歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(5)

源蔵は、管秀才を匿っていることが時平に知れ、管秀才の首を討つようにとの命を受けたのである。その首の検分に松王丸と春藤玄蕃(亀鶴)が来るという。源蔵は、家に戻った時、管秀才の身代わりにできる子はいないかと見回したのである。そして、小太郎を見たとき、この子なら品もあり、身代わりになると決心するのである。さらに信じられないことに、我が子を身代わりにするために送り出したのが、松王丸夫婦なのである。

現代では考えられないことである。那智の補陀洛山寺で、西方浄土を信じ、生きながら補陀洛渡海を試みた頃の人々の宗教観とおなじである。主人に仕えるという事は、全てを犠牲にするのが、当り前の時代感覚だったのであり、それが美徳だったのである。そうした観念の時代をも想像しなければ、成り立たなくなる。

源蔵は戸浪にそれを告げ、お互いに乱れる心を押さえ、管秀才を物入れに隠し、源蔵は、菅丞相からの筆法伝授の一巻を懐に入れるのである。今回初めてこの意味がわかったのであるが、源蔵は菅丞相の自分に対する心を懐に入れ、この場に臨むのである。松王丸と玄蕃が首実検に現れる。寺子屋の生徒を親に渡し、身代わりにしたなら見抜くつもりなのである。松王は、管秀才の顔を知っているため、この役が回ってきたのであり、そのことによって、管秀才の身の危険をいち早くキャッチして、先手を考えたのである。

緊張する源蔵夫婦と、小太郎が既に討たれているのか疑心暗鬼の松王とが、室内でぶつかり合う。こういうところは、言葉に出来ないゆえに、歌舞伎特有の形で現す。形は、約束事になると、役者と観客にとって都合のよい、以心伝心の役割を果たす。なかなか都合の良いものである。

まだ小太郎の首を討っていないと知ると、松王は、源蔵の迷う心を追い込んでいく。決心しながらも苦しい源蔵。こちらの苦しみを知らぬ松王に憎しみを持ったであろう。それが、松王の駆け引きでもあった。源蔵は事を成す為、奥に入る。小太郎の寺入りの時、持参した立派な文机を誰のかと尋ねられ、「今日寺入りした・・・」と答える戸浪に「ばかな」と戸浪の言葉を止め、管秀才の机だと言わせる。自分の子を身代わりにするのであるから、玄蕃にもしっかり納得させないと、露見しては、小太郎の死が無になってしまうのである。源蔵の刀を下した叫びが聞こえる。

玄蕃に悟られることなく首実検が終わり、病でありながら役目を果たした松王は立ち去るのである。玄蕃に捨て台詞を言われ二人になった源蔵夫婦は、わなわなと下半身の力が抜けてしまう。

千代がもどってくる。ここで源蔵と千代の探り合いがあり、斬りかかる源蔵に、解っていての寺入りであったことを告げる。そこに、松王が、松の一枝に和歌をつけて投げいれる。その歌が「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」である。「松のつれなかるらん」は、<何て松王はつれないのであろう>と、<あの松王がつれないわけがあろうか>の二つの意味を含んでいるらしい。その意味が、我が子を身がわりにした松王丸の行動でもわかる。

ことの次第から松王丸夫婦への想いを深くし、小太郎が最後は笑って身を処したと語る源蔵。泣き笑いとなる松王。泣きくずれる千代に「あれほど家で泣いたのに吠えるな。」と押さえる松王。あの<賀の祝>の千代がここに至った様子が想像できる。「それにしても、不憫なのは桜丸。」と「御免、源蔵どの。」と泣く松王丸。ここで、松王は、我が子と桜丸を重ねての涙となる。その涙も源蔵夫婦との目に見えぬ心の交流があり、心ゆるせてのことである。

菅秀才と園生の前(高麗蔵)も再会し、小太郎の野辺送りも済ませ、それぞれの想いでの幕切れとなる。

まだ腹に納めて、形で見せるというところまでには至っていないので、心の動きが、演技ということで、手に取るように見せてもらった。役に対する想いと、芝居の内容に対する想いが、若い人達にとって、ずれを感じる事もあるであろうなと思えた。そこを、どう乗り越え継続していくかも、これから長く続ければ続ける程、一つの壁となるのかもしれない。ただ、そのずれが、今を考えさせることでもあり、歌舞伎だからこそ出来る世界なのである。

何が起ころうと、感情を露わにせず、信念を貫く、菅丞相。その周囲で起伏の幅を自らの手で何んとか乗り越え受け入れようとする人々。通しで観ると、やはり作品の深さと面白さが増す。名作である。

<車引>で、金棒を引いて時平の通ることを知らせる役者さんの声が良く、誰なのか知りたくて筋書を買ってしまった。片岡松十郎さんである。と思うのだが。もし違っていたらショックである。腰元の宗之助さんも芯がありよかった。家橘さんも局としての貫禄が良い。亀三郎さんと亀寿さんは、あれ、役が反対のようなと思ったが、亀三郎さんの「そーれ!」の声の良さに、勢いが加わり成程である。

