歌舞伎座三月「五代目中村雀右衛門襲名披露」

中村芝雀さんが、五代目中村雀右衛門さんを襲名される披露公演である。五代目雀右衛門さんが演じるのは、八重垣姫・時姫・雪姫の三姫のうち昼の部で時姫を、夜の部で雪姫をと二姫演じられる。

口上の時に、役者さんのどなたかが、芝雀さんは立役を引きたてられるような相手役を勤められてきたので、今度は自己主張される女形を見せていただきたいと言われていたがなるほどと思わされた。

どちらかというと、ソフトタイプの女形さんである。四代目の雀右衛門さんは、私が歌舞伎を観始めたころはすでに女形の筆頭格におられた。書かれたものから推察すると名子役といわれていた。その後戦地にいかれ、復員されてから立役から女形にかわられ再出発である。ところが出演した映画『佐々木小次郎』がヒットしてしまい映画界でのスターとなられる。しかし、そこからまた歌舞伎界にもどられ、修業に励まれる。大変な努力と勉強をされて持ち前の才能を開花されるのである。年令的には遅い開花となったわけであるが、そうした道筋が、芸のうえで幾つになられても愛らしいお姫さま役を演じられる力を持ちつづけられることとなったわけである。

そうした四代目さんから推し測ると、五代目雀右衛門さんがどんな自分を押し出す立女形さんになられるかも楽しみのひとつである。

『鎌倉三代記』の時姫も『金閣寺』の雪姫も、自分の愛と意志を選択して突き進む役である。と同時に時代物で芝居自体が重い物である。そのため昼夜ともに、明るく楽しい舞踏を組み込まれ、襲名舞台に相応しい公演となった。

『鎌倉三代記』は大阪夏の陣が下地としてある作品である。時姫の婚約者である三浦之助は源頼家を主人としており、時姫はその敵側の北条時政の娘なのである。時姫は一途に三浦之助を想って三浦之助の不信感をくつがえすため父である時政を討つことまで約束するのである。

ところが、これが、三浦之助と佐々木高綱の計略であった。筋を知るとそんな、時姫をおとしいれてしまうわけと三浦之助と高綱にこちらが不信感をもってしまうが、この芝居の下敷きが大阪夏の陣である。三浦之助と高綱は豊臣側で、三浦之助は木村重成を、高綱は、真田幸村をモデルとし、北条時政は徳川家康を時姫は千姫をあてているのだそうである。

冬の陣で堀を埋めることになり、そして夏の陣である。三浦之助と高綱にとっては最後の場面ともいえる。高綱は、モデルの幸村の知略らしき展開を見せる。

時姫は、そんな戦の中でも自分の愛を貫くことだけにかけている。愛しい三浦之助は負傷してもいる。

時姫のしどころが沢山あり、三浦之助が気絶しているのを発見したときは、どうしよう、そうだ薬がある、それを飲ませようと口移しに呑ませるのである。書くと簡単であるが、お姫様である。行動までの心の流れをパントマイム的に表現する。あくまでもお姫様の優雅さで。このあたりが歌舞伎の時間をかけるところである。

この動きの一つ一つに心の内の驚き、動揺、不安、安堵などが含まれ凝縮されている。しかし、時間的には長くなるのである。そうした場面、場面の心もようをつぎつぎと表現していかなければならない。

五代目雀右衛門さんは、これまでの長い舞台歴で培ってきた様々な身体的表現を、丁寧にひとつひとつ気持ちをとらえて身体から発するように演じられていた。

自分が翻弄される立場にあることなど考えられず、ただひたすらその場その場に置かれる自分の気持ちに素直に突き進むのである。そしてどこか、ふわりとした芝雀さんならでわのソフトさが醸し出されていた。芝雀さんから雀右衛門さんへの新たな芸はこれからはじまるのである。

こちらもまだ、芝雀さんの芸の印象が強く、雀右衛門さんと思うまでには時間がかかりそうである。これまでやられなかった役も演じられることによって、新たな印象が増えていくことになりそうである。

 

 

歌舞伎座二月 『源太勘当』『駕籠釣瓶』『浜松風恋歌』

『源太勘当』は『ひらかな盛衰記』の中の一部で、『逆櫓(さかろ)』はよく上演されるが、『源太勘当』は少ない。

梶原景時には二人の息子がいる。兄・源太景季(げんたかげすえ)と弟・平次景高である。兄が<源>で弟が<平>。何か意味付けがあるのか。兄は美男で心映えがよく、弟は横着ながさつ者である。その兄と恋仲の腰元千鳥を弟は横恋慕する。『源太勘当』とあるから、兄は勘当されるわけである。この勘当もわけがありそうである。

源太は宇治川の合戦で佐々木高綱との先陣争いに敗れ、そのことを弟はなじり、母のもとには、父から源太を切腹させよとの文が届く。しかし源太が敗れたのは、高綱に父が命を助けられたことがあったからその恩に報いたのである。母・延寿は一通の手紙をじっと見つめているが、源太を勘当し、千鳥とともに落としてやるのである。

