歌舞伎座 2月 『吉例寿曽我』『彦山権現誓助剱』

『吉例寿曽我(きちれいことぶきそが)』。曽我物はよく解らなくて好きではなかったこともあり、この演目を観た記憶がない。今回は奴が二人出てきて、どうやら敵対しているらしく、巻物一巻で争っている。上に続く石段は鎌倉の鶴ケ岡八幡宮への石段らしい。次第に曽我物の対面に近ずくのかと思ったら、その石段の前で奴たちの主人の近江小藤太(又五郎)と八幡三郎(錦之助)が一巻を奪い合う立ち回りとなる。そしてその石段が<がんどう返し>で、二人を乗せたまま、後ろに回転する。対面は富士山をバックにした、大磯の廓外ということになる。

工藤祐経(歌六)、秦野四郎国郷(国生)、化粧坂少将(梅枝)、大磯の虎(芝雀)、喜瀬川亀鶴(児太郎)、茶道珍斎(橘三郎)、朝比奈三郎(巳之助)が並び、曽我五郎(歌昇)、曽我十郎(萬太郎)が花道から出てくる。萬太郎さんの十郎が役に合っている。歌昇さんは、一瞬、種之助さんでは無いはずだがと思わせるような若い五郎に成りきっている。なるほど、まだ若い歌昇さんではあるが、もっと若い元気な五郎をめざしたのであろう。国生さんは行儀よく、巳之助さんは、長い手足を使いひょうきんさを現し呼吸もよい。梅枝さんは、傾城の大きさが加わって来た。驚いたのが児太郎さん。浅草では無かった色気がある。襟もとから首の線に今まで感じなかった色気が出た。『神田祭り』の芸者役も、やはり、先月の浅草とは違っていた。女形の歌舞伎役者が、歌舞伎役者としての身体が出来て行く過程を観させてもらっているようで嬉しい驚きである。

歌六さんと芝雀さんは、役どころの貫禄である。

『彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』<毛谷村>。剣の達人などの役はされていない菊五郎さんなので、その辺りをどう緩急つけられるか興味があったが、剣の達人と思わせるものが欠けていた。

毛谷村の六助(菊五郎)は、今は百姓であるが、吉岡一味斎の弟子で剣豪である。ところが、一味斎は闇討ちにされ家族は仇討に旅立つが、その一人お園(時蔵)が、甥の着物を見つけ六助を敵と間違う。さらに、六助はお園の許婚であった。お園は、六助が甥を助け、母のお幸(東蔵)も来ているのを知る。六助は、ある男に老いた母のために仕官したいと頼まれ、その為の試合でわざと負けてやっている。その負けてやった男こそ、師の敵の京極内匠(團蔵)であり、老母のためというのは真っ赤なウソで、百姓の右衛門(左團次)の母を自分の母に思わせ、用済みとなり殺してしまっていたのである。六助とお園は、敵討ちへと向かうのである。

京極に騙され、試合に負けてやるあたりは、人情味に溢れた人柄を鷹揚に明るく演じられているが、その後のお園とのやり取りや事の次第が判明していく段階は、剣豪としての味が欲しかった。剣に長け、人の情けがあり、実直である。その人物が、お園の男勝りの力持ちに驚き、師の娘であるお園が許嫁で畏まったり照れてしまったりと、そのあたり変化が期待より弱かった。裃を着るあたりは、恐縮しつつも、六助とお園に恥じらいと敵への覚悟の見せ所でもある。お園も、虚無僧の出の足さばきは男で、敵への気概が感じられたが、その後の大力を見せ、六助が許嫁と知った喜びや恥じらいがこれまた、薄味である。

菊五郎さんと時蔵さんお二人には、<剣豪、大力>、<許婚><男、女>、<敵討ち>への変化のプロセスの妙を見せていただきたかった。

 

映画 『上意討ち 拝領妻始末』 歌舞伎 『上意討ち』

映画『上意討ち 拝領妻始末』(1967年)は、原作は『切腹』の滝口康彦さんの『拝領妻始末』、監督・小林正樹、脚本・橋本忍、音楽・武満徹と同じメンバーである。撮影・山田一夫、出演・三船敏郎、司葉子、加藤剛、仲代達矢となり、制作は三船プロである。

これも、簡単なあらすじは知っていたので、気になりつつも後回しであったが、見始めると一気であった。三船敏郎さんが、家付きの養子ということで、20数年間養子として肩身の狭い思いをしている、馬廻り役である。その笹原伊三郎の長男・与五郎(加藤剛)に会津松平藩主(松村達雄)の側室お市の方(司葉子)がお役御免で、嫁として払い下げられる。お市の方は、菊千代という男子まで産まれたかたである。与五郎はこの話を受け、嫁に迎えてみればよくできた嫁で、夫婦中もよく、孫もでき伊三郎は隠居して安堵した。

ところが、先に生まれた若君が急死し、菊千代が世継ぎとなる。お世継ぎの実母が、藩士の妻では困ると、今度は返上を申しつけられる。伊三郎は、仲の良い夫婦であり納得できない。与五郎もお市も、このまま添い遂げたいと希望しているが受け入れられず、お市は略奪の形で城に連れ去られてしまう。伊三郎はお市の返上願いの代わりに、息子の嫁を戻されたいと嘆願書を出すが、上意に逆らう一藩士として、咎人扱いとなる。