大宰府天満宮に行った時に、「菅原道真公 花の歳時記」(福田万里子著)を購入してきた。『菅原文章』と『菅原後集』を中心に、道真公が草花を読まれた歌や詩などを取り上げられている。道真公だけではない方々の歌も載せられ、道真公の自然に対する想いが伝わるようになっている。今回は、この本も味わいつつ、芝居も味わわせてもらった。

「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ」

いえいえ、あるじも春も忘れることはありません。

 

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(4)

梅、松、桜の三つ子の兄弟のお嫁さんたちの様子を少し。<賀の祝>は、三兄弟の親の四郎九郎の古稀の祝いである。四郎九郎という名前が面白いが、菅丞相はお祝いとして白太夫という名前を送る。松王丸の女房・千代と梅王丸の女房・春は祝いの準備をしつつ、庭に揃った、桜、松、梅の木を夫になぞらえて、それぞれ褒めちぎる。ここも、桜丸の死という後半部分など想像出来ない、笑いをとる場面である。このお二人の着物の色がまた良いのである。千代の孝太郎さんは、先に起こるべき自分たちの悲劇など全く頭になく、浮き浮きとしている。梅王丸の女房の役者さんが誰か解らないでいたら「大和屋!」の声がかかり、新悟さんであった。古風な雰囲気が好い。

白太夫とともに戻った桜丸の女房・八重の梅枝さんは、松王と梅王が揃っても桜丸が姿を見せず、心ここにあらずの態である。それとなく全体の状況を感じとる白太夫の左團次さん。しかし、上機嫌だった白太夫は、松王と梅王の願い文に怒りをあらわにする。菅丞相のもとへ行くという梅王に浮き足だっていることを律し、時平の家来である松王は勘当を願い出たため、勘当を認め追い出してしまう。このとき、松王丸は、白太夫に悪態をつくが、梅王丸との稚気あふれるやりとりのまま<寺子屋>の松王丸に突入かと心配していたら、白太夫とのやり取りで、大人の悪へと変身していったのである。ここは、染五郎さん見せてくれました。これで、安心して<寺子屋>に入れる。梅王も追い出されるが、気にかかることがあるのか、そっと家の後ろに隠れるのである。

白太夫の松王と梅王に対する怒りは、桜丸に、「お前だけが間違えたのではない。あとの二人だって、お前と同じような間違いをおかすようなものだ。」と知らせているように思えた。何んとか桜丸を死なせたくないとの親心に映った。しかし桜丸は姿を表し、自刃の決意を告げる。八重を説得し、白太夫は親として悲しい立ち合いとなる。驚き現れた梅王丸夫婦にも看取られ、桜丸は、自らの責任を取るのである。どこか儚い菊之助さんの桜丸であった。あの、<加茂堤>での桜丸夫婦の若やいだ楽しそうな一瞬も、華やいだ女房達のかしましさも、梅王と松王の喧嘩も、それらは一時の、この一家の倖せの時間であった。

寺子屋を開いている源蔵宅へ、千代が息子を連れて現れる。一子の母として、松王丸の女房としての威厳と心根を見せる孝太郎さんである。やんちゃな田舎の生徒を束ねつつ、菅秀才(左近)守る源蔵女房・戸浪の壱太郎さんと、千代の対面である。ここでもよだれくり与太郎(廣太郎)という腕白っ子を出して、千代が息子をなぜ寺子屋へ預けにきたかなどとは考えさせないようにする。千代は、源蔵の息子という管秀才をきちんと確認する。息子の小太郎を置いて隣村まで用事を足しに行く時の千代と小太郎の別れ方に何か含みがありそうである。その後、その様子をよだれくりと小太郎の立派な文机を運んできた下男(錦吾)が真似をして笑いとる。

深い考えに囚われている源蔵の松緑さんが、花道を歩く。家に入って生徒たちを見回す。しかし、その目は宙を浮き思案は重いようである。戸浪が小太郎を紹介する。小太郎は殊勝に挨拶する。その顔を見て、源蔵に一つの考えが浮かんだようである。それは、苦しい選択であった。

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(3)

河内の土師(はじ)の里に、菅丞相の伯母である覚寿(秀太郎)が住んで居て、大宰府に出立つ前、ここで伯母の為に自分の木像を彫りあげる。今でも<土師ノ里駅>という駅名が残っている。道真公は、<土師寺>へも訪れたらしく、その後この寺は、道真公の号に因んで<道明寺>と改められ、伯母の館での場面を<道明寺>としている。道明寺も現存しており、道明寺駅もしっかりとある。