この芝居はむずかしい。兄(梅玉)と弟(錦之助)の違いは衣装から顔のつくりからしてわかりやすい。千鳥(孝太郎)と兄と弟の関係もわかるが、母(秀太郎)の苦悩がむずかしい。なにかじっと想い悩んでいるらしいことはわかる。これは、筋を知って味わうべきものとおもう。源太は勘当されることによって美しい衣装から惨めな姿となる。その辺の転回や、千鳥が平次のやりとりの時と源太に対する時の心持ちの差なども見どころである。悲劇を着ている衣裳で表せる品格も役者さんの芸であると思った。千鳥の衣装も腰元にしては刺繍など豪華である。

『駕籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』は何回も観ているが、次郎左衛門の吉右衛門さんと八ツ橋の菊之助さんである。どんな感じになるのか。まず、菊之助さんは美しいのであるが人形的な美しさで、この点がずーっと気になっていた。ところが今回は、花魁という立場がこの美しくもまだ可憐さの残る八ッ橋をどれだけ悩ませるかがでていた。こちらが同情してしまうような八つ橋であった。栄之丞(菊五郎)に惚れているため次郎左衛門との縁切りを迫られる時のつらそうな心の乱れ。きっぱり愛想づかしをしてからのおもい。それぞれに血の流れがあった。さらに、次郎左衛門が再び訪ねて来てくれた時の疑いの無い安堵感。

それに対する、吉右衛門さんの次郎左衛門は、再び八ッ橋と向かい合い、がらっと変わって憎しみのみが鬼畜のごとくに豹変する様が際立った。情を出すのが上手い役者さんだけにこの変化に弱さがみられることもあったが、今回の次郎左衛門の狂気と八ッ橋の恐れは錦絵のようであった。

八ッ橋に想われている自分を同郷のものに見せようとしたのであるから、その絶望は大きい。次郎左衛門にとっても、八ッ橋にとっても、どうすることもできない時間のめぐりあわせであった。

梅枝さん、新悟さん、米吉さんと若い花魁たちが違和感なく勤めていたのには驚いた。菊之助さんの若さとの釣り合いであろうか。ベテランの空気の張りつめかたも良いのであろう。

真っ暗な中、ぱっと現れる吉原の仲ノ町は、当時の不夜城の出現である。

『浜松風恋歌(はままつかぜこいのよみびと)』。在原行平を恋い慕って亡くなった松風の霊が小ふじ(時蔵)にのりうつり、その小ふじに想いをよせる船頭此兵衛(松緑)がストーカーのように追い回し、おもいがかなわず刀を振りかざす。

松緑さんの此兵衛は出て来たときから怪しさがみなぎっていた。剃られた月代(さかやき)の青さが照明にあたりひかり、目も異様なひかりをする。もしかするとカラーコンタクトを使用していたのであろうか。試みとしては、最初から此兵衛を悪として設定したのであろうか。

初めて観る作品なのでそれはそれなりに面白かった。その此兵衛に負けないゆとりが時蔵さんの小ふじにはあり、謡曲を題材としている作品から現代と行きかう作品となったような気もする。

終演後、観客の若い女性の「松緑さん怖すぎ。」との声を耳にした。なるほどそう感じる人もいるかもしれない。役者さんがどう作品をとらえていくか。松緑さんもそうしたもがく年代に入っているということであろう。

 

歌舞伎座二月 『新書太閤記』

通し狂言『新書太閤記』。吉川英治原作を六代目菊五郎さんが新聞連載中に上演したとある。どのような評価であったのか知りたいところであるが深入りはしないで当月を楽しんだ。秀吉を取り巻く歴史上の人物がオムニバス的に、それぞれの逸話が展開され、秀吉が信長の心をつかみ時代を手にいれてゆくさまがスムーズに流れ構築されていく。

菊五郎さんの秀吉は芝居の狂言回しの役目をしつつ、自分の都合の良いほうにというか、周囲を丸め込むというか、一本気の人をなごませるというか、人の発想を逆転させるというか、道なき道を切り開いていくというか、つかみどころのない人物である。

自分自身もわかっているのか、それとも楽天的なのか、計算高いのか、出世欲なのか、捨て身なのか、こうときめつけられない多様性をもっている。

ただ、信長に気に入られ様としたのは確かであるが、その気に入られ方もまっとうな知恵であるのか、悪知恵なのかは判然としない。

槍の試合に長い槍を持ちだし上島主水(松緑)側を負かしてしまう。どちらが槍の使い手であるかなど問題ではない。戦さでどちらが道具としての槍が有効であるかである。槍の名手の上島としては武士として許せないことである。ところが、秀吉にすれば、武士の個人の誇りなど関係ないのである。信長公にどうお仕えするかが主従の従の道と考えている。

