歌舞伎座 11月 『すし屋』

『義経千本桜』の中の『すし屋』の段である。平維盛が高野山にいると聞いて、その妻・若葉内侍(わかばのないし)と六代君親子は、吉野を通て高野山へ向かうところでの、吉野下市村での話である。

現在の 下市町のマスコットキャラクターが<いがみの権太>にちなんだ<ごんたくん>である。 熊野三山、吉野、高野山の三大霊場は世界遺産になっている。今週のどこかで、友人は熊野の小辺路を歩いているはずである。奈良の旅を計画していた時、奈良から熊野への、日本一長い路線バスを見つけ、これで、小辺路を歩く足掛かりができたと喜んでいた。今回はその旅はパスさせてもらう。帰ってきてからの報告が楽しみである。

吉野とか高野山とかが使われるのは、霊場の意味も含んでいるのであろうか。武蔵坊弁慶は熊野で生まれたという説もあるようだ。近頃舞台を見ていても、山道が浮かんでくる。江戸の人々は暗い舞台を自然の木々の中として、今よりもっとリアルな気分でお芝居に見入っていたかもしれない。そして、今のように無数にある道とは違って、ここと言えば、ほとんどの人の頭の中では、こことして同じ認識を持てたのである。舞台のすし屋の左手の風景の絵が、奈良の田舎の感じで、よく解っているな、と楽しかった。

その小さな吉野の村に大きな事件が勃発するわけである。平維盛親子の出現である。その凄い方のために、いがみの権太は命を張り、自分の妻子を身代わりに差し出すのである。そして、誤解されて父の弥左衛門に殺される。暗い。重い。と思っていたが、時蔵さんの維盛は安心して見ていれる動きで、維盛を慕うすし屋の娘・お里の梅枝さんが初々しくそれでいて娘のほのかな色気がありなかなかよい。そこへ、父には勘当されているが、母親の右之助が甘くなるのも仕方がない思える、どこか憎めない、いがみの権太の菊五郎さんが登場である。

悪人が改心して、忠臣に目覚めたというのではなく、そんなこと考えてもいなかった親泣かせの子が、ひょんなことからそういう事に巻き込まれてしまった。その感じが面白かった。弥左衛門もお里も納得づくでの自分の行動である。ところが、こうすれば、まあ親父も喜ぶだろうとの気持ちが、権太の妻子は、これで夫の舅への孝行となると後押ししてくれる。その気持ちを受けて仕組んだことが、梶原にはお見通しだったのである。幸四郎さんの梶原は、「親の命より褒美を」という権太を面白いやつとして笑い、だまされているのにゆとりがあり、褒美の陣羽織の内に隠された、維盛を出家させよの歌の暗示で、そうか解っていたのかと納得させられる。

「褒美」の言葉に怒り心頭の弥左衛門の左團次さんは、権太を刺す。そして、真実を知り嘆き悲しみ、そうかそうか、そうであったかと親の情があふれる。

どこかで、親のためにと思っていた権太の気持ちがすし屋のすし桶を隠し場所にしたことが、悲劇の序章である。その時の軽い世話の形の権太からは想像のできない結末となる。このあたりの庶民の雰囲気が、がらっとかわるところが、菊五郎さんの権太であった。

今度、柿の葉寿司を食べるときは、よく味わって食べることとする。

いがみの権太の着付けは黒の<弁慶格子>である。そして、弁慶の着付けは、弁慶格子でなく、<翁格子>である。弁慶が着ているのを<弁慶格子>と思っていました。どこかで間違って書いていたならご勘弁を願います。

歌舞伎座 11月 『勧進帳』『寿式三番叟』

歌舞伎座11月は 「吉例顔見世大歌舞伎」 初世松本白鸚三十三回忌追善 である。やはり、染五郎さんの初役・弁慶の『勧進帳』からであろうと思うのであるが、気の利いたことが書けそうにない。一口で云えば、負けず嫌いの弁慶であった。聞きなれた長唄を耳にしつつ、富樫の出。そして、花道での弁慶の第一声は。声も大丈夫である。姿も良い。

富樫に訊ねられ、東大寺勧進のためと言われたとき、こちらが、奈良の見て来た東大寺が崩れた。そうなのである。あの東大寺も焼失するような戦があり、その戦で活躍した義経が兄に追われているのである。

弁慶はその義経を富樫から守るのである。富樫が幸四郎さん、義経が吉右衛門さんである。お二人ともその役に妥協はされないから、染五郎さんは、弁慶を演じつつ、富樫の幸四郎さんと義経の吉右衛門さんとも相い対いすることとなる。観ていてもお二人は大きな役者さんである。染五郎さんは弁慶に成りきり、富樫にぶつかり、義経を守る。身体は形を作り、想いは負けるものかと気迫を感じる。

義経、四天王(錦吾、友右衛門、高麗蔵、宗之助)達を先に送り、ラスト花道で、幕の内の富樫に頭を下げ、それからゆっくりと天(客)に向かって頭を下げるが、染五郎さんはその動作があるかないかわからぬ速さで、前方を見つめ飛び六法で進んでいく。その日だけだったのであろうか。まだまだ気は抜かない、抜けませんと言われているようであった。まだ、染五郎さんの弁慶とはなっていないと思う。まだ朝日のまぶしさを感じただけの出発とおもう。

