ひとこと・歌舞伎『蜘蛛の絲宿直噺』

蜘蛛の絲宿直噺(くものいとおよづめばなし)』

全神経を集中。常磐津と長唄の生が嬉しくなる。ツケも迫力あり。

猿之助さんの五役の変化は衣裳、動き、絡みと緩急自在。こちらも全てに敏感に反応。中でも幇間が気に入りました。着物の裏地の縞柄、さすが江戸っ子の遊びの粋。足さばきもいとおかし。

女房役の笑三郎さんと笑也さんの豪華衣装と佇まいが御殿の格をあらわす。

猿弥さんと中村福之助さんのはっきりした対照さがこれまたよし。隼人さんが土蜘蛛にねらわれそれも廓攻めなのに納得。福之助さんと隼人さんの存在感がなんとも若々しくすっきりしていて、それでいてぎこちなさが薄れた成長ぶりが頼もしい。

とにもかくにも楽しかった。それでいて陰でのチームワークの心意気が伝わる。襖の美しい絵から蜘蛛の巣へ。黒衣さんがラスト後ろから飛ばす蜘蛛の糸も効果抜群。

終わってみれば、あれは夢だったのか。下りてきたクモが可愛いかった。やはり夢だ。

猿之助さんの『鏡獅子』がみたい。

映画『白痴』『虎の尾を踏む男達』

映画『白痴』(1951年、黒澤明監督)は、ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにして場所を日本の札幌にし時代を戦争の終わった後にしている。主人公は亀田(森雅之)と赤間(三船敏郎)が北海道に渡る青函連絡船のなかで出会う。亀田がうなされて奇声を発したのである。

亀田は沖縄戦で戦犯となり銃殺寸前に人違いとして助かりそのショックから神経がおかしくなりアメリカ軍の病院に入院し退院して札幌の知り合いの家に行くところであった。赤間はこの亀田が気に入り自分のことも話す。好きな女がいて父のお金を盗み彼女にダイヤの指輪をプレゼントして勘当になっていた。その父が亡くなり遺産が入ったので札幌に帰るところであった。

二人は札幌で写真館に飾られている赤間の彼女の写真をながめている。圧倒させるような美しさの那須妙子(原節子)である。亀田は、この人はとても不幸せなひとであるとつぶやく。さらに妙子の目にこの目をほかのどこかで見た目であるとおもう。

亀田は父の友人である大野家をおとずれる。大野家は那須妙子と関係があった。妙子は政治家の妾の身であったが、大野家の秘書の香山(千秋実)に持参金付きで結婚させるという話ができあがっていた。香山は大野の次女・綾子(久我美子)が好きであったがお金も必要であった。亀田の出現でこの仕組まれた動きが大きく変わっていくのである。

誰も見ぬけなかった妙子の心の中を亀田の純粋さが感じとっていた。妙子にとって同じ感性それは光であった。亀田は妙子の目と同じ目をおもいだす。処刑されるとき自分は助かるが処刑される前の若いまだ少年のような青年の目であった。自分はどうしてこんな苦しいめにあわなければならないのかと目は語っていたのである。その目と妙子の目が重なった。

この映画は非常に長くて2時間45分である。第一部が「愛と苦悩」、第二部が「恋と憎悪」である。妙子は亀田を選ばずに赤間を選ぶ。亀田は二人を追いかける。赤間は妙子の心が自分に無い事を知って亀田を殺そうと考えたこともあった。綾子が現れて亀田は綾子に恋をする。妙子への愛とは違うものであった。妙子はそれを感じていて綾子を天使として亀田を傷つけずに一緒になってくれる人として希望をもった。

しかし、綾子は妙子が亀田の理想の女性で自分と亀田の間に入って邪魔をする者と思われ、妙子と対決するのである。亀田の妙子に対する愛は、処刑の時何もできなかったあの青年と同じ妙子を傷つけないで救えないか、いや妙子の魂をじぶんが守り救わなければという愛であった。綾子への愛とは別物であった。

心のねじれは悲劇へと向かわせる。残った綾子は「私が白痴だったわ」とつぶやく。亀田の白痴は純粋さで、綾子の白痴はおろかという意味である。

出演者の個性がきわだっている。原節子さんの存在が強烈でそれでいながら心はガラスのように壊れやすく、いやすでに壊れていて、森雅之さんはそのかけらを集めて修復しようとしているようにもみえる。

この札幌のロケでは有島武郎さんの旧宅が使われていた。ロケをした家は1913年(大正2年)に建てられた家でこの家で森雅之さんは幼い頃を過ごしたことになる。『札幌芸術の森』に保存されている。森雅之さんが生まれたのが1911年で有島武郎さんの文学年表からすると、『北海道開拓の村』にある旧有島邸が森さんが生まれた家ということになりそうである。

映画のクレジットには美術工芸品提供がはっとり和光とあるのも興味深い。

ドストエフスキーの小説 『白痴』をもとにした玉三郎さん主演の映画がありました。『ナスターシャ』(1994年、アンジェイ・ワイダ監督)。これは映画館で観たのを思い出したがとらえられなかった。見直す予定なので、再度挑戦し納得したいものです。

映画『虎の尾を踏む男達』(1945年、黒澤明監督)は59分と短い。歌舞伎の『勧進帳』の映画化である。脚本は黒澤明監督。「虎の尾を踏む」は、長唄『勧進帳』の最後「虎の尾をふみ毒蛇の口をのがれたる心地して陸奥の国へぞ下りける」の詞からきているのである。安宅の関所をこえる時の義経一行の気持ちである。

弁慶(大河内傳次郎)、富樫(藤田進)、義経(岩井半四郎)、亀井(森雅之)、片岡(志村喬)、伊勢(河野秋武)、駿河(小杉義男)、常陸坊(横尾泥海男)、強力(榎本健一)梶原の家来(久松保夫)