芝居の方の<道明寺>は、木像が重要な役割を担い、菅丞相の木像が菅丞相の命を助けてくれるのである。

苅屋姫(壱太郎)は、覚寿の娘で、菅丞相の養女となっている。苅屋姫は姉の立田の前(芝雀)の計らいでこの館におり、菅丞相に会いお詫びをしたいと思って居る。母の覚寿は何んということを仕出かしてくれたかと、苅屋姫と立田の前を杖で打ちすえる。それを、隣室から菅丞相が止めるのである。しかし声のみで、隣室には木像があるだけである。今回は、ここですでに魂の込められた木像の力が暗示されたことが判った。この後、菅丞相の命を狙う者が、出立の時間を早めて向かえの輿に乗せるのである。この場面、初めて観た時、仁左衛門さんが奇妙な動きをされるなと思ったものである。後で納得したのであるが、木像が菅丞相になり、仁左衛門さんが菅丞相の木像になっていたのである。人形振りなのであるが、菅丞相の品格はそのままなのである。解ってからは、この動きが見どころの楽しみの一つとなる。

この悪人たちが、立田の前の夫・宿禰太郎(彌十郎)とその父親・土師兵衛(歌六)で、立田の前にさとられ、立田の前を殺して池に沈めてしまう。その立田の前を池から見つけ出すのがひょうきんな奴(愛之助)で、殺伐とした場面に笑いを入れる。そして、母の覚寿が娘の仇を討つのである。秀太郎さんが、二人の娘に対する、難しい立場を腹に据え、杖打ちと、仇討ちを見せる。そしてもう一つ、苅屋姫が来ている事をそれとなく菅丞相に知らせる。それを鏡でそっと見る菅丞相。

木像に危機を救われた菅丞相は、正式な輝国(菊之助)の迎えを受けての出立である。苅屋姫は堪え切れなくなって姿を現す。しかし、檜扇をさらっと開き顔を隠す菅丞相の仁左衛門さん。大きな袖、檜扇で別れの心理状態を表す機微。こういう形式は歌舞伎ならではの美しさである。さらさらと檜扇の音を聞いた気持ちになっている。

梅王丸はあとを追って飛ぶといい、桜丸は自らを散らせ、松王丸はつれないと言われて悔しがり、源蔵は筆法伝授などより御目文字をと願った御方は、ついに別れを言葉にされず、人々に心を残されて大宰府へと旅立たれたのである。

 

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習手習鑑』(2)

桜丸は、何を仕出かしたのか。桜丸は、醍醐天皇の弟の斎世親王(ときよしんのう)の舎人(とねり)である。斎世親王と菅丞相の娘である苅屋姫(かりやひめ)は恋仲で、桜丸夫婦は気を利かして、二人の逢引の手助けをし牛車に乗せてしまう。加茂神社での神事中の逢引で、斎世親王(萬太郎)知れては辱めを受けると、苅屋姫(壱太郎)とともに姿を隠してしまう。

それを、左大臣の藤原時平は、菅丞相が自分の娘を親王と結ばせ、皇位を奪おうとしていると讒言するのである。そのことにより菅丞相は大宰府に左遷となる。桜丸夫婦の好意はとんでもない方向に進んでしまう。長閑な色香を添える梅の咲き誇る<加茂堤>に残された桜丸の妻・八重(梅枝)が、動かぬ牛に難儀して牛車を引き帰るところが皮肉にも笑いを誘う。

菅丞相の館には、職場恋愛で勘当になった式部源蔵夫婦が、菅丞相に呼び出され訪ねてくる。この夫婦と松王丸の夫婦は、後に不思議な糸で結ばれ対峙することとになる。この<筆法伝授>での源蔵夫婦は染五郎さんと、梅枝さんで、後の<寺子屋>の源蔵夫婦は松緑さんと壱太郎さんで、松王丸夫婦が染五郎さんと孝太郎さんである。

菅丞相の妻・園生(そのえ)の前は二人の様子から、浪人となって困窮していることを悟る。魁春さんは心痛めつつも、菅丞相の妻としての品格と威厳を保つ。

学問所で菅丞相と対面する源蔵。逢いたい人であるのに、静謐な深さを醸し出す仁左衛門さんの菅丞相に対面すると、ただただ畏まってしまう源蔵の染五郎さんである。菅丞相は、源蔵が、寺子屋を開きつつ、筆を捨てていないことを知ると、自分の手本を写すように命じる。ありがたくも机と書道具を借り受けた源蔵は、兄弟子の希世(まれよ)に邪魔されつつ書き上げる。ここで、喜劇的邪魔する希世(橘太郎)を入れることによって、そんな状況でも書き終え、腕の落ちていない源蔵の字を確かめ、菅丞相は、筆法を伝授するのである。しかし源蔵は、筆法伝授よりも、勘当をといて欲しいと食い下がる。菅丞相は、静かにきっちりと「伝授は伝授、勘当は勘当。」と告げる。この場面は感涙する。

菅丞相は、宮中からの呼び出しがあり、源蔵夫婦は参内する菅丞相を陰ながら見送るのである。

屋敷に戻る菅丞相は、藤原時平の讒言により装束を脱がされ、罪人の扱いで、静かに、外には見せぬ憂いを内に秘め屋敷の中に消える。屋敷の門には、太い竹が打ちつけられ閉ざされる。源蔵は、菅丞相の息子、菅秀才の今後の身を案じ、菅丞相に仕える梅王丸から預かるのである。