金太郎さん、間を外さずしっかり太刀持ちを務めていた。この舞台の空気、糧となり活かされる時がくるのであろう。

十一月歌舞伎座は、『寿式三番叟』から始まる。翁(我當)と千歳(亀寿、歌昇、米吉)が天下泰平、国土安泰、を祈ると、三番叟(染五郎、松緑)が五穀豊穣を祈って舞う。染五郎さんは、軽く操り三番叟の雰囲気も出され、楽しそうに解放されたように踊られる。松緑さんは静かに神に祈る者として踊る。この違いが面白かった。松緑さんは思いの外押さえられていて、あえて、競い合う二人三番叟にはしなかった。経験者として夜の部の染五郎さんの弁慶のことを思われているように感じたのは、うがった詮索であろうか。我當さんを筆頭に、厳かな舞台であった。

踊りらしきものはこれだけで、今月の歌舞伎座は重厚な出し物が並ぶ。その中で、意外にも、菊五郎さんのいがみの権太が、憎めない権太となっていた。

 

国立劇場歌舞伎『通し狂言 伽羅先代萩』

『通し狂言 伽羅先代萩』は国立劇場である。仙台藩の伊逹騒動を題材としている歌舞伎であるが、有名なのは山本周五郎の『樅ノ木は残った』であるが、こちらは読んでおらず、伊達騒動となると歌舞伎の『先代萩』のほうしか頭にはないのである。

藩主の足利頼兼(あしかがよりかね)が放蕩にふけり隠居させられ、その子・鶴千代が跡取りとなるが、幼いゆえ伯父や執権仁木弾正がお家乗っ取りを計り、それをさせまいと乳人の政岡が孤軍奮闘し、政岡の子、千松が鶴千代の代わりに悪人側の献上の毒入りの菓子を食べ忠儀を尽くして亡くなる。最後は、鶴千代側の家臣の訴えが認められお家安泰となるのである。

一番の見せ場は、政岡と千松親子の忠儀の場、<足利家奥殿の場>である。足利家の悪人に加担している山名宗全の妻・栄御前が、鶴千代が食が進まないとのことで、菓子をもって訪ねてくる。いつ毒をもられるか判らないので、政岡は自分が作った食事以外は鶴千代の口には一切入れさせない。しかしせっかく持参してくれた菓子を辞退辞退することは出来ない。その時、言い聞かせられていた息子の千松が毒見係りとして菓子を食し苦しみだす。悪事をばれるのを恐れ、八汐は、不届き者として千松を殺すのである。

この場の政岡は藤十郎さんで、いつものしどころと違っていた。ことの急変に政岡はすぐ、鶴千代を打掛の中に入れ守るのであるが、鶴千代を他の部屋に写し、奥殿の柱で身体を支え我が子の最後を見届けるかたちをとられた。観ていてこれは、鶴千代を守りつつ見ているよりも政岡にとっては辛さが違うように思えた。この幼き主君を守るのだという気持ちの拠りどころが薄れ母としての気持ちが出てしまうのではないか。しかし、藤十郎さんはそんなこちらの気持ちを跳ね除けるほどの、耐え方をされ、それをじっと見ていた栄御前の東蔵さんが、今殺されたのが、実は政岡の自分の子千松ではなく鶴千代君で政岡は自分たちの仲間と思い込むのである。自分の子が殺されるのを目の前にして、あんなに耐えられないとの解釈で栄御前は政岡に連判状を渡してしまう。驚く政岡。

栄御前を送った花道での政岡の心の内の推し量れないほどの深さが凄かった。そしてことの成り行きからか、藤十郎さんは懐剣の袋をきちんと被せず紐を巻き、その後皆が去り、千松と二人きりになり母の気持ちとなって千松を褒め讃え、悲しみを現すときも、その懐剣袋の乱れと紐の乱れが、母親の気持ちを表し強い印象を残した。赤の袱紗を、息絶えた千松の首にかけてやるのを、今回初めて気がついた。八汐に抉られた傷口を隠したのであろう。今更ながら見落としていることが沢山ある。今思うに政岡の着物の赤が、派手な赤ではなく、不思議にもっと落ち着いた赤に捉えていたようで、やはり、藤十郎さんの芸のなせる力であろう。

善人と悪人が判り易かった。先ず出の頼兼の梅玉さんの伽羅の下駄の足さばきには恐れ入った。あの下駄が香りの良い伽羅なのだと思って見ていたら、その足さばきに見惚れたのである。足だけが動いているわけではない。身体の使い方が、足の下駄までをも美しく見せていると言うことである。騒動の原因となった藩主は、自分の美意識をきちんと持っていた人なのかもしれないと思わせられる頼兼であった。

善人のほうは、政岡の扇雀さん(竹の間の場)。冲の井の孝太郎さん。松島の亀鶴さん。相撲取りの松江さん。男之助と渡辺外記の彌十郎さん、細川勝元の梅玉さん(二役)。

悪人は、八汐の翫雀さん、大江鬼貫の亀蔵さん、黒沢官蔵の松之助さん、忍び者の橘太郎さん、山名宗全の市蔵さん、女医者の秀調さん、仁木弾正の橋之助さん。

竹の間の扇雀さんの政岡は一歩も譲らぬつよさがあり、孝太郎さんが気持ち良いくらい八汐をやり込めて政岡を助けてくれる。松島の亀鶴さんも静かに控えているが身体が大きく、翫雀さんの八汐は三対一で、企みが裏目裏目になるのでもう少しにくにくしさと貫禄で押して欲しい。翫雀さんの頑張りどころであるが、こちらの考えている八汐とは違う八汐を考えられているのかもしれない。翫雀さんは上方歌舞伎を意識されているようで、江戸と上方がまだよく分からない。松江さんは近頃、様々な役に挑戦されている。橋之助さんの仁木弾正は、花道すっぽんからの出と引っ込みまで、不敵なかすかな笑いに悪があっていい。

