸村の家の門前まで来た。」とあり、民子の家まで8キロほどであったことがわかる。

二人は畑にナスを採りに行き、そこから見える風景とその中にいる二人を描写している。利根川はむろん中川もかすかに見え、秩父から足柄箱根の山々、そして富士山も見え、東京の上野の森というのもそれらしく見えている。「水のように澄みきった秋の空、日は一間半ばかりの辺に傾いて、僕等二人が立って居る茄子畑を正面に照り返して居る。あたり一体にシンとしてまた如何にもハッキリとした景色、吾等二人は真に画中の人である。」

離れた山畑に綿を採りにいったとき野菊を見つける。民子は言う。「私ほんとうに野菊が好き。」「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分で思う位。」政夫は、民子を野菊のような人だといい、民子は竜胆(りんどう)を見つけて、政夫さんは竜胆のような人だと言うのである。そして政夫は、野菊が好きだといい、民子は竜胆が好きだと言う。

採り残した綿なので一面が綿という風景ではないようであるが、「点々として畑中白くなっているその棉に朝日がさしていると目ぶしい様に綺麗だ。」と美しい情景である。

この綿採りで帰りがおそくなり、二人が離されてしまうきっかけとなってしまう。

小説『野菊の墓』には、木の葉、木の実、草花などが政夫と民子の歩く道に登場する。紫苑、銀杏の葉、タウコギ、水蕎麦蓼、都草、野菊、あけび、野葡萄、もくさ、竜胆、春蘭、桐の葉、尾花、蕎麦の花。

政夫は、庭から小田巻草、千日草、天竺牡丹などめいめいに手にとる戸村の女達とともに民子の墓参りに行く。民子のお墓に行った政夫は、野菊が繁っていることに気が付く。「民さんは野菊の中へ葬られたのだ。僕はようやく少し落ち着いて人々と共に墓場を辞した。」

読み返して、木下恵介監督の映画『野菊の墓』を観返した。情感のこもったモノクロの映像である。政夫の笠智衆さんが老齢になって、舟を特別に頼み、矢切りの民子の墓を尋ねる場面からはじまる。

小説からすると、色彩もほしくなった。後日、その後リメイクされた映画もみることにする。

伊藤佐千夫さんは、政治家を志すほど正義感の強い青年であったが、眼病を患い学業を断念、26歳で牛乳搾取業をはじめ、毎日18時間労働し、30歳にして生活にゆとりができ、茶の湯や和歌の手ほどきをうけるようになる。そして短歌と出会い、37歳で正岡子規さんの弟子になる。『野菊の墓』は、43歳のとき発表し、夏目漱石さんらの賞賛を受け小説家としても名を残すこととなるのである。

伊藤佐千夫さんが牧場を開いたのは総武線錦糸町駅前で、今では想像できないほどである。錦糸町駅前には牧場跡と旧居跡の石碑と史跡説明版があるらしい。

劇団民藝『新 正午浅草』

 正午浅草 荷風小伝』(作・演出・吉永仁郎/演出補・中島裕一郎)。永井荷風生誕140年、没後60年。こちらは新宿紀伊國屋サザンシアターからの発信である。 

フライヤーによると、千葉県市川市八幡の荷風(77歳)の住まいに、かつての愛妾お歌が訪ねて来て、思い出話から『濹東綺譚』に出てくる娼婦お雪の話しへとつながるようである。荷風さんは多くの女性と関係があったが、劇中で登場するのは、お歌とお雪である。

劇から少し離れて新藤兼人監督の著書「『断腸亭日乗』を読む」に触れる。新藤兼人監督は、映画『濹東綺譚』を撮った後で、「岩波市民セミナー」で講義をされ、それが本となった。その中に「荷風の女たち」として関根うたさんのことが書かれてある。日記の中では時間的に十三人目の女性ということになるらしい。これは女性関係だけをピックアップしてのことである。それだけの日記でないことは自明のことではあるが。

この日記の中ではうたさんのことが一番多く書かれていて、新藤兼人監督も、うたさんのことを多く語られている。そして、荷風が一番心を通わした女は、おうただろうとしている。荷風と別れたおうたは20年後石川県の和倉温泉で働いていて年賀状を出す(昭和31年)。そして市川まで荷風に会いに来る(昭和31年)。最後に会ったのが昭和32年3月6日である。<晴れ。関根お歌来話。午後浅草食事。>この頃には「正午浅草」「正午大黒屋」とか書くだけの気力しかなかったようで、劇の題名『新 正午浅草』も、晩年の老いた荷風さんとの時間を通してその最後を観客は看取るというかたちになる。

