ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』から映画『近松物語』(1)

ドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』(2020年・ミッジ・コスティン監督)は、音響が映像に隠れていた位置を前面に押し出してくれて、映画の歴史をも教えてくれるドキュメンタリー映画でした。出てくる映画を観なおさなくてはと思わせてくれ、何といってもわかりやすいのです。無声映画からトーキーとなり音響の効果と工夫が、マニアックに収集していた人の起用により発展をとげるのです。

一時、ハリウッドは映画を量産し、効果音もスタジオが所有しているものを使いまわしで、拳銃の音も爆発音も同じ音という状態でした。会社は映像ありきで、音は何の力もないとしていたのです。

ところが、そのうち映画はテレビに変わり衰退します。そこから新たな世代の監督たちの音への重要性と工夫がはじまるのです。映像よりも音のほうが観客の感情を引き付けるとしたのです。

スターウォーズ』はシンセサイザーの電子音とおもっていました。ところが、一年間生の音を探し録音し新たな音を作り出していたのです。人間の声と動物の声を重ねたりと観ていて楽しくなってしまいます。

ヒッチコック映画の恐怖を呼び起こす効果音や音楽についてはほかの映像で観ていましたので理解はしていましたが、この世に存在しない登場者やロボットなどの言葉をどうするかなど、こう作られたのかとその手腕に感嘆します。

監督が音響デザイナーとして活躍された方なので、やはり説得力があります。

さてそこから近松映画へというのはどういうことかといいますと、興味深い文章からなのです。

溝口健二集成』(キネマ旬報等からの記事を集めたもの)中に 「「近松物語」の一音の論理」(秋山邦晴)の一文がありました。

日本に映画音楽に邦楽器が早くから使われていて、その前の無声映画時代にも、弁士とともに伴奏音楽として洋楽器とともに参加していたというのです。これは映画『カツベン!』(2019年・周防正行監督)を観れば洋画も時代劇も和洋楽器の合奏で弁士の語りを違和感なく耳にすることができます。

カツベン!』のラストにクレジットがでます。

「 かつて映画はサイレントの時代があった しかし日本には 真のサイレントの時代はなかった なぜなら「活動弁士」と呼ばれる人々がいたから 映画監督 稲垣浩 」

洋画のサイレントの字幕が外国語ですから、それを伝えるために活弁が始まったのかもしれません。そうなると上手、下手が生じ、映像の説明も朗々と伝える芸に代わっていったのでしょう。それが洋画」だけではなく邦画でも続いたのであろうとの個人的予想です。

ハリウッドでは、楽団が音楽を演奏し、台詞はスクリーンの裏でしゃべったようです。そのため効果音の演奏者も映画と共に旅をしたようです。

1877年にト―マス・エジソンが蓄音機を発明します。目的は映画で映像と音の同時再生だったようですが失敗してしまいます。エジソンの志は高かったのです。

1926年、ワーナー社が『ドン・ファン』で音声トラックとして機械で映写機に接続し、映像と音楽が合体するのです。

ハリウッドの話しではなく溝口健二監督の『近松物語』の一音の話しでした。

音の前に、佐藤忠男さんが『溝口健二の世界』で、『近松物語』を「西欧的なラブ・ロマンス」としていますのでその事を少し。

私は 市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(2) で、<『近松物語』は長谷川一夫さんに色気と貫禄があり過ぎて長谷川一夫さんは溝口作品向きではないとおもいました。>と書きました。

佐藤忠男さんは、溝口監督がヒロインたちに彼女たちにふさわしい美しい男性と素晴らしいラブシーンを展開する映画はあまりつくっていないとし、日本的な恋愛映画として『滝の白糸』『残菊物語』『お遊さま』をあげています。これは納得です。

そして「西欧的なラブ・ロマンスを彼が創造したのは、あるいは最晩年の1954年作品である「近松物語」だけであるかもしれない。」としているのです。

私が違和感をもったのは、それまでの溝口作品とは違って愛のためにと駆り立てられひたすら引き離されても会うために行動する激しさだったのです。それともうひとつは、おさんと茂兵衛が琵琶湖で死のうとする場面が美しいのです。ここで終わってほしいという願望でもありました。なぜなら、不義のため刑場に送られる馬上の二人をおさんは実際にみていて、あさましい、主人に殺された方がいいのにとまで言っているのです。

ところが溝口監督は、近松の道徳的解釈から、西鶴の好色さも加えて西洋的ラブ・ロマンスにしたと佐藤忠男さんはいうのです。近松の『大経師昔暦』と西鶴の『好色五人女』巻三をひもといて解説しているのです。ここは二つの作品を丁寧に比較しなかったので参考になりました。

死を覚悟したのでもう言葉にしてもいいだろうと茂兵衛は前からおさんをお慕い申し上げていましたと心の内を伝えるのです。ここで何もかもが変わります。おさんは死にたくないというのです。愛にめざめてしまったのです。

そして、佐藤忠男さんはここから「伝統的な二枚目を型どおりに演じている長谷川一夫が、後半、積極的に恋に生きる決意をしてから、恋人のために決然として運命と闘う西欧的ロマンスのヒーローになるのである。」とし、さらに溝口監督が「その晩年の円熟の絶頂期ともいえるこの作品において、はじめて、二枚目にヒーローとしての力強さを加えることができたのだった。」と活動弁士並みの力の入れようです。

そう捉えるのですか。

今度は、秋山邦晴さんの「「近松物語」の一音の論理」を参考にして再度見直してみることにします。

市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(3)

市川雷蔵さんの『炎上』の主人公・溝口役はスター性を全て消し去っています。こんなに消し去れるものかと驚かされます。どこかにスターとしての顔を出さないと不安になるようにおもうのですが、それを消しても恐れない何かがあります。

市川雷蔵さんが映画に出てから4年目で48本目の映画でした。

原作から考えるとよく映画化に踏み切ったと思います。最後の「生きる」を変えています。なるほどとおもいました。原作と離れて映画は映画として観た方がいいでしょう。

炎上』(1958年・市川崑監督)

