シネマ歌舞伎『怪談 牡丹灯籠』

ひと言で表せば<いと可笑し>である。怪談物で、これだけ笑いの起こる芝居も珍しいであろう。

台風の過ぎ去ったあとで、8月20日~8月26日まで1日1回の上映であるためか東劇は驚いたことに満席の状態であった。一番の要因は、仁左衛門さんと玉三郎さんのコンビを観たいということでしょうが。2007年(平成19年)の舞台なので10年近く前の舞台ということになるが、数年前に観たような気分でそんな長い時間が経ったとは思えませんでした。

三津五郎さんが船頭の扮装から着流しとなり、その後ろ姿からチラッと色気がただよい、三津五郎さんのこんな一瞬の色気はじめてみました。培われた役者さんの身体の動きから垣間見た、あったかなかったかわからないような、短時間のことです。こんな大きな画面で見れるのですから、見つめていました。羽織りを着て前を向き圓朝になり、火鉢のうえの鉄瓶から湯呑茶碗にお湯か湯冷ましかを注いでゆっくりと呑み、さてと噺しはじめる。やはり語りが上手い。

仁左衛門さんの伴蔵は身体全体がつねに動いています。無駄に動いているわけではないのです。台詞とその人の置かれている状況からでてくる動きなので不自然ではないのですが、やはり歌舞伎役者さんの動きで、それでいてそのしどころがリアルにうつるんです。

伴蔵は幽霊と会っていて話しもしています。それを聴く女房・お峰の玉三郎さんは想像外のことで、聴いていてもピンときません。観客は伴蔵が幽霊を見たということは見ていますが、幽霊と話しをしたということは知りません。お峰が知らないことを観客は知っていますから、お峰が驚く様子に観客は優越感もふくむ笑いとなります。お峰はじーっと聞いて次への動きへの間、これがまた可笑しいのです。伴蔵が話すことによって自分の知った状況を整理できてきます。女房は次第に見ていない状況が自分のものになっていくというながれ、観客も伴蔵から知らない部分を知っていきます。次第にお峰と観客は同じ立場となります。そしてそこからのお二人のツーカーのやりとりができあがっていき、心理状態までこちらに伝わってきます。

お峰と同化していた感覚がまた、伴蔵とお峰の二人と観客の関係にもどり、客観的にそのやり取りの可笑しさを享受します。

一生懸命説明する伴蔵の動き、聴きつつじーっと止まっていた女房がやにわに言葉を発する。声をひそめたり、驚きの声となったり。いつの間にかお二人の芸にかどわかされていきます。かどわかされないと面白くありません。

そして、極め付きはお峰の思いつきの、お札をはがすことを承諾する条件に、百両幽霊に要求しようという案です。新三郎さんがいなくなると、伴蔵夫婦は生活がなりたたないのです。ですからそれを保証してもらおうという経済的根拠にもとずいた案で、伴蔵もそく納得です。いつの世も経済優先は強いです。幽霊はどこからもってきたのか百両もってきます。木の葉になりはしないかと心配しつつ、お峰は震える指先でチュウチュウタコカイナと数えつづけます。

さて、伴蔵とお峰のこのやり取りは伴蔵がお国と良い仲となり、そのことを知った女房が詰問する場面で使われます。使われるというと、演技してるという感覚がつよくなるが、演技しているのであるが、その境目を観客の中に残さないのです。演技していることが、今芝居の中で起こっていることを見ている観客の感性の邪魔をせず、可笑し味に変えてしまうのです。この可笑しさがたまりません。今度は伴蔵がわからない部分があります。お峰は馬子久蔵から伴蔵とお国の仲を聞き出していたのです。

このお峰の玉三郎さんと久蔵の三津五郎さんのやりとりも見ものです。

そのことを観客は判っています。ここでは、伴蔵とお峰とお峰の共犯者である観客との関係がなりたち、いつのまにか伴蔵とお峰のやり取りに見入ってしまうわけです。

映像が二人を大きく捉え、急所急所でそれぞれの表情がわかり、編集のよさも手伝っているとおもいます。そんなわけで<いと可笑し>たっぷりの映画鑑賞となりました。

幽霊のお米の吉之丞さんがこれまた幽霊らしい幽霊で可笑しいのです。幽霊のお露の七之助さんも、愛しい新三郎の愛之助さんに会えて最初はおとなしいお嬢さんですが、次第にお米幽霊に感化されて、幽霊らしい幽霊に昇格していくのも可笑しさを増してくれます。

お露の父(竹三郎)を殺すお国(吉弥)とその情夫・源次郎(錦之助)のもう一組の男女の関係がからみ、そのあたりがきちんと整理され演じられているので、流れも判りやすくなっていて、最後の幸手の土手での伴蔵のお峰殺しの場面へと繋がっていきます。

幽霊に魂を売って金をえて、新三郎を亡き者にする手助けをした伴蔵とお峰にとって、倖せを手に入れることはできなかったのです。とまあ言葉で書くと教条的になりますが、見ているとそんな形通りの解釈を吹っ飛ばし、そこへ行かせないだけの役者さんたちのやり取りの可笑しさに満足してしまいます。

団扇の使い方、着物の肩袖をたくし上げる仕種など、細かいところまで見させてもらい、大きい画面の楽しさを目いっぱいみつめさせてもらいました。錦之助さんは、信二朗から錦之助に襲名された年で、壱太郎さんはこのころは可愛さが売りだったのだなあなどという想いも忙しく回転し、映画料金分以上に刺激を貰ってしまいました。

 

もう一つ私の力では書き表せませんが、8月24日に国立劇場で開催された、

芸の真髄シリーズ第十回 能狂言の名人『幽玄の花』

能と狂言の最高峰の方々の催しで、判らないなりにも機会があれば、また触れてみたい世界でした。

 

歌舞伎座八月『土蜘』『廓噺山名屋浦里』

『土蜘』 作・河竹黙阿弥/振付・初代花柳壽輔

『嫗山姥』で名前が出てきた人の登場です。源頼光とその四天王の坂田公時(さかたのきんとき・子供時代が金太郎)、占部季武(うらべすえたけ)、渡辺綱(わたなべのつな)、碓井貞光(うすいさだみつ)で、生まれた金太郎さんは、源頼光の四天王の一人になるのです。

