映画『日本誕生』と『ハワイ・マレー沖海戦』(2)

『ハワイ・マレー沖海戦』は、1941年の真珠湾攻撃を題材とした国策映画で1942年に制作されている。

この映画は戦後GHQの検閲にひっかかる。

<新聞の写真だけで真珠湾を想像した>(円谷英二の言葉>

新聞に載った一枚の写真の民家からアメリカの軍艦の大きさを割り出して、軍港の大きさを推測したのである。

<どっから撮ったんだって、言われたんだ>(円谷英二の言葉)

戦闘シーンが特撮なのに記録映像とGHQはおもったらしい。実際は東宝撮影所のプールで撮ったのであるがなかなか信じてもらえなかったようである。

今観ても戦争や軍の厳しい規制があったとは思えないほど自由に撮ったようにみえる。日本軍がいかに真珠湾攻撃を秘密裡に、果敢に戦ったかをアピールしてはいるが、一人の少年・義一(伊東薫)が海軍少年飛行兵を志願し、真珠湾攻撃に参加することが軸となって戦闘場面につながる。

義一の姉・きく子が原節子さんである。義一は志願するとき、母の許可をもらう。そのあたりも山本嘉次郎監督らしく義一のはやる気持ちをおさえる大人を配置し、予科練に入ってからも、彼らを育てる指揮官にも情をふくませている。

土浦の海軍航空隊の建物などが映っているが、これは本物なのかどうかはわからないが、ここから最終的には特攻隊も飛び立ったのだと思うと、映像を見つつ複雑な気持ちになる。

義一たちは空母艦からの出撃であるから、空母艦から飛び立ち、空母艦に着陸する訓練をする。そのため寝る場所はハンモックである。

空母艦に戻るときいつも海が静かだとは限らず、暴れ馬の尻に着陸すると思えといわれるが、まだこのころは帰ることが許されていたのである。

義一が休暇で帰ってきたり、義一の手紙が届いたりすると原節子さんが画面に登場する。このような時も原節子さんの笑顔には透明感がある。まだ庶民は先になにがあるのかわからない状態である。

行先を教えられないまま、大編成の飛行隊が出撃する。ハワイとマレー沖での戦の始まりであった。

戦闘の事実関係がよくわからないのでるが、雲の間から真珠湾が現れたり、マレー沖に英国の戦艦が見えたりしてそこに攻撃する様子でそういうことかと流れをつかむ。このあたりが円谷英二特撮監督の力量となるのであるが、苦労のほどがわからないほどスムーズな映像である。『日本誕生』は、特撮とわかる部分が多いのであるが、『ハワイ・マレー沖海戦』は、ここが特撮だといわれるからそうなのだと思うほど映像にひずみがない流れの良さがある。

受けた仕事の手は抜かぬという仕事ぶりである。隅っこに押しやられていた特撮がやっと日の目をみるのが国策の戦争映画であった。そのことにより、円谷英二さんは公職を追放された時期もある。

脚本・山本嘉次郎、山崎健太/撮影・三村明/出演・大河内傅次郎、藤田進、河野秋武、花澤徳衛、進藤英太郎、清水将夫、中村彰、英百合子、加藤照子

しかしまた円谷英二さんは立ち上がり『ゴジラ』や『ウルトラマン』を作り出していき、多くの人材をもそだてていくのである。

<この男にシナリオを教えてやってくれ>(円谷英二の言葉)

名前がかかれてないがこれは、金城哲夫さんと関沢新一さんのことではないかと思われる。「大御所のシナリオライターに、のちに円谷プロを背負って立つことになる、若き脚本家志望の青年を託した時の言葉。」とある。

『円谷英二の言葉ーゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言』(右田昌万著)は、本だけでも楽しかったが、円谷英二さんの映画と仕事と人物像を知るうえで様々な変化球を投げてくれた。まだ受けそこなっている球もあるが、円谷さんの関係した映像は沢山あるのでその都度拾いあつめることにする。

特撮も今観ると手作りの縫い目のあらい部分もあったりするが、狙いがわっかていないよと言われそうである。

観ていない『怪獣大戦争』のゴジラのおそ松くんの「シェー」を真似て消えることとする。