溝口が国宝の驟閣寺(しゅうかくじ)を焼いた犯人として捕まり、取り調べ室からの始まりとなります。溝口は小刀で二か所自分を刺し薬で意識朦朧の中を捕まったのです。何も話しません。

溝口の父が亡くなり、その遺言を持って驟閣寺に来た日のことから回想されます。要所、要所でさらにさかのぼって回想されたりしますが、その展開が見事です。そのことがこの作品の流れと、溝口の上手く語れない心情の流れをも助けていて効果的に作用しています。

何といっても雷蔵さんの一つ一つの表情がいいです。驟閣寺に再会した時の表情。自分が吃音であることを寺の人々の前で副師に大きな声で言われ、その後で老師が優しい笑顔で励ましてくれた時の安堵感のわずかな微笑み。

副師は、自分の息子を徒弟にしてもらえない鬱屈した気持ちが溝口に向かったのです。

母が寺に来ます。溝口は母が嫌いでした。母が不貞を犯していた回想となり、父が黙って岬の岸壁に立ち海を見ながら語ります。今度、驟閣を見せに連れていこう。驟閣ほど美しいものはない。驟閣のことを考えただけで世の中の汚い事を忘れてしまう。

溝口は母から寺が人手に渡ったことを聴かされます。父の病からの借金のためです。もう溝口の帰る寺はないのだから一所懸命修業して驟閣の住職になってくれるのが母の夢だといいます。

ところが老師は次第に溝口の話しをゆっくり聞いてくれることがなく溝口を避けるようになります。そんなとき、新京極で女性と一緒の老師で出会うのです。二度も。

溝口は大学で足の不自由な戸苅に近づきます。戸苅は人の表と裏の顔を知っていてズバズバと物を言います。その言葉に反応する溝口の表情も繊細に反応します。戸苅は汚い世間に踏み込んで同じように汚れてながめ、暴くようなところがあります。戸苅は老師が一番嫌がることをするように溝口をけしかけます。

溝口は女性の写真を朝刊に挟み老師に届けます。その結果、溝口は老師にどんどん見放されていきます。溝口は小刀と睡眠薬を買い、故郷の父と立った岬から海を眺め、小刀と薬を握りしめます。

溝口はかつての父の寺をそっと眺めます。知らない住職が出て行き次に父の葬式の列がでてきます。この回想の運びが素晴らしい。溝口もその葬列に加わり、海辺で火葬となります。じっと炎をみつめる溝口。ここで驟閣を美しいまま永遠のものにすると決めたのかもしれません。

勝手に寺を出た溝口は寺に戻されます。

溝内は戸苅と議論します。戸苅は実家が禅宗のお寺でお金を持った住職がいかに俗物で偽善者であるかを語ります。戦争が終わり、老師は世間的手腕があり驟閣を発展させました。溝口はしかし驟閣は違うと言います。驟閣はもともと美しいままそこにあったのだ。金儲けの道具にはしない。驟閣は変わらない。驟閣を自分が変わらせないと言い切ります。

そこに後ろ向きで座っていた女性が、かつて徒弟仲間の鶴川と南禅寺の勾欄から天授庵でみた美しい女性であった。生きているものは変わる。

老師がくれた授業料で溝口は五番町に行き遊郭に上がります。まり子という女が相手しますが、話しただけで何もせず帰ってきます。

驟閣には父の修業時代の仲間の和尚が来ていました。どうやらこの和尚の方が老師よりまともな仏教徒のようですが、溝口の決心を変える力はありませんでした。

溝口は、京都駅から東京に刑事に付き添われ護送されます。駅構内では人々があれが驟閣を焼いた犯人で、母親は鉄道自殺したとささやきます。車中で溝口はトイレに行きたいと言いデッキから刑事を振り払って飛び降り自殺します。

溝口の生きる一番良い道は驟閣のそばで修業し驟閣の住職になる事だったのかもしれません。しかし、その驟閣がお金を生み出し老師さえも変えてしまった。驟閣を美しいまま残すにはどうしたらよいか。溝口の考えた焼くという結論がこういうことだったのでしょう。

美しいとお題目を唱えていたらとんでもなくお金まみれであったというのは今もかわらないことでもっと醜悪になっています(オリンピックなども)。それが日本でも戦争で生き残った人々が作り上げたきた世界でもあるというのも明白です。

出演・溝口(市川雷蔵)、老師(中村鴈治郎)、戸苅(仲代達矢)、溝口に父(浜村純)、溝口の母(北林谷栄)、天寿庵の女(新珠三千代)、副師(信欣三)、鶴川(舟木洋一)、五番町のまり子(中村玉緒)

登場人物がそれぞれ問題を抱えていて、その役どころを皆さん細かい点まで考えられて演じられていて、当時の状況をデフォルメしてくれます。原作で「生きる」としたのは三島由紀夫さんの当時の心象を表しているのでしょう。

市川雷蔵さんは、この後市川崑監督では『ぼんち』(1960年)、『破戒』(1962年)で主演し、『雪之丞変化』(1963年)で助演しており、三島由紀夫原作では『』(1964年・三隅研次監督)に主演しています。『』では雷蔵さんは魅力的な真摯な生き方をみせてくれます。

市川雷蔵さん、37歳という短い生涯においてその幅広いジャンルの映画に出演されていたのには驚かされます。

追記: ここ数週間で観た映画の原作や脚本に川口松太郎さんの名前が多いのにこれまた驚きました。『雨月物語』『近松物語』『編笠権八』『日蓮』『大江山酒天童子』。『大江山酒天童子』は、『茨木(いばらぎ)』『土蜘(つちぐも)』『勧進帳』の変化球の挿入もあり超娯楽時代劇の醍醐味で衣裳が豪華でした。『日蓮』もというのにはその活躍ぶりがうかがいしれます。

