演劇録画鑑賞『雨』

  • 猿之助さんが亀治郎時代に井上ひさしさんの芝居『』に出演していた。実際には観ていないがテレビの録画があった。一度挑戦したが10分ほどでやめてしまった。猿之助さんは今月は法界坊という汚いなりの役であるが、こうした役は『』以来だという。そうなのである。汚いなりで亀治郎さんは聞き役であまりしゃべらないのでそれで止めてしまったのである。ここから膨大なセリフとなる。江戸から<金物拾いの徳>は、山形に行く。その土地の方言を寝る時間を割いて練習し、違う人物の特性を知り身に着けるために必死となる。その努力は死への道であった。

 

  • 予定外に早く予想しなかった死がやってくるのであるが、或る面では人の生きるということもそういうことであるようにもみえる。ただ怖いのは徳だけ知らないで周りは皆、徳の死のために動いていたのである。自分たちが生きるために。集団の同調する怖さでもあり、そしてそうしてしか生きていけない悲しさでもある。観客はラストになるまでそのことはわからない。その隠蔽さは観客にも見抜けないのである。それがまた怖い。言ってみれば観客もその一員になっているということである。

 

  • 金物拾いの徳>は、自分は生まれながらの金物拾いでこれからもずーっと金物拾いであると思っている。両国橋下で徳は紅花問屋の主人・喜左衛門と人違いされる。徳は相手にしないが、その男は信じて疑わない。あなた(喜左衛門)が急に居なくなって、美しい女房のおたかさんもあなたの帰りを待っているという。<美しい女房>。これに徳はまず魅かれる。ちょっと行ってみようかとでかける。途中徳を悩ませるのは方言である。行く土地、行く土地で違い、語尾になにかをくっつければよいのかなと思えばそんな単純なことではなかったりする。

 

  • 羽前平畠藩に入り、やはり帰ろうとすると乳母が現れ喜左衛門さんだといって大喜びである。乳母が疑わないのならと徳は天狗にさらわれて言葉も頭のなかも奪われてしまったことにする。女房・おたかも喜び、周囲もやんやと騒いで寝屋へと送り出される。ここで人違いとばれるであろうと徳はひやひやするがなんとか通過することができる。最初徳はなり澄まして金目の物を持って逃げようとするが、いやいや待て、おたかのいるこの生活を続けたいとおもいはじめる。疑っているものは多い。そのための努力は惜しまない。このあたりは健気な徳である。

 

  • しかし、正面から邪魔立てする人間があらわれる。徳はその人間を消していく。喜左衛門には深い仲の芸者がいて、徳が喜左衛門でないことを見抜くのである。そしておたかが違う人であると知っていながら自分をかばってくれたことを知る。そのおたかに徳はますます情愛を感じていく。ここも重要な罠の一つだったのである。徳と同じように観客にもその罠はわからない。(わたしだけで他の人はわかっていたかもしれない)紅花の造り方の極意も知り、徳を喜左衛門その人であるとおもう人がほとんどとなる。

 

  • 徳に知らされていなかったことがあった。徳が喜左衛門と会ったとき「俺は殺されない」というようなことを言っていたので、あれ!と思った。徳は気がつかない。それは喜左衛門が切腹することを定められた人なのだという事である。すべてはそこに集約されていたのである。それを知った徳は、自分は喜左衛門ではなく徳だという。ところがそれを証明してくれる人は、徳が自分ですでに消していたのである。

 

  • 喜左衛門(徳)が死んで、弟(喜左衛門)がおたかと結婚することになっていたのである。感想で猿之助(亀治郎)さんが、本物の喜左衛門が死んで徳が生きててもいいかもといわれたが、私もそう思った。徳は努力に努力をして言葉も喜左衛門の頭中も手にするのです。その一途さが愛すべき徳となっているのである。徳がなぜと思うようにこちらも、それはないでしょうとおもってしまった。すべておたかに対する徳の気持ちから端を発していて、おたかの情愛と信じていた徳である。ところがおたかはもっと広い人間関係である藩や農民を集約した代弁者であり実行者だったのである。

 

  • 金物拾いの徳>は金物を見つけるとすかさず拾った。<喜左衛門の徳>は、<金物拾いの徳>の習性さえも捨ててしまっていた。拾わなかった五寸釘に刺されてしまう。たかは死んだ徳を抱きかかえ、あなたのことは一生忘れませんというのである。こちらは徳の気持ちになって、御冗談じゃない、死んでからまであなたに操られたくない思ってしまった。でも、徳はそれで満足するかもしれないなあ。自分では想像もしていなかった人間になれたのだから。能であれば、亡霊がでてきて語るのであるが。徳は<金物拾いの徳>が本物なのか<喜左衛門の徳>が本物なのか。ただ<喜左衛門の徳>は、周囲から上手く誘導されて作られた徳であることは確かである。

 

  • 徳の亀治郎さんは、やはり歌舞伎役者の亀治郎さんであった。もう歌舞伎役者に作られた身体表現なのである。歌舞伎役者がやるものは全て歌舞伎であるというゆえんがわかる。この芝居は江戸時代の話しなので特にそれが顕著であった。しかしそれは良い方に生かされ、世話物の上手さが出ていた。次から次へとためされる場面が続くが飽きさせないだけの巾があった。おたかの永作博美さんは明るくてこんな人がだましたりはしないとたかをくくって騙されてしまった。井上作品の唄とそれに乗った動きも、このにぎやかさにも騙されたことを後で知る。

 

  • 方言が一つの地域の約束ごとでそのことが結束を固めていることも改めて感じる。外から観るとそれは可笑しさも誘うが、中に入るものにとってはバイブルのようなものである。そういえば、徳が死ぬ場面の後ろの梁と柱は十字架のようにもみえた。よそ者を誘い出し中に入らせて犠牲としたのである。色にふけったばっかりには結構あちらこちらにあるわけである。この芝居が気になっていたので片づけられてよかった。徳の双面であった。井上ひさしさんはこの若き新しい舞台を観ておられないのである。残念。(2011年上演)

作・井上ひさし/演出・栗山民也/音楽・山田貴之/出演・市川亀治郎(現・猿之助)、永作博美、山本龍二、山西惇、たかお鷹、花王おさむ、梅沢昌代、etc

 

大衆演劇散見

  • 浅草木馬館から始まった大衆演劇散見は、10劇団は観劇したと思う。大阪は新世界にある朝日劇場がデビューである。『合邦辻閻魔堂』に参ったのでここから移動も面倒なので新世界の朝日劇場にした。劇団名は頭の中で混乱しており調べるのも手間なので記さないこととするのであしからず。座長さんが「数ある大阪の大衆演劇劇場の中でここを選んでくださりありがとうございます。」の挨拶。大阪は大衆演劇の激戦区らしい。災害の影響か、新世界も観光客の人数は減っているように思う。

