演劇 『あとにさきだつうたかたの』と映画 『あなたを抱きしめるまで』

時間が取れないため、一日に凄い詰め込みかたをした。

銀座の映画館シネスイッチ銀座で『あなたを抱きしめるまで』の最終回を申込み、砧公園にある世田谷美術館で『岸田吟香・劉生・麗子展』を、下北沢で本多劇場で『あとにさきだつうたかたの』を、日比谷の出光美術館で『板谷波山展』を、すこし時間が空き、映画『あなたを抱きしめるまで』を見る。何処かでギブアップかと思いきや、それぞれ楽しめた。最後の映画はきっと睡魔であろうとおもったらどうしてどうして、見ておいて良かったである。

加藤健一事務所の『あとにさきだつうたかたの』は、作が山谷典子さんである。この方の書かれた作品は初めてである。役者さんとしてはまだ見ていない。この作品を観て、30代の女性がしっかり歴史を見つめ、演劇として構成的にも面白い本を書かれたことが心強かった。次の時代を担う人達のほうが冷静であるのは嬉しい限りである。戦争時代を通らなければ成らなかった人々の人生と日常の中での心。さらにジャーナリズムとは何か。科学者とは。加藤健一さんを始め役者さんの演技力で静かに確実に伝わる舞台をつくりあげた。

自分に問いかけたり、誰かを待っていたり、問いかけても答えてくれない回答、待っていても来ない人、さらに答えを見つけようとし矛盾に急速に飛び込んでしまう人など、ウミガメの産卵と脱皮からウミガメを生きる先輩として配置し、さらに鴨長明の<ゆくかわのながれはたえずしてしかももとのみずにあらず よどみにうかぶうたかたはかつきえかつむすびてひさしくとどまりたるたとえなし> をも下敷きとしている。

隠されているもの、知らせられないもの。それを知ると言う事はつらいことでもある。知ったがゆえに心にもっと傷を負う事もある。しかし、知りたいと思う人の意思を妨げてはいけないし、最終的には妨げられないことであろう。

説明しなければならない事がらを山谷さんはきちんと台詞で語らせ、説明にはしていない。生活者の言葉としている。最後に個人の事情を知らない人同士が、ウミガメの子どもが殻を破り海へ一斉に向かうのを見に行きましょうと約束する指切りがいい。そして、盲目の傷痍軍人が家族を探すために、帰らぬ息子を待つ母親のために唄う歌が美しい。

今と過去を加藤さんは老人の姿のまま少年になり、行ったり来たりする。休憩がなく、同じ舞台装置なので、その行き来に邪魔が入らず観客も負担なくスムーズに行き来でき、老人の明らかになっていく人生と時代を納得していけた。懐かしさを通り超えたところにある真実への虹の架け橋である。

それから、二つの美術館。これまたよく調べられて自分の興味あるところをピックアップし易い構成の展示と解説で、疲れることなく、ピックアップして楽しんだ。

映画『あなたを抱きしめる日まで』は事実に基づいた映画である。やはりジュディ・デンチは裏切らない。この人がいての映画である。ハッピーエンドの小説の好きで、一緒に息子探しの旅にでるジャーナリストと男性に粗筋を嬉々として語るところなど微笑ましいし、考えた事を伝えるところは自分なりにしっかり考えたという自信があり、事実に直面したときの威厳が何とも言えない。取り乱すことのない許しは、この主人公のずーっと息子を思い続けてきた苦しみの裏返しであろうか。この映画はジュディ・デンチあっての映画である。

謎が解かれて行く途中のミステリー映画のような音楽もいい。旅を一緒にするスティーヴ・クーガンの主人公フィミナの様子を見つめる眼もいい。真実はいつかは知らされる。その時はいつか。遅すぎるとその悲しみは誰が受けなければならないのか。胸を張ってドアを叩く。