政岡の連判状を盗み、そこから大詰めの対決と刀傷の場は、適材適所で、女だけの場から、男だけの場へと上手く気分を変えてくれた。若手の国生さん、虎之助さん、新悟さん、梅丸さんも行儀よく勤められた。最近とみに、脇役の役者さん達の台詞が聞きやすく、芝居の内容を知るうえで重要なので助かる。幕開きから耳を澄まして聞いていると、これからの芝居登場人物の様子や、事の成り行きなどを語ってくれているのである。これからも宜しくお願いしたい。

『ダニール・トリフォノフ ピアノリサイタル』と『馬と歌舞伎』

『ダニール・トリフォノフ ピアノリサイタル』と『馬と歌舞伎』

二つの関連性は何もありません。プロのクラシックのピアノだけの音楽会は生まれて初めてと思う。学校教育での音楽の時間の音楽鑑賞は、今日こそ眠りに勝つぞと思ってもいつも睡魔には勝てなかった。ピアノだけとなるとなおさらである。それゆえ、感想など書くどころではないので、<と>ということで二つのことで字数を増やそうとの魂胆である。

苦手なピアノ・リサイタルになぜ行ったか。映画 『パガ二ー二 愛と狂気のヴァイオリ二スト』 『不滅の恋 べートーヴェン』 から 映画 『楽聖 ショパン』 『愛の調べ』 の映画へと音楽家の映画が続いたが、その時、ピア二ストでもあるフランツ・リストの技巧的なピアノ術に興味をもった。クラシックの場合、技巧的に走るのを嫌煙しているように思って居たのである。ダニール・トリフォノフさんという方がどんな方か全く知らないのであるが、チラシの演奏曲目の一つに注目した。 <F・リスト:超絶技巧練習曲集 S.139/R.2bより> 暗号みたいである。<リスト>と<超絶技巧練習曲> ここだけに注目である。ピアニストの指の動きを見たいがすでにそういう席は無し。

東京オペラシティコンサートホールである。驚いたのは、ピアノの音がおおげさに言うとぼあ~んと響くのである。CDなど聞いていると、ポンポンと切れるのにポンのあとに響きがあるのである。生演奏はやはり微妙な音域があるのであろう。

始まってすぐ、困ったことに、空調のため、喉が咳を要求する。両手で口を押さえ、口の中で舌を動かし唾液を分泌させ、何んとか難関を切り抜ける。静か過ぎてバックからハンカチも取り出せない。マスクを持参したほうがよさそうである。それからこういうところでは、靴音のしない靴がよい。何かで急に退出するとき歩けなくなってしまう。

演奏のほうは素晴らしかった。ピアノも体力勝負の格闘技に思えた。やはり技巧的であった。技巧的をわかって言っているのではない。指の動きが速い演奏も加わり、何かを表現しているのであろうと思うがその風景は観えない。しかし帰ってから、ピアニストのグレン・グールドの録画を見たくなって見たのであるから、相当の刺激を受けたことは確かである。自動ドアを開く位置には立ったようである。

『馬と歌舞伎』は日本橋三越でやっているイベントであるが、JRA60周年記念で、海老蔵さんがイベントの案内人ということで、歌舞伎の馬に関しても展示があったのである。競馬は興味がないので、歌舞伎の馬を見てきた。人が入り動かす馬である。競馬の馬も今日は走りたくないと思うこともあるであろう。歌舞伎の馬は競争はできないが、そういう時は戯人化して伝える能力がある。歌舞伎演目『寿三升景清ー関羽-』で海老蔵さんが乗られた白馬が展示してあり、なかなか立派である。馬の前の首のところから、前足担当の役者さんは舞台を見ることが出来ることがわかった。

下座音楽で使う<馬子唄鈴>も触ることができ、沢山鈴が付いていて軽やかな鈴の音を出す。竹でできた<馬のいななき笛>、街道や宿場を現す<駅路>と名のつく鳴りもの道具もあった。馬の足音を出すものも。『助六』が身につける印籠も展示されていて、黒地に真っ赤な牡丹で葉が金地である。助六さん、なかなかオシャレで派手な印籠を下げている。『勧進帳』の巻物は軸が水晶である。さすが、さすが、歌舞伎の小道具である。<超絶技巧>的である。

二つ、少しつながったようなのでこの辺で。

 

国立劇場10月 『双蝶々曲輪日記』(2)

『引窓』は、京都の八幡の里での話である。明るい下座音楽で始まる。この里の家は息子が嫁を連れて帰り倖せな時を過ごしている。嫁は元遊女の都でお早と名を改めている。「笑止」と廓言葉を使い、姑のお幸から注意されたりするが屈託がない。濡髪は大阪から逃れ、この母の嫁ぎ先の家でお早(都)とも再会する。与兵衛とお早が夫婦となったのを知り、「同じ人を殺しても運のよいのと悪いのと」とつぶやく。与兵衛も人を切っていたのである。与兵衛は幇間(たいこもち)佐渡七を殺していたが、グルになっていた若旦那の山﨑屋の番頭・権九郎は贋金師(にせがねし)で、相手が悪人であるゆえに罪にはならなかったのである。<新清水の場>で悪人たちのことは明らかにされているので、濡髪の言葉の意味がわかるし、お早が遊女だったこともわかる。