病に伏せっている源頼光(七之助)は、侍女の胡蝶(扇雀)が薬を届けてくれ一時気分も安らぎます。胡蝶が去ると苦しみがもどり、そこへ一人の僧が知籌(ちちゅう・橋之助)と名乗り祈祷を願い出ます。その僧のあやしい影に太刀持ち(團子)が気づき、頼光もすぐさま切りつけますが、僧は土蜘の精の本性をあらわし蜘の糸を放ち逃げてゆきます。

このあとに、番卒三人(巳之助、勘九郎、猿之助)と巫女(児太郎)と石神(波野哲之)の狂言が入ります。番卒は土蜘退治を祈願して石神を敬うのですが、この石神は実は小姓で面をかぶり番卒をだましたのです。面をとられ石神になりすましていたのがばれてしまい、ごめんなさいと手をあわせあやまる姿が可愛らしく、巫女の背中で、「やーいだまされた」とばかりに番卒たちに指をさしつつ逃げてゆき、番卒たちはそれを追いかけるのでした。

独り武者の平井保昌(獅童)と四天王の綱(国生)、公時(宗生)、貞光(宜生)、季武(鶴松)は、土蜘の精を見つけ土蜘の投げる白い蜘の糸を受けつつの大立ち回りのすえ、みごと土蜘を退治するのでした。

頼光の七之助さんに品があり、太刀持ちの團子さんぬかりなくつとめ、扇雀さんの胡蝶もしっかり板についてる感じで松羽目ものの雰囲気をたもってくれます。橋之助さんの花道からの沙門頭巾に黒の水衣の出がよく、見得もしっかり凄味を見せ、そでをかついでの花道の引っ込みもよい。今回は集中力のしどころが上手く働いてよい動きとなってられるのを感じます。

獅童さんは、役としての若い役者さんたちの四天王を引っ張られ、獅童さんもそんな位置にきたのかと感慨深かいものがあり、波野哲之くんは、お面の目の穴だけで怖くないのかなと心配であったが、大丈夫のようで、しっかり大人たちをからかっていた。まわりのサポートもあたたかかった。

『廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらさと)』 原作・くまざわあかね/脚本・小佐田定雄/演出・今井豊茂

<笑福亭鶴瓶の新作落語を歌舞伎に!>とあり、鶴瓶さんのこの落語をきいて勘九郎さんがそくこれは歌舞伎になると思ったとか。面白い作品になりました。

江戸留守居役の酒井宗十郎(勘九郎)は真面目で、しっかり留守居役を勤めようと考えていて、他の留守居役からしてみれば、なにをほざいているか無粋ものめがと鼻つまみものあつかいである。次の寄合いでは、それぞれの馴染みの遊女を伴って紹介しあうこととなる。

宗十郎は、偶然舟に乗る吉原一の花魁・浦里(七之助)に出会い、どうしてもあの花魁を連れて寄り合いにでたいと思い、山名屋に頼みに行く。山名屋の前で店の友蔵(駿河太郎)から浦里花魁が簡単に会えるものではないと、吉原のしきたりを知らない宗十郎は呆れかえられるが、山名屋の主人(扇雀)に会うことができ、さてそのあとはどうなりますか。

この噺は、花魁浦里の格の高さが出せないと、小さな噺となってしまう。そして、花魁と田舎娘時代の素の違いの差があることによって一層面白さが加わるのであるが、七之助さんはそこを上手く乗り越えられ格の高い花魁にしあげられ、さらに人情味をくわえた。勘九郎さんの朴訥さもよく、それに浪花弁でポンポンぶつかる駿河太郎さんもはまっていた。扇雀さんとの場面では上方の柔らかさがほしいが、それは期待しすぎであろう。

意地悪な留守居役の彌十郎さんや亀蔵さんらも手慣れた役のうちで勘九郎さんの融通のなさに上手くからむ。

夢のような噺であるが、『鰯売恋曳綱(いわしうりこいのひきあみ)』のお姫様が遊女になるというのとは反対の、田舎の娘っ子が花魁となる変化をみせることで、同じ位取りの質の必要性が浮き彫りになる作品にしあがった。

 

歌舞伎座八月『東海道中膝栗毛』『艶紅曙接拙』

『東海道中膝栗毛』 原作・十返舎一九より/構成・杉原邦夫/脚本・戸部和久/演出・市川猿之助

< 奇想天外!お伊勢参りなのにラスベガス⁈ > とありますがその通りです。そもそも十返舎一九さんの『東海道中膝栗毛』の弥次郎兵衛と喜多八、弥次さん喜多さんの旅が、当時では当たり前のことなのでしょうが、今読むとかなり、えげつないのです。

人をだまし、それが自分に反ってくるという笑い。宿では飯盛り女を楽しみにし、さもなくば夜這いしての失敗が主で、このまま上演しても現代の人には忌み嫌われるかもしれません。ちゃぶ台にしろ江戸時代に当り前のことが今は説明しないと通じないということがあります。

『姥ざかり花の旅笠』(田辺聖子著)によりますと、幕末に訪れた外国人は日本全土に梅毒が広がっており、そのことを日本人があまりにも気にしていない楽天ぶりに驚いているとされています。売春防止法が実施されたのは敗戦後の昭和33年ですから、なんとも性の解放に野放図なお国柄といってすますわけにはいかない状況でした。

かの勝海舟さんも妻妾同居を実践したひとで、奥方の民さんは亡くなるとき「勝のそばには埋めてくださるな、息子の小鹿(ころく)のそばがよい」と遺言し実行され、後に海舟さんの墓の隣にうつされました。食えねえ男ともいわれた海舟さん、隣に民さんを迎えて、面目なく「おかげまいりにいきたいなあ・・・」と言ったとか言わなかったとか地下の言葉はわかりません。

弥次さん喜多さんの旅のエピソードでよく出てくるのが、五右エ門風呂に下駄で入って底を抜いてしまったこと、目の不自由な二人の座頭をだましてその背中に乘り川を渡ろうとして川に落とされてしまうこと、取り込まれず物干しに下がっていた襦袢(じゅばん)を幽霊とまちがえるはなしなどでしょう。