「正午浅草。」はまだ、体力的に浅草まで行けたのである。「正午大黒屋。」となると、浅草までは行けなくて八幡の「大黒家」での外食なのである。新藤兼人監督は、浅草の尾張屋の本店に取材にいっている。その時おかみさんがお嫁に来た頃の出来事を話されている。それは、カメラをもった若い人が店の中まで入って来て荷風さんの写真を撮るので、それとなく邪魔をするようにしたと。その時若いおかみさんは、その老人が永井荷風さんだと知ったのである。

「下町芸能大学」で、松倉久幸さんが、尾張屋のおかみさんを含めて浅草で荷風先生を知っておられるのは三人だけなったと言われていたのを思い出す。

人間これだけ老いて来れば誰かに頼ろうとする気持ちが湧いてくると思うのであるが、お掃除などをしてくれる人は雇うが、永井荷風さんは最後まで自分で食事を作るか外食をして一人を通すのである。そこが凄いというか、老人特有の頑固さであろうか。結婚は二度しているし、お歌さんとも一緒にくらしている。しかし、一緒に住めば女のほうに我がでて嫌な思いをすることを知っていて、そのことを極力嫌うのである。それを我慢できない自分をも知っているともいえる。浅草の踊子さんのところへ行くわけであるから、女性が好きである。ところが自分の最後をささえてくれる女性という感覚はないのである。

そんなことを、演劇を観ていても再度感じてしまった。ある面では潔い人でもある。最後まで荷風さんだけの世界観を貫き通したのであるから。老人の孤独の象徴のようにも思われがちであるが、荷風さんの場合はそうとだけは思えないのである。

好きなものを食べて誰の手もかけずに亡くなられる。日記も事実が書かれているとは限らない。小説家の場合、そこには文筆家としての仕掛けもあるかもしれない。ただ、新藤兼人監督が『断腸亭日乗』を読み始めたのが、昭和20年3月9日の空襲で偏奇館が焼ける箇所からで、その書き方が見事なシナリオをみるようで引きつけられている。

シナリオというのは、俳優やスタッフに内容を正確に伝えるためにかくので、余分なことを書いたり、美文の形容を使う必要がない。荷風さんの空襲の様子はまさしく客観描写であり、事実をその目で見た人でないと書けない記述だとしている。そのことが、監督が七巻もある『断腸亭日乗』を読めたきっかけでもあったとしている。

原作の『濹東綺譚』や「『断腸亭日乗』を読む」などを思い浮かべつつ演劇の方を鑑賞する。お歌さんは、芝居の流れから脚色された感があり、お雪さんと比べるとお気の毒のような気もする。お歌さんにお雪さんはどんな人だったのと聞かれ荷風さんは、お雪さんとの想いでの中に入る。

夢を見ると父親が現れ、父親の考え方や、荷風さんを自分の思うようにしようと父親なりの助力したことが明らかになるが、それに荷風さんが逆らい、自分を押し通したこともわかる。

生前意見をよく聞いた神代帚葉(こうじろそうよう)翁らしき人も登場し、荷風さんがきらっていた菊池寛さんも短時間で上手く登場させる。そして、写真を撮り荷風さんを困らせた青年も登場させ、荷風さんに聴きずらいことも尋ねさせている。

戦時、行く先々で四回も羅災し、やっと市川市に落ち着き、今その終の棲家で最期を向かえようとしている荷風さんを、写真でみる荷風さんとよく似た雰囲気で、水谷貞雄さんが登場する。体力的に書くことが少なくなった日記の代わりに、舞台上で登場人物たちとの会話で語り、荷風さんの生き方の筋の通し方を示めされた。老いて最後の死という大仕事をいかに当たり前の事としてむかえるかの心構えをそれとなく見せてくれてもいる。

永井荷風(水谷貞雄)、永井久一郎(伊藤孝雄)、若いカメラマン(みやざこ夏穂)、お歌(白石珠江)、お雪(飯野遠)、松田史朗、佐々木研、梶野稔、大中耀洋、田畑ゆり、高木理加、長木彩

紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA(新宿) 4月28日(日)まで

京マチ子映画祭・浅草映画・『浅草の夜』『踊子』

今、京マチ子さんの映画祭は大阪(シネ・ヌーヴォ)で開催されているようである。OSK出身でもありその身体的表現は古風な日本女性の規格からはみ出していて魅力的である。踊りも和洋どちらも画面からあふれ出る<生>がある。男を翻弄する役もパターンがない。はじけるような<生>から能面のような表情へと変化したり飛んでいて、こんなに愉しませてくれる女優さんとは思わなかった。