そんな調子で、秀吉の言葉に皆納得してしまう。その発想が面白くもあり他愛無くもあり、こんな男のいうことだからとプライドをしまいこむ者もいる。

寧々(時蔵)との祝言はお笑いであるが、寧々が秀吉を気に入っていたので成功する。前田利家(歌六)も秀吉の悪知恵には笑って済ますこととなり、それがかえって利家の大きさを見せることとなる。

清州城の普請場での功績、軍師竹中半兵衛(左團次)を味方にいれるなどして、藤吉郎から秀吉になる流れも無理がない。

ただ、明智光秀(吉右衛門)だけは、秀吉も心をやわらげることはできなかった。ここが、光秀役の吉右衛門さんには手こずる芝居と役の二重性の楽しみがある。あの『馬盥』の光秀には無理でしょう。かえって火に油をそそぐだけかも。

信長(梅玉)は光秀のこころが読めるだけに激怒するのかもしれない。秀吉の行動は信長には読めない。ごますりかもしれないが、思ってもいないような行動にでるのが信長の緊張をほどきかつ引き締める楽しさをもたらしたのかも。

光秀は信長を討って初めて信長の孤独を知ったであろう。しかし秀吉にはまだ孤独感などありはしない。父信長のあとをつぐのが当たり前だと思う織田信孝(錦之助)や実直な柴田勝家(又五郎)を排除して三法師君を抱きかかえているのである。

そこには寧々も連座して、中々な夫婦である。

濃姫(菊之助)、秀吉の母(東蔵)、寧々の父母(團蔵、萬次郎)など役者がそろい、歌舞伎のオールスター版である。

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立振る舞いは美しいし、役者さん達の本来の合う役や、すでに認知度の高い役どころと頭の中で比較したり、菊五郎さんの秀吉の出方にどう反応するのかなど、ツッコミも入れたりできる楽しい舞台となった。

そして、若手の役者さんがどう信長を守るためにとりまくのか、藤吉郎を軽くあつかうのかなどもなるほどと思いつつほくそ笑んでいた。

 

2016年 新春歌舞伎総集編(2)

国立劇場『通し狂言 小春穏沖津白波(こはるなぎおきつしらなみ)ー小狐礼三ー』

今年は河竹黙阿弥さんの生誕200年に当たるそうで、2016年から200年を引くと1816年がお生まれです。亡くなられたのが1893年(78歳)。

歌舞伎座『直侍』、新橋演舞場『弁天小僧』、浅草公会堂『三人吉三』『切られ与三』も黙阿弥さんの作品である。

『小春穏沖津白波』は1864年(49歳)初演である。<白波>というのは盗賊を主人公にしていて、この作品では日本駄右衛門、船玉のお才、小狐礼三の三人の盗賊が活躍するが、狐の妖術を使う小狐礼三の活躍が多い。

話しは芝居をみていれば判るようになっている。基本としてお家騒動があって、その主人のほうを助けるという話しである。武家社会の騒動を庶民の盗賊が主人公になって助けるのである。武士よりも盗賊のほうが格好良いということになる。

武家の月本家の若殿は傾城花月という女性がありながら、美しい姫君に出会うと口説いてしまうというタイプである。そんな若殿・数馬之助であるから、家来に乗っ取りをしかけられてしまう。悪人として狙うのはいつものごとく家宝である。家宝の「胡蝶の香合」があちらこちらの手に渡り最後は無事若殿の手もとにもどるのである。

その枠組みの中での、三人の盗賊がどう活躍するかは種明かししないほうが楽しめそうである。そして三人のそれぞれの台詞の聞かせどころは黙阿弥さんならではである。日本駄右衛門のゆとりの菊五郎さん、船玉のお才のどこか妖しく腹の座った時蔵さん、小狐礼三の若いが自信に充ちた菊之助さんとそれぞれ役が生きる台詞である。

船玉お才と小狐礼三の場面ごとでの出会いと探り合いも、それぞれが違う人物に化けていて忍びの者の感じもあって面白い。

狐の妖術というのが、狐であるからだまされるというたぐいの軽いものから、季節を変えてしまえるということもでき、これが舞台転換の楽しさを新春らしい彩にしてくれる。

さらに、外国の方なら「伏見稲荷!」と大喜びするであろう場面での立ち廻りもある。最後は日の出ありと、サービス満点の芝居となった。

亀三郎さん、亀寿さんを筆頭に若手の脇の形がしっかりして、落ち着いてみていられた。頼りない若殿の梅枝さんがじーっとその頼りなさを維持し、それを助けようとする周囲も手堅いし、それを失脚させようとする悪役の亀蔵さんを主に整っている。驚いたのは、若殿の相手、傾城花月の尾上右近さんである。いつの間にそんな手練手管を身につけたのであろうかと思わせる。

芝居のわかりやすさとともに、役の一人一人が特徴を出していてこういう人物なのだというのが良くわかる。狐もよく頑張られていた。

菊五郎劇団ならではのチームワークの良さが、のびのびとした新春を飾る芝居に作り上げられた。

 

2016年 新春歌舞伎総集編(1)

