ひとこと・ドストエフスキー

30分でわかるドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」』(2009年)のDVDをみる。登場人物関係と流れが本当にわかりやすかった。紹介してくれるのは講談師の一龍齋貞水さん(人間国宝)。その抑揚が抜群。読みたくなる運びの上手さ。この企画を考えた方に拍手。素晴らしい。決心する。『白痴』を読もう。

白痴』の解説部分を読んだら、ドストエフスキーも癲癇の病気をもっていたのである。そして、映画『ナスターシャ』にも出てきたハンス・ホルバインの絵画「死せるキリスト」(模写)が気になった。

ドストエフスキーは本物を観たとき、とても衝撃をうけたらしい。ただその時のドストエフスキーの心の内はわからない。映画にもでてくるが「この絵を見ていたら、信仰を失くしてしまう人だっているだろう。」の詞である。ここから信仰の話しになりますます映画が解らなくなってしまったのである。また観返したがわからない。ただ映画の構成には慣れた。

原作に出てくるとすればもっともっと先でしょう。

当然映画との違いがある。ここでこのことは話されるのか、登場人物の印象も違うなあなどなかなか面白いのです。

年内には終わりそうにない。ゆっくり読むことにする。

追記: 一龍齋貞水さん、見事な語りをありがとうございました。(合掌) 

ひとこと・映画『ラスト・クリスマス』と歌舞伎『傾城反魂香』

今年のクリスマスソングは映画『ラスト・クリスマス』(2019年・ポール・フェイグ監督)でエミリア・クラークが歌う、ワム!の「ラスト・クリスマス」である。自分の居場所を探しあぐねてあたふたとしていた女性が一人の男性の登場で彼を探すうちに自分の居場所をみつけるというヒューマンラブコメディーである。

意味深なワム!の「ラスト・クリスマス」の歌をこんな感じで歌わないでというかたもおられるであうが、映画の主人公が明るく歌える自分をつかんでの歌である。そこがいい。

映画の原案・脚本がエマ・トンプソンである。

歌舞伎座の『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』。主人公又平も居場所がなかったひとりである。戯作者になるまで近松門左衛門さんも居場所が無かったのかもしれない。心中物の登場人物もそうである。今回の作品は奇跡によって又平は自分の居場所を確保する。勘九郎さんの又平が若さにその喜びがあふれていた。女房おとくの猿之助さんが 白鸚さんの又平の時よりも一層しっかり者の恋女房にうつる。女形としての手が美しい。

勘九郎さんの又平をみていると、八十助時代の三津五郎さんの小柄な身体で喜ぶ又平を思い出した。この方が出れば勘三郎さんも浮かんで、又平の嬉しさと重なって複雑な涙となった。鶴松さんと團子さんが頑張っている。つながっていくのでしょう。

自分の居場所を見失うことはどんなときもきついものである。

『類』(朝井まかて著)(1)

』はひとことで記すつもりであったが、森鴎外さんの三男・森類さんがが主人公なので登場する人々が凄いのである。そのたびに、こちらの旅の思い出と重なってきてその後を追うことにした。

千駄木の文京区立『森鷗外記念館』の地に二階が観潮楼である森鷗外邸での森家の生活が描かれているので、その地を訪ねたことがある者としては、先ず団子坂に面したその空間に人々が交差していたのかと想いがめぐる。ところが団子坂の方は裏で、薮下通り側が表門であった。それだけでも頭の中が回転する。

鷗外さんは北側には自分で花畑を作り楽しんでいたようである。

記念館は団子坂の方からいつも入っていたので、こちらが森邸も表と思っていた。記念館は薮下通りに抜けられるがチラッと覗いて団子坂側に戻っていた。今度、薮下通りも歩いてみたい。

鷗外さんの亡くなった後邸宅は、表門の東側は前妻の子であり長男の於菟(おと)さんが西側の裏門のほうは類さんが相続する。

次女の 杏奴(あんぬ)さんは、様々な習い事をしていて全て全力投球している。絵画、日本舞踊、フランス語、源氏物語、漢語。舞踊はかなり力を入れ、いままでの師匠を不満として劇評家の紹介で新しい師匠につく。その師匠が市川猿之助さんの母堂である。欧米に留学したとあるから二代目猿之助さんである。さらに、猿之助さんの妹が鼓の名人の夫人なので、太鼓と鼓も習うことになる。鷗外夫人も本物を身につけさせたいと力を入れ、ついに 杏奴さんは力尽き身体をこわしてしまう。そのため踊りのほうはやめてしまう。

類さんも杏奴さんと一緒に長原孝太郎さんから絵を習っていて長原さん亡き後は、藤島武二さんに師事していた。鷗外夫人は二人を絵の勉強のためフランスへ留学させる。その時力を貸してくれたのが与謝野鉄幹・晶子夫妻である。かつて鉄幹さんがパリ滞在中に晶子さんが飛んで行くがその時手を貸してくれたのが鷗外さんであった。

長女の茉莉は翻訳をしたものを、与謝野夫妻の新詩社の『冬拍(とうはく)』に連載してもらっている。与謝野夫妻や特に晶子さんは旅の途中で歌碑などよくであう。一番新しいのは散策中に出会った千駄ヶ谷の『新詩社の跡地』。