強力の榎本健一さんの動き、表情、せりふがこの噺の軽さと世情を現わしている。音楽は服部正さんで、長唄の詞の一節を使って合唱にしたり、独唱や重唱などを挿入し映画の『勧進帳』を楽しめるようにしている。

安宅の関では梶原の家来を登場させ、勧進帳を読む弁慶と富樫の緊迫の場面を、弁慶と梶原の家来にかえ、勧進帳を読み終わる寸前でのぞきこもうとさせている。勧進帳を隠して巻き取る弁慶の優位性の雰囲気となる。

弁慶と富樫の山伏問答も簡潔にし富樫は関を通ることを許可する。そして「虎の尾を踏み~ 虎の尾を踏み~」と合唱がながれる。

そこへ梶原の家来が呼び留めて弁慶の義経を打つ。驚いて止めに入るのが強力である。何が起こったかわからないのである。その様子を見て富樫は家来が主君を打つはずがないと逃がす。

弁慶が義経にあやまるところで、強力がいう。そういうことだったのか。弁慶が気が狂ってしまったのかとおもったと。ここで初めて義経が顔をあらわす。十代目岩井半四郎さんは襲名したのが1951年なので本名の仁科周芳となっていてDVDなので(岩井半四郎)とクレジットされている。

そこへ富樫の家来がお酒を持参する。その盃に富樫氏の八曜紋が描かれているので、富樫は弁慶に対し、あなたの行動には感服したとの意があるのだろうと想像できる。

ここでの舞も強力がどじょうすくいをいれて陽気に踊る。そして弁慶がひとさし舞うと立ち上がって場面がかわる。見事な雲である。強力が酔って寝込んでいる。彼は目をさまし夢ではなかったのだと確信し、飛び六法で立ち去るのである。最初に観たときも面白いとおもったがやはり上手く作りあげられていると再度まいってしまった。

せっかくなので、歌舞伎の『勧進帳』(1997年・平成9年収録)のDVDも観る。映画で山伏に姿を変えているとの情報から弁慶が自分たちは艱難辛苦を通過してきたのだから作り山伏などではない。本当の山伏の姿だという。たしかにである。歌舞伎のほうは優美なつくり山伏なのが歌舞伎である。弁慶が團十郎さん、富樫が富十郎さん、義経が菊五郎さん、常陸坊が左團次さん、そして三之助時代の新之助さん、菊之助さん、辰之助さんである。

観慣れているのに、違う分野で観たあとのためか新鮮で、そうそうこうなるのであると一つ一つ確認する感じでしっかり堪能してしまった。長唄もたっぷりである。こういう交差も好いものである。

映画『武器なき斗い』『わが青春に悔なし』

映画『武器なき斗い』(1960年・山本薩夫監督)より14年前に映画『わが青春に悔なし』(1946年・黒澤明監督)を撮られているのだが、時代としては映画『武器なき斗い』は1920年代、『わが青春に悔なし』は1930年から1940年代までである。

武器なき斗い』は生物学者で政治家であった山本宣治さんが産児制限や農民運動などで貧しい人々に手をかし、政治家となるが右翼によって殺されてしまうのである。

メッセージの文が映し出される。「山本宣治は生物学者であった。いのちをかぎりなくあいしたが故に貧しい人々に深く同情し、抑圧する権力を憎んだ。山本宣治の意志は、平和と独立のために斗う日本人民の心の中に生きる。」

映画では、暗い雨の中、記念碑のような大きな石に向かって周囲を気にしつつ人々が何かをしている。これがよくわからなかったのだが、これは山本宣治さんのお墓の裏に「 山宣ひとり弧壘を守る  だが私は淋しくない  背後には大衆が支持いてゐるから 」と彫られているのだがそれを埋めてぬりつぶされるので農民たちがそれを削り取って字が見えるようにしているのであった。そういう弾圧もあったのである。

山本宣治(下元勉)は両親(東野英治郎、細川ちか子)が経営している京都宇治にある料亭「花やしき浮舟園」に妻子(渡辺美佐子)と住んでいる。

山本宣治は婦人たちを集めて避妊のことなどを教えて歩く。貧しい中で女性達の負担は大きく、女性達に自分で選ぶ権利をもってほしかったのである。婦人たちも知識がないため知りたいと思う。生物学者である山本宣治は静かに研究がしたかったが、小作人たちの生活をみていると地主の横暴に黙っていられず色々な法的知識も教えなくてはとおもう。農民たちが行動すればそれを手伝う。京都大学と同志社大学で教職についていたがそこから追われるかたちとなる。

次第に他の人から頼られ応援もあり労働農民党から国会議員選挙に出馬し当選する。治安維持法改正に反対する国会での質問をまえにして彼は東京に泊まっていた神田の旅館で右翼(南原宏治)に刺殺されてしまうのである。

地主制度は詳細には調べていないが小作人がいかに支配され耕作権が無視されていたかは想像できる。弁のたたない小作人に自分たちの意見を言えるように助け、何んとか理論的に守ろうとしたのが山本宣治であった。そして治安維持法が改正され貧しい人々やそれを応援しようとする人々を弾圧するとして国会で明らかにしようとしていたのである。

原作は西口克己さんの小説「山宣」で、西口さんは映画『祇園祭』の原作者でもあった。脚本は依田義賢さんと山形雄策さんで、依田義賢さんは映画『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(新藤兼人監督)を見直していたところなので発見が多い。

山本宣治さんの実家の「花やしき浮舟園」は今も旅館として残っている。これまた驚きであった。宇治には3回ほど行っているが平等院、宇治上神社、源氏物語などしか頭になかったので今回この映画を観てあの地でこういう闘争と関係があったのだと教えられた。