桜丸の心中はいかばかりであろうか。こともあろうに、かつての父の主人で、三つ子が生まれたとして名前までつけて貰った菅丞相を、大宰府に流す原因を作ってしまったのである。

そして、筆法を伝授されても、会う事も適わず、今また、菅丞相の流罪を知った源蔵。後は、菅秀才を守り抜くことだけである。

 

歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(1)

菅原道真公を中心に据えた、通し狂言である。道真公は、醍醐天皇の御代、右大臣の地位にありながら大宰府へ左遷させられてしまう。その史実を土台に、道真公が名前をつけた三つ子、筆法を伝授した式部源蔵、そして家族との別れを加え膨らませた名作である。

今現在、当代仁左衛門さんしか考えられない菅原道真公(菅丞相)と、道真公を慕う人々を演じる次世代のぶつかり合いでもある。次世代のリアル過ぎると思われる役への思い入れも感じられたが、そのリアルさが、時間とともに深みある芸となり形となって行くのであろうと想像した。そして、思いを一つ一つ確認している姿から、こちらが見落としていたことなども気づかされる。

この名作も悲劇が次々と展開されるため、その場面ごとで上演されても、一つの悲劇が普遍的な問題性を提示させるだけの力のある作品である。それでいながら、芝居の随所に可笑し味を提供してくれて、肩の力を抜いてくれるようになっている。

菅丞相(かんしょうじょう)に名前を付けてもらった三つ子の、松王丸、梅王丸、桜丸は、それぞれが仕えた主人が違うことによって、政争に巻き込まれ、それぞれの木として自らの道を進まなければならなくなる。そのことが「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と読んだ菅丞相の歌に重ねられる。道真公が実際に読まれた歌ではないが、歌人としても優れていた道真公と菅丞相とを重ね合わせる芝居の妙味でもある。

肩の力を抜く場面で音楽的リズム感とも相まって楽しいところで、一番こちらが楽しかったのは、父親の70歳のお祝いで実家での、梅王丸と松王丸の兄弟喧嘩である。相対する主人に仕えているという事よりも、親元に帰り、子供の頃もあったであろう、稚気あふれる喧嘩の可笑しさである。さらに、無量寺での芦雪さんの虎図と龍図を重ねてしまったのである。虎が梅王で、龍が松王である。あの襖絵から飛び出したらこの二人のような喧嘩になると思えたのである。

愛之助さんの梅王は、まだ幼さの残るそれこそ、飛べもしないのに飛ぶぞと飛んでしまう虎である。染五郎さんのほうは、何を小癪なと思いつつも、弟の向こう見ずなけしかけに乘ってしまう龍である。龍は飛べるのであるが、その力を出しては公平でないとばかりに絡みつく。そんな様子が浮かび、梅王と松王に乗り移ったらこんな楽しい喧嘩であろうと思って楽しかった。そして、桜の枝を折ってしまう。桜丸は兄弟喧嘩のできない立場である。稚気は消え薄せ、自分の責任問題に決着をつけなければならない立場に立っていたのである。その辺りのアップダウンの構成も上手くできている。

三人は実家での<賀の祝>の前の<車引>の場で顔を合わせるが、桜丸の菊之助さんは、どこか憂いがある。梅王丸は菅丞相に仕えていて、その主人が左遷となったのは、この車に乗っている藤原時平の懺悔からであるから敵という思いで怒り怒りであるが、桜丸は梅王と同じに怒りを表に出せない。それは、菅丞相の流される原因を作ってしまっているのである。松王は、時平に仕えているから、弟二人を相手に、自分の主人に何事かと立ち向かう。善悪でいうなら、松王は悪である。その三人三様の立場での太棹に乘った、様式美の場面である。この場面の菊之助さん、愛之助さん、染五郎さんが、役柄に相まって生き生きとしている。

しかし、桜丸と松王丸の悲劇が、後を追っている。

 

国立劇場 三月 『梅雨小袖昔八丈』『三人形』

永代橋『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)ー髪結新三ー』。この<八丈>というのは、材木商・白子屋の娘・お熊が着ていた着物が黄八丈であり、芝居では、新三に騙され駕籠で運ばれる時、駕籠から黄八丈の着物の袖が出ている。そして、雨が降ったり止んだりしている。初演は明治であるが、河竹黙阿弥作の江戸の風物たっぷりの作品である。

地域設定が隅田川(大川)に架かる<永代橋>を挟んで、日本橋(新材木町)と深川(冨吉町)であり、蔵の連なる町と漁師町との違いがある。髪結新三は、店を持たない渡りの髪結い業である。大店を回り愛想よくご機嫌も取りつつ髪を結い直したり、なでつけたりする賃仕事である。この新三は、実は上総無宿者で、左腕には二本の墨が入っている。

材木商の白子屋では、娘のお熊の婿取りが決まり結納のお金が届けられる。それが相当の金額である。白子屋は主人が亡くなり相当家運は傾いていて、お熊に持参金つきの婿を取ることで、建て直しを図ろうとしている。お熊は、手代の忠七と恋仲であり連れて逃げてくれと云うが、手代ではどうする事もできない。そこへ目をつけたのが新三である。しかし、新三は白子屋が傾いていることは知らず、このことは新三の誤算であった。このことは、こちらも、今まで重要と思っていなかったが、一つの要となっていた。

