歌舞伎映像 【平家物語 建礼門院】

もぐらさんたちの増える勢いが速くて追いかけていられないので、もぐらさんたちは勝手にさせておいて気の向くままに。

歌舞伎名作撰 DVD 『平家物語 建礼門院』。これは平成7年11月歌舞伎座にて収録したものである。

建礼門院・中村歌右衛門/後白河法皇・島田正吾/右京太夫・中村魁春/          阿波内侍・中村 時蔵/

京の都大原の寂光院に、壇ノ浦で入水したが助けられてしっまた安徳帝の母君徳子が髪を下ろし尼(建礼門院)となって亡くなった人々の菩提を弔いなが暮らしていた。そこへかつて建礼門院に仕えていた女房・右京太夫が尋ねてきて最後までお供できなかった事など胸の内を語り、平家一門の最後の様子や源氏の兄弟不和の事など世の中の無常をしみじみと思いめぐらす。そこへ、後白河法皇が訪ねて来られる。建礼門院は、この悲しみのを創られた法皇には会いたくなっかた。やっとどうにか御仏の力で自分の気持ちを押さえているのに、また乱されるのは耐えられなっかた。法皇のたっての願いから後白河法皇と建礼門院の対面となる。

建礼門院は押さえがたく自分の法皇に対する恨み辛みを全てを法皇にぶつける。法皇はその刃を受けるためにきたのだと伝える。自分は武士と武士を争わせ、兄と弟を争わせその勢力を弱らせ、かつての貴族による摂関政治を夢見たのだと告げ、おのれの罪深さを恥じ入る。

その時建礼門院は阿弥陀の声を聴く。許しなさいと。建礼門院はその事を法皇に告げ、浄土で御会いしましょうと微笑むが、法皇は、私はあなたと同じ所にはいけない、地獄にて皆の責め苦を受けましょうと語り別れをつげるのである。建礼門院は穏やかなお顔でいつまでも法皇の去り行くお姿に静かに手を振られるのである。

歌右衛門さんと島田さんの『建礼門院』は実際に観ている。歌右衛門さんは魁春さんたちに手を借りての立ち居振る舞いであったが建礼門院の気持ちは、その手先から顔の動かしかたから、島田さんの法皇の台詞に対する間合いからじわじわと伝わってきた。人とそこに積み上げてきた演技の技術というものが溶け合うとこうなるのであろうかと思った。それを<芸>とも呼ぶのであろうが。新歌舞伎という事もあってか島田さんは島田さんの演技で受けられてお二人の台詞劇は見事であった。後白河法皇と建礼門院だけの空間ではなくもっと広い空間に思えた。

ところが「平家物語」を読み、映像をみたら、許せるだろうかと疑問に思ってしまった。「平家物語」の平家一門の最後は、悲惨である。実際に受けた身にしてみればそう簡単にはと考えてしまった。北條秀司さんが10年を費やして書かれたそうで、どの辺を苦慮されたか解からないが、この許せるかどうかではないだろうか。

ただ「平家物語」を読んでいたので、出てくる人物の名前がどういう人かはすぐ想像できた。舞台では、建礼門院と右京太夫の会話が無意味に流れていたのであるが、法皇の訪れる前の重要な台詞だと解かった。阿波内侍が信西の娘である事も。「平家物語」では阿波内侍が法皇をお迎えし法皇が変わり果てた内侍に気がつかず名乗るのである。右京と資盛の事は書かれてあったかどうか記憶にない。このあたりも小説になっているようである。

もう少し時間をおいて映像は観てみたいと思う。今度はどう感じるか。