伊三郎の友である国廻り役の浅野帯刀(仲代達也)は、お市拝領の時、「押せば下がる、さらに押せば下がる。進退窮まったと思った瞬間、鮮やかに身を開き構えの位置が逆になっておる」と伊三郎の剣に例えて意見をいう。

お市を略奪されすべもないと伊三郎が思ったとき、帯刀は「押されれば引く、さらに押されれば引く。だが、それでも勝負をあきらめないのがおぬし。」と語る。このことが、江戸幕府に知られれば松平家にとっては大失態なのである。

伊三郎は、養子の身から初めて自分が生きていると感じるのである。

与五郎とお市と悲憤の最後をとげ、伊三郎と帯刀は剣を交えることとなる。帯刀は藩の一の木戸を守る国廻り役として、藩から無断で出国するものは、放っておくわけにはいかない役目である。三船さんと仲代さんの立ち合いである。三船さんのほうが、僅かに剣の扱いが早いように思える。帯刀を倒した伊三郎は、孫のとみと江戸に向かおうとするが、藩の追ってに阻まれ、ついに伊三郎も無念の死を遂げるのである。

剣豪でありながら太平の世では役にたたず、養子として家を守るあきらめにも似た穏やかさを見せる三船さん。しかし、追い手を切り倒していく時は棲さまじい迫力である。本当に刀が相手に当たっているように見える。仲代さんは上役に気を遣う武士の生き方を冷やかに見つめ、最後は、与五郎、お市、とみの三人の力が伊三郎に加担しているからと言いつつ伊三郎の剣に敗れる。

三船さんの伊三郎も、お市のような女になり、与五郎のような夫を持てととみに思いを託す。

歌舞伎のほうの『上意討ち』は、録画で脚本・演出が榎本滋民さんである。

笹原伊三郎(二代目尾上松緑)、妻すが(三代目河原崎権十郎)、嫡男・笹原与五郎(初代尾上辰之助)、次男(現坂東三津五郎)、お市(現尾上菊五郎)、浅野帯刀(十七代目市村羽左衛門)、嫡男・浅野篤之進(十二代目市川團十郎)、笹原家娘・たき(大谷友右衛門)、許婚・溝口新助(六代目尾上松助)、側用人・高橋外記(九代目坂東三津五郎)、笹原監物(現市川左團次)

こちらは、舞台で実際に観る事の出来なかった方々や、若き日の演者ぶりが楽しめ、映画とは違う登場人物配置で、映画とはまた違った味わいがあった。

伊三郎の友の帯刀にも息子・篤之進がいて、与五郎と篤之進の関係が加わるのである。舞台ゆえに場面転換しかできないが、芝居の流れはよく出来ている。伊三郎と帯刀の剣を通じてのつながり、与五郎と篤之進の若い者同士の関係とつながりそこが先ず判るようになっていて、このつながりが貫かれるのかなと想像できる。養子である松緑さんと妻の権十郎さんとの関係に笑いを入れ、悲劇が起こるという雰囲気ではないが、お市のことから、養子であっても保たれていた笹原家に大きな動きが生じ始める。

映画と違って、お市がお役御免となった経緯は、菊五郎さんがセリフで語られるので、映像より弱い。その為、生き方の全てを貫き通す意地の強いお市ではなくどこか儚さがある。最後は、他の者に殺させるより自分たちの手でと、帯刀と篤之進が、それぞれ、伊三郎と与五郎と対決する形となる。帯刀は、伊三郎に「会津一の武芸者だ」と言って果てる。それを受けて伊三郎は「会津一の武芸者がなんになる」と槍に身体を支えつつ幕となる。

歌舞伎役者さんの層の厚さをも堪能させてもらった。皆さん役にはまっている。

映画、歌舞伎、それぞれの分野でのさらなる楽しみ方の糸口をもらったような気がする。映画のほうは、和太鼓のリズミカルな音とともに、下から俯瞰したお城が写され、その写し方がいい。どこのお城であろう。古い時の会津若松城なのであろうか。

 

 

 

浅草公会堂 新春浅草歌舞伎

今年の浅草は若い。ただ今回のチラシは好きではなかった。芝居のほうは勢いがあり楽しませてもらった。

恒例の新年の挨拶は、昼は巳之助さんと種太郎さんで、お二人は、踊りが主で、台詞が少なく、巳之助さんは芝居でも、仮名手本忠臣蔵の五段目の定九郎の「50両」だけでとのこと。定九郎は口からの血も右足に垂れ上手くいった。欲を言うなら腕の太さがもう少し欲しい。ということで、お二人この挨拶しか話せないのでこのコーナーが楽しみでと話され芝居や踊りの説明もしてくれた。『独楽売(こまうり)』は60年振りの上演だそうで、その他の踊りにもなっている江戸の物売りも紹介してくれる。この『独楽売』は楽しい踊りで、後見の方が上手く大きな独楽を肩や扇子に乗せてくれ、きっと江戸の独楽売りも上手に廻して見せて子供達の羨望のまとだったに違いない。新米の巳之助さんと種太郎さんの独楽売りは二人で競い合って商売にならない独楽売りのような気もする。