歌舞伎座、新橋演舞場、浅草公会堂の新春歌舞伎、身勝手な感想編である。

年も改まり、置き去りにしている古い物に少し触れてとゴソゴソやっていると、「歌舞伎名舞台集」のテープがあって、七代目幸四郎さんの名前がある。昨年の12月にご縁があり(一方的)、ご縁の続きと思い耳の滋養とする。

かつてこれを聴いたときは、その当時の実際に観る歌舞伎役者さんの台詞より軽くて味気なく感じたのであるが、いやいや、その軽さの修練度がそこはかとなく伝わってくる。

七代目幸四郎さん、十五代目羽左衛門さん、十三代目勘弥さん、二代目左團次さん、六代目梅幸さん、四代目松助さん、六代目三津五郎さん、初代鴈治郎さん、初代魁春さん、四代目福助さん などなどである。

役者さんは第一に声といわれるが、声のなかには台詞の妙味ということも含まれている。

新春歌舞伎の台詞では、吉右衛門さんの梶原平三、幸四郎さんの清正、左團次さんの家康、鴈治郎さんの伊左衛門である。

『石切梶原』の吉右衛門さんは重軽、硬軟、表裏、明暗、その辺りの使い分けがいい。周囲の役者さんがしっかりした台詞なので、吉右衛門さんの余裕と心の内の変化の面白さを増してくれる。

『二条城の清正』の幸四郎さんは、いつもは声のトーンを変えるのであるが、今回は秀頼を家康から守る一心に集中して、トーンを変えない。それが、秀頼の金太郎さんとの主従の関係に情を、左團次さんの家康との拮抗する緊迫感を作りだす。豊臣家が徳川家の上であることを、秀頼を補佐しつつぴしっとダメだしをするのがいい。金太郎さんの秀頼としての台詞も崩れない。

『吉田屋』の鴈治郎さんは動きからして上方芸の極みで、どうしてこういうぼんぼんがモテるのか理解に苦しむ可笑しさである。さらになぜ美しい夕霧の玉三郎さんがこんな伊左衛門に惚れるのかと不思議に思ってしまう。観ているほうには可笑しくても、恋する男の見えないところでの真剣さであろう。最後は身請けのお金が届くというあっけらかんとしたハッピーエンドである。それをあきさせず笑わせつつ見せるのが上方芸の摩訶不思議なところである。

あとは、単発で印象に残ったのが『白波五人男』の赤星十三郎の笑三郎さん。『源氏店』の蝙蝠安の澤村國矢さん。これは凄かった。今まで観た中で一番の蝙蝠安である。『直侍』の暗闇の丑松の吉之助さんの迷い。『毛抜』の粂寺弾正(くめでらだんじょう)の巳之助さんが表現はまだであるが弾正に作った声を最後まで押し通した。

台詞でピンを止められたのが、『茨木』の渡辺綱が物忌みをしているのは、安倍晴明の言いつけであるということ。『直侍』の直次郎の染五郎さんが三千歳に、自分は先祖代々の墓に入れない身だから、回向院の下屋敷で手を合わせてくれという。<回向院の下屋敷>とはどこか。<小塚原回向院>で、小塚原刑場そばの寺院で、本所回向院に関係する方が創建したそうで、なるほどである。この台詞で三千歳に対する直次郎の惚れ度がわかり惚れさせる三千歳の芝雀さんにも納得。

立ち回りでは、『白波五人男』の菊之助の海老蔵さんの動きがよい。

ハードルを上げさせてもらうのは、『義経千本桜』の狐忠信の松也さん。もう一歩動きも台詞も修練を。『三人吉三』のお嬢吉三の隼人さん、お富の米吉さん。途中でほころびが出てしまう。まだ日にちがあるので一日一日大切にされるであろう。役の重さに負けない若さが強み。

踊りで均衡を保っていたのが、『廓三番叟』『猩々』。孝太郎さんの花魁に風格が。酒売りの松緑さん唇を小さくピンク系の口紅で穏やかな酒売りとなった。

『茨木』は能がかりで受け手としては重すぎた。『七つ面』がどうして歌舞伎十八番なのか、その面白さが解からなかった。

くるくる回るお正月の独楽の中で、回りの悪い独楽の戯言とお許しを。はや眼が回り過ぎた。

 

国立劇場 『東海道四谷怪談』(3)

最後は、討ち入りである。

ここは、亡くなった人が生き返ったのではありません。役者さんが違う役を演じるのです。亡くなっていなくても違う役になっていたりします。どなたがどの役をされるかは見てのお楽しみということでしょうか。とまでは、鶴屋南北の染五郎さんは言っておりませんが。『ワンピース』よりは、二役めを捜すのは簡単である。皆さん大いに活躍をしてくれる。

赤穂義士は目出度く本懐を遂げるのであるが、ここで小平へのスポットライトのため、自分たちがないがしろにされたと言われる人も出てくる。直助とお袖である。直助だって悪人である。このままでいいのかとなる。これが、三角屋敷の場である。これもまた、数奇な運命の結末があるので、来年の夏あたりにでも上演された時はご覧じあれ。

