映画 『馬』

映画『』と記せばやはりこの映画の事に触れないわけにはいかない。

』 1941(昭和16)年 東宝映画

監督・脚本・山本嘉次郎/製作主任・黒澤明/出演・高峰秀子・藤原鎌足・竹久千恵子

物語は、生まれた仔馬を貰えるということで妊娠馬をあずかった農家の少女いね(高峰秀子)が、まずは親馬のはなの世話を母親に嫌味を言われるほど一生懸命になる。そして約束通り生まれた仔馬を貰い少女いねと仔馬の交流が始まる。仔馬のうちに借金のため売られた馬を自分が紡績工となり仔馬を買い戻す。無心で心を込めて育てた仔馬も2歳となり結果的には生活のために軍馬として高く売らなくてはならないラストの別れは判っていながらどうする事も出来ないいねの気持ちと同化する。

「私の渡世日記 上」(文春文庫)に高峰さん自身が、撮影の様子や山本監督・製作主任黒澤さんの事など冷静な目で書かれている。また撮影外での馬との交流も書かれているが随分荒っぽいことを少女スターにやらせていたと思う。

この映画は昭和14・15・16年と三年越しで撮影されている。東北の四季が盛り込まれており軍馬を育成する事は国策でもあったので出来た贅沢かもしれない。大スター三船敏郎さんを見出したのは山本嘉次郎監督でデビュー作が黒澤さんと山本監督のもとで助監督をしていた谷口千吉監督の『銀嶺の果て』、その後、黒澤明監督の『酔いどれ天使』『野良犬』と続くのである。『馬』のカメラマンは春・夏・秋・冬それぞれ4人が自分の得手とする季節を担当していたというのも他ではないであろう。黒澤さんがこの『馬』から学んだ事は、後の自作映画に影響を与えていると思う。時代劇の馬の扱いかたとか隊列を組ませて歩かせたり走らせたりセット・衣装など。

撮影ロケの馬は移動させる事が出来なかったので現場でそれぞれ違う馬が調達され、小道具さんがその度に同じ馬と見えるように部分的な毛の色を変えたりする作業に高峰さんは同情しているが、馬と信頼関係を演じている高峰さんの大変さも並ではない。役者というのは肉体労働者である。

』を見直した。馬に注目して見ていたが、人物も馬も自然描写も丁寧である。

いねの馬に対する献身さは、母に嫌味を言われても馬中心である。馬のはなが病気になった時、真冬に雪に埋もれながら山道を青草求めて歩く姿は、こうと決めたら曲げない彼女の性格をよく表している。その性格が母親に叱られる原因でもあるのだが、はなが出産する場面は、父親の活躍の場で家族が一体化していく様子がよく出ている。この場面はこれからも映画ファンを魅了するであろう。生まれた仔馬が自分の力で立ち上がるのを応援する家族の姿を馬側からも撮っていて家族の顔が輝いて笑い声で溢れる。

馬の方の映像はドキュメンタリーのようである。また借金のために仔馬を売って、親馬が馬小屋から逃走して走りまわるシーンも長いショットである。その姿からいねは紡績工となって仔馬を買い戻すのであるが、母親が一番反対する。体を壊しでもしたらどうするのかと。いねの友達も皆行っているのだが、まだまだ紡績工の労働条件の過酷だったことがうかがい知れる。

お盆にいねが帰ってきて仔馬をこぞうと呼んで捜すが解からない。こぞうはいねの後ろからずうっとついていく。美しいシーンである。こぞうはいねの想像を超えて成長し立派な体格になっていたのである。しかしそれは別れの時でもあった。

こぞうは馬市で競りにかけられる。550円と高値で軍馬として買われることとなる。これでいねの紡績会社への借金も払うことが出来、紡績工から開放される。だがいねにとってそれは喜びとはならなっかた。その矛盾のなかでじっとこぞうを見送るいねの涙顔。いねの激しいときは激しく、決心したときは抑えた姿がそのまま共感できる。

興味をひいたのは、いねの兄が編んだバスマットが、東京駒場民藝館の東北地方農業民芸展覧会で評判を得て100枚の注文がきて手付けとして30円送られてきたことである。この民藝館は1936年に柳宗悦が駒場の自宅隣に建てて「民芸運動」の拠点としていたわけで映画の中でその活動の一端を知れたわけである。「日本民藝館」は今でもあり、近くには「日本近代文学館」「旧前田侯爵邸」がある。

もう一ついねの一家が預かった馬の品種がノルマンで当時軍馬はノルマンと決まっていたそうである。ということは時代によって馬の品種も違うわけで、黒澤監督などの時代映画はその辺はどうだったのであろうか。この映画『馬』に関してはその時代のノルマンを存分に堪能できる。

さらに今では歴史的建造物としてしか見られない住居の中の馬小屋のある生活が余すことなく描かれていて、馬と共に生きた農耕文化の一時期の生活をいねを通して体感できるのも映画の力である。

追記: その後、映画の馬がノルマンにサラブレットを交配したアングロ・ノルマンと知る。軍馬生産振興のために政府からの指示で制作された映画だそうであるが、少女と馬の交流が心に残る映画となっている。アングロ・ノルマンの馬は今は「幻の馬」で馬を見るだけでも貴重な記録映画となっている。

追記2: アメリカ映画で馬と少女の映画と言えば1945年のエリザベス・テイラー主演の『緑園の天使』である。こちらの少女は夢に向かってひたすら行動する。