パリでお世話してくれたのが、画家の青島義雄さんである。このかたの絵は『茅ヶ崎美術館』で初めてお目にかかった。マチスに認められた方というので驚いたが、「在仏の日本人画家では藤田嗣治(ふじたつぐはる)と並び大看板と評されている。」と本にあり、あの画家だと再会できたように嬉しくなった。岡本太郎さんも出現し、そういう頃なのだと時代的流れがわかる。

杏奴さんはパリからもどると、パリでも顔見知りの藤島武二さんの門下生の小堀四郎さんと結婚する。小堀四郎さんは小堀遠州の子孫である。杏奴さんは父・鷗外のことを書き、単行本となる。その本の装丁を考えてくれたのが木下杢太郎さんである。森鷗外さんの死後、残された家族に優しく接してくれたひとりである

木下杢太郎さんは、静岡県伊東市に『木下杢太郎記念館』があり伊東駅からも近く訪れたことがある。生家が木下杢太郎記念館になっていて、商家で中が薄暗かったのを覚えている。杢太郎さんが描かれた花の絵の絵葉書を購入したが、植物図鑑のような地味さである。

類さんが結婚する。媒酌人は木下杢太郎夫婦である。お相手は画家・安宅安五郎さんの長女・美穂さんである。その母親のお姉さんは尾竹一江(尾竹紅吉)さんで『青鞜』の婦人運動にも参加したことがあり、陶芸家の富本憲吉さんと結婚しいる。『青鞜社発祥の跡地』は鷗外邸のすぐ近くである。

結婚式には斎藤茂吉さんが祝辞を述べたようで、類さんにとって斎藤茂吉さんも優しく接してくれたひとりである。斎藤茂吉さんというと歌作に没頭して子供たちから変なおじさんと思われていたということを読んで偏屈なイメージがあったが、この本での類さんに接する様子は穏やかで楽しげで精神科医としてはこのように接していたのかもと違う姿を想像した。

戦争が始まり、類さんは徴兵検査では丙種で、福島県の喜多方へ疎開する。東京の空襲で千駄木の家は焼けてしまう。鷗外夫人が生きている時に、於菟さんは東側の家を出て人に貸して火を出され、西側だけが無事で住んでいたのである。その火事で東にあった観潮楼も焼けてしまっていた。

終戦後は類さん一家は、鷗外夫人が買って類さんの名義にしてくれていた西生田にバラックを建てて住んだ。そこで類さんは疎開先でも書いていた文筆家を目指すようになる。美穂さんの母の福美さんは佐藤春夫さんと知り合いで三人で詩の習作を見てもらいにいく。佐藤春夫さんも類さんに優しく接してくれる人の一人である。三人が訪ねた佐藤春夫邸は今は和歌山県新宮市にある『佐藤春夫記念館』である。二階に日当たりの良い八角塔の小さな書斎があった。

千駄木の焼けた家の敷地に文京区が史跡を残す方針で、斎藤茂吉さんや佐藤春夫さんが発起人となってくれ「鷗外記念館」を建てようということになり、敷地は於菟さんと類さんが区に譲ることにした。ただ類さんはこの地を離れがたく40坪ほど所有し本屋を開くことにした。家族は子供4人で6人にふえていた。

働いてお金を得るという事の出来ない類さんは、遺産も戦争で紙屑となり、父の印税が少し入るだけであった。それまでも美穂夫人のやりくりで何とかしのいできたが、美穂さんの実家の思案の末での提案であった。

斎藤茂吉さんに店の名頼む。『鷗外書店』と『千朶(せんだ)書房』を考えてくれた。類さんは『千朶書房』を選んだ。案内状は佐藤春夫さんが書いてくれた。観潮楼あとは『鷗外記念公園』となり前途洋々にみえるが、そう簡単ではなかった。類さんは自転車で本の配達に励む。あの辺りは坂が多いから大変であったろう。その間美穂さんが店番をし、子供4人の面倒をみる。いやいや、類さんも子供みたいなところがある。類さんが主人公であるが、疎開中といい美穂さんの頑張りは大変なものである。

本屋ということで著者の朝井まかてさんは、その時々の評判になった小説などを上手く紹介してくれて時代の流れというものを読者に伝えてくれている。この手法がなんとも読者にとっては納得させる善きスパイスでもある。

佐藤春夫さんも優しいだけではなく、物を書く人間として励まし方に実がある。岩波と揉めていた類さんの原稿を雑誌「群像」に載せるように尽力してくれる。『鷗外の子供たち』。美穂さんは大喜びである。絵もダメ、勤め人もダメ、やっと光が射したのである。さらに初めての著書として光文社カッパ・ブックスとして『鷗外の子供たち あとの残されたものの記録』となった。

松本清張さんが芥川賞を受賞した『或る「小倉日記」伝』の発想の元となっている鷗外さんの「小倉日記」は類さんが見つけたのである。このことも驚きであった。もし類さんがもっと世に出た物書きならこのことも類さんの手柄となっていたかもしれないがそうはならなかった。

『鷗外記念公園』は『文京区立鷗外記念本郷図書館』に代わることになり、類さんは立ち退くことになり本屋も閉めることとなり杉並に引っ越すのである。この『文京区立鷗外記念図書館』にも一度行ったことがある。記憶のなかでは、がっかりした想いが残って、これが団子坂かとそちらのほうで満足した。