さらに与兵衛の亡くなった父は、庄屋代官で、与兵衛もその役を引き継ぐことになり名も父の十次兵衛を継ぐ。喜ぶ継母のお幸とお早。十次兵衛はさっそくお役目を仰せつかる。十次兵衛が同道した侍は、濡髪に殺された者の関係者で十次兵衛も共に濡髪を捕らえる立場となる。

それを知ったお幸とお早の驚き。喜びは束の間であった。二人の様子にいぶかる十次兵衛。お幸は十次兵衛に、自分の永代供養のために細々と貯めたお金で濡髪の人相書きを売ってくれと頼む。そこまでしてでも欲しい人相書き。十次兵衛は二階にいる濡髪が、継母が養子に出したという実の子と悟る。生さぬ仲の義理人情。次第に事の次第を理解していくの十次兵衛の様を染五郎さんは浮彫にする。夜になったら自分の役目で科人を捕まえなくてはならないと、逃げ道を教え立ち去る十次兵衛。

濡髪は、自分が十次兵衛に捕らえられなければ義理が立たないと思う。逃がしたいと思う母とお早。前髪も剃り落とし変装させるが、未来のある十次兵衛の人生を潰してしまうのかとの濡髪の言葉に考え直すお幸。自分は実の子を捨てても、継子に手柄をたてさせてやらねばならぬ立場であったと濡髪によくいったと言って、引窓の細縄で濡髪を縛る。この時のお幸は、幸せであったと思う。養子にだしていた我が子が、しっかり自分に意見するまでに成長していたのであるから。十次兵衛があらわれ、その縄を切ると引窓が開き、自分の役目は夜だけで夜が明ければ役目も終わったと濡髪を逃がしてやる。継子の自分に対する思いやり。お幸は、かけがえのない二人の息子を手にしながら別れなくてはならない悲しさ。この天井の明り取りの引窓の開け閉めで、夜と夜明けを解釈するところにこの作品の人の心がある。

母親の心を通して、それぞれの立場としての兄弟愛を描いているともいえる。深く思う人々の心の動きを、染五郎さん、東蔵さん、芝雀さん、幸四郎さんが情感をもって構成していった。

<新清水の場>は、桜が満開で華やかな場面となっている。与兵衛は、鳥笛売りで、傘に鳥笛を下げている。その傘で、清水の舞台から飛び降り、空中散歩である。角力場では、濡髪と放駒の衣装の対比もあり、目を楽しませてくれる。そして次第に家族の話しに移って行き、<引窓>でその奥深さを見せてくれるのである。歌舞伎はこのように華やかさと、心理描写を兼ね備えた作品もあり多種多様である。

出演 / 高麗蔵さん、松江さん、廣太郎さん、廣松さん、宗之助さん、錦吾さん、友右衛門さん 他

 

国立劇場10月 『双蝶々曲輪日記』(1)

『双蝶々曲輪日記(ふたわちょうちょうくらわにっき)』。歌舞伎の演題は、読むのも、漢字で書きなさいと言われても難しい。この『双蝶々曲輪日記』も、その中でよく上演される『引窓』と言えば通じるのである。

国立劇場の歌舞伎は<通し狂言>を基本にしているので、<新清水の場><堀江角力小屋の場><大宝寺町米屋の場><難波芝居裏殺しの場><八幡の里引窓の場>となっている。『角力場』『引窓』が単独での上演回数が多く、<新清水の場>は初めてと思う。双蝶々とは、濡髪(ぬれがみ)長五郎と放駒(はなれごま)長吉の二人の力士の<長>をかけて、<双蝶々>としているのである。力士が蝶とは、歌舞伎の発想は、実に蝶のようにヒラヒラと飛んでいる。であるから、わからない時は、また勝手に飛んでしまった、と思うことにしている。

芝居としては、最後の『引窓』へ引き込まれていく。通しなので、『引窓』での台詞一つ、一つに、そういうことかと納得させられるのである。

遊女・吾妻と、豪商の若旦那・与五郎とは深い仲。もう一組、遊女・都と与兵衛も深いなかである。双蝶々にはこの<与>も暗示しているのかもしれない。『引窓』では、<長>の濡髪と、<与>の与兵衛の話しとなるのである。

吾妻に横恋慕する侍・郷左衛門がいて、この侍が贔屓とするのが、放駒である。一方、濡髪は恩ある人の息子の与五郎のために働くので、相撲だけではなく、濡髪と放駒は敵対することになる。濡髪は関取で、放駒は素人で飛び入りのような形で関取と勝負して勝ってしまう。濡髪は、わざと放駒に負け、放駒を見方につけようとする。それが、『角力場』で、濡髪の関取としての大きさを幸四郎さんが見せ、放駒のやんちゃな若者ぶりを染五郎さんが見せ、その違いを楽しく堪能させてもらう。

放駒は米屋の倅でいながら力があるゆえ喧嘩に明け暮れ、姉が一人で店を切り盛りしているが弟に手を焼き、仕事仲間にうその芝居をしてもらい、弟を諭す。その場に濡髪もいて、姉の弟を思う心持ち、肉親の愛に感じ入り姉に加担する。放駒も納得し濡髪と義兄弟の契りを結ぶ。魁春さんが、親のいない姉のしっかりさを見せる。