黒蜥蜴』などは、フライヤーで「京マチ子のグラマラスな肢体も必見。」とある。ミュージカル調で鞭をもって京マチ子さんが踊る場面がありそれを強調しているのであろうが、もっと見どころがある。明智小五郎の裏をかき、着物姿の婦人から、背広姿の若い男性になってホテルから逃走するのである。そのときの動きが、OSKの男役のしどころで、軽やかでキュートで、映像でこんな素敵な歌劇団風の動きを観た事がない。これを観れただけで内容はともかく京マチ子さんの「黒蜥蜴」は満足であった。

映画『浅草の夜』(1954年)、『踊子』(1957年)ともに、京マチ子さんは、浅草の劇場でのレビューの踊子という場面が出てくるが、人物設定は全く違っている。『浅草の夜』では、若尾文子さんの姉の役で、『踊子』では、淡島千景さんの妹役である。自ずと立場が違うので役柄も違って来る。浅草の多くの風景が楽しめる。

映画『浅草の夜』は、原作・川口松太郎/脚本・監督・島耕二監督で、情の絡んだ娯楽映画になっている。踊子の節子(京マチ子)には、おでん屋で働く妹・波江(若尾文子)がいて、節子は妹の親代わりで頑張って生きてきた。ところが妹の恋人が画家・都築(根上淳)と知って恋人との付き合いを禁じる。節子の恋人・山浦(鶴田浩二)も節子のその態度が腑に落ちない。そのわけは・・・。

山浦は劇場の脚本家で、そこの古参の演出家が首になる。それに加担しているのが劇場のボス(志村喬)でその息子(高松英郎)は波江に惚れている。これだけの材料がそろえば内容的は何となくわかる。画家の大家に滝澤修さん、おでん屋のおかみに浦辺粂子さんと豪華キャストである。それだけに、今観れば内容的には薄いが、外国で日本映画が認められてきた時代、浅草モノの定番娯楽映画として島耕二監督は腐心している。山浦を好きでありながら自分の主張は変えない節子。そんな性格を知って姉妹のために一肌脱ぐ山浦。それぞれの役者の役どころを何んとかおさめようとしているのがわかる映画で、そういうところが面白い。

島耕二監督は、この映画の前『浅草物語』(1963年)を撮っている。観たいがいつ出会えるであろうか。

映画『踊子』は、原作・永井荷風/監督・清水宏/脚本・田中澄江である。京マチ子さん、『浅草の夜』と違って自由奔放である。というか、感情のおもむくままにこちらの方が自分にとって得であり好みであるといった生き方である。が、それにしがみつくことなく、深く考えることがない。高峰秀子さんの『カルメン純情す』は同じ踊子でも踊りは芸術だと思って嘲笑されながらも自分で考えて一生懸命であるが、『踊子』の千代美(京マチ子)は、全くそんな考えなどなく踊子として華があるがそんなことに執着しないのである。面白いキャラクターである。京マチ子さんならではの役ともいえる。

姉の花枝(淡島千景)さんが浅草の踊子で、一座の楽士で恋人の山野(船越英二)と同棲している。経済的に苦しいから狭いアパート住まいであるが、そこへ妹の千代美が転がり込むのである。踊子になった千代美の京マチ子さんは屈託なく画面いっぱいにその踊りを披露し、淡島さんの踊りが上品にみえるのが面白い。観ていてもこれは人気をとると解るが、楽しくてしょうがないと踊っていながらその踊りもさっさと捨てるあたりが、これまた千代美ならではの生き方なのである。

捉えどころがなく、子供までできてしまう。それが誰の子なのか。花枝は、自分はもう子供が産めないとあきらめ、千代美の子供を育てることにする。展開が千代美の行動によって動いて周囲は翻弄されるが、姉の花枝がしっかりしていて、子供がその渦に巻き込まれることはない。そこが、この映画の爽やかなところかもしれない。映画の京マチ子さんの洋の踊りとしてはこれが一番見事かもしれない。

この二つの映画だけでも、その役柄によって対称的な役を愉しませてくれる手腕をみせてくれる。台詞のトーンや間も変化に飛んでいて、聴かせどころも押さえられている。

映画『夜の素顔』などでは、意識的に男を誘い込み日舞の家元の地位を上り詰めていくが、さらに、子供のころから自分を食い物にしてきた母親の浪花千栄子さんとの争うシーンなどは、『有楽町で逢いましょう』のあのお二人がと思わせる場面で、役者さん同士なにが飛び出すかわからない期待感も持たせてくれる。