 

  • 大衆演劇を観て思うには、股旅物は大衆演劇が継承してくれるであろうということである。もう大衆演劇しかないともいえる。まだその形を身体に残していてくれる役者さんが多く残っていてくれるからである。ただ大衆演劇の場合毎日、昼夜芝居の演目が代わることが多いので気に入った芝居にあたるかどうかはわからない。いつも飛び込みなので当って砕けろである。新たな劇団、できれば新たな劇場を目指しての散見である。大衆演劇の劇場を訪ねると名所仏閣とか美術館とはまた違った思わぬ風景と出会う。

 

  • 愛知一宮の妙興寺駅の近くの一宮芸能館SAZANもそうであった。駅から近いらしく駅の反対側には妙興寺がある。無人駅である。駅前には大きなスーパーだけ。まわりには何もない。本当に劇場があるのであろうか。あった。公演しているとのこと。では、妙興寺へ。これがなかなかのお寺さんで、正式には『妙興報恩禅寺』と称し禅寺の修業の道場のためのお寺さんなのだそうであるが山門も大きい。拝観の釈迦三尊像の大日如来像のお顔がすっきりとしている。脇の普賢菩薩と文殊菩薩もいい。考えたら久方ぶりの仏像拝観である。お寺のかたのお話では確か3月から11月までの公開で寒い時期は閉まっているらしい。

 

  • お隣の一宮市博物館にはもっと古い時代の仏像がありますと教えていただいたが、博物館は工事のため閉館していた。残念である。駅近くまでもどろうとして線路を越えたら、和風の大きな建物がありお蕎麦屋さんかと思いきや珈琲専門店であった。周りは何もない。車や自転車が並んでいる。中は広いので、お客さんが良い具合にくつろいでいる。名古屋ならではのモーニングでシナモントーストをつけてもらう。おいしい。棟方志功さんの版画が何か所かにかかっている。野の草花が生けてある。お店の人によると、専門の人が生けにきて、このお花の写真を撮りに来る人もいるらしい。納得。『らんぷ』。チェーン店らしい。経験したことのない土地の様子である。

 

  • 芝居のほうは、これまた挨拶で「今日は午前中風が強かったようですが、私たちは大災害などにならない限りお客様が一人でも開演しますので安心して足をお運びください。」と。誰かさんに嫌味に聴こえそうであるが、その前のことである。これが芸人さんだとおもう。あのかたは、ご自分が大アーティストと思っておられるのであろう。それはさておき、こんな具合に、その土地の面白い風景に出会ってしまうのが醍醐味でもある。

 

  • 昨夜、NHKテレビ『探検バケモン』(再放送・10月31日午前4時02分~)で東京北区の十条銀座商店街と篠原演芸場が紹介されていたが、この十条銀座商店街に行った時、アニメの中の商店街が突然出現したような驚きであった。横浜には小さいがこんなところに商店街がと思う場所が三吉橋通商店街。商店街に入ると上に「歌丸さんありがとう」の横断幕があった。歌丸さんが亡くなられたとき、テレビでこの風景が映されていた。まさかその商店街に立つとは思わなかった。この場でそっと合掌させてもらった。ここに歌丸さんも愛した三吉演芸場がある。

 

  • 劇場の中は様々で、どんな場所であっても役者さんたちは、そこでどうしたらお客さんに楽しんでもらえるか工夫されている。設備の問題、照明の問題、音響の問題などこちらから観ていてもハラハラする時もあるが、それも大衆演劇のご愛嬌となる。家内工業的に、役者さんのおばちゃんが照明をされていたりもする。舞台が近いので、上手い、下手もよくわかる。三度笠一つとっても若いのに綺麗な扱い方をしていたり、やはり、立ち姿に年季が入っているなど一目でわかる。近いだけにそういう怖さもある。

 

  • 何が飛び出すか分からないのも大衆演劇の楽しさでもある。ゲストの役者さんが来ている日は、劇団の人数では出来ないような芝居をされたりするようでもある。名作と言われる芝居も、その芯はとらえつつ笑いを入れ、お客さんが飽きないように工夫し、そこが上手くいくとお見事とおもってしまう。笑いから芯に引き戻す力量がいる。ラストショーがメチャクチャ盛り上がったりする。それらと出会えるかどうかはなんとも保証のかぎりではない。こうだからこう楽しいとは限定できないのである。

 

  • 一回の観劇では、演目も踊りも変わるのでその劇団の特色がわかったことにはならない。大衆演劇が観たいという友人を連れていって、あの踊りがもう一度観たいのだがといわれたが、それがいつ出るのか保証の限りではないと伝える。一緒に行った人はほとんどが値段の安さに驚く。それと、終演後の役者さんによるお見送り(送り出し)。こちらが10劇団ほど観させてもらったのも、お値段と一か月は公演しているからである。もう一度観たいと思っているのは、同性のよしみでお名前をあげさせてもらうと、橘鈴丸座長である。最初女座長とは知らず少し線が細いなとおもったが、踊りの発想がおもしろく、なるほどと思う。女子高校生が好みそうである。大衆演劇はなんでもありでいいと思う。

 

  • 温泉につかってお芝居や舞踏ショーを楽しむなどとは、日本の庶民ならではの文化であろう。ずーっと働き続けて、時々息子さんがここに送って来てくれ、ゆっくりここで一日過ごすことができるのが楽しみであるという方のお話を耳にすることもある。遊びかたが多様化して大衆演劇も大変のようであるが庶民の楽しみの場は元気であってほしい。

 

  • 〔追記〕 思い通り、女座長・橘鈴丸さんを観にいく。武蔵野線の吉川駅から5分。場所がわかれば帰りはもっと近い。駅のこんな近くに温泉がある。よしかわ天然温泉ゆあみ。大衆演劇つき。温泉好きが、大衆演劇の力に負けて温泉にも入らずに退散とはこれいかに。芝居は母もので泣かせてくれる。長い台詞なのにくどいとは思わせない。怒りが情に変わる。舞踏ショーでは、がらりとかわってやさぐれた男(中性的)を現代バージョンでおどる。そう!鈴丸座長のこういう雰囲気見たかったのです。今後の予定で、怖いのをやりますと言ってました。つつつーと引っ張られた。怖いのいいと思う。いつかまたの機会にである。楽しかった。ファイト!