与五郎と吾妻は駆け落ちするが、郷左衛門らに見つかってしまう。濡髪が駆けつけ二人を助けるが、ひょんなことから郷左衛門らを切ってしまう。遅れて駆けつけた放駒に後をまかせ逃走するのである。

濡髪は一目、八幡に住む母に逢いたいと訪ねる。母お幸は、長五郎を養子に出し、後妻としてこの地に嫁に来ていたのである。喜んで迎える母。力士などやめ、ここに一緒に住めと勧める母。実は、お幸は、与兵衛の継母であり、今は、与兵衛の嫁となっているお早(都)の姑なのである。芝雀さんの遊女と女房お早の違いの見せ所であり、東蔵さんの二人の息子への母の立場の見せ所である。

染五郎さんは、与五郎、与兵衛、放駒の三役で、それぞれの心根の違いをきちんと演じ分けられた。与五郎で若旦那のぼんぼんの柔らかさ。飴売りに身をやつしているが筋を通す与兵衛。濡髪と張り合う精一杯の外目の姿と、一歩も引かぬ男の意地を見せる放駒。さて、『引窓』はいかに演じられるか。

 

新橋演舞場十月 『金幣猿島郡』

『金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)』・大喜利所作事 双面道成寺(ふためんどうじょうじ)

鶴屋南北さんの、最後の作品だそうで、原作を読んでいないが、芝居を観た限りでは、若い人が喜びそうな作品で絶筆でありながら若さを感じる。恋の怨みは恐ろしい。恐ろしいのに可笑しい。嫉妬に燃え狂い、狂った二人を一体にして道成寺になぞらえてしまう。南北さんは最後まで、面白いものが出来ないか。あれとこれを組み合わせてと楽しんでいたように思われる。

舞台では、道具として鐘と蛇になることを現す帯が上手く使われていた。

恋の妄執の蛇になるのは、清姫の猿之助さんと忠文の猿之助さんである。そう、猿之助さんが二役をやっていて、その二人が一体になるのであるから判り易いといえば、解り易い。一体になっても半分は清姫で半分は忠文である。それは、宙乗りのとき、たっぷりと見せてもらえる。

清姫が嫉妬するのは、平将門の妹・七綾姫の米吉さん。平将門関連ではあるが、場所は関西の宇治である。清姫は、誰とも解らぬ男に一目惚れ。恋焦がれ泣きはらし、盲目になってしまう。その堂の如月尼・歌六さんは、清姫の母であり、七綾姫の乳母で、将門は朝敵であるから、七綾姫をかくまい、いざとなれば、娘の清姫の首を七綾姫の代わりとしようと考えている。清姫も眼が見えなくなりこの世に未練がないとして喜んで身替りとなると殊勝である。宿を頼みに来た男が、七綾姫の恋人の頼光・門之助さんで、頼光は源氏なので将門の隠し持っていた刀・村雨を手に入れなくてはならない。その刀は七綾姫が持っており、その村雨の力で、清姫は目が見えるようになる。すると、頼光が、清姫の想い人であった。如月院は七綾姫と頼光の間を取り持つ。

何んということであろうか。誰が、身代わりになどなろうか。なぜ私が身を引くの。そんなの許せない。恋焦がれて失明するくらいだから清姫は激しい気性である。

鐘であるが、三井寺の鐘のお堂を建立するための勧進で、悪徳坊主の寂莫・猿弥さんがその鐘を引っ張って勧進して回っているのである。上手い鐘の出し方である。この鐘に清姫が頭突きをして音を鳴らしたり、清姫と忠文の一体の怨霊から、七綾姫と頼光は隠れたりするのである。清姫が頼光にあった時、頼光は僧安珍と名乗っていた。下地は隆々である。

忠文は七綾姫に恋焦がれ、将門討伐の側でありながら、裏切者として身分も領地も剥奪されてしまい、残すは七綾姫への気持ちだけなのである。

登場人物も南北さんにしては少ないが、見せ場は幾つも作っている。如月尼はしっかり形通り忠儀に徹するから、それに逆らう清姫が、真剣であればあるほど可笑しみが湧いたり、衣裳を着かえつつ逃避行する七綾姫と頼光さんとの悪霊との絡みも激しく変化に富んでいる。

道成寺に絡んだ所作事もあり、田原藤太秀郷の錦之助さんが、荒事仕立てで豪快に出てきて怨霊を押し返す。かつて澤瀉屋の舞台に参加していた、歌六さんと錦之助さんが揃い、じーんときてしまった。もうそういうことはないのかなと思っていたので。

スーパー歌舞伎、スーパー歌舞伎Ⅱ、時代物、世話物等、オールマイティーな澤瀉屋を目指すことであろう。

 

新橋演舞場十月 『俊寛』

『俊寛』の主人公・俊寛僧都は、鹿ケ谷の自分の山荘で平家打倒を計画したとして鬼界が島に流される。「平家物語」でも最後の死まで何回も出てくる。

「平家物語」では、法勝寺の執行(しゅぎょう)俊寛僧都(しゅんかんそうず)、丹波少将成経(たんばのしょうしょうなりつね)、平判官康頼(へいはんがんやすより)の三人が、薩摩潟の鬼界が島にながされたとある。成経と康頼は赦免となるが、俊寛は許されず一人島に残される。絶望する俊寛。俊寛に幼い頃から可愛がられた童(わらべ)の有王(ありおう)が、主人が京にもどされないのではるばる鬼界が島まで渡り、変わり果てた俊寛と巡り合い、俊寛の最後を看取り、遺骨は高野山の奥ノ院に納め、法師となる。一人残された娘も十二歳で奈良で尼となる。