追記2: 心配し過ぎと笑われるほうが気が楽です。

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市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(2)

文芸評論家・中村光夫さんが「ときどきの世間の注目を曳いた事件から取材するのは、この作者にめずらしいことではなく」とし『親切な機械』『青の時代』『宴(うたげ)のあと』をあげています。さらに「評判の事件を小説か戯曲の仕組む伝統は、我国においてはジャーナリズムの発生とともに古く、近松や西鶴に多くの名作がかぞえられます。」としています。

さて今回は、描かれいる場所のほうに視点をかえます。

主人公が住んでいた日本海側から金閣に住むようになってからで舞鶴周辺と京都ということになります。時には三島由紀夫さんは実際に取材して歩いたであろうと思われる詳しい表現の場所もあります。そういう場面になると読み手も気を抜かせてもらい一息つくのです。

ただその場所の歴史的解説もあり、その場所を選んだ三島さんの計算もあるのだろうとおもうのですが、そこまではついていけませんのでただわかる程度に楽しませてもらいました。

溝口の生まれたのが、舞鶴市の成生岬です。そこから中学校がないため叔父の志楽村の家から中学校に通います。そこで有為子に出会います。有為子は舞鶴海軍病院の看護婦で、海軍の脱走兵と恋に落ち安岡の金剛院に隠します。憲兵に詰問され、隠れ場所を教え、金剛院にて脱走兵の銃弾に倒れます。

水色丸が成生岬で黄色丸が金剛院の位置です。

溝口は京都の金閣寺の徒弟となります。

心を許す同じ徒弟の鶴川と南禅寺にいきます。三門の勾欄(こうらん)から天授庵(てんじゅあん)が眼下に見え広い座敷が見えます。そこで戦地に向かう陸軍士官と長振袖の美しい女性との別れを目撃します。

 

溝口は大谷大学へ進学させてもらいます。

大学で出会った柏木が女性二人を連れて来て嵐山へ遊びに行きます。今まで知らずに見過ごした小督局(こごうのつぼね)の墓にも詣でます。

渡月橋そばの水色丸が小督塚です。今の小督塚は女優の浪花千栄子さんがあまりにも荒れていたので化野から石塔を運び設置したのだそうです。この近くに浪花さんが経営していた旅館があったようです。今はありません。美空ひばり館もすでにありません。

四人はもう一つの水色の丸で印した亀山公園に行きます。この公園の門からふりかえると保津川と嵐山が見え対岸には小滝が見えるとあります。

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溝口が金閣から逃れて旅に出る時寄ったのが船岡公園にある建勲神社(たけいさおじんじゃ)です。ここでおみくじを引くと「旅行ー凶。殊に西北がわるし」とあり、西北に向かいます。

京都駅から敦賀行に乗り、西舞鶴駅で降ります。そこから宮津線と直角に交わってから由良川にでて、その西岸を北上して河口にむかいます。そして海に向かいここで「金閣を焼かなければならない」という想念に達するのです。

途中、溝口は和江という部落で由緒の怪しい山椒太夫の邸跡のあるのを思い出します。立ち寄る気がないので通り過ぎてしまいます。

山椒大夫で、出ました!とおもいました。溝口健二監督の映画『西鶴一代女』『雨月物語』と観て『近松物語』を観ました。『近松物語』はその特報と予告で、三つの作品が三年連続ベニス映画祭で賞をとり、その勢いで期待される新作と凄い力の入れようです。受賞した三作品とは『西鶴一代女』『雨月物語』『山椒大夫』で、『山椒大夫』ももう一度観なくてはと思っていたところだったのです。

近松物語』は長谷川一夫さんに色気と貫禄があり過ぎて長谷川一夫さんは溝口作品向きではないとおもいました。

桃色丸が西舞鶴駅で、白丸が山椒太夫の邸跡です。

こんな感じで少し地図上の旅を楽しみました。舞鶴方面と京都の小督塚と亀山公園には行っていません。

現在の雪の金閣寺です。

金閣寺垣。

銀閣寺も。

追記: 水上勉原作の映画『五番町夕霧楼』(1963年・田坂具隆監督)を鑑賞。金閣寺炎上と関連していたのを知りました。水上勉さんならではの視点でした。

 

市川雷蔵・小説『金閣寺』・映画『炎上』(1)

市川雷蔵さんの演技に関しては以前か興味がありました。時代物も現代物も、着物も洋服も違和感なく見せてくれる俳優さんです。

今回も『好色一代男』『大阪物語』を観てその役どころの違いにもきちんと対応されていました。そこで、『炎上』が再度見たくなったのですが、やはり原作からぶつかろうと三島由紀夫さんの『金閣寺』から始めましたが、難解で疲れました。読み終わったらエネルギーを全て吸い取られたような疲労感で、それでいて明確な回答が浮かばない状態で天才にお付き合いするのも大変です。

読み進んでいて飛ばしたいのですがそれが出来ないのです。書かれていることは一つとして省くことは出来ず、よくもまあ無駄のない言葉で埋めてくれましたと思いました。

主人公の溝口は吃音のため、話題に何か意見や感想を言っても人はその言葉を待ってはくれず笑いとなり、自分の想いは正確に伝わることがないのです。自分と外界との間に常に溝があって上手く通じ合えないのです。その孤独感が、父から聞いていた金閣を自分の中で美しさとして温めています。

それは父が肺病という体でやはり外界と溝のある立場であり、そうした父の言葉に親しみと信用をもっていたのでしょう。父は舞鶴から東北にある成生岬(なりうみさき)にある小さな寺の住職でした。

実際に父に連れられて見た金閣は美しくなかったのです。ところが離れて見ると自分の中にまた金閣にあこがれがよみがえってきます。

主人公の周囲に登場する人物は皆それぞれの短編が出来ると思われるほど一筋縄ではいかない人物ばかりです。最初に異性として惹きつけられた有為子(ういこ)には「なにさ吃りのくせに」と言われますが、これは溝口に対する蔑視でありながら、「吃りぐらいなんなのさ。私はもっと皆から非難されることをやっているのよ。」ともとれる行動に出るのです。彼女は死と対峙している行為の中にいたのです。