山本宣治役の下元勉さんはひょうひょうとして優しく大きな流れのなかで闘った闘志というイメージではなくかえって、進んでいくうちに次から次と道を見つけていきそれに従う芯を感じさせる。お母さんの細川ちか子さんが気丈で料亭を采配しつつ息子を応援する役どころが印象的である。

宇治川は色々な歴史を感じながら流れているのである。

この時代のあとにつづくのが映画『わが青春に悔なし』である。

字幕が映し出される。「満州事変をきっかけとして、軍閥、財閥、官僚は帝国主義的侵略の野望を強行するために国内の思想統一を目論見、彼等は侵略主義に反する一切の思想を”赤“なりとして弾圧した。「京大事件」もその一つであった。この映画は同事件に取材したものであるが、登場人物は凡て、作者の創造である。」

昭和8年(1933年)に京都大学の学生と八木原教授夫妻(大河内傅次郎、三好栄子)と娘・幸枝(原節子)が吉田山にピクニックにいくのどかな明るい場面から始まる。その学生の中に、野毛(藤田進)と糸川(河野秋武)がいる。二人は幸枝を意識している。

八木原教授は京大事件によって京大を追われてしまい、それに対して大学の弱腰に我慢できず野毛は行動を起こし検挙されてしまう。幸枝は糸川と結婚すれば平凡に安泰であろうが野毛と結婚すれば激動の人生を送らなければならないであろうと想像していて、野毛に魅かれつつも踏み込めなかった。野毛は刑務所から出て来て糸川と八木原宅を訪れる。野毛は変わっていた。

幸枝は親から自立し東京で暮らす決心をする。希望のない生活のための仕事であった。そして野毛と再会する。幸枝は悔いのない人生をおくりたいと野毛と結婚する。野毛は自分が陰でしている仕事を幸枝には教えなかった。ただ10年後には皆がわかってくれることをしているのだと語る。

野毛は再び検挙される。戦争妨害大陰謀事件の首謀者とされた。幸枝も警察に引っ張られるが彼女は何も知らなかったので留置所から出られるが、野毛は留置所で亡くなってしまう。

彼女は妻として野毛の実家におもむく。実家はスパイの家として村八分であった。彼女は農婦となり姑(杉村春子)と水田を耕す。それをみて息子を不名誉と想い物言わず動かなかった舅も水田に出て立てかけられたスパイとかかれたムシロを引き抜き立ち上がるのである。幸枝はそこに根を張り農村の婦人たちのためにも新しい風を送ることを決意する。

戦後、八木原教授も京大に戻り、講演する。野毛隆吉は今はいないがそこの椅子に掛けていた。諸君のなかから同じ志の人がつづくように自分はがんばるのだと。

大河内傅次郎さんの独特の言い回しは押さえられている。大河内さんの黒澤映画で思い出すのは『虎の尾を踏む男達』の弁慶である。藤田進さんは『姿三四郎』で黒澤監督ともども広く知られるようになった作品である。

原節子さんと言えば小津安二郎監督と原節子であるが、この『わが青春に悔なし』の前半の原節子さんは何とも言えない怪しい美しさがある。自分の心の迷いを現わしているのだが日本人というより外国人の表情を観ているようである。後半は農婦となりリアリズムに描かれていくがその差の幅が興味深い。小津監督の原さんとは違う魅力である。黒澤監督の『白痴』を見直したくなった。『わが青春に悔なし』の脚本が久保栄二郎さんで『白痴』の脚本が久保栄二郎さんと黒澤明監督の共同作業である。

原節子さんは、孤高の人というイメージが強いが、多くの監督の映画に出られていて俳優は監督の素材であるということに徹しられていたように思える。素材であるから生身は自分として生きる自由をもらいますといった分け目がはっきりしていた方のようにおもえるのである。

さらっと音楽映画

ピアノに引きよせられたので手もとの音楽映画をさらっと観なおす。映画『オーケストラの少女』(1937年)。ジュディ・ガーランド主演映画『オズの魔法使』(1939年)でのもう一人のドロシー役候補が『オーケストラの少女』の主人公役のディアナ・ダービンであった。

ディアナ・ダービンも愛らしい。娘のパッツィーは失業中のトロンボーン奏者の父を励ましつつけなげに頑張っている。父がお財布の入ったバッグを拾いそこからたまっていた家賃を払う。皆は楽団にやとってもらえたと勘違いし、父もそうだとウソをついてしまう。パッツィーは父のウソがわかりお金を返しに行く。落とし主の婦人は、音楽家の失業者が多いなら楽団を作ればいい、作ったら援助すると約束してくれる。パッツィーは父に話しみんなであつまり楽団を作るが夫人は気まぐれでヨーロッパに旅立っていた。そこからパッツィーの行動力に拍車がかかる。

実際の名指揮者レオポルド・ストコフスキーが出演し、演奏もたっぷり聴かせてくれる。望んでいた父たちの失業者のにわか楽団の指揮をストコフスキーが引き受けてくれる。パッツィーが歌う『椿姫』の「乾杯の歌」は見事である。誤解が誤解をうんで最終的には大成功というテンポのよさとパッツィーの活躍、そしてオーケストラの演奏を楽しめると言う音楽映画である。

昨年映画『ジュディ 虹の彼方に』が公開された。ジュディ・ガーランドの人生の終盤を描いたものである。内容は生活苦の中で子供を想う母親の姿などで同情的であったがもう少しジュディには堂々としていてほしかった。最後は感動的であったが。ジュディは『オズの魔法使』を撮影中から太らないようにとクスリなどで規制された生活であった。その体験がトラウマのようにジュディの心理的重圧となっている。ジュディに残されていたのは歌うことであった。ハリウッドの中でよく頑張り、ハリウッドを離れてからも彼女なりの歌う旅をよくつづけたと思う。