その後、美穂夫人が亡くなられ、類さんは、思いがけない行動となる。こちらの想像とは違っていてむしろ笑ってしまった。森家の別荘「鷗荘」のあった千葉の日在(ひあり)に類さんは家を建てる。最後はそこの地で終わっている。パッパ(鷗外)は、おまえは類としての生き方を貫いたよと微笑まれているようにおもえる。

日在の海岸は、電車からながめているとおもうが頭の中に映像が残念ながら浮かばない。

森家を背負って生きた人々の複雑な関係も描かれている。森家の人々の作品としては鷗外さんをのぞいて森茉莉さんのを一番読んでいる。他の人もおそらくそうなのでは。残念ながら類さんのは読んでいないのである。さらにこの本を読んで、鷗外さんの『半日』と『妄想』を読み返したい。読んだという印はついているがなさけないことにまったく記憶にのこっていないのである。『』から森家のことがこれからも少しずつ動きそうである。

あと、川崎の生田にある『岡本太郎美術館』もまだ行けていないのでそこも訪ねたい。もちろん千駄木の『森鷗外記念館』にも出かけます。類さんはパッパの記念館、目にすることができませんでした。

行くのはいつになるでしょうか。友人の娘さんが癌の手術をして抗がん剤の治療にはいるとのことです。病で不安なかたがコロナでさらに医療現場に不安になることがありませんように。

ひとこと・朝井まかて『残り者』

朝井まかてさんの小説『残り者』を前進座が舞台にしたのですが観ることができませんでした。残念。というわけで原作を読みました。面白い。朝井まかてさんは軽くいくように見せて知らない世界を展開してくれます。

残り者』も江戸幕府が江戸城明け渡しの江戸城の前日からその日までを、大奥に勤める女性達の考え方仕事ぶりなどを見せてもらえます。そして外見の姿によってその階級制もわかるようになっています。さらに天璋院(篤姫)と静寛院宮(和宮)では武家と公家の違いがあり、そんなことも交えて、天璋院が可愛がっていた猫のサト姫が五人の江戸城に残っていた者を会わせるのです。仕事の部署の違う者との出会い。

是非再演があり観劇する日を願っています。

前進座の公式サイトを紹介しておきます。劇団前進座 公式サイト (zenshinza.com) 前進座チャンネルの松涛喜八郎さんのーふかぼり芝居講座シーズン3ー「おうち散歩 四谷漫談 エピソード1~4」は戸板のお岩さんの川の旅が紹介されていて紹介地図から鶴屋南北さんの頭の中の地図が想像できました。『残り者』はーふかぼり芝居講座シーズン4-でおたのしみを。

朝井まかてさんの読者といたしましては、森鷗外さんの末っ子の類さんのお話『』の世界に侵入いたします。ソワソワ、ワクワク。心落ち着けて。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(気まぐれ編)

映画からいろいろな方向に派生していくものである。(3)で記した有島武郎さんの旧宅が保存されているので写真を紹介しておきます。

旧有島武郎邸 (sapporo-jouhoukan.jp)

映画の中での有島武郎さんで記憶に残るのは、『華の乱』(1988年・深作欣二監督)です。主人公が吉永小百合さんの与謝野晶子を通して大正時代を描いたもので、松田優作さんが有島武郎でした。

坂口安吾さんの小説にも『白痴』(1946年)があります。こちらは短編なので読んでみました。

毎日警戒警報がなり時には空襲警報もなった。伊沢は大学を卒業し新聞記者になり、そのあと文化映画の演出家となりまだ見習いであった。彼が一室借りている建物の路地の奥に資産家の家があり、夫婦と夫の母親が住んでいた。その女房はもの静かで日常的な家事などは何もできず、しゃべるのがやっとであった。その女房が姑のヒステリーから逃れてか伊沢の部屋にきた。

伊沢は女房と肉体関係になり、近所からその女性を隠して暮らすようになる。女性は肉体関係にしか興味がない。空襲がひどくなり4月15日、どうにも家にいては危ない夜間大空襲となり近隣の皆が逃げた一番最後に伊沢は女性と外に飛び出し逃げまどう。逃げまどう途中、伊沢は女性に二人一緒だから自分について来いと声をかける。その時女性はうなずいて初めて自分の意思をあらわした。

雑木林の中に二人だけとなる。女性は眠っている。女性はただの肉塊にすぎなかった。ここから記憶の世界に入りそこから男は女の尻の肉をむしりとって食べるのである。男は女に未練はなかったが捨てるだけの張り合いもなかった。伊沢はとにかく彼女を連れて停車場を目指して歩き出すことにしようと考えて小説はおわる。

伊沢はうなずいてくれた女性とのあの一瞬にあこがれたのかもしれないがそれはもうおこらないのである。尻の肉を食べたところで反応はないのである。リアルな空襲の中を逃げる場面から伊沢の頭の中の世界が突然出現するのでとまどってしまう。

坂口安吾さんがでてくると、歌舞伎の『野田版 桜の森の満開の下』が思い出される。

その時の感想がこちらです。→ 2017年8月23日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

そこで、坂口安吾さんの『桜の森の満開の下』で、男は女を絞め殺したところまでを記しています。小説はそこが最後では無くて、彼は女の顔の上の花びらをとろうとするが女の顔は消えてしまい花びらだけしかありません。その花びらを掻き分けようとしたら彼の手はなく彼の身体も消えていたのです。これがわからなくて殺したところで終わらせたのである。(姑息でした。)

