『張り込み』『ゼロの焦点』の映画

映画『張り込み』の原作は短編であった。推理小説としても異色である。映画を見ると原作は心理小説かと思ってしまうほど、張り込みをする刑事の描き方が丁寧であり、見張られている殺人犯の元恋人役の高峰秀子さんが、淡々と日常をの生活を営み、それが、見張りの刑事を翻弄しているようにも思えてくる。映画のほうが原作を超える面白さである。

原作では張り込みの刑事は一人であるが、映画は二人で、ベテランと若手という設定も定番ながら膨らみを持たせた。若い方の刑事が自分の恋人との関係をこの張り込みで考えるという伏線にもしている。そのことが、張り込む相手の女性の心理にひかれていく過程が面白い。この女性は幸せなのであろうか。そして、殺人犯を捕まえた後、元恋人が飛ぼうとして失墜する危機から救ってやり、もとの日常へと戻してやり、自分の恋人には、窮状から自分のもとに飛び立たせるのである。なかなか現れぬ殺人犯を焦りながら待ちつつの心理劇も加わり、さらに、1960年代の長距離急行列車三等席の旅の様子も描かれていて秀作である。

東京発であるが、新聞社記者の目を逸らせるため横浜から列車に乗り込む。三等席は混んでいて座れない。仕方がないので通路に新聞などを敷いて座る。若い頃の旅でありました。ユースホステルに泊って乗り込んだ列車はデッキまで人が立っている。こちらは遊びだから良いけれど。でもこの原作の出だしが、映像としてさらに効果的なのである。まずはここで引きつけられてしまう。張り込みをする宿屋の人々が、ラジオから流れる実況の歌謡番組で美空ひばりさんの「港町十三番地」を聞くのも庶民と歌謡曲の密接さがわかり1960年代の風を伝える。

『ゼロの焦点』。1961年版。何が印象的かというと、能登に行きたくなったのである。観光地能登は積極的に行きたいと思ったことがない。この映画を見た途端行きたいと思った。白黒の力でもあろう。久我美子さんのきりっとした佇まいもよい。ヤセの断崖での久我さんと高千穂ひづるさんの対決も見ものである。久我さんの夫・南原宏治さんの元妻の有馬稲子さんも久我さんと違う色気である。結婚して一週間、夫は元勤務先の金沢へ引き継ぎを兼ねて出張にでて、約束の日が来ても帰らず連絡も取れない。妻・久我さんの捜索が始まる。その金沢行きの走る列車の風景がいい。雪の能登金剛。特典のシネマ紀行。赤坂漁港、鷹の巣岩、義経四十八隻舟隠し、機具岩、関野鼻、ヤセの断崖・・・・。

能登金剛の巌門には<ゼロの焦点の歌碑>がある。それは、この映画が出来る一年前小説に影響されて若き女性が自殺したのだそうである。そのことを悼み松本清張さんの自筆碑である。「雲たれてひとりたける荒海をかなしと思えり能登の初旅」。

2009年版映画『ゼロの焦点』も見たのであるが、こちらは風景よりも、戦争に翻弄された人間の悲しみとそこから這い上がろうとする生きざまを描いていて、社会派推理小説の原点からいえば正統なのかもしれないが、1961年版が好きである。2009年版は、セットも小道具もその当時を再現すべく努力を惜しまない。見ていてそれは凄くわかるのであるが、なぜか退屈なのである。

1961年版は高千穂さんが恐らく死を選ぶべく車で立ち去るが、その時後ろから追いかける夫の加藤嘉さんが追いつける速さとわかる。シネマ紀行によると地元の人が後ろから押していたのだそうである。そんな完璧でないところも当時の時代の味となって映像から風がくるのである。風に乗って匂いも貧しさも運ばれてくる。

『点と線』の青函連絡船の乗船名簿を探すところとか、常磐線回りの青森行きとか、清張さんの映画作品は古い方がワクワクさせてくれる。