座頭の話しと幽霊の話しは歌舞伎座でも披露されます。そこは脚本の盛り込みかたで、一九さんは喜多さんだけを座頭におぶらさせますが、歌舞伎座では、弥次さんと喜多さんふたりがそれぞれの背中に乗っかります。もちろん川に落とされます。原作での幽霊での締めは 「幽霊とおもひのほかに洗濯の襦袢の糊がこはくおぼえた」 の歌となりますが、歌舞伎座のこはくは映画『怪談』以上の幽霊の出現でありんす。

弥次さん喜多さんは最初から芝居のなかの芝居を目茶目茶にして、はてはラスベガスでは、東京の染五郎さんと猿之助さんに似ていると間違えられて、『獅子王』を演じることになってしまいます。このラスベガスの舞台装置、大道具さんたちが乗りにに乗った感じです。役者さんたちも乗っていますが。

旅の路銀はどうしたのかといえば、しっこくの闇のおかげであります。弥次さん喜多さんのハチャメチャな旅の登場人物につきましては、廻り舞台を使って蝋人形で、いえいえ生身で紹介されますのでそれもお楽しみあれ。

きちんと由緒正しきお伊勢参りをするお行儀のよい子供の旅人も出てきますので伝統に関してはこのお二人に任せご安心あれ。

こんな暑い時に東海道中なんてとんでもないというかたには、『ぬけまいる』(朝井まかて著)などもおすすめです。十代のころは<馬喰町(ばくろちょう)の猪鹿蝶>といわれた女三人組が三十路をまえにお伊勢参りにでることとなります。お金の作り方これも読みどころで、八代目團十郎さんの名前を拝借しての情報操作を使っての仕返しに溜飲をさげさせられ、ほんのり恋の香りも暑さしのぎとなります。

歌舞伎座ではラスベガスまでいくため、途中の旅が早回しとなりますので、そのぶんの補てんとしても楽しめます。

『五分でわから日本の名作』によりますと最初は『浮世道中膝栗毛』(1802年)で箱根までだったそうで、評判がよいので書き足し書き足しして8年で完成。その後、金毘羅編、上州草津編なども発表され、1872年には弥次さん喜多さんの孫が横浜からロンドンを旅する『西洋道中膝栗毛』が仮名垣櫓文(かながきろぶん)さんがだしてまして明治5年です。平成の弥次さん喜多さんがラスベガスに行ったとて、驚くことはありません。

<東海道>となりますと長くなりますのでこの辺でおしまいにします。カブキのパロディーの台詞などありますので要注意。それから役と役者さん当てにも要注意。

出演者・染五郎、獅童、右近(市川)、笑也、壱太郎、新悟、廣太郎、金太郎、團子、弘太郎、寿猿、錦吾、春猿、笑三郎、猿弥、亀蔵、門之助、高麗蔵、竹三郎、猿之助

『艶紅曙接拙(いろもみじつぎきのふつつか)』

読みが難しいです。通称『紅勘(べにかん)』。紅勘というのは、幕末から明治にかけて実在した小間物屋の紅屋勘兵衛のことで、幼少より音曲にすぐれ家業を放り出して、人のあつまるところで、芸を披露するようになり今回も、富士山の山開きで賑わう浅草に現れるのです。初演は四代目中村芝翫さんなので、八代目芝翫を襲名される橋之助さんが紅勘ということもあってか『紅翫』となっております。

江戸には様々のものを売って歩く商売のひとがいて、朝顔売り(勘九郎)、蝶々売り(巳之助)、団扇売り(七之助)、虫売り(扇雀)などが出てきます。それに町娘(児太郎)、大工(国生)、角兵衛獅子(宗生、宜生)、庄屋(彌十郎)も加わり、それぞれの商売にあった踊りで涼風を送り、あとはお楽しみの紅翫の芸を楽しみ楽しませる趣向です。

橋之助さんの身体に柔らかさが加わりその変化に面白さがでてきて、江戸の夏の風物詩の写し絵となって息を抜かせてくれました。

そうそう朝顔は『ぬけまいる』で重要な役目をする花として出てきます。朝顔の水やりなどは涼しさを連想させてくれいいですね。

 

歌舞伎座八月『嫗山姥』『権三と助十』 

『嫗山姥(こもちやまんば)』作・近松門左衛門/補綴・武智鉄二

あの熊を持ち上げる怪力の子供金太郎くんのお母さんの話しで、どうやって金太郎くんをやどしたのかの話しでもあります。

竹本駒之助さんの『嫗山姥』をCDで聴いていたので耳からだけでは想像出来ない部分がどう舞台に繰り広げられるのか愉しみでした。こうなるのであるかと芝居が進むにつれ、なるほどなるほどと嬉しくなりました。

「岩倉大納言兼冬公館も場」で、兼冬の娘・沢瀉(おもだか)姫(新悟)がいいなずけの源頼光の行方がわからずふさいでいるが、それをお局(歌女之丞)や腰元たちが煙草屋の源七(橋之助)を呼び込み、歌などうたわせて盛り立てようとします。

その歌を館の外で聴いたのが八重桐(扇雀)で、その歌は夫の坂田蔵人時行と自分しか知らない歌であり、夫は行方しれずであった。八重桐が館に入ってみると、そこに夫が煙草屋に身をやつした夫がいたのである。八重桐は夫にこれ見よがしに沢瀉姫に、自分と夫との廓での様子を語るのである。この部分が<しゃべり>といわれ八重桐の見せ場で芸の見せ所なのです。

時行は自分は親の仇うちのため身を隠したのだとつたえるが、仇は妹がすでに討ったといわれ切腹し、その魂が八重桐の口から体内に入り、八重桐は山姥となり沢瀉姫を横恋慕する敵の家来(巳之助)らをけちらします。そして、八重桐はこの時、金太郎をも宿していたのです。

八重桐の扇雀さん、紙子を着ての花道からの出から、<しゃべり>の廓での時行とのなりそめから傾城小田巻をはさんでの痴話げんかまでを色香ただよう身体の線と動きで堪能させてくれ、橋之助さんのすきっとした時行との意気もあっていて目がはなせません。橋之助さんの膝をぽっぽんと叩くリズム感に、これは、『土蜘』期待できると勘が働いたがそのとおりになりました。