今回、『白痴』の尻をむしりとって食べるところで『桜の森の満開の下』の男はすでに鬼に食べられていたのだと確信しました。鬼ですからね、死んだかどうかわからないすばやさで食べることだってやるでしょう。坂口安吾さんの手法が少しわかったような。(このあいまいさ。)

歌舞伎の『野田版 桜の森の満開の下』がまた観たくなります。それぞれの役者さんの演技が走馬灯のように思い出されます。新作歌舞伎の面白さは古典では観れない役者さんが観れるという事であり、古典ではきっちり型にはまった役者さんが観れるという楽しさである。

驚いたことに坂口安吾さんの『白痴』が1999年(手塚眞監督)で映画になっていました。20周年記念ということで現在上映されていました。気まぐれではすまなくなりそうですので今回は挑戦をさけます。

黒澤映画『白痴』は、265分の長さがあったのだそうです。もしフイルムが残っていたら挑戦したかった。

追記: 『札幌芸術の森』に保存されているモダンな洋館の旧有島邸が黒澤映画『白痴』の大野家の外観です。室内での撮影があったのかどうかは今のところ確認できていません。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(3)

黒澤映画『白痴』に関しては前に書き込みしているが、三作品と比較するうえで便宜上こちらにも移すことにする。そして再度観たので少し書き足す。

その前に、字幕で解説が映し出されるのでその最初を部分を紹介しておきます。

「原作者ドストエフスキーは、この作品の執筆にあたって、真に善良な人間が描きたかったのだと云っている。そして、その主人公に白痴の青年を選んだ。皮肉な話だがこの世の中で真に善良であることは “白痴(ばか)” に等しい。この物語は、一つの単純で清浄な魂が、世の不信、懐疑の中で無慙に亡びて行く痛ましい記録である。」

人物設定は、ムイシュキン公爵は亀田、ラゴージンは赤間、ナスターシャは那須妙子、アグラーヤは大野綾子、ガーニャは香山、エパンチン将軍家は大野家で、大野家には娘がふたりで綾子は次女である。

【 映画『白痴』(1951年、黒澤明監督)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにして場所を日本の札幌にし時代を戦争の終わった後にしている。主人公は亀田(森雅之)と赤間(三船敏郎)が北海道に渡る青函連絡船のなかで出会う。亀田がうなされて奇声を発したのである。

亀田は沖縄戦で戦犯となり銃殺寸前に人違いとして助かりそのショックから神経がおかしくなりアメリカ軍の病院に入院し退院して札幌の知り合いの家に行くところであった。赤間はこの亀田が気に入り自分のことも話す。好きな女がいて父のお金を盗み彼女にダイヤの指輪をプレゼントして勘当になっていた。その父が亡くなり遺産が入ったので札幌に帰るところであった。

二人は札幌で写真館に飾られている赤間の彼女の写真をながめている。圧倒させるような美しさの那須妙子(原節子)である。亀田は、この人はとても不幸せなひとであるとつぶやく。さらに妙子の目にこの目をほかのどこかで見た目であるとおもう。

亀田は父の友人である大野家をおとずれる。大野家は那須妙子と関係があった。妙子は妾の身であったが、大野家の秘書の香山(千秋実)に持参金付きで結婚させるという話ができあがっていた。香山は大野の次女・綾子(久我美子)が好きであったがお金も必要であった。亀田の出現でこの仕組まれた動きが大きく変わっていくのである。

誰も見ぬけなかった妙子の心の中を亀田の純粋さが感じとっていた。妙子にとって同じ感性それは光であった。亀田は妙子の目と同じ目をおもいだす。処刑されるとき自分は助かるが処刑される前の若いまだ少年のような青年の目であった。自分はどうしてこんな苦しいめにあわなければならないのかと目は語っていたのである。その目と妙子の目が重なった。

この映画は非常に長くて2時間45分である。第一部が「愛と苦悩」、第二部が「恋と憎悪」である。妙子は亀田を選ばずに赤間を選ぶ。亀田は二人を追いかける。赤間は妙子の心が自分に無い事を知って亀田を殺そうと考えたこともあった。綾子が現れて亀田は綾子に恋をする。妙子への愛とは違うものであった。妙子はそれを感じていて綾子を天使として亀田を傷つけずに一緒になってくれる人として希望をもった。

しかし、綾子は妙子が亀田の理想の女性で自分と亀田の間に入って邪魔をする者と思われ、妙子と対決するのである。亀田の妙子に対する愛は、処刑の時何もできなかったあの青年と同じ妙子を傷つけないで救えないか、いや妙子の魂をじぶんが守り救わなければという愛であった。綾子への愛とは別物であった。

心のねじれは悲劇へと向かわせる。残った綾子は「私が白痴だったわ」とつぶやく。亀田の白痴は純粋さで、綾子の白痴はおろかという意味である。

出演者の個性がきわだっている。原節子さんの存在が強烈でそれでいながら心はガラスのように壊れやすく、いやすでに壊れていて、森雅之さんはそのかけらを集めて修復しようとしているようにもみえる。