江戸時代の人々は、長くて入り組んだ芝居が好きだったようで、今の漫画の長さと似ているのかもしれない。漫画談義をするように、芝居で食べたり飲んだりしながらああでもないこうでもないと話す人がいたのかも。集中しないと理解できない現代人なので、それはご勘弁願いたい。

幸四郎さんの伊右衛門は、根っからの悪党ぶりには凄味があった。その分、お岩がこの伊右衛門と一緒にならなければこんな酷いめにあうことも無かったのにと、お岩の怨めしさが納得できる。染五郎さんのお岩は、儚さと品もある。

小平は義士の陰に隠れた貢献者の代表的存在で、南北さんの筆の入れ方の鋭さがわかる。

義士たちの、隼人さん、錦之助さん、松江さん、高麗蔵さんがその心意気を流れとして引っ張てくれた。そのことの功績は大きい。廣松さん、宗之助さんは悪側としては弱かったが、その分幸四郎さんが前に出ているのでカヴァーされた。米吉さんのお梅には、年の差を感じたが、伊右衛門を想い夢の中状態である。襟もとが少し膨らみがあるほうが良いのでは。新悟さんのお袖で三角屋敷をやっても良いと思うがこれから機会があるであろう。

彌十郎さんの直助の悪役とがらっと変わっての小平の父・孫兵衛もきっちり色分けされていた。宅悦の亀蔵さんは、どうして宅悦はこんなお金のない伊右衛門のところにいるのかと思って居たが、お岩さんの面倒となると腰が軽くなり、そうかお岩さんを好いているのだと思わせた。だから本当のことを話し、お岩さんをだまし続けることが出来なかったのである。萬次郎さんのお熊は、いかにも伊右衛門の母である。

伊藤家は、他の事は考えず孫娘お梅のためだけにひたすら行動する人々で、ちょっと常識から考えると不思議な人々であるが、そこを高家の家来としているのがつぼであろうか。自己中ともいえる。役者さんも、納得できなくて成りきるのが難しいこともあることと思うが、ひたすらお梅のために動く伊藤家の人々であった。

「四谷怪談」と「忠臣蔵」とが整理されてつながり、2015年の歌舞伎観劇も無事終れた。

話しは七代目幸四郎さんへ移るが、11月の歌舞伎座『実盛物語』で瀬尾役の亀鶴さんがくるっと回られた。これを<平間返り>というらしく呼び方が解からないので書かなかった。月刊誌「演劇界」で、尾上右近さんが尾上菊十郎さんに曾祖父である六代目菊五郎さんのことを尋ねられていて、そのなかで、七代目幸四郎さんが瀬尾役で<平間返り>をやったと話されていた。染五郎さんがそのあたりのことを知っていてやろうということになったのであろうか。大変興味深かった。思いがけないところで教えて貰った。若い役者さんは今のうちに大先輩から話しを聴いておくと、思わぬ発見に出会うかも。

さらに、歌舞伎学会の研究発表で、1926年の七代目幸四郎さんとデ二ショーン舞踏団との映像を見せてもらった。(早稲田大学 児玉竜一)『紅葉狩』等を踊られている映像である。今度歌舞伎座に行ったときは、三階にある七代目幸四郎さんの写真を少し親しみをもって拝見できそうである。

 

 

国立劇場 『東海道四谷怪談』(2)

塩谷判官(えんやはんがん)側でありながら裏切る者 →民谷伊右衛門(幸四郎)、直助(弥十郎)

民谷伊右衛門宅の人物→妻・お岩(染五郎)、宅悦(亀蔵)、奉公人・小仏小平(染五郎)、秋山長兵衛(廣太郎)、関口官蔵(宗之助)、中間の伴助(錦弥)

お岩の家族 → 父・四谷左門(錦吾)・妹・お袖(新悟)

塩谷判官側 → 四谷左門(よつやさもん)、佐藤与茂七(染五郎)、奥田庄三郎(隼人)、小汐田又之丞(錦之助)、矢野十太郎(松江)、赤垣源蔵(高麗蔵)

伊右衛門は悪事がばれ、お岩を実家に連れ戻されたことから舅・左門を殺してしまう。直助は、佐藤与茂七(染五郎)という許嫁のいるお袖に横恋慕して与茂七を殺してしまう。それでいながら二人は仇をとってやると姉妹に嘘をいい、お岩は伊右衛門のもとへ帰り、お袖は直助と夫婦になる。

お岩は出産し産後がおもわしくない。雇った下男の小平は傷に効くという民谷家に伝わる薬を盗んでいなくなってしまう。小平の主人は、元塩谷家来で仇討ちを目指す又之丞で、主人の又之丞が怪我をしたため薬を盗んでしまったのである。しかし見つけ出され伊右衛門宅の戸棚に押し込められてしまう。