新悟さんは7月は国立劇場で『卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)』の魁春さんの質の高いお柳を見たでしょうし、今回は扇雀さんの八重桐をずーっと視れるのでよい勉強の場となることでしょう。

役者の金太郎さんは怪力ではありませんが、團子さんと『東海道中膝栗毛』で、ハチャメチャの弥次さんと喜多さんとは違う賢さで東海道を旅します。

『権三と助十』作・岡本綺堂/演出・大場正昭

長屋の井戸替えという一年に一回の井戸掃除という行事をもりこだ、市井の人々の貧しくもほのぼのとする生活の中で生じる事件である。

日本近代文学館の夏の教室で、北村薫さんが<「半七捕物帖」と時代と読み>のなかで、明治はまだ江戸時代の「しっこくの闇」とかの感覚が残っていて、きつねやたぬきの仕業であろうといえば通じる共通感覚があったといわれた。

そういえば、捕り物帖などのテレビをみると、幽霊とか、得体の知れないものの仕業とみせかける事件がおこり、親分は怖がる町の人々をよそに人間の仕業であると事件を解決し、さすが親分ということになります。

『権三と助十』では、二人が人殺しの犯人と思われる様子を目撃していて、そのことを迷ったあげくに大家さんに伝えるのであるが、そのしどろもどろは、「しっこくの闇」で光るのが刃物であったということはわかるが、その人の顔は見えたような見えなかったような状態だったのであろうなと納得できます。現代の感覚とは明らかに違っているでしょう。関わりになりたくないというのはそのへんの不確かさもあるのです。今回はそのことがわかりました。

大岡越前守はそこのところ(岡本綺堂さんともいえるが)をわかっていたのかどうか、目撃された疑わしい犯人・左官屋勘太郎(亀蔵)を解き放し泳がせるのです。これがまた、長屋での権三(獅童)、助十(染五郎)、左官屋勘太郎をはさんでの、面白いやり取りとなり、それを取り囲む権三の女房(七之助)、助十の弟(巳之助)、猿回し(宗之助)などとのからみも加わり二転三転の展開がミステリーさを増します。

店子の親としての大家の彌十郎さん、無実だと親を信じる壱太郎さんなど娯楽性のなかに江戸の裏長屋のやり取りを楽しませてくれ、井戸替えの人数の多さにも笑えます。これでは権三夫婦もサボってなどいられません。それにしても夫婦、兄弟、お隣同士、喧嘩の絶えない関係です。

「半七捕物帖」は六代目菊五郎さんの当り役であったそうで、舞台での「半七捕物帖」もみてみたいものです。

 

シネマ歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』

日本近代文学館の夏の文学教室が開幕していて、4日目が終わった。昨年はこの様子を書いているが、今年はどうなるであろうか。テーマが「文学の明治ー時代に触れて」で、文豪のオンパレードであるからして、講義される方々も文豪の作品と向かい合われた痕跡があらわれ、こちらも神妙に聴かせてもらっている。

今日あたりから<文豪>さんに対し慣れが生じはじめ、聴く側の態度が軟化してきているが、書けるかどうかはまだわからない。

入ってくるものが多く、頭をめぐる血液の流れかたが少しつまり気味のような気がするので、かたまらないように適当にプッシュすることにする。ということで映画のこととなる。

野田秀樹さんが演出した歌舞伎『野田版 研辰(とぎたつ)の討たれ』の映画版である。これは、大きなスクリーンの映画で観た方が面白い部分がはっきりするのではと予想したら当たりであった。

研ぎ師の研辰は、剣術を習うため侍の守山辰次(勘三郎)を名乗り剣術道場に現れる。ところが、皆が赤穂浪士の討ち入りの話しで盛り上がっているところで、仇討をばかにしたためさんざんなめにあってしまう。研辰は痛めつけられた家老(三津五郎)に復讐すべく、あやしいカラクリをつくり、板を踏むとお堂から、言い表せられないような人形(亀蔵)が飛び出し、それを見た家老はショックのあまり死んでしまう。この事件が研辰が家老を闇討ちにしたという事になり、家老の二人の息子(染五郎、勘九郎)が仇討ちに向かうのである。

逃げる研辰、追い駆ける兄弟、曽我の兄弟の仇討ちとだぶらせて拍手喝采の世間。ところが、いつの間にか討たれる側と討つ側が入れ替わり、深く確かめもしない世間は、仇討ちという現象を喜んでいる。世の中の無責任さの怖さもちらちらする。

世間の関心が覚めたころ、研辰は兄弟に殺されてしまう。こういう場面は桜となるが、赤く染まった紅葉が一面をおおう中、紅葉の一葉が研辰の亡骸に落ちるのである。

映像で見て面白いのは、勘三郎さんの道場での一人芝居ともおもえる動きと台詞である。それが、ずーとカメラがとらえている。このなが丁場飽きさせない。舞台とは違いアップである。ここを予想していて面白いく、笑えるであろうと思っていたのである。そのとおりとなった。

舞台を実際にみたとき、どうしても全体が動くので、わさわさしていて笑いがあっても捉えどころがなく進んでしまう状態であったが、最初の一人芝居がしっかりとらえることができた。動きながらも台詞ははっきりしている。

そして、家老がカラクリを踏むところが、勘三郎さんと三津五郎さんの間のやりとりである。これは映像のとらえかたが、上手くとらえたとはいえない。三津五郎さんが踏みそうで踏まない、その可笑しさと、それに一喜一憂する勘三郎さんの間は映像のアップではとらえられない間なのである。これは、お二人を映していなければとらえられないのである。これは実際の舞台の空間の勝ちであり観客の視線になれない映像の限界である。

三津五郎さんのこの足の動きは、勘三郎さんの全身で現す芸に匹敵する可笑しさなのである。三津五郎さんの踏むか踏まないかの間に答える勘三郎さんの間は、このお二人の芸の間の絶妙さであり、個人的には一番の見どころであったことを思い出しあらためて感じいったのである。

こういうところにも、勘三郎さんと三津五郎さんの面白さの違いがある。

映画『やじきた道中 てれすけ』で、とにかく体いっぱいで表現する勘三郎さん。映画『母べえ』で、語りの上手さで存在感を表現する三津五郎さん。それぞれ独立していながら、並ぶとまたその独自性が大きく広がってくれる。こんな役者さんの組み合わせをみせてもらえたことは幸せであった。