この札幌のロケでは有島武郎さんの旧宅が使われていた。ロケをした家は1913年(大正2年)に建てられた家でこの家で森雅之さんは幼い頃を過ごしたことになる。『札幌芸術の森』に保存されている。森雅之さんが生まれたのが1911年で有島武郎さんの文学年表からすると、『北海道開拓の村』にある旧有島邸が森さんが生まれた家ということになりそうである。

映画のクレジットには美術工芸品提供がはっとり和光とあるのも興味深い。 】

映画『ナスターシャ』のところで、ムイシュキンがてんかんの発作を起こすところがリアルであると記したが、ラゴージンは、ムイシュキンが舌をかまないようにナイフを口に挟むので印象にのこったのである。黒澤映画『白痴』でも赤間にナイフを振りかざし亀田は発作を起こすが雪の中に倒れ、赤間はそのまま逃げてしまっていた。

妙子の写真はやはり強烈である。妙子と亀田が直接顔を合わすのが、フランス映画『白痴』と同じ香山の玄関であった。映画『ナスターシャ』での馬車から降りての登場が異彩を放っているかも。赤間は香山宅に早々と再登場するのである。

その夜の妙子の誕生祝いの席でお金によって値段を付けられる妙子の苦悩と自暴自棄の様子に心配になった亀田は妙子を引き取るとつげる。皆は無一文の亀田を笑う。亀田は子供のような純真さだけで言葉を発している。その真剣さに大野(志村喬)は懺悔する。亀田には父の残した牧場があり、それを黙っていたと。

妙子が赤間の持ってきた100万円を暖炉の火に投げ込み香山に欲しければ拾いなさいという場面はフランス映画同様圧巻である。小津監督映画の原節子さんのイメージであるからなおさらである。赤間と去っていき、ここからしばらく妙子は出現しない。

亀田と赤間、亀田と綾子の関係が描かれていく。赤間とは十字架の交換でなく、お守りの交換をしている。亀田のお守りは、銃殺から逃れられてあの青年が銃殺された時発作を起こしその時手に握られていた小石である。赤間は母が持たせてくれたお守りである。

そして妙子が現れるのが、スケートのカーニバルの夜であり、亀田と綾子の結婚を信じて別れを言う時であり、さらに綾子がどうしても妙子に会わなくてはと亀田と赤間の家をたずねたときである。

この妙子と綾子の対面が結果的に亀田にどちらかを選ばせる対決の場となってしまう。原さんと久我さんの演技の対決の火花もすばらしいものです。二つの三角関係がからみあっていてそのため、最初から綾子の存在も意識して構成されている。

亀田、妙子、赤間の関係は死を持ってしか解決の道はなかったようで、妙子を殺した赤間は雲に乗ってくる妙子の幻覚を見て、「さあ、あの雲に乗ろう。」と言って目を見開き身体を硬直させる。その赤間に寄りそう亀田。亀田は言葉で表現するのが上手くできないが、寄り添う心がある。ローソクの灯も消え、極寒の時間だけが過ぎてゆく。

綾子は「私が白痴だったわ。」とつぶやく。

最後の亀田と赤間からしても、もう一つの三角関係を主軸にした映画『ナスターシャ』が生まれるのも自然の成り行きであろう。

三作品みるたびに重なり合ったり、独自の発想であったり、あのセリフがこう使われるのかなど新しい発見があり充分満喫させてもらった。と同時に上手く結び付けられない点もありますが、時間がたって観直せばそうであったかと気がつくかもしれませんのでそれを期待して、エンド。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(2)

フランス映画の『白痴』(1946年・ジョルジュ・ランパン監督)に入るが、ジェラール・フィリップの人気が出る兆候はこの映画でも予想できる。無邪気な表情と哀愁に満ちた目が物語る表情のコントラストがいい。人物設定が原作に近いのではと思ったが読んでいないので正確なことはわからない。

ムイシュキン公爵とロゴ―ジン(映画の字幕による)の車中での出会いがないのである。そして、ナスターシャの愛人である資産家のトーツキイが、後にムンシュキンと相思相愛となるアグラーヤと婚約しているのである。これには驚きで、やはり原作を読まなくてはとおもってしまう。はめられてしまいそうである。そのことは別にして、先ず映画の方を進める。

頭の方の病気がありスイスで療養していたムイシュキンは、親戚にあたるエパンチン将軍夫人を頼り、将軍邸をたずねる。将軍、トーツキイ、将軍の秘書のガー二ャはトーツキイが将軍の三番目の末娘・アグラーヤと結婚するため愛人のナスターシャを持参金付きでガーニャと結婚させる相談をしており、それぞれが自分の得るお金のために動いていた。そして今夜ナスターシャの返事をもらうことになっていた。その部屋にナスターシャの写真があった。

そこで、ムイシュキンはナスターシャを知るのである。アグラーヤは汚らわし人と言い、ムイシュキンは哀れな人だと言う。「一目で君は幸せな人だとわかる彼女は違う。私と似ている。」

そのナスターシャとムイシュキンの初めての出会いは、ガーニャの家でムーシュキンがドアを開け彼女をむかえるかたちとなりみどころである。ムイシュキンはガーニャの家に下宿することになったためである。ナスターシャは結婚するガーニャの家族に会いに来たのである。ガーニャの妹に侮辱を受けナスターシャは公爵も今夜私の家に来てと告げて去る。