種太郎さんは『猩々』ではお酒を飲んでいるだけですからと言われたが、酒売りの隼人さんにお酒をどんどんつがれお酒好きの中国に伝わる伝説の猩々は次々と盃を空け機嫌よく踊り出す。音楽に乘り思わず指で拍子をとってしまった。つま先だった足を交差し、それが猩々の乱れ足なのであろう。種太郎さんは、一つ得意分野を見つけたようである

お兄さんの歌昇さんの作り阿呆の『一條大蔵譚』の紹介も阿呆の真似をしてされたが、これは難しい芝居である。<桧垣>の場面がなく<奥殿>の場だけであるからなおさらである。歌昇さんは一條大蔵の台詞で、乱世の世の生きずらい心情が実感できたであろう。米吉さんの常盤御前も台詞は良く頑張っていたが童顔なので、やはり役より若く見得てしまう。しかし『独楽売』の時の芸者は、胸を張り色気が出ていて驚いた。ただこちょこちょと歩くと若い娘さんになってしまうので気を付けたほうが良い。

芸者では児太郎さんは背丈もありお姉さんタイプの芸者である。『俄獅子』のとき、巳之助さんとは背格好も近いので高い位置で踊ったが、歌昇さんとは、膝を折られて腰を下げて踊られていて、その位の方が体に色気が出た。身体を使うことによる役の幅の広さを試されるともっと変化に富む面白さが出ると思う。

夜の部の挨拶は松也さんと隼人さんである。浅草歌舞伎参加は隼人さんが4回、松也さんが3回だそうで、隼人さんが、「もう先輩がいないと思ったのにまだいました。」と。「いて悪かったね。」と松也さんに返す。強気の隼人さんである。そしてこの強さが、六段目で勘平を責める一徹な千崎弥五郎となってあらわれた。今回の勘平は、改めて悲劇の人だなあと思わせられた。おかると別れてからの勘平は、自分が舅を殺したと思って居るから救いが無い。勘平はこの段ではヒーローなのであるが、若い役者さん同士だと役に徹したやり取りとなり。リアルさが加わり違う面白さがでる。不破数右衛門には、お金を受け取らなかった大星殿は人を見抜いておりさすがであると言われるし、もしこのことが後の世に恥辱となったときはどうするかとまで言われてはもう切腹しかない。

今までこの芝居でそこまで感じなかったが、熱い義士たちの、仇討を成就するまでの激が飛んできた。これだけ後輩から突きあげられれば松也さんも、後に戻れぬ無念さが一層気持ちの中に加わったことであろう。若い人たちだけでやるとこのぶつかり合いも面白いものである。それこそ大先輩たちとのときは、すでに役としての流れが出来上がっていてそれを壊してはならないであろうし、足をひっぱらないようにとの違う緊張が加わるであろう。

悲劇性を際立たせた六段目であった。

『春調娘七種』は、曽我五郎、十郎、静御前という組み合わせがよく解らない。虎御前なら解かるのでのであるが。<打つ>と<討つ>をかけているようであるが。箱根のバス停にも<曽我兄弟の墓>があり、五郎、十郎、虎御前、三人の五輪塔がある。今度そのあたりとJR御殿場線の下曽我駅からの曽我兄弟ゆかりの場所も散策したいと思っている。この踊りは、五郎、十郎の形で踊ろうと思うとかなり苦労するように見受けた。七草の入った駕籠というのは季節感があっていいものである。

『俄獅子』は馬と羊も出てきて賑やかに締めた。結構恐れを知らぬ世代で、前進あるのみとの心意気である。それが切磋琢磨すれば大きく羽ばたくのも予想より早いかもしれない。昭和の先輩は平成の後輩に突き上げられない様にご用心である。勢いがあるので。

 

 

歌舞伎1月 『黒塚』

猿之助さんの新しい歌舞伎座デビューが、早くも『黒塚』である。猿之助さんらしい挑戦である。阿闍梨祐慶が勘九郎さん。山伏大和坊が門之助さん。山伏讃岐坊が男女蔵さん。強力太郎吾が寿猿さんである。

『黒塚』は奥州安達ケ原の鬼女伝説をもとにした能の『黒塚(安達原)』を初代猿翁さんが新作舞踊劇とされたのである。二代目猿翁さんがそれを受け継ぎ得意とし追及していた舞踊である。それを、今度は現猿之助さんが受け継いでの更なる探究となるのか。楽しみの一つであった。

三つの場景に別れていて、一人住まいの老女のところに、諸国行脚の僧・祐慶らが一夜の宿を頼む。この老女は夫に捨てられ世を怨み鬼女となっているが、祐慶の話しから自分も悔い改めれば来世では成仏できると聞き喜び、祐慶たちをもてなす為、裏山へ薪を取りに行く。閨(ねや)を絶対に見ないようにと言いおくが、強力が見てしまう。閨は死骸の山である。