『美と破戒の女優 京マチ子』(北村匡平著)が手もとにあるが、まだ開かないでいる。もう少し時間がたって京マチ子さんの魅力の強烈さが薄れてから読ませてもらおうと思う。

追記1 : 永井荷風さんの小説『踊子』を読んだ。映画では、山野と花枝は、千代美の産んだ子・雪子を連れて浅草から山野の兄のいる田舎で保育園の手伝いをして静かな生活に入る。雪子は、保育園児と共に山野の弾くオルガンで楽しく踊っている。それを花枝と一緒にそっとみる千代美であった。

原作では、雪子は風邪から脳膜炎を患い亡くなってしまう。雪子の死が、山野と花枝を浅草の地を立ち去らせる動機としている。

小説では、山野は<わたし>として語っている。そして、浅草で十年間一日も休まずに舞台のごみをかぶりながらジャズをひいていられた<平凡な感傷>に触れている。

舞台ざらいの夜明けの浅草を一座の芸人達と話しながらの帰り道。「いつも初めてのように物珍しく感じて、花枝や千代美とわたしの間のみならず、一緒に歩いて行く人達の身の上までを小説的に想像したくなるのです。何んという馬鹿馬鹿しい空想でしょう。何んという卑俗な、平凡な感傷でしょう。

このわたしの<平凡な感傷>は映画では表しえない浅草への感傷でもあろう。

追記2 : 黒澤明監督の『野良犬』を観なおした。拳銃をとられた若き刑事がそれを必死で探すのであるが、<感傷>もテーマとなっていた。犯人と戦後すぐの日本の状況。犯人をかばう浅草の若い踊子と、自分と同じように復員してすぐリュックを盗まれる自分と同じ目に遭った犯人への若き刑事の感傷。それを自戒させるベテラン刑事。やはり説得力のある映像である。

小幡欣治戯曲集

  • 新橋演舞場での『喜劇・有頂天団地』観劇から小幡欣治さんの戯曲を読んだ。読んだのは『隣人戦争』『女の遺産』『遺書』『鶴の港』『春の嵐ー戊辰凌霜隊始末』『浅草物語』『かの子かんのん』『明石原人ーある夫婦の物語ー』である。

 

  • 女の遺産』は、代々娘に養子をとらせて商売の安定をはかってきた日本橋横山町の玩具問屋の人間関係を描いている。時代背景の情報もでてくる。「ツェッペリンの号外!」というのあり、世界一周のツェッペリン伯号が帝都上空に到着した知らせである。そして円本の時代である。そうした時代の中での古さと新しさがせめぎ合いの中で、それぞれが新しい一歩を踏み出していく。小幡欣治さんの戯曲には人の情愛と常に一歩踏み出すという設定が多い。小幡欣治さんは、最後は新劇のために作品を書くが、商業演劇と新劇の境を意識しないで書き続けた劇作家でもあった。

 

  • 遺書』は、金沢犀川大橋近くの割烹・犀明館の息子の結婚と戦争により特攻隊となり出陣するまでの夫婦の絆がえがかれる。浅野川の友禅流しやその川に生息する魚のゴリを金沢ではグズと呼ばれ、そのグズと息子を重ねたり、結婚相手が水引人形屋の娘で金沢伝統の水引で作品をつくっていたりと金沢文化も色濃い。息子は京都の学校に通っており、特攻隊として飛び立つとき一緒に奈良の秋篠寺の伎芸天を見たかったと語る。妻は水引で伎芸天を作ることを約束し、南九州の鹿屋航空基地から妻の立つ城山公園ぎりぎりまで低空飛行をして飛び立つのである。

 

  • 鶴の港』は、長崎の稲佐地区は維新前からロシア艦隊の冬の間の休息地で、稲佐楼はロシア艦隊の乗組員のためにロシア料理を提供している。ところがロシアと戦争となるとの話しから他の料亭などはロシア人相手の商売の鑑札を返し、ロシア相手の商売をやめる。稲佐楼の女将は、今までの付き合い通りロシア人相手に商売を続ける。最初から日本料理しか出さなかった玄海楼の女将や日本人の母とロシア人との間に生まれて成長した娘などを含めて鶴の形に似ている港での人間模様が展開する。ロシアが戦争に負け、ロシア兵の捕虜が稲佐山の仮収容所に連行され、ロシア人の父と娘が思いがけず再会する。芝居の始めのほうではぶらぶら節も流れている。