ナスターシャの家に関係者があつまる。そこに持参金より多額のお金を持参して現れたのがロゴ―ジンである。ナスターシャは皆の前でトーツキイが自分の後見人であったが16歳の自分を犯し、それが8年も続いたと具体的に自分の体験や意見を主張する女性である。ムイシュキンは叔母の遺産が入り、僕と結婚しようというが、ナスターシャはロゴ―ジンと去っていく。

ここで将軍は「登場人物は狂女と乱暴者と白痴」と自分たちと彼らをわける。自分たちは拝金主義であると自ら分類したのである。ロゴ―ジンも拝金主義であったがナスターシャが現れてお金の力でどうすることもできない事を知り苦しむのである。

ナスターシャとロゴ―ジンたちの祝宴の席に酔っぱらいが酒のため本を売りにくる。買ったその本は清書でナイフが挟まれていた。一つの暗示となっている。

トーツキイとアグラーヤの婚約式でムイシュキンは、「打算のために神を利用するな」といって自分の考えを主張する。ムイシュキンは神を崇める者のひとりとして自分の意見をいうのである。この映画のムイシュキンはちょっと聖職者のような雰囲気もある。アグラーヤも両親の意に従っていただけだったので、このことからムイシュキンに愛をかんじるようになり、ムイシュキンと相思相愛の関係となる。

ナスターシャは心のよりどころがなくムイシュキンを呼び助言を求める。ここでもムイシュキンは聖職者のような答えをだしナスターシャを支えようとする。そこへロゴ―ジンが現れ嫉妬するが、ムイシュキンは、十字架を買った話をする。ロゴ―ジンは兄弟の契りにと十字架を交換する。この十字架は、ロゴ―ジンがムイシュキンを殺そうとしたときムイシュキンが胸の十字架をみせ、思いとどまらせる。解りやすい宗教色の濃い展開となっている。

ナスターシャはムイシュキンとアグラーヤを結ぶ手助けをしようとし、トーツキイと将軍一家がいる場所で、トーツキイの手形をロゴ―ジンが買ったと伝える。トーツキイの資産があやしくなったと知り、将軍夫人は娘の結婚に反対する。

アグラーヤは、ムイシュキンのナスターシャに対する愛を断ち切るためナスターシャに会いにいきあなたの力は借りないと断言し、ムイシュキンにどうなのとせまる。ムイシュキンは愛の種類が違うが答えられない。アグラーヤを純真で賢い人と思っていたナスターシャは怒りから、ムイシュキンがかつて結婚すると言ったことを実行すると告げ、アグラーヤは去ってしまう。

ウエディングドレスのナスターシャ。それをながめるムイシュキン。ナスターシャが語るが、ムイシュキンは上の空である。「何を考えているの。」「アグラーヤのこと。」これはナスターシャにとっては残酷なことである。ナスターシャは姿を消す。

ムイシュキンはロゴ―ジンの家に行く。彼女はベットに横たわっていた。殺されていた。

ロゴ―ジンは静かにいう。「自由になるために彼女はここに来た。俺とお前のことを解放するために。」

野卑なロゴ―ジンとは思えない言葉である。善を主張していたムイシュキンでさえもが正直なだけに彼女を救うことができなかった。ロゴ―ジンは悪で彼女を自由にしたことになるのか。ムイシュキンの魂が抜けたような表情で映画はおわる。

映画『ナスターシャ』で他を排除してナスターシャ、ロゴ―ジン、ムイシュキンの三人をとりだし照明をあて映像化したくなることも何となくわかるのである。

将軍が切り離してくれたおかげで、拝金主義者にはそれ以上の物語性はないのである。お金に着いていくだけだから。そしてもしかして救い得た天使であったかもしれないアグラーヤは天使ではなかった。いや天使にできなかったのかもしれない。ナスターシャは天使がいなくなった話もしていて、それに対し何かの暗示かしらとムイシュキンにたずねている。暗示かもしれないとムイシュキンは答えている。

三人は迷える子羊だったのであろうか。しかし、言うべきことは言って何とか道を探そうとしていた。そのことはよくわかる。

さらにムイシュキンは、外国でロシアの時代の流れにも期待していた。「改革が進み、誰もが幸福な社会になるはずと。だがそれは口だけで誰も真剣に考えていない。偽善と卑小さと無関心だけ。誰も気づいていないのか。足元の薄い氷の下には深い穴が口を開けて破局が待っている。」三本の映画の中で、このムイシュキンの思考過程は、世の中の人よりもまともである。それがゆえに人々から白痴といわれるのであるが。

この時代のロシアというのはどんな時代だったのかという興味もわくのであるが今はここまでとする。

映画『ナスターシャ』・フランス映画『白痴』・黒澤映画『白痴』(1)

ジェラール・フィリップがムイシュキン公爵役の映画『白痴』(1946年)があるのを知る。映画『肉体の悪魔』の前である。これはワクワクであるが、玉三郎さんの映画『ナスターシャ』を解明しなければである。まいったな。まいったな。難しい。

映画『ナスターシャ』はドストエフスキーの『白痴』が原作で、監督はアンジェイ・ワイダ監督で脚本にも参加されている。ナスターシャの最初の登場は写真ではなくその人として登場する。ウエディングドレスでの圧倒させる玉三郎さんのナスターシャである。