祐慶のことばを胸に柴を背負った老女は、、芒(すすき)の原を通って月明かりの場所にでてくると、自分の一生を踊りで語り始める。そして月明かりに移る自分の影に気がつきその影と戯れて、月に浮かれ軽快に踊り始める。ここは、初代猿翁さんは、ロンドンで観たロシア・バレエを取り入れるのである。つま先で踊ることによって腰のバネがきき、ふわふわとした能や日本舞踏にはない動きとなり、それが老女の喜びを表し、さらに地方さんとの絶妙な呼吸でメリハリのある踊りが披露されるのである。しかし、そこへ強力が事実を知り、腰を抜かしつつ逃げてくるのに出くわす。老女は閨を観られたことを知り、キッとなって鬼女の様相を見せ膝づめで強力をころがし、消えてしまう。

藍色の隈取をして老女は鬼女と化かし、長袴をさばきつつ、阿闍梨と二人の山伏との対決となる。成仏できるはずだった老女は、今は阿闍梨の祈りの力により回転させられたり、仏倒しとなったりして祈り伏せられる。この場での、鬼女が木に背中をもたせかけ、後姿で嘆く様子は、あんなに喜んだ老女がと可哀想になる。鬼女が一瞬人間の感情を見せる場面である。今回はこの部分に老女と鬼女のすき間の一瞬が見えることによって、この舞踊の厚みを感じた。

舞台装置、照明、老女の糸車を操る<糸操りの歌>、阿闍梨との問答、押さえも利かせる軽快な踊り、祈りなど、様々な要素を加え、調和させつつの舞踏で、黒塚に埋葬されている鬼女が実はこんな話しなんですよと、後の世に姿を一度だけ表すことが許されるなら、こうであろうかと思わせられる舞台であった。

猿之助さん、勘太郎さん、門之助さん、男女蔵さん、寿猿さんの息も合ってやはり『黒塚』は好きな舞踊の一つとしてゆるぎなかった。

福島県二本松にある、「黒塚」と鬼女の住まいとされる「岩屋」へは、かなり以前訪れている。JR二本松からタクシーを使い待っていてもらい戻ったと思う。今検索すると、岩屋のある 観世寺には宝物館もあり、鬼女伝説の資料もあるようである。訪れた時は、高村光太郎さん『智恵子抄』の妻・智恵子さんの生家があり、そこにも寄り、時間が足りなかった記憶がある。時間があれば歩ける距離かもしれない。

 

 

歌舞伎座1月 『番町皿屋敷』『女暫』

『番町皿屋敷』を初めて観たときは、一ま~い、二ま~い、三ま~いの幽霊の話と思っていたので、歌舞伎ではこいう話なのかと驚いた。<番町皿屋敷>の伝説を、岡本綺堂さんが恋愛ものに仕立てたのである。旗本青山播磨(吉右衛門)と腰元のお菊(芝雀)は恋仲であるが、播磨に縁談があると聞いて穏やかではない。ついに播磨の心を確かめるため家宝の皿を一枚わざと壊してしまう。播磨は粗相なら仕方がないと許すが、自分の気持ちを試したと知って、お菊を手にかけ井戸に投げ入れ、これで自分の恋も終わったと喧嘩に飛び出してゆく。

播磨の吉右衛門さんは、お菊に母にも二人のことは報せて良いぞと伝え、皿のことも間違いはあるものと穏便に裁くのであるが、自分の気持ちを疑われたと知るやそのことは許せざることであるとする恋に対する一途さを貫いた。お菊の芝雀さんは、身分の差からくる女の不安、播磨の本心を知ったときの喜び、自分の行為はどうであろうと播磨の気持ちが解った以上、それだけで良いという一途さを貫いて死に臨むのである。その二人の心理がよく表れていた。町奴との喧嘩に明け暮れる鬱屈している播磨の救いがお菊に対する心情だったのである。

喧嘩相手の幡随院長兵衛の子分の放駒四郎兵衛の染五郎さんは、幡随院長兵衛でもいいような粋と大きさがあった。播磨の苦手とする伯母の東蔵さんが、播磨と放駒の間に入り仲裁し、播磨を諌める伯母としての風格がある。

『女暫』は、題名のごとく女方の<暫>である。場所は京の北野天神で、平家が滅び功を遂げた源範頼(歌六)が祝宴の席を設け、木曽義仲の嫡子・義高(錦之助)と許嫁・紅梅姫(梅丸)を成田五郎(男女蔵)らに命じ殺そうとする。そこへ「しばらく」と声がかかり、巴御前(玉三郎)が現れるのである。花道で女ながらも「成田屋さんに借りた三升紋のこの衣装・・・」などと勇ましく<つらね>を述べ義高たちを助けるのである。その前に、このスーパーヒーローの巴御前を花道から後ろに下がらせようと女鯰若菜(七之助)、轟坊震斎(又五郎)らが試みるが、自分たちが引き下がるしかない。この変哲もない行為を役どころの面白さで見せるのであるが、そこがかえって難しい。ひょうきんさと愛嬌さを見せて、スーパーヒーローを際立たせるのである。スーパーヒーローもそれを軽くいなし更なる大きさを見せる。この『女暫』も玉三郎さんを中心に次の世代に繋がっていく基礎が出来上がってきたように思える舞台にしてくれた。