映画『月光の曲』(1937年)。ピアノコンサートが大盛況で終わる。その時小さな女の子が膝に乗せていた球形のキャンデー入れを転がしてしまい階段を下りてピアニストのそばまでくる。女の子の両親もそばに来て拍手しアンコールには「月光の曲を」と希望する。その両親とピアニストはかつて貴重な時間を共にしていたのである。その時のことをピアニストは周囲の人に語って聴かせるのである。

ピアニストは演奏旅行での飛行機が不時着し、ピアニストの友人ともう一人の男性乗客三人が近くの森に住む伯爵夫人の屋敷に滞在することになる。その屋敷には伯爵夫人と孫娘・イングリットと森を管理するエリックが住んでいた。偶然にも娘の両親はピアニストの月光の曲をきいて結ばれていた。しかし若くして二人は亡くなっていた。そして、イングリットとエリックもちょっとしたアクシデントが発生するが、月光の曲で結ばれるのである。

ピアニストは世界的ピアニストのイグナツ・ヤン・パデレフスキーが本人役で出演している。そのため演奏場面も本人であるがフイルムの保存が悪かったらしく映像も乱れ、最初の演奏場面は手と音楽が合っていない。今回は、観るよりも音楽のほうに気をつけていたので映像の悪さはそれほど気にせずに鑑賞できた。

映画『楽聖ベートーヴェン』(1937年)も同じ年の映画である。『月光の曲』ほど映像は乱れてない。ベートーヴェンの音楽への情熱を与えるジュリエットは他の人と結婚してしまう。しかしジュリエットはベートーヴェンへの想いを断ち切ることができなかった。ジュリエットのことを知りつつもベートーヴェンに友人として無償の愛をささげるジュリエッタの妹のテレーザ。ベートーヴェンは耳が次第に聞こえなくなり貧しさと絶望のはざまで作曲をつづけついに倒れ亡くなってしまう。

その場その場にに応じてベートーヴェンの音楽を耳にすることが出来る。

今年、2020年がベートーヴェン生誕250年の記念すべき年とのことです。

ピアニスト・室井摩耶子さんと映画

思いがけないところからピアニスト・室井摩耶子さんが飛び出してくれた。映画『ここに泉あり』でご本人で出演されていて、室井摩耶子さんは今どうされているのであろうかと検索したら、現役99歳のピアニストであらせられた。人生楽しいです。

室井摩耶子さんの著書を読んだらこれまた元気の出る本で、黒澤明監督の映画『わが青春に悔なし』(1946年)では、原節子さんのピアノ場面の指導と、ピアノを弾く手で出演されていると。

原節子さんの白魚のような手ではないのでと書かれてあるが、このピアノの手の場面は重要な場面である。『わが青春に悔なし』は、滝川事件(京大事件)を扱っていて大学を追われた滝川教授を八木原と名前を変えている。その娘・幸枝が原節子さんである。学生たちとの交流の中でピアノを弾き、終盤になって突然ピアノを弾く手が映し出され、そこから農婦となった原節子さんの手が映し出される。ただ映画では農婦となっても手は簡単に農婦の手にはならないので、それを隠すように水田の水にさらしてすかし、はっきりとは見えないようにしている。

ピアノの手から農婦の手にかわることによって、幸枝の生きかたが変わったことをあらわしているのです。室井摩耶子さんの手がきちんとピアノを弾くことによってその手が農婦の生き方を選んだことに悔いがないことを伝えてもいるわけである。観返して重要な場面なのだとあらためて感じた。

映画『ここに泉あり』(1955年)では、高崎市民フィルハーモニーと東京管弦楽団との合同演奏会でチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第一番」が演奏される。指揮者が山田耕筰さんでピアノが室井摩耶子さんである。市民フィルハーモニーの速水かの子(岸恵子)が弾くことになっていたが妊娠していてつわりと腕に自信がなく辞退し、室井さんの演奏をじっとみつめる。これまた重要な心理が交差する。

この時の室井さんの髪型が縦ロールに巻いている。映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのような髪型である。室井さんによると映画が日本で上映される前で自分で考えられたとのことである。「他人と同じではつまらない」というおもいが強いようである。

東京音楽学校(東京藝術大学)に入っても何かが違うとおもいつづけ、『ここに泉あり』の次の年には日本を飛び出すのである。ふたたび日本にもどるのは30年後である。

チラッと触れているのが映画『カルテット!人生のオペラハウス』である。かつて活躍した音楽家たちが暮らす老人ホームで、金銭的に継続が難しいというのでガラコンサートを開催し資金を集めるのである。それぞれ自分の音楽にかけてこられてきた方々なので個性的で色々あるがガラコンサートは盛況であった。そのなかでもヴェルディの歌劇『リゴレット』の四重唱のかつての仲間が再び披露するまでの4人の人間関係が中心になっている。

この映画について室井さんは言われている「こういう人を自由に暮らさせるホームは素晴らしいと思ったけれど、もし日本にあったら、どうかしら。私はやはり音楽家同士で暮らすのは大変な気がするわ。」

この老人ホームのモデルとなったのがミラノにあるそうでドキュメンタリー番組もあり室井さんは観たとのこと。その中で、一日中『エリーゼのために』を弾いているピアニストがいて「私は彼女の奏でる音を聴いて、ベートーヴェンの半音の使い方の美しさを知った気がして、とても印象的だった。」と。

室井摩耶子さんは、一音を求めてピアノを弾かれ続けておられる。室井さんの本を読んでいるとピアノが聴きたくなる。室井さんのCD『「演奏の秘密」~聴けば納得~』を聴く。楽譜は読めないが、解説の語りには一音一音に恋している室井さんの爽やかで強い想いが伝わってくる。こちらもただ流れを追っていたピアノの聴き方に違いが生じたようにも思える。勝手にそうおもっているだけであるが。ピアノとの新しい出会いである。

