公演記録『婦系図』と映画『忍ぶ川』

国立劇場で月に一回程度国立劇場で公演した公演記録鑑賞会を開催している。知ってはいたが実演と違い用事を優先させることとなり、鑑賞する機会を逸していた。

昭和48年の国立劇場第2回新派公演の『婦系図』で初代水谷八重子さんのお蔦(おつた)、中村吉右衛門さんの早瀬主税(はやせちから)である。

内容は知っているし、初代八重子さんだからと言って涙がでるとは思わなかった。初代八重子さんの型を観ようとおもったのであるが、型の流れよりもそのお蔦の心情表現に涙してしまった。涙の原因はお蔦のゆれの上手さと玄人の意気地の立てかたである。

レジメの解説によると、初演が新富座で、お蔦が喜多村緑郎(きたむらろくろう)さんで、早瀬主税が伊井蓉峰(いいようほう)さんで、「湯島の境内」で流れる清元『三千歳』を使ったり、風呂敷からお蔦が落とす障子紙と刷毛を小道具として使ったのも喜多村さんとのことである。そして今もこの喜多村さんに教えられた形を踏襲しているのである。

お蔦は柳橋の芸者であったが早瀬主税と結ばれて、飯田橋に住んで居る。しかし、身分違いから日蔭の身で、久方ぶりに早瀬との外出である。嬉しいお蔦。髪は銀杏返しである。お蔦の芸者だった玄人と芸者をやめて素人になった、そのゆれが八重子さんは、何とも言えない可愛らしさになっている。機嫌のよくない早瀬に対する気の使い方は玄人はだがみえ、わがままをいう時は素人の純なところである。

作っているというより、まだ世間に認めて貰えない立場と、そんなことはどうでもよいと思う気持ちと、早瀬と一緒であるという嬉しさのお蔦さんのなかでの複雑な絡み合いが梅の香りに乘ってゆらゆらしている。それがわかれ話となり、障子紙と刷毛が落ち、それが当り前のそれも、思い立って障子はりをしてみようと思ったお蔦の日常は無くなってしまうことと重なるのである。

台詞のひとつひとつが重なり、真砂町の先生がいなければ今の早瀬は存在しない訳で、その先生の言いつけならと身をひくところの意気地は、悲しくも人の道として通すことになる。

そして病気で助からない時に、髪を島田に結って早瀬を待つという意気地。この時代の玄人さんの意地の張り方にみえる。本当はこういう女性はいないのであろうが、存在させてしまうのが役者さんである。生きる世界が狭い人達である。だからこそ無意識な意気地の張り方で自分の足場を築くすべを探りあてるのである。その無意識の意気地が悲しくもあり、切なくもあり、美しくもあるのである。

いそうもないが、いたであろうと納得する。

映画『忍ぶ川』(熊井啓監督)が深川、洲崎がでてくるということで、観なおした。主人公哲郎(加藤剛)は、青森出身の慶応の学生であるが、二人の兄が失踪し二人の姉が自殺しており、子供心に死は恥として植えつけられる。そしていつも、自分も恥と考える死に、引っ張られるのではないかという疑念にさいなまれている。自分の大学の学費を出す為に深川の木場で働いて兄が失踪してから、彼はよく木場を訪ね、恋人の志乃(栗原小巻)もつれてくる。

志乃は大学の寮のちかくの料理屋<忍ぶ川>に住み込みで働く娘で、彼女は自分の生まれて戦争になる12歳まで暮らしていた洲崎を案内する。志乃は洲崎の射的屋の娘で、父は<射的屋のセンセイ>と呼ばれ、お女郎さんの相談にものるような人であったが、今は疎開先の栃木で病気となっている。母は亡くなり、彼女の仕送りと上の弟の稼ぎで、父と下の弟と妹との生活をみている。

志乃は自分の生まれたところが、どういうところかを哲郎に見ておいてて欲しかったと同時に、世間からみるとだらしない父かもしれないが、タガが外れずに今生きていけるのは、この父のお蔭であるというおもいも伝えたかった。そして、この地で筋を通して生き、この地で育ったことを恥ずかしいとは思わぬ自分を見て貰いたいと思って居る。

さらに、それを判ってくれた哲郎を父がどうみるか、父の死の間際に志乃は彼を父に合わせるのである。父は納得してくれる。

志乃は玄人の悲しみを子供心にしっている。それを知っているゆえに自分が自分の踏み止まるべき位置をくいしばって維持している。そんな時に哲郎に出会うのである。

その志乃をみて哲郎も、自分の家族の恥を全てを話すことができ、兄や姉だったらこうしたであろうと思われる行動とは反対の行動を選んでいくのである。

映画『忍ぶ川』は三浦哲郎さんが芥川賞をとった小説の映画化で、三浦さん自身の事を題材としていて、過酷な環境に負けない生き方を美しく描いている。

『婦系図』の真砂町の先生はお蔦にあやまるが、先生には意気地というものが判らなかったのである。意気地を張ろうにも張れないもっと悲しい世界をしっている志乃の父は、絶対にゆるんでもタガをはずすなということを教える。そう理解するだけの意志を志乃は身につけていた。

意気地など無く、通用しない世の中でもあるからこそ、今も舞台では生きていけるかもしれない。しかし意志は、ますます必要な時代ともいえる。