新橋演舞場11月 『吉例顔見世大歌舞伎』 (夜の部)

熊谷陣屋』。これは今迷走なのである。観る前に、永井路子さんが平家物語を旅した著「平家物語」を読み始めたら序から<『平家物語』は史実を必ずしもそのまま伝えていない>とあり、例として<熊谷直実が一の谷の合戦で平家の公達、敦盛をわが手にかけたことから世の無常を感じ、これが出家の契機となった、というのだが、事実はまったく違う。>とある。

『平家物語』は琵琶法師に語られていくうちに多少変わっていったであろう。『平家物語』で清盛が白河院の皇子であるらしという事も清盛が死んでから、巻の六「祇園女御」で出てくる。「大原御幸」も清盛と後白河法皇の双方の権力争いから考えると有り得ないのではと思ってしまう。《物語》であるからそれはそれとして楽しめばよいとするが、かなり動揺。歌舞伎の『熊谷陣屋』自体が『平家物語』から自立している話で、熊谷は敦盛を助け、自分の子小次郎を犠牲にし、小次郎の菩提を弔うために出家するのであるから、それを組み立てた作者も凄いものである。それだけに観ている内にまたまた混乱。

弥陀六という石屋がいる。実は平家の武将宗清で台詞を聞いていると重盛(清盛の長男)に使えていたようで、重盛に平家一門の菩提を弔う使命を受けさらに重盛の娘小雪をたくされている。あれ、 宗清は頼盛(清盛の弟)に仕えていたのでは。宗清は頼朝を捕らえるが頼盛の母池禅尼の嘆願で頼朝は命を助けられるのである。池禅尼は清盛の継母である。

歌舞伎では、義経はこの宗清の育てている娘小雪への土産として敦盛が潜んでいる鎧櫃を宗清に託すのである。

そもそも歌舞伎では義経は後白河院の落胤敦盛を小次郎を身代わりにして助けるべしとの暗号を出す。それが<一枝を切らば一指を切れ>の制札。熊谷はその暗号を正しく読んだかどうか義経に小次郎の首を差し出し確かめる。小次郎の首を義経は敦盛の首に相違ないと答え熊谷は主君の意を正しく理解した事に安堵する。一方熊谷の妻相模は敦盛が討ち死にしていると思い敦盛の母藤の方を慰めていたが、敦盛と思っていたのが自分の子小次郎と知り動揺する。ここで周囲に小次郎の首と疑われてはならないので熊谷は、相模と藤の方の動揺をしずめる。相模はそれを察しつつ母としての悲嘆を押し殺しつつ熊谷と藤の方と観客に伝える。

それを受けつつ熊谷は出家を決意している。平家の宗清に敦盛を託する事を確認し役目も終わったと旅だつのである。

歌舞伎と書いたがもとは浄瑠璃の義太夫狂言である。色々錯綜したがこうするならこういう人物関係でと話の筋は上手く整えている。それだけに役者の力量が問われるのである。熊谷の松緑さん、よく頑張られた。台詞がよく聞き取れた。まずはそれだけでもあっぱれである。色々な思いで気もせくであろうがよく押さえられ一つ一つなぞられていた。周りもご自分の演技で受けられ魁春さんの相模は出の大きさから次第に悲しみに移行し良かった。

『平家物語』とのコラボだったが、書き終わってみるとしっかり義太夫狂言の中にいる。次の『汐汲』も須磨で、須磨寺と須磨の浜辺を思い出している。

熊谷直実(尾上松緑)・弥陀六(市川左團次)・相模(中村魁春)・藤の方(片岡秀太郎)・義経(中村梅玉)

新橋演舞場11月 『吉例顔見世大歌舞伎』 (昼の部)

片岡仁左衛門さんが体調不良のため休演である。一番ご本人が気にかけておられると思うが体を労わり大事にされて欲しい。

双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』。今回は「井筒屋」が東京では戦後初めての上演との事。「難波裏」も見ていないのでこの二場面をみてからの「引窓」の台詞がよく理解できる。南与兵衛(なんよへえ)の女房お早(もと遊女都)が姑のお幸から、<ここは廓ではないのだから>とその振る舞いを注意される。そこでお早は遊女だったのだとわかる。与兵衛の家に関取の濡髪長五郎(ぬれがみのちょうごろう)が訪ねてくる。この時お早と長五郎が廓で知っている仲だということがわかる。長五郎は恩のある息子のために人を殺め母親に暇乞いにきたのである。そこでお早はお幸が与兵衛の父の後妻となり、与兵衛は義理の子で長五郎は実の子である事もわかる。

また、長五郎が<同じ人を殺めても運の良いのとそうでないのとがある>と呟くが、これは与兵衛も人を殺めているのであるが、都(お早)の機転から救われるのである。その辺りの事が「井筒屋」と「難波裏」を見ていると納得できるのである。「引窓」だけでもお幸・お早・長五郎・与兵衛の四人の情愛の絡みは解かるがところどころの台詞がやはり鮮明になる。

運の良さから武士に取り立てられながらそれを捨てる人、それを喜びながら苦悩する人、そうさせては義理が立たぬと考える人、間に入って気遣う人それらを引き窓を開けたり閉めたりする事によって明暗を表現する。ベテランならではの舞台であった。

お幸(坂東竹三郎)お早(中村時蔵)長五郎(市川左團次)与兵衛(中村梅玉)

人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)』。円朝さんの噺。本所の長屋に住む、娘が親のために吉原へ身を売ろうとして貸してもらえた金50両を50両取られて身投げしようとした男に、借りた50両を渡してしまう左官屋長兵衛さんの噺。

娘のお久役が清元延寿太夫さんの息子さんで役者になった尾上右近さん。好演である。右近さんが本名岡本研祐さんで舞台に立った舞踊『舞鶴雪月花(ぶがくせつげっか)』は忘れられない舞台である。右近さんが可愛らしく評判になった。三つの踊りからなり、「さくら」が坂東玉三郎さん・「松虫」の親が勘九郎(現勘三郎)さん、子供が七之助さんと研祐さん・「雪達磨」が富十郎さんでそれぞれ味わいのある舞台だった。もう一度見たいので配役を考えた。「さくら」(七之助)・「松虫」(勘九郎・鷹之資・七緒八)・「雪達磨」(勘三郎)。

『文七元結』にもどって、長兵衛と藤助のやりとりが楽しい。長兵衛の性格を知りつつ上手くあしらう客商売の技が藤助から読み取れる。大川端での長兵衛と文七はそれぞれの性格が現れている。その場になると人の意見は消えて自分の感情を優先させる長兵衛。しっかり者ゆえに自分の落ち度に気がつかず突き進む文七。こうなればこうなってこうなるとその場が上手くいけばよいのとこうなれば周囲がどうなるかを考える違い。それゆえ文七は新たな商売方法を考え出す。その辺の違いがよく出ていた。菊之助さんすっきりといい形である。

左官屋長兵衛(尾上菊五郎)・文七(尾上菊之助)・藤助(市川團蔵)