ナスターシャを待つのが玉三郎さんのムイシュキン公爵。二人は結婚式に臨むのである。陰から見つめる永島敏行さんのラゴージン。突然ナスターシャはその場からラゴージンと共に逃げ去るのである。

ムイシュキンはラゴージンの家へ行き、机をコツコツコツコツと叩く。この場面がその後二回でてきて過去と現在の複雑な交差となる。舞台『ナスターシャ』の映画化ということで、ラゴージンの家の書斎でのムイシュキンとラゴージンそしてムイシュキンが白いショールと耳飾りでナスターシャに入れ替わる三人の登場人物で話しは進む。女形の玉三郎さんならではの設定でありみせどころである。

黒澤明監督の筋的な展開があるので何となくわかるが途中から混乱してくる。ということで、ジェラール・フィリップの『白痴』をみる。人物設定はこの映画が原作に近いようである。ナスターシャの登場が一番多い。この映画はここで置いておき『ナスターシャ』に再度挑戦である。

ムイシュキンとラゴージンのセリフが多く、さらにムイシュキンが能弁なのである。彼はてんかんという病いがあってロシアのペテルスブルグから離れて外国で治療にあたっていた。サンクトペテルブルクにもどる車中でラゴージンと会う。そのこともラゴージンとの部屋で二人のセリフが続く。このあたりの切り替えが初めて映画館でみたときついていくのが大変であった。今回はある程度ついていける。ムイシュキンがナスターシャの写真と対面。「いい人だといいな。」とほほづえをつきじっとながめる。

他の映画ではみられないのがラゴージンがムイシュキンを殺そうとしてナイフを振り上げた時、ムイシュキンは恐怖からてんかんの発作をおこしリアルな演技となっている。ムイシュキンは死について自分の今までの体験から自分と切り離せない問題としてあるようだ。フランスでみたギロチンの処刑のことを話す。処刑の宣告ほど残酷なことは無いとし神も言っていると。そうなのである。この宗教、神のことがでてくるとこちらは理解不能になる。ただ黒澤映画での主人公は、この処刑の間際に中止となりそれによって神経が壊れてしまったことが思い出される。

宗教に関しては、ムイシュキンとラゴージンは正反対に位置しているのかもしれない。ナスターシャに対しても相反している。ムイシュキンはナスターシャに対しては恋で愛しているのではなく憐憫から愛しているという。

ラゴージンにとって、ナスターシャが自分よりムイシュキンに好意をもっていることが我慢ならない。二人が通じ合う心が許せない。ナスターシャは自分の価値はお金に換算されるもので、肉体は暴力によって汚されているとおもっている。ムイシュキンがそうした自分ではなく汚れていない自分を見つめてくれたことに愛を感じている。

ラゴージンは、「あいつはお前にほれている。お前の顔に泥をぬることになり、お前の一生を台無しにしたくないから、絶望と一緒に俺と結婚するのだ。」と。

かなりつっこんだ議論をするムイシュキンとラゴージンの関係である。ムイシュキンは、ラゴージンが嫉妬から自分かナスターシャかどちらかを殺すと直感している。そのため女というものはとラゴージンに説明したりしてラゴージンにお前らしくないといわれる。観ている方も似合わないとおもうが彼は何とかラゴージンがナスターシャを殺さないようにと必死なのである。「じゃ僕帰るよ。」と何回となくしょげて帰るところが、ラゴージン同様止めたくなる。

ムイシュキンは、旅であった三人の話をする。二人の農夫の一人が相手の持っている銀の時計が欲しくて十字をきってから殺して時計を手に入れる。普通の農夫であるが欲しいと言う欲望に勝てなかったのである。もう一人は、スズの十字架を銀だと言ってムイシュキンに売りつけ飲み代にした。それを聴いてラゴージンはムイシュキンが買った十字架と自分の金の十字架と交換する。これで僕たちは兄弟だねとムイシュキンはいう。

ここで思ったのである。ラゴージンは、ナスターシャの愛を持っているムイシュキンではなく、ムイシュキンを所有しているナスターシャという位置にかえたのである。自分はムイシュキンを欲しいからナスターシャをころすのであると。まるでそれを理解したようにナスターシャは自分を殺すようにラゴージンを誘うのである。静かに確信をもって。あなたにしては上出来よとでもいうように、その誘いが何ともいいようがない魅惑である。そうしか今のところ解釈が働かない。

そしてラゴージンはムイシュキンに二人で息をしないナスターシャのそばで一夜を明かそうと支えあうのである。ナスターシャがいなければ二人は好い関係で存在できるのである。その時、ナスターシャは二人にとって純真な白痴として存在しているのである。

ということになりましたが、また観るとこの構成が瓦解するかもしれません。

最初の登場のナスターシャと途中で入れ替わる玉三郎さんの演技と台詞の妙味だけに気をひかれるだけで一見の価値ありです。武骨で粗野なラゴージン役の永島敏行さんも玉三郎さんの台詞に反応するのは大変だったことでしょう。ムイシュキンは突然質問したりしますし、コツコツコツコツなんて冴えた音を響かせたりします。さらにナスターシャに変わっていじめられたりもするのですから。