新三は忠七に、想い焦がれた人に裏切られたとお熊が身投げでもしたら不忠になるから、お熊を外の風に当たらせ親の気持ちを考えさせ、そこで説得して家にもどせば、お熊の命も助け、主への功であると持ち掛ける。ここが、大店の手代で、新三の裏など見抜くことが出来ない。まんまと乗せられてしまう。新三の家に一時居させてもらうということで、お熊は籠で運ばれ黄八丈の袖が覗くのであるが、新三の子分の勝奴がそれを駕籠中に押し込む。

後から一つの傘に入った新三と忠七は、永代橋にさしかかる。ここから、髪結いの新三は、上総無宿の新三に変る。下駄、番傘の小道具、雨音、川音、下駄音等をふるに生かしての新三の変身の見せ場である。そして傘尽くしの台詞が加わる。新三の罠にはまった忠七は大川に身投げしようとするが、乗物町の弥太五郎源七親分に助けられる。

永代橋を渡った深川富吉町の長屋に新三は住んで居る。冨吉町は今もある江東区の正源寺の北側に位置し、東に向かうと富岡八幡宮である。

富吉町の長屋の新三内からは、江戸庶民の生活が映し出される。もともと粋がっている新三は、白子屋から百両は届くと思って居るから、ますます態度も大きい。朝湯から浴衣姿で花道を戻って来る。この浴衣、白地に大きな文字や模様が入り、特に<ひら清>の文字が目についた。筋書の説明によるとこの<ひら清>は、富岡八幡宮のそばにあった有名な料亭の名で、こうしたところの手ぬぐいをつないで作った浴衣だそうである。面白く染め抜いた浴衣地と思っていたので、新知識いただきである。住居内に掛けられるときも、この<ひら清>が見えるようにかけられた。

花道で新三は初鰹を買う。長屋の住人に言わせると、この初鰹一本の値段で合わせの着物が整うだそうである。魚屋の鰹さばき、新三の着替え、髷にさしていた今でいう歯ブラシの竹ようじの扱いなど、新三の粋がる仕草は随所にある。

そこへ、乗物町の親分が仲裁にくるが、その金額が少ないのと、大川からあちら側の人間に対する今までの新三の鬱憤が爆発する。乗物町も新木材町側であり、さらに親分風を吹かされることに、新三は勘弁出来ないのである。親分も白子屋の事情を知って表ざたに出来ないし、親分も内密に納めるには十両では少ないと思ったとおもうが、自分の顔で新三も折れると踏んだのであろう。粋がっている若いチンピラとその子分に散々<おじさん>と悪態をつかれ恥をかかされた親分は、怒り心頭であるが、忍耐してその場を去る。この辺りにも、白子屋のお金の無さの事情が絡む。親分が来た時、客の為にゴザをひくのも面白い。

今度は、大家が仲裁に現れる。鰹を半身もらい、刺身にした鰹の一切れを口にする。このとき、箱前の食器に目がいった。新三は自分の使った箸を、盃洗いで洗い、箸の雫を器に音を立てて払う。この辺りもさりげない粋な道具使いである。

渋谷の戸栗美術館で『江戸の暮らしと伊万里焼展』を見て来たので、盃洗い、刺身をのせる皿などに興味がいく。お金のある者の大皿料理のための色絵付けの器が、会席料理の登場や江戸庶民の外食産業の発達により、庶民の生活の中にも、器の模様に藍色が一色入って来る。蕎麦猪口などは、小鉢の代わりとして楽しんだりしている。その絵も謎解きのように、歌舞伎の演目などをあしらったりしている。

新三のような無宿者は、面倒を起こされては叶わないと大家も避けるが、ここの大家はお金になればよいので、反対に新三の腕の二本の入墨を脅しにの材料にしてしまう。新三より上手である。百両入ると思って居た新三も、大家の悪知恵には叶わなかった。半身の鰹にかけた金の勘定と家賃を取られて、二つ名前の弥太五郎源七親分の十両に少し色がついた形でお熊を返すこととなる。

しかし、傷つけられた侠客の意地は消せない。閻魔堂橋で新三と弥太五郎源七の刃物沙汰となる。

橋之助さんは、初役ということもあり、一つ一つの動きを身体に教え込むように丁寧に演じられる。そのため、こちらは橋之助さん独特の、台詞の妙味や味わい、動きのリズム感を楽しむよりも、黙阿弥さんが描きたい、江戸というものの風俗、習慣、土地柄などを味わわせて貰った。黙阿弥さんの台詞、動きは見るたびに発見させてもらう。無理な笑いを取らない、すっきりとした新三だったので、橋之助さんはこれから、その間、小悪党の汚れなどが加味していくのか、このままの切れ味で大きくしていくのか興味のあるところである。