近松門左衛門さんは、全五段の『平家女護島(へいけにょうごがしま)』を書き、その二段目<鬼界が島の段>が『俊寛』として上演されつづけてきた。近松さん本のほうは、ご赦免船から瀬尾太郎が現れ、成経と康頼の名前だけの書いた赦免状を読む。俊寛の名前がない。嘆き悲しむ俊寛。そこへ、丹左衛門尉基康(たんざえもんのじょうもとやす)が、小松の内府・重盛公の憐憫によって、俊寛も備前まで赦免を許すと伝える。近松さんも伝えられる清盛の長男・重盛の人柄をここで使うのである。喜ぶ三人。ところが、成経は島の海女・千鳥と祝言を挙げたばかりで、千鳥も乗船させようとするが、三人と記してあるからと瀬尾が許さない。千鳥は悲しみ自害しようとする。俊寛は、妻が清盛はの言いなりにならず、首をはねられたことも知り、千鳥のこれから倖せを考え、自分に代わって乗船することを勧め、それを拒む瀬尾を殺してしまう。俊寛は再び罪人である。覚悟の上とは言え、三人の乗った船を追いかける俊寛。離れて行く船を高い崖から見送る俊寛。その先に見つめているのは何であろうか。

近松さんの時代の中で生きた俊寛という一人の人間を照らし出した芝居である。それだけに、どう作り上げていくか力量のいる役である。と同時の、芝居は全てそうであるが、役者さんの組み合わせも大事である。

俊寛(市川右近)、千鳥(笑也)、成経(笑三郎)、康頼(弘太郎)、瀬尾(猿弥)、基康(男女蔵)

このブログでは書いていないが、昨年の2013年6月の歌舞伎座『俊寛』の配役が次の通りである。

俊寛(吉右衛門)、千鳥(芝雀)、成経(梅玉)、康頼(歌六)、瀬尾(左團次)、基康(仁左衛門) この配役はもうないであろう。

比較しないで観ようと思っているのであるが、浮かんでしまう。俊寛の座り方から始まって、成経、康頼の歩き方、手の出し方など。千鳥の浄瑠璃に乘った動き方。瀬尾の清盛の権威をバックにした、ふてぶてしさ。基康の静かに見届ける凛とした姿。この方々は、『俊寛』に関しては、練りに練って演じられてきておられるので、比較されても頷いていただけると思う。

三人は都から、鬼の住むとも言われる鬼界が島に流されてきている。植物など育たない島である。成経と康頼はそんな島でも熊野三社の神としてお詣りする場所を見つける。そこに詣でるため、俊寛ともしばらく逢っていなかったのである。三人でいても寂しさが胸を塞ぐ俊寛。二人に逢い喜ぶ俊寛。成経が海女の千鳥と結ばれ、仲間が四人となる。自分を父と思うと言う千鳥の可愛らしさ。塞いだ心も次第に開いていく。そんな時の赦免船。この日の俊寛は、人が長い時間をかけても整理のつかぬ経験をする。大きな力によっ翻弄されているようである。

俊寛の周囲の人間もまた、俊寛の翻弄される姿に手をかせない自分のもどかしさというものをどこかに抱えていなくてはならない。そのことによって俊寛の姿は照らし出されるのである。そのあたりの息が、今回は合っていないように思えた。自分の役に一生懸命で、ぷつぷつと芝居が切れてしまうのである。いつの日か、新しい世代のこれぞ澤瀉屋の『俊寛』を観せもらいたいと願う。

 

 

新橋演舞場十月 『獨道中五十三驛』

10月の新橋演舞場は四代目市川猿之助連続奮闘公演で、11月は明治座である。 『獨道中五十三驛(ひとりたびごじゅうさんつぎ)』は京三條大橋から、江戸日本橋まで、東海道をひた走りに走る芝居である。弥次郎兵衛の猿弥さんと喜多八の弘太郎さんが出てきては「腹減った、腹減った。」の台詞で、今回は台詞が簡単で楽だと言われていたが、私たちは開発された風景から、東海道をさがしつつの東海道中なので、このお二人が出てくると、実体験のこの道で間違いないと安心した気持ちと重なる。芝居の筋を模索しつつ、東海道を逆に歩くので、話に気を取られ道すじがおろそかになるので、この息のあったコンビが出現するとなぜかほっとするのである。

最初に、芝居茶屋の女将・春猿さんと鶴屋南北の錦之助さんが、役者猿之助さんを呼び出され、猿之助さんの挨拶がある。「裏方さん泣かせの舞台で」と言われたが、東海道をほんの少し歩いている者としては、舞台装置がとても気になり、そうであろうと頷く。「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)も成功し」で、佐々木蔵之介さんを思い浮かべる。前日、京都国立博物館での「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展での 音声ガイドナビゲーターが、佐々木蔵之介さんだったからである。展示場に入り「国宝 鳥獣戯画」を見るまでも並ぶので、その待ち時間に、音声ガイドの聞きたいところを何回も聞き直せて利用価値があった。それだけ、佐々木蔵之介さんのお声も沢山聴いたわけである。