日本海側の田舎で育った溝口は、あこがれの金閣寺のそばで暮らすことが出来るようになります。そして、心の中の金閣と現実の金閣は重なって美しい金閣となったいきます。しかしそこで出会う人々は金閣のように美しい人ではありません。ただ同じ徒弟の鶴川だけは、溝口とは反対に位置する明るさの象徴でした。しかし、事故で亡くなってしまいます。ところが後に鶴川は自殺であったことがわかります。それは鶴川とは相容れないと思っていた柏木から聞かされます。

柏木は自分の不自由な足への同情で女性の心を捉えてほくそ笑んでいる大学生でした。その柏木の相手の女性に、かつて鶴川と南禅寺から眺めた塔頭の部屋で見た美しい女性もいたのです。生身の美しいと思うものは全て壊されていきます。

金閣の老師もその一人でした。父とは共に修業時代を過ごし、父亡きあと父の遺言通り自分を受け入れてくれたのです。大学にも通わせてくれました。ところが老師は女遊びをしており、そのことを知った溝口は老師が自分と同じ位置にいる人間だという思から身近に寄り添いたいと願います。老師は自分の位置を下げることは無くむしろ自分の庇護を棒に振る哀れな奴と溝口の事をおもうのです。それでいながら表面をつくろうことは心得ているのです。

そうした人間関係の中で金閣だけは美しかったのです。ところが現実の金閣ではなく、美しい金閣は溝口の中にある金閣となっていきます。さらに自分の思い通りと思う金閣も現実世界で邪魔をするようになります。たとえば女性にたいする欲望の真っ最中に姿を現し邪魔をするのです。

大きな時代の流れの戦争中の金閣と溝口の関係は、一緒に空襲のなかで死ねると思っていた幸福な時代でした。敗戦となりそれが叶わなくなった時、新たな現実世界で金閣は人に翻弄される自分をささえるのではなく邪魔をするのです。適当に生きようとする自分の邪魔をするのです。

溝口は何もかもから逃げだします。故郷の舞鶴から由良の海を前にして、金閣を焼く決心をするのです。金閣を焼くことによってこの世の中のなにかが変わると思うのです。

金閣を焼く決心から行動への後押しは、老師の脳裏に自分をもう寺にはおいておけないという認識がうまれたことと、朝鮮動乱が勃発したことでした。

金閣を焼くと決心するや溝口は柏木に対して、金閣の美は自分にとって怨敵だと主張するのです。そして五番町へ女を買いに行きます。そこに有為子が生きているという空想にとらわれます。そしてまり子という女性を抱くのでした。金閣が邪魔をすることはありませんでした。

認識から行為へと着々と進んでいきます。うまい具合に火災報知器までが故障してくれるのです。さらに老師と父の友人である禅海和尚がきており、溝口は自分を和尚の前に投げ出します。溝口は和尚に理解されたと感じ、一層行為への力をもらうのです。

行動に移すとき見た金閣はどこをとっても美そのものでした。火をつけ金閣と共に死のうとしていた溝口は三階の部分が開かなかったため、左大文字山の頂にのぼります。金閣の燃える火の粉を見つつ、溝口は死ぬつもりで購入した小刀と睡眠薬を捨てて煙草を吸うのです。

そうして生きようと思うのです。

主人公は金閣を燃やすことによって何かが変わると考えたのです。実行することによって「私の内界と外界との間のこの錆びついた鍵がみごとにあくのだ。」と幸福感に浸ります。実行の結果、生きようと思うのです。

『金閣寺』という小説が、金閣という美を自分と一体化するために火をつけたと思っていました。ですから怨敵と思うなど考えてもみませんでしたし、最後に主人公が生きようとおもうなどとも思いませんでした。結果的に金閣は主人公が生きるために焼かれたわけです。そうではなく、焼いてみると生きようと思っている自分がそこにいたということでしょうか。

邪悪な世界。そこに長く存在している金閣寺。しかしその金閣寺にも何の力もなく、そう認識したとき焼かなくてはならないという行為にまで進まなければならなかった。そして、金閣寺とい後ろ盾も内的美もない虚無とともに主人公は生きると決めるのです。そういうことですかね。今はそう思うことにします。

井原西鶴作品からの拡散・西鶴・秋成・京伝・春水(2)

雨月物語』(円城塔・訳)。最初の物語「白峰」は主人公が逢坂の関を越えて東国の歌の名所を巡る旅に出たらしいのです。そして旅路の表現になります。

「尾張に入れば浜千鳥の足跡続く鳴海の浜を、先に進めば富士の山をと心惹(ひ)かれるものばかり、駿河の国の浮島が原、清見が関に杖をとどめる間にも、風にたなびき行方も知れぬ富士の煙を我が身に重ね、ようやく相模の国は大磯小磯の浦々をすぎた。」として、武蔵野、陸奥鹽竈(むつしおがま)、出羽の象潟と続くのです。この主人公は誰でしょう。西行です。なるほどです。引っ張り方がなかなかです。

先に読んだ時よりも物語の場所に実際に行った場所が増え身近な気分にさせてくれました。

映画『雨月物語』も見直さなければです。

通信総籬』(いとうせいこう・訳)。えん次郎がヤブ医者のしあんと喜之助を誘って吉原へ出かけその中の様子を描いているのです。その前に喜之助宅での様子も書かれています。喜之助の女房は「宣徳の火鉢の上に掛かっている広島薬罐(やかん)から」茶をついで出し、喜之助は半戸棚から豆の混ざった金平糖をだします。<宣徳の火鉢>とか<広島薬罐>などはどんなのかなと思いますがいとうせいこうさんはさらぬ注釈をつけていて、その注釈を読むだけでも興味ひかれます。<金平糖>など食べ物も豊富にでてきます。