児太郎さんの黄八丈が映える。最初に児太郎さんのお熊を観たときは、周りに支えられてるなと思ったが、今回は、しっかりお熊の役どころを考えての工夫だなと感じられた。新三宅から解放される時は、やつれが見えた。戸だなを叩いていた必死さが想像できる。

白子屋で、持参金のお金の額に目を行かせてくれた、加賀谷藤兵衛の松江さんの貫禄もよかった。何んとか困っている白子屋の役に立とうとする善八の秀調さん。その姪の芝のぶさん。手代忠七の門之助さん。白子屋の女主人の芝喜松さん。家主の女房の萬次郎さん。周りをきちんと固めている。

弥太五郎源七の錦之助さんは、新三より年上のおじさんであるが、おじさんにこだわらず、新三なんぞなんだ小童がとの意気込みで臨んで欲しい。大家の團蔵さんは悪のほうに力を入れた化粧でもあり、それはそれで、橋之助さんの新三には合っていると思う。勝奴の国生さんも新三の子分として背伸びの粋がりで頑張った。

『三人形』。常磐津舞踊である。若衆<錦之助>・奴<国生>・傾城<児太郎>が人形の箱から出て来て踊るという趣向である。この若衆のことを丹前侍ともいうらしいが、そこのところがよく解らない。名作歌舞伎全集には「古風な丹前振りを見せる」とあるが、奴と二人での花道での踊りであろうか。背景は、吉原の桜が満開の仲之町に変わり、廓の話など出てきて、最後は三人での<さんさ時雨>の手踊りがあり、艶やかに幕となる。錦之助さんは二枚目の若衆を品よく、奴の国生さんは勢いよく、傾城の児太郎さんは、背の高さを上手く使った衣裳と踊りで、花見の座での一服の茶の味である。

 

伊豆大島 (椿)

朝6時に岡田港に着き、路線バスで御神火温泉に向かい入浴、食事、休憩をとる。<御神火>というのは、火山を神聖化しての呼び方で三原山を指しているらしい。伊豆大島は火山の噴火でできた島なので、島誕生の神とも言える。そして活火山でありかなり若い元気な火山である。この御神火温泉も1986年の噴火のあとで見つかった温泉だそうで、この時は島民の方全員が島から一時離れたのである。2013年には台風による大雨のため、御神火温泉に近い元町地区が大きな被害をうけている。

今度は観光バスで、火山博物館へ。伊豆大島には、数多くの地震観察計器が設置されていた。前方の海の向こうには富士山が見え、風が冷たいが穏やかな風景であるが、この辺りも台風の爪痕が残っていた。そこから島を横切る形で椿の名所大島公園へと向かう。途中オオシマサクラと呼ばれる白い色の桜が見られた。葉の緑が、白の花を清楚に見せてくれる。大島公園の椿資料館で、思いもかけない椿の出会いがあった。

一つは、水天宮の神紋が椿ということである。水天宮は壇の浦での、安徳天皇、母の建礼門院、祖母の二位の尼を祀っている。御座所に咲いていた椿を見て、安徳天皇が元仕えていた玉江姫を思って歌を詠まれたのに由来して椿を神紋にしたとあった。子供にまつわる安産と子宝の神様としか認識がなかったが「平家物語」につながってしまった。

もう一つは、奈良東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)で使われる造花の椿が展示されていた。修二会は、二月堂の下にある閼伽井屋(あかいや)の井戸から水(香水)をくんで十一面観音に献上することから「お水取り」とも呼ばれている。今ちょうどその時期である。三月一日から十四日まで行われる法要で、「十一面悔過(じゅういちめんけか)」ともいわれ、本尊の十一面観音に、<天下泰平><五穀豊穣>らを祈り、人々に代わって懺悔の行をするのである。十一面観音の須弥壇の回りに飾られる一つに、椿の生木につけられる造花の椿があり、これが修二会の椿である。白と花弁と赤い花弁は紅花、「におい」と称する黄色い蕊(しべ)はクチナシで染められ、芯はタウラ(たら)の木を削って作られる。この芯が見れたのである。

「お水取り」というと、燃え盛る松明をもった童子が二月堂の欄干を火の粉を振りまいて走る姿が浮かぶし、中で行われていることは見れないのでそれだけが、外から見れる行の一部である。柳生へ一緒に行った友人にお水取りも一度機会があったら見ておくといいよと話したら、今回行くとのことで、参考の本などとともに、歌舞伎舞踊のDVD『達陀(だったん)』も貸したのである。今回『達陀』を見直したが、複雑な<お水取り>ことをよく捉えて創作されたと改めて驚嘆した。二世松緑さんが構想創作した舞踏である。そんなこともあり、思いがけないというか、縁あるとでもいうか、修二会の椿との出会いであった。

もちろん伊豆大島の椿も美しかった。オオシマサクラの白色が赤系の椿を見下ろしている。温室も椿が満開で、種類も多く、<源氏>という名前だけは記憶にある。<侘助>は見なかったなあ。