高師直側 → 伊藤喜兵衛(友右衛門)、娘・お弓(幸雀)・孫娘・お梅(米吉)、乳母・お槙(京蔵)、医者(松助)

高家の家来である喜兵衛の孫娘・お梅が伊右衛門を恋い焦がれ、喜兵衛は、孫娘のために伊右衛門と祝言させることとし、邪魔なお岩に顔の崩れる薬を産後に良いと渡すのである。

ありがたがって薬を飲むお岩。お岩は突然熱がでて、顔が変貌してしまう。伊藤家に呼ばれていた伊右衛門が帰り驚き、さらに離縁するために宅悦にお岩と密通せよと言い残して出ていく。お岩は事の次第を知り、伊藤家に怨みの挨拶い行こうとし、宅悦と揉み合いとなり誤って死んでしまい、赤子は大きなネズミにさらわれてしまう。

帰ってきた伊右衛門は、小平がお岩を殺したことにし、無残にも、小平を殺してしまい、二人の死体を一枚の戸板に打ち付けて川に流してしまう。

伊右衛門は、祝言のためお梅を迎えいれるが、お岩の亡霊と思い込み、喜兵衛とお梅を斬り殺す。伊藤家は没落し、お弓とお槙は乞食となって伊右衛門を仇として追う事になる。

お弓とお槙が伊右衛門と巡り合うのが、伊右衛門が釣りに来た本所砂村隠亡堀であるが、二人とも非業の最期をとなる。ここで、伊右衛門は直助とも再会するが、お岩と小平を打ち付けた戸板が流れつき、戸板からお岩と小平の亡霊が現れ怨みをぶつける。

闇のなかで、伊右衛門と直助、そして、直助に殺されたはずの与茂七が通りかかり三人の探り合いとなる。与茂七は庄三郎と入れ替わって、直助に殺されたのは庄三郎であった。この場で、伊右衛門は母のお熊に会っている。

<深川寺町の又之丞の隠れ家>が上演され、殺された小平の忠義が浮き彫りとなりこの人のスポットライトがあたる。

又之丞の隠れ家 → 小平の父・仏孫兵衛(彌十郎)、伊右衛門の母で後妻のお熊(萬次郎)、小平の子・次郎吉、赤垣源蔵

刃傷沙汰の起こった足利家の門前にいて、十太郎に事の次第を聞いている。しかし、そこで怪我をして歩けなくなり小平の父宅にかくまわれていたのである。この主人のための小平は薬を盗み殺されてしまう。義士の一人である源蔵が討ち入りを知らせにくるが、ここでは、伊右衛門の母が、又之丞を罪に落とし入れようと策略し、又之丞は源蔵に見捨てられる。お熊はもと高家に仕えていたのである。そこを救うのが小平の亡霊である。

ここまでで、忠臣蔵の忠義の線の流れが、四谷怪談の間に編み込まれているのがわかる。四谷左門、与茂七、奥田庄三郎、小汐田又之丞、矢野十太郎、赤垣源蔵。殺された左門、庄三郎を意外は、討入りの場へと進むのであるが、お岩の亡霊は、その前に伊右衛門を又之丞によって討たせる。

お岩と小平の亡霊の伊右衛門に対する復讐の場である本所蛇山庵室は、お岩の亡霊を払おうとしているのである。お岩はお熊を殺し、伊右衛門を苦しめ、ついに復讐劇は完結へと向かうのである。この場の仕掛けも、じわじわとすうーっと展開されて夏の冬という雰囲気である。

 

 

 

国立劇場 『東海道四谷怪談』(1)

突然のpcのトラブルである。お岩さんさんとは関係ないと思うが。

12月14日の夜から15日の朝5時半にかけて両国の<吉良邸跡>から<泉岳寺>まで赤穂浪士の討ち入りあと歩く企画があり参加した。夜歩くのであるから、日中とは違う景色である。途中休憩は入るが予定では朝6時までで、8時間である。そんな長時間歩き続けられるか心配であったが、いつもとは違う闇の世界の見どころなどがあり、異空間体験が新鮮であった。

11月歌舞伎座の『元禄忠臣蔵』で、両国橋は通らなかったとあったが、両国橋を渡ればすぐ将軍お膝元のお江戸である。やはりそれは避けて、一之橋(一ッ目之橋)を渡っていた。

さて『東海道四谷怪談』であるが、チラシには雪が降っている。冬の四谷怪談は怖いよりも寒々しいのである。どうなることかと観劇したが、きちんと夏と冬があった。赤穂浪士の忠義臣とそこから滑り落ち悪の転落が加速する反忠義臣の夏で終わり冬に至れなかった明暗がはっきりした。

「四谷怪談」が「忠臣蔵」と切っても切れない物語であることがわかりやすく展開した。そして早変わりや仕掛けも芝居を妨げることなく納得できる流れであった。義士の陰で、表にに出ぬ忠義が悲惨な最期となり、幽霊となって出現しなければ恨みは晴らせないとの想いが仕掛けとなって表現されるというのもわかる。それが、お岩さんとの恨みと重なるところのつながりも、やはり上手く出来ているのが改めた整理できた。