「音楽とは音で書かれた詩であり、小説であり、戯曲です。物語のない演奏には感動がありません。」

歌舞伎座『楊貴妃』

玉三郎さんの口上から始まる。今回の背景は金屏風であった。中央に向かって次第に屏風の高さが低くなっていく。DVD『坂東玉三郎舞踏集3 楊貴妃』の『夕霧』の背景が金屏風で舞台一面の高さになっていたのを眼にしていた。場所はかつての銀座セゾン劇場なので、広さから考えての舞台づくりということであろうか。衣裳の色も白系の銀の感じである。9月は歌舞伎座の前での「雪之丞変化」の感じであった。

DVDの『楊貴妃』を観ていたのでそのこちらの気持ちと玉三郎さんの話しや生の舞台と映像にさらに自分の中の映像が重なるという時間空間であった。

京劇の独特の手は仏画からきているということで、玉三郎さんが中国で京劇に触れた時シルクロードの風を感じ、それはシルクロードを渡ってきた楽器を収集して出来上がった音楽であるということであった。

ヨーロッパでのバックステージの見学の事にも触れられて、もっと近づきたかった美しい衣裳のことなど。ファッション系のドキュメンタリーを観るのが好きなので先日観た『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』が浮かぶ。インドの織物の色と刺繍、そしてそれらの布を重ねて洋服を作るデザイナー。歌舞伎の衣裳のようだとおもった。大きく映像に映し出される打掛、着物、帯、のぞく裏側の模様、重ねられた襟の色具合など、洋服にしたときの軽さと歌舞伎の衣裳の重さの違いでその模様などは自由自在である。玉三郎さんは様々な豪華な衣装を身に着けられることにも喜びを感じられていた。

楊貴妃』の衣裳となると刺繍である。そして長い黒髪に負けじと優雅に飾られた髪飾り。

今回の歌舞伎座映像バックステージでは玉三郎さんの楽屋にも。工芸品の部屋である。

楊貴妃』は、夢枕獏さん作で玄宗皇帝が亡き楊貴妃に自分の文を方士に届けさせるのである。方士は修業をして仙術を身につけ亡き人の魂と話しが出来るのである。舞踊集では彌十郎さん出十郎さんで今回の映像は平成29年の歌舞伎座で上演したもので中車さんであった。中車さんの方は仙人のイメージを強くしたのか老人となっている。それぞれの方士の設定にあった趣である。

楊貴妃が姿を現す時、「九華(きゅうか)の帳(とばり)」から出てくるとあるが舞踊集ではその様子を手のみで表現している。歌舞伎座では小さな東屋のようなところから「九華の帳」をそっと押し分けて現れるのである。具体的になるのであるが、最後姿を消す時も「九華の帳」の中へ消えていく。この最後は舞踊集で消える時は透ける幕の中に入っていきその姿が飛鳥時代の仏像のように見え幻想的で、こちらの方が好きである。

玄宗皇帝の言の葉は文箱に結ばれたひもで方士から楊貴妃に手渡される。映像ではそれを手にして舞うが舞台での玉三郎さんは手に何も持たない。すでにこちらの世界では見えていなくても見えているのですといわれているようである。

舞踊集では舞台の狭さから上手に動いてすーっとわからないように大きな扇を受け取り玄宗皇帝が作った曲に合わせて踊るが、今回は見えないように後見から受け取る形にしている。邪魔にならないように後見の姿もなるべく見えないようにして工夫していた。一人で舞うということでそうした工夫をいろいろ考えられたこともよくわかった。様々なことが浮かびたっぷり堪能させてもらえた。

いつかふたたび全てを生で『楊貴妃』を観ることができるであろう。『老松』も生で観たい舞である。

https://www.tjapan.jp/entertainment/17396921

追記  能の『楊貴妃』も基本に考慮されているので「九華の帳」は能の作り物から考えられたのだと気がつきました。能の『楊貴妃』も観てみたい。胡弓、筝、尺八などの楽器で大陸へと誘われますが筝といえば驚かされたことがあります。亡くなられた箏曲家の二代目野坂操壽さんと娘さんの野坂恵璃さんが25絃筝で伊福部昭さん作曲の『交響譚詩』を演奏されているのをテレビで観ました。伊福部昭さんが箏曲を作曲されていたことにも驚き箏曲の力強さにも圧倒されました。融合されると新しい世界が広がるのが素敵です。

ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー』

マンハッタンの小さなアパートに住む普通の夫婦が絵画をコレクターし、全てを美術館に寄贈された。ドキュメンタリー映画『ハーブ&ドロシー ~アートの森の小さな巨人~ 』(2010年)がヒットして2作目『ハーブ&ドロシー 2 ~ふたりからの贈り物~ 』(2012年)ができあがる。プロデュース・監督が日本人の佐々木芽生さんである。

ドロシーは図書館司書でハーブは郵便局の仕分け係の仕事をする普通の夫婦である。ドロシーは新婚旅行でワシントンD.C.へ行きナショナル・ギャラリーで絵のことをハーブから教えてもらうのである。ハーブは絵を描いていたことがあり、郵便局で夜中から朝8時まで働き数時間眠って、ニューヨーク大学の芸術学部に通い西洋からアジアまで美術を学んだ。ただハーブは自分の趣味を人に押し付けるのを好まなかった。職場の人は夫婦のことが新聞やテレビで紹介されはじめて知るのである。

ドロシーも絵を学ぶようになり新婚のころは二人はコレクターではなく描く方ほうであった。それが、現代アートの若手アーティストの作品を購入するようになり、アパートのの壁にはたくさんの作品が飾られさらに所狭しといたるところに積み上げられるようになる。

アーティストの所に通いコツコツと交渉し、コツコツとコレクターしていったのである。売るためではないのを知っていて安く購入できるものもあった。自分たちの働いた収入で購入するのである。値段が手ごろで、アパートに収まる大きさであること。