大役を果たした巴御前の玉三郎さんは素に戻ったという演技で、舞台番辰次の吉右衛門さんに花道の引っ込みを習う。この素と役の微妙な演じ分けがのお二人の駆け引きが、芸のつやを見せてくれての引っ込みとなるのである。

荒事は役者さんの大きさで見せるところがあり、内容も単純で史実も伝説的要素があり、歌舞伎を観始めたころは、その面白さがよく解らなかった。しかし、若手の役者さんが演じると、もっと面白くない。さらに鍛錬を積んだ役者さんのを観ると納得でき、若手が変化してくると成程こうなると随分面白さも加わるのだと楽しさが増してきた。

歌舞伎の場合、まだと思える役者さんと熟練の役者さんとが組み合い、演目も入れ込まれているので、観客は見たくないと思っても観ざる覆えない。それは、若い歌舞伎役者さんにとっては幸せなことであり、未熟さもあらわになるので怖いことでもある。その幸せと怖さを乗り越えて行くしかないのである。

観る側は動きもせず、ああでもない、こうでもないと勝手なことを言わせてもらっている単なる怠け者である。

 

 

歌舞伎座1月 『蜘蛛の拍子舞』『一本刀土俵入』

舞踏劇『蜘蛛の拍子舞』は、場所は花山院で無人のため荒廃しているが怪しきものが現れるというので、源頼光(七之助)と家来の渡辺綱(勘九郎)が偵察に来ている。急病で倒れた頼光の前に大蜘蛛が現れ、それが消えると、花道に美しい白拍子妻菊(玉三郎)が現れる。そして、ここでも刀の故事来歴の問答があるのが耳に楽しかった。頼光、綱、妻菊の三人の踊りが入る。実は白拍子妻菊は葛城山の蜘蛛の精で、妖怪退治にきた頼光たちとの大手地回りとなり、そこに坂田金時(染五郎)が助っ人にきて大団円となる。

玉三郎さんの白拍子妻菊の花道の出はやはり美しい。期待していた三人の踊りが想像していたよりも味わいが薄かった。後半も基本的に玉三郎さんのこの種の変化が好きではないという好みからくるためか、冷めて観ていた。この妖怪の隈取でなくても、玉三郎さんなら独自の妖怪さを出せるのにと思ってしまうからでもある。金時の染五郎さんは、大きくて力強く愛嬌も含んだ助っ人であった。

刀に関しては、今年の出会いは、甲府の武田神社での武田信虎(信玄の父)の正室大井夫人の懐剣である。備前長船清光作だそうで、薄く細身な鋭利で、これでなら刺し方によっては一息かもと想像してしまったが、説明に「伝説によれば自刃の時でも鋭利の余り無痛で死に至る事が出来る」とあり、うなずけた。

『一本刀土俵入』。長谷川伸作、村上元三演出のお馴染みのものである。駒形茂兵衛が幸四郎さん。お蔦が魁春さんである。

伊豆の下田に、明治に入ってから下田に戻った唐人お吉さんの開いた小料理屋(安直楼)が残っていて、それを見た時、「安孫子屋の雰囲気だ。」と思ったのである。それだけこの舞台の旅籠屋安孫子屋は観客に印象づける場面である。その二階の魁春さんのお蔦は、長谷川伸さんが実際に見たとするなら、お蔦はこういう雰囲気だったに違いないと思わせた。芝居の被膜を見せないお蔦であった。お互いの母の話し。お蔦の有り金を全部もらい茂兵衛が、「姉さん困りはしないかい。」という気持ちが、こちらも茂兵衛と同じ気持ちにさせられる。茂兵衛はお蔦を自分と同じような立場と考えて居るのである。それなのに櫛も簪もお金さえ与えてくれるのである。お蔦が茂兵衛を見送るとき歌う「おわら節」も声がかすれているのであるが、それがかえって芝居の流れに合っているのである。

土地のヤクザからお蔦が子持ちのあばずれだと言われ「そんなことはない。あの姉さんに限って。」とつぶやくのは、現実にそうであろうと、茂兵衛の心の中のお蔦はそんな女性ではないのである。そのあたりの恩を受けた者の想いを幸四郎さんは上手く表現された。ここがあるからこその十年後である。

今回は、波一里儀十(歌六)の子分に相撲取りも入れ親分が相撲好きであることを加えている。これは、茂兵衛と儀十の刀無しの相撲での一番があるが、その不自然さを解消しての演出であろうか。観方によっては、この親分との一番が、お蔦への恩返しの土俵入りということになる。

この芝居はそうすんなりと解釈してすっきりさせるべきものか。渡世人みたいなものになって、どうあがいても、あの時の姉さんに見合うだけの土俵入りなんて無いんだとするべきなのか。

幸四郎さんの茂兵衛は形もよいすっきりとした渡世人である。そうであっても渡世人は渡世人に過ぎないとの想いがどこかにある、ただじーっと先を見つめ無事逃げのびて欲しいとの想いの幕切れであった。

 