三津五郎さんの<眼>

歌舞伎舞台に立てなくても、三津五郎さんの<眼>で後輩たちの指導をし続けていただきたかった。療養生活が長くなることは予想できた。むしろ、ゆっくり療養されて欲しいと願っていた。

歌舞伎の舞台に立つとどうしても長期間となり健康管理も大変なので、時々漏れ聞くお元気そうな情報にこのまま<眼>だけは光らせていただければ充分と思っていた。

北陸新幹線の開通する前にと、一月末に福井まで足を伸ばし、帰りに松本城に寄ってきた。『坂東三津五郎 粋な城めぐり』を、行く前はバタバタして読み返していなかったので、帰ってから開きなるほどと楽しみ、月見櫓から眺めたお堀の風景などを思い出していた。

そして、つい先頃、三津五郎さんのお城に関する番組が放映された。三津五郎さんの生真面目さのうかがえるお城紹介であった。三津五郎さんが好きなことをされるだけの体調になられたのだと少し安心したのである。

視ていてくれるだけで、次世代の役者さんはどんなに心強かったであろう。

観客として、もちろん三津五郎さんの舞台復帰は望むところであるが、それが駄目であれば、三津五郎さんの<眼>があればそれで充分であった。無念である。 合掌。

 

歌舞伎座 2月 『水天宮利生深川』

『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』<筆屋幸兵衛>。通称「筆幸」。河竹黙阿弥の作品で、明治維新による没落武士の話しである。黙阿弥さんが、江戸と明治をどう捉えていたかということを知りたいところであるが、これは、作品群から検証しなければならないので実際のところはわからないが、この作品だけから思ったことがある。

この作品は、今の明治座の場所に明治18年「千歳座」が新築開場した時、初演されたのだそうで、<水天宮>とも関連させ、深川に住む江戸から変わらない庶民の姿をも映し出している作品である。黙阿弥さんは、江戸から明治への風俗の変化と、江戸は無くなっても、庶民の息づいている町は変わらないことを願いつつ書かれたようにおもうのである。

深川浄心寺裏に住む貧しい没落武士の船津幸兵衛(幸四郎)の一家は、妻が亡くなり、乳飲み子幸太郎、眼を患っている姉娘のお雪(児太郎)、妹娘のお霜(金太郎)の4人家族である。幸兵衛は、筆売りをしているが、高利の金も借りどうすることも出来ない有様である。幸兵衛は、同じ武士でありながら剣術に長けていたためしっかり剣術家としてやっている萩原家でもらい乳のうえ、幸太郎の着物と金子をもらい、そのお金で信心している水天宮様の碇の絵の額を買って帰って来る。

長屋の住人は、幸兵衛の家族を気遣い、娘達の話し相手に来てくれたりし、人の優しさに少し心和んでいた幸兵衛であったが、金貸しの金兵衛(彦三郎)と散切り頭の代言人安兵衛(権十郎)がやってきて、萩原の妻・おむら(魁春)からもらった幸太郎の着物と、お雪が施しをうけたお金まで利子の代わりにと持っていってしまう。代言人安兵衛も元は武士で、金貸し金兵衛が無筆のため、代わりに証文を書いたりその内訳の説明をしたりする仕事である。

もうこれまでと思い、家族4人で死ぬ決心をする。幸兵衛の大小の刀はすでになく、残しておいた短刀で、まず幸太郎からと思って短刀を向けると幸太郎は笑っているのである。そこから、幸兵衛の心は一気に度を失い狂気へと変貌するのである。隣では、子の誕生を祝いに呼んだ清元連中が浄瑠璃を語っているのである。他の家から聞こえてくるのを <余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)>といい、実際の清元連中が並び、浄瑠璃「風狂川辺の芽柳」を語るのである。これが、幸兵衛の神経を一層狂わせるのである。隣と自分たちの違い。その高音の語り。その語りに合わせて、ほうきをもっての幸兵衛の狂いながらの踊り。今まで、何んとか武士の対面を保ってきたのに一瞬にして崩れて行く様を、浄瑠璃と共に幸四郎さんは一体となって表現された。

ほかの劇では表現できない形である。新劇であれば、セリフで、ミュージカルなら歌で表現するのであろうが、芝居のなかで、音楽と身体で内面を表現することが出来るのが歌舞伎の強みであり技の見せ所である。この清元、江戸庶民には身近な音楽で長屋の住人は久しぶりに浄瑠璃が聞けると楽しみにしている。

幸兵衛が狂い、長屋の住人、大家さん(由次郎)、車夫・三五郎(錦之助)らが駆けつけ押さえるが押さえが効かない。この辺りも長屋住人の情が伝わる。萩原おむらも気がかりで訪ねてきてくれるが、幸兵衛は、水天宮の碇の額と幸太郎を抱え家を飛び出してしまう。隅田川に飛び込んだ幸兵衛は、幸太郎共々、車夫三太郎に助けられる。巡査(友右衛門)が事情聴取をするあたりも明治である。幸兵衛は正気にもどり皆安心とし、水天宮様の碇の額のお蔭と喜ぶのである。幸兵衛一家を支えてくれているのが、長屋の住人であった。