ドロシーの兄夫婦がゆったりとしたソファーに座り、義妹が、あの人たちも絵の一枚も売れば私たちのようにゆったり暮らせるのにとコメントしている。そうなのである。こちらは食卓の腰掛け椅子のゆとりしかないのである。しかし、それはそれぞれの生き方の価値観であり多様性のよさである。

ナショナル・ギャラリーに寄贈することになる。売らないという条件付きである。ナショナル・ギャラリーは観覧無料である。ところが、全てを展示することができない。あまりにも数が多いのである。次のプロジェクトが。全米の50の美術館に50作品づつを寄贈することになる。ハーブは反対だったようである。一人のアーティストの作品が分散されるのをきらったのである。そのことは次の『ハーブ&ドロシー 2 ~ふたりからの贈り物~ 』でドロシーがちらっと話す。

アーティストの中にも分散されることに反対し夫婦から離れ、その後和解する様子も描かれている。ナショナル・ギャラリーの倉庫に眠らせておくのはしのびないという想いからのプロジェクトであった。各美術館がアーティストや夫婦に展示の方法を聴いてそれぞれの展示の仕方を考えていくのもすばらしい。ハーブのこだわりに合わせて展示する様子も楽しい。

ハーブが亡くなりドロシーはさらに全てを寄贈する。そして興味深かったのはパンフレットとか細々した資料を公文書館に送るのである。夫婦が特別な人だからなのであろうか、ドロシーは気軽に送ることを言っている。普通は美術館とかなのではないかと思うが。受けるほうも資料が多く配達する人が大変でしょうと笑っている。

作品を寄贈する時、引っ越しの大型車(日本より大型)一台であろうと予想したら5台であった。作品なので梱包も考慮したのであろうが驚きである。普通の人ってやるときはやるのである。格好いい。頑固にコツコツやっているのがお見事。

ドロシーは、送った美術館にも展覧会が行われているか、送った作品がデジタルで紹介されているかなどもきちんとチェックしている。図書館司書としての仕事が生きているのかもしれない。この映画はハーブとドロシーの生き方にも感動するが、現代アートが観たくなる気持ちにさせる。

http://herbanddorothy.com/jp/

とにかく絵画に対する飢えを感じて上野の芸大の美術館へ。『芸大コレクション展 2020』。久しぶりに『序の舞』(上村松園)、『一葉』(鏑木清方)と出会う。生徒製作(卒業制作)の自画像もそれぞれの画家の違いや、なるほどと思わせてくれる物もあり楽しかった。

上野公園では、路上パフォーマンスの人たちが、ちらほら見受ける。「七か月ぶりなんです。その線からは近づかないでください、すいません。」と気を使われている。

こちらも久方ぶりの散策である。

https://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2020/collection20/collection20_ja.htm

ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (3)

1954年(昭和29年) 『日の果て』(山本薩夫監督) 『ともしび』(家城巳代治監督) 『どぶ』(新藤兼人監督) 『太陽のない街』(山本薩夫監督)

日の果て』   梅崎春生さんの小説が原作である。ルソン島で絶滅しそうな状況の一隊が飢えに苦しむが、上官は切り込み隊の任務を命令。途中兵隊たちは脱走してしまう。花田軍医(岡田英二)は地元の女性(島崎雪子)と一緒にいてもどるようにという命令にも従わない。宇治中尉(鶴田浩二)が再度もどるように伝え従わないなら殺すように命令される。花田軍医はもどる気はなく宇治中尉は病に倒れてしまう。宇治中尉も次第に戦争の虚しさから自分を解放することを決心するが、お互いの誤解から銃弾に倒れてしまう。脱走ではなく自分を自由の身にするのだという主張は戦争映画では少ないであろう。

ともしび』  1950年代初めの貧しさと闘う子供たちと教師の物語である。何とか子供たちに学ぶ楽しさをと教え方を工夫し情熱を燃やす教師とその教え方が思想的にアカだときめつける教育者と村人たち。試行錯誤する若き先生たちが受ける試練である。松熊先生(内藤武敏)は学校を去るが子供たちは生徒大会で意見を出し合う。いづれ自分たちの村を住みやすい場所にすると希望を語り合う。

香川京子さんが生徒の一人の姉として出演。インタビューで語る。新東宝でデビューして3年目、本数契約で会社の本数をこなせばフリーで出演できるようになり『ともしび』が独立プロ初めての仕事。鍬の持ち方から苦労。戦中派で勤労奉仕もしたがサマにならなかった。社会の一員として社会を知らなければ、社会人の一人として生きなければとフリーになってわかったと。

どぶ』   川崎のカッパ沼の近くのバラックに住んでいる人々のところに、少し頭の回転が違う女性・ツルがあらわれる。トクさんにパンをもらいトクさんは好い人と思ったのであろう。トクはピンと同居していてそこにツルが同居するのであるが、ピンが学生でその学費がなく学校をやめなくてはならないとのウソの話しをする。ツルはまかせておきなと川崎の駅にたち客をとるのである。乙羽信子さんの演技がオーバーで観ていてやり過ぎと思わされたが、ラストでその突飛さに監督の計算があったのだと思わされる。

ツルはカッパ沼部落に来た時自分のこれまでの経験を話すが、その過程で悪い病気をうつされそれが脳にまわっていたのである。そのことをツルは知っていた。それを隠してツルは本当の自分をみせずに闘っていた。死に顔が美しく生きていた時の白塗りのツルと対比させている。ツルが書いたという小説が皆を泣かせる。

太陽のない街』  → https://www.suocean.com/wordpress/2020/05/25/

1955年(昭和30年)  『ここに泉あり』(今井正監督) 『姉妹』(家城巳代治監督) 『』(新藤兼人監督)