歌舞伎座1月 『金閣寺』

『金閣寺』の雪姫は、三姫の一つで大役である。そして、天下を狙う<国崩し>という敵役の松永大膳、大膳に取り入ると見せかけ雪姫を助ける此下東吉らが金閣寺という絢爛なお寺にて繰り広げられるお芝居である。 七之助さんの雪姫は上手く行くほうに賭けていた。桜の木にしばられ身体をねじりグッと胸を張り、天を仰ぐような形で桜の花びらを顔に受ける姿は思ったとおりである。桜の花びらを集めネズミの絵を描くところも、儚なさと祖父雪舟が宝福寺で涙で描いたという伝説を受け継ぐに必要な透明感があり、夫のもとへ父の敵が大膳に知らせる引っ込みはきりっと芯がある。

敵役の染五郎さんは、もう少しと欲は出るが、弁慶をされただけに今回は上半身に大きさが出てきた。この役は碁を打ちつつ大きさを見せなければならないが、雪姫を色欲で誘うあたりに怪しさがあり、雪姫に父の敵と見破られてからの非情さも出ていた。

此下東吉は歴史上の木下藤吉郎にあたるのだが、ここでは知恵者であり、すっきりとした品格のある人物として登場する。勘九郎さんは、そうした雰囲気は近頃はまり役になっていてすんなりと役に入っている。大膳の難題の井戸に投げ込んだ碁石入れを手を使わず取り出す為所も綺麗に決まる。

雪姫の夫・絵師狩野之介直信の笑也さんが今までとは違う声の出し方で、姿もいい。雪姫が夫を助けるために必死になる相手として相応しい役柄である。大膳に囚われていた門之助さんの慶寿院も将軍の母としての風格があり、大膳側と思っていた十河軍平実は此下東吉がわの佐藤正清の男女蔵さんもその変わり身を上手く出した。松永鬼藤太の廣太郎さんはもう少し時間が必要である。

この芝居も次の世代に繋がっていくなと思いながら楽しんだ。先に付け加えておくなら、笑也さんは、『女暫』の局唐糸も局としての佇まいも今までにない押し出しがあり座しているときもぶれなかった。もう一人化けたのが男女蔵さんである。『女暫』の成田五郎、『黒塚』の山伏讃岐坊と存在感を見せつけた。昨年の浅草歌舞伎では、男女ちゃんコールであったが、大男女ちゃんになってしまったので、男女ちゃんコールも卒業の時期である。

こういう変わり目を観れるというのも歌舞伎の楽しさである。ただ役によっては、大いに裏切られることもあるが。

舞台装置で一つ気になるのが、雪姫が大膳から龍の絵を描けと言われ手本が無いと言って断り、大膳が刀を抜き、刀の霊力によって滝に龍が現れるところであるが、その龍が貧弱なのが納得できないのであるがいかがなものであろうか。

 

国立劇場 『南総里見八犬伝』

地味な『南総里見八犬伝』である。地味なというのは、<八犬伝>というと、八つの玉が怪しい光を放ち飛び交い、妖術が飛び出し、八犬士の熱い絆のもとに一件落着というイメージがあるからである。

今回の脚本は、戦後初の劇化を渥美清太郎さんが脚色されたものと、河竹黙阿弥さんが脚色された「犬山道節の白井城下の刀売り」をアレンジしての作品なのだそうである。犬山道節を中心に、里見家に仕えた縁の者と同じアザがあり同じ玉を持つ者が深き因縁として結ばれる。

道節は里見の身内で、関東管領・扇谷定正が父の敵であり、最終的には、この天下を狙う扇谷定正を討つことによって、里見家の怨みも晴らし、天下国家の安泰へと繋がるという形になっている。

術を使うのも道節だけで、道節も父の死後、山伏として修業したらしく、火遁れの術を会得したようである。この辺りが戦後に脚色された特色かなと思うのである。妖術ではなく訓練して会得した遁れの術である。小説『RDGーレッドデータガール』で面白かったのが、<陰陽師><忍者・忍びの者><修験者・山伏>の原点を教えられたことである。忍者というのは、情報を集めてそれを仕えている主人に教えることである。人を殺すのではなく、自分の身を隠すための術である。本来、<忍者>と<山伏>は違うのであるが、道節は敵のために修業したのであるから、この二つを兼ね備えたと思えるし、時代的にも人間離れした設定にはしなかったように思えるのである。その点が地味なという意味でもある。

富山で伏姫は、犬の八房に懸想のしぐさをされ、汚らわしいと八房を懐剣で刺し殺し自分も自決する。八つの玉が浮かび、その玉に里見家を救う事を願う。

扇谷に滅ぼされた里見家の家臣、犬塚信乃と犬川荘助は、信乃の叔父の家にいる。信乃は、亡き父から預かった宝剣の村雨丸を足利成氏に献上し時節を待とうとするが、この村雨丸はくるくると人の手に渡り、そのことにより犬飼現八との<芳流閣>の屋根上での立ち回りとなる。その時二人は因縁を知らないが、犬田小文吾によってお互いの関係を知る。

さらに小文吾は追われる二人を逃がし、自分は足利成氏を追放した馬加大記(まくわりだいき)に捕まるが、大記を敵とする女田楽師で剣の舞を舞う犬坂毛野に助けられる。小文吾の助力もあり、毛野は父の敵を討ち、小文吾と毛野は縁を確認する。