 

劇団民藝『時を接ぐ』

  • 時を接ぐ』は、映画の編集をしていた岸富美子さんが、「フイルムを接ぐ」ことと、大きな歴史の流れの中にいた一人として「時間を接ぐ」ということを重ねている作品である。岸富美子さん(98歳)が書かれた『満映とわたし』(共著・石井妙子)から脚本を書かれたのが黒川陽子さんである。黒川さんは、一昨年NHKで『中国映画を支えた日本人~“満映”映画人秘められた戦後』を見てもっと知りたいと思い『満映とわたし』に出会ったということである。(パンフレットより)

 

  • このドキュメンタリー見たかったです。満映に関しては、2013年11月新橋演舞場で『さらば八月の大地』を上演している。この舞台はフィクションであるが、『時を接ぐ』はノンフィクションである。岸富美子さんは15歳で映画の編集の仕事につく。映画界における職業婦人の誕生といったような華やかさではない。家族の生活を支えるために、兄が日活に勤めていた関係で日活から独立した第一映画社に編集助手として入社する。

 

  • 岸富美子さんを演じたのが日色ともゑさんである。入社した日から映画作りの激しい風に吹かれてウロウロする。岸さんが編集助手として参加した映画に『新しき土』(監督・アーノルド・ファンク、伊丹万作)がある。あの映画なのかと原節子さんが着物を着て山を登って行く映像がうかぶ。浅間山らしいのだがその場面があきるほど長いのである。ドイツとの合作映画である。新しき土というのは、満州をさしていて、若い二人(小杉勇、原節子)は新しい土地を新天地として頑張ることを誓うのである。

 

  • 舞台には、アーノルド・ファンク監督が登場した。編集者に言わず勝手にフイルム編集をし、ドイツ人女性の編集者は音合わせなど大変なのだから一言いってくれと抗議して監督を納得させる。富美子は驚く。このドイツ女性は13歳から編集の仕事をしていると言い、富美子に新しいやり方を教えてくれる。相当過酷な労働時間であったろうし、監督たちとの上下関係などもたいへんであったとおもうが、富美子は仕事が好きであった。彼女は仕事と共に、満州に渡り結婚をし、家族をもつ。そこには、娘がお婆ちゃんから生まれたという母の支えもあった。

 

  • 兄も夫も満映のカメラマンであった。満映の理事長は甘粕正彦である。日本の国策映画というより中国人が楽しめる映画をつくれという。そしてそこを日本人は上手く捉えられないので中国人を多く映画人として採用するのである。やっとその人たちに技術などを教えたところで戦争は終わる。

 

  • ここから歴史は変わるのである。満映にいた日本人にとって大変なことであったが、後に満映で働いていた中国人の人々も文化大革命のとき、さらなる試練に立たされる人々もいた。岸さんは、個人として不用意にこの時代とそれ以後のことを長い間語らなかったのは、そういう災いがどこでだれに振りかかるかわからないということもあったであろう。そういう思いがけない人間同士のぶつかり合いを見て来た人であるから。

 

  • 満映の人々も日本に帰る人、中国共産党の要請もあり、映画技術を提供するために残る人などに別れ、富美子は、兄と母と家族で残ることにし、映画の仕事を続ける。ところが、人員削減があり兄がその中にはいる。富美子は自分も兄達について行くと主張。夫もそれを承諾してくれ、映画の仕事から離れることになる。

 

  • 富美子は日本に帰ってくる。今、富美子はせっかくここまできたのだから中国に協力して映画技術を残したいという想いに迷いはなかった。自分は周りの事がわかっていたであろうか。自分におごりはなかったであろうかとふと思ったりもする。

 

  • 中国が長い間日本人の映画技術や技術者のことを伏せて認めなかった。後にそれは公認されるが。そういうことだけではなく戦争という歴史のなかで個人ではどうすることもできない事がおこる。生きて行くために人は隣の人を名指しでおとしめることもある。富美子は思想はわからない。だが、映画を愛してその技術を伝えようとした人々のいたことは事実である。そのことは知ってほしいし伝えたいと思う。

 

  • 富美子はドイツ女性の編集者を思い出す。富美子が、フイルムをなめてから接ぐ方法を習っていたのでその通りにする。彼女はなめてはいけない、体に良くないのだといい、機械がそれをしてくれる新しい技術を教えてくれたのである。そうやって色々な人々の教えで仕事の辛さも楽しさにかえられたのである。それだけに、個人的な想いとして語っておきたいと広告のチラシの裏に書き始めたのである。

 

  • 満映にいた人々のなかで、中国に残られた人もいたらしいということは知っていたが、その後どういうことがあったのかはわからなかった。『時を接ぐ』で、概略を掴むことができた。そして、上に兄三人の末っ子の岸富美子さんという少女が、映画編集という仕事を全うしつつ生き抜いたことに感嘆する。日色ともゑさんの小柄な身体が嵐を受けながらもぽっきり折れないで進む姿が、富美子役にあっていた。

 

  • 作・黒川陽子/演出・丹野郁弓/出演・日色ともゑ、有安多佳子、河野しずか、細川ひさよ、石巻美香、森田咲子、仲野愛子、山本哲也、境賢一、横島亘、吉岡扶敏、天津民生、神敏将、塩田泰久、吉田正朗、岩田優志、仁宮賢、近藤一輝(新宿・紀伊國屋サザンシアター/~7日(日)まで)

 

 

  • 民藝の観劇の後、『NHK古典芸能鑑賞会』に行く予定であったが台風のため中止となってしまい残念である。途中で電車が午後8時で止まってしまうとの情報であったが、これが旅行中ならどうなるのであろうか。宿とかとれないとき、ここに避難していてもいいですよという場所があるのであろうか。まずどこに尋ねればいいのであろうか。そうなったら手当たり次第に尋ねるしかないか。

 

新橋演舞場『夏のおどり』

  • 災害日本を見せつけるような昨今である。西日本の大雨は多くの尊い命が失われてしまう事態となっている。(合掌) テレビの映像から、このあとあの土砂を取り除き生活する空間をどう確保されるのかと思っただけでどっと疲労感が襲う。友人の御主人の実家が四国なので電話したところ、今四国に家族で来ているとの事。ドキッ!しかし、災害の地域ではなかったようでホッとする。お義母さんの100歳のお祝いを兼ねて帰っていたという。災害のとき、よく実家にお孫さんなどが帰られて災害に会われてしまったとの悲報を聴いたりして、よりによって何でと悲憤を感じるが、人の事情など考えてはいないのが災害の恐ろしさである。友人には関東も地震頻発であるから体力を温存して無事に帰ってと伝える。これからのことを思うと、災害被災者関係の人々やボランテアなど、遠くからのそれを手助けするための働き方改革も考えて欲しいと願う。