コツコツコツコツ、「僕よくわからないけで違うとおもう。」なんて言われそうなのでこれ以上考えず公開します。

ひとこと・寿ぎの中でのお別れ

坂田藤十郎さんの舞台を観た最後が、昨年の四月歌舞伎座での米寿を祝う『寿栄藤末廣(さかえことほぐふじのすえひろ)鶴亀』であった。その時の印象が強く、昨年の11月にテレビ『にっぽんの芸能』でも放映されたので再度鑑賞し、藤十郎さんの舞台に柔らかい光を放つ佇まいは、「寿」の言葉が似合う方であるとおもえた。

武智歌舞伎で歌舞伎を知らない者にも何か凄い事をされたらしいとおもわせ、お幾つのときだったのかお初の足の色香の芸を知り、心中の道行きに圧倒させられ、自己中のぼんぼんの柔らかさに笑わせられ、政岡、戸無瀬に驚かされた。

寿栄藤末廣 鶴亀』では、後に続く役者さん達に囲まれ祝われながら次世代の姿を見守りつつ、しっかり所作の息の止めと吐きどころを大切に押さえられている。(合掌)

少し時間を置いてから、あらためてDVDの『封印切』と『河庄』鑑賞いたします。

水上バス・浜離宮恩賜庭園~浅草

歌舞伎座観劇の後、ランチをして浜離宮恩賜庭園へ。飲食店を応援しようとのおもいがあるが、友人たちとの食事はやめている。一人で席を独占するのも気が引けるが初めてのお店に入ってみると、検温、消毒あり。広くて四人席にひとりでも気にならない。後から年輩の男性がひとり入店しビールを飲みながら次々とメニューを注文していく。テーブルの料理の写真を写している。お一人様に慣れているのかも。

お店を出ようとすると年輩のご婦人が入ろうかどうしようかと迷っておられる。お店のかたが声をかけられていた。お一人様いいとおもう。人数多い方が儲けがあるかもしれないが、お一人様は滞在時間が短い。

久しぶりの浜離宮恩賜庭園。入口から少し斜め後方をながめると中銀カプセルタワービルがみえる。

黒川紀章さんが設計したカプセル型の集合住宅である。どこかの美術館で紹介されていて面白いと思ったのであるが、街歩きをしていて突然この建物がみえた。ここにあったのかと嬉しくなったが、今回も確かこの辺かなと振り向いたらあった。

庭園の中に水上バス乗り場あったのを思い出しチケット売り場でたずねると、浅草行きが40分後にあり、左手に10分ほど歩くと乗り場とのこと。庭園は紅葉にはまだ早く、お花畑のコスモスを眺めつつ散策して10分前に水上バスの乗り場へ。自動販売機で乗船券を購入。ほどなく水上バスが到着。パンフレットは品切れとのこと。

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水上バスは、浅草に向かうが、日の出桟橋に寄ってから浅草に向かう。途中竹芝桟橋の案内があり、伊豆大島へ行く時利用したので懐かしい。レインボーブリッジがみえる。日の出桟橋で乗車客を乗せUターンして浅草へ。

フジテレビ。パレットタウンの観覧車。左手東京タワーで正面にスカイツリーが見える。築地大橋勝鬨橋。昨年の5月に隅田川水辺テラスを歩いた時、この勝鬨橋から始めたのである。佃大橋。右手が佃島で住吉神社の赤い鳥居が頭を出している。中央大橋。スカイツリーが近くなってくる。永代橋。左手に日本橋川。ここも日本橋から神田川コースで舟での橋めぐりにいきました。隅田川大橋清洲橋。右手に小名木川で見える橋が萬年橋。

左右の隅田水辺テラスの風景が歩いた時を思い出させる。色々な案内板があった。なるほど、ふ~ん、ほうー、などと楽しみつつ歩いたのである。塗り替え作業の橋が幾つかあり被いがしてあったりしたが全て塗り替えが完了されていた。

新大橋両国橋。左手神田川。蔵前橋厩橋(うまやばし)。駒形橋吾妻橋。終点浅草である。

浜離宮から浅草は所要時間60分ですが日の出桟橋で10分ほど停まっていました。残念だったのが船の上のテラスがなかったこと。船尾は開放されていますが、橋を前からみて通り抜けたいので船室に。窓は開放されていて川風が気持ちよかった。パンフレットが無かったので案内放送で橋を確認。

浅草で行きたいところがあったが欲を出さずに帰路に着く。

映画『ある映画監督の生涯』で溝口健二監督が少年時代みていた風景が今戸橋付近で、石浜小学校では川口松太郎さんと一緒だったのである。そして白髭橋の近くにはかつての日活向島撮影所があり今はその案内板がありそうなのである。昨年歩いたときはその情報を忘れていて気にかけなかった。

隅田川水辺テラスは勝鬨橋から千住大橋まで歩いた。

橋は歩いて渡り、渡った方のテラスを歩いたり、場所によってはまた橋を渡りもどって歩くという感じで進んだ。

桜橋の近くでは「長命寺桜もち」で休憩。「正岡子規仮寓の地」の案内板があった。「大学予備門の学生だった子規は、長命寺桜もち「山本や」の2階を3カ月ほど借り、自ら月香楼と名付けて滞在。そこで次の句を詠んでいる。 桜の香を 若葉にこめて かぐわしき 桜の餅 家つとにせよ 」 

こんな具合でなかなか多種多様の惹きつけどころがある散策でした。