そして、討ち入りまでの義士の姿も手堅い役者さんが押さえて、そちらも冬を貫く一本の線が出来上がっていてすっきりとおさまった。

討ち入りは元禄15年12月14日であるが、西暦に直すと1703年1月30日であるとも言われている。しかし現代でも12月14日討ち入りの気分が強い。

討ち入りの時間も、午前3時と4時の二説があったりするらしい。ただ、事実が曖昧な部分も多いだけに忠臣蔵に対する想像が膨らみ、あらゆる見方ができるということでもある。

それをさらに、芝居として「四谷怪談」と「忠臣蔵」を合体させたり離したり出来るというのがまたまた観客を喜ばせ続ける芸の継承である。

 

歌舞伎座12月『赤い陣羽織』『重戀雪関扉』

『赤い陣羽織』は劇作家木下順二さんの脚本である。原作はスペインの喜劇『三角帽子』ということで、これはバレエにもなっている。デイアギレフのロシアバレエ団が初演でピカソが衣装・装置を担当した作品でもある。三角帽子が権威の象徴で、木下順二さんは赤い陣羽織を権威の象徴にしている。

十七代目勘三郎さん主演の映画『赤い陣羽織』を見ているが他愛無いお話しなので映画としてはそれほど面白い作品ではなかった。

旧東海道の「宇津ノ谷峠」入口に<お羽織屋>さんがある。豊臣秀吉が小田原征伐のときに馬の沓(くつ)の取り替えをこの民家で頼んだが三脚しか取り換えず、あと一つは残して戦勝を祈るつもりですと答えた。戦さは勝利し帰るときに寄り陣羽織を与えたのである。その後、武将達がここを訪れ秀吉にあやかりたいと、この陣羽織に触ってここを通ったという。

今も、この家のお婆ちゃんが展示している陣羽織の説明をしてくれる。軽いように和紙で作られている部分が多く、沢山の人々に触られてすり切れてしまったのを、国立博物館で修復してくれたそうである。こちらは、身頃は和紙の白である。

芝居の中の<赤い陣羽織>は農家の女房がやはり立派な陣羽織なので代官に頼んで触らせてもらう。代官はこの美しい女房を気に入っているので大得意である。自分ではなく、自分の着ている陣羽織に人は権威を感じているのであるが、それを権威の象徴として胸を張っている代官にとっては自分が褒められたように満足である。

ではこの赤い陣羽織が無くなった代官はどうなるのか。

農家のおやじの門之助さんと女房の児太郎さんは仲の良い夫婦である。おやじにとって勿体ないほどの美しい女房である。その女房をおやじそっくりの赤い陣羽織を着た代官の中車さんが気に入り何んとか我がものにしたいと思い、おやじを庄屋のところに閉じ込める。そして女房をおもいのままにしようとするのである。おやじは家に戻ると赤い陣羽織がある。さてはとその陣羽織を着て代官屋敷へと乗り込むのである。

代官は慌てて屋敷にもどると、赤い陣羽織を着ていないものは代官とは認められないとの代官の奥方の吉弥さんのお達しである。代官は奥方に灸をすえられてしまうのである。そしておやじ一筋の女房は、代官の魔の手から逃れていた。そのことは台詞で話されるので、代官の振られる部分の芝居としては、笑いどころは少ない。笑いの芝居でありながら、笑いの取りづらい芝居となっている。どこで笑わせるかは、役者さん達の腕である。代官のこぶんの亀寿さんを含め、さらにもう一頭参加してのコラボは日々かわることであろう。

おやじと女房の夫婦仲は、赤い陣羽織では何の影響もなかった。

『重戀雪関扉』。『積恋雪関扉』常磐津の大曲であるが、今回は常磐津と竹本の掛け合いで演題も『重戀雪関扉』としている。読み方は同じ<つもるこいゆきのせきのと>である。ではどういう風に違うのかと思ってもわからない。関兵衛が松緑さん、小野小町姫が七之助さん、宗貞が松也さん、傾城墨染が玉三郎さんと役者さんが変わると芝居の雰囲気も変わり、掛け合いになるとこうであるという高尚な感想が書けない。

一人の役者さんが二役をする小町姫と傾城墨染を今回は、七之助さんと玉三郎さんがそれぞれ演じられわかりやすくなった。最初のこの芝居を観たとき、二役とわかっていても混乱してしまっている部分があった。

小町姫は宗貞の恋人である。関兵衛は、宗貞と小町姫とのやり取りでは本性を現さない。三人の手踊りがあって、小町姫と貞宗は関兵衛の素性を怪しむのである。

しかし、小町桜の精の力を借りてまで姿をあらわす傾城墨染の怨念は夫の仇の大友黒主の本性を暴きだすのである。そこまでの郭での様子を再現しつつ墨染は、じわじわと黒主を追い込んでいく。その場その場を見る者も想像しつつの流れである。