 

  • 15分片づけをやっている。15分で終わるわけでは無いが、15分でいいのであるとおもうと気が楽でいつでも簡単に始める。途中で少しでも空間ができると嬉しくなって少しつづけてしまう。ここにこれがあったのかと確かめただけでまた戻すが、次の時、処分するかどうか仕分けの段階となったりする。とにかく頭と足下は確保と防災頭巾と安く購入したすぐ履ける短いブーツを寝ていて手の届くところに置いてある。冷凍庫には、7割は調理済み物をいれている。冷蔵庫も幸い場所的に大きなものは置けないので倒れても動いてもなんとかなりそうである。そんなことを考えつつの15分かたづけである。だからといって大きな変化はない。ただ、上にある重い物と下にある軽い物とは入れ替わったりした。そして、片づけてはいるとの自己満足感である。

 

  • さて新橋演舞場での、OSKの『夏のおどり』である。高世麻央さんのラストステージでもある。和と洋のレビューである。昨年初めて観て楽しかったのである。今回は、第一部和物に変化が乏しかった。踊りが同じような振りなのが優雅ではあるが残念である。舞台装置は去年より豪華である。昨年は手作り感に新鮮さがあった。これは、高世麻央さんのラストのステージとあって、麻央さんの代表的な作品を並べたからではないかと思う。楊貴妃などもあり、おそらく長く観つづけている観客にとっては、想い出のステージを一気に観て様々な想いに浸られたであろう。昨年とは違う特別のステージとしての趣旨は理解できる。

 

  • 第二部洋物のほうが個人的に面白かった。高世麻央さんの貴公子ぶりも際立っていた。ラインダンスの衣裳がカジュアルで、そうだよ、こんな雰囲気のラインダンスがあってもいいのだよと楽しかった。なんなら、太鼓の音で、法被を着たラインダンスだってありだよなとおもう。来年3月新橋演舞場での『春のおどり』公演が決まったことが報告される。4月は松竹座、7月は南座だそうで、高世麻央さんがここまでけん引されて、お土産を置いていかれるような感じである。OSKはさらに100周年を向けて突き進んでいくのであろう。記念というだけではなく、まだまだOSKの経験と新鮮さに向けて羽ばたける力がある。高世麻央さんご苦労さまでした。あなたの舞台でレビューの楽しさを感じさせてもらいました。肩の荷を下ろされOSKを客観的な眼で応援し後押しされますように願っております。

 

  • 新しいチラシがあった。藤山直美さんが舞台に帰ってこられる。来年7月新橋演舞場『笑う門には福来たる ~女興行師 吉本せい~』である。まだ場面場面の一部は記憶に残っている。早くも今年の10月にはシアタークリエで『おもろい女』である。さらに、さらに歌舞伎座9月に福助さんが復帰される。『金閣寺』の慶寿院尼で、児太郎さんが雪姫である。児太郎さん嬉しいと同時に緊張するであろうと推測するが、喜びのパーセンテージが大きいであろう。体調を考慮され無理をせずゆったりと復帰されてください。

 

無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』東京公演

  • 昨年(2017年)の10月から能登演劇堂でロングラン公演した無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』の東京公演である。(世田谷パブリックシアター・4月5日まで)能登演劇堂での雰囲気とは違った意味で二回目ということもあり、肝っ玉おっ母(仲代達矢)の台詞の的を射た皮肉の可笑しさや、悲しさ、怒りなどの矢が飛んでくる。
  • 能登演劇堂での空間では、戦争に呑みこまれている人々の右往左往する姿をも映しだされたが、世田谷パブリックシアターでは、戦争の中での、一人一人の人物像と一人一人の心の中で思っている言葉が台詞が身近に迫って来る。劇場の空間だけではなく、能登から始まって、東京に至るまで各地で公演してきて、役者さんもその役に一層密着したということでもある。
  • 特に、肝っ玉おっ母の二人の息子(進藤健太郎、川村進)が兵隊となったあと一緒に行動を共にする牧師(長森雅人)と料理人(赤羽秀之)の人物像に違和感がなくなり、仲代さんの演技と呼応する自然さが増す。肝っ玉おっ母の女に刺激を与えるあたりも軽くなり、肝っ玉おっ母のあしらいにも可笑しさが増す。そのことで、料理人に娘(山本雅子)を置いて二人だけで小さな食堂をやろうと言われて、心が動き、いやいや娘を捨てれるかというあたりも深くなった。
  • 肝っ玉おっ母は三人の子供の性格と考え方をよく分かっていて、三人のことを他の人に語るが、三人の子供たちは、肝っ玉おっ母の心配していた通りの道を見つけ、戦争と言う渦に巻き込まれて命を失ってしまう。ただひたすら家族を守るために戦争によって儲けて生活してきた肝っ玉おっ母にとっても、どうすることもできない力である。
  • 肝っ玉おっ母が町に行っている間に町が攻撃されることを知った娘は言葉を発することができないため太鼓をたたいてそれを知らせようとして撃ちころされてしまう。お前の母親は助けてやると兵隊に言われても娘はたたき続ける。それは、農婦が、町には姉の家族がいてこどもが4人いるのにと嘆くのを聞いたからである。娘の遺体をみて肝っ玉おっ母は、どうしてこの娘の前で子供の話しをしたのかと嘆く。肝っ玉おっ母は娘のことをよくわかっていたのである。
  • 肝っ玉おっ母からでる言葉は商売、商売である。守るべきは、商売道具の引き車である。車を売ったお金を賄賂にして小さい兄ちゃんの命を助けようとするが、値切ってしまい助けることができなかった。肝っ玉おっ母は「敗北の歌」を歌う。陽気に歌った肝っ玉おっ母もついに「敗北の歌」である。しかし肝っ玉おっ母は立ち上がる。元気なときには、兵士が上司のために働いたのに女にお金をやって自分には報奨金が少ないと怒ると、肝っ玉おっ母はいう。怒るなら長く怒りなよ。すぐ忘れるんじゃない。兵士は上司の座れの命令に、すぐ応じて座ってしまう。肝っ玉おっ母は、ほらすぐ従ってしまうと笑う。こちらも笑ってしまう。
  • やはりブレヒトさんなかなかである。芝居の中に、現代にも通じる皮肉を忘れない。そういう台詞のひとつひとつの繋がりで、芝居が出来上がっていることをあらためて感じさせてくれる舞台となった。仲代達矢さんは能登とは変わらず、さらなる舞台人としての円熟と元気さを発揮されていた。嬉しいことである。

 