舞台と映像では、相容れない部分もあるがそれを差し引きしても、舞台を楽しんだ気分させられる映画であった。

平成17年の舞台なので、現在活躍の役者さん達の今とを比較して観るのも楽しみ方のひとつである。

皆で、『ウエストサイド物語』のステップを踏む場面ははまり過ぎで、真面目な顔がよりうけてしまう。

脚本・演出・野田秀樹/ 出演・中村勘三郎、坂東三津五郎、中村福助、中村橋之助、中村扇雀、坂東彌十郎、市川染五郎、中村獅童、中村勘九郎、中村七之助、片岡亀蔵

 

歌舞伎座七月歌舞伎

昼の部『柳影澤蛍日火(やなぎかげさわのほたるび) 柳澤騒動』(作・宇野信夫)、夜の部『荒川の佐吉』(作・真山青果)なので、古典歌舞伎の時より気分は軽めである。

昼の部の舞踊が七月にふさわしい『流星』で、夜の部には荒事の『鎌髭(かまひげ)』『景清』である。『流星』は三津五郎さんの残像があり、『鎌髭』『景清』は新橋演舞場で公演されたときによくわからないと書いたような気がしているので、また、まずいことを書かなければよいが。

『柳沢騒動』は初めてで、柳沢吉保は歴史のなかでも好感度の良いひとではなく<騒動>であるし、どう描かれるのか好奇心がわく。吉保が浪人で本所菊川に住んでいるときは、くず屋に書物を売ろうとしてやめるという努力の人とも映る。許嫁と貧しいが仲良く暮らしている。父親思いで、五代将軍綱吉の「生類憐みの令」の犠牲となって父が亡くなる。

綱吉に仕えてみると幕府内部のいい加減さを目の当たりにしたのか、そいう手をつかうのかといったあざといやり方で出世の階段を昇っていく。志があってというよりも、ただ出世欲だけのようである。それも政治手腕に関係なく、人の弱みを見つけのし上がっていくのである。その経過は海老蔵さんがうまく引っ張っていく。

上りつめてはみたが砂上の楼閣のごとく、次第にがたがたと崩れていく。その知略の吉保も知らなかった事実が最後に明らかとなる。

尾上右近さんが菊川時代からおさめの方となっての変化の貫録ぶりがよい。吉保の奥方の笑也さん、お伝の方の笑三郎さんとおさめの方の違いが、髪型、衣装、立ち振る舞いではっきりして、おさめの方が自分の立場に不安を抱くのが納得でき、次の話しの展開に上手く乘った。東蔵さんの桂昌院は、もとは八百屋の娘ということもあり色欲をさらけ出すが、将軍の母であるその立場の工夫がほしい。

こういう芝居は騙されているからこそ蓋をを開けてのお楽しみが倍増するのである。それなりに面白いが、もう一つの方法として海老蔵さんの吉保さんどうせならもっと柔らかい非情さになってもよいのではないか。きりきりしているよりも、にこやかに笑っている人ほど怖いということもある。裏話をのぞくようなことだけではではなく、人間の悲しき欲に左右される人物像とはのひねりも欲しい。要求が多すぎ。

『荒川の佐吉』は、やくざの三下奴の佐吉が親分の殺されたあと、親分の娘・お新の子供・卯之吉を育てるが、卯之吉が盲目のためいずれは検校にできるお金のある実の親に返してやるのが卯之吉のしあわせと、自分は旅がらすとなって一人旅立つのである。こちらは力の強いものが勝つわかりやすい世界にあこがれながら、お金の力に左右される人の幸せにあえて屈して背を向ける佐吉の意気地である。

お新と政五郎親分に卯之吉に対する想いを語るところが聞かせどころで、猿之助さんそれまでの佐吉の口調とは違う声音で聞きやすくじっくりと聞かせてくれた。両脇の若い女性客は号泣されてた。

私は中車さんが心配でそちらにも目が行き時々鼻をつまらせていた。黙っている政五郎親分は、大きさのいる役で、緊張するであろうとお節介なことを考えていたのである。『柳沢騒動』の将軍綱吉も中車さんで、こちらは吉保に操られているのも知らずといった役どころで上手く役どころを押さえれれていた。時間とともに政五郎親分にもゆとりができるであろう。

『流星』は、軽やかさのある猿之助さんならではの踊りであった。舞台に雲がわき上がっていて、織姫がふわふわと雲の間からでてきて、牽牛と会えるのがなかなかロマンチックである。巳之助さんのたたずまいに青臭さが去り、立ち姿が良い。『荒川の佐吉』の大工辰五郎も庶民の情がある。尾上右近さんと巳之助さん舞台経験を積み上げられている時間をかんじる。

『鎌髭』と『景清』理屈っぽさがぬけ、不死身の景清ここにありである。源氏側も景清と知りつつ騙されてやろうとの愛嬌でそのやりとりも可笑しい。不死身である景清は恐いものなしで、殺せるなら殺してみろとばかり大仰である。三保谷四郎の左團次さんが一人真剣なのも荒事ならではのかたちである。

市川右近さんの入道役が面白く身についてきた。猿弥さん、『柳澤騒動』でお酒を飲み過ぎている間にライバル出現である。

『阿古屋』のパロディ的牢前での廓の再現。重忠にさとされて牢を破り自分の殻から飛び出す景清。今回の津輕三味線は強弱が上手くでて、景清の足踏みとも上手く合い相乗効果を出していた。余計なことであるが、海老蔵さんの声の気になるところがある。<はぁ>などの軽く抜ける箇所である。個人的な感覚であるのであしからず。荒事のなかにある幼児性の風も届く。

脇を固める役者さんたちも、役の雰囲気が短時間の出でも伝えられる力がつたわり観ているほうも芝居になじみやすくなった。

歌舞伎座のみならず地方でも次世代が、東コース、中央コースと暑い季節を頑張られていて頼もしい限りである。

 

 

 

