もぐらさんたち 【崇徳院】

落語に「崇徳院」という噺がある。歴史上の崇徳院は自分の皇子を帝位に就けることが出来ず、弟が後白河帝となる。崇徳院は政争に巻き込まれ保元の乱が勃発し、その争いで敗者となり出家して仁和寺に籠もるが、讃岐に流されてしまい讃岐で悲憤の中崩御される。

落語はその崇徳院の歌<瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思う>を使っての噺である。熊五郎のお世話になっている家の若旦那が心の病になっているので原因を聞きだす役目となる。若旦那は恋の病で上野の清水観音の茶店でふくさを拾ってあげた娘の事が忘れられないでいた。手がかりは娘がお礼に短冊に書き残した崇徳院の歌<瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思う>だけである。それを手がかりに熊五郎は娘さんを捜すのである。

古今亭志ん朝さんの「崇徳院」をCDで聴き直した。熊五郎と若旦那のやり取りが絶妙である。江戸っ子の職人の熊五郎は恋わずらいの若旦那の気持ちなど全然解からないから若旦那の話を混ぜっ返す。若旦那はため息吐息であるからその熊五郎に対し優男の頼りなさで答える。「元気ならぶつよ~」。この若旦那がなんともいい。歌舞伎の和事を声だけで表現している。客の笑い声が聴こえるので若旦那のときはそれなりの動きをしているのであろうが、声だけで十分伝わってき想像できる。流石である。

大河ドラマではこの歌は崇徳帝との佐藤義清(のりきよ)との間で交わされ政争の苦悩を表しているように使われている。一方それとは別に純粋の恋い歌としてみるむきもある。この佐藤義清が出家して西行となるのである。