さらに登場人物の着物や小物なども微細に表現されています。喜之助の女房は、更紗の風呂敷を前掛けがわりに帯にはさんでいます。オシャレですね。

山東京伝は浮世絵をならい挿絵も描いていましたので、ファッションなどにたいしても目がいくわけです。それは西鶴にもいえるのです。西鶴さん、挿絵も描いていたのです。

同時代人として、酒井抱一、葛飾北斎がいたのです。

春色梅誉美』(島本理恵・訳)。男女の色恋沙汰が描かれていて大ベストセラーになった作品です。元々は吉原の唐琴屋でのことでした。唐琴屋の養子だったはずの丹次郎は今では隠れ住む身の上に。丹次郎の許嫁で唐琴屋の娘・お長。唐琴屋の売れっ子花魁の此糸(このいと)。丹次郎の面倒を見る芸者の米八。女性三人はよく知った仲なのです。ただお長と米八の想い人は丹次郎なのです。二人の想いに火花がちらちら。そこに唐琴屋の客・藤兵衛が絡み、腹黒い現在の唐琴屋の経営者などが位置しているのです。

単純なようで登場人物の心情と事の起こりなどが絡み合っていて最後に上手く落ち着くと言った筋立てです。一人称で書かれていて、当時こんな書き方をしていたのかと驚いたのですが、そうではなく訳された島本理恵さんのより楽しめるようにとの配慮でした。これまた現代語訳の面白い試みです。

会話が生き生きとしていて、読みながら歌舞伎を観ているような感覚にされました。

この作品がベストセラーとなり、今度は米八の恋敵となる仇吉を主人公にした『春色辰巳園(しゅんしょくたつみのその)』が発表されます。その原作をもとに歌舞伎『梅ごよみ』が出来上がるのです。2004年の『梅ごよみ』の仇吉の玉三郎さんと勘三郎さんの辰巳芸者の恋の立て引きと意地の張り合いがたまりませんでした。

たわいない話を二人の役者さんが役者の味わいで見せてくれるのです。辰巳芸者とはこうであろうと思わせてくれるのです。実際にはどうであるか判らないことを、そうよね、こうっだたのよね、と思わせてくれるのが舞台の面白さであり、芸の立て引きでもあります。スター性もいいですが、この芸の立て引きがないと物語性が薄まることもあります。

為永春水さんは、幕府の統制がますます厳しくなって出版禁止処分に引っかかったりするのです。『春色梅誉美』の挿絵は柳川重信ですが、あの『(くらら)』(朝井まかて著)にも登場する渓斎英泉とも組んでいるのです。絶えずうごめいている江戸文化です。

作家と楽しむ古典』はこの全集で訳された方々の興味深い作品への想いや、試みへの工夫などを読むことができます。

気軽に読めて楽しく、三浦しをんさんの『菅原伝授手習鑑』では三つ子の三兄弟の勤め先がそれぞれ立場の違う人に仕えるのですが、松王丸の悲劇はこの勤め先によるわけです。それを世話したのは道真公で、三浦さんは、松王丸をライバルの藤原時平に仕えさせたのはライバルの様子を探るためではないかと推測されています。全然考えてもいなかったのでこれまた驚きの展開へと導いてくれました。

「寺子屋」の悲劇の場所は、日本の文字を読める人の多さに貢献し、江戸文学を楽しむ読者を増やしたことでしょうからこれまた面白い展開です。

好色一代男』は、『伊勢物語』パロディ化でもあるそうで、そうなれば『伊勢物語』も読まなくてはです。この全集なら読むのが楽しみであり娯楽の範疇ともいえるのが嬉しいです。

追記: デルタ株、これでおさえられるのであろうか。おさえてもらわなければこまる。国内での実態の検証は?

000788445.pdf (mhlw.go.jp)

井原西鶴作品からの拡散・西鶴・秋成・京伝・春水(1)

島田雅彦さんの現代語訳『好色一代男』は池澤夏樹さん個人編集の『日本文学全集 11』で読んだのですが、ほかにも現代語訳作品が載っているのです。

雨月物語』(上田秋成)は新たな感覚で読み直せて、『通信総籬(つうげんそうまがき)』(山東京伝)は初めてお目にかかる作品です。『春色梅誉美(しゅんしょくうめごよみ)』(為永春水)は歌舞伎の『梅ごよみ』の原作でもあります。

まさか山東京伝、為永春水作品を読むとは思ってもいませんでした。現代語訳に出会わなければ、西鶴作品と並んでいなければ読まなかったでしょう。楽しませてくれました。

西鶴のころより出版物に対する幕府の統制は厳しくなり山東京伝は手鎖を受けています。

何回も言いますが西鶴の同時代として、芭蕉、近松の関係があります。西鶴と芭蕉は何となく概要はつかめました。西鶴さんと近松さんは浄瑠璃の台本をお互いに書き、バトルとなったときもあります。その時は近松のほうの作品が人気をとりました。その後、近松は歌舞伎で坂田藤十郎の作品を書きます。近松はその後浄瑠璃にもどり心中物というジャンルを確立します。何となく近松、藤十郎、心中物とつながっていましたがそうではなかったのです。

西鶴が亡くなる 1693年(元禄6年)52歳

芭蕉が亡くなる 1694年(元禄7年)51歳

・赤穂浪士の討ち入り 1694年12月 (この事件が入ると時代的により親しみが持てるとおもいます)

・『奥の細道』刊 1702年(元禄15年)

近松の『曽根崎心中』初演 1703年(元禄16年) 近松はそれまでの浄瑠璃の時代物に世話物を取り入れ人気をはくすが幕府の圧力により上演禁止となる

西鶴さんが商人や庶民の生活や旅を描いたことが芭蕉さんや近松さんにも少なからず影響や刺激を与えたと思うのです。芭蕉さんは旅に想像を加え、近松さんは現実に起こった事件にさらに物語性を加えて作品仕上げています。