歌舞伎座6月「新中納言知盛」「いがみの権太」「源九郎狐」

6月の歌舞伎座は三部制である。8月の三部制はあるが、他の月では初めての経験である。5月の観劇のときほかの観客のかたが、「実質の値上げですよね。」「交通費をかんがえると出費がふえて。」という会話がきこえてきた。実際のところそうである。

なぜ三部制にしたかというと、『義経千本桜』の登場人物の印象を強めたかったようである。歌舞伎座にいくと、三つ折りのチラシができていた。

【第一部】新中納言知盛  碇とともに身を投げる豪快にして悲壮な武将  【第二部】いがみの権太  放蕩の限りを尽くすいがみと呼ばれた無法者 【第三部】源九郎狐  親への情愛一心に鼓と旅する狐の子

新中納言知盛は染五郎さん。いがみの権太は幸四郎さん。源九郎狐は猿之助さん。三人の役者さんを前面にだして『義経千本桜』の三本柱として浮彫にしようということなのであろう。その試みはうまくいったとおもう。一人一人が印象づけられた。しかし、スペクタルな濃厚な味にかけ、腹八文目の健康献立であった。脂分をとりおとされ、形よくさらに盛り付けされたかんじである。その点では観るものは楽をさせてもらったことになる。

もうひとつ感じたことは、自分の見方が、相対評価と絶対評価にわけて観るシステムができているということである。相対評価というのは、ほかの役者さんと比較して観劇していて、絶対評価はその役者さん自身の流れで観劇しているということである。

古典芸能となれば、続いているものであるから、長く観劇をつづけていると、相対的になるのが宿命である。

たとえば、知盛であれば、わたしが最初によいとおもってみた知盛は吉右衛門さんの知盛である。当然、染五郎さんに吉右衛門さんの脳裏の映像で期待する。前半はよい。ところが、平家一門の今、六道のくるしみは、父清盛の非道のゆえかと嘆き安徳帝を義経に託すその心の流れがうすいのである。生きのこって亡霊と思わせてまで義経を討とうとする激しさ。これがずしんとほしかった。

主馬小金吾にかんしては、今の錦之助さんが信二郎時代の小金吾が美しい動きであった。それに比較すると、松也さんの動きの切れがもうひと押しである。

よいとおもったとき、感動したときは実際にはそれほどではなかったのかもしれない。その観たものは増幅されて記憶にのこっているだけかもしれないが、先に感動させたもの勝ちのところがあり、次の人々はそれを打ち破らなくてはならない。

では、猿之助さんの源九郎狐はどうか。動きもいい。身体全部で表現している。あきさせない。菊五郎さんが演じられたとき、年齢も高く動きも猿之助さんにはかなわないのであるが、狐の親にたいする情は、菊五郎さんのほうが伝わったのである。猿之助さんは、狐の言葉としてセリフを工夫している。そこをつきつめすぎて、聞きづらく肝心のところでジーンとこないのである。

絶対評価。すし屋での弥助が維盛になるところの染五郎さんである。これは今までみたことのない変化の面白さである。弥左衛門の錦吾さんにまずと手を差し上げられ、上段にあがってくるっと正面をむくと高貴の維盛である。空気が動く。

猿之助さんの渡海屋の女房お柳から大物浦の典侍の局へのかえし。この役は猿之助さんで観ていない気がする。早変わりに忙しいかただから、こうしてゆっくりと演じるのは新鮮味がある。初お目見えの市川右近さんの子・武田タケルくんのお安と安徳帝がきちんと姿勢をたもちがんばった。猿之助さんとタケルくんコンビが平家の悲哀をひきうけた。

門之助さんの義経が大きく存在感が増し、笑也さんの静御前が、義経に代わって狐忠信の正体を詮索するという心構えがしっかりしていた。猿弥さんは、逸見藤太役さらに手中でころがしている。

いがみの権太の幸四郎さんは相対的にも絶対的にも、前半はゆすりたかりのいがみを納得させる展開をみせられる。これは、『不知火検校』でのお市役をこなしての型のあるいがみの権太に重ねあわせてつくられた感がある。いがみの権太の愛嬌や花道での足さばきなどで権太をうまくつくりあげられた。女房小せんの秀太郎さんとの息もあってどうしてこうなったかのくだりの流れがよい。

終盤の父親に刺されてからも、周囲の役者さんがそろい考えもしなかった悲劇へとつなげてくれる。三人の人物ではやはり一番印象に残った。

知盛には悲劇的勇壮さを、狐忠信には情をもうすこし色づけしてほしかった。今回は逸見藤太からも推奨される染五郎さんと猿之助さんコンビは、屋根の上の染五郎さんの竜馬と亀治郎さんのおりょうが焼き付いているが、さらに新たなコンビを楽しませてもらった。

そして「染五郎さんの知盛もいいですね。」「いやあ楽しかった。上ばっかり見ていて首が痛くなった。」と言われて宙乗りを楽しまれたかたがたがいたことも付け加えておく。

こちらは、さらに来月の相対評価と絶対評価が、どう面白く表れてくれるかをはや期待している。

 

 

 

前進座 『東海道四谷怪談』(2)

その後は『四谷怪談』どうなるのか。砂村隠亡掘りで、釣りにきた伊右衛門と直助がであう。直助は薬うりであったのが今はうなぎとりとなっている。そこで、非人となった伊藤家のお弓と召使のおまきとも遭遇するが、ふたりとも堀に落ち無惨な最後となる。

お岩と小仏小平(こぼとけこへい)の死骸が裏表に打ち付けられた戸板が流れてくる。小平も塩谷家につながるもので病の主人を助けるためにと伊右衛門から薬をぬすみ責め殺され、あげくのはては、お岩と不義密通者として戸板にうちつけられ流されたのである。

戸板に死骸を打ち付け流すというこれまた猟奇的な場面であるが、これは実際にあったことで、南北さんはこのほかにも実際の事件から集めとりこんでいる。当時の人々は、そういう情報も混ぜあわせつつ、これはあのことだと思わず「待ってました」と声をかけたかもしれない。

「深川三角屋敷の場」。伊右衛門とお岩の流れと、もう一つ、直助とお袖の流れがどうなるのか。直助とお袖は一緒に暮らしている。お袖は、夫与茂七の仇をとるまではと見せかけの夫婦として暮らしている。