能登演劇堂公演の感想 → 能登の旅・能登演劇堂・無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』(1) | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

メモ帳 ー吾輩はメモ帳であるがまだ名前はないー

  • 国立劇場 『今様三番叟』雀右衛門さんの鼓のリズムに乗った動きか軽快で艶やか。『隅田春妓女容性(すだのはるげいしゃかたぎ)』 菊之助さんの女房役にやっと満足できてうれしい。娘役と女房役の境界線が成立。

 

  • 単色のリズム 韓国の抽象画』(東京オペラシティアートギャラリー) 画家の生き方など関係なく作品のみ目の前にある。紙に傷をつけたり、線を引いただけだったり。観てしまうとこれって出来そうと思わせるところがいい。できっこない。

 

  • 歌舞伎座12月 中車さんの台詞の上手さが生きた。『瞼の母』の渡世人・忠太郎の形も驚くほど。彦三郎さんのほどよさもあり半次郎の兄貴分になっていた。母役の玉三郎さんへ体当たり。関西弁『らくだ』が達者な愛之助さんとのコンビでいつもと一味違う。橘太郎さんの柱の蝉の素早さに不意打ち。

 

  • 土蜘』の松緑さんの僧の足使いが良い感じで面白く気に入った。今月の歌舞伎座は『ワンピース』の出演者が新橋演舞場から大移動で『蘭平物狂』の捕手などに活躍大奮闘。脇からの次世代の地固めが始まっている。

 

  • 民藝『「仕事クラブ」の女優たち』(三越劇場) 小山内薫亡き後の築地小劇場とそれを取り巻く演劇状況。左翼劇場との合同公演を機に女優達が悩み、迷い、生活の糧を求める。新劇界の空白分部をよく調らべ、そこを芝居で埋めた、新劇による新劇史。奈良岡朋子さん演ずるなぞの女性。そばにいてくれると弱い心が救われる存在感。

 

  • シネマ歌舞伎『め組の喧嘩』 十八代目勘三郎さんの粋な火消鳶頭の辰五郎の動きをしっかりと見つめる。わらじを履くとき踵をとんとんと強く叩く。どうしてなのか知りたいところである。橋之助さんは芝翫となり、片岡亀蔵さんのらくだの足先までの上手さが、時間を交差させる。芝居後の勘三郎さんの映像が涙で一気にゆがむ。

 

  • 映画「忠臣蔵」は各映画会社が競って制作。これぞと役者さんをそろえる。大映映画『忠臣蔵』は長谷川一夫さんの内蔵助に歌舞伎役者、映画スター、新劇俳優の豪華さ。内蔵助の長女役の長谷川稀世さんが新橋演舞場では貫禄の戸田局。大河ドラマ『赤穂浪士』の右衛門七の舟木一夫さんが内蔵助。堀田隼人の林与一さんが吉良上野介。時の流れの速さ。(映画『忠臣蔵』16日 BS朝日 13時~)

 

  • 新橋演舞場『舟木一夫公演 忠臣蔵・花の巻・雪の巻』 昼の部と夜の部の通し狂言。通しでありながら昼だけ夜だけにも気を使う構成の難題に挑戦。芝居だけを続けて観たいのでコンサートは失礼して泉岳寺へ。短慮な内匠頭の刃傷沙汰を承知で、自分たちで物語を作ってしまう舟木一夫さんの内蔵助。上杉家も家を守るため必死である。この役者陣なら3時間半くらいの芝居で一気に観たかった。

 

  • 朝倉彫塑館『猫百態ー朝倉彫塑館の猫たちー』へ猫大好きの友人と。新海誠監督の『言の葉の庭』の雨描写が好きというので急遽新宿御苑へ。東屋を探す。東屋4つあり全部見て歩く。池のそばなので正解は見つけやすい。藤棚が二つ。モデルはわかる。加えたり削ったり。入口は千駄ヶ谷門か?。印象的な坂道が。満足したニャン!

 

  • レンタルショップに映画『忌野清志郎 ナニワサリバンショー 〜感度サイコー!!!〜』があり、初めて忌野清志郎さんと対面。ライブも面白いが映像の構成もラジオからという設定で渋い。ナニワの風景も楽しい。めっちゃナニワのノリノリライブ。あれっ、獅童さんも。ナニワの砦が一つ消えたような。ファンでなくてもしんみり・・・

 

能登の旅・能登演劇堂・無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』(1)

一度は訪れて仲代達矢さんの舞台を観劇したいと思っていた能登演劇堂での『肝っ玉おっ母と子供たち』です。舞台の背後が開かれ、そこにある自然と舞台が創り出す空間はそれだけで感動です。映像ではとらえられない圧倒感であり、舞台は生きているとおもわせてくれます。

スタッフ(ボランティアの方かもしれません)の方に、舞台後ろは、演劇の無い時自由に見れるのですかと尋ねましたら、「見れますが舞台のような風景ではありません。舞台のために造りますので、その為に穴を掘ったりなど造形しているのです。」とのことで、主軸は変わらないのでしょうが、舞台に合うようにあの風景は造られているわけです。灯りの火が燃えていて戦場のその中を進む<肝っ玉おっ母と子供たち>の幌車です。

幌車は幌馬車ではありません。自分たちで引いて移動するのです。時代は「30年戦争」と言われる1618年から1648年なで断続的に続いたカトリックとプロテスタントのキリスト教を二分する戦いで、その戦いの移動とともに<肝っ玉おっ母と子供たち>は商売をしながらついていくのです。

肝っ玉おっ母は、父親の違う三人の子供を育て、真っ当な仕事と信じて兵士たちにお酒を飲ませたり、日用品などを売って生活しているのです。兵士たちは、お金を出して雇われた傭兵です。肝っ玉おっ母の大きいあんちゃんと小さいあんちゃんも肝っ玉おっ母は好きですが、もっとお金が貰えて楽しいことがあると言われると幌車を引くよりもそちらの生活に魅かれてしまいます。

二人の息子は、肝っ玉おっ母の兵になることは死ぬことだという言葉も耳に入りません。肝っ玉おっ母は、プロテスタントに勢いがあればプロテスタントの旗を、カトッリクに勢いがあるとカトリックの旗を掲げて商売をします。休戦になると肝っ玉おっ母は商売にならず、戦争があればこその商売なのです。

しかし、肝っ玉おっ母の生きかたに破たんが生じてきます。確かに肝っ玉おっ母の生き方はたくましく子供を想う愛で満ちていますが、そこにはウソも繕いも偽善もあり、それでも生きて行こうとする民衆の生き方など戦争はサァ―と風が吹けばだれかれ関係なく吹き飛ばしてしまうのです。