ここに泉あり』  高崎でオーケストラの楽団を作ろうと奮闘する人々のはなしである。食べるのもやっとで世話役の井田(小林桂樹)は家庭崩壊寸前。楽団員の指揮者の速水(岡田英次)は仲間の佐川(岸恵子)と結婚するが、妻は才能があるのに子育てと生活のため自分の音楽活動がさえぎられ夫婦間がぎすぎすする。そんな中で励まされるのは演奏に行った場所での聴いてくれる人々である。山の生活に帰りもう生の演奏は聴くことがないかもしれない子供たち。閉ざされた生活をしているハンセン病の人々。そしてかつて合同演奏会を引き受けてくれた山田耕筰さんが心配して訪ねてくれ励ましてくれる。

希望をもったり失ったり。現実との相克が仲間たちとのいさかいなどを含めて描かれている。演奏のために楽器を抱えての旅は自然をまじえリアルに映し出される。その中で、映画を観る者も演奏場面を楽しませてらう。

ピアニストの室井 摩耶子さんも本人役で出演されていて今も99歳の現役ピアニストということである。まさしく<ここに泉あり>。

姉妹』  性格の違う姉妹が、成長していく物語である。父は発電所勤務でやはり家は貧しいのである。そんな中、姉妹(野添ひとみ、中原ひとみ)は山から町の伯母の家に下宿し学校に通う。妹はお金持ちの友人と友達になったり、姉は結婚問題があったりと様々な人々の生活と環境に触れ、自分の道を見つけ出していく。自分の見た目での世の中の矛盾にぶつかっていく妹の元気の良さが印象にのこる。

中原ひとみさんは、この映画で注目され映画『純愛物語』(1957年・東映・今井正監督)へとつながっていくのであろう。

純愛物語』についてはこちら→https://www.suocean.com/wordpress/2012/06/16/ 

https://www.suocean.com/wordpress/2012/06/20/

ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』で中原ひとみさんと江原真二郎さんご夫妻は朗読を担当されている。

』   観始めからよくわからない展開となる。強盗できると思えない人が郵便車を襲うのである。2人の女性と3人の男性の5人組である。次に5人の出会いと強盗までにいたる経過が描かれる。5人(乙羽信子、高杉早苗、殿山泰司、浜村純、菅井一郎)は終戦で仕事もなく生命保険の外交員の募集をみて集まった人々である。集まった人々は全員合格となり、昼食に玉子どんぶりが並んでいる。このどんぶり物がいかに人々が飢えていたかを主張している。

5人は営業成績も悪く6か月の試用期間も終わりに近づきピアノの音が流れる家の前の空き地に集まっている。音楽担当が伊福部昭さんでこのピアノの音楽だけにしている。そこで5人は1人の男性の情報から郵便車の強盗を計画するのである。戦争中映画の脚本を書いていた男性がいる人物設定も面白い。強盗は自分たちにとっては自殺であるの結論。

5人それぞれの家庭事情も描かれる。2人の女性は未亡人で、女性一人の願いは、のびのびになっている子供の手術を受けさせること。もう一人は子供が二人いて電気も止められている。この女性は子供たちと心中してしまう。その遺書が4人に向けて書かれていて新聞に載る。

多くのベテランの俳優さんが出演していて出演時間は短いがそれぞれの人間像をしっかり表現している。保険の勧誘をうけるクリーニング店の左卜全さんのアイロンの扱い方などはきちんとサマになっている。

独立プロ映画に出演されている俳優さんたちの中にはその後の任侠映画などでもおなじみの人たちも多く、こういう仕事で腕を磨かれていたのだと納得する。

書き込むために見直すと新しい発見があり、膨らみ、時間がかかってしまう。

追記: 『ここに泉あり』に出演されたピアニストの室井 摩耶子さんの本を二冊読ませてもらった。とても楽しい方で思いもかけない飛び方をされる。その中で、黒澤明監督の映画『わが青春に悔なし』で原節子さんのピアノを弾くシーンの手は室井摩耶子さんであると知る。さらに、ダスティン・ホフマン初監督の『カルテット!人生のオペラハウス』にも少し触れられている。前作二本は再度演奏場面を注意深く観ることにし、三本目は初観しなければ。室井 摩耶子さんの本も読みやすいので三冊目に入る。

    

ひとこと・映画『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』

現在と過去を較差させて『若草物語』は進む。それで終わりかなと思ったら、ジョーの魅力を発揮させてくれた。ジョーはやはり格好いい。出版社との交渉。「著作権て重要そうね。」。ベア教授の「シェークスピアは大衆文学と詩を融合させた。」の言葉に、そうであるならもっと気軽にシェークスピアを楽しめるかもの期待。

ジョーはシアーシャ・ローナン。映画『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグ監督とシアーシャ・ローナンが再び。『レディ・バード』は一回ではわからなくて二回目で、少し。そこまでやるかな。若さか。三回目に挑戦しなくちゃ。グレタ・ガーウィグ監督は映画『フランシス・ハ』の主演で脚本にも参加。

「悩みが多いから私は楽しい物語を書く  L・M・オルコット」

楽しいだけじゃない。ひとりひとりを愛し深く観察しています。

ドキュメンタリー映画『薩チャン正ちゃん』まで (2)

1953年(昭和28年)  『女ひとり大地をゆく』(亀井文夫監督)  『煙突の見える場所』(五所平之助監督)  『縮図』(新藤兼人監督) 『雲流るる果てに』(家城巳代治監督) 『蟹工船』(山村聰監督) 『にごりえ』(今井正監督) 『ひろしま』(関川秀雄監督)

女ひとり大地をゆく』  「これは北海道の炭鉱労働者が一人33円づつだしあって作った映画である」とクレジットあり。若い娘さんが売られていく貧しい時代の1923年から20年間炭鉱で働いた女性の半生である。その主人公が山田五十鈴さん。次男役の内藤武敏さんの話しによると、北海道の夕張炭鉱で撮影中、実際に労働争議が起りストになり坑内に入れずその後釧路の炭鉱で撮影したそうである。