この場でもお岩の幽霊は登場する。直助がうなぎとりとなりお袖は古着を洗う内職をしている。そのことが、お岩と小平の着ていた着物が古着やに渡り、それを洗って古着屋が店に出すというながれの途中でお袖のもとに流れてくるのである。そして直助によってお岩の櫛もお袖のところに流れつく。上手いながれで、お岩がここで出現できる設定もつくられている。洗い物のたらいからお岩の手がのび、直助が隠亡掘りでかきあげたお岩の櫛を取りあげたり、かえしたりするのである。ここは怖いというより可笑しさがある。直助の矢之輔さんの役の幅がひかる。

お袖は、直助に仇討ちのためとあれこれ言いよられついに身をゆるしてしまう。そこへ与茂七があらわれる。

お袖は知らずとはいえ二夫に交えたことから、直助と与茂七に殺されるようにしむけ死をえらぶ。死ぬまぎわお袖が直助に渡したへそのをの書き置きで、お袖は直助の実の妹であり、さらに自分が殺したのはのは主人の息子であったことを知る。畜生にもおとると直助は自刃してしまう。直助とお袖のほうは、自分で命をたつのである。ここに「深川三角屋敷の場」の伊右衛門とお岩とは違う直助とお袖のもう一つの層ができあがる。抜擢の若い臣弥さん期待に答える。

そして、もうひとつが与茂七によって義士の層が重なる。与茂七の菊之丞さん、義士の雰囲気をかもしだし、三角屋敷の場は終わる。

伊右衛門が隠れ住んでいる蛇山庵室の最終の場になるのであるが、そのまえに<夢の場>がある。ここは美しい場面からはじまり、気分をかえてくれる。この場は原作を変え演出上の工夫である。七夕に出会う伊右衛門と美しい娘。しかし抱いた娘は、お岩の骸骨であった。

この場の一瞬が、お岩のはかない夢の一瞬ともうつる。國太郎さんと芳三郎さんコンビが浮き彫りとなり、芳三郎さんの時としてかげりのある伊右衛門像に反映される。

伊右衛門の最後。お岩の亡霊と捕手とに囲まれ、与茂七と小平の女房お花によって伊右衛門はとどめをさされる。四谷の仇討ちはたされるのである。

創立85周年は、歌舞伎の『東海道四谷怪談』と決めていたのであろうか。第三世代を中心にして歌舞伎演目を上演してきた。前進座の劇場を閉じ、落ち着いて舞台に専念できる状況とはいえないなかで、ここまでに至ったということは喜ばしいことである。

梅之助さんは亡き人となられてしまったが、次の世代への手渡しを確信されていたことと思う。責任をはたされた。

パンフレットの整理の途中で、どういうわけかその一山の一番うえに、前進座公演の『法然と親鸞』のパンフレットがありそのままになっていた。『東海道四谷怪談』を観劇したあとにそれが目にはいった。中村梅之助さんが法然で嵐圭史さんが親鸞である。私のなかでの梅之助さんの最後の主役は、この作品ということになる。

『東海道四谷怪談』のパンフレットに黒柳徹子さんの「なつかしい前進座」という一文が載っている。その中に『巷談本牧亭』『天保の戯れ絵ー歌川国芳』『面倒な客』の上演名がある。歌舞伎以外にも、前進座で観たい舞台はたくさんありそうである。前に進むこれからの舞台にも期待したい。

原作・鶴屋南北/脚本・小野文隆/演出・中橋耕史/出演・河原崎國太郎(お岩、小仏小平、おもん、お花)、嵐芳三郎(民谷伊右衛門)、藤川矢之輔(直助権兵衛)、忠村臣弥(お袖)、瀬川菊之丞(佐藤与茂七)、武井茂(四谷左門)、柳生啓介(按摩宅悦)、松涛喜八郎(伊藤喜兵衛)、山崎辰三郎(お弓)、早瀬栄之丞(お槇)、本村祐樹(お梅)、姉川新之輔(伊右衛門母お熊)、益城宏(秋山長兵衛)、清雁寺繁盛(関口官蔵)、寺田昌樹(中間伴助)、渡会元之(奥田庄三郎)、中嶋宏太郎(利倉屋)

 

前進座 『東海道四谷怪談』(1)

前進座 創立85周年記念 中村梅之助追悼 5月国立劇場公演

今回の前進座公演『東海道四谷怪談』には「深川三角屋敷の場」もはいっている。この場面が入ると入らないでは、『東海道四谷怪談』の厚みが違ってくる。

<東海道>がどうして前につくのか、東海道を歩くものとしては気になり、あれこれ考えてしまった。<東海道>は赤穂浪士の<義士に至る道>である。赤穂城を明け渡し、仇討をきめ、江戸へ義士としてはいるための道である。<四谷怪談>のほうは、江戸にありながら、義士たちから外れたものたちのはなしである。

鶴屋南北(四世)さんは、市井の人々のなかで実際に起こった事件を組み込みながら、義士を表とするなら裏を面白くみせる芝居を考えたとおもわれる。それも怪談という、まさしく裏街道のはなしである。四谷には四谷大木戸があったがこれは東海道ではなく、甲州街道と青梅街道につながっていて東海道からずれている。青梅とお梅。これまた面白い。お梅にほれられて、伊右衛門の方向性が全く変わってしまうのである。考えすぎであるが。お岩の父が四谷左門であるから、そのあたりともいえる。色々詮索したくなる南北作品である。

『東海道四谷怪談』は初演の時、忠臣蔵が一番目の狂言でありそのことがわかっていて南北さんは、忠臣蔵に関連づけてかかれたのが定説のようである。なんにせよ、臨機応変の南北さんである。

前進座にとっては、三回目の上演で、34年ぶりである。河原崎國太郎さんがお岩で、嵐芳三郎さんが民谷伊右衛門を受け持つ。おふたりは前進座第三世代の中心である。そして、「深川三角屋敷の場」を、藤川矢之輔さんが直助権兵衛、忠村臣弥さんがお袖、客演の瀬川菊之丞さんが佐藤与茂七である。