末娘は、言葉を発することが出来ず、自分の思っていることを伝えることが出来ません。それだけに、心の中で熟慮しているのかもしれません。しかし、彼女だって、美しい帽子や靴、恋にもあこがれを持っていて、肝っ玉おっ母に対しても全面的に信頼しているわけではありません。そして、彼女は自分の意思に添って行動します。

鉄砲の玉が頭上を飛び交う中、大きな戦争という風の吹く流れの中、どんな生き方をすればいいというのなどと考えている時間もなく、ただ食べ生きていくために生活の糧である幌車を引きながら肝っ玉おっ母は今日も商売相手の軍隊を追いかけるのです。

仲代達矢さんの肝っ玉おっ母は、時には陽気に、時には怒り、嘆き、悲しみつつ子供たちや、肝っ玉おっ母のもとに集まる人々と冗談を言い、お酒を飲み、商売をします。肝っ玉おっ母の生き方が真っ当とは言えないだけに、肝っ玉おっ母の仕事を手伝ってついてきたり、本音を言って自分の利益を推し量ったりする人も登場します。

戦争という風のなかで、真っ当な生き方などできるのでしょうか。人が殺し合う状況の中でこれが正しい生き方であるなどという道など見つけられない空気で覆われてしまうでしょう。

そもそも汚れつつ人は生きて行かなくてはならない宿命なのだとおもいます。迷いつつ、汚れつつ、絵でかいたような美しい生き方などないでしょう。ただ、平和であれば立ち止まって考える時間はあるでしょう。仲代達矢さんの肝っ玉おっ母は、長い戦争のなかでの、そんな矛盾だらけの一人の母の姿を見せてくれました。

語りと唄での場面設定の紹介も、肝っ玉おっ母と子供たちのこれからの場面、場面を静かに暗示してくれます。

美しく美しく生きようとしてもそれは、周囲がまき散らす美辞麗句の飾り物でしょう。その中には、あらゆる混沌が、不純物が含まれています。肝っ玉おっ母には美辞麗句も悔恨もありません。だからといって他にどんな生き方ができたのか。劇作家のブレヒトは、この舞台では一人一人に捜させるということを、観る者に提示するという、冷静さをもった作家だとおもいます。ですから、暗さのみを強調することもありません。

肝っ玉おっ母には、同情したり、そのたくましさに感嘆もしますが、待て待て、本当にそうかと思わされるのです。そのあたりが、単純ではないこの舞台です。

カーテンコールの時、仲代達矢さんの役者人生の道標を示され、無名塾の母であり演出家であった隆巴さんの写真に、無名塾の出演者全員で頭を下げられるのが印象的です。

能登演劇堂は、のと鉄道の能登中島駅から歩いて20分位のところにありますが、金沢駅、七尾駅、和倉温泉駅からの予約制のバスが出ていまして、旅の計画を立てやすくしてくれました。

次の日、奥能登の定期観光バスで、中島町を通りまして、仲代達矢さんと能登演劇堂の関係も紹介してくれました。帰りにも紹介してくれましたので、行ってきましたと申告しましたら、他にも私もというかたがおられ、さらに観光バスの運転手さんのお母さんがボランティアで出演したことがあるということでした。

今回も遠くを歩く傭兵たちは、ボランティアの方々です。

肝っ玉おっ母は、年齢を超えた膨大なセリフの量と動きの〔上演時間80分、休憩20分、上演時間80分〕の舞台です。それをも越えて演じられる役者・仲代逹矢さんというのは何んと表現すればいいのか言葉が出てきません。

 

 

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2017年11月12日まで。

作・ブレヒト/翻訳・丸本隆/演出・隆巴/舞台統括・仲代達矢、林清人/音楽・池辺晋一郎/出演・仲代達矢、小宮久美子、長森雅人、松崎謙二、赤羽秀之、中山研、山本雅子、本郷弦、鎌倉太郎、進藤健太郎、川村進、渡邊翔、井手麻渡、吉田道広、大塚航二朗、十代修介、高橋星音、田中佑果、高橋真悠、上水流大陸、島田仁、中山正太郎

 

2017年10月30日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

劇団民藝『33の変奏曲』

劇団民藝は知らなかった事、考えておかなくてはなどの事柄に灯をともしてくれつつ演劇を楽しませてくれますので、今回はどんな芝居であろうかと好奇心がわきます。

ベートーベンが、ディアベリの作ったワルツをもとに33の変奏曲を作ったという事実に基づき、どうしてなのだろうという疑問から展開していくお芝居です。西洋のクラシック音楽は苦手です。音の組み合わせから情景を想像したり情感を言葉に表すというのは至難の技です。

憎まれ口がまた出てきますが、野田秀樹さんの歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』のラストで音楽が流れて音が大きくなるにつれて涙が出てきまして、「野田さんこれはズルいですよ。」と思って高揚の気分の中にいました。音楽ってそういう効果があるのです。そういう怖さもあります。

演出家の丹野郁弓さんがパンフレットのなかで、自分の演出のときは音楽は最小限度しか使わないと書かれていて、丹野さんらしいなと思いました。ただ今回は生のピアノ演奏を使われ、音楽の力に「どっぷり甘えてみよう」との試みでした。

こちらは、音楽の力よりも台詞の力のほうが作用して丹野さんの試みに応えれなかったことが残念ですが、最初の<主題>のディアベリのワルツが、聴きやすい音楽でいいな!と思っていたら、めちゃくちゃけなされて、やはりこれは駄目だと小さくなってしまいました。ただこれは回復する結果となりますが。

ディアベリという人は作曲家なのですが、その作り出す力がないため楽譜出版もしているのです。自分の作ったワルツをもとに、五十人の音楽家に作曲してもらいそれを出版しようという企画です。ベートーベンはそれを33曲も作ってしまうのです。耳が聞こえなくなる状況の中で。ディアベリは一曲で充分だし、ベートーベンの秘書のシントラ―も身近で世話をしつつ、もっと大きな作品に力を注いでほしいと思っています。

この時代から飛んで現代、音楽学者キャサリンは、どうしてこの変哲もないディアベリのワルツからベートーベンが33もの変奏曲を書いたのかを研究しているのです。ただ彼女は難病に犯されていて肉体は変容していくのです。心配する娘のクララと恋人のマイクをよそにキャサリンは研究に心を躍らせています。観る側も推理劇のように謎解きを楽しみます。

ニューヨークに住むキャサリンは病の身で、ドイツのボンにあるベートーベンの資料のある資料館にいくのです。そこにはキャサリンの謎解きの資料が埋まっていて、資料館に勤める司書のゲルティはキャサリンのよき理解者として自分も一緒に謎解きに参加してキャサリンを支えるのです。

