旧東海道の『丸子宿』『宇津ノ谷峠』での話題

JR静岡駅北口から200メートル先に旧東海道がある。そこから丸子宿を目指し、さらに宇津ノ谷峠を越し岡部宿となる。

府中宿は『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎一九さんの生まれたところらしく、生家伝承地碑があるが、旧東海道からはそれているので確かめてはいない。丸子宿の丸子川を渡る手前に<十返舎一九膝栗毛の碑>がある。その手前に<お七里役所跡>がある。西国の大名は江戸と自分の領国の間の通信網として七里飛脚を使っていた。五人一組の飛脚を<お七里所>に配置していた。この丸子の<お七里役所跡>は、紀州徳川家の<お七里役所跡>である。

普通便は8日で、特急便は4日で到着したそうで、毎月三回、江戸からは5の日、和歌山からは10の日に出発した。この日には飛脚が着くという日がわかっていたわけである。それ以外の日につけば、緊急であろうから受けたほうは緊張したことであろう。

丸子宿に入る前に大きな安倍川がある。安倍川を渡る前には安倍川餅である。柔らかくて美味であった。安倍川餅といえば、黄な粉であるが、黄な粉、あんこ、わさび醤油と三種類に舌づつみである。

そして丸子宿といえば、とろろ汁である。弥二さん喜多さんはこのとろろ汁が食べられなかったこともあってか<十返舎一九膝栗毛の碑>は、とろろ汁のお店の前にある。この日はそのとろろ汁のお店が休みで、弥二さん喜多さんと同じ運命かと思いきや、他のお店が開いていて無事食べることが出来た。満足。

丸子宿宇津ノ谷峠は、河竹黙阿弥の歌舞伎『蔦紅葉宇都谷峠』の舞台にもなっていて、是非ここは通りたいと思っていたのである。

宇津ノ谷峠は、明治のトンネル、大正のトンネル、昭和のトンネル、平成のトンネルと時代ごとのトンネルがある。明治、大正は散策コースにもなっていて、さらに蔦の細道と幾つかの散策道があるが、こちらは、ひたすら旧東海道である。宇津ノ谷峠への登りがきつく大丈夫かなと思ったが登りが適当なところで終わってくれ、下りが長かったので助かった。

旧東海道を歩いていると距離の単位が<里>になっていて、言葉に何里とかでてくると、その遠さなどがすぐ体感できたりする。一里はなくても、高さがあると時間がかかるということも考慮に入れる。峠は薄暗く、やはり、川と峠は旅人の脅威である。そして、雨も。次の日雨となり、途中で早めに行程をあきらめて、駿府城見学に変えた。その夜、風が猛威を振るい箱根では木が倒れ、箱根鉄道は運休となったようである。

行くとき今回は富士山が全身を現してくれたのであるが、土色で何かぼやけてみえる。風のための土煙の影響であったようだ。

さて、今回、ツッコミを提供してくれたのは、テレビの『陰陽師』と映画『図書館戦争』である。『陰陽師』は、晴明と博雅の関係にブーイング。夢枕獏さんの『陰陽師』ではないとの結論。といっても、こちらは歌舞伎の染五郎さんと勘九郎さんのコンビを最高とおもっているので、原作と比較できない。脚色されるのは仕方のないことではあるが、原作を一冊読んだ。原作よりも、歌舞伎の晴明と博雅の微妙な関係のほうが味がある。やはり原作は読むべきである。『今昔物語』にも出てくる話しが書かれてあった。そして蝉丸さんが出て来た。あの世とこの世の境とされる<逢坂山>に庵を結んだと言われる琵琶の名手である。蝉丸さんが出てきてくれたことだけをとっても原作を読んでよかった。生きた人と人が作り出す芝居や映像は、原作とは違ってしまうのが宿命であろう。

かつては、原作派で、原作の良いものは、映像とか芝居は観る気がしなかったが、近頃は映像などで短時間でその概要を捕らえることが多くなった。原作を読む時間がないということ、集中力が低下して、本を読むのに時間がかかるのである。

映画『図書館戦争』は、原作を読んだ友人から、<図書館の自由に関する宣言>があるのを知っているかときかれ、知らないというと、こういうのがあるのだと教えてくてた。作家の有川浩さんも、<図書館の自由に関する宣言>を知ってそのことから作品の発想が生まれたようである。さっそく、レンタルする。不適当な本として取り締まる側とそれに抵抗し本と読み手の自由を守る人間とが戦争にまで発展してしまうのである。アニメ映画にもなっているらしい。原作は5巻くらいありさらに別冊が2巻あるらしく読むなら貸すといわれたが断る。今、その本を入れるゆとりがない。

映画ではやはり短すぎるが、こういう展開なのかということはわかる。

<図書館の自由に関する宣言>があるということを知っただけでもよかった。今、民間に図書運営を任せ問題点があることが住民から指摘されたりしている。資料として古くなったりしたものや、定説が新しい事が発掘され変更になったものなど、専門家の図書司書の方がきちんと調べてそろえたり、保存していくのが図書館の役目でもあるようである。そういえばこちらが調べたいことを察して、その関係ならこういう本もありますよと言ってくれた図書館の人もいたが、今はそんなこともない。ただし、個人情報として立ち入ることを避ける必要があるのかもしれない。