このことはさらに江戸文学の次の世代によって進んでいきます。

大阪で浮世草子というもの広げた西鶴。それが江戸文学としてどうつながっていくのかは、西鶴、秋成、京伝、春水という道があるのだということを教えられたのです。ありがたい並べ方であり読みやすい現代語訳でした。

・『好色一代男』 (1682年) 浮世草紙 → 同時代の町民の恋愛を描き難しいいましめなどは語らない娯楽的な風俗小説。

・『雨月物語』 (1776年) 歴史奇談集 → 浮世小説では物足りない歴史的知識などのある人々にために中国から日本に舞台を移してこの世ではないことも加えた。

・『通信総籬』 (1787年) 洒落本 → 同時代の色里の様子が描かれている。吉原の中の様子。遊女や太鼓持ち、客などの様子。当時の装いや唄などの流行は悪所と言われる遊里と歌舞伎から発生している。会話あり。

・『春色梅誉美』 (1832年) 人情本 → 物語性があり市井の人々の恋愛が描かれていて次はどうなるのであろうか読者をひきつける。女性も読者に。会話あり。

『好色一代男』に描かれたことの中からさらにその狙いどころの細部の拡大を試みています。

色々な方々の解説などを参考に自分用にまとめました。そして『春色梅誉美』では、玉三郎さんと勘九郎(18代目勘三郎)さんの歌舞伎の『梅ごよみ』にぶつかってくれたので、よっしゃー!です。

自分流の横線と縦線、少しはっきりしました。

井原西鶴作品と映画『好色一代男』(4)

映画『好色一代男』(1961年・増村保造監督)の世之介(市川雷蔵)は女性を弱い者で可哀想であるという気持ちが根底にあります。父親(二代目中村鴈治郎)がしまつ屋で商人は贅沢をすることなくお金をコツコツと貯めることが一番と考えているのです。そのため母親はただ辛抱して世之介にいわせると陰干しした沢庵にされてしまい何んという事か。気の毒に。自分は女性に喜びを与え幸せにしてやるのだと、観音様、弁天様と崇めつつ放蕩三昧です。

父親はこれでは困ると丁稚から始めろと江戸の支店に使用人をつけて旅立たせます。江戸に行けると喜ぶ世之介。途中でお金を管理している使用人を薬で眠らせお金を手にします。そのお金で吉原へ。そこで高尾太夫と恋仲の男に会い、世之介は一肌脱いで高尾を身請けし添わせてやります。自分の色事のためだけにお金を使うわけではないのです。

身請けのお金は支店から出させたので、それを知った父親は江戸まで出て来て勘当を言い渡します。世之介は放浪の旅となります。

途中で世之介は強欲な網元のお妾になっているおまち(中村玉緒)を連れ出し逃げます。おまちは捕まってしまい首をつって死んでしまいます。墓を掘り起こす男たちがいて死んだ女性の髪を女郎衆に売るのだといいます。真のあかしが偽物だったことを世之介は知ります。

その墓の死人は偶然にもおまちでした。嘆く世之介。自分は後を追いたいがあの世で会えるとは限らないので止めるといいます。その時死んだおまちが笑うのです。

西鶴の作品はかなり現実を写実的に表現し紹介していると思っていたのでこういう場面は原作にないであろうと思ったのですがあったのでちょっと驚きました。なんでもありでその後に他の人が書く際のアイデアとして引きつながれていると思います。

世之介は父親が病に倒れているのを知り実家に帰ります。

死に際の父親は勘当を解きます。そして三つのことを守るようにと遺言を残します。一、お金の番人になれ。二、葬式はしなくていい。三、お侍には逆らうな。

母親も夫が亡くなりショックでその場で死んでしまいます。もちろん世之介は父親の遺言には従いません。色里でお金をまき散らし、侍が金を貸せと言いますが蔵にはお金がありませんので貸せませんといいます。お店はお取りつぶし。

世之介は夕霧太夫(若尾文子)と新しい国へ行こうと逃げ出します。ところが隠れていた夕霧は役人の探り槍に刺され世之介の目の前で亡くなってしまいます。女を悲しませるこんな日本にいるかと好色丸で仲間と女護島を目指すのでした。

映画の世之介は自分なりの考えで行動し、世のなかの仕組みを俯瞰的にながめているところがあります。

世之介の父は、映画『大阪物語』(1957年)の父親の生き方と通じています。『大阪物語』は西鶴の『日本永代蔵』『当世胸算用』などから溝口健二が原作を依田義賢が脚色し、溝口健二監督が亡くなったため吉村公三郎監督作品となりました。

その父の生き方にも逆らい、商人を利用して権威を振るう侍に従うのもいやで、ひたすら女性賛美の世之介がいるのです。

改めて市川雷蔵さんは役どころの広い役者さんであったことに気づかされます。『大阪物語』では、夜逃げから商人として成功した近江屋の番頭・忠三郎です。主人の仁兵衛(二代目・中村鴈治郎)のしまつ屋の小言と命令にひたすら仕えています。女房のお筆(浪花千栄子)は娘・おなつ(香川京子)の幸せのみを願って死んでいきます。恋仲のお夏と忠三郎はついに仁兵衛からの自立をめざし店を出ていきます。仁兵衛はお金に対する執着心から気がふれてお金の番人としてお金とともに閉じこもってしまうのでした。

一代で成功した商人のしまつ屋は肯定的な例として『日本永代蔵』にも書かれていますが映画『好色一代男』と『大阪物語』はその両極端のお金の使い方となっています。その両方の映画で明と暗の役どころで主演を果たされているのが市川雷蔵さんなのです。その比較を観れるのも面白いです。

井原西鶴作品と映画『好色一代男』(3)