母娘関係が難しいながらもクララは、心配のあまりボンの母のそばにきます。それぞれの関係も変容していきます。

こちらは、台詞ではわかるのですが、音楽ではわからないというこまった症状です。猪野麻梨子さんの素敵なピアノも、それがベートーベンのどういう心の内を表しているのかというベートーベンとの一体化ができなかったということです。

ベートーベンとキャサリンは、生き方としても音楽のなかでも一体化できたのでしょう。変容する肉体と心の在り方において。それはわかりましたのでそれで満足することにします。これは、名を残した人も普通の人も、最後に向かう肉体と心の変容の過程時間をどう刻んでいくかの命題でもあります。

その一例を『33の変奏曲』は提示してくれたのです。そこで、浮かんだのが池田学さんの絵で、大きな宇宙や自然の驚異のなかでも、より良い変容をこつこつと営んでいる人々が無数に今存在しているということです。そう、こつこつ、こつこつと変容しつつ。どう変容するかを探りながら。

ベートーベンもキャサリンもそれを支える人々もコツコツコツコツと生をいとなんでいたのです。そこに何か心躍るものをみつけながら。

近頃、アマやプロの無料の音楽会で演奏を聴かせてもらっていまして、マンドリンの音がこんなにも優しくて繊細な音だったのかということを発見し、音楽に対して少し変容したかなと嬉しくなりました。

ベートーベンの音楽がもう少しわかっていれば、もっと躍動感があったのかもしれませんが、台詞だけでこれだけ感じれたのは役者さんたちの技の賜物です。ベートーベンの音楽をわかる方が観たらどう想われるのか知りたいところでもあります。

作・モイゼフ・カウフマン/訳・演出・丹野郁弓/出演・キャサリン(樫山文枝)、クララ(桜井明美)、マイク(大中輝洋)、ゲルティ(船坂博子)、シントラ―(みやざこ夏穂)、ディアベリ(小杉勇二)、ベートーベン(西川明)

紀伊國屋サザンシアターTAKASIMAYA(新宿南口)10月8日(日)まで

 

劇団民藝で上演した『野の花ものがたり』も人の最後の過ごし方の一つの選択肢を提示していました。鳥取市でホスピス「野の花診療所」を開かれている徳永進さんをモデルにしていまして、終末期の患者さんとどう寄り添っていけるのかということがテーマでした。

ひとりひとり違うわけで、ものすごく重いテーマですが、避けられない問題です。こういう方法もあるなと思わせてくれるのは、一つの灯りになりました。

作・ふたくちつよし(徳永進『野の花通信』より)/演出・中島裕一郎・出演・杉本孝次、大越弥生、加塩まり亜、藤巻るも、白石珠江、和田啓作、松田史朗、桜井明美、野田香保里、箕浦康子、安田正利、横島亘、新澤泉、みやざこ夏穂、飯野遠

 

 

『劇団若獅子』結成30周年記念公演

大正6年に澤田正二郎さんが創設した『新国劇』が70年で幕を締め、その芸を受け継がれた笠原章さんを中心とする『劇団若獅子』が30周年を迎えられました。合わせると100年ということで、「新国劇百年」として、澤田正二郎さんが最後の舞台となった新橋演舞場での「新国劇百年」の記念公演は、喜びの涙ですと、南條瑞江さんが最初に挨拶されていました。

南條瑞江さんのお着物の裾模様に二艘の和舟が描かれていて、『新国劇』と『劇団若獅子』の二艘合わせての百年であり、それぞれの舟が木の葉のように揺れたこともあったわけで、そんなことを思わされる御挨拶でした。

ここでも継ぐということの難しさがあるわけで、ただ猿之助さんが客演されて、その立振る舞いをみたとき、もしかすると、大衆演劇を目指した『新国劇』の芸が歌舞伎に変化して続く可能性もあると思わされました。猿之助さんは、舞台や映画で大衆を魅了した『男の花道』や『雪之丞変化』を演じられていて、『男の花道』は観ています。

今回新国劇の『月形半平太』を初めて観まして、それまでのと違うのだということがわかりました。愛之助さんも舞台化していましてわかりやすく楽しませてくれましたが、新国劇とは違っていました。

染八(猿之助)、梅松(瀬戸摩純)、歌菊(珠まゆら)の三人の女性に囲まれる月形半平太(笠原章)ですが。

新国劇では、染八は旦那である会津藩の奥平を月形半平太に殺され、月形を敵とねらいます。その短刀は染八の刀鍛冶である父親・一文字国重(伊吹吾郎)が鍛えた業物(わざもの)だったのです。今まで見たものには染八のこうした生い立ちなど出てきませんので、ただ月形を敵として果たせなかった芸妓としてしか印象になく、月形半平太と梅松との恋仲のほうが中心になりますが、染八を通しての時代の眼があったのです。

染八と梅松のさや当て、そして染八の刀鍛冶の娘として育った世間を観る眼が月形の男気に惚れるのです。猿之助さんの染八で、染八像が一変してしまいました。そして猿之助さんは歌舞伎になっていました。いつか、猿之助さんが新国劇の『月形半平太』をされる日があるような気がします。継ぐという意味ではそれもありと思います。

歌舞伎から大衆へ、大衆から歌舞伎へ。それは時代劇が危ぶまれている時代の拡散の方向性はどちらであってもいいと思います。(どさくさにまぎれて、猿之助さん『雪之丞変化』関東でもやってください。)

さて、三条橋下での月形である笠原さんと『劇団若獅子』の役者さんとの見事な立ち廻りとなります。『新国劇』は剣劇を目指したわけではないのですがそれで人気を博するわけです。そしてその剣劇もリアルさ求められ、時代遅れとされる殺陣師・市川段平のいきさつが映画『殺陣師段平』になっていて段平が月形龍之介さん、森繁久彌さん(『人生とんぼ返り』)、二代目中村鴈治郎さんとそれぞれの役者の見せ所をたっぷりと味わわせてくれる好きな映画です。

後先になりましたが、『国定忠治』は、舞台で初めて観たのは市村 正親さんの『国定忠治』で、脳梗塞で倒れて寝ているところに捕縛たちが取り囲み何もできない忠治をみてそうであったのかとその晩年を知ったのですが、ちょっとリアルで忠治のイメージが変わってしまいました。

赤城天神山での名台詞が生まれるのは、忠治一家は赤城天神山に立てこもっていますが、忠治の舅と身内の浅太郎(佐野圭亮)の舅の両方が忠治たちを捕らえる側であり、その義理をたてるための一家離散して山をおりるということになり、「赤城の山も今宵限りか。かわいい子分のてめえ達とも別れ別れになる旅立ちだ。」となるわけです。この情のやりとりも見せ所です。

