新橋演舞場『二月喜劇名作公演』

『二月喜劇名作公演』は、松竹新喜劇と新派の競演で、そこに、中村梅雀さん、古手川祐子さん、山村紅葉さん、丹羽貞仁さんらが加わるという構成員である

鏑木清方さんは<築地川>を次のように書いている。

「築地川といふのは本も末もない掘割の一つで、佃の入江にさしこむ潮は、寒橋、明石橋の下を潜って、新道路にかかる入船橋、続いて新富座の横を流れ、流れ流れて、新橋演舞場の脇で二つに分れ、一筋は本願寺の横、今の魚河岸に沿うて、元の佃の入江に出て、一筋は浜離宮から芝浦の海へ出る。」

佃となると芝居では<新派>を思い描く。<新派>となると<築地川>と同様にその芝居は埋もれた部分が多く、見えない部分を想像で補う必要がある。新派の場合は今の新派から、新派が盛んであった時代の役者さんを通じての時代性へさらに芝居の時代性へと三ステップほど飛んでもどってきて味わうという事になる。

松竹新喜劇も一代前のハードルはあるわけであるが、言葉や風景の違いから想像を置いておき、芝居の筋で楽しむということになる。

新派が参加して利ありとおもったのは、「じゅんさいはん」で、旅館の女将の水谷八重子さんが登場したときである。当然髪型は丸髷である。じゅんさいはんとは箸でつかまえられないない食べ物から、なんともはっきりしない捉えどころがないところからきた呼び方である。そのことは登場前にわかっている。登場したその丸髷姿がなんとも<じゅんさいはん>の女将さんを現している。なぜ丸髷にとらわれたかというと、映画『おとうと』で姉の岸恵子さんが、結核で助からぬ弟からたのまれて島田を結ってあらわれるのである。髪型でその立場が判る時代なのである。

それが今回は髪型とその出で立ちでふわっと空気を変えたのである。

実権は姑(大津峯子)が握っていて、当然息子はぼんぼん(渋谷天外)である。そこに40数年つとめている姑の片腕の仲居頭(波野久里子)がいる。

沢山の仲居や板前などもいる旅館の様子がいい。そのわさわさしている中での役者さんたちの動きが自然である。このあたりが松竹新喜劇の台詞と新派の動きがしっくりとからみあい思いがけない事実が判明してゆく。

「単身赴任はトンチンシャン」は、中村梅雀さんのしどころである。舅(曾我廼家文童)には銀行員と思われている男(梅雀)が実は神楽坂の男衆である。父に事実を知られないように娘(波野久里子)は、自分の夫は銀行員で、弟が男衆であるということにする。そこで、男衆と銀行員の梅雀さんの早変わりとなる。神楽坂である。神楽坂ならではの料亭の主人(高田次郎)、板前(丹羽貞仁)、新派の女優陣の芸者さんたちの協力の活躍となる。このあたりも神楽坂という場所設定を舞台に繰り広げる新派の力がある。新派に力があるというよりも、今、新派にしかそれがないといえるであろう。そこを、新派がこらえてこれからどう活躍してくれるかということでもある。

「名代 きつねずし」は、松竹新喜劇ならではの笑わせて泣かせる人情喜劇である。年齢的に人生に少しくたびれた寿司屋の主人(渋谷天外)に恋人(石原舞子)ができる。がんばりもの娘(古手川祐子)は、銀行から融資を受けて昔のように大阪の南に店を移そうとしている。その親子の行き違いを周囲の松竹新喜劇の役者さんに山村紅葉さんを加えて、こてこての大阪庶民を映し出している。私の知っている大阪の庶民はこてこてではなく、堅実派なのでよくわからないのであるが、舞台となるとこうなるようで、こてこてのてんてこまいが見せ所でもある。

狭い路地、花街、旅館の内輪という設定で時間を現代ではない過去にずらして、その当時の人々の悲喜交々を現代にどう映し出すのかが松竹新喜劇にとっても、新派にとっても劇団の課題である。ああ面白かっただけではすまされないそれぞれが培ってきた土壌というべきものがあるから。

町自体が消えていっている。川も姿を隠して見えない。そんな中で、舞台で消えた川の流れがみえたり、ある時代の路地裏がのぞけたりできれば、のぞきからくりをのぞくそれぞれの共有感がよみがえるかもしれない。懐かしむために構築するのではなく、その時代を自分のものにするために構築するのである。

はっとするような時代との出会いを期待しているのである。

 

「名代 きつねずし」(作・舘直志/演出・米田亘) 「単身赴任はチントンシャン」(作・茂林寺文福/補綴・成瀬芳一/演出・門前光三) 「じゅんさいはん」(作・花登筐/演出・成瀬芳一) 出演・曾我廼家寛太郎、曾我廼家八十吉、藤山扇治郎、瀬戸摩純、小泉まち子、佐堂克実、村岡ミヨ、矢野淳子、鴫原桂、川上彌生、久藤和子、山口竜央、鈴木章生