ただ、捜してる本の場所を見つけるのが、かつての係りの人はもっと早かったと思わされることは多い。

今夜、テレビで『図書館戦争』放送されるらしい。男女の背の高さが、かなり重要なポイントでもある。

TBSテレビ 21時~

映画監督 ☆川島雄三☆ 『還って来た男』『東京マダムと大阪夫人』(2)

『東京マダムと大阪夫人』は、芦川いづみさんの映画デビュー作品で、川島監督が撮影の高村倉太郎さんと組んだ最初の作品でもある。月丘夢路さんの妹役を松竹少女歌劇に探しにゆき、芦川さんに決まる。高村さんによると「ずいぶん少女歌劇に通いましたよ。それで何日か通ってあの子がいいんじゃないかと目星を立てて彼女を口説いて俳優さんに転向させたんです。」とのこと。

川島監督の映画『純潔革命』で初めて主役をもらった三橋達也さんは、川島監督を「これはただ者ではないな」と思ったのが『東京マダムと大阪夫人』で、ストーリーは覚えてないが川島さんの才能に舌を巻いた記憶があるという。この映画の感じが大船調喜劇だそうで、<大船調喜劇>と言われていた映画があったのを知る。ストーリーは覚えてないと言われているが、確かに退屈な部分がある。そこをリズムと台詞と映像で引っ張て行く。

東京の郊外の社宅でのてんやわんやの話しであるが、場所はあひるヶ丘と名付けられ、奥様達とあひるが交互に映されてその喧しいこと。ところが、社宅はモダンで、隣り合わせの社宅に江戸っ子の奥さんと大阪生まれの奥さんが住んで居る。それが東京マダム(月丘夢路)と大阪夫人(水原真知子)で、マダムはお洒落な洋服に白いフリルのサロンエプロンで、夫人は和服である。二軒長屋形式で庭の境目に洗濯用の水道がある。共有で使うのである。大阪夫人が洗濯機を買ったから大変である。東京夫人もさっそく夫に要求する。

会社では、東京マダムの夫(三橋達也)と大阪夫人の夫(大坂志郎)の机が隣り合わせである。課長宅には電話があり、皆さんその電話を使わせてもらうので、家庭も会社も筒抜け状態である。あひるヶ丘夫人連合の先頭は課長夫人(丹下キヨ子)である。東京マダムのところへマダムの妹・康子(芦川いづみ)が、古い下駄屋の暖簾のために店の職人さんと結婚を決められ嫌で家出してくる。大阪夫人のところへも飛行機乗りのずぼらな弟・八郎(高橋貞二)が来ていて、お互いに好い雰囲気である。

さて、専務社宅もあり、専務夫人は大阪出身で大阪夫人は専務宅へ挨拶に。専務の娘・百々子(北原三枝)は、八郎が気に入り積極的恋愛主義で進む。消極的恋愛主義の康子は諦めて家にもどるが、百々子は八郎が好きなのは康子と知ると、積極的恋愛応援団長として康子と八郎との仲を取り持ってしまう。

課長(多々良純)は栄転で引っ越すこととなり、あひるヶ丘は新しい課長夫人が早くも先頭に立って、あひるの合唱が始まっている。

川島監督は北原三枝さんと芦川いづみさんの持ち味を決定づけた監督でもあるように思える。日活にいってからの北原さんと芦川さんの『風船』の役にしてもそうである。北原さんは常に前進し、芦川さんは一歩引いて芯を見せるといった風である。

川島監督は、高橋貞二さんの操縦するセスナを宙返りさせてくれと要求し、セスナは実際には宙返りできないので、高村さんはキャメラを回転させる手法をとる。川島監督は高村さんに、「おれとおまえの間では“できない”ということは言わない。」と約束させた。そのコンビも川島監督が東宝に移り終わってしまう。

高村さんのところへ川島監督が亡くなる数日前に突然電話があった。『渡り鳥』シリーズをやっている頃で、「お前は最近堕落している」「おまえはああいう作品をやってはダメだ」と言われれる。高村さんは言い返す。「ダメだって言ったって、おれは会社の人間だから会社にいわれればやらざるを得ない。そんなことより、おまえはおれを見捨てて行っちゃったじゃないか。」川島監督の返答。「いや、そうじゃない。次はおまえとやるんだからスケジュールを空けてまってろ。」

高村さんは、ずーっと会っていなかったのに「おまえはダメだ」と警告してくれたのはやっぱりうれしいなと思い、その後も川島監督のお墓参りのときは、「おれはまだ待ってるんだよ」と話しかけると語られた。

 

 

 

映画監督 ☆川島雄三☆ 『還って来た男』『東京マダムと大阪夫人』(1)

神保町シアターで<恋する女優 芦川いづみ>(8月29日~9月18日)で芦川いづみさんのデビュー映画で川島雄三監督作品『東京マダムと大阪夫人』を観ることが出来、<百花繚乱 昭和の映画女優たち>(9月19~10月23日)で川島雄三監督デビュー作品『還って来た男』を観ることができた。