 

  • 春の嵐ー戊辰凌霜隊始末』は、題名からもうかがえる幕末から明治への混乱の時代の話しである。郡上八幡の郡上藩には幕末に凌霜隊(りょそうたい)というのが存在した。この隊は郡上藩とは関係がないということを約束されて江戸に立つ。江戸で幕府軍の手助けをするために。小さな藩は、旧幕府につくか新政府側につくかを迷い、二枚舌を使うこととして、そこに参加している人間は藩と関係なく凌霜隊の一人であるというだけの身分で、何かがあれば消される運命にあった。芝居であるので史実どおりではないが、凌霜隊が存在していたのは確かである。郡上八幡の歴史の一部を知る。藩主の姉や家老の娘が同道し、凌霜隊は藩のため幕府のためを信じて行動するのであるが・・・。要所、要所に郡上踊りが踊られたり歌が流れたりと、小幡欣治さんは、その土地の空気を漂わせる。

 

  • かの子かんのん』は、歌人であり小説家である岡本かの子さんをえがいている。岡本かの子さんは、漫画家の岡本一平さんの妻であり、芸術家の岡本太郎さんの母である。自分の恋人を自宅に住まわせ自由奔放な人ととされている。小幡欣治さんは、瀬戸内晴美さんの『かの子繚乱』の原作をもとにして、岡本かの子さんの仏教に対する考えかたなども挿入している。人から見ると気ままで自分勝手に想えるかの子さんだが、脚本の中のかの子さんは只一生懸命に突き進んでしまいその道しかなくなってしまう。そういう生き方しかできない人である。そして、それを一番理解していたのが、夫の岡本一平さんであった。

 

  • 明石原人ーある夫婦の物語ー』は、明石原人の発見者の長良信夫さんと妻の音さんの夫婦の物語である。民間人が発見しても考古学の世界ではなかなかそれを認めてはもらえないというのは、群馬の岩宿で石器時代の黒曜石製小頭石器を発見した相沢忠洋さんの著書『「岩宿」の発見ー幻の旧石器を求めて』で知った。たまたま岩宿遺跡と岩宿博物館に寄ってこの本があって読んだからで遺跡に興味があったわけではない。長良信夫さんの場合は、石器時代に人が存在したということ自体が、日本古来の神話に触れることになり曖昧にされ、戦後になってはじめて認められるのである。民間人の発見と、戦争という時代とも重なりもみ消されてしまいそうな事実がやっと認められるのである。

 

  • 相沢忠洋さんの本のあとがきにも、「明石原人の発見者で有名な直良(なおら)信夫先生も来られた。」と書かれてあり、小幡欣治さんも戯曲の中に、相沢忠洋さんに会いにいったことがでてくる。小幡欣治さんは、この戯曲のあとがきで、長良信夫さんの家族に了承を得て創作させてもらったと書かれているが当たり前と思っていた石器時代にも人間が存在していたということが認められるまでには大変な苦労があったのだということを改めて戯曲から知ったのである。

 

  • 小幡欣治さんの戯曲は、日本の知られざる土地の消えてしまいそうな生活者のことが、音楽や風景や生活や歴史を織り込みつつ書かれていて読み物としてもぐんぐん引っ張てくれた。『遺書』は十八代目勘三郎さんが勘九郎さん時代に出演していて、『春の嵐』には、吉右衛門さんが出演されていた。岩宿遺跡は、両毛線の岩宿駅から歩いて25分くらいである。

 

  • 3月にある七之助さんの特別舞踏公演は、この岩宿から距離的にはそう遠くない大間々の「ながめ余興場」から始まるのである。わたらせ渓谷鐵道の大間々駅から徒歩5分の「ながめ余興場」は見学したことがあり、この小屋で演芸が観てみたいと思っていたのである。勘三郎さんの歌舞伎を観た事がない人にもという意志を継いでの公演である。それだけに地元の人の席を取るのは不心得者であるが、先行の抽選に応募したが落選で、潔くあきらめることにした。もう一度この芝居小屋に見学だけでも訪れたいし機会があれば観客になりたい芝居小屋である。

 

 

  • 小幡欣治さんが書かれたのであればと『評伝 菊田一夫』を読む。菊田一夫さんの生い立ち、そして浅草時代が大変参考になった。さらに<あちゃらか>から<商業演劇>への脱出。東宝関連の演劇の流れも初めて文字として知る。菊田一夫さんを描きつつ一つの演劇界の歴史をも知りえて興味深かく楽しませてもらった。