山賊の頭の名前が<ハンチョウ>で、佐々木蔵之介ではないなどと、洒落や駄洒落が豊富である。「とっとといなしゃませ」(一條大蔵卿)「つづらしょったが 可笑しいか」(石川五右衛門)など、他の演目の台詞も飛び出す。

「役者は出し惜しみせず汗を流さねば」の猿之助さんの言葉に、念願の奈良の柳生街道を2日かけて、<剣豪の里コース>と<滝坂の道コース>を完歩し汗を流し満足している身としては、舞台は猿之助さんにまかせ、ひたすら楽しませてもらった。

悪家老役の男女蔵さんことおめちゃんも、大奮闘で、海中にて<鳥獣戯画>ならぬ<海獣戯画>の、ヒトデ、エビ、タコと大格闘を繰り広げて笑わせてくれた。

老女(猿之助)が実は猫の妖怪で、行燈の明かり用の油が魚の油と知り、行燈に首を突っ込みぺろぺろ舐め、その首から先の影が猫で、そこで、三代目猿之助さんで観ていたことを思い出した。その時はどこの宿だったか興味なかったが、岡崎である。ここの場面は印象に強い。泊った村の娘がこの猫の妖怪の術にかかり、自在に操られるのである。その娘役の動きが好演である。由留木(ゆるぎ)家の忠臣・由井民部之助の隼人さんは、お松(猿之助)とお袖の米吉さん姉妹に愛されるが、お袖とこの妖怪の寺に泊り、お袖は子供とともに殺されてしまう。この民部之助はその後、忠臣を返上して由井正雪と改名する。隼人さんの台詞を聞きつつ驚いた。

由留木家の忠臣には、門之助さんの半次郎と亀鶴さんの奴逸平がいて、このお二人は変わることなく忠臣で、悪家老らを与八郎(猿之助)と共に箱根の大滝の本水の舞台で討ち取るのである。まだ公演は続くのに若いとはいえ大丈夫であろうかと気にかかるほど、元気にお客さんに水浴びさせていた。お客さんの黄色い声がこだまする。

この与八郎はよその家のお姫様・重の井姫の笑也さんと恋仲となり、由留木家を追い出される。重の井姫は悪家老と由留木家の側室との間にできた子・馬之助(猿之助)にも思われているが、これがあほうで、跡取りとしてお家乗っ取りを計っている。馬之助は、半次郎に殺され、半次郎は聡明な弟・調之助(猿之助)にお家の宝を探すように命じられる。この調之助、馬之助と顔はそっくりだが、比較にならない男前。

与之助と重の井姫は駆け落ちして、小栗判官と照手姫状態。与八郎は、悪家老の息子・水右衛門の右近さんに命令された江戸兵衛(猿之助)に鉄砲で足を撃たれてしまう。そして眼病も患うが、重の井姫が最後の力をしぼって滝壺に入水、足も眼も自由になり、目出度く悪家老らを討つのである。お宝は小田原の道具屋にあるということである。ここまでで猿之助さんは七役である。途中猫の妖怪となって宙を飛んで行く。

小田原からは、浄瑠璃お半長吉が主人公で『写書東驛路(うつしがきあずまのうまやじ)』となり、今度は猿之助さん、一人で十一役勤められる。印象的なのは、土手の道哲の踊りである。足の運び、手、腕の動かし方、拍子をとりながら浮かれて見せてもらった。お絹 、お六もすっきりとして見栄え充分である。そして、小田原からは場面、場面の名が見知った場所なので楽しさ倍増である。戸塚から保土ヶ谷は歩いて日も浅いので可笑しい。現在ではこの間に東戸塚という駅が出来、物凄い開発で、旧東海道を見失って国道をしばし歩いてしまったのである。5人で歩きながら、一役にもならなかったわけである。

江戸日本橋で、お家の宝も手に入り、猿之助さん、右近さん、門之助さん、亀鶴さんが揃い、「今夜はこれにて」。

笑三郎さん、寿猿さん、竹三郎さんら皆さん好演であった。そして照明も効果抜群。裏方さん達の頑張りも伝わる。

柳生街道の雰囲気を東海道にあてはめ、江戸時代の人がその<ヒナ>を芝居で観る時の楽しさに置き換えて想像した。そしてどこかから、今芝居に、東海道が舞台になっているというでわないか。ほう、どんなもんか一度観てみたいものだ。あそこのだれそれが観てきたという。では、話を聞きに行こう。などという声が聞こえる。

鶴屋南北さんも、何んとか京から江戸までを知らしめたいと思ったのであろう。ながーくなってしまったのは。今回は練りに練って4時間ほどの旅である。

 

 

歌舞伎座十月 『新版歌祭文』『鰯賣戀曳網』

『新版歌祭文』<野崎村>は、筋的にはわかりやすいが、時代性のなかでの若者たちのありかたを思うと、その個々の生き方の進み方を問う視点では、深いところに触れることとなり、難しい作品である。今はそこまで触れる時間がないので、いつかこの作品は考察することがあるかもしれない。

歌祭文とは、中世のころ、神に奉げる祝詞を山伏修験者が流布したものが、芸能化され、近世になって、その時に世の中でおこる大きな事件や心中などに節をつけ、門付けなどで歌われたものらしい。<野崎村>でも久作が、「お夏清十郎」のたとえを話すところがあり、「お夏清十郎」も歌祭文になったようである。「お染久松」も歌祭文などで評判となり、新版とはそれらの<新版>であるという意味と思われる。どうやら歌祭文と浄瑠璃、歌舞伎などの芸能は切っても切れない関係があるようである。