『還って来た男』は、織田作之助さんの『清楚』『木の都』を脚色したもので、脚本も原作者の織田さんが担当している。神保町シアターで『川島雄三 乱調の美学』(磯田勉編)を手に入れる。三橋達也さん、桂小金治さん、高村倉太郎さん、今村昌平監督、西川克己監督のインタビューと、エッセイが載せられていて、それぞれの見方で面白い。

当時の大船撮影所は有力監督が次々応召され、小津安二郎監督も国策映画撮影のためシンガポールにいったままで、その手薄を補うため新人監督の登庸を決め、川島雄三さんも助監督から監督となる。西河克己監督は、学生時代に付き合いがあり、川島監督の1年後に松竹に入社する。この時の登庸試験について 「川島のようなのら犬監督には実力を認めて貰える機会はなかったかもしれない。」 としている。当時の川島監督は、西川監督からみると、もの知りなのら犬と写っていたようだが、川島監督は誰からの推挙もなく、純粋に試験の成績がトップで監督になったと記している。

『還って来た男』は、1944年の戦時下に作られたとは思えない長閑さがある。軍医が、戦地のマニラで虚弱な子供たちを診ていて、子供は健康に育たなければならないとの信念をもって日本に還ってくる。父親は財産を全て息子に渡す時期と考えていて、息子は自分の信念のためにその財産を使うこととする。ところが、この軍医は志は立派だが、そそっかしくあわてん坊なところがある。さらにところがで、このあわてん坊な純真なところが四人の女性に好感を持たれてしまうのである。

父親に財産と同時に嫁も貰えと言われ見合いをすすめられる。軍医は自分は見合いは一回しかせず、見合いをしたら必ずその人を妻にする主義でまだ見合いはしないというが、父親に丸め込まれ見合いをすることになる。その前に出会った女性二人は完全に軍医に好感を持っている。その後、亡くなった同級生の妹を心配して尋ね、りっぱに教師として自立しており安心する。その妹も軍医に好感をもつが、すでに外地に教師として赴任することを決めている。その同僚の教師が見合いの相手で、見合いの相手が、他の三人より魅力に欠ける人だったら観ているほうも複雑だなあと少しどうなるか心配であったが、見合いの相手がこれまた人間的にしっかりした人でハッピーエンドである。見合いする前に二人は出会ってしまったのである。好感を持った二人の女性とは縁がなかったということである。あわてん坊の軍医さん、モテすぎである。

その一人の女性が、『木の都』に出てきた、レコード店の娘さんである。娘さんの亡くなったお母さんが、軍医に慰問袋を送った人で軍医はそのお礼にレコード店を訪れたのである。弟が新聞配達をしていて、名古屋の工場に働きに行き寮生活となるが、家が恋しくて帰って来てしまうため、その父と娘は名古屋に引っ越すのである。

映画の出だしが、この新聞配達の少年が途中の坂の階段で転びケガをして、その手当をしてくれるのが、二人の女性教師同級生の妹と見合い相手である。見合い相手が田中絹代さんで軍医が佐野周二さんである。

軍医の父親が笠智衆さんで、小津安二郎監督の映画『父ありき』の時とは違う親子関係で、その辺も見どころで、小津監督の場合だと誰もいない坂道の階段を、小津監督の完璧な絵としてじーっと観させられそうであるが、川島監督はそこに遊ぶ子供たちを入れ動きを入れる。小津監督の坂道も家も眺めているだけで入ろうとは思わないが、川島監督の場合は、その坂道を歩きたくなるのである。そう思わせる映像なのである。

桂小金治さんが「やっぱり先生の映画はリズムだな。」「型破りたって軌道から外れてるわけじゃないんだよな。線路の上で花電車があったり食堂車があったりね、このよさなのよ。」と上手いことを言われている。小津監督の場合は鎌倉から東京の丸の内に通う規則正しい通勤電車である。

川島監督は中学の二年の時従兄に「オズヤス知ってるか、映画監督では何と云っても小津安だ」と言っていたのを今村昌平監督は従兄から聞いている。誰もが通過して自分の電車を走らせる。

この映画は時代からするとかなりずれている。このずれが今観ると凄いと思うし、ぐるうと回って行き着く終着点とその中心にいるレコード店の家族など、構図的な工夫があり、登場人物はそれぞれの自分の意志を持っている。押し付けられていた時代にこういう映画があったのだ。

映画『わが町』と同じようにマラソンがあり、織田作さんの好きな大阪の天王寺界隈があり、名古屋の軍需工場は織物工場の独特の三角屋根で、名古屋を印象づける。

フィルムも制限され、映画は67分である。天王寺の丘の下の寺に軍隊が駐屯していてたとえ長屋の路地といえども上から撮るというのは禁止だったようである。

「織田作之助とは、これを機会につきあいはじめ、僕は得をしました。反面、この破滅型作家とのつきあいで、こちらも多少、影響を受けてしまったのですがね。」(川島雄三)

『木の都』 織田作之助著