伊右衛門は、お岩とお袖の父であり自分の舅でもある四谷左門を殺す。直助はお袖の夫の与茂七を殺し、自分たちが仇をとるとお岩と妹のお袖をそれぞれの家に連れて行く。この時の上手の伊右衛門と下手の直助の悪人としての姿がはっきりと描かれ次への足掛かりとなった。じつは与茂七と思って殺したのが人違いであったが、顔の皮をはがしわからなくしてしまい、与茂七とおもわせるあたりも猟奇的悪をつよめる。

四谷左衛門と与茂七は赤穂浪人で与茂七は塩谷判官のかたき討ちに参加している。その二人が亡くなったわけで、お岩とお袖は親と夫の仇をとってくれるという伊右衛門と直助を頼るしかない。ここに、ウソの仇討ちができあがる。伊右衛門も直助ももとは塩谷家につながるものたちなのである。そこを断ち切る。<仇討ち>という表と裏がチラチラと見え隠れである。

お岩は子供を産み産後がおもわしくない。そんなお岩が伊右衛門はうっとうしくなっている。そこへ、隣の伊藤家から出産のお祝いと、産後にきく薬をお岩においていく。お岩に言われ伊右衛門は伊藤家にお礼にいく。

薬を飲んだお岩は顔をおさえ苦しみもだえる。伊藤家は孫娘のお梅が伊右衛門に一目惚れしてお梅を輿入れさせるためお岩に毒をわたしたのである。

ここからお岩の醜い顔となり髪の毛が抜ける場面であるが、照明が暗くわかりずらい場面であるが、今回照明があかるく一つ一つの動作がみやすく、変貌のさまがわかった。國太郎さんのお岩はやつれてはいるが美しく、伊藤家が伊右衛門のお岩に対する気持ちを絶つために考えた陰謀のねらい目が納得できた。

ただ、柱に刺さった刀にお岩が誤って首を刺し亡くなる場面は明るすぎてしどころが見えすぎてしまうのでここまではすこそづつ照明を暗くしたほうが意外性がでるであろう。

伊藤家の狙いは見事功を奏した。伊右衛門は、お岩をみかぎり質いれにと蚊帳まで持ち出してしまう。江戸での蚊帳は生活環境から必需品である。それも幼子にとっては。蚊帳まで持ち出す伊右衛門は、その非情性を増幅させる。南北さんかためていく。

伊右衛門は、伊藤家のおかげで塩谷家にとって仇の師直への仕官の道もひらけ、お梅と祝言の運びとなるが、お岩の亡霊によって、お梅もその祖父をも殺してしまう。お岩の反逆がさく裂する。

『四谷怪談』の映画のポスターなどは、この殺しの場面の伊右衛門の顔とお岩の顔が大写しとなり<怪談幽霊映画>のイメージをアピールしていた。それだけで観たい観客と観たくない観客にわかれた。観たくない観客にはいるが、今回は数種観させてもらった。

 

DVD『江戸ゆかりの家の芸 坂東三津五郎』

3月以来、歌舞伎について書き込みをしていない。3月の書き込みも中途半端である。なぜか。

それは『金閣寺』にある。この前に観た『金閣寺』が、2015年1月 歌舞伎座1月 『金閣寺』  である。雪姫が七之助さん、松永大膳が染五郎さん。、此下東吉が勘九郎さんである。今年の3月が、雪姫が雀右衛門さん、松永大膳が幸四郎さん、此下東吉が仁左衛門さんである。前者と後者では、芝居の厚みと深さが違うのである。後者を観て、こんなに違いがでてしまうのかと唖然とさせられた。

後者の厚みと深さを表す言葉がみつからなく、歌舞伎の書き込みができなかったのである。

その後も楽しく拝見はさせてもらっているが、そこから回復していない。そんな時、芸の真髄シリーズの『江戸ゆかりの家の芸 坂東三津五郎』のDVDを観たのである。十代目三津五郎さんの踊りで、最初の『楠公(なんこう)』の武張った踊りの形の美しさにくぎ付けになってしまった。素踊りで体の線がはっきりしている。

楠正成と息子・正行の別れと、後半は正成の湊川での足利軍との合戦の様子である。踊りでありながら、芝居の型の一つ一つを見ているような流れである。初めて観る踊りで、最後に三津五郎さんのインタビューがあり、この企画ために初めて踊られたとのこと。今まで身体に蓄積されていたものが、あらためて一つ一つ構築されてできあがった身体表現の美しさにスカッとした気分にさせられた。三津五郎さん56歳の時である。

型にはめられてはめられて、そこから出てくる<気>であり<芸>である。

『大江戸両国花火』、三津五郎さんの振り付けで、武蔵と下総に両国橋が架けられての川開きの花火の様子で、雰囲気がよく映し出されていた。

『流星』『喜撰』は洒脱な踊りでお家芸として得意とするものである。『流星』は、やっと会えた牽牛(けんぎゅう)と織女(しょくじょ)の前に流星が現れ、同じ長屋に住む雷夫婦の喧嘩の様子を面白おかしく知らせるのである。この流星は悦に入って四役をこなして踊りで説明するが、牽牛と織女にとっては邪魔をしてるだけのようで最後にその可笑しさも加わった。

『喜撰』は、先ごろ歌舞伎シネマでもみていたが、DVDのお梶は菊之助さんである。

牽牛は巳之助さんで織女が尾上右近さんで、今月の歌舞伎座がよみがえる。今月の夜の部最後が「男女道成寺(めおとどうじょうじ)」である。白拍子花子が菊之助さんで、白拍子桜子が海老蔵さんという娘二人道成寺の部分もあり、玉三郎さんと菊之助さんの『京鹿子娘二人道成寺』のDVDも見直してしまった。

夜の部の最初の演目『勢獅子音羽籠』では、菊之助さんのお子さんの寺嶋和史くんが、初お目見得である。ものすごく恥ずかしがりやのようで、それでいて舞台に立つのは嬉しいようである。今は僕これしかできないよと菊之助さんに抱かれて手をふる素の和史くんも、これから少しずつ型の世界に入っていくのであろう。

若手は若手で頑張っているなと思う反面、先輩たちのを観ると落差を感じることは、これからも遭遇することと思う。DVDで所化の役者さんの短いセリフの声でも、今のほうがトーンがよくなっているなと感じられるということは、時間が解決していってくれるということである。