最高級の色里での三大太夫と世之介の話を少し。

先ず、京島原の吉野太夫

「吉野は生まれつき、品がよく、世間の知恵も身につけ、その賢さは比類がなかった。仏の宗旨も、旦那と同じ法華宗に変え、煙草が嫌いと聞けば、きっぱりとやめ、万事において申し分がなかった。」

世之介は身請けし吉野を正妻に迎えますが親戚一同猛反対で見限られてしまう。吉野は別邸に住むから通ってきてくれればよいと言いますが、世之介は首を縦に振りません。そこで吉野は暇をいただき里へ帰るのでその前にご婦人方をご招待したいとしてうるさがたを招きます。

世之介は大丈夫であろうかと心配します。ところが、琴、歌、お茶、お花、囲碁などの腕前も申し分なく、会話の話題も豊富でお客の誰一人飽きさせることがなかった。そしてどうして吉野を里に帰してしまうのかと言われてしまうことになり、無事「相生の松風、世之介は百吉野は九十九まで」と祝言を挙げるのです。しかし、世之介の色道には何の影響もありません。世之介35歳。

大阪新町の夕霧太夫

世之介の仲間五人が夕霧を絶賛しています。「命を投げうつほど思い詰めた客には冷静に道理を説いて、距離を置き、自分との仲が公然となれば、説得して、通うのをやめさせ、思い上がった客には義理を説いて突き放し、体面を気にする人には世間がどう見るか意見をいい、女房のある男には女の恨みは怖いことを納得させ、、、」相手が魚屋でも手を握らせ、八百屋でも喜ぶコトバをかけ、決して人を見捨てない真心に仲間たちはその情けに話しているうちに感極まって涙するのです。

世之介は何とか夕霧と会うことができ小座敷で心ゆくまで語り合います。夕霧は急に炬燵の火を消させます。その日のお客が来た知らせに夕霧は世之介を炬燵の下に隠し、上手く客を誘導し、その間に世之介は逃げるのでした。世之介はその気転に焼け死んでもいいと思いますが、「思わぬところに恋の抜け道が開けたという次第。」となります。世之介43歳。

江戸吉原の高尾太夫

高尾太夫に会うため、「紅葉重ねの旅衣装で、八人交代で担ぐ大駕籠に乗り、5人の太鼓持ちを引き連れて、京都を出立した。」 紫草ゆかりの江戸紫の染物屋、平吉の宿に着きます。

吉原の揚屋では名前が知れているので、八畳敷の小座敷を新しくしつらえ、京の世之介様御床と札を張り出し、さらに食器一切が世之介の撫子紋(なでしこもん)を散らしています。ところが高尾はさるお客の契約がびっしり埋まり、年内は空きがないからここで年越しをして春まで待ってはいかがですかとのこと。世之介は1億ほど使い捨てるつもりでしたがどうも歯がたちません。やっと忍び逢いできることになります。

高尾の道中。「総鹿子の唐織などまとい、帯は胸の高さに締め、腰を落として八文字で歩く、上方とは違って、珍しく目につくものである。顔見知りに逢ってもコトバを掛けず、お付きの娘二人も対の着物で、遣り手や下男にまで高尾の紅葉の紋をつけさせ、それこそ色好みの山が動くがごとしだった。」

そして、初対面なのにその気の使い方は細やかでした。世之介52歳。

世之介は、放浪時代も様々な職種につきます。そのあたりがまた庶民生活が垣間見えるところであり、それぞれの立場での色好みに遭遇するのです。遺産相続しても商売はしているようなのです。「出羽の国の庄内に出かけ、米など調達し、大阪への舟がくるのが遅いのをもどかしく思っていたので、、、」

そして世之介の仲間が島原の朝の景色の面白さに「西行はどんなつもりで松島の曙や象潟の夕暮れを讃えたのかね。」とし外国にもこんな楽しみはないだろうといいますと、もちろん世之介は、もっともだと賛同しています。西行さんも何のそのです。ということは、西鶴さん、芭蕉さんの風雅さも何のそのということなのです。このお二人のバトルもなかなかです。

そうした楽しみ方も、よくわからない井原西鶴について調べてくださった先人たちのおかげです。資料は検証のために大切なものでして次の世代への考える楽しさを増やしてくれます。

追記: 本によっては検証に検証を重ねているのでちょっと気分転換にとDVDの『ブラックペアン』に手をつけてしまった。CMが入らないので流れが良く面白い。まずい、まずい。予想では復讐劇。大丈夫です、きちんとやりますから西鶴さん。西鶴さんだって気が多いではないですか。

追記2: 片岡秀太郎さん、色里の女将役で登場すると全て心得ていますという雰囲気がその場を押さえてくれました。地味な着物の衿と小物の組み合わせ、裾の返し模様など素敵でした。また一つ細やかな空気感が消えてしまいました。合掌。

井原西鶴作品と映画『好色一代男』(2)

好色一代男』に酒田が出てくるという情報を得たのは『奥の細道』を読んでいるときです。それではと読み始めたわけです。さてその辺の部分を島田雅彦さんの訳からまとめてみることにします。

18歳・旅の出来心/ 親から江戸大伝馬町の支店へ行くようにいわれる。→京都→粟田山→逢坂→鈴鹿の坂の下→御油(ごゆ)→赤坂→江尻→今切(いまぎれ)の関→二川→芋川(いもがわ)→江戸(遊び歩く場所・深川八幡、築地、本所三つ目橋筋、目黒不動の茶屋、品川の連飛、白山、谷中の三崎、浅草橋、小宿、板橋、吉原)

19歳・出家にならねばならず/ 出家して武蔵野の庵に住まう→山伏の一行と吉野までの同行をたのむ→岡崎→泥川宿→山伏と別れ大阪へ到着(実家には帰らず谷町筋で鯨のひげ製の耳掻きの内職をして暮らす)

21歳・恋の捨て金/ ついに勘当される(流しの歌手になって渡り歩く)