関兵衛の小町姫と宗貞の対し方、黒主の傾城墨染への対し方は違っている。傾城墨染との場合は、黒主へ変わるための手順が芝居として計算されている。傾城墨染と黒主の対局は次第に大きくぶつかりあっていく。その辺の違いがはっきりしていて面白かった。

小町桜の精が黒主の大きな斧を目の前にして墨染の想いと合体する魔力と大伴黒主の魔力の争いである。玉三郎さんにぶつかる松緑さん。そして大きく変身する。芝居のなかの役と、生身の役者さんのぶつかり合いは、役どころを邪魔しないところで垣間見えるとき、観客としては嬉しい現象なのである。

玉三郎さんは、若い役者さん達へ次への一歩を指し示めされたように思う。喜んではいられない責任の重い一歩でもあるに違いない。

 

 

 

歌舞伎座12月『本朝廿四孝』

『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』<十種香> 武田と上杉の戦の時代に、中国の二十四人の孝行な人を集めた故事を重ねた話らしいが、その辺はおいておいて、そのうちの<十種香>は、二人の女性の亡き人を弔うためのお香をさしている。

一人は長尾謙信の息女・八重垣姫で許婚の武田勝頼が切腹したと聞き勝頼の絵姿の前で回向している。もう一人は、花作り箕作と共に長尾家に召し抱えられた濡衣(ぬれぎぬ)である。濡衣が回向しているのは、勝頼の身代わりとなって死んだ夫のためである。勝頼は生きていた。箕作となって、武田家の家宝の兜を取り返そうと、謙信の館に潜入していたのである。

箕作のを中央に、下手の部屋で先ず濡衣が正面を向いて回向し、それが終わると、上手の部屋での八重垣姫の絵姿をみての後ろ姿の回向の場面となる。ここからが八重垣姫の見せ所であるが、七之助さんの八重垣姫は清楚な感じで色香は薄い。

この八重垣姫が、箕作の松也さんを見て絵姿の勝頼にそっくりなため一瞬にして生身の人を恋する姫に変身してしまうのである。ただ深窓の姫君であるから口説きも袂を使っての愛らしい色香とならなければならない。七之助さんはあくまでも清楚な愛らしさで一途さを貫いた。濡衣の児太郎さんに仲を取り持ってくれと頼む。

濡衣の児太郎さんは、芝翫さんを思い出させるしっかりさである。八重垣姫の様子から、兜を盗み出してその想いの証明とするならと持ち掛ける。それを聴いた八重垣姫は、やはり勝頼様だと確信する。ところが箕作は違うと否定する。それを聴いた八重垣姫、違う人に懸想してしまったと生きてはは居られぬと自害しようとする。濡衣、そこまでするならと勝頼であることを明かす。あらうれしや。

そこへ、謙信の市川右近さんがあらわれ勝頼を使いに出す。箕作が勝頼であることを見抜いていた。もどるときに勝頼を殺すため、六郎の亀寿さんと、小文治の亀三郎さんを送り出す。驚く八重垣姫と濡衣を謙信は押さえこむ。

黒の濡衣、紫の勝頼、赤の八重垣姫と衣装が艶やかで、襖絵には菊の花が広がっている。襖の前には、寄り添う一対の小鳥が雪の枝にとまる墨絵の描かれた衝立が置かれていて、それも八重垣姫の口説きの時に赤い袂が振りかかるという道具立てになっている。

長い振袖の袂を自在に優雅に扱うことによって生身の相手を目の前にして初めて恋に目覚めた、お姫様の想いを表現するのである。その動きが年齢に関係ない役を描き出せる魔法の力なのである。

今の若い力の素直な見せ所となった<十種香>である。香りの高さが増すのはこれからである。

話しに出てくる<兜>は、武田家の<諏訪訪性の兜>で、謙信が借りたのに返さないというのが、両家の不和の原因とされている。この兜が今回は上演されない<奥庭>の次の美しい場面の小道具の一つになるのである。衣裳から小道具まで全て芝居のために考えられ構築されていくのである。

武田信玄と上杉謙信のことを少し調べたところ、信玄の五女の菊姫が上杉景勝に嫁いでいる。信玄と謙信の次の世代、武田勝頼と上杉景勝の時代、甲越同盟が結ばれる。その時、菊姫は上杉に嫁いでいる。

謙信の甥の景勝は、幼少から謙信に可愛がられ、謙信は景勝のために「伊呂波尽手本」(国宝)を書いている。謙信30代なかばの戦さに忙しい時期に、一字の漢字の横に幾つかの読み方も書き加えている。その甥が川中島で戦った信玄の娘と結婚するのであるから時代の流れというのはわからないものである。

政治戦略として、嫁がなければならない深窓のお姫様が、この人と思ったら思い込むエネルギーの凄さを歌舞伎のお姫様は度々見せてくれる。或る面では、自分の意思を貫く道の一つを表しているともいえる。