<野崎村>は、今でも大東市にある野崎観音(慈岩治眼寺)の地であり、観音まいりには、陸路と水路があり、この芝居のラストも、久松は籠で、お染は舟で大阪にもどるのである。江戸時代に歌舞伎を観たお客さんたちは、こうしたこともリアルタイムに感じていたわけで、現代人はそこに想像力と役者の技量と音楽、舞台装置などなどで味わうわけで、歌舞伎ははまると出口のない世界であるから、逃げ道は作っておかなければならない。私の場合は作らなくても入口と出口が隣りあっていて探す必要もないが。

というわけで言い訳をしておいて安心して。<野崎村>はお光という、村娘が主人公である。お光は久松の許嫁である。今日祝言を挙げようという時に、許嫁の久作の恋人お染が現れる。そんな、びびびびのびーである。お光には残酷なことに、久作とお染の愛の語らいを聞いてしまう。それも、お染は叶わなければ死ぬと剃刀を出す。お光は、そこまでの二人ならと、尼になるのである。

今日祝言だからと、自分で祝言のお祝いの料理の下ごしらえをしている。嬉しくて嬉しくて心には羽根がついている。七之助さんのお光はそんな感じである。いつもは、さらりの七之助さんもそうはいかない。大根を切りつつ手鏡を見たり、手鏡を包丁と間違えたり、そんな自分が可笑しくて一人微笑む。きちんと約束ごとは守りつつ、浮き浮きしている様を身体ごと表現する。

この可愛らしい田舎娘は、大阪のお店の娘と対決しなくてはならなくなる。先ず、お染を一目見てその雰囲気に気おくれする。その後、久松とともに父の久作の灸をすえたりするが、何とか自分の気持ちを立て直そうと一生懸命である。お光には、常に胸騒ぎが湧き出しているのであろう。

祝言の支度のため久作とお光が消えると、お染が入ってくる。お染は諦めないでのである。お染に対してなすすべのない久松。お染には許嫁があり、奉公人の久松にはお染をどうすることもできない。そこで、お染は死を決意するわけである。久作が加わりそれをさとすが、お染と久松は心中の覚悟である。それを知って出てきた白い綿帽子のお光、綿帽子を取ってみると髪を下していた。ここからが、お光の純真さの見せどころである。七之助さんの透明感が生きる。二人結ばれしっかり生きてほしい。

お染の母が迎えにきて、世間の目もあるからと、お染は母と舟で、久松は籠で去るのである。この部分が長い。いつも思う、お光はずーっと悲しみをこらえているのである。残酷。それは、お光が最後に、父にすがりつき泣き、久作が「もっともじゃ、もっともじゃ。」というが、その言葉を聞きつつ、違う意味で「ここまで悲しい時間を延ばさないで。もっともじゃ。もっともじゃ。」と思っている。それだけ、お光の気持ちに入っているわけで、七之助さんのお光に入れ込んでいたということである。

彌十郎さん(久作)、扇雀さん(久松)、歌女之丞久さん(久作の妻・おさよ)、秀太郎さん(お染の母)、児太郎さん(お染)らが好演である。お光が主人公であるゆえ、このお染は難しい役だと認識でき、児太郎さんも、もう少し時間がかかるであろう。

『鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)』は、三島由紀夫作で、お姫様がお城で鰯売りの売り声に恋焦がれ、お城から抜け出し、人買いにだまされ、京の遊女・蛍火となる。この鰯売り・猿源氏は蛍火に一目惚れして、大名になりすまし蛍火のもとへ。近辺の大名ではばれてしまうので、宇都宮弾正となりすますのも手がこんでいる。猿源氏は、蛍火の膝上で寝てしまい、寝言に「いわしこうえ~い」と鰯売りの売り声を発してしまい、猿源氏が蛍火の恋焦がれていた鰯売りとわかりハッピーエンドである。あきれてしまうほどの成り行きである。お光は、お染は、久松はどうなるのと云いたくなる展開である。そこが、三島さんの手なのだそうで、そういうしがらみ、時代性らを取り除いて、自分の思い通りに進んで上手くいってしまったよという明るさと喜劇性ということらしい。初演は六世歌右衛門さんと十七世勘三郎さんであるが、どう演じたか資料が少ない中で、十八世勘三郎さんと玉三郎さんが引き継がれた。十八世勘三郎さんの演出で、勘九郎さんは動かれているといった感じであった。父そのままを受け継いでいた。玉三郎さんは勘三郎さんの動きには呼応せず、高貴な身分を崩さない。そのままを七之助さんは受け継いだ。

可笑しいのは、蛍火は<伊勢の国の阿漕(あこ)ケ浦の猿源氏が鰯買うえ~い>の売り声に恋焦がれたのである。お姫様だから、恋焦がれたというより、あれは何なのであろうかという自分の世界にない音に曳きつけられたのかもしれない。歌舞伎の中のお姫様は、時々、とんでもない大胆な飛び方をするので、その面白さをも加えているのであろう。猿源氏が、遊女たちに乞われて、魚になぞらえた「軍物語」は必見である。

十八世勘三郎さんの動きそのものを継承した勘九郎さんの芝居で追善も華やかに結ばれる。