赤城天神山の名場面から世話物の山形屋の場面では、豪快にお酒を美味しそうに飲みますが、忠治さんはお酒が好きだったんだなあと思わせられるそういう飲みっぷりでした。この場は、山形屋の伊吹吾郎さんと忠治の笠原章さんとのコミカルなやりとりを楽しめます。

『国定忠治』は新派の喜多村緑郎さんが月之助の時に、笠原さんの指導を受けて演じられていて、よい意味で拡散しているわけです。

『新国劇』にはまだまだ演じるものがありますから、さらなる道がつづいていくでしょう。淡島千景さんとの『蛍 お登勢と竜馬』もよかったですし、神野美伽さんの小春の『王将』もよかったです。猿之助さんは、亀治郎時代には、笠原さんの駒形茂兵衛でお蔦もやっているんですよね。

躍動的な演劇のなかで、じっくり聴かせる演劇は難しい時の流れでしょうが、継ぐということが拡散したとしても、どこかでまた吹き返す芽がでてくるような気がしますので、これからも猿之助さんの勘違いの30年で終わるんじゃないんですかという言葉を蹴散らして頑張ってください。

笠原さんも最後の挨拶で『ワンピース』の練習の忙しいなかと言われていましたが、猿之助さんが参加されて色々考えさせられ、意義ある参加となられたと思います。

 

劇団民藝『熊楠の家』

和歌山となれば、、南方熊楠(みなかたくまぐす)さんをはずせないでしょう。どうして南方熊楠の名前を知ったのかは記憶にありませんが、風変わりで、自分の好きなことを貫き、凄いことをした人がいたのだと驚愕し、その方が芝居でとりあげられるのを知り観劇したのですが、初演の22年(1995年)ぶりの再演ということですから22年前の初演に観た事になります。

小幡欣二さんが劇団民藝に書きおろされた9作品の最初の戯曲で、この面白い作品が22年も再演されなかったのかと不思議な気がします。今年は南方熊楠生誕150年ということです。

『熊楠の家』で初めて劇団民藝の演劇をみたことになります。舞台での南方熊楠さんも魅力的な空気をまき散らしてくれました。

南方熊楠さんは外国語が出来て、民俗学から生物学と文科系と理科系の両方の研究者で、東洋、西洋とはず文献を調べ、アメリカ、キューバ、イギリスを遊歴し、父の遺産を使い果たし帰国し、熊野の那智周辺で植物採取をはじめ、粘菌の研究に没頭していきます。海外での論文発表で、海外の専門家に知られていたかたでもあります。

南方熊楠さんを日本で有名にしたのは、昭和天皇が南紀行幸の際、南方熊楠さんに講義を依頼されたことで名前が知れ渡りました。『熊楠の家』でも、田辺で結婚してからの熊楠さんと家族、そしてそれを取り巻く人々の様子、昭和天皇に御進講までの半生を描いています。その御進講の際の粘菌の標本箱にキャラメルの空き箱を使ったという話は、熊楠さんの豪放さをあらわす話しとして残されています。それだけ貧乏でもあったわけですが。

初演の時の芝居の詳細は忘れていますが、熊楠は米倉斉加年さんで、南方家のお手伝いさんの老婆お品が北林谷栄さんで、お二人とも声と台詞術に特徴がありますから薄くなってはいますがチラチラと浮かびます。チラシが残っていまして演出は観世栄夫さんでした。

今回(2017年6月15日~は26日 紀伊國屋サザンシアター)は、演出が丹野郁弓さんで、熊楠が千葉茂則さん、お品が別府康子さんで、熊楠さんの写真からしますと千葉茂則さんのほうが熊楠に似ており豪快さが出ておられ、別府康子さんも個性的なお品となっており力強い土着性が出てました。

初演と再演に出られているのが、熊楠の娘・文枝のダブルキャストの中地美佐子さんが再演で熊楠の妻・松枝で、床屋の久米吉の横島亘さんが再演で熊楠の友人の眼科医・喜多幅武三郎でした。齋藤尊史さんが、男イだったのが熊楠の弟子・小畔四郎だったのには時の流れを感じました。

周りの人々を巻き込んでひたすら自分の道の研究に没頭する南方熊楠さん。周りには、石屋、洋服屋、生け花の師匠、床屋などが熊楠と交流していて、熊楠の専門の研究の話しがわかりやすい話へとかわる話術に魅せられていく様も熊楠の計り知れない魅力の一つです。

自然を守るために神社合祀令に反対しこますが、自分の粘菌の研究のためだけの反対だろうと反撃されたり、自分も父のようになろうと励む長男・熊弥は脳を患ってしまい、親としての苦悩も重なります。そんななか、熊弥と同じ若さの昭和天皇が植物の研究をされていて自分のような在野の粘菌の研究に興味を示され話しを聞きたいというのです。昭和天皇が自分の研究を知っておられたということだけでも心躍ることだったでしょう。

そのことを知った県政の人々が地域の利益のためにと右往左往し、熊楠の想いとの違いも感じとれました。

観ているこちら側も熊楠さんの研究はよくわかりませんが、とにかく豊な才能がある人がこれだと思ったときにとる行動の一途さ、そこから巻き起こる驚きと可笑しさを舞台という狭い場所で、磁場のように発揮された演劇作品になりました。

新劇にとっても時間の経った再演は、役者さんも違い、初演を越えられるか心配と思いますが、観ているほうも年を重ね、多少の経験から細かいところまで目がゆきましたが、それに答えてくれる舞台となり、作品として教えられ気がつかせてもらったところも沢山ありました。

それだけ、役者さんたちも頑張られ、新しい役者さんが育ってきているということなのでしょう。

作・小幡欣二/演出・丹野郁弓/出演・千葉茂則、中地美佐子、大中輝洋、八木橋里紗、別府康子、横島亘、安田正利、山本哲也、境賢一、齋藤尊史、平松敬綱、平野尚、齊藤恵太、梶野稔、天津民生、本廣真吾、大野裕生、望月香奈、吉田正朗、相良英作、大黒谷まい、保坂剛大

 

熊楠の息子の熊弥さんが一時藤白神社ちかくに家を借り看護人付きで暮らしていたという記述がありました。<藤白神社>それは、内田康夫さんの未完の小説『孤道』に出て来た神社です。内田康夫さんは病気療養のため休筆宣言をされ、未完の『孤道』を刊行され、完結作品を公募されました。納得できる完結作品を是非読みたいものです。