< 犬山道節の白井城下の刀売り>の場は、村雨丸を手にした道節と里見家と父の敵・扇谷定正との対面である。道節は刀剣売りに成りすまし、昔からの名刀の名を披露し定正に村雨丸を売りつける。定正は天下に名を響かせる村雨丸を買うと告げるや道節は村雨丸を抜く。村雨丸は雨を呼ぶ名刀であった。そこで道節は身分を明かすが、定正の軍に囲まれ、火遁の術を使う。そこで、犬村大角と出会い、犬川荘助、犬江親兵衛も駆けつけ扇谷定正居城に向かう。

扇谷定正居城で八犬士が揃い、定正を前に、定正の悪行を明らかにし、いずれ名刀村雨丸を持し、里見家再興を誓い幕となる。

このほか、信乃と浜路の恋、網乾左母二郎(あぼしさもじろう)による浜路惨殺、浜路と兄道節との出会い、八犬士のだんまりなどが導入されているが、無理のない八犬士の出会いから大詰めへと、江戸の戯作本を近代的感覚でまとめている印象を受けた。

菊五郎さんの道節が、貫録で八犬士をまとめ、時蔵さんが艶やかに剣の舞を舞いながら小文吾を助け敵を討ち、亀三郎さんが役に合う良い味を出した。梅枝さんと菊之助さんは予想通りの恋仲の二人で、色悪の松緑さんは、何かを掴もうとしているのか迷いを感じる。なかなか顔を出さない左団次さんの定正が待たせるだけに大きさを見せた。尾上右近さんの薄いピンク系の口紅に伏姫の儚さがあった。近頃お化粧研究している。

相変わらず個性的な演技を発揮される役者さんも揃い、房総、武蔵、古河、行徳、など関東一円の場所設定も楽しい。

本の『南総里見八犬伝』では、京都にいた六代将軍足利義教(よしのり)と関東管領としてして鎌倉にいた足利持氏(もちうじ)との間が不和となって合戦となり、持氏は将軍方ついたいた家来の上杉憲実(のりざね)にせめられ、鎌倉の報国寺で詰腹を切らされた」とあり、あの報国寺(竹の寺)でと興味をそそったが、深みにはまるのは避けることとする。

 

新橋演舞場 『石川五右衛門』

平成21年に新しい『石川五右衛門』として樹林伸さん原作で(脚本・川崎哲夫・松岡亮)上演されている。そのときも、秀吉が五右衛門の父であったということで驚いたが、その時は團十郎さんに見守られての舞台であった。

秀吉に助けられ、五右衛門が「葛籠背負ったがおかしいか~」と言って宙乗りをして昇って行くとき、その姿を團十郎さんがゆったりと大きな秀吉で見つめているいる姿は、父としての團十郎さんと役の團十郎さんが重なりじわーときてしまった。その時、今回はこの気持ちで良しとしようと思った事を思い出す。

今回は、辛口で申し訳ないが面白くない。フェイントもなく話しがどんどん進み、美しい舞台装置がこれでもかと続き、泣き所も嘘っぽく、五右衛門さんあなたは頂点に立って絶景かなと言いたかっただけなのですかといいたくなった。

茶々との関係は、秀吉を見返してやりたかっただけですか。初めから見初めてしまったのですか。しかし、鶴松を殺されて復讐に燃えますよね。唐の国で、義兄弟となるべく同士とも出会う。その弟もワンハンに殺される。それを倒してその後がまになるだけですか。<傾く>と言ったあなたは、権力者になっただけですか。

奮闘されているのに、話しの絡み合い、そうくるのかといった驚き、そうしたものが見つからなかった。別々に観れば、海老蔵さん、獅童さん、右近さん、笑三郎さん、九團次さん、猿弥さん、孝太郎さんら全て役づくりはしっかりされていた。しかし、その役の絡みに物語としても面白さがないのである。筋があってそこから飛び出して立体的に浮かび上がる登場人物の存在が薄いのである。

大道具さん達に守られた、体育系の芝居である。

<傾く>五右衛門は、先にいったい何を目指し、何を観客に伝えったかったのか。それを見せてもらいたかった。見つけられなかったこちらの間違いか。

国立劇場の伝統芸能情報館で、30分ほど<荒事>の映像を見た。前の又五郎さんが研修生に『車引き』を教えられている。口三味線で一つ一つの動作と形を指導される。「糸に乘るのが大事だよ。」 口三味線で、又五郎さん自身が形を作っていく。気持ちがいい。「糸に乘る」ということを、こちらも会得して観たいのであるが、いまだよく掴めない。いいなあと思った時、それが糸に乗っていたからなのかどうかが解らないのである。

團十郎さんも荒事について話され、「景清は子供ではありません。妻も子もある大人です。大人の風格が必要です。牢に繋がれていますので、痩せています。そのため青の痩せ隈が必要なのです。」痩せ隈を初めって知った。

先輩たちが研修生に隈取も教えていたが、その注意事項がなかなか理があり面白い。時間の都合で映像は途中であったが、荒事の積み重ねの時間的経過は、壮大であり、その都度その都度時代に洗われて積み重なって来た地層を呈している。それは或る面ではファンタジーでもある。

国立劇場 『伊賀越道中双六』(2)