23歳・是非もらい着物/ 大晦日にお金がなく借金取りに悩まされる

25歳・借金は一万円/ 佐渡の金山を目指すが出雲崎で魚売りの行商となる。

26歳・木綿の着物も借りの世/ 酒田へ行きつく。

世之介が見た酒田の様子です。

「この浜の景色、桜が波に映り、とても美しい。西行が「花の上漕ぐ蜑(あま)の釣舟」と詠んだのがまさにこのあたりだなと、寺の門前から景色を見ていると、尼さんの集団が声を揃えて、歌いながら歩いてきた。」

好色一代男』には西行の歌が所々で出てきます。しかし歌にも執着はなく、蜑(海女)と尼をかけているのです。ただこの尼さん集団は遊女同然ということで、「開いた口がふさがらない。」としていますが、それをあなたに言われたくないとお返ししておきます。

象潟のような気もしますが深くは追及しません。

「酒田の港は繁盛しているから、諸国との付き合いも多く、問屋に来る客は皆、そろ盤を弾いて歳月を過ごす。亭主のもてなしも、女房のお世辞も、とかく金銀の光あってのものだ。」人間観察も客観的です。

27歳・口論のお告げ/ 常陸の鹿島神宮に行き神職に成りすます。→水戸→鹽竈

という具合にその移動は忙しいこと限りなしです。

執着しない世之介ですが女性たちもそうかというとそうはいきません。女の恨みはおそろしいものです。

30歳・夢の太刀風/ 寝ているところに世之介に恨みがあると化け物になって4人の女が次々あらわれる。世之介は切り伏せるが、後には女たちの書いた起請文が四枚切り刻まれていた。

そうなんです。化け物も登場してくれるのです。そして死んだ女性がニタッと笑ったりもします。

34歳・火神鳴の雲隠れ/ そして父親が亡くなったことを知らされ、母親は世之介が生きていたことを喜び遺産を好きに使いなさいと全ての蔵のカギを渡してくれるのでした。総額500億円。

遺産であるから何に使おうと構いませんが、税金は大切に使ってもらわなくては困ります。

34歳から60歳まで大尽として三大色里で女性のためにお金を使いますが使い切れる額ではありません。いくらでも使うお手伝いになら立候補します。

井原西鶴作品と映画『好色一代男』(1)

井原西鶴が最初に書いた浮世草子は『好色一代男』です。1682年、西鶴さん41歳のときです。5代将軍綱吉の時代で、倹約令、不孝不忠の者は重罪とか新作書物を売る場合は町奉行の許しを得るというようなお達しがあったりしたのです。そのような中で無事出版されベストセラーとなったわけです。

1年1章で54章、『源氏物語』にちなんでいるのです。恋の始まりは7歳で、勘当、放浪、遺産相続と続き、60歳にしてあるのかどうかもわからない女護島を目指して船出するという結末です。

全8巻で、前4巻は少年から青春時代の色模様、勘当され放浪するも色模様は途切れることはありません。後4巻では親の遺産で大尽として大阪、京、江戸の色里での太夫との色模様となります。大阪新町の夕霧、京島原の吉野、江戸吉原の高尾。億単位のお金がなければ到底遊べないような色里での様子に読者は挿絵を楽しみ知らない世界を想像して読んだのでしょう。

さらにこの主人公の世之介はまあ驚くべき速さで大阪から移動して歩くのです。北は出羽から南は肥前の長崎までいくのです。芭蕉の『奥の細道』からすると何の苦労もなくあっという間の移動で、東海道を下るのも早いです。

この『好色一代男』があったからこそ、十返舎一九の滑稽本『東海道中膝栗毛』ができあがったと島田雅彦さんは言われています。言いおくれましたが現代語訳は島田雅彦さんので読んだのです。最初、吉行淳之介さんので読み始めたのです。お!吉行さんだと喜び勇んで読み始めたのです。さすが吉行さん、慌てず急がずの感じですがなぜかこちらのテンポと合わないのです。島田雅彦さんの訳があるというのでそちらにしたら、裾裁きも軽快な世之介で早めに読みおわることができました。

サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』も、読み直したらどうも進まなくて、村上春樹さんの訳があることを知り村上さんのに変えたらすらすら読めたので、自分の読みやすい訳者を選ぶのも読了する一つの方法かとも思います。

読者というジャンルを増やしたのは井原西鶴の手柄でもあったように思います。書き手にも相当影響をあたえました。しかしベストセラー作家でありながら印税などない時代ですから、西鶴さん蔵も建ちません。実家の隠居所からさらに狭い家に目の不自由な娘と引っ越すということになってしまいます。西鶴さんの知らない間に江戸では菱川師宣の絵に『好色一代男』のあらましをかかげて出版されたりもしますが、西鶴さんは名が知れることを喜んで気にしません。

人の驚くようなことを実行し、名前の売れることを楽しみともしています。

ただいつお咎めがあるかわからないので出版するほうも綱渡りのところがありました。そのあたりの駆け引きも西鶴さんは自分でやらなければならなかったわけですが闘志をみなぎらせています。ただその後、本屋が売れる好色物の続きのみを要求し、それには閉口もしますがとにかくアイデア満載で新しさをすすめていきます。

好色一代男』ではお金のことがよくでてきます。現代語訳ではそのお金の価値を現代のお金に換算してくれていますのでその辺もわかりやすいです。さらにジトっとした情緒というものがありませんから女性たちと尾を引くということもありません。世之介には執着心がないということでもあります。新たなる女性を求める以外は。さらに使う金銭も加味されるのですから恋愛とはなりません。

当時の商業の都市としての大阪の発展事情もあり、そのことに西鶴さんは非常に興味をもっています。そのことがのちに、お金をどうやって増やしていくかの話や、貧富の差の貧のほうに目を向けていくことになるのです。西鶴さんも貧の中で最後まで筆を動かし続けることをやめませんでした。

世之介が遺産相続した額は、500億円です。