煙突の見える場所』  原作は椎名麟三さんの「無邪気な人々」で脚本は小国英雄さん。映画は4本の煙突が場所によって本数が変わって見えるというキーポイントがある。原作の題名から小説の方も読みたくなる。家を借りている夫婦(上原謙、田中絹代)が借り賃の助けに二階二間を貸す(芥川比呂志、高峰秀子)のである。この家に赤ん坊が置き去りにされる。赤ん坊を巡って大人たちはそれぞれの行動をする。高峰秀子さんならではのフェイントぶりがこの作品でもうかがえる。

縮図』  そうそうたる役者さんたちが出演している。家族のために芸者になる銀子(乙羽信子)の半生を描いていて、人身売買に対する抗議の意味もある。明るく割り切って生きているように見える銀子はお金で縛られた芸者がつくづくいやになる。病で助からないと家に帰るが妹が亡くなり自分は助かる。また家族のために銀子は芸者に出る。乙羽信子さんの踊る「かっぽれ」に愛嬌があり、常に心の闇を奮い立たせている銀子がみえる。自然描写もみごとで雪国がいい。さらに照明のよさが白黒映像の味わいを堪能させてくれる。置屋の女将の山田五十鈴さんの演技力の振り幅にはまいってしまう。

雲流るる果てに』  出撃を前にした特攻隊員の心情と仲間意識を現している。迷いがないとおもっていた大瀧中尉(鶴田浩二)が号泣するのをみて怪我が回復していない深見中尉(木村功)も共に出撃する。空中の飛行機の映像は記録映像である。この記録映像に今までにはないほど涙がでた。飛行機に乗っている一人一人の生きた人間像が浮かぶからである。上官たちが出撃機の体当たり成功率で評価し、まだまだだ次はもっとというその痛みの無い様子には怒り爆発である。

蟹工船』  小林多喜二さんの原作の映画化である。山村聰さんが脚本・監督というのが驚きである。映画にも出演していて、わけありで船に乗るが海に投身自殺してしまう。蟹工船とは、劣悪な労働条件の中で蟹をとり缶詰めにする船である。家族のために恋人のためにお金のために乗り込む男達。これを仕切る会社のバックには海軍があり、現場の監督はその威力を借りてやりたい放題である。昭和初年の話しで我が国の北洋の蟹漁業はその名を世界に謳われていた。

にごりえ』  今井正監督の作品のなかで一番好きな作品である。樋口一葉さんの小説『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』を一作品ごと映画化しているのである。文学座が初めて総力をあげて取り組んだ映画で役者さんたちもそろい、演技的に安心してみていられ映画でえがかれた一葉さんの世界にすーっと運んでくれる。

井手俊郎さんと共に脚本を担当された水木洋子さんが書かれている。「私は敬愛する一葉の珠玉のような短編を心から栄誉を感じて、すらすらとよどみなく、あっという間に書くことが出来た。勿論日記を通読、当時の一葉の環境に自分が暮らしているような気持で楽しかった。」

ひろしま』  助監督に熊井啓監督の名前もある。音楽が伊福部昭さんで次の年の1964年にはあの『ゴジラ』の音楽である。独立プロ系の映画にも多く参加していて、重厚さと力強さが感じられるが『縮図』では星を眺めるシーンでは優しい旋律をつかう。

映画では延べ8万8千5百人の方々がエキストラで参加されている。

出演された月丘夢路さんがインタビューで話されている。松竹の専属の俳優だったが何かしたいと思っていた。自分の生まれ育った広島の映画なので出たかった。松竹に何回もお願いして出られるようになった。悲惨な状況を残したい。出てくるのが自分の行っていた女学校だし、当時のヒロシマの情景がよく再現され出られたということだけでうれしかった。街並みとか本当によくスタッフの人たちは再現してくれた。」

さらにこんなエピソードも。「日本航空が初めてアメリカへ飛んだ時招待されたが、調べたらこの人は『ひろしま』に出ているから来てくれるなといわれた。」月丘さんはその前の昭和26年にアメリカに興行でいき昭和27年一年間アメリカに滞在して色々勉強されていたのである。そしてアメリカの役者さんや歌い手さんが富を得たら社会に還元する意識を見て自分も何かしたいとおもったのである。アメリカの国から学んだのではなくアメリカの人から学ばれたのである。

その国とその国の人とは別に考えたほうがよいときもある。国は人を呑み込みたがる習性がある。

ひろしま』では最後に広島を行進する人々の後を歩くかのように原爆で亡くなった人々が起き上がり歩きはじめる。関川秀雄監督の映画『日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声』(1950年・東横映画)でも亡くなった兵隊さんたちの亡霊が起き上がるのである。何かを語りたい思いが胸にこたえる。

1954年に久我美子さん、有馬稲子さん、岸恵子さんが<にんじんくらぶ>を設立する。その前年の1953年の映画作品の素晴らしさを書いている。映画界は熱い時期であった。そして独立プロも大きく作用したと想像できる。

https://www.suocean.com/wordpress/2014/06/21

ひめゆりの塔』(1953年・今井正監督)は独立プロではなく東映である。水木洋子さん(脚本)は書いている。まだ沖縄に渡ることが出来ず、当時の傷病兵を訪ねて、ひとりひとりの行動を縦横の図式表につくり誰は何処で何をしたかを区分して群像の処理にあたった。「そして性格づけもタイプも生々と目に浮かぶようになって、やっと執筆にかかった。」 教師たちは必死で女学生を守ろうとしている。軍医も横暴ではない。音楽は古関裕而さんで、戦争とは思えない、若い命の美しさに添うように流れる。

追記: 『ひめゆりの塔』に関してはこちらでも書いていたので参考まで。

→  https://www.suocean.com/wordpress/2014/02/28/