妹娘お露の金太郎さんが家族の一員としての役目を果たそうと健気である。児太郎さんは、ここでは、眼を患っている不自由さを身体を小さくして俯き、同情を誘う。お雪が水天宮様の碇の額を自分にも見せてくださいと言い、幸兵衛が眼の見えないお雪に手で触らせて説明する様子にも、子を思う親と、親を慕う子の想いがよく伝わる。この辺りの様子から、幸兵衛の子を思いつつも世渡りの下手な自分へのもどかしさ、世間に対する恨みから狂ってしまう人間性というものが時代背景とともによく写し出されていた。

『関の扉』の常磐津、『筆幸』の清元、歌舞伎の音楽性をも加えての楽しみ方に気がつかせてくれる。

 

歌舞伎座 2月 『積恋雪関扉』

『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』。常磐津の大曲である。様々な錯綜があり、桜の精が現れるなど、物語性の強い作品である。それを舞踊で見せると言う難解でありながら、ここはどういうことなのかと分け入りたくなる世界である。あらすじを押さえて観たほうがより深く味わえる演目である。

登場人物は、良峯宗貞、関守の関兵衛、小野小町姫、傾城墨染(小町桜の精)である。場所は雪の逢坂の関である。雪が積もっているのに、この関に満開の桜が一本ある。この桜は、仁命天皇崩御に伴い薄墨桜となったのが、小野小町の和歌の徳によって色を増したとされ、小町桜と呼ばれている。

良峯宗貞は、天皇陵を守りつつのわび住いで、そのそばにある逢坂の関には関兵衛が関を守っている。そこへ宗貞の恋人・小野小町姫が現れる。当然、関守・関兵衛と小町姫との問答となり、その後、宗貞と小町姫の馴れ初めの二人の恋話の踊りとなる。ところがここで、二人の仲を取り持つ関兵衛の懐から割符が落とされ、三人は探り合いとなるが関兵衛は引っ込む。

鷹が、血で<二子乗舟(にしじょうしゅう)>と書かれた片袖を足に結びつけて飛来する。それは、宗貞の弟・安貞が兄の身代わりとなって死んだことを意味し、その袖の落ちた石から、大伴家の宝鏡が見つかり、割符は小野篁(おのたかむら)が奪われた割符と判明。関兵衛を怪しみ宗貞は、ことの次第を篁に知らせるべく、小町姫を送り出すのである。

小町姫の化粧蓑をつけた赤姫の菊之助さんの花道の出が、何んとも愛いらしい。薄墨色の桜が、赤姫の赤を受けて、元の桜色に戻ったと思えるほど、赤が映える。無骨な関守・関兵衛の幸四郎さんとの問答も対照的で面白い。ここでの関兵衛の振りは、初代中村仲蔵が工夫したところで、「天明振り」あるいは「仲蔵振り」と言われるのだそうである。見どころである。宗貞の錦之助さんと菊之助さんの踊りも二枚目と赤姫の踊りとして息が合っている。鷹の出現は、中国の故事に因むんでいて、関兵衛の素性を探る引き金となっているが、幸四郎さんは、朴訥な愛嬌も見せ、素性は現さない。

酔って現れた関兵衛は、さらに一人大杯を飲み干そうとすると、大杯に北斗七星が写り、それが、謀反の時と、小町桜を祈りのための護摩木として切り倒すため斧を研ぐ。桜の木を切ろうとするが、何かによってそれが遮られてしまう。桜のウロには、宗貞の弟の安貞と契を交わした、傾城墨染が写る。そして、墨染が姿を現し、関兵衛との問答がある。墨染は関兵衛に会いに来たと告げ、二人で廓話の踊りとなる。墨染が血文字の肩袖を見て涙するのを見て関兵衛は怪しむが、墨染は、これは関兵衛が女から貰った起請であろうと焼きもちを焼く振りをしてごまかす。

ラストは、関兵衛は実は、大悪党の大伴黒主であり、傾城墨染は小町桜の精が人間の墨染となって現れたのである。桜の精の力を借り現れた薄墨は、安貞の仇をとるべく、黒主と激しく争い、二人それぞれの形がきまり幕となる。

赤姫から今度は、桜の精でもある傾城の怪しい色香で菊之助さんは出現し、廓話はひょうきんさも加わった関兵衛の幸四郎さんと艶っぽさも加えて踊られる。とにかく常磐津の詞と語りとあいまって、そこのところもう一度聴き直したいと何度も思ってしまった。

流れとしてはまだ捉えられないが、部分部分の踊りや駆け引きが、ぽんぽんと思い出される。ぶっかえりの黒主になってからの幸四郎さんに悪の大きさがあり、『関の扉』は今までより好きな演目さを増した。

もう少ししっかり、常磐津と踊りを見直したいと、DVDを購入した。幸四郎さん、菊之助さん、錦之助さんの『関の扉』を思い起こしてから、観ようと思っていたので、これでDVDを観ることができる。

さらに、京都東山の六道珍皇寺での、<小野篁>の名前が出てきて、やっと篁さんが少し身近になった。