『隅田川』 推理小説から歌舞伎まで (2)

私がDVDで観た歌舞伎『隅田川』(清元)は、斑女の前(はんにょのまえ)が六代目中村歌右衛門さんで、舟人が十七代目中村勘三郎さんである。そして清元が清元志寿太夫さんである。驚いた。歌右衛門さんの動きと志寿太夫さんの清元が見事に合っている。歌右衛門さんが描く世界と志寿太夫さんが語る詞がぴったり重なっている。さらに舟人の勘三郎さんが、全く無駄のない動きで歌右衛門さんに寄り添っている。歌右衛門さんが我が子を探し、その死を知った時の悲嘆と狂気を演じられているそばで、どうする事も出来ずに支えたり、落涙する姿の勘三郎さんは演じているのではなく、演じられている歌右衛門さんの芸の流れに乗っているだけにみえる。それほど演じているとは思えない芸なのである。

斑女の前が花道から、白い小さな花の枝を手にし、打掛の片外しで塗り笠を背負い、尋常では無い姿で登場する。静々と何かに導かれるような出である。京の都の白河から人商人(ひとあきびと)にさらわれた我が子を探し訪ねて隅田川にたどり着いたのである。花道で塗り笠を鏡に見立てて髪を直すあたりなども、如何に苦労してたどり着いたかがわかる。来合わせた舟人との問答になり、飛び交う鳥に対し、業平の <名にし負はば いざこと問わん 都鳥 わが思ふ人は ありやなしや> の歌にかけて母親は問う。舟人は、去年旅の疲れから倒れた子供を人買いが置き去ったと話す。その子の国は都の白河、父の名は吉田、年は十二歳、その名前は梅若丸とわかる。お二人の聴く親と語る舟人の動きが美しい。悲しい話がもっと切々と伝わる。

舟人はその子の埋められた対岸まで斑女の前を舟に乗せ連れて行く。梅若丸の墓は < 今はこの世になき跡に 一本(ひともと)柳枝たれて 千草百草しげるのみ > 母は、ここを掘って亡骸でいいから一目会いたいと嘆く。 舟人はそれを止め、念仏を唱えてやりなさいという。舟人は道端の花を摘み母親に渡す。その土墓に母は自分の打掛を掛けてやり母は自分の髪の乱れを手で撫でつけ気持ちも新たに念仏を唱えるがその念仏の声の中に梅若丸の声があったとして気がふれて梅若を探しまわる。花道で我が子を何度となく抱こうとする母。どうする事も出来ず涙する舟人。勘三郎さんの情が歌右衛門さんの芸を際立たせる。

< 幻の 見えつ隠れつするほどに 空ほのぼのと明けにけり > 土墓に掛けた打掛を撫ぜ、悲しみゆえに身をよじり握りしめる斑女の前に上る朝日の光が紫炎となって射すのである。

隅田川七福神の多聞寺と白髭神社の間の木母寺は梅若伝説のお寺で、境内には梅若塚とガラス張りの梅若堂がある。また、そばの梅若公園には晩年を向島で過ごした榎本武揚像がある。

そして隅田川の対岸には、梅若の母が梅若の死を知り尼となり妙亀尼と称し庵を結んだとされ、その伝説の塚として妙亀塚がある。二つの塚を結ぶ橋としては白髭橋が近いであろう。