「岡崎」。こちらの東海道歩きはいつになったら岡崎に着くのか。吉田あたりから宮あたりまでは、JR東海道線ではなく名鉄名古屋本線となり、岡崎も名鉄なのである。『伊賀越道中双六』の<双六>としたのは、上りまで様々の難関があり、さらにサイコロの出方に任せるしかないということかと、芝居を観ていると思われなるほどと感心してしまう。

幸兵衛おは、百姓であるが今は関所の下役人でもある。お袖はその娘で、母・おつや(東蔵)に志津馬の宿を頼むが、夫の役目がら素性の判らぬ者は泊められないとさとす。幸兵衛は関所破りの詮議から救い、志津馬は奴から奪った密書を見せる。奴は股五郎に仕えていたもので、股五郎が幸兵衛に力添えの以来であった。志津馬は実は自分がその股五郎であると名乗る。そしてさらなる賽の目は、お袖の許婚が股五郎で、見た事のない許婚を嫌がっていたお袖は、ここで目出度く祝言となる。そんな中、林左衛門の手下眼八(吉之助)がこの家のつづらに忍び込む。

政右衛門は、関所破りとして捕り手に囲まれるが、刀は雪の中に隠し、素手で相手をしそんな者ではないと主張する。それを見ていた幸兵衛は政右衛門を助け家に招き入れる。お互いに見つめ合い、15年前に別れた師と弟子の再会となる。おつやは情愛をもって別れていた庄太郎(幼い頃の政右衛門)を迎えお袖の許嫁の股五郎の助太刀を頼む。幸兵衛も相手方には剣の達人の政右衛門が付いている事を知っており、庄太郎の腕に期待する。政右衛門は、驚きを隠しおつやの頼みを聞くが、幸兵衛はつづらに隠れた眼八を悟り、股五郎の居場所は教えない。

政右衛門は、ここで師を裏切ることと、敵を目の前にしていることの間に立ち、心落ち着けさせる。このあたりの、刀の取り上げ方などで吉右衛門さんは、政右衛門の心根をきりっと見せる。

幸兵衛は、庄屋から呼び出され出かけて行く。おつやは政右衛門の濡れた着物を幸兵衛の着物に着替えさせたり情をみせる。政右衛門も干してある莨(たばこ)の葉を見つけそれを刻んでやる。そこへ、政右衛門の妻・お谷が生まれた乳飲み子を抱き巡礼となって政右衛門の後を追い幸兵衛宅の前でしゃくを起こし苦るしんでいる。その巡礼がお谷であることを知った政右衛門は、敵を目の前にして素性が知れるのを恐れ、おつやが巡礼を助けることを止める。おつやの情と政右衛門の情のせめぎ合いがこの場を色濃くしている。

おつやは子供だけでもと、乳飲み子を炬燵のある部屋へと抱えて行く。政右衛門は急いで気を失っているお谷に薬を飲ませ、藁くずを燃やし暖を取り、気がついたお谷に事情を説明しこの場を去り吉報を待てと告げる。お谷は、我が子を見てくれたかと尋ね、見たという言葉に安堵し雪の中、夫の言葉に従うのである。非情な場面が一転して、夫婦の情愛の場面となる。

幸兵衛は戻り、門口の焚火の跡に気がつく。次第に幸兵衛にも何かが兆してくる。おつやが、赤子の身につけていた物から、その子が唐木政右衛門の子であると知らせる。政右衛門は、素性が知れる前に、一時も早く敵を討ちたいが為に、我子を殺し投げつける。その時、幸兵衛は、子を殺す政右衛門の目に一滴の涙をみて、全てを悟るのである。

幸兵衛は、股五郎に会わせる。股五郎は志津馬であった。我子に駆け寄るお谷。志津馬が股五郎でないと知り、尼となるお袖。二人の女の悲しみを超えて、幸兵衛は、眼八を殺し、庄屋で股五郎を中仙道へ逃がしたから自分の役目外であるからすぐ追いかけろと伝える。政右衛門は「先生」と言いつつ、幸兵衛の刀の血を懐紙でふき取り見つめ合う。その二人の緊迫した決まりが、これで成就したと思わせる良さである。凄い悲劇があるのに、やったーと思わせる歌舞伎の不思議さよ。

伊賀上野での仇討の場面は、隼人さん、種太郎さんを加えた若い役者さん達にお任せである。

「藤川の関」「岡崎」の前に「沼津」がある。「沼津」は、志津馬の相手の元傾城のお米の家族の話しとなっているわけである。志津馬の為に薬を盗もうとし、その相手が兄で、父は命を賭けて娘のために、志津馬の敵の股五郎の行き先を息子に尋ねるのである。「岡崎」を観ることによって、「沼津」の面白さも増してくる。

歌舞伎は、新しさと古典の復活との両輪であることが、必須条件のように思う。

お谷の雪の場面は、『奥州安達原』の場面とも重なるが、あの時のお君が、今の歌昇さんだったのである。良い体験をされている。今回米吉さんが、竹本に乘る場面もあったが、やはり、踊りをしっかり勉強され、動きを身体に覚え込ませることが大切と感じた。舞踊のようにということではありません。美しい形の一瞬が踊りの中にあると思うからです。

芝居の中で旅人が、「伊勢は七たび、熊野三たび」と会話していたのを捕らえて嬉しくなった。