歌舞伎座二月 『源太勘当』『駕籠釣瓶』『浜松風恋歌』

『源太勘当』は『ひらかな盛衰記』の中の一部で、『逆櫓(さかろ)』はよく上演されるが、『源太勘当』は少ない。

梶原景時には二人の息子がいる。兄・源太景季(げんたかげすえ)と弟・平次景高である。兄が<源>で弟が<平>。何か意味付けがあるのか。兄は美男で心映えがよく、弟は横着ながさつ者である。その兄と恋仲の腰元千鳥を弟は横恋慕する。『源太勘当』とあるから、兄は勘当されるわけである。この勘当もわけがありそうである。

源太は宇治川の合戦で佐々木高綱との先陣争いに敗れ、そのことを弟はなじり、母のもとには、父から源太を切腹させよとの文が届く。しかし源太が敗れたのは、高綱に父が命を助けられたことがあったからその恩に報いたのである。母・延寿は一通の手紙をじっと見つめているが、源太を勘当し、千鳥とともに落としてやるのである。

この芝居はむずかしい。兄(梅玉)と弟(錦之助)の違いは衣装から顔のつくりからしてわかりやすい。千鳥(孝太郎)と兄と弟の関係もわかるが、母(秀太郎)の苦悩がむずかしい。なにかじっと想い悩んでいるらしいことはわかる。これは、筋を知って味わうべきものとおもう。源太は勘当されることによって美しい衣装から惨めな姿となる。その辺の転回や、千鳥が平次のやりとりの時と源太に対する時の心持ちの差なども見どころである。悲劇を着ている衣裳で表せる品格も役者さんの芸であると思った。千鳥の衣装も腰元にしては刺繍など豪華である。

『駕籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』は何回も観ているが、次郎左衛門の吉右衛門さんと八ツ橋の菊之助さんである。どんな感じになるのか。まず、菊之助さんは美しいのであるが人形的な美しさで、この点がずーっと気になっていた。ところが今回は、花魁という立場がこの美しくもまだ可憐さの残る八ッ橋をどれだけ悩ませるかがでていた。こちらが同情してしまうような八つ橋であった。栄之丞(菊五郎)に惚れているため次郎左衛門との縁切りを迫られる時のつらそうな心の乱れ。きっぱり愛想づかしをしてからのおもい。それぞれに血の流れがあった。さらに、次郎左衛門が再び訪ねて来てくれた時の疑いの無い安堵感。

それに対する、吉右衛門さんの次郎左衛門は、再び八ッ橋と向かい合い、がらっと変わって憎しみのみが鬼畜のごとくに豹変する様が際立った。情を出すのが上手い役者さんだけにこの変化に弱さがみられることもあったが、今回の次郎左衛門の狂気と八ッ橋の恐れは錦絵のようであった。

八ッ橋に想われている自分を同郷のものに見せようとしたのであるから、その絶望は大きい。次郎左衛門にとっても、八ッ橋にとっても、どうすることもできない時間のめぐりあわせであった。

梅枝さん、新悟さん、米吉さんと若い花魁たちが違和感なく勤めていたのには驚いた。菊之助さんの若さとの釣り合いであろうか。ベテランの空気の張りつめかたも良いのであろう。

真っ暗な中、ぱっと現れる吉原の仲ノ町は、当時の不夜城の出現である。

『浜松風恋歌(はままつかぜこいのよみびと)』。在原行平を恋い慕って亡くなった松風の霊が小ふじ(時蔵)にのりうつり、その小ふじに想いをよせる船頭此兵衛(松緑)がストーカーのように追い回し、おもいがかなわず刀を振りかざす。

松緑さんの此兵衛は出て来たときから怪しさがみなぎっていた。剃られた月代(さかやき)の青さが照明にあたりひかり、目も異様なひかりをする。もしかするとカラーコンタクトを使用していたのであろうか。試みとしては、最初から此兵衛を悪として設定したのであろうか。

初めて観る作品なのでそれはそれなりに面白かった。その此兵衛に負けないゆとりが時蔵さんの小ふじにはあり、謡曲を題材としている作品から現代と行きかう作品となったような気もする。

終演後、観客の若い女性の「松緑さん怖すぎ。」との声を耳にした。なるほどそう感じる人もいるかもしれない。役者さんがどう作品をとらえていくか。松緑さんもそうしたもがく年代に入っているということであろう。